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大地みらい信金本店「グランド・オープン」 #771 Oct.26, 2009 [82.言葉のアンテナ]

 1年半工事していた大地みらい信金(旧根室信金)本店がグランド・オープンした。おめでとう。
 立派な本店だ。全国であれだけ豪華な本店建物をもつ信用金庫はめずらしい。建築中にリーマンショックの影響を受けて20億円超の損失を出したというアナウンスがあったように記憶するが、そのようなことをものともせずに、完成した。工事中に、信金理事長も全道の信金協会の会長におさまった。誠におめでたい。

 グランド・オープンというと、大衆娯楽であるパチンコ店の開店を想像してしまう。工事が済んだ1階を仮店舗として営業し、他のフロアーが工事中だったが、全階完成したのだから、「グランド・オープン」は用語の使い方としては正しい。でも、なぜかこの言葉と信金本店完成にギャップを感じてしまう。こまかいことはいいだろう。大地みらいの担当職員や管理職、理事たちは違和感を感じなかったのだろう。
 北海道新聞にもグランド・オープンを告げる広告が載っていたし、いまさっき(11時)ネムロ市民ラジオもネムロのニュースとしてアナウンスしていた。

 旧根室信金も床は大理石でそれなりに立派ではあったが、新建物はもっともっと立派だ。その立派な建物の最上階の食堂や和室は信金に預金のある人はもとより、根室市民であれば誰でも利用できるらしい。

 団塊世代が根室高校を卒業する頃は、旧根室信金は根高卒業者の就職先の一つだった。成績が中程度であれば十分に就職できた。成績上位の者たちは旧富士銀行(みずほ銀行)、すでになくなった拓殖銀行(北洋相互銀行(当時)へ吸収合併)、北海道銀行へ就職したものだ。高校の担任によれば特別優秀な者には日銀釧路支店ですら就職枠があったことがある。
 大地みらい信金は今春は根高新卒は採用なしだ。男子は全員大卒を採用している。女子もほとんど大卒と短大卒だ。
 先輩職員のほとんどが根室高校卒業生だった時代が懐かしい。あの頃は根室の経済も勢いがあった。戦後そして昭和30年代に仕事を通じて根室経済を支え、すでに故人となっている諸先輩たちはこの立派な建物と地元経済の衰退をみたらなんと思うだろう。深いため息をつくのではないだろうか。
 小中学生の頃、30代だった根室信金マンを何人も知っているが、いい笑顔で仕事しかつ遊ぶ根室人だった。ふるさと根室を愛し、おおよそ半数の人がすでに根室の土となっている。

 厚岸信金を吸収合併し、大地みらい信金は規模が少しばかり大きくなった。対照的に地元の経済は疲弊し、信金と取引のあった企業や個人もずいぶん倒産・自己破産した。信金の営業政策が利益重視に切り替わったのは、いま思えば根室を代表するある企業の倒産に象徴されていた。もう四十数年前になる。
 根室信金が大地みらい信金と名称を変更し、「根室」という名前が外れることで、地元根室経済を支えていくという使命感を棄ててしまったように感じる根室人が増えている。

  わたしは立派な信金本店建物を見上げながら、信金がますます遠くなったように感じている。ようやく気がついた。小学校の頃から預金の預け入れ・引き出しや両替に数百回も通ったことのある(梅ヶ枝町3丁目にあった)あの根室信金本店はとっくになくなっていたのだ。
 遠い記憶の底にあり続け、根室の匂いのある旧根室信用金庫が妙に懐かしい。そしてどこかよそよそしい別の町の立派な信用金庫本店が旧根室信用金庫跡地に建っている。
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