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#2602 イジメと「改心」:ボキャ貧は先生たちにも及んでいる Feb. 23, 2014 [82.言葉のアンテナ]

 イジメにどのように対処すべきかという假定の話であるが、具体的なシーンを想定して会話を書き連ねてみる。類似の事例があったようだが、事実は見る角度によっていろんな様相を呈するものだから、会話は取材した断片的な事実に基くフィクションであるとお考え戴きたい。
 イジメへの対応を考えるための、ケース・スタディである。
(この程度のイジメはしょっちゅう起きているというのが生徒たちの弁であるから、このケースは特別なものでなくごくありふれたものであるようだ。あとで中学校のもっともっとシビアなイジメの実例を二つ挙げる。小学校でこういう状態を放置したり対応を誤ると、中学校ではエスカレートしてイジメは身体への暴力となることがある。先生が「弱い者イジメは卑怯な行いで、人として恥ずべき行為」だと繰り返し生徒に伝えるべきだ。)

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 五年生の生徒Aの机の上に「死ね」と書かれたノートの切れ端が置いてあった。なが~いお説教が終わりに先生は27人の生徒の一人一人に問う。

T:これはイジメです、イジメはよくないことです、みんなで改心しましょう。B君あなたは改心しますか?
B:・・・改心します
T:C君は改心しますか?
C:・・・はい
T:D君はどうですか?
  D君は犯人が誰かは知っている。しかし告げ口になるので言わないと決めていた。先生の言うことはなんだかおかしいなと思ったが、このまま返事をしないとお説教が終わりそうもないのでしかたなく、
D:・・・はい
 先生はこうして生徒全員に問いかけていった。みんな「はい」と返事した。でもD君は納得がいかない、何かおかしい感じがするのである。
 先生はイジメをした人にも人権があると説明した。

T:それではみなさんノートを全部出してください。

 先生は全員のノートを一つ一つ調べ始めた・・・
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 わたしが五年生だったら、こう反論するだろう。
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T:ebisu君、改心しますか?
E:先生「改心」って、心を改めるって書くんですよね?
T:そうだよ
E:わたしが「死ね」と書いてA君の机に置いたわけではありませんから、改心できません。「死ね」と書いて置いた人が心を改めるのが改心ではないのですか?やっていない人はどうやって改心するのですか?辞書で意味を確認しませんか?
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 『大辞林』より
改心:いままでのことを反省し、心を改め正すこと 「非行少年を改心させる」
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 ものごとがごちゃごちゃになりだしたと感じたら、原理原則に還るのがよい。この場合は「改心」という言葉の意味を確かめることである。そこを確認するところからはじめたら問題のたてかたの誤りにすぐに気がつけるだろう。
 おわかりのように、27人の生徒の中で改心すべきは「死ね」とノートの切れ端に書いた少年だけである。全員が「改心」するというのは言葉の意味すらわかっていない頓珍漢な話で、そんな屁理屈で長説教をしてしまう先生がいる。根室の小学校に限ったことではなく、全道の小学校ではごくふつうのことなのかもしれない。説教は短いほど効果が大きいもの、そうしたこともお分かりになっていない。
 先生もボキャブラリーが貧困だが、五年生の生徒たちもボキャ貧、笑えない現実がある。日本人全体がボキャ貧になりつつある象徴的な出来事のようにみえる。
 平均点で測定した生徒の学力が低いということは、教えている先生たちの学力が低いか、授業技術が悪いか、トコトン教え着ると言う覚悟がないかのいずれか、あるいは全部が原因ということができるだろう。だから、学力の低い地域の教育委員会や学校、教員は学力テストデータの公表に反対する。手抜き仕事や仕事の能力が低いことが白日の下に曝されてしまう。そんなことは先生たちの「教師道」の問題であり、自分たちで解決すべき問題だ。プロなら、このままでよいと思うわけがない。

 気になるところはいくつかあって、大きなものだけ挙げると、理不尽な事を言われてもそれに唯々諾々と従う無気力なところがその代表例だ。恣意的な市政運営に市議を含めてほとんどの大人たちが異論を述べないのとそっくりである。語彙力不足の根室の子どもたちはじつは大人の鏡ではないのか?子どもたちの日本語語彙力や基礎学力がしっかりしなければ、30年後も根室市政はいまのようなありさまになる。いやもっとひどいことになりそうだ。教育こそは町づくりの基(もとい)である

 わたしは小学校4年生のときに辞書を引いて北海道新聞の社説を読み始めたから、五年生でこういうことを先生に問われたら、言葉の意味を確認し、使い方が間違っていますよと主張したのではないだろうか。物心がついたころから、「なぜ、どうして?」としつこく大人に質問するので、回りの大人たちが辟易していたとは亡くなった母の弁。生来、理屈っぽいところがあったのだろう。三つ子の魂百までもの言葉通りに、わたしの性癖になってしまったようだ。(笑)

 この事例ではあと二つまずいことがあるように思える。
 一つはイジメをした少年にも人権があるという話だ。犯罪者にもそれなりの人権がある、たとえば弁護人をつけてもらうことがそうだろう。しかし、犯罪人ではない者と同じ人権が認められているわけではないから、そうした話しを付け加えることも必要だ。
 弱い者イジメは人間としてしてはならぬことだから、そういうことをした生徒には人権はない、人でないことをすれば「人でなし」となるから、人でない者に人権が十全に認められるであろうはずがないと説明すべきではないのか?
 法律に書かれた罪を犯せば、大人なら刑務所にいれられる。著しく人権を制限されて刑期を終えるまで刑務所を出られない。してはいけないことをした者には人権が制限されるのはあたりまえの社会のルールである。この先生は法律の勉強をしたことがないのだろうか?ほとんど社会常識のレベルだと思う。

 もう一つは、生徒全員にノートを提出させて、一つ一つ調べたことだ。置いてあったノートの切れ端と、破いた形跡のあるノートをつき合わせたら犯人は特定できるだろうが、学校の教師の役割は物的証拠をつかみ犯人を見つけることだろうか?イジメで被害者が自殺するようなことがあれば、犯人探しは警察に任せたらいい。
 そのように警察まがいのことをしなくても犯人は簡単にわかるものだ。何人かの生徒たちは誰がやったか知っている、ただ告げ口になるから言わないだけの話だ。何かの折に、こっそり聞いてみたらわかる。D君の返答に少し間があったことに気がつくことができたら、誰もいないところでこんなふうに訊くことができる。
 「D君、やったのが誰か知っているだろう?口外しないからだれがやったのか教えてくれないか、次のイジメを防ぐことができるかもしれない。先生もいいクラスにしたいんだ、君もキモチは同じだろう?」

 イジメにはどのように対応すればいいのだろう。むずかしくないのである、生徒全員の前で次のように言い放てばいい。
「イジメは卑怯なことで人として恥ずべき行為だ、あとで本人に謝るか、先生のところへ来たらいい。またやったら許さないぞ。」
 生徒があとでこっそり来て、「自分がやりました」と言ったら、「バカヤロー、二度とやるなよ」と穏やかな声で一言いって、笑って見せたらいい。そして普段から、「弱い者イジメは卑怯な振る舞いで、卑怯者は人間のクズだ」と繰り返し言えばいい。何度も何度も言うべきだ。

 先生たちの日本語語彙力やコミュニケーション能力が心配だ。「改心」の意味すらきちんと理解していないか、論理的な思考力がないのかどちらかだろう、先生たちの日本語語彙の貧困ぶりと論理的思考力のなさがうかがわれる。イジメは卑怯な行いで、人間のくずだと言い放つ気概のなさや、イジイジと犯人探しをする陰湿さも気になる。「弱い者イジメは卑怯な行いで、人としてやってはいけないことだ」となぜ言い放てない?ebisuには生徒全員を前にして怒りを込めて言い放てばよいだけの話にみえる。
 生徒も先生も幼児化している。読書量の減少と、読む本のレベルが幼児化していることが原因の一つに挙げられるのではないか?

 塾で教えていて感じることだが、根室の中学3年生の20%は小学4年生以下の日本語語彙しか持ち合わせていない。B中学校の生徒に急激な語彙力低下が起きたのはわずかこの3年ほどの間のことだ。少年団活動や生活習慣を含めて小学校での過ごし方に問題の根がある。それは親力の低下の問題でもあるようだ。日本語語彙力が劣化しているのは小・中学生だけではない、この事例でわかったのは、先生たちすら基本的な日本語語彙力があやしい、それがいまの小学校の現実の姿である
 先生の半数以上がこんなレベルではないだろうか、そういう先生たちの授業を根室管内の小学生が毎日受けているとしたら、全国一斉学力テストで、都道府県別偏差値で根室管内の生徒が37だということも納得がいく。偏差値37は成績下位9.7%である。

*#2484 ⑨全道14支庁管内別・科目別・偏差値表(小・中対比)  Nov. 8, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-11-08-4
 
 そういう中で英語が小学校で必修化されるという。先生すら日本語語彙力不足できちんとしたことを伝えられなくなっている状況なのに、英語を必修科目にして日本語がますます軽視されてしまう。
 こんなに語彙力が弱体化しているのでは、言語を通じたコミュニケーション一つを取り上げても学校がイジメに対処できるわけがない。語彙力不足と日本語運用能力の不足から、まるで説得力のない頓珍漢な長説教が現場で行われている。いじめに適切に対処できる教員は10%いるのだろうか、心もとない。新聞やテレビ報道でも、イジメ問題に適切に対処できた例は見たことも聞いたこともない。
 ニムオロ塾でも、過去に2例、深刻なイジメの相談があった。ダンベルを投げつける生徒がいたのである。避けたが大腿部へあたった。頭を直撃したら命がない。学校側とも話しをしたようだが、まったくムダだった。命の危険を冒してまで通学する必要はないから、希望通り毎日塾へ来ていいと伝えたら、しばらく学校を休んだ。学校は動かざるをえなくなる。
 もうひとつは1年ほどあとからわかった。「先生、俺毎日のように塾へ来ていたことがあったでしょう、学校へ行くと毎日殴られていたんだ、それで学校へ行くの嫌になって休んで塾へ毎日来てたんだ」そう告白した。入塾直前の定期テストで数学が50点前後、英語は十点台の生徒だったが、半年ほどでどちらもクラス一番の得点が取れるようになっていた。急激に成績がよくなったこともイジメの一因であったかもしれない。細い身体の背丈の小さな生徒だった。それ以来、「先生、毎日来ていいかな?」と生徒が言うときは気をつけて観察するようになった。

 文科省は足元を見たらいい。小学校へ英語の導入は狂気の沙汰で、いましなければならないのは先生と児童・生徒への日本語教育の強化と日本的価値観(弱い者イジメは卑怯な振る舞い、卑怯は人間のくず)や日本的情緒の刷り込みである。幸い日本には世界に稀に見る古典文学の宝庫があり、その作品の一つ一つに日本的価値観や日本的情緒が色濃く織り込まれているから、英語の時間を良質の日本語テクストの音読トレーニングに充てるべきだ。
 文学作品ではないが、イジメには3ヶ月ほどみんなで毎週「会津什の掟」の朗誦をすればいい。小学生ならすぐに暗唱してしまう。恥ずかしくて弱い者イジメができなくなるだろう。

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*【会津什の掟】
http://www.nisshinkan.jp/about/juu

一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです

 (七番目の条は外していいだろう。昔はそういうものだったということは覚えておこう。)
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 先生たちも学力や日本語語彙力が千差万別のようで、もちろん素晴らしい人もいる。元北海道中学校長会副会長の松実氏の卓越したご意見を紹介したい。
(新聞記事をクリックすると別画面に拡大して展開できます。)

 釧路新聞「巷論」から(ブログ「情熱空間」より)
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/7112837.html
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2014年02月20日

小学校の英語教育構想(釧路新聞「巷論」のすばらしいご意見)

正鵠を射るとは、まさしくこうしたことですね。補足説明など何もございません。少し前(2014.02.11)と今日(2014.02.20)の釧路新聞、巷論(こうろん)から。英語教育の専門家、松実寛さんによる、前倒しが予定されているところの小学校英語教育へのご意見です。

理路整然。すばらしいですね。おみごととしか言いようがありません。さて、思うこと。こうした、「地域の宝」「知恵袋」といった方にこそ、この地の教育行政のブレーンとか教育委員とかになっていただくべきではないでしょうか。三部作(?)、畏敬の念を抱きながら拝読させていただきました。ありがとうございます。

というわけで、こちらもどうぞ。

●小学校英語教育必修化は「羅針盤なき船出」(釧路新聞「巷論」から)
http://blog.livedoor.jp/jounetsu_kuukan/archives/7077962.html

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コメント 11

ZAPPER

1.教師自身の語彙力(学力)低下。
2.道徳教育の欠如。
3.教師自身の規範意識の低下。
4.その教師による人権教育。

今の北海道の、釧根の義務教育現場が抱える問題の根っこを象徴しているかのようですね。

良かれとして人権を引き合いに出し、「でもいじめをやった側の人権も…」として事態をより悪化させた例を存じておりますが、今度はそこへ持ってきて、肝心の教師自身の学力低下が加わってきたわけですね。

何から何まで、歯車が狂ってきています。

スクラップ・アンド・ビルドが急がれますね…。
by ZAPPER (2014-02-23 12:45) 

ebisu

現場が抱える問題の根っこ、4項目を並べましたね。
修羅場をくぐった経験が少ないので、対応できないのかもしれませんね。

学校の先生たちは、
「弱い者イジメは卑怯な振る舞いで、そんなことをするのは人間のクズだ」
と繰り返し、生徒達の前で言い切ってほしいですね。

こうして批判的に論評していますが、拠点ができたので、基礎学力重視の良心的な学校の先生たちに協力できるようになるのでしょう。ボランティア、楽しみです。


by ebisu (2014-02-23 16:53) 

もやしさんま

カリキュラムを消化するのが仕事なのか?授業内容を分からせるのが仕事なのか?
セールスマンならパンフレットを配りきるのが仕事なのか?契約を取ってくるのが仕事なのか?
授業で足りない子供で塾にも行けず家庭教師をつけてももらえない子供はどうしようか?それで色々取り組みしているように最近新聞で読みますけれど成果はどうでしょうか?
by もやしさんま (2014-02-24 22:26) 

ebisu

もやしさんまさん、こんばんわ。

>カリキュラムを消化するのが仕事なのか?授業内容を分からせるのが仕事なのか?

両方きちんとやりきるのがプロのお仕事でしょう。
セールスマンなら契約を取ってくるのがプロでしょうね。パンフレットを配るのは契約を摂るための手段にすぎませんから。だからパンフレット配りは、若い女性のアルバイトにやらせるのがいいですね。

>授業で足りない子供で塾にも行けず家庭教師をつけてももらえない子供はどうしようか?

団塊世代のebisuが小学生の時には、教育大を卒業した新任の先生が、「わからなかった人は残れ!」って、毎週放課後補習をしてくれていました。少年団なんてなかったから、放課後は先生と交えてみんなと遊ぶか放課後補習に参加するかでしたね。あの時代は学習塾なんてなかったですが、珠算塾があり、加減乗除の基礎計算ができないこどもなんてほとんどいませんでした。

>それで色々取り組みしているように最近新聞で読みますけれど成果はどうでしょうか?

3月まで週1回総合文化会館でやっている補習ですか?
先生たちが放課後補習しなくてすませるための言い訳行事でしょう。根室市教委は姑息なことをやりますね。
3ヶ月くらい週1回の頻度でやってどうなります?結果は見えています。定員は30人ではありませんでしたか?
中学生で小数や分数の四則演算が怪しい生徒は4割ほどもいますから、各学年100人×3学年=300人です。
30人では焼け石に水です。ブカツに明け暮れている成績下位層の生徒がこられるはずもありません。

そんな程度で低学力層の生徒達の学力が上がるなら、苦労はありません。たいへんなんですよ、生活習慣が崩れてしまった中学生は、生活習慣の建て直しからやらないといけません。生活習慣病を治すのに似ています。本人も教えるほうもたいへんな根気や辛抱が必要なのです。
by ebisu (2014-02-24 22:58) 

もやしさんま

そうですか。新聞で読んだのはマスコミを気にする公務員のアリバイ作りでしょうか。突き詰めると教育って愛ですよね。
子供にどんな大人になって欲しいかって。
はっきり言って組織はトップがどんな姿勢かで変わってくると思います

by もやしさんま (2014-03-01 00:51) 

ebisu

新聞で報道されている3月中旬までの週1回の補習は30人が定員ですから、(中学生だけで1学年3~4割いる)小数や分数の計算にまごつく数学の低学力層は225人から300人ですからね。簡単な算数で効果のほどがわかります。
参加しているのはやる気を起こしたか、親が行けと強制したかどちらかです。

「親が教育に関心がない&本人も学習意欲がない」

そういうほんとうに救いの必要な生徒たちには手が届いていないのですよ。わたしの生徒も親に言われて一人行っていますが、行く気になるようなところまでもってくるのに3年かかっているのです。ブカツをやっている間はついに生活習慣を変えられませんでした。ここ数ヶ月です、意欲が見え始めたのは。だけど生活習慣はいまだに抗いがたいものがあるようです。いくら塾で補習しても復習していないのです。でも変ると信じて補習し続け待つしかないのです。
「この手の問題は3日前にやったばかりだ、復習していないからできないんだ」
復習しろと何度も何度も繰り返します。賽の河原の椅子積みに似ています。

教育行政はそういう手間のかかることを本気でやる気がないのです。
学力テストで数学零点の生徒を1ヵ月で80点台にしたことがあります。学力テストの点数が悪かったので、このままではいけないと思ったのでしょう。同じブカツの二人の生徒に学校が終わったらまっすぐ塾に来るように言い渡しました。きちんと毎日来て勉強してました。二人だったから続いたのでしょう。もう一人も百点満点で一桁でした。1ヵ月後、零点だった生徒は88点、もう一人は75点くらいでしたね。
これは低学力でもやる気のある生徒で、例外中の例外です。短期集中型の補習を結局2ヶ月やりました。
週に一度、家庭学習習慣のない生徒なら、次の週にはきれいに忘れていますから、また同じ説明を繰り返すことになります。家庭学習習慣のある生徒なら補習に来る必要はないということになります。
何を考えているのでしょう。
教えている先生達だって、ベテランならそれくらいのことは承知していて当然です。

放課後補習をやると言ってもブカツをしている生徒は嫌がります。成績よりもブカツのほうが大事なのです。一体学校はブカツを通じて何を教えているのか?生徒の本業は勉強することです。週に一度休んで補習に来るのもたいへんな抵抗があります。勉強よりもブカツを学校の先生たちが重視しているからです。そういう先生達には大バカモノと言いたい。生徒の人生をずたずたに切り刻んでしまっていることに気がついてすらいないのです。
by ebisu (2014-03-01 09:25) 

もやしさんま

部活が勉強できないことの言い訳になったら、その子は大人になると仕事のできない言い訳に趣味人間になるかもしれないですね。
by もやしさんま (2014-03-01 21:40) 

ebisu

生活時間を分析すればわかりますが、6時半までブカツをやったら勉強する時間が取れません。
家へ帰ってきて食事が終われば8時です。お腹が一杯で疲れも出てきますから、ゲームやテレビやスマホのライン、メールへ流れます。そのあとで勉強できる生徒はよほど体力があるか、しっかりした生徒です。8割は家庭学習時間が確保できません。
もっとも、小学校で家庭学習習慣がしっかりしつけられていれば、やります。
小学校で家庭学習習慣の躾に根室の7割の家庭は失敗しています。
「親力」が一世代前よりも落ちてしまっているといっていいのでしょう。家庭学習習慣は単に子どもだけの問題ではなさそうです。過度なブカツをお後押しする保護者も根室には多いのです。学校だけで取り組める問題ではない。地域社会が一丸となれば学力向上は簡単にやれます。
それぞれがしっかりしても、それなりの効果があります。

A中学校3年生の授業進捗管理が昨年とはがらりと変わりました。教頭先生がしっかり管理してくれたようです。2月中に主要5科目は全部教科書を終わったそうです。
災い転じて福となったようです。ブログ炎上騒ぎではたいへん迷惑しましたが、1年たってこれなら、あれもよしです。教頭のI先生をほめたいと思います。
by ebisu (2014-03-01 21:59) 

ebisu

>部活が勉強できないことの言い訳になったら、その子は大人になると仕事のできない言い訳に趣味人間になるかもしれないですね。

これはその通りだ。
ブカツをやっていても成績優秀な生徒はいる。でもそれはごくごく少数であることも事実だ。
先週、看護師の国家試験を受験した生徒は中高とずっとバスケ部でやり通した生徒だが、高校時代は練習が終わって7時40分に塾にきて9時まで一度も眠らずに勉強していた。学校からの10分くらいの間に、車の中でパンを食べてきていた。ガッツのある子だと感心した。
国家試験の前はずっと毎日12時間勉強し通したという。

ブカツを勉強しないことの言い訳にしない強さをもつことも大事なことではある。こんなことっができるのは10人に一人くらいなものだろう。

釧路の看護学校に合格したと昨日一人連絡があった。今年は三人看護学校へ進学だ。根室出身の看護師さんが道内に増える。中には根室へもどってくるつもりの人もいる。どうなるかわからないが、ちょっと期待してるよ。
by ebisu (2014-03-01 22:53) 

元根室人からです

部活の生徒より、部活も入らないでフラフラしてる生徒はもっと酷い状態です。

放課後補習はもちろんですが、家庭での躾が出来ない根室の親にも意識改革が必要であると思います。
また、体力不足も課題です、勉強する体力と気力が無い。

根室高校、部活は盛んでないのに年々進学レベルが下がっています。合併したら更に大変ですね!
by 元根室人からです (2014-03-02 08:06) 

ebisu

「元根室人からです」さんへ

ははは、わたしも35年間東京で「元根室人」をやっていました。

>部活の生徒より、部活も入らないでフラフラしてる生徒はもっと酷い状態です。

ブカツをやらずに勉強に専念している生徒は極小数ですがいます。いずれも学年トップです。大学進学目指して、小学校からがんばっています。
人数で言うとブカツをやらずにだらだらしている生徒よりも、ブカツをやっていて学習習慣が崩れきってしまっている生徒のほうがずっと多いですね。6時半までのブカツを毎日やって、土日も練習したら、生活時間分析をすればわかりますが、勉強時間が確保できません。ブカツをきらいな家庭学習を怠ける言い訳にしているようにも見えます。成績下位層でもほとんどの親がブカツをストップしようとは考えません。そこも問題なのです。

>放課後補習はもちろんですが、家庭での躾が出来ない根室の親にも意識改革が必要であると思います。
>また、体力不足も課題です、勉強する体力と気力が無い。

同感です。「親力」の劣化と比例するように勉強にガッツをもてない子どもが増えています。「辛抱力」が劣化しているのだろうと思っています。

>根室高校、部活は盛んでないのに年々進学レベルが下がっています。合併したら更に大変ですね!

2005年度の入試では根室高校普通科が定員オーバで、Fランク150点で数人不合格になりました。
最近はほとんど定員割れで、70点前後が合格最低点になっています。合格者の平均点は公表されていませんがおそらく150点前後です。合格者のおおよそ半数が150点以下です。

210~220点くらいで、高校でやる進研模試偏差値が50前後ですから、この点数よりも上は15名くらいだと推定しています。
一般入試でSS50 程度以上のレベルの大学への進学できる者が約15名、厳しい現実です。
一般入試ではとても無理と判断して3年になると推薦入試に変更する生徒が多い。
どれくらい前かわかりませんが、札幌北高の校長が転任してきて、推薦枠を増やしてくれたという話しを聞いています。

最近の事情をご存じないかもしれませんので少し補足します。地元の高校入試受験者はおおよそ240名、来年は生徒数が少ないので210名くらいでしょう。根室高校の定員が200名ですから、定員一杯の応募があれば根室西高校は新入生10名ということになります。
11年後の2025年には地域別人口推計の年齢別表を見ると中学生1学年165名ほどになります。
生徒数が激減です。

根室西高校がなくなれば、成績下位層が増えるので、授業のレベルはさらに下がります。低いほうにあわせて授業をやらざるをえなくなります。習熟度別に編成されている数学の学年末試験で、全範囲をやれなくなっています。
11年後には根室西高校はとっくにありませんから、根室高校生の学力低下は目を覆うばかりになるでしょう。
いやすでに始まっています。入試五科目合計点が70点台で合格した生徒も無事卒業していますから。商業科と事務情報科はさらにひどいことになっています。

「親力」の強化をしなければいけませんね。大人がしっかりしていないから、子どもたちの躾ができず、甘やかしてしまう。
小中学校も授業のレベルが下がってしまいます。これは先生たちの怠慢も大いにあります。

子供たちの学力が全国最低レベルにあるというのは、子どもたちを取り巻く大人たちが、きちんを自分の仕事を果たしていないということ。親もじっちゃんばっちゃんも学校の先生も市教委も市議会議員も・・・
後数年やれるでしょうから、しばらく抗います。そのためにふるさとに戻りました。生み育ててくれた大地や海や当時の大人たちに感謝。たいしたことはできませんが、根室人ですから自分にできる範囲のことはしたいと思います。

どうぞまたご訪問ください。

by ebisu (2014-03-02 13:45) 

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