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#3232 根室市議会文教厚生常任委員長は共産党の方 Feb. 9, 2015 [55. さまざまな視点から教育を考える]

 市議会文教常任委員長は本田市議でした。市議会のホームページで確認したら共産党の鈴木一彦市議が委員長と書いてあります。どうやら昨年四月に変更があったようです。

http://www.city.nemuro.hokkaido.jp/dcitynd.nsf/doc/62C35C628578EE0749257D730006A7B8?OpenDocument

 「釧路の教育を考える会」の連中が「共産党の市議が文教厚生常任委員会の委員長」と聞いたら、びっくりするでしょう。自民党系の会派があるのにこういう大事なことに無関心なようです。共産党の市議が文教分野の常任委員会の委員長というのは全国でも珍しいのでは?

 病院の経営問題の調査をしはじめたら、市長からその市議が呼び出されて「叱責」があったという噂が巷に流れていたので、病院の経営改善上の問題点がうやむやになるのではと憂慮していました。指定管理者制度になって病院問題はますますアンタッチャブル化が進んでいるようです。
 言いたいことが言える明るい町には未来がありますが、言いたいことも言えない町にしたい勢力があるようです。5%のオール根室もそのうちの一つですね。広く市民の意見を代表しようという心がありません。

 ところで、市立病院建て替えに関する市議会特別委員会も肝心な建て替え直前の時期に古参の共産党市議が委員長でした。コストカットせずに総額70億円もの建て替え費用を承認しました。
 コストカットという視点からのチェックが共産党の市議には苦手なのでしょう。結果として「オール根室」の片棒を担ぎました。
 若いころから専従活動に熱心でコストカットに関する知識も経験もお持ちではなかったのでしょうから、無理もありません。共産党員としてはご立派だったのでしょうが、市立病院建て替え問題の委員長としてはその職責をまっとうできたとは思えません。
 わたしは高校時代にこの元市議の方と仲のよい友人のAさんを通じて面識がありましたから、50年も昔を存じ上げています。

 文教厚生常任委員会というのは医療問題(厚生分野)だけでなく、文教すなわち教育分野も網羅しています。釧路市議会で超党派の議員連盟が全国初の「基礎学力保障条例」を可決したときに最後まで強硬に反対したのが共産党と民主党の市議でした。いまも、基礎学力の充実に反対しています。党派の方針ですからしかたありません。

 根室は高校統廃合が来年に控える大事な時期です。市街化地域の中学校の授業進捗管理もこの2年間でずいぶん改善されました。先生個人ではなく放課後補習も学校での取り組みが増えています。
 来年と再来年の中3年生は小学校の時期に学級崩壊を起こしたところがいくつかあり、普段の学力テストの平均点を見ても現在の中3年生よりもかなり低くなっています。それをカバーしなければいけないときに、共産党の市議の方が市議会文教厚生常任委員長では正直なところ心配になります。職業的な党員ですから、党派の考え方が全面に出てくるのはあたりまえです。

 根室の未来を決める大きなファクターは教育にあります。どうか党派的な利害を超えてふるさとの教育問題に率直に取り組んでいただきたい。共産党は教条的ではなくなったとほめる人が増えるような取り組みを文教分野で期待するのは無理でしょうか?


 
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#3226 根室高校、根室西高校出願状況 Jan. 27, 2016 [55. さまざまな視点から教育を考える]


 <根室高校>
 普通科    (120)  104
 商業科     (40)   45
 事務情報科  (40)   34

 <根室西高校>
 普通科     (80)   41


*道教委ホームページ
http://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/kki/h28tousyosyutugan.htm
http://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/kki/tousho-z14.pdf

 道教委から出願状況が発表された。根室高校商業科が定員オーバーである。
 根室管内全体では、定員880人に対して出願者数628名、71.4%である。3割近くも定員オーバーでは、根室管内の子供たちは勉強しないわけだ。遊んでいても道立高校には入学できるという現実がある。団塊世代の時代には根室市内に限っていうと、道立高校へ入学できるのは3人に1人のみ。勉強しないで根室高校へ合格したのはごく一部の頭のよい生徒のみ。ほとんどの者が努力して根室高校へ入学した。
 学力の一例を挙げると、商業科1年生で9割の生徒が難易度の高い11月の商工会議所簿記検定試験3級に合格していた。1月の全商簿記検定試験2級合格が1割いた。現在の状況は11月の商工会議所簿記能力検定試験が受験できる生徒数はゼロ、1月の全商簿記実務検定試験2級受験者もゼロである。どうなっているかというと、1月24日に行われた全商簿記実務検定試験3級を生徒全員が受験、つまり50年前に比べると2ヶ月遅れている。難易度は商工会議所簿記能力検定試験のほうがかなり難易度が高い。難易度の低い順から並べるてみる。

 全商簿記検定<全国経理学校協会簿記検定<商工会議所簿記検定

 2月にも商工会議所簿記能力検定試験があるはずだが、こちらを受験させたら、1年生の簿記検定試験合格者数は半数以下になるだろう。
 競争を経ていないとこんなに学力に差がつく。

 昨年11月の学力テストで、市街化地域のある中学校2年生の数学の平均点が26点であった。学年の半数が昔の評価基準なら五段階評価2以下、3割の生徒が1である。いまそういう学力レベルの生徒に、3の評価がついている。これらの生徒の大半が努力の期間を経ずにそのまま高校に入学してくることになるから、「学級崩壊」が起きる。現在の教科書をそのまま使い同じレベルの授業をすれば、30%の生徒は授業についてこれない。私語が飛び交い、先生の説明がところどころ聞こえなくなるだけで、生徒たちの理解は格段に低下してしまう。

 今回が統合前の最後の高校入学試験の入試出願状況である。統合後は普通科で同じ教科書を使って授業をしたら、悲惨なことになる。学力格差を考えたら、同じ教科書を使うのは無理だ。中学数学で30点未満の生徒に、どうやって高校数学を理解させるのか。年に一人か三年に一人か、偏差値30でも、突然目覚めて高校数学を征服できる生徒は出てくるだろうが、それはごく稀な例外である。理解のできない授業に思春期の高校生たちが、じっと我慢して耐えていられるはずがない。学力が低いものは自己抑制能力も概して低いのである。嫌いな科目の勉強を我慢してやり遂げることができなかったから、学力が低いケースがほとんどである。

 普段やられている学力テストデータを10年間学校別・学年別・科目別に並べてみたら学力格差がどれほどのものか充分に理解できたはずである。高校問題検討委員会は、手間のかかる作業を避けて、重要な点を見逃した。
 検討委員会のメンバー各位は、無責任な仕事の結果がなにをもたらすのか、眼を開けてしっかり見るべきだ。地元経済界は教育問題に無関心でいたことが、自分たちの首を締めることになるのに10~30年もたってから気がつくのだろう。

 ロシア200海里内でのサケマス流し網漁が禁漁になり、秋刀魚資源が激減しつつある現実をみて、いまごろホタテの養殖に補助金をなんて叫んでいる。鮭鱒漁や秋刀魚漁をやっている船主が手間がかかって水揚げ金額の少ないホタテ養殖に手を出すはずもない。ホタテ養殖に進出する可能性のある漁師はそれ以外の漁をしている小規模な水産会社あるいは個人企業だろう。したがって、ロシア200海里内サケマス流し網量禁漁の代替にも、秋刀魚資源量減少の補完にもなりえない。
 資源減少時代に、生き残る道は別のところにある。そういう議論も漁師の跡継ぎの生徒とは授業の合間にすることがある。ebisuは東京で働いていたときには、企業経営の専門家として仕事をしていた期間が長い。企業上場にも4度関係している。店頭公開2回、東証Ⅱ部上場、東証Ⅰ部上場の4度である。道内ではこういう経歴をもつ者はおそらく私以外にはいない。

 ビジョンを策定して、実現する元気のある地元企業経営者はいないのか?たとえば店頭市場への株式公開にチャレンジする企業家はいないのか?社員に夢を語り、それを実現できる企業経営者は根室にはいないのか?わたしの見るところでは、根室では回転寿司の「花マル」の経営者が社員に夢を語り、それを実現しうる経営者の一人である。

 たまには根室と他地域と比較してみたらいい。サロマは50年以上も前に手を打って、ホタテ養殖で安定した暮らしをしている。浜中農業協同組合の石橋組合長も30年以上前に、農業技術センターを設立し、生乳の品質改良にまい進してきた。
 根室の水産業者たちは先を見る眼がない。常に後手後手、オール根室なんてばかなことを言い募り、阿呆な市政に迎合しているからこういう体たらくになる。
 30年先を見て仕事をするべきだ。教育こそが、素直に学べる人材を育成することこそが根室の未来を決定する重要なファクターである。学ぶことなしに、時代の変化に対応できるわけがない、そろそろ気がつけ。


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為体(ていたらく):〔「体たり」のク語法。そのような体であること、の意〕ようす。ありさま。現代では、好ましくない状態やほめられない状態についていう。「散々の体たらくだ」・・・大辞林より
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*#3207 学力低下を高校側から見る:数Ⅱ追試27名 Dec. 17, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-12-18

 #3202 縦軸と横軸で中学校のテスト・データをながめる Dec. 12, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-12-12


 #2946 高校入試出願状況 根室0.7倍 Jan. 29, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-01-29-3

 #2575 根室の公立高校出願状況 Jan.28, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-01-28-1

 #2187 高校入試出願状況 Jan. 26, 2013
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-01-26 

 #1817 根室・高校入試倍率と高校統廃合問題 Jan. 28, 2012 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-01-28-1

 #1355 史上初? 根室高校全科定員割れ(1)   Jan. 27, 2011 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-01-27



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#3219 数十枚のプリントが貼られたノート Jan. 14, 2016  [55. さまざまな視点から教育を考える]

 今年初めて雪が降りました。根室は2cmほど、さらさらの雪です。8時の気温は昨日よりも6度ほど高い、マイナス0.5度。車庫前と歩道の雪をさっとかきました。一汗かくほどはありませんでした。

  一昨日のことです、M君が公民のノートをとりだしてつぶやきました。

M:「先生、これ全部暗記しないといけないんだ、あしたテストあるから」
E:「すいぶんあるね、あらら、プリントでノートがガバガバだ。20枚以上ありそうだね」
M:「20ページ超えているよ、数えてみようか?たくさんある、暗記が苦手なんだ」
E:「君の年頃は一生のうちで一番暗記力が高い時期に当たるから、チャレンジしてみたら?それに半分以上覚えているだろう?中を見てごらん?」
M:「ほんとうだ、覚えてる、やれそう!」

 ノートには20枚を超えるプリントが糊付けされています。後で紹介する写真よりはましでした。

 そういうM君のノートを見てちょっと心配になりました。団塊世代のわたしの中学生時代は光洋中学校の同学年は10クラス、550人でした。たまたま小4から国語辞典を引きながら毎日北海道新聞の社説と1面の記事を読んでいましたから、勉強せずとも政治や経済や社会のさまざまな出来事や大人の意見、そして解説を新聞記事を通して知っていましたから、同学年の生徒に比べたら、ダントツに語彙の袋が大きかったのです。
 そういうわたしでも、自分で図入りのサブノートはつくったし、5×2.5cm位の英単暗記用の穴あきの紙にも書いて覚えました。だから一度だけあった全国学力テストで学年トップがとれたのでしょう。一学年に550人もいたのですからたった一回だけの全国学力テストで社会科トップはまぐれでしたが、知識や語彙の量が格段に多かったことは事実です。
  生物系の科目は、たとえば人体の器官を描いて正確に写すためには、ちゃんとした観察が必要です。描き写すだけで、仕組みがよくわかります。
 ようするに、「読み・書き(描き)・計算」が大事で、日ごろの学習でこれらの基本をおろそかにしてはいけません。

 結論です。ノートは自分でまとめないとダメ、まとめる段階で頭の中に項目ごとの連関がイメージとして記憶されます。つくっただけで、7割がたは覚えられるだけでなく、連関がイメージとして定着します。ここが自分でつくるノートやサブノートのいいところです。点在するメモ書きに創意工夫と個性が出るので、ノート作りは楽しい遊びです。夢中でやっていたら、時間が矢のように飛んでいきます。嫌々やったら、苦行です。(笑)
 小4のときに「卓上四季」と社説を読み始めてから、書いてあることがらのイメージを創ることが習慣になっていたようです。中学生になってそれをノートでやるようになりましたから、まとめる段階でどこがあいまいなのか自覚できます。だからそこは調べて書き込みが詳しくなります。自分専用です。ノートは工夫しているうちにそうなるんです。ただ漫然と板書を写すのではコピー機とかわりません。
 プリントの貼り付けは便利ですが、便利なものにはときに重大な落とし穴があるということを自覚しましょう。手間隙のかかることは、かけることと言い換えてもよさそうですが、実りも大きい。ファストフードよりもスローフードというとよくわかるでしょう。

 M君に限らず、この数年間、プリントを貼り付けてガバガバになったノートを使っている生徒をよく見かけるようになりました。プリントの数もものすごい、B中学校では生徒はファイルしきれず、鞄にあふれていました。この1年間はよくわかりません、生徒が学校からまっすぐに塾に来れば、鞄の中身を取り出すときに確認できるのですが、教室を移転してからは、直行する生徒がいません。
 よく考えたら、B中学校はプリントファイルが厚くなるのと、学力テストの平均点低下の時期が重なっていたかもしれません

 共通しているのは、とくに数学がプリントが多いこと、学校によっては数学の学力テスト平均点が30点を切る学年もあるので、基礎計算プリントをやたらたくさん出すようになりました。「カルク」が全生徒に配布されたはずですが、足りないのでしょうか?たぶん、文章題と計算の狭間の辺りがフォローし切れていないのでしょうね。現場の先生たちが「不足」を感じているのでしょう。

 とにかく、どの科目もプリントが増えています。生徒の学力に影響していると考えるべきです。ブログ「情熱空間」が国語のプリントの実例を写真入で紹介しているので、転載します。

http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/8304762.html?1452734726#comment-form
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2016年01月13日

板書をしない、ノートを使わない授業の実際

驚きました…。

中3生から貸してもらった、学校のノートです。もう一度言います。学校のノートです。この私をして驚きました。これ、国語のノートです、国語。毎日毎日、プリント授業を行い、それをノートに貼りなさい。数学や社会科では、とっくの昔からスタンダードと化しているのは知っていましたが、どうやら今では、他の教科も同様なのでしょうね。いやはや。

IMG_0123




















お次、その中身です。ワークシートだそうです、ワークシート。詭弁もはなはだしい。何がワークシートだ、単なる「できの悪いプリント」だろうが!さて、単元は「奥の細道」ですね。当然ながら、板書など一切なし。いきなりこれが配られて、それで授業を行うということなのでしょう。ええ、書かない授業です。

はっきり言っちゃいましょう。板書をすること、とってもとっても面倒なのでしょうね。でもって、子ども達もまた板書を嫌がる。(この地では、小学校時代から「書かせないことが普通」であるため、書かせようとするとすごく抵抗されるんです)こうしてプリントにしたならば、時間を稼ぐことができるし、お互いに嫌な思い(笑)をしなくて済む。だからこうなっちゃうのでしょうか。しかしまぁ、ひどいものです。

IMG_0124






































ごていねいに、芭蕉の句が「資料」として配布されていて、それもまた貼られているんですね。加えて、「小テスト」もまたペッタンコ。いやはや、驚きました。徹頭徹尾のプリント授業。はっきり言いましょう。これ、学校の授業なんですかね、本当に。

ワークシートという名の、プリント学習。
切った貼ったもまた、授業の一環。
おいおいおい、気は確かなのか?

主要5教科すべてがこんな授業だったなら、子ども達は、いつどこで「書くこと」「ノートに写すこと」「ノートを作ること」を覚えるのでしょうかね。書かない子、いや、書けない子を大量生産。もう一度言いましょう。それ、本当に本当に、学校の授業なんですかね。

いいかい、書かせるから、書く方向に仕向けるから、自力でまとめる方向に仕向けるから、ノート指導をするから、だからきちんと知識なり技能なりが定着するようになるんだよ。書かせないから、書くように仕向けないから、自力でまとめさせないから、ノート指導をしないから、だからいつまで経ってもダメダメなんだよ。

断言しましょう。こんな低レベルな授業を9年間施されたならば、学力上位生が《枯渇》してしまうのは必然です。あまりにもレベルが低すぎて、何もかもが、まったくもってお話になりません。本州の、「まともな先生方」が、これを見て絶句する姿が脳裏に浮かぶのは、私だけでしょうか…。

《追記》
宮崎県、同志H先生のご意見です。

実物を見るとさすがに、という感じですね。現場の先生方に疑問を持つ方がいないのかな?これで授業成立なのか?お会いして聞いてみたいものです。

《追記2》
元小学校教員、日本が誇る世界最速のスーパーコンピュター「京」の開発技術者。科学者のSさんのご意見です。 

ノートは「書くもの」です。「貼るもの」ではありません。
プリントは「ファイルするもの」です。「貼るもの」ではありません。
そのために、たくさんの「無駄」を発生させています。


《追記3》
山口県、M先生(中学国語)のご意見です。

問題演習や小テストなどは当然プリントを使いますが。古典などの場合はノートに書き写す時間がもったいないときは教科書に書き込ませ、テスト前には必ずノートにまとめさせていますよ。まあ、どうせテスト前にはノートにまとめないと勉強にならないので授業前なんかに必死でノートに書き写しているようですけどね(笑)。


●プリント授業を中止せよ!(保護者必読!)
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/8260864.html
●これがノートでしょ!
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/8252135.html


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 わたしたち(「釧路の教育を考える会」のメンバーと「北海道教育文化研究所」のメンバー)は、教育問題を議論する専用掲示板をFB上に複数もって、毎日具体的な教育問題を議論しています。そのネットワークは、釧路・根室地域を越えて全国規模に広がりはじめています。
 さまざまな職業の方がメンバーですから、教育に関するトピックスをアップすると、この記事に紹介されたコメントのように九州の学校の先生たちからもご意見がいただけます。
 ついでに紹介すると、Sさんは元小学校教員、そして現在は所長賞をなんども戴いている理研の優秀な研究員です。

<午後10時半追記>
 M君テストが終わって塾に来て、百問中正解できたのは80とちょっとと無念そうだった。
 「90題は正解したかった」
 暗記対象は200項目はあったのではないか。中3なら、集中力を高めたら、一晩で十分暗記できる量である。一夜漬けの丸暗記を中学時代によくやったとは、昭和の大数学者である岡潔先生。

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#3205 中学校の校長そして先生たちへ:分析と情報交換のススメ Dec. 15, 2015 [55. さまざまな視点から教育を考える]

 「#3202 縦軸と横軸で中学校のテスト・データをながめる」で定期テストのデータを並べて分析して見ました。ふだん実施されている学力テスト結果データも同じように学年別・科目別に並べただけで、生徒たちの学力を上げるために必要な情報を読み取ることができるでしょう。

 道内の公立中学校は1・2年生が年3回、3年生が年5回、文協学力テストをしています。偏差値も市内の平均点すら出ていない情けない学力テストですが、それでも科目別・学年別に並べるだけで、小学校の学級崩壊の痕跡やら、学年ごとの点数の分布から、学力を上げるためにそれぞれの学年の課題というように慥かなことがわかります。

 ふだんの学力テストや定期テスト結果データは「宝の山」です

 学校の校長や先生たちは自らデータを並べて眺めることで、自校の生徒たちの学力を上げることができます。
 根室の市街化地域の各学校同士は点数の情報交換しているようですが、他の地域でも学年別・科目別平均点と点数分布情報を交換してください、それぞれの学年が抱えている問題、解決すべき課題がはっきり見えてきます。
 自分の学校の生徒たちの学力がどの程度なのか、他校と比較することではっきり浮かび上がります。ふだんの学力テストデータを無駄にしないでください。

各校が、文科省や道教委や保護者や地域住民から言われずとも、自ら仕事に真摯に取り組んで立派な成果をあげていただきたいと思います。


【交換する結果情報について】
 生徒の個人名を削除したEXCELファイルでデータ交換をすると、地域のデータが全部集まるとさまざまな統計加工が可能です。

 基本統計量の交換だけでも役に立ちます。EXCELのVBA関数機能に基本統計量計算ツールがありますから、それを利用してください。

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*手順はこちらを参照
  <基本統計量の計算>
http://www.biwako.shiga-u.ac.jp/sensei/kumazawa/stat/basic01.html

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  学年別科目別に算出した基本統計量の情報交換をして使ってみてください。

 手順が面倒だとか、それだけでは間に合わないニーズがあれば、話し合って、個人名情報をカットしたファイルでの情報交換を検討し、セキュリティについては「データ取り扱いマニュアル」を作成すべきです。根室市内の中学生総数は750人を越えないでしょうから、この方が使い勝手がずっとよさそうです。
 仕事ですからマニュアルを作成してちゃんとやりましょう。
 誰のためにやるのかって、それは生徒のためですよ。



*ブログ情熱空間より
「学級崩壊と学力低下(苦悩する中学校)」
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/8272179.html

#3202 縦軸と横軸で中学校のテスト・データをながめる 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-12-12


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#3197 中学数学習熟度別授業見直しませんか? Dec. 7, 2015 [55. さまざまな視点から教育を考える]

 中学校の習熟度別授業は是だと思っていたが、まったく別の意見のあることを知った。ものごとは別の角度からもみないといけない、対立する意見の両方をよく吟味する必要がある。

 ブログ「情熱空間」から
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/8263305.html
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2015年12月06日

算数の学力は教師次第

ハンドルネーム、「北のTOSS」さんにお示しいただいた、TOSS代表・向山洋一氏の記事をご紹介したいと思います。実に実に深いです。

●産経ニュース【解答乱麻】
教師力は算数の教え方で分かる TOSS代表・向山洋一
http://www.sankei.com/life/news/151125/lif1511250013-n1.html

《引用開始》
(前略)
 クラスの人数が少なければ少ないほど教育効果があるのであれば、僻地(へきち)、離島などで担任一人、子供一人の学級の子は、学力テストなどで高得点をとるはずだが、そうはならない。学級は、集団があってこそ、教育効果が高い面もあるからである。

(中略)
 中学1年に入学した直後、「小学6年生の計算テスト」「漢字テスト」を実施して、6年生当時のクラス別に平均点を出して比較した。
 クラス別に、つまり担任別に学力ははっきりと違った。
 算数の学力が分かりやすい。
 
小学校の時、「教科書の問題をすべてノートに書いてやったクラス」は高い学力を示した。
 
一方、「先生が出す問題をあれこれ話し合って」「教科書の例題・類題をあまりやらなかったクラス」は学力は低かった。
 特に「ほとんど、できない子」が続出していた。

(中略)
 教科書をこのように活用して授業をすれば、ほとんどの子ができるようになる。小テストもクラス平均90点ぐらいになる。
 ところが、教科書をほとんど使わない教師がいて、かなりの子供が「算数がわからない」状態になる。
(後略)
《引用終了》

記事ではまた、習熟度別クラスの問題点を指摘しています。誰も彼もがいかにも、それがさも良いことと思い込んでいますが、私の意見は懐疑的です。例えば中学生。すでに学力差が大きくなっているのは事実ですが、習熟度別にクラス分けをするのは、「部分的でよい(単元によりけり)」と考えています。なぜなら人数の少なさゆえ、子ども同士の「教え合い」の機会が減り、教師に力がなければ、その教師の学習指導に左右され、「できる子をできなくする」という弊害が大きすぎますから。

そうそう、少人数編成が効果が高いのであるなら、ご指摘通り、僻地ほど学力が高くなるのが道理というものでしょう。がしかし、そうはなっていない。むしろ北海道では逆の結果になってしまっています(秋田では都市部よりも郡部の方が学力が高いそうですが)。とんだ論理矛盾です。

いわゆる問題解決学習。そんなもの、やればやるだけ子どもの学力の伸びを阻害するわけですが、実に分かりやすくかつ説得力のある説明です。教科書を用いない、ここのところ流行(?)の授業も同様。ノートに書かせない、プリントに頼りまくりの授業。そりゃ、できるようになるのが不思議というものです。

塾の場合の一斉授業も、「集団を使って作業効率を高める方法」というテクニックが、実はあるんです。意外に思われるかも知れませんが、例えばこうしたことです。試験前の対策授業。すべてを自力で解かせるのではなく、「周囲の子との相談可」(ただ答えを写すのは不可)とする部分を残しておくんです。すると、「できる子ができない子に教える場面」が出てきます。そこを活用すればいいんですね。

できる子は、できない子に教えることによって、自分の知識・技能が強化されるものなんですよね。なので、基本はできる子とできない子を混在させておいてよろしい。むしろ分離する方が逆効果。ここぞというところだけ分離するようにすればいい。でも、今の教育現場ではどうあっても、はなっから分離させたいらしいですね(苦笑)。

教科書を用いて授業をおこないなさい。
問題解決学習に頼ってはいけません。
プリントに頼ってはいけません。
習熟度別学習に頼ってはいけません。

教科書を用いて授業ができるようになることです。


算数の学力は教師次第。まさにご指摘の通りだと思いますね。
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《ebisuコメント》
 ニムオロ塾で生徒同士の教えあいを観察していると3つのケースがある。

①数学が得意な生徒に苦手な生徒が教えてもらう
②同じくらいの生徒同士が一緒に考える
③同じくらいの生徒で同じ問題をすでにやった生徒がこれからやる生徒に教える

 習熟度別にクラス編成してしまうと、①のケースがやれなくなる。「強い者が弱い者を助けるのは当然の義務」であるが、そういう徳目もこのケースでは教育できる。

 ②と③は習熟度別クラス編成であろうとなかろうと同じだが、学習を通じた生徒同士のコミュニケーションの場ができることをメリットにあげたい。

 ①のケースについては説明が必要である。
 先生の説明を聞いて、ある問題を理解したとしよう。理解しただけでテストのときにできる生徒は少ない。A「理解すること」とB「できること」は違うからだ。ここにC「教えること」を入れたらどうなるか?

 A<B<C

 こういう不等式が三つの項目の間に成立していることは自明だろう。
 「理解した」だけでは「できない」し、「できる」だけでは「教えること」はむずかしい、だれにでも了解できる。
 逆に、教えることができれば、問題を自力で解けるし、内容の理解をしっかりしていなければ教えられない。つまり、教えられたら、その問題については十分理解しているし、その問題を独力で解けるということ、これもまた自明なことだ。

 だから、成績上位の者にとっても、聞かれたら教えてあげることは自分自身のためにもなる。内容の確認すなわち復習ができるだけでなく、人に説明できるほど理解が進む、ここが大事なポイントである。

 おまけが二つもつく、生徒同士の教えあいは、強い者が弱い者を助けるという倫理観を育む。弱い者は強い者に助けを求めてよい。教えてもらったら、ちゃんと「○○君(さん)、ありがとう」と感謝の言葉を伝えたらよい

 習熟度別授業見直してみませんか?



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#3194 学を努め、学を好み、学を楽しむ:岡潔(数学者) Dec. 3, 2015 [55. さまざまな視点から教育を考える]

12/3 10時追記

承転結】
 不世出の大数学者である岡潔先生の『情緒と日本人』に次の条がある。

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 孔子の『論語』に、最初は学をつとめ、次に学を好み、最後に学を楽しむという境地の進み方を述べたことばがあるが、この「たのしむ」というのが学問の中心からの春風の吹く所に住むことに他ならない。 『春宵十話』   同書p.34
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 ニムオロ塾は5月まで緑町の日専連ビルにあったが、現在は自宅の18畳の書斎を整理して机を並べて教室にしている。
*#3037 教室移転作業完了 May 4, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-05-04

 #3038 今日からスタート:新教室を写真で紹介 May 7, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-05-07
 
 #3040 新教室授業初日に庭の桜が咲いた:生徒たちの反応や如何に May 8, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-05-08

 日専連ビルにあったときには多いときに50人ほどだったが40人前後がしばらく続いていた。現在の塾生数は中高生全部で20人ほどだから、生徒一人一人を丁寧にみられる。もうたくさんの生徒を教える体力はない。体力の衰えに合わせるように、根室の中高生の数が減少した。12年前には根室市内の中高生は1学年400人を超えていたが、230~250人に減った。総人口の減少は12年間で2割弱だが、学齢期のこどもたちの方は4割強も減った。市営保育所の数はすでに減少しているが、つぎは幼稚園が一つなくなるだろう。子どもが少ないのだから避けようがない。子どもの数が減少するのに合わせて、塾の規模も縮小する。タイプの違う塾がいくつかあることが根室の子どもたちのためになる。どこまで歩き続けられるかは神のみぞ知る、わたしは歩けるところまでただ歩く。

【起転結】
 話を本題に戻したい。夏休みが終わってから、中1の生徒と中3の生徒が入塾してきた。成績をあげたくて入塾して、3ヶ月がたった。9月初旬に中間テスト、11月初旬に学力テストがあり、11月下旬に2学期期末テストがあった。3年生は学力テストがAとBとCの3回あった。
 この二人は、じつによくやった。入塾当初は学校の先生の授業がわからないと言っていたが、最近はよくわかるようになったという。学校の授業がわかるようになればしめたもので、塾の授業と相乗効果が出るから、成績アップ・エンジンを2つつけたようなものだ。
 中1の生徒が五科目で9月中旬の中間テストに比べて103点アップ、中3の生徒が104点アップした。生徒がうれしそうな表情でテスト結果の報告をするのを聞くのは心地のよいものだ。この二人は「勉強をつとめる」段階をクリアして、「勉強を好む」段階へ心境が進んだ。マインドセット(mindset 心的態度、心のありよう)が変わってしまった
 中1の生徒は数学が33点アップし、英語が34点アップしたから、アップした103点のうち67点はこの2科目で稼いだ。
 中3の生徒は数学が27点アップし、英語が26点アップしたから、アップした104点のうち53点をこの2科目で稼いだ。
 タイプの異なる科目である数学と英語の成績がアップすれば、他の科目の勉強の仕方も多少は影響を受けるから、残り3科目がつられてアップするケースが多いのは事実だ。問題はこの後なのである。喜んで羽が生えたように舞い上がってしまう生徒あり、慢心がでて思い上がってしまう生徒もある。ここでさらに一生懸命にやれば、学力の底力がさらに大きくアップする大チャンス、この二人に限っては大丈夫とみている。

 中2の生徒でおもしろい経緯を辿っている生徒がいる。1年前の期末テストでは数学が30点台だったが、今回のテストは90点台に載った。1学期の期末テストでやはり90点台だったが、計算問題がほとんどだったから、2回とらないと「まぐれ」だと言い渡してあった。2学期期末テスト範囲には連立方程式の文章題、1次関数、多角形、角度、平行線、三角形の合同の証明問題が出題範囲になっているから、1学期比べると難易度は格段に上がっている、そこで90点取れたら本物。
 1学期末テストで初めて90点越えで慢心が現れ、勉強を手抜きして中間テストが50点台に転落、そこからまた勉強のしなおしをした。ずいぶん手間がかかったが、時々ふてくされながらもそれなりの努力が認められた。慢心が出ると厄介なのである、叱るべきときにはしっかり叱っておくが、心が素直になるには時間がかかり、両方に辛抱がいる。叱られながら、この3ヶ月間なんとか勉強に「つとめた」。
 この生徒は日本語能力が平均レベルより下である。「読み・書き・計算」速度が標準的な生徒よりもかなり劣っているので、スピードと集中力を強化するために、授業スタイルを変えることを申し渡した。個別指導だからこんなことが可能だ。英語が中間テストよりも42点アップしているが、まだ70点台だから学年末テストで20点弱アップを目標に授業を組み立てることにした。30回音読、10回書きトレーニングをやらせ始めた、「後志のおじさん」メソッドである。意味の解説をして、4文の音読トレーニング。そしてディクテーションさせて、書き取った文を直してから和訳。次にその和訳を英訳させてみたら、4箇所間違えただけ。いままで見たことのない集中力が現れた。授業の終わりに、もう一度同じ英作文をやらせたら今度は一箇所のミスだけ。しっかり記憶できていたことに、本人がびっくりした顔をした。暗記がすごく苦手な生徒なのである。数学の文章題で前文を読み終わって問1を読み終わると、前文に書いてあったことを覚えていないことがしょっちゅう起きていた。一時記憶が苦手だったが、とつぜん変化が起きてしまった。
 mindsetが変わると、顔つき(表情)も変化する、勉強しているときに幾分鋭い顔つきになり目がキラキラするからすぐにわかる。この生徒はもう嫌々やっているのではない、成果が出たので自分を信じて、自ら学ぶ心ができた。
 3ヵ月後の結果がどうなるかわたしよりも生徒本人が楽しみだろう。一つ段階をクリアしたら次の目標を示す。表情が変わったのは今まであまり使うことができなかった脳の機能が働きだしたからだろう。ここまでもってくるのに3年、教育はたまには生徒との根気比べのこともある。(笑)
 
 3年生は75点アップして初めて400点を超えた生徒と49点アップで450点に届きそうだった生徒がいた。どちらも中学3年間で最高点をたたき出した。このふたりは「学をたのしむ」心境へ進めるだろうか?

【起承結】
 背負っている課題は一人一人違う、よく観察して対処の仕方を見極めなければならない。
 飽きもせずに日々そういうことを繰り返しているのだが、伸びるときにはじつに大きく伸びる。3年前には学力テスト総合ABCの五科目平均を入試本番で100点上回った生徒と70点上回った生徒がいた。12月から入試までの3ヶ月間で飛躍的な伸びを見せてくれた。前者の生徒の学力テスト総合ABCの英語の平均点は27.3点で横ばいだったが、入試は英語が満点だった。後者の生徒は英語が10点台前半(60点満点)だったが、入試本番では49点だった。わずかの期間で中高生はときに信じがたい成績の伸びを見せる生徒がいる。
 ぎりぎりのところまで情報公開するのは、自分はここまでだとあきらめている生徒が多いからだ、勝手に自分の力を決めるなと言いたい。学校の先生も3年生が入試直前の努力で、300点満点で50点から100点も点数を上げる生徒がいることをご存じないことが多い。あきらめたらそれまで、あきらめてはいけないのが教育。だれがとんでもない伸びを見せるかはわからないのだから、教えられるほうと教えるほうの両方があきらめてはいけないのである。

 あ、忘れるところだった。6連続で学年トップの生徒がいる。教えている私の方は、長期目標からみてまるで意味がないから学年トップにはこだわっていないのだが、本人はこだわりたいらしい。つまらないところにあまりこだわると、大きな目標が見えなくなってしまう。団塊世代のころに比べると、1学年が1クラスの規模だ。わたしが光洋中学生だったときは1学年10クラス550人だった。現在、市街化地域の3中学校の規模は1学年50~90人、学年一番の値打ちは下がったから、同じ学校の生徒をライバルと考えて勉強していたら、難関大学合格はおぼつかぬ。
 2番目との点差がテストの回を重ねるごとに開いていくことがうれしいようで、子どもっぽさが抜けない。(笑)
 そういうわけで「学をたのしむ」境地にはまだ遠い。でも、勉強して新しいことを覚え、問題を解くのが好きだから、「学を好み」の8合目には達している。難問を数時間あるいは数日考え続けることができれば「学を楽しむ」という心境に近づける
 わたしは高校生になってから、公認会計士2次試験講座の参考書や経済学の専門書そして哲学書を読むようになってからそういう心境が訪れた。「学をたのしむ」という状態が訪れたら自然に学年トップへのこだわりが消えてしまう。記憶力と集中力が異常にアップし、周りの成績などまるで気にならなくなり、だれとも競争しなくなる。すべては自分の問題で他人は関わりがなくなってしまう。そういう心境に進むとこだわりがなくなるから、自分を見つめていたらすぐにわかる。高校1年までかかってよい、心の成長をまっている。
 数学はもうすぐ1学年上の生徒に追いつき、追い越す。中学卒業のころは数ⅡBを半分くらいやっているだろう。高1の夏休みに数ⅡBを終了し、9月から数Ⅲと難易度の高い数ⅠA・ⅡBの問題演習にチャレンジすることになる。マイルストーンの誤差はおおよそ3ヶ月を見込んでいるから、苦手な分野に遭遇したら、惜しみなく時間を投入し、ローギアで速度を落として乗り越えよう。
 英語は中3半ばからGrammar In Use(中級)をやり、高1の半ばころからジャパンタイムズの記事を読ませてみたい。生徒の成長の程度を観察しながら、手綱を調整することになる。こちらの思い通りに動くことなんてあろうはずがないが、それでいいのである、的を外さなければいい。
 読書にあまり興味のない生徒なので、日本語の良質のテクストを選び、三色ボールペンを使った音読トレーニング(斉藤(孝)メソッド)もやっている。日本の古典文学、経済学、哲学から各1冊は消化してみたい。全国模試の国語問題は難易度が高いとときに40ページを超える分量のことがあるから、読解速度が問題になる。
 人数が少ないからこそ、こんな贅沢な授業が可能だ。教わるほうも楽しいだろうが、教えるほうもドキドキワクワク、楽しい。

(同じ学校にもう一人同じレベルの生徒がいた。5年生の6月半ばから教えたので、上記で紹介した生徒よりもスタートが半年早かったことになる。数学も英語も消化速度が大きかった。偶然だが、同じ進路選択だったから、こちらで用意したのは難関大学進学を意識したプログラムであった。
 余裕で学年トップを取り続けたまま1年生が終わると同時に室蘭へ転校し、いま3年生。どこにいってもトップが争える生徒だ。心の強い者は強い相手がいたらさらに伸びる。学年が異なり性格が異なるこの二人の生徒を同じ学年で競わせてみたかった。
 1学年の人数が少ないと同じ学年では強いライバルにめぐり合えない、トップクラスの生徒を鍛えるという観点からそれはそれで大きな問題なのである。)

【起承転
 さて、岡潔先生の「学をつとめ、学を好み、学を楽しむ」は『論語』が出典である。

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「子曰、知之者不如好之者、好之者不如樂之者」 
「子の曰く、これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好むものはこれを楽しむものに如かず」
   『論語』「雍也第六の20」 p.117(岩波文庫)
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 この続きの条は書かない、いわずもがなだから空白を読み取ってもらいたい。こうして余韻を残すというのも日本の文化。




【8周年、皆様に感謝】
  弊ブログは11/27に8周年(2923日目)を迎え、累計アクセス(PV)数が380万を超えました。ご愛読ありがとうございます  ...m(_ _)m


《余談-1:個別指導》 12/4 0時追記
 中3は6人、「11月27日期末テスト-9月の中間テスト」五科目合計点アップ幅は40~104点の間に分布、6人合計が392点だから、一人平均65.3点のアップ。こんなことは初めてだ、このクラスの雰囲気はとてもよい。1クラス定員は7人、このクラスには中1の生徒が一人混じっているが、この生徒は65点アップだった。104点アップの生徒は学校の先生にほめられたと喜んでいた。ほめてくれたB中学校の先生ありがとう。
 6人のうち4人が高校進学で根室から出て行く、こんな年も初めての経験。
 いまから、1月の学年末テストまでがんばり抜いた生徒は学力をさらに上げるだろう。ここからが本当の勝負だ、6名揃って中学最後の心臓破りの坂を駆け上がれ!


《余談-2:成績が急上昇した原因》12/4 0時半追記
 2ヵ月半でこんなに学力が伸びたのは、このクラスの生徒の士気が高かったことが第一の要因である。
 次に考えられるのは1クラスの規模を7人に縮小したこと。
 今日は二人が同じ問題集を使っていたが、やっていたところは別、他の生徒はぞれぞれ自分のやりたい問題集に取り組んでいた。この時期になると、1~3年までの総復習の問題集を選んで1冊丸ごとやる生徒が増える。塾用問題集(3年用)で十分なのだが、不安なようだ。
 半年やって見て、7名というのがわたしの体力とうまくバランスしている。7名から次々に質問が飛んでくるから、それを捌きながら机間巡視し、やっていることをたしかめる。生徒もなれてきて、問題文を読みながらポイントを2~3箇所説明するだけであとは独力でやりぬける。その辺のころあいは7人それぞれ異なるが、阿吽の呼吸でお互いにわかるようになったということ。全部説明していたら、とても7人同時の個別指導はできない。
 全部説明が必要な生徒は、別の時間に来てもらい補習することになる。成績がかなり悪くても1ヶ月やれば、普通の能力の生徒ならだいたいなんとかなる。「学びたい」という素直な心があるかないかが結果を大きく左右する。親に言われて嫌々やっている生徒はなかなか成績は上がらない。心(mindset)の問題の解決が先なのだが、それが性格にまで食い込んでしまっているケースが多くて難しいのだ。無理にこじ開けようとすると強い拒否反応が出る、時間をたっぷりかけてすこしずつやるしかない。自我が育つ前に家庭での躾をちゃんとしておかないと、高い確率でやっかいなことになるので要注意である。学習に関する躾は小学校1・2年生のときのお母さんの役割が大きいので、次回取り上げる。


*#1213 数学者岡潔(1):『日本という水槽の水の入れ替え方―憂国の随筆集』 Sep.20, 2010
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-09-20


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#3137 基礎学力問題:釧路市議会議長のブログから Sep. 17, 2015 [55. さまざまな視点から教育を考える]

 釧路市議会で超党派の基礎学力問題研究議員連盟を立ち上げ、2012年12月に全国に先駆けて「基礎学力保障条例」制定に尽力した月田さんが、その後遅々として進まぬ釧路市の教育改革について論評している。

  どんな人かわからないだろうから、彼のブログのプロフィール欄に書いてある政治信条を紹介する。

「今ここにある問題を解決するために、また未来のために今やらなくてはならないことを、逃げないで断乎としてやり抜く!」

 なかなか、たいした覚悟だ、そしてその通りに動いている有言実行の人。
  ダンコには断固と断乎の二通りの書き方があるが、あえて「断乎」としたのだろう。この「乎」の字には「神意によりて行動する」という意味がある。断は「截(き)る」という意味である。自分の利害損得はとりあえず脇において考え・行動するという決意がこめられている。
 増谷文雄著『[阿含経典]を読む 近代仏教への道』を読んでいたら、208ページに「いまや、彼(釈尊)は、その不安を断乎として却(しりぞ)けることのできる人でありました」と、覚りを得たお釈迦様の心境を伝えている。わたしはこの断乎という字をいままで使ったことがない。自覚的な仏教徒である彼は字を選んだのかもしれぬ。無自覚な仏教徒、あるいは好奇心から哲学として初期仏教経典を読むebisuとの違いか。
 4年前に「釧路の教育を考える会」で出遭い、酒を飲んで話していたら、専修大学野球部の夏季合宿の誘致に話が及んだ、なぜ専修大学なのかと話を聞いているうちに同じ大学・同じ学部(商学部)・同じ学科(会計学科)の出身であることがわかった、奇遇である。まっすぐで仕事のできる面白い男というのがその後4年のお付き合いをしたebisuの(月田)評である。

 地域の未来にとって教育は最も重要な戦略テーマである。そうした事情は根室市も変わらない。だが、その取り組みへの情熱と行動力はいまは天と地ほどの差がある。
 根室のこどもたちの基礎学力向上は根室に住むわたしたちでなんとかしよう。釧路の教育改革から虚心に学べ。

ブログ「情熱空間」より転載
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/8144907.html
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2015年09月16日

4度目の惨敗(全国学テ釧路市結果)

 …惨敗…
もう一度チャンスを!

 …また惨敗…
またもう一度チャンスを!

 …またまた惨敗…
またまたもう一度チャンスを!

 …またまたまた惨敗…

で、4年連続惨敗。民間企業であったなら、セクションのトップと準トップはとっくの昔に更迭されていることでしょう。しかし、わが街の教育行政の場合、誰一人として責任をとらないばかりか、5度目の惨敗に向けて邁進中…。駄々をこねては泣きながら、できないことを「できるもん!」と言い張る小さな子どもを連想してしまいます。

TV・DVD視聴に費やす時間は大幅に減少。家庭学習時間は全道平均以上に。生活習慣は改善され、家庭学習時間は増えた。それなのに全国との学力差は開く一方。それ、努力の方向性が完全に間違っているからだよ。勝利の方程式は完全に見えている。しかし、どうあっても二番煎じ(?)だけには絶対に絶対に乗らないらしく、自分達がこしらえた児戯に等しい仕組み(失礼!)とやらに固執し、外部の意見には一切耳を貸そうとせず、そうして惨敗を続けている。

4度目の惨敗。4年前の小6生、もう義務教育を終えてしまいましたね。4年前の中3生、もう社会人になっている子も多くいるでしょうね。参事に指導主事、基礎学力検証改善委員会のメンバーは、即時全員更迭。妥当な処分かと私は思いますけれど、我が市教委では常に恩赦がなされているようです。

道教委も、そして文科省も、きっとモニタリングを続けていることでしょう。ダメの見本市の教育行政として。4年連続の惨敗。月田議長のブログ記事をお読み下さい。

●くしろよろしく 月田光明ブログ
第3240回 4年目も惨敗
http://blog.livedoor.jp/gekko946/archives/51798981.html

《引用開始》

150914学て結果

 
























市議会総務文教常任委員会。
 午前は生涯学習部、午後は学校教育部の審査。

 春に実施された全国学テ及び釧路市標準学力検査の概要について、指導主事室から報告を受けました。
 両テストともに厳しい結果です。

 まずは、全国学テ。
 『釧路市内すべての小中学校が全科目において全道平均正答率を上回る』との目標は、今年も達成できずに終わりました。

 特に問題なのは、全道平均よりも-5ポイント以上低い学校の多さです。
 小学校国語B、算数Bでは8校。

 結局、下位層の底上げができなかったということです。
 しかし、学習状況調査では家庭学習(塾等も含む)の時間は、30分以上、また1時間以上、2時間以上の子どもたちは、全道平均よりも上。

 そこで、質問。
 「家庭等における学習習慣の定着には一定の成果が出ている。しかし、それが学力向上につながっていない。取り組みの重点を、いよいよ教員の授業力、指導力に当てていくことになるのか?」

 『そういうことになります』

 次に、格差の問題。
 「この1年、2年、学習規律の確立に取り組むとしてきた。どこの学校、どの教員の下で学ぼうとも、同じ水準の授業を確保するという説明だった。その成果はどこに表れたのか?」

 『現実的に、学習規律を定めても教員間の力量の差が大きく、指導力に問題のある教員に対するフォローが十分にできなかった』

 であるなら、
 「外部からのマンパワーの投入を、本格的に検討していくということか?」

 『予算の問題もある。まずは、学校という組織で対応すべきと考える。教員相互の補完を機能させていくように指導していきたい』
 (今さら、という気もしますが・・)

 最後に、
 「中1ギャップの解消は急務の課題である。スピード感をもって小中一貫教育を進めていくべきでないか?」
 『阿寒湖小中学校で、モデル的な取り組みを始めたい』

 「釧路地区においても早急に検討すべきではないか。今年度中にロードマップを作成するくらいの意気込みがあってしかるべきと思う」
 『まずは、阿寒湖小中における取り組みの検証をしながら、その後の検討につなげていきたい』

 小中一貫については、市長総括に回しました。
 林教育長の見解を聞いてみたいと思います。

 4年間も惨敗を続けた総括を踏まえて、はたしてどのようにお答えになるか・・。
《引用終了》
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ブログ「情熱空間」
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/8146271.html
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基礎学力非常事態宣言!(北海道釧路市)

九九の計算の目標正答率が90%、その数値が妥当かどうかおおいに疑問が残るわけですが、その低すぎる目標値すらクリア不能という釧路市標準学力テスト。委員会の場において、複数の議員の不満・怒りが大爆発!といったものだったそうですが、そりゃそうですね。こんな状況ですから。

釧路市の小学校3年生。
「6+7」の計算ができない子が、およそ8%ほどいます。

釧路市の小学校4年生。
「6-3.8」の計算ができない子が、およそ35%ほどいます。

釧路市の小学校5年生。
「3.5+4」の計算ができない子が、およそ27%ほどいます。

釧路市の中学校1年生。
「9と12の最小公倍数」を求めることできない子が、およそ25%ほどいます。

釧路市の中学校2年生。
「8a+a」の計算ができない子が、およそ22%ほどいます。

まさに、《基礎学力非常事態宣言》ですね、これは。ウチの市教委は、なによりもまず「分かりやすい授業」とやらを目指していて(釧路市教育推進基本計画)、実際に子ども達も「授業は分かりやすい」と答えているんですね。ところが、蓋を開けてみたならこう。そもそもの大綱の目標設定からして《かすっていない》ということが、もはや明白になったわけですね。(だから、あれだけやめなさい!と言ったのに…)

あれ、おかしいな…。
どうして上がってこないんだろう…。
それどころか、悪化しているし…。
えっ、なぜどうして…。
これだけ色々とやって、頑張っているのに…。


とまあ、指導主事室は、腕組みをして頭を抱え、沈鬱な雰囲気に支配されていることでしょう。そろそろやっと分かってきた頃でしょうか。ええ、努力の方向性を完全に間違えてしまっているということを。組織のアタマには、児童生徒の学力を実際に上げた経験のある人、学力向上請負人といった人を据えなければ、そしてその人に全権を委任しなければ、もはやあなた方の力ではどうしようもありませんよ。ええ、いるでしょ、それができる人が一人だけ。だったらそうしましょうよ。そう、アタマを挿げ替えちゃいなさいよ。

アンケート調査においては、「授業が分かる」とする児童生徒があれだけ多いのに、しかし結果はメチャクチャ。まずはその原因を徹底的に分析することからはじめませんか。仕事は、できる人に権限を与えて任せることが基本。そうではありませんか、釧路市教委さん。


月田ブログより
http://blog.livedoor.jp/gekko946/archives/51799046.html

2015年09月15日

第3241回 4年目も惨敗 その2

標準検査












 



 釧路市標準学力検査。
 今年で4年目の実施になります。

 対象は、小3・4・5年生、中1・2年生。
 小6、中3は全国学テの対象なので、同検査から外しています。

 さて、この東京書籍版の学力検査。
 各設問ごとに目標値が設定されています。

 『学習指導要領に沿い標準的な時間で学習した場合に、正答が期待できる児童・生徒の割合』
 個別に見ると、その目標値が低過ぎて違和感を感じるところもありますが、一応はそうなっています。

 ともかく、この目標値は最低限度のラインであって、釧路市全体として当たり前のように達成しなくてはならない水準です。
 ところが、表を見ても分かるように▼だらけ。

 かなり厳しい現状にあると言わなくてはなりません。
 「達成率」(目標値と同程度以上の正答率であった児童生徒の割合)で見ても、

        国 語    算数・数学
   小3   63.3   67.3
   小4   49.4   62.3
   小5   64.7   56.6
   中1   58.6   61.1
   中2   54.2   54.7

 相当な人数の児童・生徒が学校の授業が理解できていない現実が表れています。
 特に、中2。

 同検査は、春4月に実施するので、前学年の習得状況・到達度を見るテストです。
 つまり、中1の勉強に大きなつまづきがあったということになります。

 この実態は、基本的にこの4年間変化なし。
 PDCAサイクルが回っていない

 委員会審査においては、複数の議員からもかなり厳しい指摘が相次ぎました。
 どうする指導主事室。
《引用終了》


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  道元の『正法眼蔵』を読んでもぴんと来ない人は、この本を読んでみたらいい。お釈迦様の説教に道元独自の認識論が付加されて、わたしたちにはじつに難解なものとなっている。
 ところがお釈迦様が衆生に説かれたものは漢訳教典とはまったく様相をことにするものである。『阿含経典』群には釈迦の教説がどのようなものであったかが簡明に書かれてあるので、興味のある人は『阿含経典』を全巻繰り返し読むのがいい。漢訳仏典とは異なり、じつに簡明でわかりやすい。世の中の一切を説こうと言って、一切を余すところなくみごとに解き切っている。
 あなたは限りなく透明で清浄な知性に出遭うことになる。プラトンのソクラテスとはまた別種に知性である。わたしはソクラテスとは同時代に生まれたいとは思わないが、お釈迦様の時代に生まれて、その言説を拝聴してみたいとは思う。


阿含経典を読む (1) 近代仏教への道

阿含経典を読む (1) 近代仏教への道

  • 作者: 増谷 文雄
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1985/02
  • メディア: 単行本

 わたしは1981年の初版単行本をもっている。全部で6巻ある。お釈迦様が衆生に説かれたそのままが載っている。
 後に文庫化されたようだ。文庫の③の「五百人の結集」は単行本では第六巻に所収されているから、文庫のほうは3巻で全巻のようだ。

阿含経典〈3〉中量の経典群/長量の経典群/大いなる死/五百人の結集 (ちくま学芸文庫)

阿含経典〈3〉中量の経典群/長量の経典群/大いなる死/五百人の結集 (ちくま学芸文庫)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2012/10
  • メディア: 文庫

#3127 口うるさい爺と姿勢矯正板 Sep. 7,2015 [55. さまざまな視点から教育を考える]

 中1の生徒の姿勢の悪いのが気になっていたので、昔は口やかましい爺さん婆さんが孫の背中に1mほどの長さの竹の物差しを入れて直したものだと話した。いまはそういう竹の物差しは根室市内のどこにも売っていない。子どもたちの姿勢が悪くなるわけだ。

 そういえば適当な板があったな、代用になりそうだ。測ってみたら幅4.5cm、厚さ0.8cm、長さ68cmの板があった。
 さっそく、生徒の背中に差し入れた。Tシャツの首のところが引っ張られて伸びる。お気に入りのTシャツだそうだが、首のところをでれーんと伸ばしてしまいたくなければ姿勢を良くするしかない。
 普段の姿勢は、背中を丸めて首を前倒しして、ノートと顔の距離が20cmほどしかない。みったくないだけでなく、首筋と背中の筋肉がずっと引っ張られたままになるから、筋肉を緩めるために無意識に体が揺れる、そうすると集中が切れ、おしゃべりがしたくなる。集中が戻るまでに10分以上かかってしまう。

 これから大学受験までどれくらい机の前に座って勉強するか計算させてみた。条件は次のようにした。
 月~金曜日の授業で6時間、家庭勉強時間を3時間、土日の勉強時間をそれぞれ5時間とすれば、5年間で何時間座っているのか。
 計算は簡単である。

 5日*(6+3)時間*52週 * 5年 = 11,700 時間

  座っている時間は1万時間を越える。20分に一度集中が切れるとすると、どれほどのロスになるのか簡単に計算でできる。集中力が戻るまで20分(おしゃべり10分+集中力が戻るまで10分の合計20分)もかかるから、集中してやっている時間は半分となる。3時間まっすぐな姿勢で、ぐらつかず集中して勉強できる生徒の勉強の質とは比べ物にならぬ。これが1万時間も積み重なるのだからその大きさにはくらくらと眩暈(めまい)が起きるほどだ。姿勢が集中力に大きく影響するから、姿勢のよい生徒と姿勢の悪い生徒では、通してみると数倍の集中力の差がでるだろう。
 受験戦争に勝ち抜くためには、姿勢の問題はゆるがせにできない。

 今日から、「姿勢矯正板」を背中に入れて2時間勉強させる。まあ、見ようによっては「虐待」であるかも知れぬが、ニムオロ塾ではそんなことにはお構いなしだ。昔のジジ・ババはそうやってめんこい孫の姿勢を矯正した。口うるさい爺はどうやら希少種になり絶滅危惧種のようだから、その役を買って出ようと思ったしだい。
 Tシャツの首が伸びて迷惑だから、普通なら親からクレームが来る。3回やればほぼ問題の無い姿勢になるので、我慢してもらうことになる。どうしてもいやなら、姿勢が悪くても注意しない「子どもにやさしい」塾を探せばいい。
 でもこんなことでクレームを言うような親は根室にはいません。それどころかほとんどの保護者がこう言います。
 「容赦なくやってください、一番お気に入りのTシャツを着せて塾にいかせます!(笑)」

 ちゃんと協力してくれる。もちろん家庭や小学校での躾が基本ですが、だれだって完璧には行かない、だからやりそこなったごく一部分を、私塾が拾ってあげるだけ。親御さん、学校の先生、しっかり躾けてください、私塾はこぼれだまを拾うだけで手一杯。

「たった2時間だが姿勢はずいぶんよくなった、三日間我慢しろ、そうしたら良い姿勢が身につき、悪い姿勢をしたときに気持ちが悪くなるように変わってしまうから。」
「はい、わかりました!」
「い~い返事だ♪」
先月見た五色百人一首の会でTOSSの先生たちと子どもたちのやりとりに似てきた。
  「ダメなものはダメと叱る⇒できたらほめる」
当たり前のことをちゃんとやる、これが案外忘れられている。


<余談>
 昔(1979年)のことだが、青山にファッションデザイナー森英恵の本社ビルがあった。何階だったか忘れたが、エレベータで社長室のあるフロアへ上がると、大きな木製の机が置かれており、黒いシックな服を着た女性が紙に何か書いていた。背筋をピンと伸ばし、鉛筆の持ち方も正しい持ち方で、挙措が美しかった。
 正しい姿勢は美しい、正しい持ち方は美しい、基本の型をちゃんと身につけるということはとっても重要なことなのだ。姿勢や鉛筆の持ち方が正しくなかったら、服装がだらしなかったら、この女性は受付嬢として採用されなかっただろう。
 もちろん、銀座の一流クラブには座る姿勢も歩く姿も、背筋を伸ばして美しく振舞うホステスさんたちがいる。
 どんな職業でも、一流になるには正しい姿勢や立ち居振る舞いが備わっていなければならない。おそらく基本の型を正しく身につけてしまうと、姿勢や動きに無駄が無くなり美しさにつながるのだろう。無駄なところをすべてそぎ落としたところに美しさが生まれる。


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#3126 問題解決型授業をめぐる議論(2):火花 Sep. 5, 2015  [55. さまざまな視点から教育を考える]

 「火花」、ちょっとおしゃれなサブタイトルをつけてみました。

 前回の#3125でのブログ「情熱空間」の転載記事を受けて、コメント欄上で問題解決型授業について賛成(卓さん)と反対(ZAPPERさんとebisu)の立場から議論がなされます。
 お互いのピントのずれが次第に修正され、教育論議がより具体的で本質的なものに深まっていきます。どうぞお楽しみください。 
(ebisuの発言部分の漢字変換ミスは訂正済み、そして足りないところは全体の流れに齟齬が起きないように配慮して書き足しました。)

ブログ「情熱空間」より 
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/8127319.html?1441437555#comment-form
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1. Posted by 卓   2015年09月02日 23:50

文部科学省が問題解決学習を推奨しているのは明らかです。
例えば、数学の学習指導要領には
「数学的活動は基本的に問題解決の形で行い、〜」
と明記されています。
法令を遵守しながら、学習効果を高めることが求められていることです。
問題解決の形で行われない授業自体が法律違反です。
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2. Posted by ZAPPER   2015年09月03日 09:54

卓さん
コメントありがとうございます。
中学数学の学習指導要領を見てみましたがお示しの文言を見つけられませんでした。
資料をご教示いただければ幸いです。
でもしかし、数学教科書の導入には問題解決学習の要素が散りばめられているのは事実であって、ご指摘の部分は少なくともその方向性を暗に奨励しているのは間違いない事実でしょうね…。

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3. Posted by ebisu   2015年09月03日 15:10

面白そうなので、参加させてください。

学習指導要領を見ましたが、「数学的活動は基本的に問題解決の形で行い」という文言はありませんでした。
「数学的活動」というのはあります。たとえば、次のような説明です。
-------------
〔数学的活動〕
(1)「A数と式」,「B図形」,「C関数」及び「D資料の活用」の学習やそれらを相互に関連付けた学習において,次のような数学的活動に取り組む機会を設けるものとする。
ア 既習の数学を基にして,数や図形の性質などを見いだし,発展させる活動
イ 日常生活や社会で数学を利用する活動
ウ 数学的な表現を用いて,根拠を明らかにし筋道立てて説明し伝え合う活動
-------------

ア、イ、ウが各学年に共通の「数学的活動」です。
アは発展学習で、難易度の高い問題にチャレンジしろということ。
イは日常生活で数学の応用を考えろということ。
ウは三段論法やデータとその数学的な分析をベースにして発言し、他者の意見を受容しろということ。

ウが可能なのは上位5%でしょう。
したがって、大部分の生徒同士に話をさせて「問題発見⇒解決」というようなシェーマは数学の学習指導要領では示されていません。
もともとデューイの教育理論がベースになっているとしたら、あれは社会科の話で、それを中学数学に適用するのは無理があるでしょう。

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4. Posted by 卓   2015年09月03日 21:45

中学学習指導要領解説 数学 p、14に目標が書かれています。
「数学的活動を通して〜」です。教科目標の書き出しで、このように記述されているので
原則数学的活動を通して、目標に近づいていくこととなります。
数学的活動に関わっては、p、32に「数学的活動は基本的に問題解決の形で行われ〜」
と記述されています。
また、p、52には数学的活動の特性の説明で「数学的活動は、基本的に問題解決の形で行われる」
と記述されています。
以上の記述より、数学的活動は問題解決の形で行う。つまり、授業の基本の形は問題解決の形で行う。ということは明白です。
さらに、文部科学省の教科調査官も講演等で明言しておりますので、その点は揺るがない事実です。
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5. Posted by 応援団   2015年09月03日 21:55

卓さんが言われているのは解説書の方ではないでしょうか?

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6. Posted by 応援団   2015年09月03日 22:02

卓さんへ
たぶんZAPPERさんとebisuさんは学習指導要領の方しかご覧になっていないのだと思います。

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7. Posted by ebisu   2015年09月03日 22:38
学習指導要領の文言ではないのですか?

>例えば、数学の学習指導要領には
>「数学的活動は基本的に問題解決の形で行い、〜」
と明記されています。

これは勘違いですか。
文科省では『中学学習指導要領解説 数学編』(平成20年7月版)を出していますが、その中には卓さんご指摘の文言は見つかりません。14ページも、32ページも、52ページにも見当たりません。
ひょっとして、違うものをみているのでしょうか?
わたしが見た解説のURLを示しておきます。

http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2011/01/05/1234912_004.pdf

文科省が出しているのは「学習指導要領」と「学習指導要領解説」の二つだけのはずですが・・・

ああ、ありました、ページ数が違っています。63ページに「数学的活動の特性」があります。
--------------
① 数学的活動の特性
数学的活動は,基本的に問題解決の形で行われる
。すなわち,疑問や問いの発生,その定式化による問題設定,問題の理解,解決の計画,実行,検討及び新たな疑問や問い,推測などの発生と問題の定式化と続く。それら一連の活動を実体験することは,数学を学ぶことの面白さや考えることの楽しさ,数学の必要性や有用性を実感する機会をもたらしてくれるし,そこでは粘り強く考え抜くことが必要になり,成就感や達成感などを基にして自信を高め自尊感情をはぐくむ機会も生まれる。また,異なる考
え方を相互に取り入れ深めていくなど,互いに理解し合うことにもつながる。
--------------

これですね。

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8. Posted by 卓   2015年09月03日 22:39

だから、話が通じなかったのですね。理解しました。
学習指導要領解説 数学編をご覧いただきたいです。
法令遵守を重んじる方々なら、おわかり頂けると思います。

-------------------------

9. Posted by 卓   2015年09月03日 22:43

学習指導要領解説をご覧いただきありがたく思います。
ということで、問題解決の形で授業が行われることが法令で定められています。よって、問題解決の授業を行いながら、学習効果を高めていかなければならないのです。

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10. Posted by ebisu   2015年09月03日 23:00

驚きました。
この文書を読んで理解できる先生はめずらしいのではないでしょうか。
頓珍漢な文章です。
何か具体的な事例を挙げることができますか?
わたしの頭に浮かんだのは偏差値です。ですが中学校でも高校でも教えていません。
ユークリッド『原論』と経済学も事例に挙げていいでしょうが、そんなことを知っているのは経済学者でもわたしのほかにはいませんよ。

これはおそらく教えたことの無い人の作文です。
だいたい、デューイが社会科で確立した教育理論を数学に適用することがそもそも無理があるのではないでしょうか。

文科省は具体的事例を10個ほど挙げるべきでしょう。これでは何を言っているのかわかりません。

わたしは、17歳のときにある経済学的な問題(『資本論』の体系構成はいかなるものであるか)が頭に浮かびました。そしてその解決が見えるところまで5年かかりました。そこまで来たところで別の問題(『資本論』を超えることはできるか)が見えてきました、その解決(『資本論』を超えた新しい経済学の創造)にさらに20年ほどかかっています。
*#3097 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版) <目次>  Aug. 2, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-15

「問題解決」というのは問題提起と問題解決に分けて考えることができます。
中学生にできるような簡単なことではないと思うのですが・・・

ですから文科省の言うところは、たんなる発展学習のように読めます。それなら、そう書けばいい。
発展学習で難易度の高い問題を、ああでもないこうでもないと(生徒同士で)試行錯誤して解いてみたらいい。

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11. Posted by 卓   2015年09月03日 23:29

文部科学省の国立教育政策研究所が、全国学力学習状況調査の結果を受けてつくっている授業アイディア例が下記のURLに載っています。

http://www.nier.go.jp/jugyourei/h26/idea_04.html

この例を参考にして授業をしましょうということです。
また、北海道や釧路には教科書の著作者でもある、相馬一彦先生をはじめたくさんの実績のある大学教授もいます。
学習指導要領解説をお読みいただき、相馬一彦先生の著書を読んで頂けると法令にのっとり、学習効果を高めるにはどうあるべきかがおわかり頂けると思います。

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12. Posted by ebisu   2015年09月04日 09:48

卓さんありがとう。
4つの事例が載っていましたが、どれも初歩的なものです。「問題解決型指導」の参考になるものとは思えません。
理由は三つ。

①説明の仕方を数タイプ用意するだけで問題が消滅するからです。ようするに教え方の問題
説明のしかたが悪いから生徒の理解が進まないという発想は無いのでしょうか?説明のしかたを変えただけで生徒の理解度はまるで違ってきます。

どの例も、授業で先生が生徒の理解の問題ありと感じた事柄がテーマになっていて、問題提起は先生がやっている。生徒は誘導されて問題に気がつくというシナリオです。学習指導要領や「解説」はそういうことを言っているのでしょうか?議論のあるところです。

こういうスローなやりかたを随所でやったら、年間授業時間数は2倍あっても足りないでしょう

「数学的活動」には4つの事例で示されたようなことは書いてありません。「ア・イ・ウ」をご覧ください
こういうことを書いている大学の先生たちは実際に自分が提唱している方法で1年間中学生に教えてみたらいい、結論が簡単に出ます。
おおまじめにこんな指導法を提案しているのは現場を知らない人が空理空論を弄んでいるだけ。

こういうものを参考にして授業をやったら、教科書の三分の一は遣り残して、あわてて3学期に超特急で授業しなければならない羽目に陥ります。
数学の授業の「積み残し」や「すっ飛ばし事例」が多い理由がわかったような気がします。
大事な点ですからもう少し具体的に書いておきます。
難易度の高い問題を宿題にすると、高校生は授業時間の外で自然に教えあいをやっています。高校生になると数学の難易度が上がるので、自分の手に余る問題が急に増えます。困った生徒は自分よりもよくできる生徒に訊くんです。塾通いのできる余裕のある生徒は別ですが、塾通いできない事情の生徒はそうしないと授業についていけなくなります。背に腹は替えられぬということで、難易度の高い問題を宿題にすると、自分の得意科目は教え、不得意科目は教えてもらうというような関係が自然にできるようです。
こういうことを考慮すると、難易度の高い問題を与えて、生徒同士の協同作業をさせて授業時間をつぶしてやるのがいいかどうかは、授業の進捗の度合いによります。年間授業時間数が余るほど腕がよろしければおやりになればいいし、アップアップしている先生がこんなことで時間をつぶしてしまったら、3学期に「積み残し」や「すっ飛ばし」が起きてしまいます
北海道の中学校で高い頻度で起きている3学期の「すっ飛ばし」は授業技倆の低い先生が、国立教育研究所が例示するような拙劣なお手本を金科玉条のごとく取り入れてしまっていることが原因の一つかもしれません。自分の技倆に自信の無い先生ほど「指導書」どおりの授業をして、国立教育研究所の提示したやり方を真似るのではないですか?根室の市街化地域の3校の数学の授業と英語の授業を2回ずつ6回、授業参観しましたが、奇妙なほどどの先生の授業も似ていました。
実務ではそれぞれの先生自身の技倆や授業の進捗速度とのバランス感覚が必要なんです。そういう注記もせずにピント外れと思われる4つの事例を挙げている国立教育研究所は、わたしから見たら狂気の沙汰

俯瞰すると、学問へのスタンスの違いが根底にあるようです。
数学は本来経験科学ではないから、社会科をベースに作られたデューイの問題解決型指導法は適さないのです。4つの事例を見た結果の結論ですが、わたしには相当に無理があるように感じました。

卓さんはどう思いますか?

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13. Posted by ebisu   2015年09月04日 10:00

議論したいことがいくつかあります。
たとえば、4番目の事例では反例をあげることが書かれていますが、問題解決型指導の分野ではなく、発展学習の分野でしょう
なぜなら、「集合と命題」で扱う高校数1分野ですから、習熟度別に分けたクラス編成で、成績上位層でなければ消化が難しいでしょう。高校生だってこの分野は苦手の生徒が大半です。中学校で、しかも大多数の生徒を前提にした指導の一般論にはなりえません。帰納的に一般法則を導き出そうというのですからこれも時間がたっぷりかかります。

どの事例も我田引水、問題解決型指導に結びつけるために、他の方法があるのにこじつけているようにしかわたしには見えません
験科学の分野にそういう指導法があることは認めますが、数学は純粋科学で演繹的な方法がベースにあります。学問に対する、大きな勘違いが教育学関係の一部の大学教授にあるように感じます狭い「教育村」内部だけで指導法を議論することの危うさを感じます

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14. Posted by ZAPPER   2015年09月04日 10:00

卓さん、応援団さん、ebisuさん、ありがとうございます。
なるほど、そういうことでしたか。

卓さんがお示しの資料を見ましたが、授業案の趣旨というものが少しは分かったような気もします(賛同はしかねます。笑)。我々は学校の授業の3分の1~4分の1の時間しか与えられていないので、当然ながらああした授業をやることはあり得ませんが、学校の授業で取り入れるのは「あり」なのでしょうね。ただしその場合、頻度と位置づけ(目的)が問題になろうかと思います。

位置づけ(目的)。学習内容を補完する形、楽しんで内容を知るという導入のため、既習内容の確認のため、実際にその知識がどう用いられているかを知るため。~それを知ることによって身近なものと認識させる~ 思うに、そうした「効用」を狙ってのものなのでしょう。PISA調査における学力観を意識している風潮もまたそれを後押ししているのでしょう。

頻度。お示しの授業案、例えば4回に1回とかならば「あり」かも知れませんね(否定はしません)。しかしその場合にあっても、学習内容の定着こそが《主》であって、こうした学習指導は《従》。つまりは理解と定着を促進すすためのツールに過ぎないものでしょう。何よりも大切なそのことがすっぽりと抜けているのではないかとの疑念を抱いております。

基礎の定着、そのためのトレーニングを怠らない。その前提でそうした授業を組み入れるのであれば、それはそれで「あり」かも知れませんが、我々が知る限りにおいて、《主》と《従》が完全に入れ替わっている授業ばかりがもてはやされているというのが実感です。まるで量が足りちゃいませんから。

ということはつまり、「問題解決」という用語の定義自体がなされていないような気がしますが、この点はいかがでしょうか。「使える」ために教えているはずが、いざふたを開けてみたならばまるで「使えていない」という状況が、それを物語っていると思いますが。

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15. Posted by ZAPPER   2015年09月04日 10:07

>問題提起は先生がやっている。生徒は誘導されて問題に気がつくというシナリオです。

さすがebisuさん!ええ、シナリオがあらかじめあって、例えば数学の単元の導入などでは、「(結論として)では、こうして解けばいいんですね。以後、そのように解くようにしましょう!」といった具合で、そこに過大な時間を割くことに大いなる疑問を抱くわけなんです。はい、ある種の誘導尋問ですから。

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16. Posted by 卓   2015年09月04日 18:29

問題解決の賛否について様々なご意見があることは、よいことだと思います。ただ、学校教育は学習指導要領に基づいて行われるものなので、既述してある通り、授業は基本的に問題解決の形で行うことが筋でしょう。法令違反をしては、筋が通りません。

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17. Posted by ebisu   2015年09月04日 22:19

デューイの問題解決型の指導法の要点は、生徒自身が問題を発見し、解決することにあります。
ところが卓さんが例示してくれた4事例はすべて先生の側が問題を発見して誘導するものですから、あの4事例自体が言葉の厳密な意味では学習指導要領違反ということになりませんか?

ところが残念なことに学習指導要領には「問題解決」の中身が書いていないんです。ア・イ・ウの三つだけです。

デューイの理論をベースに考えれば問題提起と解決を生徒自らが自立的・自発的に行うと解釈するのが自然でしょう。
卓さんの例示してくれたURLに示された事例は、四つとも問題提起が生徒ではなく先生によってなされているのですから、デューイの問題解決型指導とは似て非なるものです。

あれは学習指導要領の曲解で、ああいう「問題解決」授業は学習指導要領が本来意図しているものとはまったく異なるものですから、「法令違反」でしょう。
「学習指導要領」にも「解説」にも「問題解決」の定義が書いていないのですから、その部分の理解は教育関係者には常識であるデューイの問題解決型指導理論に従えということでしょう。

ところがデューイの方法論は社会科の授業を想定したものでして、経験科学(や自然科学)の方法を純粋数学に適用すること事態に無理があります。学問的にはとんでもない代物に見えます。三流の学者のたわごとにすぎないのですが、衆生はそれに惑わされます。

名前を挙げてくれた相馬一彦先生というのは、北海道教育大旭川分校の先生のようですが、筑波大付属中学校での教職経験しかありません。一般の公立中学での教職経験が無いから、公立中学校の生徒のレベルと指導の仕方を知らないのではないですか?
アマゾンで3点の著作を見ましたが、読者が投稿した書評は3点の本全部あわせてたった2個だけでした。提灯をつけるような書評が二つだけ、批評精神のかけらもないものです。ほとんど読まれていない。
あの本は公立中学校で教える参考にならないのではないでしょうか。普通の公立中学校の先生が、国立教育研究所が挙げた4例の通りの授業をしたら、年間標準授業時間数内での教科書消化ははなはだ困難であろうと思います。

原点に戻って考えると、学習指導要領に書いてある「数学的活動」のア・イ・ウの文言の理解からはじめて、「解説」に書いてある「問題解決の形で」の文言の定義から検討すべきです。
法令違反云々はその後の話でしょう。

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18. Posted by 卓   2015年09月05日 06:38

数学の学習指導要領の先行研究は多々あるかと思いますが、デューイよりもポリアの先行研究をより強く反映しているように感じます。(ポリアは数学者です)
定義の見直しといいますが、話の筋道は、

学校教育は学習指導要領を基にして、生徒の実態に応じて行われる
学習指導要領に基本的に「数学的活動」をやりなさいと書いてある
学習指導要領に数学的活動は「基本的に問題解決の形で行う」と書いてある

具体的には、「授業のアイディア例」が文部科学省の研究機関である国立教育政策研究所から出ている
という流れで現場におりてきているのは、まぎれもない事実です。文部科学省から打ち出されれことは、法的強制力を持ちます。いわゆるルールがつくられています。だから、ルールの部分がどうなのかということを、議論しても構わないが、勝手にルールを無視して教育活動をするのはなしだと思います。現場が筑波であろうが、公立であろうがルールの中で実態にあった教育活動をするのが、筋です。
ルールを変えたければ、文部科学省に入り、力をもち、確かな実績と根拠を後ろ盾に変えればよいと思います。

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19. Posted by ebisu   2015年09月05日 08:15

卓さん、解説ありがとう。

法令遵守というのはよくわかります。
もともとの指導要領の文言の解釈に違いがありそうですから、そこを議論したい。

指導要領でいるところの「数学的活動」の具体的な事例を「解説」であげ、序(つい)で国立教育研究所が4つの事例を挙げている。
これらの流れをポリアの区分にしたがって整理すると、

一般(学習指導要領)⇒特殊(解説)⇒個別(4つの事例)

あまたある特殊事例の中から一つをとりあげ、さらにその特殊事例に従い、個別事例を4つ挙げたということです。

概念規定一般の話ですが、一般的な規定に従った特殊事例は他にいくらでもありえます。そしてそれぞれの特殊事例にそれに応じた個別事例が浜の砂粒の数ほどもありえます。

だから、指導要領の規定に従いつつ、別のやり方がありえます。

教育学には不案内なので、わたしはその都度卓さんのおっしゃる言葉をネットで検索して意に沿うように理解しているつもりです。
ポリアの理論は帰納的なやりかたを授業に取り入れろということで、生徒同士に議論させることではありません。指導要領解説に書いてあることも、数学の授業の大半を「数学的活動」に費やせということではないでしょう。定められた年間授業時間数という時間の制限があり、その中で配分を考え、生徒たちのレベルに合わせて帰納的な推論を適宜取り入れろということ。こんなことは仕事の常識です。

たとえば、わたしは多角形の内角の和の公式を導き出すのに、関数のxy対応表のように、x欄にn角形の数字部分を、y欄に内角の和を記入して三角形から六角形まで黒板に並べて書いていきます。中心角の分割と二等辺三角形の性質を利用して説明すれば、五角形と六角形の内角の和が計算できます、三角形や四角形の内角の和がわからない生徒はいないでしょうから、表をつくるときに解説するのは五角形と六角形だけでいい。
並べ終わったところで、内角の和の増分を計算させます。増分は180度ですから、等差数列の問題に置き換えるだけの操作で、内角の和の一般式を(生徒が)きわめて短時間で帰納的に理解することができます。内角と外角の関係(和が2∠R)から、内角の和の公式から正多角形の外角の和の公式が導けます。これは真っ当な数学的活動、すなわち演繹的推論です。
生徒同士の話し合いは必要ありません。少ない授業時間でこうした工夫をすることは当たり前です。
ふだんの授業でやっている当たり前の説明が、(デューイの問題解決型指導からは最重要である問題発見の項で外れてしまいますが、)ポリアの指導理論にはちゃんと沿っています。

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20. Posted by ebisu   2015年09月05日 08:35

わたしは私塾の人間ですから、中学生に高校レベルのことも生徒の能力しだいで教えており、学習指導要領にしたがって教えているつもりはまったくあリませんが、合理的に指導していれば、例示したように、自然に帰納的推論という「数学的活動」や演繹的推論という「数学的活動」はどちらも授業の中で頻繁に現れてきます。そういうことのできないレベルの低い教師だけが時間をかけて、国立教育研究書の4つの事例のような授業をすることになるのでしょう。時間をかけずに帰納的な推論を授業で展開することは、3年以上の経験があれば研究熱心な教師にはいくらでもできます。国立教育研究所が挙げている貧弱な4事例がすべてではありません

それは時間の制限の中でバランスをもって取り入れるもので、年間授業スケジュールをちゃんとこなすという職務上の責任との兼ね合いを考えるべきです

例示されている4つの事例は、生徒同士にやらせるもので時間を大きく食います。
あんな事例をそのまま公立中学校の先生たちが授業でまねしたら、高い頻度で「積み残し」と「すっ飛ばし」が起きます

学習指導要領に従った帰納的な数学的活動は他にもやり方があります。挙げられた事例は国立教育研究所の先生たちが4例作ったというだけのもので、すべてではないどころか、あまたあるうちの4例です。
それを金科玉条のようにあがめるのは法令遵守と言うよりも、硬直化というべきでしょう。

お上の言うことには逆らうなという風に聞こえましたが、法令を遵守しつつも、4つの事例以外にもっとすぐれた方法が学校や私塾の教育現場にはいくらでもあります。

たとえば、生徒たちが苦手な距離と時間と速度の問題は、じつは食塩と食塩水と濃度の問題と数学的には同型のもので違いはありません。
そこがわかれば、同じ問題になってしまうので、速度と食塩水の濃度の問題が同じやり方で解けてしまいます。
既成の教科書や問題集でそのことに気づいて書いているのを見たことがありません。
こんなことを生徒同士の話し合いで見つけることは不可能でしょう。
でも、教え方しだいで20分あれば同型性を理解させる授業はできます。

国立教育研究所の研究事例をあがめる必要はありません。国立教育研究所が例示している4つの事例の程度の低さにわたしはほんとうに驚いたのです。教育学がこういうレベルでは国の未来が危うい。もっと優秀な人が教育学や指導法を研究してもらいたい
(いま思い出しましたが、教職課程では教育原理という科目が一番つまらなかった。どなたが書いた教科書だったか忘れましたが、学問としてお粗末過ぎたからです。)

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21. Posted by ebisu   2015年09月05日 08:56

ポリアの帰納的な指導方法は別にポリアが初めて言い出したことではありません。帰納的な推論と演繹的な推論はギリシア数学の昔よりももっと起源が古いものです
デューイの問題解決型指導理論も、さまざまな分野の学者たちが試行錯誤してやってきたことを、教育学に取り入れただけのことです。

そんなものは意識しなくていいのです。普通に授業していれば、随所に演繹的な推論も帰納的な推論も頻繁に出てきます。(笑)
だから、「数学的活動」に関しては中学校数学担当の先生たちは学習指導要領の数学的活動を意識する必要はありません。
普通の授業を普通にするだけで、学習指導要領を遵守した授業になることは自然なことだからです。学習指導要領なんてそんなものです


むしろ、国立教育研究所が事例に挙げた4つのほうが帰納的な推論を取ってつけたようで不自然です。
途方も無く時間を食うような拙劣な例にわたしには見えます。

「王様は裸だ」、そう言いましょう、見えたまま、感じたままでよい。国立教育研究所の先生たちが作ったものでも、下手なものは下手、素直な目で見たらよいのです、いけませんか?

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22. Posted by 卓   2015年09月05日 14:56

批判的にみても全く問題ないと思います。私も、盲信するのは危険だと思います。
私が大切だと思うことは、それぞれの考え方を理解し合い、最低限度のルールになるところはそろえて教育活動をすることだと思います。
指導法については、絶対に〜だ。としてはいけないと思います。
ただし、だからといってなんでもありでは、子どものためにならないので、学習指導要領があるのだと思います

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23. Posted by ebisu   2015年09月05日 16:18

ハンドルネームどおりの「卓」論、きれいに締めくくってくれましたね。(笑)

不案内な教育学がテーマで紆余曲折あり、当方は勉強になりました。
綱渡りの連続でしたがなんとか意見の一致を見たようです。

そのうちまた楽しく議論する機会があることを期待しています。
ありがとうございました。... m(_ _)m

*卓論:すぐれた議論  『大辞林』より
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24. Posted by ZAPPER   2015年09月05日 21:36

すっかり出遅れてしまって、すみません。
指導要領の問題点。
そして、見事な締め括り。
とても勉強になりました。
ありがとうございます。

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25. Posted by 後志のおじさん   2015年09月05日 21:47
興味深く読んでおりましたが、

卓さん。すばらしい。
ebisu さんの言葉のはこびもそうですが、持論の根拠を明らかにしつつ、相手を尊重し、

互いの目的は同じだと、落としどころをおさえる。

武道の試合をみる、すがすがしさを感じました。

図々しいお願いですが、別のテーマでまたやって頂けませんか?

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26. Posted by 卓   2015年09月05日 22:14
たくさんの時間をさいて頂き、ありがとうございました。私にとっても学びの機会となりました。また、よろしくお願いします。

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27. Posted by ZAPPER   2015年09月05日 22:47

後志のおじさん
うーん、まさに「タイミングの妙手」ですね、後志のおじさんは。
思わず「麻雀で勝負!」したくなっちゃいました!^^;
それにしても素晴らしい議論でありました。
みなさん、本当にありがとうございます!
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<ネット上でこの議論の拡散を希望します・・・ebisu>
 URLを明示して、自由にお使いください。

 


*#3125 問題解決型授業をめぐる議論(1):序 Sep. 5, 2015 
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*ジョージ・ポリア『いかにして問題を解くか』
http://d.hatena.ne.jp/kuma_asset/20150703/1435930383


いかにして問題をとくか

いかにして問題をとくか

  • 作者: G. ポリア
  • 出版社/メーカー: 丸善
  • 発売日: 1975/04/01
  • メディア: 単行本

いかにして問題をとくか・実践活用編

いかにして問題をとくか・実践活用編

  • 作者: 芳沢 光雄
  • 出版社/メーカー: 丸善出版
  • 発売日: 2012/04/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

  最初にあげた本は書評が47本載っています。星5つが18個、、星4つが17個です。たくさん読まれていて評価が高いので、良書であることは間違いなさそうですが、翻訳が悪いことは否めないようです。古い本です。翻訳でわかりにくいところは原著の How to solve it を読むしかありませんが、紙の原著はすでに絶版で、電子書籍のkindle版のみ。便利がいいのか不便なのか・・・
 ebisuはこの2冊の本を読んでおりません。ですが、業種を変え、所属部署を変えて、複数分野の専門知識が必要な仕事をして20年間ほど問題発見・解決型の仕事をしてきたのと理論経済学の分野でまさしく問題発見・解決型の研究をしてきたので、ビジネス分野と理論経済学の分野ではポリアの主張のおおよその見当がつきます。
 読む機会があれば、弊ブログのカテゴリー「読書ノート」に書評を書きます。

#3125 問題解決型授業をめぐる議論(1):序 Sep. 5, 2015 [55. さまざまな視点から教育を考える]

 ブログ「情熱空間」が全国学力テストと並行して行われたアンケート・データを採りあげて、「北海道では、問題解決学習(学び合い)が多いのか?」という問題提起をしている。
 「児童生徒自ら学級やグループ課題を設定し、その解決に向けて話し合い、表現するなどの学習活動を取り入れましたかという設問に。yesと答えた割合が、全国平均よりも北海道平均が著しく高いのである。
 1回目はブログ「情熱空間」の記事を転載するので、問題提起と捉えてお読みいただきたい。

 2回目はコメント欄での議論を紹介する。国立教育研究所が学習指導要領「数学的活動」と「学習指導要領解説」に基づいて、問題解決授業の事例を4つ挙げているが、これは先生の側が問題提起を用意するもので、生徒自らが「学級やグループ課題を設定」するものではない。まるでこじつけのような拙劣な事例が挙げられている。その辺りをめぐって、問題解決型授業へ賛否それぞれの立場から具体的な議論がなされている。現実問題への真摯な議論だから学校の先生たちにも読んでいただけたら幸いである。

ブログ「情熱空間」より  (アンケートの図をクリックしてください)
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/8127319.html?1441437555#comment-form
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2015年09月02日

北海道では、問題解決学習(学び合い)が多いのか?

全国学力テストのアンケート結果。ぶっちゃけ言ってしまうと、こういう結論になります。懸案事項であったゲーム・スマホ・ネットの時間は短くなり、家庭学習の時間は増えているので、もはや全国も全道も大差ない。明らかに違うと言えそうなものはない。でもしかし、(前回アップした、授業における「めあて」の明示と「振り返り」以外にも)それに近いものを見つけました。(http://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/gky/gks/H27_point_3.pdf

調査対象学年の児童生徒に対して、前年度までに、授業において児童生徒自ら学級やグループで課題を設定し、その解決に向けて話し合い、まとめ、表現するなどの学習活動を取り入れましたか。

これ、はっきり言って日本語の意味がよく分かりませんが、要するに、「問題解決学習や学び合いを頻繁にやりましたか」という質問だと、まさしく《仮説》が裏付けられることになりそうです。すなわち、蔓延する問題解決学習、学び合いとやらの実態調査。

CCI20150901_00003












データをご覧ください。全国と大きく異なる数字になっていることが明白です。でもしかし、解せないのはこの質問の意図、そして質問の意味するところです。「指導方法・言語活動」のカテゴリーに分けられていることも気になります。(文科省は問題解決学習、学び合いを推奨したいのか?)質問自体が何を問うているのかがよく分かりませんが、私は問題解決学習、学び合いの実施率と解しました。とするならば。

北海道では、やたらに問題解決学習、学び合いが多い。

ということになるのではないでしょうか。繰り返しになりますが、現在ではほとんどの項目にさほどの差異は認められません。それが認められるのは、「指導方法」のカテゴリーということになりそう。つまり、学力の差は指導方法(指導技術)の差。そう言えるのではないかと思うのですが…。

●北海道教育委員会
平成27年度 全国学力・学習状況調査 調査結果のポイントについて
http://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/gky/gks/h2708tkp.htm

《追記》 
秋田県はどうなのか…。調べてみるとこうした数値が得られました。
http://www.nier.go.jp/15chousakekkahoukoku/factsheet/prefecture/05_akita/index.html
・小6で1(よく行った)と回答…24.9%
・中3で1(よく行った)と回答…24.6%
しかし、色々と調べてみると秋田では従来型の指導方法が主流とか。つまり、問題解決学習や学び合いはよそ行きの授業(研究授業等で用いられる程度) といった位置づけ。

ということはつまり、この質問の受け取り方自体が異なるのではないでしょうか。秋田県ではそれを従来型の議論・討論、グループ学習と捉え、しかし北海道ではそれを今流行りの問題学習や学び合いと捉えている…。もしそうならば、秋田と北海道ではそもそもの授業のあり方、その認識からして大きく異なる。どうにもこうにも、そうとしか思えません。なるほど、質問自体に違和感を覚えたわけです。もっと突っ込んだ調査が待たれますね。

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*#3126 問題解決型授業をめぐる議論(2):火花 Sep. 5, 2015  
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-09-05-2


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