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#1944 「農作物」はなんと読むか:桜島噴火で"ノウサクブツ"に被害(NHK)  May 21, 2012 [82.言葉のアンテナ]

 NHKの夜のニュースを聞いていた。鹿児島の桜島が噴火して700g/㎡の火山灰が降り積もり、ノウサクブツに被害が出たという。
 数日前に、「釧路の教育を考える会」の副会長がブログ(情熱空間)かフェイスブックにノウサクブツではなくノウサクモツというべきだと書いていた。わたしも彼の意見に軍配を上げたい。

 NHKのアナウンサーが"ノウサクブツ"と言ったのを聞いてあらためて強い違和感を感じた。畑になるものは"さくもつ"であって"サクブツ"ではない。生命や自然の力でなるものは"サクモツ"だからやはり"ノウサクモツ"(農作物)というべきだ。人間が作り出すものは工作物(コウサクブツ)でいい。

 それにしても、字面でみるのと音で聞くのとは違和感に大きな差異が生ずることにいまさらながら気がついた次第。声に出して読むことの重要性を再認識した。

 「読み・書き・そろばん」、この三つのうちで「読み」が最重要、もちろん声に出して読むことが一番大切。それゆえ、テクストを厳選して素読を小学校低学年で徹底的にやらせてみたい。

 国語も英語も初めのうちは徹底的に読ませるべし、授業でも渾身の力でただ読むべし。小学校の6年間のうち交互に3年間の国語授業を50分間ただひたすら読むことに費やせば、たくさん読めるからこどもたちの日本語語彙力はよほど上げられるだろう。
 中学生たちをみていると学校の授業で英語の音読トレーニング不足を感じる。スラスラ読めない生徒が多いのだが、読めなければ書けないのは日本語と同じ理屈。根室市内の中学校は土曜日午前中のブカツを禁止して一時間だけ英語音読トレーニングをしたらどう?音読のみ、解説なしの徹底した授業。

 小学校で隔年ごとに国語の授業を音読トレーニングのみに費やせば、語彙は豊かになり、読解力は飛躍的に伸びるだろう。そうすればノウサクモツとノウサクブツなどと読むプロのアナウンサーはNHKからも民放からもいなくなるに違いない。


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【5月26日追記】
 コメント欄にcccpcameraさんから、重要なご指摘をいただいたのでそのまま転載します。
 「のうさくもつ」という読みは「さくもつ」が農業生産物に決まっているので「幼稚な感じ」を受けるというのは新鮮でした。漢字熟語は同じような意味を重ねるものが多いので、わたしは「のうさくもつ」で違和感がありません。
  わたしの使っている広辞苑もcccpcameraさんと同じ2版です。4版と5版ももっているのでしょうかそれとも本屋か図書館で引いてくれたのかな?どうももっていそうな気がする。北方領土問題でも用語の使い方がとても厳密だった。北方領土問題に興味のある中高生は"cccpcamera"をキーにネットで検索してご覧、まとまった資料と解説を閲覧できます。
 定評のある辞書2冊(広辞苑と大辞林)の両方とも見出し項目は「のうさくぶつ」でした。アナウンサーの読みは正しかったと言う結論です。その上で「のうさくもつ」という読みをどう感じるかはそれぞれの言語感覚によるのでしょう。「のうさくもつ」が2版にはなくて4版や5版ででてくる新しい読みだということも驚きでした。知らないことがたくさんある。
  
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おひさしぶりです。

「のうさくぶつ」を広辞苑第4版・第5版で引くと「のうさくもつ」ともあるので、どちらでも良いのだと思います。でも、作物は農に決まっているので、「のうさくもつ」と言うと、ちょっと幼稚な感じがします。農作物とは農作による生産物のことなので、「のうさくぶつ」が普通の言い方で、ニュースアナウンサーは正しくノウサクブツと言っています。広辞苑第2版では「のうさくぶつ」の説明に「のうさくもつ」はないので、この言い方は最近なのでしょう。

今の賢い青少年は、電子辞書や携帯電話の辞書を使いこなしており、正しい言葉を結構良く知っています。おじさんの私は、電子辞書は気分的に好きではないし、かといって、広辞苑をいつも持ち歩くわけには行かないし、ということで、正しい言葉遣いでは、若者に負けているように感じています。
by cccpcamera (2012-05-26 08:40) 

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cccpcameraさん、おはようございます。

大辞林で引いて確かめました。ご指摘の通りこちらも項目としては「のうさくぶつ」でそのなかに「のうさくもつとも」と添え書きされています。
作物については農業生産物にしか使わないことも第1義にありました。

そういわれてみると「のうさくもつ」と読むのが「幼稚に感じる」というご意見がありうることはなっとくがいきます。

アナウンサーが正しく「のうさくぶつ」と言っていたことは認めざるを得ませんね。一本負けです。(笑い)

ご指摘ありがとうございます。m(_ _)m
by ebisu (2012-05-26 09:34) 

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コメント 7

miopapa

改めて?
日本語の奥の深さというか素晴らしさを痛感すると同時に
こんなに素晴らしい言葉や文化を
もっともっと大切にし、後々にまで残していかなくては ・ ・ ・
と、日頃無意識に暮らしている私が言うのも変ですが
感じています。
by miopapa (2012-05-22 08:42) 

ebisu

miopapaさんへ

おはようございます。朝早くからコメントありがとうございます。

日本語は耳で聞くものでもありましたね。目で見る文字とは印象が違う、強い説得力があります。

平家物語は冒頭の「祇園精舎の鐘の声・・・」ばかりが有名ですが、わたしは「殿上闇討」が好きです。
「しかるを忠盛備前の守たりし時、鳥羽院の・・・」

ここは講談調で口に出してさえずるととっても気持ちがいいのです。
三波春夫が浪曲師出身でしたが、前奏や間奏に浪曲調の語りをはさむことが多かった。あれはあれで立派な芸で他の誰にも真似ができないレベルだった。ビリヤードが好きで、根室講演の時にはかならず私どものところへ寄って、楽しんでいました。
いい声で
「ご主人・・・」
なんて呼ばれて、オヤジは照れ笑い。
浪曲師出身の歌手はオヤジよりひとつ若かった。
たのしそうだった。

私は団塊世代ですが、小学生のころいくつかゲルマニウムラジオを買ってNHKの落語や講談、浪曲番組を楽しんでいた時期があります。
落語家、講談師、浪曲師の語りの名調子は話し言葉の技です。ああいう調子の日本語をときおり会話や議論にはさめたら説得力やユーモアがあって楽しいでしょうね。

いまや講談師は絶滅危惧種で、芸のないイケメンの好男子がはびこっています。
日本語の技を、日本語のことばを大事にして、次の世代に伝えたい。

「やさお富、ひさしぶりだなあ~」
「・・・与三郎」

      ・・・・・・・・m(_ _)m
by ebisu (2012-05-22 10:56) 

もやしさんま

日本語は目で聞く(読む)言語であり、そして耳で見る(読む)言語でもあります。それができるためには昔の侍の子供のように、見たものを声に出して読みそれを自分の耳で聞くというループの訓練が必要です。同じ言葉も、意味を明瞭にするために漢字で書くか、柔らかさを醸(かも)し出すためにひらがなで書くかなど、目で読むときには違ってきます。勿論黙読しても脳の中では音声言語となっているからです。そういえば、ろう者は字を見ても音声を知らないから意味がないと聞きました。
朗読されている文章が漢字かひらがなかカタカナかが、耳で見えるような朗読がたとえニュースでも聞きたいものです。

by もやしさんま (2012-05-22 20:37) 

ebisu

おばんです、もやしさんまさん。

>見たものを声に出して読みそれを自分の耳で聞くというループの訓練が必要です。

ようするに素読ですね。ただひたすら読む。

>朗読されている文章が漢字かひらがなかカタカナかが、耳で見えるような朗読がたとえニュースでも聞きたいものです。

さすがプロと思えるような朗読を聴きたいものです。
NHKラジオでやっている「文芸館」という番組があります。土曜日の8時から8時45分までの番組ですが名品を集めてアナウンサーが作品を朗読しています。これはいいですね。
私も生徒と音読トレーニングをしていますが、このプロの技には遠く及びません。
by ebisu (2012-05-22 23:01) 

ebisu

もやしさんまさん、おはようございます。

>日本語は目で聞く(読む)言語であり、そして耳で見る(読む)言語でもあります。

もやしさんまさんの書かれたこの文言が気になっていました。日本語の文章の源流のひとつに万葉集があります。日本語は歌でもあったわけです。歌は読むと同時に詠(うた)うものでもあります。つまり音声での表現という面をもっているのです。

司馬遼太郎に『日本語の本質』(文春文庫)という本があります。かれは大阪外語大でモンゴル語を学んでいるのですが、それと対比しながら日本語についても考えるところがあったのだと思います。このなかに俳人赤尾トウシとの対話が載っています(トウシがうまく変換できません)。
芭蕉の俳句と正岡子規の俳句を並べて論じている箇所がありますが、そこでこんなことを言っています。

「いまの実作者としては、俳句が「目で読む」文芸であるとだけきめてしまってはならない、あわせて詠(うた)うという要素も考えねばいけないでしょうね」(98ページ)

学校教育では日本語の音声の側面が案外見落とされているようです。
赤尾氏は別の箇所で音声の側面を中国語と比べています。

「中国語は、平上去入の四声ありますね、で、子規は、「私はどっちかというと平声(ひょうしょう)のほうが声が穏やかなり」、つまりすきだと書いています。ということから思うとね、中国語の四声の中で平声を、若い彼が生理的に好んだというのは、これはやっぱり、日本語的リアリズムに通じるんじゃないか、と思うんですよ。」

司馬はそれに応えて
「おもしろいね。伊予方言は上方語圏に入るでしょう。上方語は平声ですね。関東、東北弁は四声の中で・・・」
赤尾氏が
「あれは上か入です。」(102ページ)

同じ大阪外語大で司馬のほうが2学年上です。司馬はモンゴル語を学び赤尾は中国語を学んでいます。先輩と後輩、お互いの専門とその仕事振りも熟知しているので、実に楽しそうに話が飛ぶ。こういう会話の出来る先輩後輩をもてるのは幸せ者です。

【ここからはコメント欄でしか書けない内緒話です】
わたしは90半ばの考古学者のお仲人さんに「ときどき来て話しをしていけ、同級生は皆死んでしまった、昔を知っているのは君くらいなもんだ」と言われるのですが、恐れ多くてなかなか行けません。たまたま先生の同級生のお一人をよく知っていたり、35年も住んで何度も引っ越したので東京の地理にも少し明るいところがあるので話し相手にいいと思ってくれているのでしょう。貴重な話しをいくつか聞いています。
周りに社員がいても遠慮なく大きな声で思ったままの意見をいまでも言う。その一方で40代で根室の政治を見切って、会社経営と考古学の研究生活に専念するようになったことも吐露される。
「かわらないよ、ねむろは」とときおりもらすその言葉の余韻に「かえたかったな」という無念の思いが伝わってくるのです。

中学生のころからその人の記憶があるのですが、根室の旧弊を壊してしまおうという気概をもった根室には珍しいインテリの企業家です。あるとき市議会議員をやめて市長選に立候補した。あまりはっきり物をいうのでみな不都合があるものだから、根室という村落共同体がアレルギー反応を起こしてしまった。市長選に破れてしまった。
いまからみるとあれが根室が変わる唯一のチャンスでした。器の大きい人物を町の有力者たちがこぞって潰してくれた。チャンスを生かせなかった町では老舗のいくつかがつぶれてしまった。
環境(時代の流れ)に適応するためには変わらなければならなかったのに、変わることに拒否反応が出てしまった。

現在の地元の経済諸団体や任意団体の動きを診ていると、当時町を牛耳っていた人々の亡霊が生まれ変わったのかとぞっとします。やっていることは似たようなもの。

市政と結託して町を壟断するのはおよしなさいと警告しておきたい。悲惨な末路が待っているだけです。おそろしい。
小さな町の中で誰が誰に何をして、どうなったのか、町の歴素をつぶさに調べれば、地元経済界が沈んでいかざるを得ない理由が理解できる。誰も望んではいない結果を招き寄せてしまうことになる。
恣意的な運営、好き勝手はツケが回って取り返しのつかない結果を生むことがあることを警告しておきたい。そうなってほしくはないからです。
当時もいまもそういうことをしている人たちは手前勝手でわがままで聞く耳をもちません。滅亡するしかないのでしょうが、自分たちだけでなくまわりを巻き込むことになります。自分の家族もその範囲に入ります。真実が見えない人は気の毒です。かれらはどのような結果が待っているか知らずにやっているのです。知っていたらできるはずがありません。

平安時代の生霊とか怨霊というはなしは現代にも真実味があります。欲望は無限に自己増殖します、それに支配されてはなりません。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」はそうしたてまえがったな欲望の抑制装置としての役割を果たします。日本人はそういうことを何百年も前からわかっていて、伝統的な商道徳で抑える努力をしてきました。だから200年以上の歴史をもつ企業の大半が日本にあるのです。3000社だったかな、自分さえあるいは自分の同族さえ栄えればいいという中国には数社しかないそうです。
人はまっすぐに、正直に誠実に生活するのが安全・安心です。自分のためではなく世のため人のために働けと教えられたものです。まわりまわってそれが自分の幸せを支えてくれる。
幸せになりたいなら欲望を適度なところで抑えるすべをもたなけらばならない。お釈迦様の"小欲知足"という言葉には大きな真実が隠されています。

by ebisu (2012-05-24 10:59) 

cccpcamera

おひさしぶりです。

「のうさくぶつ」を広辞苑第4版・第5版で引くと「のうさくもつ」ともあるので、どちらでも良いのだと思います。でも、作物は農に決まっているので、「のうさくもつ」と言うと、ちょっと幼稚な感じがします。農作物とは農作による生産物のことなので、「のうさくぶつ」が普通の言い方で、ニュースアナウンサーは正しくノウサクブツと言っています。広辞苑第2版では「のうさくぶつ」の説明に「のうさくもつ」はないので、この言い方は最近なのでしょう。

今の賢い青少年は、電子辞書や携帯電話の辞書を使いこなしており、正しい言葉を結構良く知っています。おじさんの私は、電子辞書は気分的に好きではないし、かといって、広辞苑をいつも持ち歩くわけには行かないし、ということで、正しい言葉遣いでは、若者に負けているように感じています。
by cccpcamera (2012-05-26 08:40) 

ebisu

cccpcameraさん、おはようございます。

大辞林で引いて確かめました。ご指摘の通りこちらも項目としては「のうさくぶつ」でそのなかに「のうさくもつとも」と添え書きされています。
作物については農業生産物にしか使わないことも第1義にありました。

そういわれてみると「のうさくもつ」と読むのが「幼稚に感じる」というご意見がありうることはなっとくがいきます。

アナウンサーが正しく「のうさくぶつ」と言っていたことは認めざるを得ませんね。一本負けです。(笑い)

ご指摘ありがとうございます。m(_ _)m
by ebisu (2012-05-26 09:34) 

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