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#2371 平成25年金刀比羅神社例大祭(4):感度のよいセンサーと選択について  Aug. 13, 2013 [88.金刀比羅神社のお祭り]

 北海道医療大学と小樽商大の3年生が来た。3年生になるとすっかり大人だ。お祭りの話しをしていたら、
「山車のフィギュアが小さくなりましたね」
そんなことを言うので、
「なぜ?」
と聞くと、
「だって(T字型の)棒で電線をもちあげてなかったでしょう?」

 なるほど、そう言われてみるといなかったね、棒で電線を持ち上げる係りの人がどの山にも乗っていなかった。フィギュアが小さくなれば電線に引っ掛からない、よく見ているものだ。観察眼が鋭いのはアンテナの感覚がいいからだろう。ebisuは同じものを見ているのに言われるまでさっぱり気がつかなかった。生徒の成長をなんとなく感じてしまう、こういうときがうれしい。
 昔(昭和30年代)は青森ねぶたを小さくしたようなつくりだった。根室では雨対策でプラスチック材料が使われるようになったのだろう。便利な材料にシフトすると、昔の風格や懐かしさがなくなりオモチャっぽくなるのはしかたがない。そのときは目先の便利さを選びなんとなくやったことが、何を選んだかで十年二十年後の姿がまるで違ってしまうことになる。日々の選択をおろそかにしてはいけないということだろう。
 十年二十年後に思いをいたさずに安易な選択をすると二十年後の未来をまるで違ったモノにしてしまう。明治公園整備事業と称する開発計画が進行中だがたいへんな選択のミスだからやってはいけないよ。明治公園はあのまま次の世代へ渡せばいい。
 市立根室病院も療養型病床が一つもない、これも選択ミスの一つだ。十年二十年後に根室の住民(老人とその家族や友人)はこの選択ミスで悩み・苦しみの中にいるだろう。じつにおろかな選択だった**。
 簡単なことだ、生まれ育ったふるさとで最後を迎えられない老人が多くなるのだよ。ほかの町にある療養型病床の病院へ入院せざるを得ない老人が増える。家族や友人に看取られずに死んで行くしかない。
 家族や友人に看取られて苦しまずに逝くことができれ最高の幸せだろうが、そのためには根室に療養病棟のあることが必要条件である。
 まことに残念なことではあるが、そんなことすら理解できない者たちが市政を運営している。療養病床を欠くという、ニーズに合わない病院が70億円をかけて出来上がってしまった。市議会は市側の案をそのまま通してチェック機能を果たせなかった。わたしは町を牛耳っている者たちの基礎学力レベルと心根の在り様を疑わざるを得ない。長いものには巻かれろでは町の未来はますます暗くなる。大人が子供たちに範を示さずにどうする?一つ一つの選択や決断をおろそかにしてはいけない。ならぬことはならぬのだ。

 私はねぶた祭りを2度見ているが、山車の大きさと張りぼての内側からの照明効果に度肝を抜かれた、風格と懐かしさを感じるのだ。太鼓の皮が2mもある「じょっぱり太鼓」、そんなに大きくしては音が低すぎてどうしようもないが祭りにかける青森人の意気込みは伝わってくる。

 話しは源氏物語や枕草子にも飛んだ。古典文学の世界では日本人は平安時代はじつに熱心に恋愛をしている。
 恋愛に対する一生懸命さがいまよりずっと濃密だ。付き合う異性はよく選ばないと危ないよ、もてる女ほど男がらみのトラブルが多くなる。変な奴と付き合うとやっかいなことになる、悪くするとストーカーから「にんじょうざた」になる、と言ってから、成績下位三分の一の中3に「にんじょうざた」と言ったらどういう意味に理解するだろうという話になった。
 そんな日本語簡単だよと言いそうだ。「にんじょう」+「ざた」に分解して、前者は「人情」、人の情けだよと得意げに言いそうだ。

(ちなみに、「沙汰」を大辞林で引くと「〔「沙」は砂、「汰」は選び分ける意」〕 ①事の是非・善悪などを論じ定めること、またそれによって処理すること」とある。「地獄の沙汰も金次第」という常套句で知っている中学生が2割りはいるだろう。)

 「刃傷」という字が思い浮かばなければアウトだ、日本語が通じないことになる。刃物の「刃」と殺傷の「傷」という漢字を見たら意味がわかるが、話し言葉は音が伝わるだけだから、適切な漢字に置き換えられなければ意味は伝わらない。
 成績下位三分の一の中学3年生の日本語語彙力は小学4年生以下ケースが多い。標準的な中学校の授業で使われる日本語語彙の理解に大きな支障が出てしまう
 そうして考えると、日本語語彙が貧弱だから、その結果として授業が理解できずに成績が振るわないという低学力の深層構造が見えてくる。
 簡単に言うと、貧弱な日本語語彙をそのままにしておいたら成績が上がるはずがないのである


 日本語語彙力を上げるには日本語で書かれた文章をたくさん読むしかない。それには基本的には本をたくさん読むことだスピードが遅ければ次の段落に行った時に前々段落の内容を忘れてしまっているので、段落単位のロジックの組み立てが読み取れなくなる。
 ある程度のスピードがなければ、読んでいる本の内容が理解できない。高速で音読できれば黙読でも速く読めるし、文意や論旨が的確につかめる


 小学校低学年でお母さん達が子供の音読トレーニングにつきあってやる、そして興味のある本を買ってやり、わからない言葉を辞書で引かせる習慣をつける、そういうことがその後の学力の伸びの大半を決めてしまうことに気がついてほしい。ゲーム機に子育てを任せたらあなたの負けだ。
 一番大事なのは日本語=国語能力である。それは年齢に応じた適切な躾けやトレーニングでいくらでもよくなる


 大学三年生ともなると、もう年頃だから、好きな人がいても不思議ではないし、結婚を考えている場合だってある。二十歳をすぎたら女の子達はいつお母さんになっても不思議ではない。今度は自分が勉強するのではなくて、子供を躾ける側に回るわけだ。小学校低学年での子育ての仕方、家庭学習習慣の躾け方如何で、子供の勉強への関心や熱中度のおおよそが決まってしまう。

 お母さん達は自分の子供を小学校低学年でしっかり躾けなければならない
 そのためには、これからお母さんとなる20代前半の若い子達に子育ての仕方、年齢に応じた躾けの仕方の大筋を伝えておかねばならない。やっかいなことに子育てはやりなおしがきかないし、簡単なようでとてもむずかしいのである。あなたはどういう子育てを選択する?
 今日来た二人の女子大生はいつの日か親となってしっかり自分の子どもを躾けるだろう。根室の子ども達の低学力問題はこういうところからもメスを入れないといけない。
  学力(知識と考える力)はどんな職業に就こうと生き抜くための強力な武器になる。

 町を牛耳っている愚かな年寄りどもはまもなく療養型病床もない中で家族にも友人にも看取られずに次々と消えていくから、しっかりした基礎学力とまっすぐな心根を兼ね備えた若い人たちがふるさとの未来を担ってくれることを期待している。

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*小樽商大の生徒は高校生になってから苦手の数学をなんとかしたくてニムオロ塾に来た生徒だ。国立大学進学希望だったから数学が苦手のままではいけないと思ったのだろう。結局学校推薦で合格した。小樽商大は学校推薦にセンター試験で得意科目での80%超の得点を要求しているが、これがクリアできない生徒が多い。この生徒は小さいときから「本の虫」(幼馴染の評)だったから、ヒマさえあれば本を読み、高校卒業までに大量の本を読破している。日本語語彙力で他の生徒に圧倒的に勝っていたのだろう、ベネッセの全国模試で国語の成績は半分くらい根高ナンバーワンだった生徒である。
 社会人になってから必ず数学が必要になるから高校数学から線型代数まで数学能力をブラッシュアップしておけと伝えた。国語の能力の高い者は本格的に勉強を始めると英語の能力も飛躍的に伸びる。国語の能力が低ければ外国語はいくらやっても頭打ちになる。国語と数学、この両方があることは「鬼に金棒」(金刀比羅神社のお祭りの金棒と鬼の金棒は字は同じでもか形状が違うよ)。国語と数学、この二つの能力が秀でていたら、ほとんどの分野の専門書を読み理解することができる。
 あとは考える力と読解力を一段アップするために哲学関係の本を読め、できたら履修していなくても哲学の授業にこっそり出席して学べ。
 一つのことを一時間、一日、一週間、一ヶ月間、一年間考え続ける力こそが真の力となる。そういうパワーをもった人間には赤字の会社を黒字のしかも高収益の会社にできる。学者になるのもいい。

  同じ学年で男子で何度か国語ナンバーワンをとった生徒がいた、N君であるがこちらは北海道教育大札幌分校へ進学した。成績のよい生徒は男女を問わず国語の能力が高いと言えるかも知れない。まれに数学はできるが国語はいくら勉強してもダメという人がいるが、聞いてみると大して本を読んでいない。日本語語彙力が貧弱なままではいくら国語受験問題集を解いても効果は小さいということだろう。付け焼刃にしかならぬ。昨年卒業したはずだが、釧路湖陵高校に進学した別のN君は中学時代は学力テストで国語90点以下を取ったことのない特異な生徒だった。出題者の意図を的確に読めたのだろうが、あまりに的確すぎて心配になった。読解力が出題者レベルでとどまっていては困る、そこを抜けたところに別の世界が広がっているのが見えなくなってしまう。知らず知らずのうちに思考に鋳型ができてしまう、それが強固なモノになればなるほど、後でそれを壊すのが困難になるのだ。小さく粒のそろったきれいな字が高速で書ける生徒だった。おそらく字を書く速さときれいさでは私の教えた生徒ではかれが一番だ。初心貫徹、医者になるのだろうか、それともほかの分野へ興味が湧いて進路が変わるのだろうか、若い人たちの可能性は限りない。
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**わたしは縁があって首都圏の300ベッド弱の老人病院を療養型病床の病院へ建て替えを常務理事としてやったことがあるので、療養型病院の老人のケアの仕方を実際に観察している。「縛らない介護」に総婦長が熱心に取り組んでくれたお陰で、いいケアができるようになっていた。理事長の方針もよかった。「痛くない、苦しくない、怖くない」、積極的な延命治療はしないほうが苦しませずに自然死に近い終わりを迎えさせてやれる。「他人を介護しているのではない、自分の親を介護するつもりで患者に接しろ」、よくそう言っていた。
 この病院はベッド稼働率は98%、民間経営の黒字病院だった。療養病床は赤字になるという人がいるが、それは経営の仕方を知らぬ者の戯言だ。ようするに病院経営は経営の仕方しだいで赤字にも黒字にもなるということ。経営者の能力が低ければ赤字拡大は当然の結果だ。市立根室病院はこの7年間赤字が拡大し続けている。前市長である藤原市政時代はおおむね8億円の赤字だったが、前年度ついに16億円を超えてしまった。赤字拡大は止まる気配がない。今年度は20億円を超すだろう。
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【徒弟制度】
 職人の仕事は親方や名人のやる仕事を見て盗んで覚える。なぜそうやるのか、身体を使って真似を繰り返して、その奥にある何かがつかめなければ一流の職人にはなれない。だから職人を育てる徒弟制度には「教える⇒学ぶ」ということがない。「見て盗む」ことができるくらいの素質や能力がなければ一流にはなれぬ。一流の仕事人を育てるためには教えてはならないのである。徒弟制度はすぐれた人材育成方法である。
 私塾ではそういう素質をもった生徒にはあるところから教えるのをやめ、とことん自力で考えさせる。そういう対応が必要な生徒は滅多にいないが、生徒の知的レベルに合う本は何冊か選んであげられる。
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【刃傷沙汰】(大辞林より)
刃物をもって争うこと。刃物で他人を傷つけること。
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#2370 平成25年金刀比羅神社例大祭(3):雨上がり  Aug. 11, 2013 [88.金刀比羅神社のお祭り]

 昨は一日中小雨が降り続き、6時からの先太鼓の競演が中止になったが、今日は運よく雨が上がり道路は午前中に乾き始めた。黒いアスファルトが灰色に変わっていく。

 12時に御旅所前までロードバイクで出かけた。昼なのだが・・・「夜店」表側の歩道側を避けて裏側の緑町道路中央部を下っていくと脚の長い見たことのある人が歩いてくる。背丈と顔かたちが姪っ子に似ているので、そうかなと思ったが、すれ違うときに元塾生の高校生だと気がついた。小中高生おしなべてお祭り好きが多く、三日間は町全体が盛り上がる。

 陽射しを受けて金色に輝くお神輿は花火の合図とともに12時半に御旅所を後にした。第三祭典区がそれに続き、そして西部祭典区、第一祭典区、今年のしんがりは東部祭典区。
 第三祭典区に生徒のSがいた。笑顔で小太鼓を叩いていたが、あれは4年間ほどOが叩いていた太鼓だ。野球に明け暮れた中学生の時には小柄だったのに、高校生になってからバスケット部に入ると20センチも背が伸びて180センチを越す「大きな少年」になっていた。調理学校を卒業して札幌で働いているはず。

 御旅所前で高校の同級生のヒロシが見物していたので声をかけた、歌舞伎役者のような顔立ちで野球部だったから女の子によくもてた。いまは少しメタボになったが、人柄のいい奴だ。
 同じ場所で先輩にもあった。中学時代の親友のお兄さんで、根高の柔剣道場でebisuが受身の稽古をしている横で気合のこもった打ち込みをしていた。花咲小学校長や柏陵中学校長、光洋中学校長を歴任して退職した。地元に残った数少ない高学力層人材の一人である。地元出身でこれだけの経歴の人材なら退職後は(他の町なら)教育長のポストが待っている。「なぜ?」、ご本人へそんな質問は失礼だからしたことがない。35年たってふるさとの町に戻って来たが、根室の町が衰退し続けているのはそれなりの理由がある。根室の子どもたちの学力低下はこうした教育行政のトップ人事のまずさにも原因がある。
 先輩との話しは根室の子どもたちの学力問題へ及ぶ。具体的な数値を現職から聞いたのだろう、この数年間加速している根室の子どもたちの学力低下を心配していた。20年前と比較したらびっくりするほど中学生の学力が低下している。「一つの学校だけで300点満点の学力テストで250点超が4~5人いた」という。市街化地域3校の学力テスト総合Cの結果を階層別一覧表を弊ブログで紹介したことがあるので、そちらを見てもらえば学力の低下は一目瞭然。現在は市街化地域の3校全部で250点を越える生徒は0~3人だろう。五科目500点満点の学力テストで見ると400点超の高学力層が十年前のおおよそ十分の一になり、低学力層が肥大化しているのである。
 同じ学区域のC中学校とA小学校が連携して動き出しているが、これが校長が転任しても継続されるような体制になってくれたら、変わるかも知れぬ、私たちは現職に期待している。

 各学校の校長先生たちがお祭り見物をしてくれたらうれしい。自分の学校の生徒達が金刀比羅神社のお祭りにどういう役回りで参加しているのかよく見てもらいたい。
 地域の伝統を守るために学校外でそれぞれトレーニングを積み、役割分担しているのである。地域の文化や伝統とのかかわりは学校教育でも重視あるいは注視すべきだ。地域社会とのコミュニケーションの一手段としてフリー授業参観が行われているが、学校の校長先生たちが地域社会へ関心をもたなければフリー授業参観もその効果が半減するだろう。学校外のことがわからなければ、地域の企業や住民が学校に何を求めているのかが理解できるだろうか?根室のお祭りを見て回るのは地域社会のニーズをつかむいいきっかけになる。お祭りの三日間は地域社会に根ざした学校教育がどうあるべきかを考える契機になりうる*。すこし敷衍してみたが、大筋は先輩のご意見だ。見ているところが違うとあなたも感じただろう。
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*文部科学省が中学校の学習指導要領の「道徳」の「第3章」で次のように書いている。
「(5) 郷土の伝統と文化を大切にし,郷土を愛する心をもつ。」
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syo/dou.htm
 各中学校の校長先生たち、金刀比羅神社のお祭りを見てほしい。子供たちが地域の行事にどのようにかかわり、地域の文化と伝統の担い手になっているのかを祭りの準備段階から自分の目でみてほしい。
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 社会教育ばかりを主張し、学力低下に目を向けなかった前々教育長、8年間もの長期にわたって根室の教育をダメにして退職後はさっさと根室から消えた。歴代の根室市長は教育行政を担う人材を見る目がない。

 いったん、家へ戻り着替えてから車で緑町に再来。歩いてお神輿の追っかけをやって、神社までついていった。神社へ500mくらい手前で、毎年お神輿の先導をしている同期のKが歩道~見物しているebisuを見つけて、「今年はいないからどうしたのかと心配していた」、友達というのはありがたい、親身になって心配してくれている。全部終わった後で、「これで今年も一年が終わった、責任を果たした気がする」と言い残して手を振りながら神社裏から帰っていった。

 話しは変わるが、お神輿を神社境内に上げるときの手順が昔と違うように思う。高校生のときに神輿を担いだことがあるが、神社の鳥居の前の道路で枠木を外したように記憶しているのだが、記憶違いだろうか、今日は本殿前で枠木を外していたし、2年前のクラブナビさんのブログでも、本殿前の境内で枠木組をする様子が書いてあった。

 御魂を神輿から下ろすときには白い布の幕を棹につけて囲んでおごそかなうなり声を2度響かせて移した。幕を前のほうに移動させて閉じ、本殿へと神主が導いた。伊勢神宮の遷宮式のときにも大きな白幕でたくさんの神主が囲って祭神の御魂を移していた。

 緑町へ戻ったら、第三祭典区が御旅所前で先太鼓を出して打ち始めた。獅子と少年の踊りを披露した。西部祭典区が緑町三丁目方向から下ってくると、交差点を空けた。それぞれ責任者が挨拶してから頭を下げて通る、こうした儀礼をしっかり守ることが大切だ。

 第三祭典区に中学校の先生が一人参加していた。数年前に低学力の生徒達を集めて1年余補習してくれた先生だ。
 根室に赴任して3年経ったらお祭りへ参加してもらいたい。各祭典区も学校の先生たちが参加しやすいような役回りを提供してはくれないだろうか。コミュニケーションの機会を双方がつくりだすことで地域も学校教育もいい方向へ変わるのではないだろうか。
 話しは飛ぶが、ひまわり弁護士会の初代のSさんは2年目のときに神輿を担いだ。とってもうれしそうに話していたのを思い出す。
 昨年は北海道新聞根室支局のクリリンことKさんが神輿を担いだ。サリーさんが「クリリンが・・・」と言いながら、走ってお神輿を追い越して写真を撮っていた。いいカメラを買ったばかりだったから練習を兼ねていたのだろう。あのときの一連のお祭り写真はサリーさんのブログに掲載されていた。敏腕記者だったクリリンは東京へ転任になった。歯舞前浜の取材シリーズ記事が秀逸だった。どういう偶然か卒業して家業のコンプ漁師になりたての元塾生二人を紹介してくれた。ずっと隣同士でコンブ漁氏としての腕も競い合う、若い熱気が伝わってくる記事だった。35度の暑さに耐えながら、涼しかった根室の夏とお神輿を思い出しているだろう。
 三時過ぎには気温が下がり、見渡すと半袖姿はほとんどいない(、夜九時にさらに下がり15度。今夜も根室は日本一涼しい)。

 第三祭典区和太鼓の13台の演奏がはじまった。昨日の各祭典区の「競演」でやる予定だった演目である。これをやらずに終われますかといわんばかりの気合のこもった演奏に交差点を取り囲んだ主婦数人から黄色い声が飛び交った。こういうやり取りがあるからライブ演奏は楽しい。
 どの祭典区も肩からベルトで提げた大太鼓を使うが、第三祭典区は4台そろえていた。男女それぞれ二人ずつである。両手を使って両方の皮を叩きながら、左手だけは左を叩いた反動を利用して右側の皮も叩くという曲芸のような技がある。ちょっとかっこいいからどの祭典区でもやって見せる。しかし目の前2mくらいのところで4台そろって息のあった「乱れ撃ち」はド迫力があった。
 和太鼓は力を抜いてきれいに打つと音の迫力ががくんと失われるからあまりゴマカシがきかないようだ。女性の一人は女とは思えないほど迫力の音を出していた。いや、けっしてニューハーフではなかった。(笑)

 5時半頃第三祭典区が引き上げると、祭りの終わった交差点は熱気を残しながらもの寂しくなった。
 5時半なのに「夜店」はそのまま営業を続けており、歩く人も多かった。例年はもっと早く店仕舞いをしていたはずだが、今年は少し様子が違った。祭りの賑わいの余韻を楽しむ人が増えたようだ。
 看護学校へ進学予定の高校三年生二人が友人達と楽しそうに歩いていた。進路を変えたHともすれ違った。中3の男子生徒が高校見学をしたときに素敵なお姉さんがいたと騒いでいたから人気上昇中だ。(笑)
 1月に結婚したばかりの元塾生がご亭主と歩いていた。笑顔で「あら、先生お久しぶりです」と大きな声で挨拶、好きな数学だけはしっかり勉強して驚くほど点数を上げたメンコイ生徒だったが、ますます美人になった。

 たのしいお祭りが終わった、トレーニングを積み、見物の私たちを楽しませてくれた皆さんに感謝。お祭りに参加している人たちも大いに楽しんだのだろう、皆さんの笑顔がすてきでした。


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#1627 金比羅さんのお祭りと人口減少 :根室の伝統文化の伝承 Aug.12, 2011 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-08-12

#2048 金比羅さんのお祭り : 台風12号直撃の恐れあり Aug. 10, 2012 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-08-10

#2051 金比羅さんのお祭り(2):ふるさとへの思い   Aug. 11, 2012
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-08-11

#2368 平成25年金刀比羅神社例大祭宵宮 Aug. 9, 2013
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-08-09-1

#2369 平成25年金刀比羅神社例大祭(2):小雨の空模様 Aug.10, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-08-10




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#2369 平成25年金刀比羅神社例大祭(2):小雨の空模様 Aug.10, 2013 [88.金刀比羅神社のお祭り]

 東京は35度、全国6箇所で40度越え。根室は小雨が降って寒かった。朝6時の気温は道内最低で17.8度、小雨が降る中、金色に輝く神輿は予定通りお昼に神社を出発した。
 山車も行列も透明な雨具で完全防備で予定通りのコースを練り歩いた。雨具を着ずに平然と歩いている人もいて、それはそれで粋だった。わたしは2箇所で行列を眺めた。最初は止めた車の中から、そして車から降りて。一緒にぬれるのも乙なもの。

 夜になって7時半ころ町へ出た。緑町に着いたら雨はあがった。先太鼓の競演は中止の立て看板が御旅所のところに出ていた。第一祭典区が御旅所前で和太鼓の演奏を始めた。それから緑町2丁目交差点へ移動し、第一祭典区と第三祭典区の山車が向かい合わせで長い競演があり、先導がそれぞれ赤い警告灯でを交差させると演奏がやみ第一祭典区の山車が左折し 梅ヶ枝町方面へ去った。そのあと交差点では第三祭典区の和太鼓演奏があった。テンポの速い音にあわせて獅子が2頭舞踊る。三人一組の獅子舞はまるで生きているかのように敏捷な動きを見せていた。9時少し前にそれも終わった。

 西部祭典区の和太鼓の演奏を見たかったな。
 演奏するほうにも見物するほうにも欲求不満を残しながら御旅所付近での金刀比羅さんの神に捧げる演奏が終わった。

 金刀比羅神社に祀られている神は金比羅大権現だが、これはよくわからない神様である。元々の主祭神は大物主の神だが仏教の金比羅と習合して金比羅大権現となったとウィキペディアに説明があった。明治の廃仏毀釈で祭神は大物主と決まった。
 オオモノヌシミカタマノミコトは蛇神で水神としての性格をもち、大国主命の和魂(ニギミタマ)であるという。大国主命は出雲神社の神様である。大和以前の古層の神がいま御旅所に鎮座している。
 真っ暗な空を見上げながら心は古事記の世界へ一気に飛翔した。4日ほど前に『古事記 不思議な1300年史』を読んだせいだろうか。
 古事記の訓読についてはよくわからないところが多い。漢字で書かれたものを、もとの大和言葉に置き換えるのは容易なことではない。天武天皇が稗田阿礼に語った古伝承を太安万侶が漢訳して『古事記』にまとめたが、漢字は表意文字であるから大和言葉の音を写したものではなく意味を漢字で表したにすぎぬ、さてどうやってもとの大和言葉を復元すべきか、諸説があって当然である。
 先週東京へ行ったときに岩波文庫から出されている『古事記伝』(本居宣長著)を見つけて買ってきた。4冊本になっておりかなり手ごわい。高校時代の古典の勉強が基礎の基礎だが、興味がでて古い時代の本を読むときには高校の古典文法は最低限の知識である。
 知的興味を失わぬ限り数学も物理も科学も生物も古典も英語もどんな勉強もけっして無駄にはならぬ。高校時代の勉強がすべての基礎だから、そこをクリアできれば専門書が読め、自分の足で歩いて回れる世界が広がる。

 伊勢神宮と出雲神社、そしてこの本にはとりあげられていないが宇佐神社、わたしたちは神々にまつわる日本古代史について知るところが少ない。「国際人」を育成するために小学生から英語の授業をするようになったが、自国の神々や国の成り立ちについてほとんど知識をもたない「国際人」なんてありうるのだろうか?

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 記紀神話の元になっている『ほつまつたゑ』(上下巻 渓声社 1998年刊)という本がある。神代文字と漢字かな混じり文での対訳が載っている珍しい本だ。この中には万葉集で意味のわからない大和古語の漢訳が載っているから、意味を知ることができる。
 この書は五七調の1万行の詩からなっている。この書に載っている数の数え方「ひふみよいむなやこともちろ」はイチ・ニ・サンという数え方よりも古い。「いろはにほへと」と同じように一文字も重複しない天地歌(あわのうた)があるが、これは漢字への翻訳がなく神代文字をカタカナにしてあるだけだ。
 アカハマナ イキヒニミウク
 フヌムエケ ヘネメヲコホノ
 モトロソヨ オテレセヱツル
 スユンチリ シヰタラサヤワ
         『ほつまつたゑ<上>』11ページより
 この本は上下2巻がセットになって販売されていたのだが、絶版である。出版されたばかりのころ、たまたま新宿紀伊国屋書店(旧店舗)で半日を費やし片っ端から立ち読みしているときに見つけて購入した。「ほつまつたゑ」があることは解説本を複数読んでいたので知っていたが、出版されるとは思わなかったからうれしかった。定価9600円だったが絶版になってから値段は2倍になってしまった。たくさんの人に読んでほしい本なのに値段が高すぎる。
 朗誦すると気持ちのよいテクストである。五七調というのは二千年の伝統的なリズムなのだろう。小中学生と一緒に2年間毎日朗誦してみたい。すばらしいテクストだ。
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 寒いと思って合同庁舎前の温度表示を確認したら15.1度だった。東京は夜になっても室内は35度、エアコンつけっぱなしで29度に下げないと眠られぬ。東京とはまるで別世界の根室は涼しいを通り越して寒い、祭りがはねて家に戻ってから床暖房をつけた。今日も根室が日本で一番涼しい。10時頃からまた雨が降りはじめた。

 日中もずぶぬれになっていた人たちは寒かっただろう。金刀比羅神社のお祭りは晴れが多い特異日だったと記憶するが、近年のお祭りは半分くらい雨に見舞われている。
 道東沖ではクロマグロがたくさん獲れ、温暖な海水域が出現している。こんなことは初めてだ。いろんなことが少しずつ、そして案外急速に変化しつつあるようだ。そういう変化に対応しながらいつのまにかわたしたちの生活や伝統も変わっていくのだろう。


*#2368 平成25年金刀比羅神社例大祭宵宮 Aug. 9, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-08-09-1

#2370 平成25年金刀比羅神社例大祭(3):雨上がり  Aug. 11, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-08-11


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古事記 不思議な1300年史

古事記 不思議な1300年史

  • 作者: 斎藤 英喜
  • 出版社/メーカー: 新人物往来社
  • 発売日: 2012/05/12
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

古事記伝 1 (岩波文庫 黄 219-6)

古事記伝 1 (岩波文庫 黄 219-6)

  • 作者: 倉野 憲司
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1940/08/16
  • メディア: 文庫

 

ほつまつたゑ

ほつまつたゑ

  • 作者: 鏑 邦男
  • 出版社/メーカー: 溪声社
  • 発売日: 1998/08
  • メディア: 単行本




#2368 平成25年金刀比羅神社例大祭宵宮 Aug. 9, 2013 [88.金刀比羅神社のお祭り]

 緑町交差点御旅所前で4祭典区の山車の競演があった。お囃子の太鼓にはそれぞれ特徴がある。東部のそれはどこかのんびりしたムードが漂い、西部の山車太鼓は力強く練習量が半端じゃないだろう、一区が標準的だろうか、三区はテンポが速い神田囃子で楽しさが伝わってくる。

 山車の競演のときはスピーカを切ってもらいたいと思うのはわたしだけではないだろう。機械の力を借りずにガチンコ勝負の山車のお囃子競演を見たいものだ。
 トレーニングメニューの差がはっきりでてしまうのではないか。実力の違いがはっきりでれば切磋琢磨が生まれ全体のレベルがもっと上がる。いまでもずいぶんレベルが高いのだが、和太鼓が盛んになっているのでやりたい中高生が多い。ふだんの厳しい修行とハレの日の目一杯の演技、充実した楽しさのあることがいい。
 11年前にふるさとに戻り2年目だったかな、和太鼓のあるグループに入っていた中3女子生徒が道内のある都市で開催された3日間の和太鼓合宿に参加した。なんと入試2ヶ月前の1月の話しだ。自分が抜けるわけには行かない、そして何が何でも参加したいというのだ。そのあとで約束したとおりに死に物狂いの勉強、なんとかぎりぎり間に合い合格したからいいが、内申は足りなかったし点数も30点ほど上げないといけなかった、本気でやれば何とかなるもんだが、冷や汗をかいた。彼女はいまでも太鼓を叩いているのだろうか、もう20代半ばだ。いまでも名前を覚えているよ。
 和太鼓に夢中になっている中学生諸君、ふだんから勉強のほうもしっかりやっておけ。頭と身体を使ってやることでは和太鼓も主要五科目もかわらぬ。

 根室のお祭り名物男であったSaさん、7月下旬に生中継されたNHK喉自慢にもでていたが、めだたぬ装いで参加していた。「赤褌」姿をやめて何年になるだろう。35年ぶりで根室へ戻りお祭りを見たときに、金比羅さんのお祭りを盛り上げるすごい男がいるなと思ったが、あれから11年経ちすっかり卒業してしまった彼には風格が備わってきたように見える。見守り役に代わったようだが年齢に応じた祭りへのかかわり方を見つけたのかもしれない。
 祭りはこうした祭り好きのたくさんの住民と祭りへの参加を率のよいアルバイトと割り切る子供たちにも支えられてある。
 社会保障・人口問題研究所の地域別人口推計によれば2040年には市内の中学生は1学年約100名となる。現在220~260名だから、半分以下になってしまうのだが、金比羅さんのお祭りへも影響がでる。智慧を絞って伝統をつないでもらいたい。

 浴衣を着た元塾生数人とすれ違ったが、きりっと隙のない姿勢でずいぶん大人びてみえた。背中をまっすぐにしてそぞろ歩くと美しく見えるものだ。浴衣に合わせて髪型にまで気を配った品のよい着こなしはむずかしいものだが、そういうところをめざしてもらいたい。
 うっすら化粧してワンピース姿の中学生の塾生もいた。女子はみんな友だちと一緒に歩いていたが、つるんで歩いている男子の塾生には遭わなかった。
 男女で行動パターンが違うようだ。着飾る楽しみは男子生徒にはない。大人の男だって浴衣を粋に着こなして・・・なんていうのはとってもむずかしいのである。こういうことは若いうちにきちんとした着方や作法を学んでおくべきだ。品のよい挙措は動作の基本ルールや着付けの仕方を身につけてこそ可能になる。ふだんから頭と身体を使えということだろう。

 4祭典区の山車の競演が終わったのが8時頃だが、8時20分くらいから交差点に西部祭典区が太鼓を並べ始めた。和太鼓の数は15個、それに三味線に似た中国の「ニ胡」。
 直径2尺の皮に2尺5寸の木胴の太鼓が10個、直径2尺胴長4尺の太鼓が一つ、直径3尺胴長5尺の大太鼓が一つ、それにベルトで片に掛ける太鼓が三つ。根室太鼓のSさんが一番大きい太鼓を叩いていた。合計15個の和太鼓が発する音はアスファルトを伝い脚から身体を震わし、同時に空気を伝って鼓膜が震わす。2mほどの距離まで来て太鼓の皮をこちらに向けて思いっきり叩くと音は急激に大きさを増す。女の手であのスピードで叩いても撥を落とさない、皮が振動してはじいているはずだがそれをものともしない。あれだけ力を入れて叩けば同じ力ではじかれるはずだがピンと張った皮の振動に腕の力が負けていない。和太鼓15台の演奏は8時45分頃から始まり9時5分に終わった。
 司会役をやった西部祭典区の委員長、ユーモアがあってなかなか上手だった。

 昔はこういう大太鼓の演奏がなかった。大人の迫力のある金棒は失われたが、新たな伝統がつくられているということか。それにしてもあの大人の金棒のだす音がなつかしいと思い出す世代は団塊世代かそれよりも前の世代だ。同好会をつくって有志が20人くらい集まり金棒のお手本をみせてやってほしい。掛け声と金棒のシャンシャンという音がひとつになって聞こえてくる、みごとな技だ。

 風に流される霧がライトを受けて暗い夜空に白い模様を描いていた。今日は日中から6本目の電信柱が見えないほどの霧。4時頃に牧の内を十数キロサイクリングしてきたが、霧が深くて300m先がまったく見えなかった。

 明日は先太鼓の競演の日だが、それがはねた後でまた各祭典区の大太鼓の競演がある。これがみものだ。

*和太鼓のサイズは目見当、定規で測ったわけではない。10個同じタイプの和太鼓は直径を掌を開いて計測してみたら、指を一杯に開いて二つ分と10センチほどあった。勝手に他人様の道具に触れてはいけないので5cmほどの距離をとって測ってみた。指を一杯に開くと23センチあるから2尺≒60センチにはすこし足りないのかもしれない。

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#1627 金比羅さんのお祭りと人口減少 :根室の伝統文化の伝承 Aug.12, 2011 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-08-12

#2048 金比羅さんのお祭り : 台風12号直撃の恐れあり Aug. 10, 2012 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-08-10

#2051 金比羅さんのお祭り(2):ふるさとへの思い   Aug. 11, 2012
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-08-11

#2368 平成25年金刀比羅神社例大祭宵宮 Aug. 9, 2013
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-08-09-1

#2369 平成25年金刀比羅神社例大祭(2):小雨の空模様 Aug.10, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-08-10

#2370 平成25年金刀比羅神社例大祭(3):雨上がり  Aug. 11, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-08-11



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#2051 金比羅さんのお祭り(2):ふるさとへの思い   Aug. 11, 2012 [88.金刀比羅神社のお祭り]

 8月11日は祭りの最終日、MTBで緑町まで出かけた。
 元塾生のSが友だちと二人で花咲街道の交差点にいた、すぐに気がついた。2年ぶりだったが何にも変わっていない、口に手を当てて「あ!先生」と髪型も表情も一緒、「おう元気だったか!」と言いながらMTBが人ごみの中を時速5キロでゆっくり通り過ぎる、一風変わった絵を描く生徒だが夏休みでもどってきたのだろう。
 神輿は御旅所に停まっていたので、MTBを乗り捨てて歩いていく。毎年神輿の先導役をやっている同期のKから声がかかって立ち話をしていたら、元教員のTが奥さんと来ていたので声をかける。二人の話しを聞いていたら、「オサムが帰って来る」という。標津に住んでいると書けば同期ならわかるだろうが、あいつが根室へ引っ越してくる。これでややこしいことがひとつなくなる。背が大きくて光洋中学校のときは3年のときに隣のクラスにいて褌を締めて一人で「相撲部」をやっていた。あいつとは高校では生徒会での付き合いだ。65歳の同期会をやることになるのだろう。

 神輿が動き出したので一緒に歩いたら、誰かが声をかけながら小走りに追い抜かしていった。サリーさんが「クリリンが・・・」と言いながら、望遠レンズのついた愛用のカメラを片手に道路の向こう側へ渡って神輿を担いでいる人に焦点を当てている、北海道新聞記者のクリリンが担いでいるのかと探したが、反対側を担いでいるのか見つけられなかった。
 神輿は2グループで合計120人が交替で担ぐのだが、半数の60人は航空自衛隊の隊員である。団塊世代のわたしが高校生のときに担いだときにもそうだったから、おそらく50年近く続いている。
 ひまわり弁護士事務所の初代Sさんが着任の翌年に神輿を担いで、うれしそうに話していたのを思い出した。道新根室支局の記者は祭りの取材で忙しいはずだから、「クリリンが・・・」はわたしの聞き違いだったかもしれない。なにしろ周りはたくさんの見物人でごった返しており、すれ違いザマに声をかけて走り去ったのだから聞きなおす隙もなかった。
 そのときに高3の生徒とすれ違った。祭りだから彼氏とデートかと思ったらお母さんと一緒だった。お母さんには挨拶したが、「彼氏と一緒じゃないのか」という顔をしたらわかったのか当のご本人は笑っていた。

 根高野球部3年のNが祭りの装束を着て賽銭箱を担いでいたので声をかけた。高校生になってから身長がだいぶ伸びた。一時は3人にまで減った野球部だったが、今年の春に新入生がどっと入部して試合に登録できるようになったから、満足だろう。釧路武修館へ進学した弟とは残念ながら試合でまみえることはなかった。わたしもそういう場面を想像して楽しみにしていた。
 第一祭典区の子供たちのお守りに高校32年生のFがついて歩いていた。気がついて微笑む。子供といるのが楽しそうだ。進路はふたつ、子供に係わる進路と別な道、その間で揺れているのだろうが、今日は屈託のないいい絵顔をしていた。

 昨日は雨がひどかったので、祭りの行列は順路をショートカットして1時間で神輿は新築された御旅所へ納まったという。定められたコースをショートカットするのは4つある祭典区の間でももめそうだが、よくまとまったなあ、なかなかたいしたものだとほめながら、先導役をやっているKに実際とうなっているのか聞いてみた。一度台風に見舞われてことがあり、トラックに神輿を積んで回ったことがある、そのときに順路でもめたんだそうだ。祭典区ごとにそれぞれ事情を抱えているのだから、もめるのは当然のことだが、それを土砂降りの雨の中ショートカットをまとめてしまうのだから、祭りの運営スキルはなかなかたいしたもの。
 これだけ仕事ができればマチの衰退も食い止められるはずだが・・・、祭りにエネルギーが結集できても、旧弊を破壊するのはそれで得をしている人たちもいるから、うまくいかないのだろうか。祭りは3日間だが、旧弊との戦いは十年単位だから、不利益を我慢する期間が長く、辛抱も並大抵ではできぬ。

 結局、この町はなるようになってきたし、これからもそうだろう。それでいい。町の人口はあと9年で2.5万人を切り、最盛期の昭和43年頃の5万人弱の半分になり、人口減少への対応能力を欠いた「旧弊」は自然に壊れ、「オール根室」を自称しているほんの一部の者たちの何割かが消え、新しい企業も生まれ、新陳代謝が進む。
 ショッピングセンターができて外部資本が影響力を増し、自己改革力と将来性に魅力のない地元企業が消えていく。人口を減らしながら、根室はいまより住みよくなるのかもしれぬ。
 地元企業経営者たちが夢を社員に語り、自己改革を社員とともにやり遂げて繁栄し、十年二十年後にそういう企業群が残り、旧態依然とした企業がなくなっていけば、風通しのよいのびのびした町になる。
 がんばれ、夢と希望を語り、それを実現する企業の担い手たち、根室の未来は君たちの手の中にある。

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【北海道三大祭を自称するのはやめにしよう】
  理由はカンタン、虚言はみったくないからである。百歩譲って他の都市の人がいうのはいいが、自称するのはみったくなしだ。
*根室市観光協会ホームページ
 
http://www.nemuro-kankou.com/
 「北海道三大祭りの一つと言われる根室市の金刀比羅神社例大祭が・・・」

 根室以外ではでだれもこんな事を言う人はいないだろう。
 根室人は小さいなと笑われるだけだから、
金比羅さんのお祭りを「北海道三大祭」と宣伝するのはやめにしよう。小さくていいではないか、ナカミの充実に智慧を使おう。
  国後・択捉が日本のものだったときに根室のお祭りは道内有数だったかも知れぬだが、遠い昔のこと。事実として違うことを広言するのは恥ずかしいことと心得たい。
 観光客の中には何かで「北海道三大祭」と書いたものを見てくる人もいる。そして見てがっかりする、「え、うっそー、小さい」、事実と違うからだ。これより大きい祭りは道内にいくつもあるから、10大祭りにだって入らないだろう。虚言はならぬのである。根室市観光協会はずいぶん好い加減なことをホームページに書いていると、仕事の好い加減さが笑われる。
 団塊世代のわたしが10年前にふるさとに戻って祭りを見たときにも、昭和40年頃に比べて山車はオモチャっぽくなり、参加人数も半分以下になって一抹の寂しさを感じたが、総人口は最盛期の6割、子供の人口は四分の一になっているのだから、しかたがない。
 浅草三社祭のひとつ神田明神の神輿に比べても根室の神輿は引けをとらぬほど立派だが、三社祭りに繰出す神輿は約百基ある。町内ごとに神輿をもっている。山車について言えば、なんといっても青森ねぶた祭りのそれが一番豪華だ。繰出す国道には電線がないから、山車は実に大きなものが製作可能で、おまけに伝統技術をしっかり受け継いでいる。根室の山車は昔とはまったく別物に変わってしまって伝統が受け継がれていない。
 今一度、根室の祭りのあり方、そして伝統の継承の仕方を見直すべきではないのだろうか。昨年の幹事から今年の幹事へなんとなく受け継ぐだけでは、いつのまにかお祭りの大事な何かがなくなってしまったことにすら気がつかない。
 話しが脱線したので、もう一度書いておく、金比羅さんのお祭りを北海道三大祭と自称するのは虚言に等しいからやめよう。市の観光協会さん、根室人は嘘つきだと宣伝しているようなものだから、ホームページのイベントの説明を改めてください。
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*サリーさんがブログに祭りの写真をアップするはずだが、しばらく時間がかかりそうだ。アップ次第、ここにURLを貼り付けるつもりだ。
 http://ameblo.jp/sommelier/entry-11326320041.html


 前回(#2048)はカツヨさんのビデオとクラブナビさんの2009年の「ねむろ金比羅神社例大祭」のURLをを貼り付けてある。
**#2048 金比羅さんのお祭り : 台風12号直撃の恐れあり Aug. 10, 2012 
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-08-10

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#1627 金比羅さんのお祭りと人口減少 :根室の伝統文化の伝承 Aug.12, 2011 [88.金刀比羅神社のお祭り]

 8月11日、百年に7回しかないような暑い一日(最高気温30.5度)が終わった。祭りに参加した子どもたちもバテ気味だったのではないだろうか。見物人も顔や腕がうっすら日焼けした人が多かった。

 昨日(10日)釧路からの帰り厚岸に寄って、一回り年長の親戚のところで1時間ほど話しをしてきた。
 「金比羅さんの祭りはなつかしいな」
 そう前置きして、
 「最初は金棒、その次が金棒の先導、そして笛・・・というように順番が決まっていた」
 「昔は女工さんや男工さんたちがたくさん祭りに参加していたっけ」
 「笛や先太鼓の音を思い出すだけで懐かしくなる」

 昭和30年代のあのころは日本合同缶詰だけで4工場800人の女工さんがいたから、市内全部合わせると1000人くらいいたのではないだろうか。女工さんは道内各地や青森の農家の娘さんたちだった。
 男工さんも100~200人くらいはいただろう。祭りは"若い衆"が主体の大人の祭りであった。

 9年前に戻ってきて、金比羅さんのお祭りが幼児化したことに気がついた。中学生が多く"若い衆"が少ない。若い人が減ってしまうと祭りまで影響する。
 金棒は男の子が祭りに参加する最初の工程であった。それはとりもなおさず、金棒の技習得が祭りの基本だったことを意味している。ところが祭りの基本であり、主役のひとつだった大人の金棒がなくなってしまった。
 そのために金棒の技術が伝承されずに切れてしまっている。現在の中学生主体、女子主体の金棒は昭和30年代の大人の金棒とはパワーと技術的な面でまったく別物である。あれは根室独特のもので、他地域にはないものだったのではないか。金棒を振り、力で止めて音を出すのだが、全員の音が一つになる瞬間があった。
 パワーのある担い手がいなくなり金棒の技術が衰退したのに対して、太鼓は技術水準が高くなった。だから、祭りが全体に太鼓中心にシフトしてしまったように感じる。それはそれで楽しいが、根室の文化と伝統の伝承という点からはそれでいいのだろうか。

 団塊世代のころは郡部も入れると1学年1000人、市街化地域の2校だけで700人いた。いま中学生は1学年250~300人である。来年の中1年生は220人だ。
  若い衆が減って、高校生や中学生主体の祭りになったが、その中高生が10年後にどれくらい減ってしまうのか?

 10年前は高校受験が400人を超えていたようだ。それが約270~300人に減っている。あと10年たつと市内の中学生は1学年200人程度まで減るのではないだろうか?現在の3歳児が10年後中学生になるのだから、市の人口統計でわかるだろう。

 金棒、金棒の先導、笛、先太鼓などいくつかのコースメニューがあるのだろうが、一通り経験させるという方式がいつか維持できなくなる。太鼓で始まって太鼓で終わる"専門職"が増えている。
 大工は修行時代にいろいろ経験する。鉋や鋸の使い方だけではなく、基礎の造り方から地盤の固め方、左官や屋根屋や建具屋、内装職人の仕事などいろんな職人の仕事を自分の目と耳で見聞きして棟梁になる。こうして全部の仕事が指図できるようになるのだ。
 昔は祭りのトータルコーディネィターの控えの層が厚かったが、だんだん薄くなってきているのではないか?祭りを伝統文化の伝承というトータルな面から検討できる人材層がすでに存在しなくなったのではあるまいか

 1学年150人の時代が10年後に来る。祭りを支える仕組みをそのまま維持するために智慧を絞る時期が来ている。人集めもいままでのやり方ではむずかしくなっているのだろう。
 人口減少の時代が続く、いろんなことが従来のままではいかぬ、やっかいなことだが、事前に手を考えて対処していくしかないのだろう。

 パワーのある若い男たちを20人集められれば大人の金棒の技術は復活できる青森ねぶたなら"はねっと"、根室の金比羅祭りなら"金棒"と並び称されてみたいものだ
 祭典区の幹事さんたちが集まって智慧を絞ってみないか?大人の金棒復活!

 「根室の金比羅*さんの祭りと伝統文化をかたくなに守る会」


*地元では「金比羅さんのお祭り」と言っているが、神社の正式名称は「金刀比羅神社」である。コトヒラ神社と読む。
 
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#040 金刀比羅神社裸参り [88.金刀比羅神社のお祭り]

2,008年1月1日   ebisu-blog#040
総閲覧数: 1,761/35 days (元旦0時30分現在)
 

 FMネムロが新年真夜中の裸参りの中継をしている。中継中の佐藤ヨウスケさん様子がよくわかりました、ありがとう。根室印刷のS藤さんも日の出の納沙布岬で根室太鼓の披露ですね。朝の一番寒いときに岬の寒風吹きすさぶ中、毎年ご苦労様。しばれる中を赤褌一丁で裸でお参りをする元気な人たちもご苦労様。ぶるぶる、寒くて身が引き締まる。わっしょい!
 根室の町を盛り上げるために、元旦からあちこちで仕事をしている方がいる。納沙布岬の日の出には、蟹の鉄砲汁が用意されているようだが、そちらの関係者もご苦労様。まもなく日の出ツアーバスがたくさん来る。
 
FMネムロのスタッフ3人が市内各所に散って中継だ。緑町の阿部薬局をまがり、梅ヶ枝町に入ったところで、このブログを書いている。私が生まれ育ったのは梅ヶ枝町3丁目だ。この辺りは懐かしい。

 根室の金比羅さんは社格が高い。「県社」だと聞いたことがある。四国の金比羅山本社のホームページを見たことがあるが、それほど大きくはない。意外に根室の金比羅さんは全国的に見ても立派なのだ。

 根室で夏のお祭りというと8月9、10、11日の金刀比羅神社祭りだ。わたしも高校生のときに一度、御輿を担いだことがある。立派なつくりで1トンを超える重量がある。担ぐ人は白装束に首からかぶる綿入れの肩当をつける。これをつけないと、肩の皮がむけてしまうだろう。町御輿である東京浅草・三社祭の御輿のようにはっぴ姿で、わっしょいわっしょいと差上げるような真似はとてもできない。


 いまごろ金刀比羅さんは人でごった返しているだろう。

 忘れてました、あらためて皆様、新年あけましておめでとうございます
                            m(_ _)m


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