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#3219 数十枚のプリントが貼られたノート Jan. 14, 2016  [55. さまざまな視点から教育を考える]

 今年初めて雪が降りました。根室は2cmほど、さらさらの雪です。8時の気温は昨日よりも6度ほど高い、マイナス0.5度。車庫前と歩道の雪をさっとかきました。一汗かくほどはありませんでした。

  一昨日のことです、M君が公民のノートをとりだしてつぶやきました。

M:「先生、これ全部暗記しないといけないんだ、あしたテストあるから」
E:「すいぶんあるね、あらら、プリントでノートがガバガバだ。20枚以上ありそうだね」
M:「20ページ超えているよ、数えてみようか?たくさんある、暗記が苦手なんだ」
E:「君の年頃は一生のうちで一番暗記力が高い時期に当たるから、チャレンジしてみたら?それに半分以上覚えているだろう?中を見てごらん?」
M:「ほんとうだ、覚えてる、やれそう!」

 ノートには20枚を超えるプリントが糊付けされています。後で紹介する写真よりはましでした。

 そういうM君のノートを見てちょっと心配になりました。団塊世代のわたしの中学生時代は光洋中学校の同学年は10クラス、550人でした。たまたま小4から国語辞典を引きながら毎日北海道新聞の社説と1面の記事を読んでいましたから、勉強せずとも政治や経済や社会のさまざまな出来事や大人の意見、そして解説を新聞記事を通して知っていましたから、同学年の生徒に比べたら、ダントツに語彙の袋が大きかったのです。
 そういうわたしでも、自分で図入りのサブノートはつくったし、5×2.5cm位の英単暗記用の穴あきの紙にも書いて覚えました。だから一度だけあった全国学力テストで学年トップがとれたのでしょう。一学年に550人もいたのですからたった一回だけの全国学力テストで社会科トップはまぐれでしたが、知識や語彙の量が格段に多かったことは事実です。
  生物系の科目は、たとえば人体の器官を描いて正確に写すためには、ちゃんとした観察が必要です。描き写すだけで、仕組みがよくわかります。
 ようするに、「読み・書き(描き)・計算」が大事で、日ごろの学習でこれらの基本をおろそかにしてはいけません。

 結論です。ノートは自分でまとめないとダメ、まとめる段階で頭の中に項目ごとの連関がイメージとして記憶されます。つくっただけで、7割がたは覚えられるだけでなく、連関がイメージとして定着します。ここが自分でつくるノートやサブノートのいいところです。点在するメモ書きに創意工夫と個性が出るので、ノート作りは楽しい遊びです。夢中でやっていたら、時間が矢のように飛んでいきます。嫌々やったら、苦行です。(笑)
 小4のときに「卓上四季」と社説を読み始めてから、書いてあることがらのイメージを創ることが習慣になっていたようです。中学生になってそれをノートでやるようになりましたから、まとめる段階でどこがあいまいなのか自覚できます。だからそこは調べて書き込みが詳しくなります。自分専用です。ノートは工夫しているうちにそうなるんです。ただ漫然と板書を写すのではコピー機とかわりません。
 プリントの貼り付けは便利ですが、便利なものにはときに重大な落とし穴があるということを自覚しましょう。手間隙のかかることは、かけることと言い換えてもよさそうですが、実りも大きい。ファストフードよりもスローフードというとよくわかるでしょう。

 M君に限らず、この数年間、プリントを貼り付けてガバガバになったノートを使っている生徒をよく見かけるようになりました。プリントの数もものすごい、B中学校では生徒はファイルしきれず、鞄にあふれていました。この1年間はよくわかりません、生徒が学校からまっすぐに塾に来れば、鞄の中身を取り出すときに確認できるのですが、教室を移転してからは、直行する生徒がいません。
 よく考えたら、B中学校はプリントファイルが厚くなるのと、学力テストの平均点低下の時期が重なっていたかもしれません

 共通しているのは、とくに数学がプリントが多いこと、学校によっては数学の学力テスト平均点が30点を切る学年もあるので、基礎計算プリントをやたらたくさん出すようになりました。「カルク」が全生徒に配布されたはずですが、足りないのでしょうか?たぶん、文章題と計算の狭間の辺りがフォローし切れていないのでしょうね。現場の先生たちが「不足」を感じているのでしょう。

 とにかく、どの科目もプリントが増えています。生徒の学力に影響していると考えるべきです。ブログ「情熱空間」が国語のプリントの実例を写真入で紹介しているので、転載します。

http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/8304762.html?1452734726#comment-form
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2016年01月13日

板書をしない、ノートを使わない授業の実際

驚きました…。

中3生から貸してもらった、学校のノートです。もう一度言います。学校のノートです。この私をして驚きました。これ、国語のノートです、国語。毎日毎日、プリント授業を行い、それをノートに貼りなさい。数学や社会科では、とっくの昔からスタンダードと化しているのは知っていましたが、どうやら今では、他の教科も同様なのでしょうね。いやはや。

IMG_0123




















お次、その中身です。ワークシートだそうです、ワークシート。詭弁もはなはだしい。何がワークシートだ、単なる「できの悪いプリント」だろうが!さて、単元は「奥の細道」ですね。当然ながら、板書など一切なし。いきなりこれが配られて、それで授業を行うということなのでしょう。ええ、書かない授業です。

はっきり言っちゃいましょう。板書をすること、とってもとっても面倒なのでしょうね。でもって、子ども達もまた板書を嫌がる。(この地では、小学校時代から「書かせないことが普通」であるため、書かせようとするとすごく抵抗されるんです)こうしてプリントにしたならば、時間を稼ぐことができるし、お互いに嫌な思い(笑)をしなくて済む。だからこうなっちゃうのでしょうか。しかしまぁ、ひどいものです。

IMG_0124






































ごていねいに、芭蕉の句が「資料」として配布されていて、それもまた貼られているんですね。加えて、「小テスト」もまたペッタンコ。いやはや、驚きました。徹頭徹尾のプリント授業。はっきり言いましょう。これ、学校の授業なんですかね、本当に。

ワークシートという名の、プリント学習。
切った貼ったもまた、授業の一環。
おいおいおい、気は確かなのか?

主要5教科すべてがこんな授業だったなら、子ども達は、いつどこで「書くこと」「ノートに写すこと」「ノートを作ること」を覚えるのでしょうかね。書かない子、いや、書けない子を大量生産。もう一度言いましょう。それ、本当に本当に、学校の授業なんですかね。

いいかい、書かせるから、書く方向に仕向けるから、自力でまとめる方向に仕向けるから、ノート指導をするから、だからきちんと知識なり技能なりが定着するようになるんだよ。書かせないから、書くように仕向けないから、自力でまとめさせないから、ノート指導をしないから、だからいつまで経ってもダメダメなんだよ。

断言しましょう。こんな低レベルな授業を9年間施されたならば、学力上位生が《枯渇》してしまうのは必然です。あまりにもレベルが低すぎて、何もかもが、まったくもってお話になりません。本州の、「まともな先生方」が、これを見て絶句する姿が脳裏に浮かぶのは、私だけでしょうか…。

《追記》
宮崎県、同志H先生のご意見です。

実物を見るとさすがに、という感じですね。現場の先生方に疑問を持つ方がいないのかな?これで授業成立なのか?お会いして聞いてみたいものです。

《追記2》
元小学校教員、日本が誇る世界最速のスーパーコンピュター「京」の開発技術者。科学者のSさんのご意見です。 

ノートは「書くもの」です。「貼るもの」ではありません。
プリントは「ファイルするもの」です。「貼るもの」ではありません。
そのために、たくさんの「無駄」を発生させています。


《追記3》
山口県、M先生(中学国語)のご意見です。

問題演習や小テストなどは当然プリントを使いますが。古典などの場合はノートに書き写す時間がもったいないときは教科書に書き込ませ、テスト前には必ずノートにまとめさせていますよ。まあ、どうせテスト前にはノートにまとめないと勉強にならないので授業前なんかに必死でノートに書き写しているようですけどね(笑)。


●プリント授業を中止せよ!(保護者必読!)
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/8260864.html
●これがノートでしょ!
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/8252135.html


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 わたしたち(「釧路の教育を考える会」のメンバーと「北海道教育文化研究所」のメンバー)は、教育問題を議論する専用掲示板をFB上に複数もって、毎日具体的な教育問題を議論しています。そのネットワークは、釧路・根室地域を越えて全国規模に広がりはじめています。
 さまざまな職業の方がメンバーですから、教育に関するトピックスをアップすると、この記事に紹介されたコメントのように九州の学校の先生たちからもご意見がいただけます。
 ついでに紹介すると、Sさんは元小学校教員、そして現在は所長賞をなんども戴いている理研の優秀な研究員です。

<午後10時半追記>
 M君テストが終わって塾に来て、百問中正解できたのは80とちょっとと無念そうだった。
 「90題は正解したかった」
 暗記対象は200項目はあったのではないか。中3なら、集中力を高めたら、一晩で十分暗記できる量である。一夜漬けの丸暗記を中学時代によくやったとは、昭和の大数学者である岡潔先生。

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ZAPPER

プリントはあくまで補充ツールです。学校であれば板書授業の補充、塾であればテキストの補充のためのツールです。

自ら問題を見つけ、自らそれを解決する…。学ぶ喜び。知る喜び。見通しの持てる授業。そうしたことを標榜するのであれば、プリント授業はありえないはずです。自力こそがキーワードであって、お手軽なお膳立てツールたるプリントは馴染まないはずですから…。

「授業準備に忙しい」などと言いますが、実際にはプリント作成に時間を食っているだけではないでしょうか?黒板を用いていかに分かるように説明をするかとか、そうした方向へまるで関心が向いていません。

まずはプリント授業を禁じ手とすること。そうするべきだと思います。でなければ、いつまで経っても授業が下手なまま。指導技術にベクトルが向きませんから…。

そうそう、そのプリントもまたレベルが低いままになります。まともに受験指導ができない者がプリントを作ったとて、そんなものは自己満足の紙切れに過ぎません…。
by ZAPPER (2016-01-14 22:09) 

ebisu

ZAPPERさん、こんばんは

M君はC中学校の生徒です。社会科担当のN先生はじつにきれいな字で板書をよくなさいます(フリー参観授業で数回確認しました)。ですから、プリントはあくまで補充用と心得ているのでしょう。
B中学校には数年前までS井先生という理科の先生が居ましたが、小テストを頻繁に繰り返して教えたことの記憶定着に一生懸命でした。市街化地域の3校で理科の平均点がいつも20点ほど高かった。
小テストはプリントですが、もちろんノートに貼るような指示はだしていません。

成果を挙げている先生は、このようにプリントの使い方が適切です。
授業主体でプリントは補充、しっかり区別してやっておられます。でもごく少数です。
せめて3人に一人くらいそういう技倆の先生が居てくれたら、全国学力テストの平均点なんか気にならなくなります。

by ebisu (2016-01-14 22:29) 

もやしさんま

プリント授業が多いのですか。
板書きだとストーリーがあります。
歴史の授業なんかたぶんてきめんですね。
数学でもどこからわからなくなったのか把握するのにいいでしょうね。
漢字の書き方もプリントでは伝わりませんね。もっともワープロ頼りの現代では書き方より読み方でしょうか。
英単語もペンダコができるくらいに繰り返して書いて覚える癖がついたら良いですね。黒板に先生が筆記体で書かないとそれも難しいですね。
プリントは独習する人の参考資料ですよね本来は。


by もやしさんま (2016-01-19 17:47) 

ebisu

もやしさんまさん

こんばんは。
わたしが3校合計6回のフリー参観授業で見た限りでは、どの先生も板書はしてました。
ただし、話を聞きながら板書をノートに写せない生徒が増えています。筆記速度が遅い。書く量が減っているからです。プリントをノートに貼ってしまえば、ノートに書き写す必要がありません。

生徒を見ていると、3年前はB中学校はファイルしきれないくらいプリントを生徒に持たせていました。どの学校も生徒に渡すプリントは増えています。コピー費予算が潤沢にあるように感じます。

高校生も数学のプリントは多いですよ。
先生たちが頻繁に放課後の進学講習を開いてくれているので、それもテクストはプリントです。科目も多いし、基礎と標準、応用などに分かれているので、結構な量です。中学校に比べたら、高校の先生たちは進学講習という名前の放課後補習を数倍実施しています。

進学講習ではなく、ふだんの授業のプリントは、まるで小学生に出す宿題のようなもの。高校生はそんなに幼児化しているのでしょうかね?そうだという現場の声が聞こえるような気がします。ほうっておいたら、一般入試で大学に受かる生徒が激減します。
大学進学の意思を中学時代からもっていながら、文協学力テストで五科目合計点が400点いかなくてもあたりまえの顔しています。文協学力テスト420点で進研模試偏差値換算48~50です。偏差値表示のある全国模試を受けたことがないから、自分の学力を客観的に評価できないのです。偏差値の出ない学力テストは罪が深い。生徒は自分の学力が全国レベルでどれくらいか知らずに、部活三昧で中学時代をすごし、高校1年の7月に進研模試で全国基準での自分の学力を知るのです。

自立できない生徒を小中高と一貫して量産しているような気がします。
各段階でプリントの使い方がどうあるべきか、小中高の先生たちは一度話し合ったらいい。
民間の企業人も入れて議論したほうがよさそうです。
生徒の大半が指示待ち人間になりかねません。
地元企業が一番困るはずですが、地元企業人は教育に関心のある人がすくないようです。死活問題のはずですが・・・
by ebisu (2016-01-20 00:34) 

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