#1352 『道徳感情論』 Jan. 25, 2011 [82.言葉のアンテナ]
別宮貞徳『裏返し文章講座 翻訳から考える日本語の品格』という本を読んだ。この人の本は二十数年前に1冊読んだ気がするのだが、書棚に見つからない。『誤訳悪訳の病理』という書名だと思っていたら、これは別人の本だ。なんだったのだろう、とにかくこういう翻訳の批評家がいることは知っていた。
別宮氏はこの本の中で水田洋が訳した『国富論』と『道徳感情論』を俎上に上げている。要するに訳文が日本語になっていないということ。
私の手元に『道徳感情論』A.スミス著・水田洋訳(1973年筑摩書房)があるので、論より証拠、冒頭部分を引いてみよう。
「第一部 行為の適宜性について
第一篇 同感について
人間がどんなに利己的なものと想定されうるにしても、あきらかにかれの本性のなかには、いくつかの原理があって、それらは、かれに他の人びとの運不運に関心をもたせ、かれらの幸福を、それを見る喜びのほかにはなにも、かれはそれから引き出さないのに、かれにとって必要なものたらしめるのである。この種類に属するのは、哀れみまたは同情であって、それはわれわれが、他の人びとの悲惨を見るか、たいへんいきいきとしたやり方でそれを考えさせられるかするときに、それに対して感じる情動である。・・・」(『道徳感情論』)
非常に読みにくい文章であることは言うまでもなく、読み返してもよくわからない。
私は1977年ころ、いまはある経済大学の経済学部長をしている友人から薦められて(かれは原著を読んでいた)読もうとしたのだが、はじめの数十ページで辟易して読むのをやめた。原著を読むしかないと思い新宿・紀伊国屋書店(旧店舗)に行ったが、原著は当時5000円ほどした。わたしの研究テーマからずれていたので他の本を買い、結局この本を買いそびれてしまった。
A.スミスの『諸国民の富』は論文を書く都合で、原書と見比べながら抜き読みしたし、リカードの『経済学及び課税の原理』はレポートを書く必要があって翻訳書と原書の両方を読んだ。
何がいいたいのかというと、周辺知識がある私でも水田洋氏の訳は読みにくくて閉口したのである。何度も読み返しながら読み進むうちにバカバカしくなってしまった。逐語訳が丸見えで、翻訳とはいえないレベル。翻訳の質が悪いことに見切りをつけて原著を読もうかと考えたという次第である。
今回、別宮貞徳氏の著書を読んでかれの言うとおりだと思う。水田氏はどうしてこれほどひどい翻訳をやってしまったのか、私は理解に苦しむ。必要があって『道徳感情論』を読みたいと思ってもこれでは原著を当たるしかないから、その迷惑は計り知れない。さっさと覚悟を決めて原著を読めということだ。
翻訳でなければ水田洋の日本語はよく理解できるものである。この書のあとがき「解説」の文章を引用してみよう。
「いまでこそアダム・スミスといえば、まず『国富論』が思いうかべられるが、かれが学者としての名声を確立したのは、三十五歳のときに出版された『道徳感情論』によってであった。その名声が、かれにバックルー公家庭教師の地位をあたえ、その地位がイギリスの政界との接触をもたらし、その接触がかれの社会的関心をかきたて、『国富論』をかく動機をうみだした、といってもまちがいではない。しかし、それだけでは、『道徳感情論』の近代思想史上の位置も、スミスの指導的発展にとっても意味も、あきらかになったとはいえない。たとえば『道徳感情論』が、『国富論』における利己心の強調と対立するかどうかという、有名な論争を、どう考えればいいのであろうか。」(同書531ページ)
このように水田洋氏の文章は分かりやすいのだが、翻訳になるとまるでわけの分からない日本語になるのはなぜなのだろう。英語の単語を日本語に置き換えただけにしか見えない。逐語訳を出版するとはなんとも大胆な人ではある。
別宮氏は次のように締めくくっている。
「論理性に欠けた文章をぼくがまずあげるとすれば、有名なものとしては水田洋訳の『道徳感情論』や『国富論』当たりになりそうですね。」(『裏返し文章講座』50ページ)
裏返し文章講座―翻訳から考える日本語の品格 (ちくま学芸文庫)
- 作者: 別宮 貞徳
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2009/07/08
- メディア: 文庫
* 検索していたら誤訳研究の面白いサイトを見つけた。杉田光雄、サン・フレアアカデミー副学院長という肩書きがついている。元IBMのSEだ。20回のシリーズで具体的な誤訳研究論文をネット上で公表している。私は4つだけ画面上で読んだが、これからダウンロードして印刷し、20回全文を読むつもりだ。労作である。
「日米誤訳研究」
http://blog.sunflare.info/sugita_m/
#1230 小児科の夜間特別診療休診はどうなるの:「医師の疲弊」? Oct. 7, 2010 [82.言葉のアンテナ]
■ 夜間救急診察室の休診について
○ 市立根室病院では、平成19年4月より常勤医師確保が困難となり、過重労働による医師の疲弊を防止するため、夜間の救急診療について、救急車等による重症患者以外受入を休診としております。
○ 小児科の夜間救急につきましては、診察時間を午後8時として実施しておりますが、受診に際しては、事前に電話にてご相談ください、これ以外の診察時間については、当直医師での対応となります。
市民の皆様には大変ご迷惑をお掛けいたしますが、救急医療確保のため、ご理解とご協力をお願いします。
申し訳ないが、私はこの文章が理解できない。タイトルと内容が異なってはいないだろうか?
タイトル⇒「夜間救急診療室の休診について」
内容⇒「小児科の夜間救急につきましては、診察時間を午後8時として実施しておりますが、受診に際しては、事前に電話にてご相談ください」
並べてみると、上段は夜間救急診療室は休診とのことだ。下段は夜間救急は午後8時から実施しているので、受診の際は電話連絡せよとのことだろう。
従来は電話連絡なしでやっていたのが、電話による連絡を必要とする方法に切り替わったという風に読める。ならば、「休診」ではないだろう。従来から電話連絡が条件の夜間診療だから、きちんと電話連絡を入れろという風にも読める。
北大は夜間の特別診療中止を通告したが、常駐している小児の先生が電話連絡があれば診療をやると仰ってくれているのだろうか?
だとしたら、休診を告げる同じタイトルの下に二つ並べてぶら下げるべきではない。
もう一度読んでみたが、なんだかさっぱり分からない文章だ。もし、常勤医のご好意で電話連絡があれば診療するような対応になった、あるいはそのまま継続するのなら、その旨はっきりと書くべきだろう。
市民に正直に事情を説明して、協力体制がとりやすいようにするのは病院事務局の役割だろう。
なんだか言いたいポイントがさっぱり分からない。
もう一ついうと、この文書には発信年月日が入っていない。北大医局からの申し入れがいつあり、どのように検討した結果、このような体制になったのかまで書いてあれば、市民は「ああ、そうであったか」と事情を正確に理解したうえで、夜間受診を控えるなどの行動がとれる。
市民や患者が読む文書は分かりやすく書くこと、発信年月日は必ず入れること、基本を忘れてはいけない。
早急に書き直したほうがよいと思う。管理職は文書をきちんとチェックすべきだ。
もし、わたしの読み方に無理があると考えるなら病院事務局のどなたでもいいから、その旨コメントいただきたい。ブログできちんと紹介して事情を説明したい。
発信年月日が入っていれば、最近更新された文書かどうかはすぐにわかるのに・・・この文書は1年以上前の発信文書の可能性もある。だとしたら、本田市議はどこから情報を入手したのだろう。
とここまで書いてから本田市議に問い合わせの電話をした。根室新聞で一昨日報道済みの情報を載せたという回答あり。11月1日から小児の夜間診療は休止される。
したがって、病院のホームページはだいぶ古いもののようだ。情報が更新されていない。発信年月日すら入っていない文書は問題がある。ホームページの担当者は急ぎ更新されたい。もたもたしていると、仕事の意欲が疑われますよ(笑い、冗談ですから気にしないように)。
北大医局もご覧になっているようですから、病院ホームページには正直に事情を書いて市民へアナウンスしてください。掲示する前にお送りいただければ、文章の添削のお手伝いぐらいはして差上げます。これは冗談ではありませんよ。
なんてことはないそのままに放置された古いお知らせに気がつかずにずいぶん書いてしまった自分に腹が立ち、八つ当たり気味に最後に一言。
人間に「疲弊」という言葉を使う語感をわたしはもたない。「医者が疲弊する」なんて失礼すぎて言えません。「町が疲弊する」なら根室の町に住んでいるわたしにはよくわかる。
大山鳴動ネズミ一匹。
今回はだだのお騒がせブログ m(_ _)m
*救急診察室休診のご案内
http://www.city.nemuro.hokkaido.jp/dcitynd.nsf/doc/4e2786ba20d83197492574a2001ae69a?OpenDocument
m(_ _)m 「一笑一若 一怒一老」 #954 Mar.15, 2010 [82.言葉のアンテナ]
私の中学時代の恩師(担任)は2年前に亡くなり、つい数日前に学校を卒業して赴任したばかりで副担任だった先生が亡くなった。癌だったが、投薬をやめて免疫を高める食事療法をされていた。薬の副作用がきつかったのかもしれない。ときどき街中で出遭うことがあったが、立ち話をしながらご自分の病状を説明され、私を励ましてくれた。どちらの先生も心のやさしい先生だった。
いい言葉だな、恥ずかしながら私には遠く及ばない心境であるが、両先生がにっこり笑いながら名前を呼んでこの言葉をつぶやいたような気がした。
「一笑一若 一怒一老」
(一回笑えば1歳若返り、一回怒れば1歳老ける)
「おーい、○○、聞こえたか~!」
「はい、先生、聞こえました」
m(_ _)m
オリンピック500メートル:天と地 #910 Feb.18, 2010 [82.言葉のアンテナ]
長島が男子500メートルで銀メダル。おめでとう。
1年前にテレビ取材に答えて、
「負けたら引退します。迷惑じゃないですか」
負けたらもう限界、そのときは潔く引退し、自分より若い者に道を譲るげきだという思いだったと推測する。長島、いい奴だ。
16位に終わった岡崎朋美(39歳)の敗戦の弁。
「順位的に言えば、過去最低の順位になっちゃったんですけれども、練習で調子よかった分、気持ちが自分に期待しすぎちゃって。結果は結果なので、受け止めてます」
この人は何歳なのだろう?
心のあり方の差なのだろうか?
日本人の美質とは何か、
いろいろ考えさせられる二人の対照的な発言である。
長島は1000m、38位に終わった。
岡崎の1000mはこれからだ。
ついでに書いてしまうが、スノーボード・ハーフパイプは米国のショーン・ホワイト選手が圧倒的強さを誇り48点、2回連続で金メダルだった。彼が開発し彼だけしかできない技、ダブルマックツイスト、まるで羽が生えているような高さと回転で、パイプから飛び出した姿が重力から解放されたように一瞬に見える。そして着地の巧みさと安定感、センスが違う。
ネクタイ着用のレストランにジーンズ姿でというような非常識、腰パンで叩かれた国母は35点で8位、技術の差は埋めようもないほど大きい。金メダリストが強すぎるのだろう。
19歳の青野は9位、よく健闘した。
*ネットニュースから
「バンクーバー五輪 スピードスケート男子1000メートル」(18日)
トラブルに泣いた。男子500メートル銀メダルの長島圭一郎(日本電産サンキョー)が出場。ブービーの37位に終わった。スピーカーから流れる号砲の音がハウリングし、高い音を発生。それをフライングを告げる音と混同しレースをやめた。4レース後に再レースとなったが、さらにスタート時間が2分遅れるドタバタ劇で集中力を欠いた。
長島は500メートルでも製氷車の故障で、レース開始が1時間以上も遅れるトラブルに見舞われている。
*女子1000mの結果(2/19)
[バンクーバー 18日 ロイター] バンクーバー五輪は18日、スピードスケート女子1000メートルを行い、小平奈緒が1分16秒80のタイムで5位に入賞した。
そのほかの日本勢は、吉井小百合が1分17秒81で15位、岡崎朋美が1分19秒41で34位。注目の15歳、高木美帆は1分19秒53で35位だった。
心に届いた一言(朝青龍) #892 Feb.4, 2010 [82.言葉のアンテナ]
「皆さんに迷惑をかけた。本当に何もない、言葉も違うモンゴルの大草原から来た少年を横綱への支援、育ててくれた皆様に感謝したい。」
この言葉の背後にある心情に日本文化を感じる。引退することになって、横綱の品格を理解したのではないだろうか?
互角の相撲をとれる相手を失った白鳳はインタビューに答える途中から涙をあふれさせ、言葉をつまらせていた。
大地みらい信金本店「グランド・オープン」 #771 Oct.26, 2009 [82.言葉のアンテナ]
立派な本店だ。全国であれだけ豪華な本店建物をもつ信用金庫はめずらしい。建築中にリーマンショックの影響を受けて20億円超の損失を出したというアナウンスがあったように記憶するが、そのようなことをものともせずに、完成した。工事中に、信金理事長も全道の信金協会の会長におさまった。誠におめでたい。
グランド・オープンというと、大衆娯楽であるパチンコ店の開店を想像してしまう。工事が済んだ1階を仮店舗として営業し、他のフロアーが工事中だったが、全階完成したのだから、「グランド・オープン」は用語の使い方としては正しい。でも、なぜかこの言葉と信金本店完成にギャップを感じてしまう。こまかいことはいいだろう。大地みらいの担当職員や管理職、理事たちは違和感を感じなかったのだろう。
北海道新聞にもグランド・オープンを告げる広告が載っていたし、いまさっき(11時)ネムロ市民ラジオもネムロのニュースとしてアナウンスしていた。
旧根室信金も床は大理石でそれなりに立派ではあったが、新建物はもっともっと立派だ。その立派な建物の最上階の食堂や和室は信金に預金のある人はもとより、根室市民であれば誰でも利用できるらしい。
団塊世代が根室高校を卒業する頃は、旧根室信金は根高卒業者の就職先の一つだった。成績が中程度であれば十分に就職できた。成績上位の者たちは旧富士銀行(みずほ銀行)、すでになくなった拓殖銀行(北洋相互銀行(当時)へ吸収合併)、北海道銀行へ就職したものだ。高校の担任によれば特別優秀な者には日銀釧路支店ですら就職枠があったことがある。
大地みらい信金は今春は根高新卒は採用なしだ。男子は全員大卒を採用している。女子もほとんど大卒と短大卒だ。
先輩職員のほとんどが根室高校卒業生だった時代が懐かしい。あの頃は根室の経済も勢いがあった。戦後そして昭和30年代に仕事を通じて根室経済を支え、すでに故人となっている諸先輩たちはこの立派な建物と地元経済の衰退をみたらなんと思うだろう。深いため息をつくのではないだろうか。
小中学生の頃、30代だった根室信金マンを何人も知っているが、いい笑顔で仕事しかつ遊ぶ根室人だった。ふるさと根室を愛し、おおよそ半数の人がすでに根室の土となっている。
厚岸信金を吸収合併し、大地みらい信金は規模が少しばかり大きくなった。対照的に地元の経済は疲弊し、信金と取引のあった企業や個人もずいぶん倒産・自己破産した。信金の営業政策が利益重視に切り替わったのは、いま思えば根室を代表するある企業の倒産に象徴されていた。もう四十数年前になる。
根室信金が大地みらい信金と名称を変更し、「根室」という名前が外れることで、地元根室経済を支えていくという使命感を棄ててしまったように感じる根室人が増えている。
わたしは立派な信金本店建物を見上げながら、信金がますます遠くなったように感じている。ようやく気がついた。小学校の頃から預金の預け入れ・引き出しや両替に数百回も通ったことのある(梅ヶ枝町3丁目にあった)あの根室信金本店はとっくになくなっていたのだ。
遠い記憶の底にあり続け、根室の匂いのある旧根室信用金庫が妙に懐かしい。そしてどこかよそよそしい別の町の立派な信用金庫本店が旧根室信用金庫跡地に建っている。
「仰決裁」にみえるアナクロニズム #743 Sep.29, 2009 [82.言葉のアンテナ]
あるところで「仰決裁」という張り紙をした書類バックを見た。「ギョウケッサイ」と読むのだろうか?「役所あるいは上司に決裁を仰ぐ」の意だろう。ずいぶんと偉い役所や上司がいたものである。わが町の役所の部課長殿は「御簾の奥にでもおわせられるのだろうか」と想像してしまう。どおりでこの新型インフルエンザ騒ぎの中でも、市立病院に人工呼吸器の増設すら議論されないわけだ。恐れ多くて物申し上げるのは非礼になるのだろう。歴代市長はだれもこのような用語を廃止しなかったわけだ。「はじめに言葉ありき」(聖書「ヨハネ福音書」)というではないか。意識改革や業務改善は、このようなアナクロニズムともいえる役所用語を改めるというように身近なところからはじめるのがよい。日常使う用語の与える影響は案外多いなものがある。新人たちが3年もすればこのような用語に不自然さを感じなくなるほど染まってしまう。そして、課長となり、部長となり、助役となるようでは市の将来に希望が見えなくなるのは当然ではないか。
「アオゲバトウトシ、ワガシノオン」という歌があったが、いまどき根室の小学校でも中学校でも卒業式に歌っているところはひとつもない。「仰ぐ」と言う言葉はいまや死語となりつつある。アナザーワールド化した役所の中でのみ生きているようだ。
いまどきこのような用語を使って仕事をしている会社は民間会社では想像だにできない。なぜか?そういう意識で会社の経営・運営は不可能だからだ。社員がついていかない、参加意識が働かない、自ら考え行動する人材が育たない・・・など理由はいくらでも挙げられる。
そこで思い出したのがある東証一部上場企業のことである。創業社長の彼はある理由があって、あえて社長の弟と専務を外して二度目の社長に就任した。自分が創業した会社の危機を救おうという心からでた決断だっただろう。
しばらくして「さん付け運動」をはじめた。役職で呼ぶなと言うのである。関係会社に出向していた私は、用事があって電話すると「○○さんと呼んでください、そうしないと電話を切ります」という。呼べないものである。ラボの学術開発本部にいたときは私の背中の壁2メートル横が社長室の入り口だった。いるときはいつもドアを開けっぱなしにしていた。社員の誰もが呼ぶように、わたしも「○○社長」と呼んでいた。
関係会社を管理していた部署に1年半ほどいたことがある。この部署は営業案件で持ち込まれる会社の経営改善や買収にも関与していた。金沢である企業の経営分析と経営改善の具体策を説明する会議に同行したことがある。実質的な吸収合併の交渉だった。その交渉が終わった後、その会社をでると好い天気で天高く鳥が鳴いていた。「ひばりですね」と問われ、「見えないからたぶんそうでしょう、私のふるさとの原っぱでもよく鳴いていました」、そう答えた。穏やかな人だが、時に演技で激しいところをみせることがあった。「さん付け運動」はそれから1年後のことだった。
役職で呼んだとたんに同じ目線で物が言えなくなるのが人間の弱さ。それを克服できる社員は滅多にいない。そしてそういう「下から目線」を受けることで役職のついた者が知らず知らずの間に思い上がって、「会社という共同体」のためにならない恣意的なことを始めてしまう。それが思わぬところで会社を危機に陥れる。そうした弊害をなくそうと「さん付け運動」をはじめたのだろう。上司に対等の目線で物を言う風土を作り出したかったのだろう。
綺麗いごとばかりでなく、役職をつけたことが間違いであるケースが目立った。係長だと有能なのに課長にしたとたんに、ダメ課長になる。課長としては有能なのに、部長にしたら絵に描いたようなダメ部長だったとか、人事の誤りが目立っていた。
それまで降格人事はなかった。格下げをスムーズにするために役職で呼ぶことを廃止したという側面もあった。外されても呼称が変わるわけではないから、心理的な負担が少なくて済む。本人も周りもこうした呼称には気を使うものだ。昨日まで部長と読んだ人を課長と呼ぶのは周りも気が引ける。だから、民間企業の意識改革が「さん付け運動」だっただろう。わたしの周りでも部長だった人が課長の下で働く事例がでた。
「仰決済」という文字をなんとも思わない組織はもちろん民間企業ではありえない。これでは仕事の改善などほとんどできないだろう。まず、下から改善案が上がって来ることほとんどない。「上」が偉すぎて物が言えなくなるからだ。下が黙ると、ダメ課長やダメ部長がはびこることになる。たまに上司に直言する者が出ても出世コースから外されてしまう。うるさい奴は要らない、尾っぽを振るものが可愛いのは人情の常。
だから組織風土を変えるにはトップの強い意志が必要だ。そういういう強い意志をもった首長が期待されている。
民主党は政治主導でやりたいようだが、実行部隊の官僚組織が中央官庁から地方行政機関までこのような意思決定の仕組みで動いている限り、民間会社の組織改善・経営改善ようなわけにはいかないだろう。
民主党はどこまで具体的に既存の官僚機構の意思決定の仕組みを変えられるだろうか。気になるのは30代できちっとした組織の中でしっかりした仕事の経験をした者が国会議員の中に非常に少ないということだ。40過ぎて経験のない分野の仕事は難しい。やれる人は稀だ。それゆえ、民間からどれだけ仕事の出来る人間を集め、適材適所で配置できるかが、民主党の政策の成否を分けることになるだろう。
「事案」と「事件」:言葉にみえる官民格差 [82.言葉のアンテナ]
女性から財布をひったくったとして、岡山県警岡山中央署は4日、愛媛県警松山南署巡査部長、XX容疑者(29)を窃盗の疑いで現行犯逮捕したと発表した。岡山中央署は、XX容疑者が「間違いありません」と容疑を認めている、と説明している。
岡山中央署によると、4日午後7時50分ごろ、岡山市中区森下町の路上で、買い物に行こうと歩いていた同市内の女性(75)の背後から徒歩で近づき、女性が胸に両手で抱えていた財布をひったくった疑いが持たれている。財布には現金約1万円とクレジットカードが入っていたという。
近くを自転車で通りかかった私立高校の男子生徒2人が、女性の「どろぼう」という叫び声を聞き、走って逃げるXX容疑者を自転車で約250メートル追跡。男子生徒らが前後を自転車で挟み込むと、XX容疑者は「もう逃げん、逃げん」と言い、2人に奪った財布を差し出したという。生徒の1人が携帯電話で110番通報し、岡山中央署員が駆けつけるまでの間、XX容疑者は観念した様子でおとなしかったという。
愛媛県警によると、XX容疑者は松山南署の刑事1課に所属。数日前から無断欠勤していたという。YY警務部長は「本県の警察官が窃盗事件を起こしたことは極めて遺憾で、被害者や関係者に深くおわびする。岡山県警の捜査状況を踏まえ厳正に対処する」とコメントした。 (朝日新聞社)
http://www.asahi.com/national/update/0605/OSK200906040117.html?ref=rss
広辞苑を引くと「事案」は「(処理の対象とするしないに関わらず)問題になっている事柄そのもの」と定義されている。案件と同義とある。犯罪の匂いのない言葉である。中高生売春を援助交際というのと似ている。
警察の裏金問題でもやはり「事案」という言葉が使われた。社会保険庁の年金保険料横領でも「事案」だった。
犯罪にも関わらず「処理の対象とするのかしないのか」すら判然としない言葉を選択するのは、身内の犯罪は処分すらしたくないという意識があるからだろうか。だとしたら事実を精確に表現しているのかもしれないが・・・
なかなか頭のよい人がいるようだ。
民間人が犯罪を犯せばそれは「事件」という言葉を使う。けっして「事案」などとは言わない。警察も厚生労働省も、言葉の使い方を改めるべきだろう。刑事犯罪は「事案」ではない、「事件」である。
*ちなみに、広辞苑によれば、「事件」は「できごと。ことがら。もめごと。」とあった。
2009年6月5日 ebisu-blog#602
総閲覧数:112,720/558 days(6月5日23時10分)
話芸の巧さに“もう、ただただあきれちゃう” [82.言葉のアンテナ]
話芸の巧さに“もう、ただただあきれちゃう”
小泉純一郎は話しの巧い人だ。
“怒るというより、笑っちゃうくらい、もうただただあきれちゃう”
“政治で一番大事なのは信頼だ”
政治で一番大事なものは何かと問われて答えられる人がいるだろうか?
物事の本質をぐいとつかみ出して見せてしまう。
この人のことばにはある種の呪術力がある。
人(=民)の心の読める人だ。
誰もを肯かせる、説得力をことばにもたせる名人だ。
タケシもサンマも、小泉さんの話芸にはかなわない。
気の毒なくらい麻生総理は人(=民)のこころの読めない人だ。
そしてことばに説得力がない。
発言するたびにブレてしまう。
言えば言うほど矛盾することばが乱舞してしまう。
麻生総理が一番敵にまわしてはいけない人が小泉純一郎だ。
役者の格の差がストレートにでてしまう。
信念をもってことばを発しているかどうかが歴然としてしまう。
所詮は器が違うのだろう。
2009年2月14日 ebisu-blog#548
総閲覧数:79,383 /446 days(2月14日23時20分)
ある「年頭の挨拶」から [82.言葉のアンテナ]
ある「年頭の挨拶」から
ある社団法人理事長の新年の挨拶をとりあげる。根室はいいことがたくさんあるが、そうでないこともある。なぜだろう?
仲間内だけで物事を決めることがそうだ。外部に対して開かれていないところが、戦後63年間根室に一貫して流れる負のエネルギーの淵源をなしているように私には見える。
小さな閉じた村社会が根室にはいくつかある。たとえば、漁業組合もそうした中のひとつに数えられる。全部がそうではない。歯舞組合のように開かれたところもある。全体を見れば漁業組合も過渡期にあり、変化しつつあるということだろう。
悪い見本を二つ挙げる。一つは湾中漁業組合、もう一つは根室漁業協同組合である。
湾中漁業組合長(当時)が船長の蟹かご漁船がかにの密漁をしてロシア国境警備艇から発砲を受け、乗組員が死亡した。組合長は公職である。越境して密漁するなど公職に就いている者として自覚が足りないといわざるを得ない。
同じことは根室漁業協同組合にも言える。根室漁船保険組合専務理事が使い込みで逮捕された。組合長には管理監督責任がある(根室漁船保険組合長は根室漁業協同組合長が兼務している)。新聞報道によれば、組合長の会社は沈没した船に関する保険金詐欺容疑で捜査を受けた。「実務を担っていないので知らない」というのが言い分だが、蟹かご漁船の船長が根室に戻って来てから越境=密漁の事実を否定したのに似た言い訳である。
公職にある者は出処進退を誤ってはならないが、正月に市場で挨拶をする姿がテレビに映っていたから、まだ現職のようだ。人口3万人の町には替わるべき人材がいないのだろうか。そういう心配をしたくなるような新聞折込があった。
ある経済団体の理事長の年頭の挨拶を抜粋して紹介する。
「・・・①未曾有の厳しい社会情勢・地域経済だからこそ求められる人材は、利益のみを追求せず社会的公共心をもち、よく修練されていて、様々な人脈をもっている人材だと考えます。
②ともすれば経済的悪化などに関心がいきがちですが、この根室地域には他にない素晴らしい自然資源や地域的魅力、存在的可能性が多く存在しております。③この未来の可能性を現実のものとすべく、常に積極的に建設的に物事を思考し、様々な意見を聴きながら議論をし、リスクを管理しつつすばやく実行していくことを行動指針としていきながら、この地域と共に歩む一団体として、自信を持って誇れる活動を実践して「明るく豊かな社会」の実現のために他団体と協力していきながら様々な事業に取り組んで参ります。・・・」
番号は私がつけた。①は根室の今求められる人材は公共心があり、厳しく自己を律することのできる人材だと言いたいのだろう。そして様々な人脈をもっていることが望ましいと。②の「経済的悪化」は「金融危機により不況の波が根室の企業にも及んでくる」とでもいえば分かりやすい。「自然資源」はふつうは「天然資源」という。「地域的魅力」は「水産資源に恵まれ、霧も深いが情けも深いと歌にあるように情に厚い根室の魅力」とでもすればいい。「存在的可能性」はまるで哲学用語だ。年頭の挨拶で使うべき言葉ではない。おまけに、「存在的可能性が・・・存在して」というのはトートロジー(同義反復)だ。慣れない用語を使うからこのようなことになる。
③の「未来の可能性を現実のものとすべく」も年頭の挨拶としては硬い。「積極的に建設的に物事を思考し」も同様に硬い。③は実に長いセンテンスだが、肝心の主語が省略されているので言いたいことが掴まえにくい。主語はこの団体だ。
根室経済界を代表する若手団体の理事長がこの程度である。人材不足ここにきわまれりの感が深い。どれほどの仕事ができるのか、書いた文書を見ただけで見当がつく。当の本人が「よく修練された」人材が必要だと書いているではないか。他人事ではない。
そこで四つ忠告だ。
①文書を書く「修練」をすること
②書いたら声に出して読んでみること
⇒声に出して不自然なら書き直せ
③理事長名を使って文書を公にするときは、他のチェックを受けること
④仲間内だけで群れていないで、教養ある大人とお付き合いをすること
大企業なら係長も危ないレベルの文書能力と判定しよう。残念ながら根室の若手の経営者を集めた経済団体の理事長がこういうレベルだ。仕事の能力も文書能力に比例しているだろう。
中高生はこれを他山の石としろ。中学高校時代によく学ばなければこういうことになる。地元に残る2代目、3代目はもっともっと勉強しろ。地元の疲弊は「重鎮」になった将来の君たちが招くのだ。そうならないために、中高生の時代にたくさん勉強しろ。故郷をよくしようと思うなら、中学・高校時代によく学び、しかる後によく遊べ。故郷のために勉強するぐらいの気概をもて。
合弁会社でいっしょに仕事をしたある同僚がかつて私にこう言った。「文書がきちんと書けるのはこの会社ではあなたと私の二人だけだ」と。合弁相手から出向してきた二人の役員のレベルはその文書を見ただけで判断がついたし、その判断は正しかった。
分かりにくい文書、支離滅裂な文書を書く人は仕事もそうなるということだ。文書には書いた人の資質が出てしまう。
元同僚だった彼は、ある国際標準化機構の日本法人で審査を担当している筈だ。千葉大薬学部出身で、TOEICは850点だと言っていた。語学に堪能な男だ。
私が「塾長の教育論」というカテゴリーで語学は専門分野を持たないと社会に出てから役に立たないというのは、こういうことだ。TOEIC850点は薬学という専門分野があってはじめて威力を発揮する。英語だけなら派遣社員のキャビン・アテンダントかツアーコンダクターが関の山だ。
管理職や役員として有能かどうかは書いたものを見ただけである程度判断がつくものだ。もうひとつ、文書に関わる事柄を例に挙げておく。ある一部上場会社の創業社長が厚生省から引き抜いたKさんが入社してから半年ぐらいの時点で書いた社内調査レポートを見る機会があった。経営企画部調査役という肩書きだったろうか。スマートな社内分析だった。社内でそういうレポートが書ける役員はいなかった。数年後、彼が社長になった。私は彼が社長になることを、そのレポートひとつで確信していた。文書にはそれほど潜在能力が出てしまう。余談が長くなった。
たまたま、この年頭のあいさつ文を採り上げた。この団体理事長には一面識もない。採り上げたことを申し訳なく思う。しかし、公職の重みを知り、今後の精進に期待したい。いつからでもやり直しはできるので、後輩たちのよき模範となってもらいたい。
失礼ながら、拙文であることを承知で書き直させてもらう。
「金融危機をきっかけに不況の波が根室の町にも押し寄せていますが、こういう時期だからこそ、厳しく自己を律し、個人的利益よりもわが故郷の利益を優先して行動することのできる人材が求められております。
経済情勢の悪化だけに目を奪われず、根室にある豊かな水産資源や自然にも目を向け、プラス思考で新しい事業や活動に取り組むべきだと私たちは考えます。こうした考えのもとにいろいろな団体や個人の意見にも耳を傾け協力しあって、「明るく豊かな社会」実現に邁進してまいります。・・・」
5月25日ブログ#191『根室漁船保険組合専務、数千万円着服か』
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/archive/20080525
8月15日ブログ#256『根室漁船保険組合専務、数千万円着服のその後』
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-08-15
8月18日ブログ#261『近頃多い横領事件3件にみえる類似パターン』
10月10日ブログ#347『根室漁業組合長 虚偽書類で保険金』
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-10-10-1
12月3日ブログ#427『漁船保険組合の元専務理事逮捕』
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-12-03
*2006年8月16日カニかご漁船銃撃事件(ウィキペディアより)
「帰国後、船長は「越境も密漁もしていない」と、責任逃れの発言をしていたが、その後、根室海上保安庁の捜査に対して、違反操業を認め、2007年3月2日、根室海上保安部は船長ら3人を、北海道海面漁業調整規則違反(区域外操業など)の疑いで釧路地検に書類送検した。」
2009年1月13日 ebisu-blog#486
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