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#1964-2 Married women want to work (2) June 9, 2012 [62. 授業風景]

(#1966「8の字あそび」でサイクリングの話しのところへ関係ない話題を入れてつい長くなったので分離しました。)

 高3年生が中間試験が終わって一眠りしてから5時に来た。#1964で紹介したジャパンタイムズの社説"Married women want to work"をテクストにして授業をやった。この社説は内容が濃い。最初は段落二つ分を読み、ノートそれぞれのセンテンスを書き写す。ぶつ切りにして辞書を引きながら日本語にしてもらい、意味が不明のところを丁寧に構文解析するから、同時に生きた文例を使って習い覚えた文法の総合チェックにもなる。
 国語の授業と同じように単語の意味解説や語彙解説も大事だ。前後関係でふさわしい日本語を考えてから辞書を引いて確かめる。大したことはないのだが、こういう作業を繰り返すことで知らない単語が出てきてもパニックに陥らないトレーニングに自然になるから不思議だ。
 employの派生語がいくつかある。employment, emplyer, employee。第一段落の終わりに出てくるemploymentは「雇用」という訳語を記憶している人が多いだろうが、前後関係からは「仕事」のほうがしっくりくるので、辞書を引くとそういう日本語が訳語の中に載っている。辞書はこういう使い方もできるんだと体験することが大切。こういう基本単語はついでに英英辞典も引いてみると楽しい。英英辞典の定義は英和辞書よりも具体的でわかりやすい場合が多い。
employ:verb PROVIDE JOB⇒1 to have someone work or do a job for you and pay them for it. How many people does your company employ?  Can't we employ someone s an assistant to help with all this papaerwork?・・・[人に仕事をさせるとかあなたに仕事をさせそれにお金を支払うこと…]
 三年生はブカツが終了するシーズンに入ったから、そろそろエンジン全開で大学受験に向けて英語長文トレーニングを徹底できる。
 ジャパンタイムズの記事を辞書を使って訳せるレベルになると、センター試験レベルなら長文は80%超の得点が可能だ。この生徒が半年でどんな風に化けるのか楽しみ。
 夏休みには大学2年生が大学院受験の準備ために英語論文の読み方を勉強しに来るので、その授業へ参加するかと誘ったら笑顔で「はい」。6年間通塾してくれた生徒が本気で中身の濃い授業を体験して潜在能力を開花させてくれることが塾長の願い。
 やる気のでた生徒にそれにふさわしいレベルの授業を提供してあげられる幸せ、根室はこれから全国一涼しい夏(=勉強の季節)を迎える。

*#1964 Married women want to work〔既婚女性は働きたいと思っている〕 June 7, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-06-07


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#1927 古典と英語長文の勉強のしかた May 7, 2012 [62. 授業風景]

 

 先週の金曜日のことである。
 中1に英語を教えながら、一人来ていた高2の生徒が数学のプリント問題から3つの質問があったのでそれを片付けたら、しばらく問題に集中して、手が動いている。ああ、理解できたんだなと思っていたら、あとは自力で解けたようだ。数学の問題が終わった、次は何をやるのだろう?

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 ニムオロ塾は個別指導&演習方式を採用している。基本がぜんぜんわからない生徒が複数いるクラスは数人まとめてグループ指導することがあるが、原則は個別指導&演習方式である。だから、流れるようなきれいな説明授業は必要がない。
 みて回って生徒を観察して生徒の疑問を触発することと、素朴な質問や暗礁に乗り上げている問題へヒントを出すとか、解法の説明をすることが私の役割だ。具体的な問題を中心に生徒の疑問に次々答えていく、コミュニケーション重視の対話型授業と言ってもよいだろう。学校の集団指導授業のように一方通行(先生⇒生徒)が主体ではない。集団授業でも上手になれば双方向授業を適宜使い分けできるレベルの人たちがいる、TOSSがそういう集団であるらしい。「上手な授業」がいいと思いたいが、学校の先生にはわからないだろうが社会人となってからのことを考えると危ういところがある。完全無欠な授業はありえない。でも、真摯に技を極める姿勢は立派だ。
 いい機会だから授業についてebisuの私見をメモしておきたい。わたしは勉強は自分が(あるいは自分で)やるものだと思っている。いつまでも教えてもらうものではない。いつかそれは「教わるもの」から「学ぶもの」に変わらなければならない。そういう点から見ると日本の伝統的な教育システムである徒弟制度はよくできており、学べないものは脱落するしかないからダメな者を振り落としいい者だけを選び抜くフルイの役割をはたしている。
 学ぶという言葉には自主的とか自立的という雰囲気が漂う、受身の行為ではなく、自らつかみとるもの26年間のサラリーマン生活から中高生の勉強はどうあるべきかを考え抜いた上の結論である。中高生時代に自分の頭で考え抜くトレーニングをしてこなかった者が社会人となって自分の頭で考えることはほとんどない受験勉強がよくできたものほど頭が固くて、責任が重くなるほどつぶれていく。臨機応変に仕事に対処できないのである。だから、パターン練習のような学習はほどほどにしたほうがいい。過度にやるとそういう思考回路からぬけられない固い頭ができあがってしまう。固定観念でしかものごとをとらえられない、あるいは考えられない頭になっでしまう。中高生の6年間続けたらそれは習慣となり、頭脳の枠組みをがっちり形作ってしまう。社会人になってもはずせないよ、目に見えないから自分でも気がつかない、仕事のできない人間ができあがってしまう。
 高校時代印象に残る授業をしてくれた先生(英語のS先生と簿記のS先生)は説明が上手だったが、このお二人の授業は三分の二の生徒たちに理解できないものだっただろう。それでよかったのだろうと思う。高校生になったらわからないことはいくらでも本が出ているから、自分で選んで買って調べればいい。それくらいの授業でないと生徒の潜在能力をひきだすことはできない

 大学時代のゼミの恩師市倉宏祐先生は哲学者であったから、一般教養ゼミで読んでいる経済学のテクスト(『資本論』と『経済学批判要綱』)を解説してくれるわけではなかった。学生に好きなように議論させておいてときどき哲学の観点から問題を指摘されたり、そのあたりを自分の専門分野の土俵にあげて敷衍してくれたりした。あるとき眠そうなお顔をしているのできいてみたら「今朝までイポリットの本を翻訳していて少し眠い」などと自分がそのときにやっていることを披露してくれたりした。われわれは出版されるとすぐにイポリットの分厚い2冊の哲学書に眼を通すことになる。翻訳技術についても例を出して解説してくれることがあったが、これがいまでも役に立っている。哲学の本ゼミはサルトルの『弁証法的理性批判』をテクストにしていたが、そちらに参加させてくれたりもしたので、哲学ゼミの学生がどういう議論をするのか参考になった。ひとりこちらの方に参加した学生がいたがいま母校で哲学の教授をしている。4年の時にはゼミの先輩の院生が二人参加してくれたので、3年間の一般教養ゼミはコヤシになった。
 あとで倫理学会長になられた先生は落下傘部隊員だったオヤジと同じ年の生まれで、ゼロ戦の教官だった。少年兵を訓練して特攻として送り出したことを話してくれたことがあったが、寂しそうな表情をしていた。学内での地位とか名誉とかにはいっさい執着のない人だった。学生運動が吹き荒れ、ゼミ生からも退学処分者をだした。理事者側との対立も当時は厳しいものがあったと推察できる、先生は退学処分に深く心を痛めていたに違いない。卒業して数年たったときに、歩いていてマンホールのふたが開いていたのに気づかず、転落して骨折ししばらく入院していたことがある。先輩と一緒に自宅へうかがったときに笑って話しをしてくれた。あの当時はまだインターネットがなかったが、フランスで開発されたコンピュータ言語prologを独習しでパソコンをいじってらっしゃって好奇心の強さに驚いた。あの当時はパスカルの研究をしていたはずだから、何か考えながら歩いていてマンホールのふたが開いていることに気がつかなかったのだろう。

 大学院時代の授業で面白かったのは一つは西アフリカの地理の授業だった。記憶に自信が持てないのだが入江先生ではなかったか。奴隷貿易時代の西アフリカ史や国際経済と絡めて考えていかないと現在の地理が理解できない。学校のカリキュラムでは無理やり分けられているが、歴史や経済や地理は現実世界では独立のものではないのだ。こういう視点で地理をとらえられるのかと俄然地理という学問に興味がわくことになった。地理一つ教えるのだっていろんな分野の専門書を読まざるをえぬ。
 もうひとつは一ツ橋の学長だった増田四郎先生の授業が楽しかった。ただ楽しいのではないよ、毎回授業で目の前に智の巨人がいるわけだからたいへんなんだ。いるだけで院生三人は大きなプレッシャーを感じ、気の抜けない授業だった。リスト『経済学の国民的体系』を読んだのだが、とりわけなにかを解説してくれるわけではない。決められたところを読んでいって質問があればする、そうして先生の考えを聴くことができる。どの程度考えて質問が出ているかは先生には丸見えだからヒア汗をかくことが何度もあった。他の院生の質問にたいしてそれぞれ自分の意見を述べ先生がふんふんと聞いていることも多かったが、折々にどういう勉強の仕方をしてきたか昔話をしてくれることがあった。授業に出席するためにリストだけを読んでいればいいわけでもなく、同時代の他の学説やリストの『国民経済学体系』が出てくる時代背景についても他の本を渉猟しておくのはあたりまえのことだ。その深さや浅さが議論の中に如実に出てしまう。時間がなくて下調べが充分でないとき、先生は苦い顔をするわけではなく、いつもどおり淡々と授業を終わる。それだけで院生三人に大きなプレッシャーかけることができる。「今日の増田さん、まいったな、来週の授業の前にざっとピント合わせをやっておこうか」、こうして院生3人で事前に勉強会をしてから次の授業に臨むことになる。こういうやり取りがたのしい。毎月駅前の喫茶店でビールを奢ってくれながら、1時間ほど談笑、われわれ学生数人と会話を楽しんでいるように見えた。授業中や「放課後」に自分のお弟子さんの研究の話をうれしそうにすることがあった。イタリアへ留学していたお弟子さんがもどってきて本を一冊書いた、それを取り上げてよく脱線したので『中世の窓』という本も並行して読むことになった。とってもうれしそうな顔でそのお弟子さんの話しをする、よほど気に入っていたのだろう。もちろん学風が似ていた。
 そういう脱線もたいへん役に立った。実証的な研究をしっかり積み上げるという学問のやり方に影響を受けたことは間違いがない。変えろといわれたわけではないが、ああ、そういうものなんだなと勝手にこちらが納得した。ああしろこうしろとは決して言わない人で、親分肌の先生だった。文系の大学院というのはどこか徒弟制度に似ているような気がする、師は弟子が育ってくるのをじっと見ているところがある。もちろん要所要所で必要なサジェッションはあるし、問えばこたえてはくれる。しかし自ら学ばないものは脱落するしかない(スリークッション世界チャンピオンの小林先生にビリヤードを教えてもらったときもまったく同じだった、そのことはすでにブログに書いたから興味があったら検索してみるといい)。
 このほかにも木原先生とリカード『経済学及び課税の原理』をテクストにした授業が楽しかった。この授業の終わりに国際経済論について経済学の体系構造との関係から百枚弱の論文を書いたら、たいへん喜んでくれた。笑顔のいい先生だった。院生は一番多いときでたった9名だったから、ほとんどの授業が2~5名くらいの贅沢なものだった。

 こういう圧倒的な智の人を間近にみて、乗り越えてみたいと素直に思うのも学生の若さの特権である。だから、学校の先生は圧倒的な専門知識をもってそこに存在しているだけでいい。そういう師(先生)のありかたもあるとebisuは思う

 わたしは上手な授業という技を磨くことは否定しないし、下手な授業よりも上手な授業がいいことは認めたい。しかし、それだけでもないから話しはややこしい。そういう世界とはまるで別の世界もある。毎日十数時間、起きている間は食事をする以外はほとんど研究に費やす、考えて考えて考え抜くかけがえのない時間を数年以上もち、そして広い教養を兼ね備えた智の人にであえば自然に頭が下がるものだ。そういう人には何かを教えてもらうのではない、学ぶのである。「教える⇒教えられる」という関係ではなく、「智の人の存在⇒学ぶ」のである

 ある大学で教えている旧友のEさんが、中学校や高校の先生はもっともっと専門書を読み勉強すべきだとメールに書いてきたことがあった。専門分野を極める努力をしていれば自ずとにじみ出てくるものがある。そういうものに触発される生徒も少なからず存在している。そういう視点からは教師は圧倒的な専門知識の量を積み上げて生徒に対すべきだという論が成り立つ。受験参考書レベルの知識を切り売りするのでは情けないという価値観がそこにはある。それが正しいかどうかはわたしにはわからぬが、私はそうありたい。先生を通じて学問への熱い情熱に触れることの大切さを繰り返し言っておきたい。
 中高の先生たちは、授業スキルを上げると同時に教える専門分野についての学識を深めていくことの両方が大切なのだろう。たった4年間の大学時代の勉強などなにほどのことがある、問題はそのあとの研鑽だ。ブカツに明け暮れて自分の専門領域について過去1年間ひとつも読んだ本がないような教師は教える資格なしとは言いすぎだろうか

 手取り足取り教えられるのは中学校で卒業した方がいい。そんな癖がついてしまったら社会人となったときに困る。26年間東京でいくつかの業種でサラリーマン経験のある私がいうのだからいくもの具体的な事例に基いての結論だからしっかり聞いてほしい。
 「教えてもらう」のではなく「学ぶ」訓練を高校時代にはしておかないと、だめだ。自主的に自立した思考や行動を積み重ねることが大事なのだ
 中高生のときにそういうトレーニングを怠るとそれ以後に影響が大きい。中学校の先生たちも高校の先生たちもそうしたことに気がついていない。もちろん塾先生の多くもだ。大学生や院生になったときにも困ることになるのだが、社会人となり管理職となってから決定的にきつい副作用が出る。そのあたりについては弊ブログで具体例を何度かとりあげている。
 わたしはニムオロ塾が自分の頭で考え、自力で問題を解く道場の役割を果たせればいいと思っている
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【古典の勉強の仕方】
 高2の生徒が数学のプリントを終わり古典の問題集を出して解き始めた。
「古典面白いだろう?」
「いや、先生ぜんぜんわかんないっす、どうやったらわかるようになるんでしょう?」
「たいして読んでいないだろう?勉強時間がたりないよ、古典も日本語、ある程度の量を読まないとダメ」

 で、勉強の仕方だが、たとえば源氏物語を100ページほど読む。ただ読むのではない、ノートに書き写して、辞書を引いて、一語一語品詞や活用を確認していく。現代語訳も自分の訳を書いていく。けっして先に他人の訳を参照してはいけない。
 百ページそういう作業をしたら、今度は林望訳の『源氏物語』と自分の訳をつき合わせてみよう(突合せは10ページ単位でもいいよ)。いい勉強になるはず。この百ページをやれるかどうかが分かれ目だ。 

 これだけやれば、つぎの百ページは作業時間は四分の一になっているだろう。ほかの本を読んでもずいぶんわかるようになっているはず。興味のおもむくままに物語から日記物、随筆、短歌や俳句に手を伸ばして楽しめばいい。あまりやりすぎると文学部へ進学して就職で苦労することになる。(笑い)
 でもトコトンやるのはたのしいものだ。

【英語長文の勉強の仕方】
 英語の長文も同じだ。根室高校で学年トップでも英字新聞レベルは辞書を使ってもほとんど読めないのが現実だ。無理もない、理由は後のほうに書くことにする。
 英字新聞の記事を20ほど選んで、ノートに原文を写し、構文解析をしてみたらいい。複雑な句構造はセンテンスに落としてみれば意味がはっきりする。じっさいには生成変形英文法を知っていた方が構文解析に深みが出るからいいのだが、高校生にはムリだ。だれか知っている先生に手ほどきを受けたらいい。
 意味がわかったら、何度も原文を音読してみることだ。意味と原文が頭の中で幸せな結婚をすることになる。それが君のストックになる。
 興味のある記事を20個やればずいぶんと英字新聞記事が読みやすくなっているはずだ。
 大学へ進学したら同じやり方で専門書を100ページほど構文解析・精読・音読してみたらいい。スキルが格段にあがる。どこの大学院を受験しても英語は合格できるだろう。生成変形英文法は専門書に眼を通した方がいい。

 荒っぽい言い方をすると読解力は三つの要素からなる。
 ①書かれてあることの周辺知識あるいは専門知識
 ②構文解析力
 ③コンテキストを読む力

 書かれてある事柄にかんして周辺知識があるかないかで読解力に差がでるのはあたりまえのことだろう。経済記事は経済の専門知識がないと読めない。医療もそうだ、毒性の強いウィルスのインフルエンザ、SARS騒ぎで免疫系の説明が載っていたがこの記事を読むためには免疫系に関する専門知識が必要だろう。会計基準に関する記事を生徒と読んだことがあるが、専門用語の解説を逐一しないと理解できなかった。普通科の生徒よりも商業科や事務情報科の3年生の方がこういう記事は理解できる。
 すこしだけ脱線を許されよ。英語が得意な高校生の中には通訳を目指しているという生徒がいる、当塾にもほかの塾で学んでいる人が通訳になりたいと二人来たことがあるが、通訳の仕事がどういうものであるか説明して、英語の前に専門分野の勉強が必要と伝えると、びっくりした顔をしてそれっきりになる。嘘をつくわけにはいかないので、何人きてもわたしは同じ説明を繰り返すことになる。どういうことかというと、英語の勉強の前に通訳をする分野の専門知識が必要なことはもうおわかりだろう。どういう分野の通訳になるのかターゲットを決めてまずはひとつの専門を極めておいた方がいい。本職の通訳なら仕事上いろんな専門分野の本を大量に読まなくてはならぬ。専門用語がわからなければ通訳などできるはずもない。少し英語ができるぐらいで(英検2級レベル)でできる仕事はツアーの添乗員か派遣のCAくらいなもの。どちらも年収が低くてそのうえ安定しないからプロとして飯を食っていくのはたいへんだから覚悟しておいた方がいい、つまりそういうレベルの英語では仕事であまり武器にならぬ。
 たとえば、病理学の国際学会が開かれたとしよう、病理学の知識のない通訳では仕事ができるわけがない。事前に専門書を読み、専門用語について知識をえておかなければ仕事をひきうけられない。自分の専門外の分野でも仕事を引き受けるからには事前にその分野の専門用語に眼を通しておかなければならぬ。国際学会でとりあげられるのは先端情報であることが多いから出席者の最近の論文にも目を通しておくことはあたりまえだ。狭い業界だから半端な事前準備で失敗したら、もう次からその分野の仕事は来ない。ロシア語通訳の米原万里さんが著書の中でそういうことを具体的に書いていたから読んでみたらいい。エッセイは軽妙洒脱なうえにときどきエッチな話しもまぜて楽しい。
*米原万里(ウィキペディア)
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E5%8E%9F%E4%B8%87%E9%87%8C
 意味がシンプルセンテンスにあることは生成変形文法上ハッキリしているから、複雑な句構造はセンテンスにおとせば意味が理解できる。私のいう構文解析はこうした手続きまで含む。英字新聞のセンテンスは高校教科書レベルよりも複雑である。だから、ある程度構文解析のトレーニングをうけないと歯が立たぬ。大学3年次でも辞書をつかって英字新聞記事を読めるなら、大学院の英語の試験は合格レベルにあると判断していい。専門書を読むのに語彙をのぞいて何の問題もないはずだ。
 ついで、段落ごとのコンテキストを読む力も文章全体の理解には必須である、これもあたりまえのことに属しているだろう。
 翻訳者をめざしているという高校生のために翻訳技術について言えば、4番目の要素としてさらに日本語の表現力をくわえなければならぬ。最後は日本語能力が物をいう。必要な専門分野の勉強をして専門用語を理解しておく、そして良質の日本語テクストをたくさん読んでおくことだ。英語の勉強だけしていてはいくら時間を費やしても読解力がつかないのは道理だよ、この点を勘違いしている大人が多い。高校生諸君、わかったかな。

 焦点を三つに絞ってトレーニングをすれば読解力は飛躍的に上げられる。

【まとめ】
 ようするに、近道はない、「学問に王道なし」はここでも真実だ。
 英語の勉強の仕方も古典の勉強の仕方も同じ方法でやりうる。
 夏休みを利用してとりあえず「毎日10時間×14日間」、古典でも英語でも集中的にやってみたらいい。違う地平をみることになるだろう。
 
 さあ、やりかたは公開した、あとは君の決断次第だ。やってみるかい?もちろんとってもきついよ。

 うっかり忘れるところだった、根室高校トップクラスの生徒でも英字新聞記事を辞書を引いても読めない理由だったね。3つの要素が揃わないからだ。もちろん適切な先生についてトレーニングをした生徒はその限りではない。

【余談】
(簡単な会話は別としてこういう英語能力を育てるのに小学校から英語を学ぶ必要がまったくないことが理解できただろう。小学校では良質の本を選び日本語の語彙を増やすべきだ。中学校では小学生時代に培った読書力で興味のある分野の本を片っ端から読む、そう濫読の時代だ。そういう時代をへてはじめて日本語でいろんな分野の専門書が理解できるレベルの知力を育てられる。必要に応じて特定の専門分野の本を消化できる能力は高いレベルの基礎学力を要求する。
 翻訳まで要求するなら日本語の良質のテクストをたくさん読んで日本語の語彙を増やすと同時に表現のセンスを磨いておかなければならない。英語の勉強に投下した時間よりもずっとたくさんの時間を古典を含めた日本文学を読むのに費やさなければならない。社会人になったら、あんがいそうした仕事が回ってくることがあるものだ。訳文をみただけでその人の力量が判断できるから怖い。きちんと勉強した人にはチャンス。
 日常会話程度(英検2級レベル)で年収の安定したプロとしてやっていけるような仕事はほとんどないというのが26年間東京で4つの業種で働いたebisuの結論だ。その程度の力で輸入商社に入社した英文科卒の社員が使いものになるのに3年間かかっていた。上司の指導の下で3年間トレーニングしないと使いものにならないのが仕事の世界だ。
 上司の指導というシステムを欠いた学校では新人の先生たちのスキルを磨いてくれる人は存在しないから、自分で磨くしかない。3年間はそれこそ次々と専門書を読破して知識を積み上げなければならない。授業のやり方も自分で工夫しなければならぬ。そんなことができるのは百人に三人程度だろう。最初の5年ぐらいはブカツに精を出す時間なんてないのだよ。本業への努力を怠ってブカツに一生懸命になっている、何たるおろかさ。本末転倒だが、これが根室の中学校の「常識」になっている。世間の仕事の常識とはずいぶんかけ離れているから、もっと学校外の人間と話しをしたほうがいい。)

<余談-2>
 リスト(1789-1846)『経済学の国民的体系』は1841年に刊行されている。アダム・スミス『諸国民の富』が1776年、マルクス『資本論初版』が1866年。 

 

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#1872 ほんとうはとっても面白い英字新聞読解:Much to learn from crisis report Mar. 9, 2012 [62. 授業風景]

 2年生(4月から3年生)の生徒が一人、英字新聞記事を勉強したいというので、どの程度の力があるのか測定するために最近の社説から一つ選んで段落二つをノートに書いて訳してもらった。
 記事を検索してみたがヒットしないので、ジャパンタイムズ紙の3月5日の社説から冒頭の段落二つを抜き出して紹介する。この程度でも平均的な高校生(根室高校普通科ではできるほうの生徒)には結構難しいのである。

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―わたしたちが原発事故報告書から学ぶことはたくさんある―

      Much to learn from crisis report 

   A report made public Feb. 27 by private-sector independent panel set up by the Rebuild Japan Initiative Foundation reveals in detail how the government handled the crisis at Tokyo Electric Power Co.'s Fukushima No.1 nuclear power plant.

   Citing factors that exacerbated the crisis, the report points a finger at the government's utter lack of preparedness for a severe nuclear accident, its haphazard handleing of the catastrophe, and bureaucratic turf wars among government organizations that prevented timely and effective response to the crisis.
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private-sector independent panel :福島原発事故検証委員会のことで、民間人で組織された事故調査委員会である。政府機関の調査では信用できないからこういうことになっている。

the Rebuild Japan Initiative Foundation :財団法人日本再建イニシアティブ、非営利のシンクタンクで昨年9月設立

point a finger at:指摘する、公然と非難する
(見ただけで見当がつくからなのか、生徒が引いた電子辞書のジーニアスには出ていなかったが、ジーニアスの4版には出ている。「人を名指しで批判する」)
 pointだけで「指摘する」だが、指摘は日本語でも指の字が入っている、英語でもfingerがあるのでなるほど日英は同じような表現をするのだなと感心してから辞書を引くくらいの余裕がほしい。こういう単語は慣れてくれば意味の見当をつけてから確かめるために引くのだが、生徒はそうした見当をつけずに辞書に飛びつく。慣れの問題だから、その都度説明してやれば、生徒はしだいにそういうものだと思う込むようになる。そうなればしめたものだ。ツーステップぐらい読解技倆があがっている筈だ。次の熟語も前後関係から検討がつくようになったらうれしいね。

turf wars:(省庁間の)縄張り争い
"among government organizations"はほとんどに人がわかるだろう、「政府組織=省庁間」でそれとセットなのだからもう一歩のところに意味が転がっている。どうだい、新聞英語の授業は知的で面白いだろう?
 
 make は名詞や形容詞を一緒に用いられることが多いから、そうした用例が頭の中にあればmake publicで「公にする」とか「公表する」という訳が浮かぶだろう。make happyを訳せない高校生はあまりいないだろう。主語はa reportで本動詞はrevealsと見抜ければ後は簡単である。この文章は次のように単純化できる。

A report reveals something.

 somethingのナカミがちと長い。
 made以下は主語である「レポート」の説明である。関係代名詞とbe動詞を2箇所に補ってみれば主語を修飾する複文が二つ組み込まれた文であることがわかる。目的語がhow節になっていることも初めて英字新聞社説を訳してみる生徒を悩ませた。

 気になって高校の教科書をざっと見たことがあるが、一つの文に関係節が二つ組み込まれているケースは滅多に出てこない(私が見つけたのは一箇所のみ)から、こういう構文にまごつく。複雑なように見えるが案外簡単なのだ。
 第一段落は四つのsimple sentencesに分解できるから、やってみればいい。
 (デカルト『方法序説』の科学の方法の一節「四つの規則の第二」より、 「必要なだけの小部分に分割すること」。数学のできる人は同じ方法で長文読解もできるようになれる)


 文の構造は次のようになっている。

   A report [=made public Feb. 27 by private-sector independent panel] [=set up by the Rebuild Japan Initiative Foundation] reveals (in detail) how the government handled the crisis at Tokyo Electric Power Co.'s Fukushima No.1 nuclear power plant.

 【試訳】
「2月27日に民間事故調査委員会から公表された報告書は政府が福島第一原発事故をどのように取り扱ったかを詳細に明らかにしている。なお、この民間事故調は財団日本再建イニシアティブによって設置された。」

 こんなに長ったらしく訳す必要はない。意味が取れればいいだけだから、ぶつ切りにして訳出し、文の構造が見抜けていれば試験の際には充分で、それで90%以上正解できる。

  ニムオロ塾の時事英語は長文読解トレーニングだが、スラッシュ・リーディングもやるが、こういう構文解析もしっかりやる。なれてくればスラッシュ・リーディングしながら構文解析が同時進行で可能になる。結構な量のトレーニングをやらなければ腕が上がらないのはスポーツと同じだ。
 日本語の本をたくさん読んだ人は英文も理解が速いし、訳文もこなれたものが書ける。恥ずかしいから英語の単語を日本語に置き換えるような和訳レベルからさっさと抜け出そう。

 慣れるのに早い人でも半年程度はかかるだろう。長文が90%読めれば、偏差値が45~50の人が60を超えることになる。大学の時事英語授業でもこんなレベルで解説しているところは少ないよ。本当は大学院を受験する人に受けてもらいたいくらいの授業なんだ。こんな授業をやっている塾は北海道ではニムオロ塾だけだろう。テクストを英字新聞から専門書に変えるだけで大学院受験用の授業となる。

 二番目の段落は自分でやってみてほしい。わたしには日本人スタッフの書いた社説にみえる。
 なお、冒頭の段落と2番目くらいまで修辞上こった文であるケースが多いが、残りの部分はわかりやすく読みやすい文章になっているので安心してほしい。出だしの部分は論説委員も力が入る。

【ebisuのコメント】
 この民間事故調査委員会の報告書によれば、原子力安全保安院はメルトダウンの事実をつかんでいたが国民に知らせなかった。こういうことをするから政府機関のいうことに信用がなくなる。当時の枝野官房長官もその事実を知っていたことをこのレポートが明らかにしている。情報を隠したせいで周辺住民が現地にとどまり大量に被曝することになった。とくに内部被曝がこれから大問題になるだろう。甲状腺癌や遺伝子障害によるさまざまな疾病が数年から数十年かけて数十万人の人間に現れる。情報を知っていたなら躊躇せずに80キロ県内からの避難命令を出すべきだったのだ。自分たちの政権を守るために、こういうズルく卑怯な行いを平気でしてしまう人間が多いことを憂う。わたしは菅元総理も枝野元官房長官も重大犯罪人であると思う。知っていながら数十万人の人を避難させなかったのだから。チェルノブイリ事故直後のロシア政府と比べてもはるかに劣る対応だった。
 民間の事故調査委員会が明らかにしたことは、福島第一原発事故による周辺住民の放射能被曝は単なる原発事故ではなく、国家権力による情報隠蔽によって引き起こされた犯罪だった。
 中学校の先生たち、大人の人格は中学生のときにその基本がつくられてしまうから、ズルイこと卑怯なことはダメだとはっきり生徒に言ってくれ、「宿題の答えの丸写しなんてとんでもない、わからなかったら放課後のこれ、トコトン教えてやるから」くらいのことを言ってほしい。こういうズルイ大人たちの増殖を防ぐことはできる。
 枝野氏はいま、経済産業大臣だが、その言を何人の国民が信用するだろう、厚顔無恥を絵に描いたような人。

  11段落目に書いてある。

  The report reveals that Yukio Edano, then chief Cabinet secretary, feared a "demonic chain reaction" of reactor meltdowns not only at the Fukushima No.1 plant but also at the nearby Fukushima No.2 nuclear power plant as the spread of radioactive subsutances forced workers to flee, as well as at the Tokai nuclear power plant in Ibaraki Prefecture.

 "demonic chain reaction" of reactor meltdowns : メルトダウンから生じる"悪魔的な連鎖反応"

*菅元首相も初日からメルトダウンの可能性を知っていた
「初日に炉心溶融指摘 対策本部の議事録公開」
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120309/dst12030911340008-n1.htm

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*またも後出し
 写真でみると3号炉は格納容器の黄色いふたが爆発で吹き飛んでしまっているから、燃料のブルトニウムの微粒子が飛び散ったことは想像に難くない。それにしても北西や南に20~32キロも離れたところで検出されている。昨年4、5月に採取した落ち葉や土からなんでいまごろ・・・こんなに遅い発表は意図的な情報隠しの疑いあり。事故調査委員会に調べてほしい。
「プルトニウム241を初検出「豆類蓄積の恐れ」と警告 放医研」
http://sankei.jp.msn.com/science/news/120309/scn12030900590000-n1.htm

 
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#1854 あの問題の中1クラスの授業はどうなったか? Feb. 22, 2012 [62. 授業風景]

 塾を開いて以来の問題児(?)が集まった中1クラスが様変わりし始めた。
 一番問題行動の多かった生徒(#1843で居残りさせられて真っ赤な顔をして不満タラタラの顔をした生徒である(笑い))が、自ら「勉強する」と言い出した。先週あることがあって身にこたえたのだろう。何があったかは書かないが「このままでは信頼を失い自分の将来に影響する」という自覚が生まれた。いままでの怠惰な自分と決別するという心が伝わってきた。ふてくされながらもこれではいけないと心の中では戦っていたのだろう。
 何かをきっかけに生徒は変わるものだから、じっと待っているということも教育には必要なのである。

 しゃにむに変えるよりも自ら変わるほうがずっといい。時期が来ていないと、同じことを言っても反発が強くなるだけである。しかし、蕾が膨らみ花が開く時期が来るといままで繰り返し言っていたことの意味が身にしみてわかるのである。

「先生、オレわかんないから勉強する」
「お、やる気がでたか?」
「全部わかんないから一から教えて」
「前の空いている席に出ておいで、それから全部一遍に教えることなんてできないよ、一つ一つだ。どこがわからないかワークで問題を探してごらん」

 学年末テストの範囲は反比例のところからはじまっている。何度目かの質問に答えているときに後ろの席で数人お喋りが始まった。次々に伝染したところで説明を聞いていた生徒が、
先生、聞こえないんだ
「そうだろう、いつも君が後ろでおしゃべりを始めると説明が聞こえなくてみんな迷惑していたんだ、わかっただろう?迷惑なんだよ」

 はっと気がついた顔をした。
「わかった、迷惑だ、そういうことだったんだ、こんどから気をつける、きちんとやるよ」

「それじゃ、問題の説明に入るけど二つだけ暗記しないといけないことがあるから、ノートにしっかり書こう」
 ①y=a/x
  ②xy=a
「この二つの式だけは暗記する、いいね。両方使い分けができると便利だからね」
・・・

 対応表もつくってみた、グラフも3度描いた、①と②の式の使い分けも何度も練習した。定義域に対応する値域も仕組みを理解しながら2題やってみた。
 「これでわかったと思うなよ、家でかならず復習して来い」
 「わかった、先生」
 「"わかったじゃない”、返事は"はい、やってきます"だ」
 「はい、やってきます」

 ああ言えばこう言う生徒で、口答えや屁理屈が多かったが、今日はとっても素直で狐につままれたようだ。
 「先生!僕も前に言っていいですか?」
 「よし、この席においで」
 他の一人が釣られて一緒に勉強に集中しだす。
 お喋りが伝染しやすいクラスは、集中力も感染するようだ。今日かれには一度も「勉強しろ」とか「集中しろ」とは言わずにすんだ。
 来週もこの調子でやれたら半年後の成績が楽しみだ。成績下位層の生徒が何人もまとめて中位層へ引っ越すことになればうれしい。学年末テストまでの2週間に集中力をつけてやりたい。

 お喋り相手が二人とも一番前の席へ行ってしまって一人取り残された生徒が手持ち無沙汰だ。
 「先生、オレ塾やめよっかな」
 「辞めていいよ、家できちんと勉強すれば何の心配もいらないが、いまのままなら根室西高校は卒業できない。中途退学になるだろうから、自分に向いた塾を探して勉強したほうがいい」
 「・・・」
 ebisu先生は駄々をこねる生徒には冷たい。
 この生徒は先週、授業態度が悪くて叱られると、「オレ、ほめられてやる気が起きるタイプなんだ、叱られるとやる気がなくなる」と不満を言った生徒だ。10ヶ月間、ほめようが叱ろうが授業中のお喋りが止まらなかった。まだ、こころに受け入れる準備ができていないからこの生徒はまだまだ時間がかかる。やる気を出した生徒たちが離れていくからさびしい思いをするだろう。そうした悩みが自分を変えるきっかけになればいいが・・・簡単にいかぬことはこの10ヶ月間でこちらも充分承知している。
 成績下位層は成績上位層の何倍も手がかかるが、どうしようもなく手がかかる中にめんこくなる生徒が出てくるのは事実だ。
 


*#1865 「グラフにヒョウスってどういうこと?このままでは高校卒業できないよ」  Mar. 4, 2012 
  
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-03-04

 #1854 あの問題の中1クラスの授業はどうなったか? Feb. 22, 2012
 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-02-22-1

 #1843 「真っ赤な顔で… :先週の中1英語授業から」  Feb. 13, 2012
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-02-13

 #1839 中2成績中位層の日本語語彙 Feb. 12, 2012 
 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-02-12

 #1837 中学1年生 日本語語彙の現実  Feb. 10, 2012 
 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-02-09-1

 #1829 中1の語彙力の実例 : これでは先生たちの授業も理解できぬ  Feb. 5, 2012 
 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-02-05

 #1823 激烈な競争から這い上がれ:団塊世代の友人からの手紙 Jan. 31, 2012 
 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-01-31

 #1810 悩み Jan. 22, 2012 
 http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-01-22

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#1848 数学の中の英語と抽象的思考:母校授業参観(3) Feb. 17, 2012 [62. 授業風景]

 オープン授業参観レポートの3回目、面白いと思ったことや気になったことをいくつか採り上げる。前回や前々回の詳論になっている部分もある。東京で二十数年間サラリーマンをした経験のある企業人が母校の授業参観をどうみたか、あるいは私塾経営者がどう見たか、根室中学校が現在の校名に変わったときの新入生でもあるから近くに住む卒業生がどうみたかと考えていただいてもいい。私同様にさまざまな顔をもった人々がオープン授業参観を歓迎している。
 学校のこのようなオープンな運営に感謝して、率直な印象を3回に分けてつづった。物言いに失礼なところが多々あるだろうが広い心をもってお許しいただきたい。
         ―小中学校教育は人づくりと根室の町の礎―
 そういう思いを深くした。

 【数学の中の英語】
 球の表面積を説明するときに4πr^2という公式が導き出された。その時に、数学担当の先生はS=4πr^2と書きながら、Sとrが英語で何を表しているのか口頭で説明した。つづりを書ける生徒はほとんどいないだろう。
 Sはsurface(サーフェス)面積や表面を意味する、rはradius(レイディアス)で半径を意味すると、遠慮せずに堂々と板書してほしかった。相手が中1だって構わぬ。わかるわからないという配慮は要らない。語彙を拡張する大切さを感じてもらうだけでいい。

(2月20日追記:「釧路の教育を考える会」のメンバーである合格先生からコメント欄へ書き込みがあった。かれは球の表面積を"surface area"と教えているという。
 マクミランとCALD英英辞典を引いたらsurfaceはflat areaに使い、立方体や球の表面積は"surface area"というのが正しい。合格先生のブログは論旨が明確で分析が鋭いのだが、普段からこういう風に厳密に教えているから書くこともきちんとしている。(ニヤリ))

 私は中学数学を教えるのにSも体積のVも距離のDも速度のSやVも、f(x)もnCrもnPrもお構いナシに使うが、すべて英語を板書するようにしている。
 私塾では数学の時間に英語を教えてはならぬというルールはないから、学習指導要領なんてお構いナシに必要に応じてなんでも教えてしまう。成績上位層は貪欲に何でも吸収してしまうものだ。彼らの「食欲を満たす餌を投げ与える工夫」も必要である。
 3年生対象に10月から半年間毎週土曜日に社会の補習をしているが、WHOやIMFが出てくれば
"World Health Organization"  
"International Monetary Fund"
と黒板に書く。略号は元の言葉と結びつくと意味とセットになるので記憶にしっかり定着する。

 なぜ授業でこういう手間をかけるかというと、人間の頭は無意味なことより何らかの意味のあることのほうが記憶しやすいようにできているのと、生徒に原語の意味を説明することで知的好奇心を刺激することができるからである。
 一つ例を挙げておこう。高校生になると情報処理が教科として取り上げられているが、コンピュータ関係はもともとの言葉が英語のものがほとんどで、しばしば原語を知らなければ意味がつかめない。たとえば、情報処理3級の問題にはEXCELと一部RDBが出題されるのだが、RDBが何かはこの3文字をいくら眺めてもわからない。しかし、"Relational DataBase"の略だとわかればなんとなく安心できるだろう。もちろんACCESSのようなソフトでプログラミングして自分で使ってみなければ本当のところはわからないのだが、とりあえず「関係+データベース」を頭の中にしまっておき、納得がいかなければさらに調べればいい。知的探索の旅はRDBを"Relational DataBase"と置き換えるところからはじまる(私にとっては1983年に産業用エレクトロニクスの輸入商社で統合システム開発を任され、社内導入を検討したIBMのシステム36というRDB専用マシンが懐かしい。「小型汎用機」の範疇である。いまではパソコン上で動くACCESSのほうが比較にならぬほど強力である。まさかその1年後に転職して最大手の臨床検査会社で富士通最大の大型汎用機を使って東証Ⅱ部上場のための統合システム開発を担当することになるとは考えもしなかった。システム開発スキルを磨くにはとてもラッキーだった。仕事がなければスキルを磨くことはできぬ)。
 そのようなわけではっきりとは言えぬが、中高生のときから略号が何を表すのかを辞書で確認する習慣を育てることは意味があると私には思える。
 わたしは業種の違う会社を選んで転職を繰り返した。マルクス(やスミス、リカード)の労働概念に根本的な違和感と疑問がありそれを解消したかったからだが、それは経済学ノートのカテゴリーで論じたことがあるのでおいておく。仕事は本社管理部門が大半だが、同じ会社の中にいてもさまざまな仕事を担当したから、管理会計学、エレクトロニクス、コンピュータシステム開発、医学などのさまざまな分野の本を原書で読む必要に迫られた。時代の先端を行く仕事をするときにはつねに原書を読まざるを得ないもので、翻訳がでるまで待てないことがしばしば起きる。
 将来、英語で書かれた専門書を読むことになる者がいま教えている生徒たちの中にいるかもしれない。彼ら・彼女たちの知的好奇心を育むことも授業の大事な役割である。カタカナが出てきたら、略号が出てきたら、ebisuはとりあえず原語を板書して生徒に投げつけておく。
 中学校だって高校だって結局はどういう社会人を育てるかということが究極の目標としてあるから、ときに遠くを見据えながら足元を固めてしっかり教えたいではないか。

【抽象的思考とaha!】
 風船やらなにやら道具を準備して教えるのはなかなかたいへん手間のかかることだろう。
 しかし数学は本来抽象的な学問であり、抽象的思考の極みであるところが最も面白いところである。リアルの世界での工作で帰納的な推論形式にこだわりすぎると墓穴を掘ることもある。『ユークリッド原論』によれば演繹的な推論形式こそが数学本来の形なのだ。素直に抽象的な推論の楽しさ、面白さを味あわせてあげればいい。
 紙風船をいくら細かく切っても三角形にはならぬし、それらを貼り合わせても長方形には絶対にならないのだが、それを頭の中で無限に繰り返すと・・・長方形になる(?)現実にはありえぬが抽象概念の世界ではあるのだ。現実は常に不完全であり、完全なものはイデアの世界にのみ存在する…

 球面が平面に置き換わること自体がたいへん不思議だし、その仲立ちをπ(パイ)がしているというのも実に不思議だ。数学は不思議と単純な美しさにみちている。そういう不思議さやシンプルな美へ案内することも中高生の授業では大事なことなのではないだろうか。

【恐るべし!放課後補習の威力】
 集団指導である学校と個別指導のニムオロ塾では授業の目標自体が違うようで、それはそれでいいのかもしれない。学校と私塾で役割分担がなりたてばいいという考え方もあるのだろう。
 だが、学力下位層に対する対応だけは譲ることができない。放課後補習が最善の方法である。
 C中学校にいた数学担当のY先生がある生徒の成績が急に上がったのでその生徒に聞いたら、「ニムオロ塾に通って勉強しています」という返事。そういう生徒がたまたま二人続いた。十数点の生徒がいきなり80点を超えたのである。まもなくY先生はA中学校へ転任されて、前回学力テストが0点と10点台の二人の生徒が期末テストでそれぞれ80点台と70点台の点数をとった。一月しかたっていないから生徒に尋ねた、「どうして?」と。生徒二人は「ニムオロ塾で勉強しています」と答えた。
 どんな教え方をしたのか驚かれただろうが特別なことは何もない、魔法でもなんでもないのである。1ヶ月間学校が終わるとまっすぐに塾へ来てもらった。そして、問題をやらせながら、わかっていないところだけピックアップして教えただけである。毎回出る質問に答えることと、ノートを見ながらわからないところを探知してそこを教えるだけである。生徒は黙々と問題に取り組んでいる。集中力の高さがびんびん伝わってくれば心配ない。
 本人にやる気があれば1ヶ月の個別補習で大きな成果はあげられる。本人のやる気と素直さがカギだ。やる気のない生徒にはいくら個別補習を繰り返しても効果はない。やる気があり自ら努力する生徒は「助けられる」。Eさんが「自ら這い上がってくるものは助けられる」と以前メールで意見を寄せてくれたのをご記憶だろうか?まさにその通りなのである。
 だから、放課後補習をきちんとやれば成績下位層の一部の生徒の点数は劇的に上げられるから、学校の先生はなぜ放課後補習をやらぬと私のほうが尋ねたい。自分の教え方のまずいところが、改善点がいくらでも見つかる。補習をやらない限り自分の教え方の欠点はわからないのではないか?
 土曜日の午前中はブカツ禁止にして補習をしてみてほしい。週に1日は放課後補習日を設けて10人くらいを相手に個別補習をやってみたらいい。

 わが母校は数年前までずいぶん荒れており、授業中に騒ぐ生徒が多く、先生の声が聞こえないことがしばしばあったと聞いていたが、三つの授業を見た限りでは生徒は落ち着いて授業を聴いていた。これなら学力の改善はできる。2月学力テストの中2数学の平均点が70点前後だったのはまぐれではないのだろう、今後に期待している。

  先生たち、還暦を過ぎた私と違ってあなたたちは可能性にみちている、渾身の力で母校の後輩たちをよろしくご指導願いたい
    m(_ _)m


【生徒たちよ現在の生活レベルを維持したかったら勉強しろ】
 数学や理論物理学があらゆる産業の礎とは『国家の品格』の著者の至言である。生徒たちよ、いまの生活水準を維持したいなら、数学や理論物理学を徹底的に学べ。君たちの世代が豊かな暮らしをできるか否かは君たち自身がどれだけ勉強するかにかかっているのだ。

 『博士の愛した数式』の著者小川洋子と藤原正彦の共著に『世にも美しい数学入門』という本があるので紹介して授業参観感想記を終わりたい。

(数学に強い興味のある生徒にこの本をプレゼントしているが、もう十数冊になる。さまざまな「数の不思議」や数字に表れるシンプルな「美」を楽しんでもらえばいい。感動は魂を揺さぶる根元的な力である。)

博士の愛した数式 (新潮文庫)

博士の愛した数式 (新潮文庫)

  • 作者: 小川 洋子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/11/26
  • メディア: 文庫
世にも美しい数学入門 (ちくまプリマー新書)

世にも美しい数学入門 (ちくまプリマー新書)

  • 作者: 藤原 正彦
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2005/04/06
  • メディア: 新書
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*#1846 母校(中学校)の授業参観 Feb. 16, 2012 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-02-16

 #1847 英語と国語 学際的な話:母校授業参観(2) Feb. 17, 2012 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-02-16-1

 #1848 数学の中の英語と抽象的思考:母校授業参観(3) Feb. 17, 2012 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-02-17


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#1847 英語と国語 学際的な話:母校授業参観(2) Feb. 17, 2012 [62. 授業風景]

 授業参観レポートの2回目である。私塾で教えている側からの気になった点を採り上げる。

 一つ目は助動詞。英語の授業で「助動詞」を採り上げていたが、生徒はそもそも「助動詞」という言葉の意味がわかっていたのだろうか?
 ここで採り上げていたのはcan、could、will、must、mayだから、それまでに出てきたdoとは人称変化がないことや助動詞それ自体に意味があることなどを比べてもあきらかに違う。

 ニムオロ塾では質問する生徒がたいていはいる。「先生、ジョドウシってなに?」ってなもんで、英語の時間に「国語の質問」はよくあるパターンで普通のことだ。一人で英語も数学も教えているからだろうか、学際的な質問が自然に出てくる。「日本語と英語のジョドウシって関係あるの?」
 日本語の助動詞は種類が多い。受身・尊敬・自発・可能・使役・・・伝聞・推定・断定など。動詞と結びついて使われるところが英語と共通だが、活用があるところをはじめとして違いは大きい。

 参考までにウィキぺディアで助動詞を引いてみた。
動詞と同じような形態を持つが、他の動詞と結びついてなどを表示する機能を表す語である。日本語の「いる」、「ある」、英語の can, will など。
国文法(学校文法)では補助動詞と呼ばれる[1]。」

 相(アスペクト)という概念は日本語にはない。完了相や進行相があるが日本人には分かりにくく、翻訳するときにも自然な日本語にするのに気を使う。通常は助動詞としては扱われていない受動態のbe動詞も助動詞の範疇である。動詞には現在・過去・過去分詞・進行形があるが未来形はなく、未来は助動詞を使ってあらわす。授業で採り上げていたのは法の助動詞である。表にまとめるとわかりやすいが、すでに高校の範囲。
 このあたりでやめにしておこう。とにかく助動詞が厄介な問題を孕んでいることだけは了解できるだろう。言語の種類によってさまざまである。 

 ここでも日本語の助動詞との「対比」が概念を鮮明にする役割を果たす。AはnonAと対比することで輪郭がくっきり浮かび上がる。動詞と比べてみたっていい。もちろんebisuだってすっきり説明できるわけではないから、日本語の助動詞と英語の助動詞にはなにやらすっきりしないゾーンがあることがおぼろげに生徒に伝わればいい。

 国語の先生が授業で国文法をどこまで教えているかを承知していれば国文法と用語がダブル英文法の説明のしかたも変わってくるはずで、そういう意味でも国語と英語担当の先生の学際的なコミュニケーションはあるべき。
 学習指導要領だけ見ているのであれば英語の先生が国語に踏み込む必要はないが、国語と英語の間の学際的な疑問は助動詞に係わらずいくらでもあるのは当然で、そこへ踏み入らなければ生徒の知的好奇心は膨らまない。啓発とか触発も生の授業の醍醐味の一つだ。

 おそらく生徒たちの頭には日本語の助動詞が浮かんでいない。だから、英語の助動詞は「ジョドウシ」のままなのだろう。

 完全な説明は必要ない、途中で沈没したっていい。場合によっては国語の先生に聞けと言ってもいい。現在完了や受身のところでさらに詳しく取り扱うと予告してもいいし、国語担当の先生と意見を戦わせて、その結果を次の授業でざっと紹介してもいい。知的好奇心を育むことをもっと積極的に捉え、授業の重要な役割の一つと考えてもいいのではないか。学習指導要領を踏み越えてあえて学際的な部分へ踏み込むことをお薦めしたい。
(そんなことをしていたら、年間スケジュールがこなせない?土曜補習や放課後補習をやればいいじゃないか)

 比較級やto不定詞のところで形容詞や副詞及びそれらの機能(名詞的用法・形容詞的用法・福祉的用法)が出てくるが、「先生、形容詞ってなに?」は毎年でる質問だ。「形容詞は名詞を修飾する」と説明すると即座に「名詞ってなに?」「"シュウショク"ってなに?」である。そこでまた日本語の文法語彙の説明をすることになる。国語担当の先生と学際的な協力が必要ではありませんか?

 日本全国で同じようになされているであろう授業、知的興味をたいして育まぬ授業、啓発や触発の少ない授業、学習指導要領に従った余計なことをしない授業、学際的なコミュニケーションや生徒との知的コミュニケーションに欠ける授業にいったいどれほどの意味があるのだろう。
 学習指導要領を金科玉条にし、それ以外のことは教えないことになれ切ってしまい、今になって文部科学省が「学習指導要領は最低限を示したもの」と言い出しても現場は転換がきかぬ。日本の教育は重点の置き方をどこかで間違ったのではないだろうか?
 ちなみに、ニムオロ塾では「迷ったときには原点に還る」と教えている。

 疑問が出ない生徒は自分の頭で考えていない。点数が伸びてもそれは答えのわかっている受験問題ができるだけで、社会人になれば現実は厳しいから自然にメッキがはがれる。
 社会は自分の頭で考えることのできる人間を求めている。先生たちはメッキ人間を量産したいわけではないだろうが、実際にはそうなっていないだろうか?
 根室の場合は全国47都道府県最低レベルの道立高校の受験問題すらもおぼつかないのが実態である。「読み・書き・ソロバン(計算)」の基礎学力の充実と知的好奇心を育む授業を同時に成り立たせるのは至難の業である。一生できないかも知れぬが、そこへむかって歩むつもりで教員という職業を選択したのだと信じたい。
 言われないと動かない新入社員、自分の頭で考えることを知らぬ社員、学校教育の現場を見ればなるほどど肯かざるを得ぬ。たまたま授業参観をした母校の中学校を採り上げたが、同じことは全国の中学校に共通する問題である
 これでは強い学力が育たぬ。30年後の日本の国際的地位ははるかに低下してしまうだろう。

 生徒たちが「ジョドウシってなに」と質問しないことにebisuは驚いた。


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【mustと have to、 be going toと willについて:補足 】 
前回のブログでスワンの1986年の本に説明があると書いたので該当番号を示しておく。
26年になるのに版を変えずに売れ続けていることが、完成度が高い良書の証拠だろう。
mustとhave toは#209で、 be going toとwillは#135と#136で説明されている。説明の絵が入っているので中学生でも説明しながらなら理解できる。

Basic English Usage

Basic English Usage

  • 作者: Michael Swan
  • 出版社/メーカー: Oxford Univ Pr (Sd)
  • 発売日: 1986/01
  • メディア: ペーパーバック
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*#1846 母校(中学校)の授業参観 Feb. 16, 2012 
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 #1847 英語と国語 学際的な話:母校授業参観(2) Feb. 17, 2012 
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 #1848 数学の中の英語と抽象的思考:母校授業参観(3) Feb. 17, 2012 
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#1846 母校(中学校)の授業参観 Feb. 16, 2012 [62. 授業風景]

 市内の中学校は地域住民に授業参観をオープンにしている。今日(15日)はオープン授業参観日である。せっかくだから母校であるA中学校の授業参観をさせてもらった。地域住民の教育への関心を高める措置に心から感謝申し上げる。以下は普段から口のうるさい爺の授業参観感想記である。何をわけもわからずにと一笑に付してくださってもよし。

 先生たちの服装がどうなっているか気になっていたが、男性教員はほとんどがネクタイを着用していた。授業も仕事だから、服装はきちんとすべきで、ネクタイはあたりまえとわたしは思う。母校の先生たちが一般社会常識を心得ているようなのでうれしかった。もちろん私もニムオロ塾では土曜日を除きスーツ、ネクタイ姿で仕事をしている。

 最初は英語の授業を見た。アシスタントティーチャーと二人で助動詞のところを教えていた。can could may must とそれらの否定形だ。型どおり教えていたが、少し気になった。
 中学校の学習指導要領外のことなのだろうが、mustとhave toは使うシーンが違う、それについて言及がなかった。高校では教えている。学習指導要領は"最低限のこと"だと数年前から文部科学省は言うことを変えたのだが、学校現場ではそれがマックスだと相変わらず受け取られているようにみえた。
 もう一つ挙げよう。canとcouldもニュアンスが違うのだが、それも説明がなかったから、これも学習指導要領外なのだろうか。
 最近7~8年のNHK英会話やラジオ英会話を聴いていれば既知のことのはずだし、講師の先生たち(たとえば大西泰斗氏)の著作を読めば、割と新しい知識に属するこれらのことどもを了解できるだろう。

 こんなことを採り上げるのは理由がある。現在使っている教科書の旧版で、willとbe going toノ誤用が一箇所あったのだが、市街化地域の3中学校の生徒に誤用だと教えた先生がいなかったからだ。高校で使っている文法副読本フォレストには使い分けが載っている。だが、先生たちは大学で習わなかったのかも知れぬ。1986年に出版されたスワンの"Basic English Usage"にはしっかり載っている。この本は版を変えずにいまも売れ続けているが、英語の先生ならこれくらいの本は眼を通しておこう。教えることは学ぶことだ。学ぶ心を失ったと自覚したら塾を廃業するだろう。先生の職業的責任は他の職業よりもずっと重いと私は思うからだ。
 学習指導要領にとらわれずに、高校で使っている教科書や副読本くらいは眼を通しておいてほしいが、ムリだろうか?

 数学の授業もふたつ見た。どちらも球の表面積の計算を扱っていた。一人はなかなか説明がうまい。球の表面積を横が2πr、縦が2π(パイ)の長方形に等しいと図を書いて教えていた。rを2、3、5、と変えて面積計算をさせ、答えのほうから公式を帰納的に導くという教え方だ。紙風船をもってきて、切り分けた紙風船が長方形になることを視覚的に説明した後でのこと。数字を並べて結局4πr^2になっていることを示して授業は終わり。なかなか手際のよい上手な授業だった。
 もう一人の先生は風船と高さが直径に等しい透明なプラスチックの円柱にテニスボールを入れたもってきた。教材作成にずいぶん力が入っている。グループの数だけ作ったから、作業がたいへんだっただろう。だが、風船にハサミを入れて貼り付ける工作作業から帰納的に公式を導き出そうと悪戦苦闘するも、なかなかうまくことが運ばない。全部を生徒に作業させそこから球の表面積を長方形に還元できるなんてことは頭で考えるほど簡単にはいかない。無限分割はイデアの世界の話、数学の面白みはそこにあるのだ。
 教え方が人によって違うのはいいことかもしれないが、さて、どちらの先生の教え方が生徒の理解に役立ったのだろう?
 一生懸命なことは認めるとして、教え方の巧拙によって学力テストの平均点には差が出るだろう。生徒の成績にも個人差があるが、先生たちの教え方にも巧拙の差はある。その点は昔も今も変らぬ。
 学者は帰納的に研究しないと一般原理を析出できないが、生徒たちが学ぶには演繹的な方法のほうがいい場合が多い。あまり無理をしないことだ。

 数学は14人と15人のクラス編成となっていた。少人数で丁寧に教えようということだろう。習熟度別編成にはなっていないが担当の先生の授業コマ数は2倍になっているはず。よくやっているなというのがebisuの印象である。
(他の学校ではスクランブルして習熟度別に分けたりしているが、他の教科担当の先生がプリント主体で応援体制を組んでいるケースもあり、そういう場合は生徒の評判は芳しくないから、母校のやり方はまっとうに見える。学校ごとに試行錯誤をしている様子がうかがわれる。)
 半径が2、3、5、と整数だったが、5.5という半端な数でも計算させてほしかった。なぜかというと、根室高校普通科の生徒でも5.5の3乗が計算できる生徒は半分程度と思われるからだ。
 小学校では3桁の乗除算をやらないから、高校生で3桁の小数の乗除算が性格にできる生徒はすくない。中学校では学習指導要領外だろうが、こうした生徒の"計算能力の脆弱性"を考慮し、中学校できちんと「治療」して高校へ送り出してほしいと思う。


 さて、最後に見たのは国語の授業である。接続詞をやっていた。「逆説」の接続詞と書いていたが、「逆接」の間違いではないのかと思い、ネットで検索したら両方あった。大辞林で引くと

【逆接】:ある条件に対して予期される結果の現れないことを示す表現形式。条件と結果との間に食い違いのあることを示すもの。「二時間待った、しかし、彼は来なかった」「努力したが、だめだった」の類。

【逆説】:①通常の把握に反する形で、事の真相を表そうとする言説。「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」の類。②[論]相互に矛盾する命題がともに帰結し得ること。また、その命題。パラドックス。

 順接の接続詞と比較すれば逆接の接続詞がよくわかるのだが、順接への言及はなかった。生徒が「だから」という順接の接続詞を挙げたが、「理由」に分類されただけで、「順接」の説明がないのは惜しい。
 なぜ、こんなことにこだわるかと言うと生徒たちの語彙が貧弱だからだ。セットで語彙を覚えさせると類義語・反対語などと比較することになるので、語彙の意味やニュアンスの違いが鮮明になるから、そういう配慮を国語の授業ですべき。できれば哲学や論理学の知識をもって教えてくれたらなお素晴らしい。教師は境界領域についても広く勉強しなければならぬ。
 授業の終わりの方でB4版にびっしり学力テストの"長文"問題が載ったプリントを渡していた。これは読み方の指示を具体的にすべきだった。
「最初は全体把握のために速度をあげて大雑把に読む、次に段落に即して意味を把握しながら読む、3度目は問題文に焦点を当てながら読む」(Hirosuke方式"三回読み")
というふうに。
 その場合に問題になるのは読書スピードである。先生たちは生徒の読書スキルを知らないのではないか?ニムオロ塾では音読指導をしているが、成績下位層(30%)の読み方は惨憺たるものだ。ほとんど帰国子女並み。適切な音読トレーニングをしないと生徒たちの読書スキルが上がらない。速く正確に読めなければ国語の点数が悪いだけでなく、他の教科へ影響する。英語の教科書を除き、教科書は日本語で書かれているのだから。朝読書なんて効果のないことなんでやめて、きちんと音読トレーニングをすべきだろう。反復トレーニングを無視したら、確かな基礎学力が育めないことは勉強して来た先生たちご自身が身をもってよくご存知のことだろう。

 学校の授業を見させてもらったが、最低限のはずの学習指導要領の外へ踏み出さないところが気になった。どの科目にも共通していたように思える。
 高校の教材にはぜひ眼を通してほしい。そして小学校で積み残したこと(小数や分数の四則演算トレーニング)を中学校でしっかり身につけさせてから卒業させよう。基礎学力(読み書きソロバン(計算))を身につけさせて卒業させることがあなたたちに課せられた本来の仕事である。
 放課後補習をしないで「読み書き計算」を身につけさせることができるだろうか?とてもできないと思う。

 私は授業参観した母校の創立時に1年生だった。校舎は一度不審火で焼け落ちたあと建て替えられたようだがなつかしい思いはある。今回の授業参観で先生たちが一生懸命なのは理解したつもりだ。
 私はロートルだがあなたたちには未来がある。一人一人の先生たちが3年後には、数段磨きのかかった授業をみせてくれることを期待している。

(校内を歩いていたときに教頭先生と立ち話をして名刺交換した。中学時代の親友の一人と、"善"の字が"義"になっているだけで、仮名表記では同姓同名、小学校、中学校、高校とすべて同じ、7つ後輩だった。)

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Basic English Usage

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  • 発売日: 1986/01
  • メディア: ペーパーバック

 

1978年に産業用エレクトロニクスの輸入商社へ入社したときのことだが、英文科を卒業した業務課の新入社員がこの本"Practical English Usage"で勉強していた。3年くらい上司のチェックを受けながら一生懸命勉強してなんとか一人前のビジネス文書が書けるようになる。民間企業で働くには3年の修業期間が必要なのである(これが一般社会の常識)。努力を惜しんではならぬ。
 "Basic"の方は86年に出たもので、こちらの方が薄く理解を助ける絵がふんだんに入っているので高校生にも読むことができるだろう。英文を理解するためにこういう本で勉強してもらいたい。根室に洋書を置いている店はないから、こういう良書を紹介するのも52歳で東京からふるさと根室に戻ったebisuの役割の一つである。

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*#1846 母校(中学校)の授業参観 Feb. 16, 2012 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-02-16

 #1847 英語と国語 学際的な話:母校授業参観(2) Feb. 17, 2012 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-02-16-1

 #1848 数学の中の英語と抽象的思考:母校授業参観(3) Feb. 17, 2012 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-02-17



#1843 真っ赤な顔で… :先週の中1英語授業から  Feb. 13, 2012 [62. 授業風景]

 中1は新規入塾受付を停止している。ところが、1年ほど前に頼まれていたのが一件あった。電話でそろそろお願いしますとお母さんに頼まれて思い出した。それで、このクラスは一人増えて10名になった。
 高校生が学年末試験範囲の三角比の問題でわからないのがあると一人来ていたから最初から15の席のうち11が埋まった。8時半になってもう一人高校生が来たので途中から12名。
 いつものように1年生の授業をやる傍らで隙間を縫って高校生の質問に答えることになる。

 授業時間を10分早めて斉藤孝著『読書力』(岩波新書)の音読トレーニングをしているが、国語50点以下の生徒に漢字の書き取りを宿題にしてあった。このテクストに出てきた漢字で読めないのと書けない漢字の書き取りを宿題にしてあったのだが、前回やってあると言った生徒一人だけがやってきただけ、他の生徒はまたやって来ない。どうしようもないぐうたらに、
「次回やってこないものは3ヶ月休塾してもらうことにするよ、語彙力がなければ学力なんて上がりっこないのだから、小4程度の国語力で成績は上げられるわけがないだろう。何回言っても努力しない者はやる気が起きるまで休んでくれたらいい」
 いつまでも甘い顔はしていられない。三十数年前東京渋谷の個人指導の進学教室では予習をして来ない生徒は記憶にない。この差はいったいどういうわけだろう。東京でもやはり学力の低い生徒はいたが、努力をしない生徒はいなかった。授業料が高いこともあって通塾する生徒はきちんと勉強をしてきた。私は東京の子どもたちも根室の子どもたちも潜在的な能力は同じだと思っているが、根室の子どもたちは学習のしつけがされていない、そしてわがままでぐうたらが多いという事実から、地域的に根室の子どもたちはそういう"特殊な育てられ方"をしているということだろう
 根室にずっと住み続けていたらこの特殊な状況があたりまえで、何の疑問も湧かぬのだろう。それが子どもたちの学力を低下させ、回りまわって根室の町から活性を奪っている。
 根室で18年間育ち、東京で35年間、そしてまたふるさとへ戻って十年、私は常に東京と根室という複眼で子どもたちと親たちを見ているから、警鐘を鳴らすのは私の役目だろう。

 あたりまえだと思っている根室の親たちと学校の先生に言い辛いことではある。小学校のうちからブカツに目の色を変え、家庭学習習慣の躾けに失敗している親が多い。早すぎるブカツが子どもの健全な生活習慣育成の妨げになっている。小学校低学年で家庭学習の躾けをせずに、高学年でブカツに夢中になっているケースが全員とは言わぬが四分の一はいるのではないだろうか。
 家庭学習習慣の躾け方を知らない(あるいは学力に関心がない)親が多いようだから、小学校入学時に躾け方について実践的な説明会をやるのがいいだろう。
 上手な方法で小学校低学年で家庭学習習慣をつけ、子供を3人とも国立大学へ入学させた高校時代の同級生がいる。このAさんを招聘して各小学校で説明会を開けばいい。どの家庭にだって出来る方法である。これだけでも状況は劇的に改善できるだろう。健全な家庭学習習慣を小学校低学年でしっかり育むことができたら、あとはほうっておいてもしっかり勉強するようになる。

 さて、授業に戻ろう。男子生徒が、
「先生、女子がくっついて席に座っている」
と抗議。男子はお喋りをしてうるさいので席を離して座らせている。11名いたら15の席で隣り合わずに座れないことぐらいわかりそうなものだが、わかっていない、これも基礎学力の問題だろう。すきあらば固まって座っておしゃべりをしたいという潜在意識が顔を出す、そういう自分の発言の意味にすら気づいていない。
 5人3列だから最大9人までしか隣り合わずに座ることはできぬ相談。数学の時間に問題として出してやろう。

 学年末試験がだんだん近づいているので、今日は個別指導をやめて集団授業をやると決めていた。英語の教科書をつかって黒板に問題を書いて文法事項をチェックしていく。結局、1~9まで、各番号ごとにさらに枝番号で5~10個問題を書いていく。全部で50問ほど作問した。暗記すべきモノをその都度色を変えたチョークでマークして指示しながら、理由を説明していく。あるパターンの問題にほとんどの生徒が引っ掛かったら、類似問題を2度3度と続けて出題し、知識の定着を図る。成績のよい生徒は解くのが速いから別の指示が必要だ。成績の悪い生徒はこちらが答を書くまで待っていることが多いので、
「自分で答を書いてみることが勉強だ、間違っていい、自転車に乗るのと同じで乗らないやつは乗れるようにならない、答を自力で書いてみない者はいつまでも勉強ができるようにはならぬ、とにかく主語と動詞くらいは書け」
 途中で何度も巡回し、生徒のノートを確認して注意を与える。uncleやsolarをu・n・c・l・eやs・o・l・a・rのように分かち書きしている生徒がいる。せめてun/cleやso/larと音節単位で書いてほしい。
「一つの単語は一回で書けと言っているだろう、分かち書きしたらいつまでたっても書けるようにはならない」
と叱りとばす。音節単位に分解すると書けるようになる生徒は多い。音と綴りの関係が理解できれば単語を書くのは楽になる。

 相変わらず好い加減なノートのとり方をしている生徒が一人いたので今日は全部書き終わるまで帰さない、15分居残りさせた。黒板に残っている5~9までの問題のうちそれぞれ最初の一行あるいは2行のみ、それも判読できないような乱雑で大きい字で書いている。「おれはやりたくない」と叫んでいるような字だった。ノートを破いて使っていた。捨てるのだろう、親にノートをチェックされたら困るからだ。解説した文法事項や熟語もこれでは復習ができるはずがない。
「次回からは破いたノートに書くのは許さない、そしてきちんと書き終わるまで帰さない」
と無理やりやらせた。顔を真っ赤にして面白くなさそうにやっていた。質問のために残っていた高校生がその態度の悪さにあきれ、
「先生、めずらしいね、あれじゃ高校へ来ても無理だよ」

 この生徒に一番必要なのは、自分の悪癖を直そうという素直な心、そして辛抱力。いまここで直さないと高校中退することになる。たくさんの生徒を見てきたから、高校進学後にどうなるかはたいがい予測がつくし、ほとんど外れないから厄介だ。先生は君の味方なのだよ、そんなに真っ赤な顔で不機嫌そうにするな。
 でもやるべきことはやってもらうよ、やらなきゃこれからは何度でも居残りだ。
 今日は何度か「はい」という返事ができた。いままでなんど言っても「うん」とかわけのわからぬ屁理屈を言い反抗したりおちゃらかすことが多かった。今日はいつもの半分くらいになっていたから少しはよくなっている、もっともっと変われ。

 先生たち、こういう生徒がこのまま高校生になったら卒業なんてできっこない。社会人になっても社員で雇ってくれる経営者なんているかい?
 「読み・書き・ソロバン(計算)」の最低限の基礎学力すらつけずに卒業させたらその生徒の人生はどうなる?自分の子どもだったら、自分の兄弟の子どもだったら、自分の友人の子供だったら、ほうっておくか?放課後補習ぐらいやるだろう、それがあんたたちの本来の仕事だ。優先すべきはブカツではない、好い加減で目を覚まそう。
 あんたたちの仕事は最低限の「読み・書き・計算」能力をつけて卒業させることだ。

 お母さんたち、授業が始まるときにノートの書き出しに日付を入れさせているから、たまには子どものノートをチェックしてみてほしい。


*#1839 中2成績中位層の日本語語彙 Feb. 12, 2012 
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 #1837 中学1年生 日本語語彙の現実  Feb. 10, 2012 
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 #1829 中1の語彙力の実例 : これでは先生たちの授業も理解できぬ  Feb. 5, 2012 
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#1839 中2成績中位層の日本語語彙 Feb. 12, 2012 [62. 授業風景]

 中1成績下位層の日本語語彙力を実例で検証したので、今日は中2の成績中位層の日本語語彙力と比較検討してみたい。数日前の音読トレーニングでデータを採集した。藤原正彦著『国家の品格』p150~157まで、7ページの範囲から句点2つごとの輪読で読めなかった漢字を拾った。

【読めなかった漢字例】
 恵、栄、園、った、制、まれた、いがたく、閉塞感、虚脱感、古今東西、方、醜悪異質

 7ページで13個である。2ページ優しい漢字しか出てこないページがあることは注記しておきたい。
 読めなかった13個のうちこのうち4つは国語の学力テストの点数が30点前後の生徒である。生徒の国語の点数の分布は30点から70点の範囲である。中1も中2も今回の国語のテストは難しかったというのが彼ら・彼女たちの感想である。
 本をよく読んでいる成績中上位の生徒が都合で早く来て音読に参加していないのだが、この生徒に読ませたら、読めない漢字はおそらく一つか二つ(7と8番目だけ)だろう。
 中1の成績下位の生徒が6ページで26個あったのに比べると半分以下である。

【読めた漢字例】
 日常会話に出てこない語彙で読めたものも列挙してみよう。

 偽善のレトリック、傲慢さ、情緒、陥った、卑怯、惻隠の情
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 面白そうだからちょいと脱線するよ。
 中高生の会話には出てこない言葉だから「偽善のレトリック」を一読して意味のわかる中2の生徒はほとんどいないだろう。大辞林でレトリックを引くと、
 rhetoric ①修辞学。美辞学。 ②修辞 「―にすぐれた文章」 ③実質を伴わない表現上だけの言葉。「巧みな―にごまかされる」

 Cambridge Advanced Learner's Dictionaryでは次のように説明されている。
 1 speech or writing which is intended to be effective and influence people
  2 the study of the ways of using language effectively
  3 clever language which sounds good but is not sincere or has no real meaning
 「効果を高めることや人を感化するつもりの言辞」「効果的な言葉の使い方に関する研究(修辞学)」「耳に心地よいが誠実さに欠け実際的な意味をもたぬ、知的雰囲気のある言葉」

 もっと脱線。修辞の「修」の字の原義を確認しておきたい。
 白川静『字統』
 【修】ユウとサンとに従う。ユウは人の後ろから水をかけて洗う形で、沐するの意。いわゆるみそぎをするの意。みそぎして身を清め、その清らかさを示すサンを加える。サンは文彩のあることを示す記号的な文字。修祓して身を清めるの意である。〔説文〕に「飾るなり」とは払飾する意。

 最上のレトリックが内容も素晴らしく形式整い、読んだり聞いたりしたときに耳に心地のよい言辞であるとすれば、「偽善のレトリック」とは「無内容だがいかにももっともらしい言説」といえるのだろう。
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【ものごとには順序がある:その1 「たくさん読む」】
 三番目の情緒と最後の惻隠の情(弱き者に対する哀れみのこころ)はこの本のキーワードとも言うべきものだから、繰り返し出てきているから読めない生徒がいない。「偽善のレトリック」は日常会話語ではないからよく読めたと思う。
 語彙を増やすために第一番目に重要なことは何度も同じ語彙に出くわすということ、つまりいろんなジャンルの本を読み漁り、たくさんの語彙の海を泳ぎ、何度も同じ語彙に出くわすこと。

【ものごとには順序がある:その2 「国語辞書を引く」】
 次に大事なことは国語辞典を引いて意味を調べ、意味のわからない語彙を意味のわかる語彙に変える作業を繰り返すことである。
 生徒全員と言ってもよいくらい、国語辞書を引いてくる者はいない。残念ながら例外的な生徒を除いてほとんどの生徒に辞書を引く習慣はない。

【ものごとには順序がある:その3 「漢和辞典を引く」】 
 漢和辞典を引くようになると語彙は飛躍的に拡張する。基本漢字の意味の広がりを理解できるようになるから、それらが組み合わされてできている漢字熟語に類推が働くようになる。こうなると新出の漢字熟語でも国語辞書を引かずに意味の検討がつくようになっている。だから、
 良質の日本語テクスト音読⇒国語辞書を引く⇒漢和辞典を引く⇒よりレベルの高い日本語テクストを音読する⇒・・・
という一連の流れは、生徒たちの日本語語彙拡張に書くことのできない工程である。 

【なぜ子どもたちは辞書を引く習慣がないのか?】
 そこで問題になることがある。小学校の国語授業で国語辞書を授業に使って引かせる先生はいる。だが、習慣になるほど授業で辞書を引くトレーニングをすることはできないようだ。事実、授業で辞書を引いても、その後家庭学習で辞書を引く生徒はほとんどいない。辞書を引く授業は一過性のもので、習慣化にはいたらない。
 その上、中学校の授業で辞書を使う先生は聞いたことがない。中学校では英語授業でも辞書を使わないから、生徒たちは辞書を引く機会がなくなる。団塊世代は中学校の英語の授業は1年生のときから辞書を使った。この点が大きく変わってしまった。辞書を引く習慣がないことが生徒たちの日本語語彙力を貧弱なものにしていると言っていいだろう。

【ルビを振ったテクストの消失】
 日本語語彙を増やすための理想を言えば、小学校高学年でルビの振ってある良質のテクストで国語辞書を引きなれることが望ましいのだが、団塊世代が小中学生のころと事情が違ってルビを振ってある日本語テクストがほとんどない。出版にコンピュータが使われだした頃は性能が悪くてルビを振ることができなかった。それが性能が上がりルビを振ることが可能になった現在でも、ルビ無しの出版物が多い。ルビをふれば常用漢字にこだわる必要がなくなる。
 作家も遠慮しないで常用外の漢字をどんどん使えばよい。旧仮名の小説を現代作家が書いたっていい。

【簡単な漢字熟語の意味がわからない生徒が増えているのはなぜ?】
 もちろん漢和辞典はなおさら引かないから、漢語の意味を知らないまま読むことに慣れてしまう。だから、小学3年生程度で日本語語彙力の成長が停止してしまった生徒には普通の日本語テクストにでてくる漢字熟語は外国語のように映っているのだろうと思われる。意味不明の外国語が日本語テクストの中に点々と出ていると思えばいい。

【貧弱な語彙力の生徒は授業を理解できない】
 中学1・2年生で学力テスト国語40点以下は概ね小学校4年生程度の語彙力である。だから、数学や理科や社会や英語で日常会話語以外の新しい用語が出てくると音で聞いているかぎり半分くらいは意味の検討がつかないのではないだろうか。黒板に書いても漢和辞典を引かない生徒たちがほとんどだから意味の見当がつけられぬ場合が頻発することになる。
 たとえばだが、中2の英語授業で形容詞の説明に「形容詞は名詞をシュウショクする」と説明すると、生徒から「シュウショクってなんですか?」という質問が出る。黒板に「修飾」と書いても即座に意味のわかる生徒は少ない。
 新出の用語が授業で出ても、家へ帰っても国語辞書は引かないから、その都度新出用語の意味を説明しておかないと意味とセットになって語彙が定着しないことになる。わからないことを自分でなんとかしようという気持ちのうすい生徒が増えている。口をあけて餌を放り込んでくれるのを待っているような構えの生徒が増えていることが気になる。
 それでも学年が上になるほど、主要5教科に出てくる用語はどんどん増えていくから生徒の語彙力はそれなりに強化はされていく。本を読まない生徒が多いから日本語語彙の拡張という点から学校教育の重要性が増している。邪道ではあるが、近年盛んになった漢字検定も寄与するところ大だろう。
 この中2の生徒たちが3年生になってどれくらい語彙力を増強させるか楽しみである。本は読まずとも、漢字検定や学校の授業で使うテクストや授業によって生徒たちの日本語語彙力はそれなりに強化されていく。
 日本語語彙は本を読む中で培うべきものだ。漢字検定で覚えた語彙は短文あるいは漢字のみだから、使い方がわからないことになる。本を読んで覚えた語彙は前後関係がわかるからどういうシーンで使えばいいのかを読みながら習得していくことになる。テレビを見ていても、素人が出演する番組だと、単純な単語を並べるだけで、満足に日本語を使えない大人が増えているように思える。

【見えないものが大事:小学校高学年から語彙力の個人差拡大する時期を迎える】
 注意すべきは、小中高生の時代は国語辞書を引きながら本を読む生徒とそうでない生徒で日本語語彙力に膨大な差がついていく時期でもあることだ。
 問題を解いていくら勉強しても国語の点数が上がらないという経験をしている高校生は少なくない。ベースの読書量を増やすことなく国語の点数を飛躍的に上げることはむずかしい。読む本のレベルの差と読書量の差が国語力に相乗的な効果を及ぼしているのだと仮定すれば当たり前の話である。中学卒業までに少しレベル上げて濫読を経験しておかないと、高校で国語の点数を上げるのはむずかしいということ。

【語彙力と成績のノビシロは相関関係が強い】
 日本語語彙力の貧弱な生徒は5科目全体の点数のノビシロが小さく、語彙力が豊かな生徒はさらに興味のある分野の読書量を増やし、読める本のレベルをさらに上げ成績を大きく伸ばしていくことになる。

【国語力に関する参考データ】
 語彙力に問題を抱える学力テスト国語40点以下はどれくらいをしめているのか参考までに具体的なデータを挙げておく。2月3日のデータはまだないから2年生11月2日の学力テストから拾った。対象はB校とC校。
 B校 31人/72人 43.1% (平均点45.1)
 C校 26人/55人 47.3% (平均点44.8)

 試験問題の難易度にばらつきが大きいので2月の学テのデータとも比較してから結論を出したい。平均点が低いのでちょっと40点以下の層が大い。8月にB校だけ実施した学テでは 14人/72(19.4% 平均点54.1)となっている。平均点が9点高いから、8月の試験問題がやさしかったのだろう。一回の学テのデータで断定的にモノをいうのは危険だ。
 比較するために3年生の学力テストデータ(60点満点を百点に換算)を調べたら、平均点が55点を超える学テでは40点以下の層が20%を切っている。平均点が47点付近だと40点以下は35~40%になっていた。2年生の方がすこし学力が低いのかもしれぬ。この数年間の変化を大まかにみれば、年々中学生の学力が低下している傾向があることは否めない。

【学力向上は読み・書き・ソロバンから】
 学力テストの国語の点数が40点以下の層は日本語語彙力が小学4年生程度であり、30点以下に至っては中学校の授業の内容理解に支障をきたすようなレベルであることは言えるだろう。ここに具体的な手を打てば根室の子どもたちの学力を上げることができる。もちろん、小数や分数の加減乗除算をいう基礎計算トレーニングをしっかりやることも大切なことだ。
 基礎学力は「読み・書き・ソロバン」と昔(江戸時代)から決まっている。この三つはすべて反復トレーニングで飛躍的に能力を高めることができる。それをやるかやらぬか、基礎学力を充実させるためにむずかしいことはひとつもない。

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 #1843 真っ赤な顔で… :先週の中1英語授業から  Feb. 13, 2012
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 #1839 中2成績中位層の日本語語彙 Feb. 12, 2012 
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 #1837 中学1年生 日本語語彙の現実  Feb. 10, 2012 
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*#1829 中1の語彙力の実例 : これでは先生たちの授業も理解できぬ  Feb. 5, 2012 
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 #1823 激烈な競争から這い上がれ:団塊世代の友人からの手紙 Jan. 31, 2012 
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 #1810 悩み Jan. 22, 2012 
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#1837 中学1年生 日本語語彙の現実  Feb. 10, 2012 [62. 授業風景]

  このところ、中学生の語彙の問題を採り上げることが多い。一昨日の中1の授業から・・・

 2月3日に実施された学力テストの報告を聞いてから数学の授業だ。このクラスは根室に戻って塾を開いて10年目だが一番問題の多いクラス。

 早く来た生徒が授業が始まるまで英語の教科書の予習をやっていいかと聞くので、認めた。早く来て教科書の予習をやっていいとはこの前伝えたが、珍しいことがあるものだとちょっと違和感を感じる。黒板に書いた英語の問題演習をいつも五分の一も書かない生徒である。
 授業が始まって理由がわかった。塾用の数学問題集も学校の数学のワーク(問題集)ももって来ていない。忘れたのなら、
「問題集もってくるの忘れました、申し訳ありません」
と素直に謝るべきなのだ。男は言訳をするな、間違ったらまっすぐに謝れと何度言い聞かせてもわからぬ。この生徒は問題集をもってこないことが多いのだが、塾へ来る前に点検してから来いといくら言っても屁理屈ばかりで、一向になおらぬ。
 三つの問題を抱えているようにみえる。

 ■悪い癖は直そうという素直な心
 ■お喋りをやめ授業に集中するためのセルフコントロール力
 ■生活習慣(躾け)

の三つである。友だちと目上の者に対する言葉の使い分けができないことも気になる。敬語を使った大人の表現ができない。彼の使える語彙には敬語がない。社会人になったときにきちんとできればいいが・・・普段やらぬことはにわかにはできないものだよ。
 しかたがないから、予備の問題集でやらせた。姿勢が悪いから何度も注意をする。姿勢の良し悪しは集中力とスタミナに関係している。姿勢の悪い生徒は特定の筋肉に負荷がかかるのでそれを調整するためにしょっしゅうぐらついてその都度集中が切れてしまう。他にも2人姿勢が悪くて注意を受ける生徒がいる。結局、注意90分かかってノート1ページの三分の一も書いていないから、ほとんど勉強していない。他の生徒からもなんどか"うるさい、静かにして"と注意を受ける始末。回りに迷惑をかけているという自覚はあるのだろうが、それが行動にならないのは自己抑制力が育っていないからだろう。こういう生徒は高校へ進学しても三人に一人も卒業できないだろう、だからクビにしたくない、いま直さなければダメになる。おそらくこの子にとっては最後のチャンスだ。
 授業中に周りの生徒とお喋りがはじまって、何度注意されてもすぐにまたはじめる生徒は当然のことだが成績が上がらない。3分おきに注意だ。このクラスは数人セルフコントロールのきかない生徒が半数を超えているが、塾を開設して10年間こういうクラスの経験がない。生徒たちに何が起きているのだろうと心配になる。
 この生徒たちの学校はこの3年ほどで学力テストの平均点が30点ほど下がり、以前は存在しなかったようなレベルの成績下位層がどんどん肥大化している。授業中に先生の声が聞こえないという生徒たちが増えた。4年前にはそういうクレームを生徒から聞いたことがなかった。生徒たちは授業に集中し、静かに聞いていたのである。成績が悪かろうはずがない。市街化地域の3校で学力テストの平均点が一番高かった。その中学校で成績下位層の"底抜け現象"とでも表現したくなるようなことがこの数年間続いている。B中学校である。

 一人の生徒が教科書の正多面体の問題がわからないと言うので該当箇所をみた。図をみれば一目瞭然なのだが、考えさせるために工作をさせた。正四面体を二つ逆さまに(?)してくっつけた六面体が正六面体ではない理由を言えという問題だった。
 「1辺5センチの正三角形を6個この紙に描いて、各辺に糊代をつける」
 作業をし始めたが、手を止めて
 「先生、「味付けしろ」ってどういうこと」
と聞くので、
「味付けではなく糊代と言っただろう?」
 前に座っている女生徒が
「何聞いてんの?先生、糊代ってさっき言ったでしょ」
 女の子たちは語彙が多いから、指示をきちんと聞き分けている。生徒が描いた正三角形の各辺に糊代を付け足してみせ、ここで折って糊で貼り付けるんだと説明する。

 口頭で指示したときに日本語語彙の貧弱な生徒の欠点がでてしまう。自分の知っている日常会話外の語彙だと理解できずに、頭の中で知っている語彙に変換してしまう。だから、意味がちんぷんかんぷんになる
 学力テスト国語の点数が10点台なら小学3年生の語彙力、20点台ならせいぜい4年生だ。40点以下は学力(五科目合計点)が伸びない。こういう生徒が成績下位層(30~40%)にはごろごろしている。
 頭の中では語彙変換がショッチュウ起きるから、授業の内容が理解できるわけがない。音読トレーニングでも読み間違いが頻発する。学力全般に影響し五科目合計点が上がらない。日常会話外の語彙が出てくると、彼らが使っている日常会話の語彙に勝手に変換してしまう

 生徒は正四面体を二つくっつけた六面体をつくる作業をしているがはさみの使い方をみたらとてもぶきっちょだ。ちょっと手伝ってあげたが、なかなか完成しない。見かねて女子生徒が三分の一の時間もかからずつくってしまった。
 さて、問題は正三角形6個で作られる6面体がなぜ正多面体でないかであるが、そこを理解させなければならない。

「天辺の頂点には辺が何本集まっている?数えてごらん」
「3本」
「側面、つまり横の頂点に集まっている辺の数は?」
「4本」
「じゃあ、正多面体の定義をみよう。教科書(東京書籍)144ページに正四面体の定義がある。
(1)どの面もすべて合同な正多角形である
(2)どの頂点にも面が同じだけ集まっている
2番目の方は説明が必要だね、問題集の説明だと頂点に同じ数の辺が集まっているというのがあるね、この多面体には3本集まっている頂点と4本集まっている頂点があるから、正多面体の定義から外れるんだ。わかったかい?」
「な~んだ、そういうことか」
「おいおい、な~んだじゃないぞ、しっかり覚えておけ、数学というやつは"定義"が大切なんだ」
数学で出てくる定義はぜ~んぶ暗記!口に出して早口で言ってみる、言えるようになったら書いてみる、書けたらOKだ、ここだけは英語の勉強と一緒だよ
 
 たまには工作させて確認しないと知識が身につかない。頭で理解してもすぐに忘れる生徒には有効な方法だ。"体験"というのは結構重要なのだ。

 やらせている間にもう一人がこんなことを言ってきた。
「先生、おれ立体の見取り図が描けないんだ」
「じゃあ、前に出てきてホワイトボードにやってごらん、わからないところから手伝うから」
・・・
 四角を描いたところで、上面の線が平行に引けずに戸惑っているので、見本を描いてみせる。
「ポイントはこの線とこの線を平行に引くこと、つまり平行四辺形を描けばいい」
 ポイントはこうだ。
 面を3つに分ける⇒上面の平行四辺形を描く⇒側面の平行四辺形を描く
 こうすれば誰にでもやれる。立方体の見取り図をを正方形と二つの平行四辺形に分割したわけだ。

(数学では「分割⇒総合」という操作が複雑な問題を考えるときに有効である。デカルトは『方法序説』で科学の方法を4つの規則の"その二"にある。彼は科学の方法を研究して四つの規則にまとめ上げ、その第二で「」必要なだけの小部分に分割する」ことと説明している。便利がいいので、私は折に触れてデカルトの科学の方法の使い方を生徒に教えている。デカルトは哲学者であっただけではなく優れた数学者でもあった。)

 ゆっくり線を引き始めたが、じつに遅い。別の女子生徒が横から口を挟む。
「もっと速く描かなきゃ」
 一理ある。高校生になると試験の問題量が多いから、こんなにのんびりやっていたら問題の半分も手がつけられぬから、スピードも重要な要素。
「出てきて、速く描くコツを教えてごらん」
 二人で作業をしている。何個か描いているうちに立方体は大丈夫になった。この生徒にとってはステージが一つあがったわけだ。
「先生テッシュの箱はどうやって描くの?」
というので、描いてみせたら、そうではないとテッシュの箱を持ってきて、この角度から見た見取り図だという。見本を描いたら真似ていた。今度はずっとスムーズだ。
 この生徒は30分ほどかかって直方体の見取り図も複数の角度からのものを描けるようになった。

 毎年、立方体の見取り図が描けない生徒がいる。いままでは女生徒だけだったが、今年初めて立方体の見取り図が描けない男子生徒が"出現"した。心配いらない、だれでも描けるようになるんだから。

 生徒9人のクラスだが個別指導だから実際の授業はこれら二つのことが同時進行し、他の質問が次々飛んでくる。やる気のない生徒はおしゃべりを始めるからちょっと長すぎるとストップをかけその都度「はい、おしゃべりはやめる、他人の勉強の邪魔はしない、自分の仕事に集中しろ」と注意が飛ぶ。
 手が完全に止まっている生徒がいる。
 机を回って歩いて、ノートを確認。
「30分経ってたったこれだけ?なにやってるの?」
 巡回確認の何度目かにやる気のなさに腹が立ってきた。
「たったノート三分の一しか問題やっていない、このままでは成績上がらないからどうしてもやる気がでないならいったん塾辞めていいよ、お金の無駄だから」
 家庭の経済的事情で通塾できない生徒たちが少なからずいる。どうして自分は幸せだと実感できないのだろう。親が塾へ通わせてくれることへ感謝の気持ちがあれば、もっともっとしっかり勉強しなくっちゃ申し訳がないという気持ちになれるだろう。
「この次やってこなかったら、もう見込みがないから塾を辞めるかしばらく休んでもらうことになる、困ったときは助けてやるが、自分でできることをやらない、塾長が指示したことをやらない生徒はどうしようもない、さっさと塾を替えた方がいい。」
「どうしようもなくなって戻りたいと言えばそのときは二つ返事で受け入れてあげるが、その代りこんどは問答無用で指示通りにやってもらうよ。」

 国語の点数が悪い生徒に音読テキストに使っている斉藤孝著『読書力』の漢字の書き取りを宿題にしているのだが誰ももってこない。やってこない理由は「ブカツが忙しい」、「やる暇がない」と言訳のオンパレード。一人も「申し訳ありません、次回は今回分も含めて必ずやって来ます」という者がいない。そのくせゲームやインターネットのモバゲー、ケイタイのメールには熱中して時間を費やしている。生活習慣が崩れているのだが直す意思すらない。一人だけ「家でやりました、もってくるのを忘れました」というので、次回もって来るように指示。
 言い訳はするな、まず「ごめんなさい」が先だといくら言ってもわからない。日本語が通じないのではないだろうかと心配になる。中学校で言訳をする癖がついたら社会人になっても同じことをやる
 毎日やること、毎週やることは習慣になる、習慣が数年続けばそれはもう悪癖とも言うべき性格となってしまう。性格を変えることなんてよっぽどのことがない限りできないぞ、だから、毎日やること、毎週やることをおろそかにするなと言うんだ。いまのままだと運よく就職できてもクビになる。
 ebisu先生は東京で業種をいくつか変えて26年間サラリーマンをした経験があるから心底から君たちの将来が心配だ。君らがそのまま社会人になって応募してきても雇うような甘い会社はひとつもなかった、都会は競争が激しいし、厳しい。そこには守ってくれる親もいない。

 国語の学力テストの点数が40点以下の生徒(各学校で30~40%を占める)のために言ったことを書いておく。
「小3あるいは小4の国語力だよ。さっきも「糊代をつけろ」というのを「味をつけろ」と聞き違いするようなことが起きるんだ」
 知らない言葉が出てきたら知っている言葉にかってに変換してしまう、このまま社会人になったら上司の指示が理解できない。口頭で指示されたことと違うことを度々やったら仕事はクビになるよ、だから国語力は大事なんだ相手の話しの意味がわからなければ外人も同然だね。英語もわからない日本語もわからない生徒を大量に作り出しているのが根室の小中学校の現実だ。英語は母国語である日本語以上にならないから学力の基礎は日本語能力。少し込み入った仕事を指示されてもきちんと理解できる基礎学力がなければ社会人として働くこともできないんだよ、わかったね。

(小学校や中学校のやるべきことは、卒業時にはその学年に要求される基礎学力を責任をもって身につけさせて送り出すこと。)

 毎回お説教でうんざり、生徒も楽しくないだろうし、わたしも楽しくない。1年生はイレギュラー扱いでもう1クラスあるがそちらのクラスの生徒は全員成績が上がっている。
 いままでの経験では辛抱していればがらっと変わるものが出てくるから、なかなかクビにはできない。このまま放り出したら、根室西高ですら授業についていけずに退学する生徒になりかねない。
 昔と違って高校全入時代のいま、中卒だと履歴書すら受け取ってくれない市内企業が大半だろう。勉強しなくても船に乗れば月収50万なんて話は昔のこと。
「ブカツにうつつを抜かして本業の勉強の手をいつまでも抜いているとたいへんなツケが将来回ってくるぞ」
 まあ、中学生にはわからんだろうが、高校2年生になれば進学や就職はもう目の前の現実問題だ。正社員の仕事なんか地元就職希望者の三人に一人以下しかない。高校であまり勉強に熱が入らず地元で就職がなくて専門学校に"進学"する生徒が多い。そこそこの大学を卒業しても正社員になれるものは3人に2人もいないだろう。お父さんやお母さんたちの世代とは就職事情がまったく違うんだから、勘違いするな。

【たった4つの守るべきこと】
 ①優先すべきはブカツではなく勉強
 ②優先すべきは日本語(と英語)の音読と宿題・予習
 (それらをやってから余った時間でゲームやモバゲー)
 ③みっともないから言い訳はしない
 (「ごめんなさい」が先、次回は必ず指示通りやり抜くこと)
 ④授業中は勉強に集中すること
 (姿勢はまっすぐ、おしゃべりをしない)

 これらのことを守って、塾でやっている日本語の音読トレーニング(テキストは斉藤孝『読書力』)とそこに出てく読めなかった漢字、書けない漢字を5回ずつ書いてくれば半年で国語の学力テストは70点を超えるだろう。そういう地道な努力がなかなかできないところが「生活習慣」に係わる問題なんだよ。自分に負けるな。

 次回は成績中位層の中学2年生の語彙力を採り上げるつもりだ。高校問題検討会の面々はぜひ読んでほしい。何が根室の中学校で起きているのかを知っておくことは高校統廃合を検討するうえで少なからぬ示唆を与えるはずである。


 #1843 真っ赤な顔で… :先週の中1英語授業から  Feb. 13, 2012
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-02-13

 #1839 中2成績中位層の日本語語彙 Feb. 12, 2012 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-02-12

 #1837 中学1年生 日本語語彙の現実  Feb. 10, 2012 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-02-09-1


 #1829 中1の語彙力の実例 : これでは先生たちの授業も理解できぬ  Feb. 5, 2012 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-02-05

*#1810 悩み Jan. 22, 2012 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-01-22

 #1823 激烈な競争から這い上がれ:団塊世代の友人からの手紙 Jan. 31, 2012 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-01-31



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