#5187 あれから13年が過ぎたけど...:福島第一原発事故 Mar. 12, 2024 [13. 東日本大震災&福島原発事故]
●3号炉の爆発の真相は闇の中、高崎の観測所データは核爆発があったことを示している。
●汚染土壌の県外搬出は約束すれど、13年が過ぎても実現の見込みなし、袋に入れて野積みのまま。
●いまだにとまらぬ汚染水の発生:
地下水が溶け落ちたデブリに接触して汚染水が発生している。このままでは処理水の海洋放出はいつまでも終わらない。
●いまだに決まらぬ使用済み核燃料棒の県外搬出:
六ヶ所村の再処理工場使用済み核燃料プールは満杯で、受け入れ不可能。中間貯蔵施設を受け入れるところは13年経ってもあらわれていない。
●いまだに決まらぬ核燃料廃棄物最終処分場
●事故処理費用の電力料金へ上載せ:責任を取らぬ取らぬ東京電力
●いまだに事故が頻発している福島第一原発、東電に原子力発電所の管理能力はあるのか?
あれから13年が経ったが、原発周辺の町は元には戻っていない。それどころか、もう永久に元には戻らぬことがしだいに明確になっている。
子どもたちは放射能感受性が高いから、子どもを抱えた人はほとんどが戻ってこない。福島第一原発のある大熊町の公立小中一貫校は3/13が卒業式だったが、卒業生は2人のみだった。帰還困難地域指定が解除になっても人口は半減、高齢者がほとんどの町になっている。他地域へ移住して職を得た人たちは、もう戻ってはこない。自営業の人たちも人口が半減してはそのほとんどが商売にならぬ。若い人がいなければいずれ限界集落となり消滅するのだろう。
こうして多くの住民が古里を失う。
そして、福島第一原発内にある使用済み核燃料棒も13年経ってもどこにも搬出できなかった。六ヶ所村の再処理工場は稼働が止まったままだから、このまま原発敷地内に保管するしか手がありません。いま原発が稼働している他の地域も同じ問題を抱えています。それでも政府は原発を再稼働し、「最大限利用する」と方針を変えました。耐用年数が過ぎたら、全部廃炉の方針だったはずですが、これでは何を約束してくれても信用できません。十年もしたら約束は反故。政治家の言うことにまことに信がおけぬ時代になりました。
能登半島の珠洲市は震度7でした。ここにも原発の計画がありましたね。実行されていれば、福島第一原発の二の舞だったかもしれません。反対運動をして止めてくれた人がいました。震度7の地震に耐えられる設計の原子力発電所はあるのでしょうか?償却耐用年数が過ぎたら、当初の耐震性能はありません。能登半島沖の地震は確率がほとんどゼロでした。地震の確率マップは信頼性が著しく低いということ。全国どこでも震度7の地震がありうるのが日本列島の特性です。実験をしているようなものです。
(今千葉県内あるいは千葉沖を震源とする地震が頻発しています。これは関東大震災(1923年)以来なかったことです。関東大震災は最初の揺れが来たあと、2度目の揺れの方が大きく、それで倒壊家屋が多数出ました。最近のテレビ番組では震源地は小田原沖だけでなく千葉にも震源地があり、1日の内に複数の震源地で地震が起きて被害を大きくしたたことがわかっています。何人もの著名な作家たち*が関東大震災の時の様子を書き残しています。NHKラジオがシリーズ「こころを読む」で放送していました。
確率ゼロの能登半島沖です大きな地震に見舞われていますから、確率が高いとされている首都圏大震災(今後30年間で確率70%)だって明日起きても不思議はないのです。首都圏で大震災が起きれば、被災した住民は首都圏外に避難せざるを得なくなり、他地域へ移住します。職は首都圏でないとなかなか得られないので、福島や宮城よりは戻ってくる人が多いでしょう。しかし、全国の人口が減少し始めているので、元の人口には戻らないでしょう。首都圏の電力需要は首都圏周辺直下型大地震を契機に激減しそうです。)
*#5091岡本綺堂と泉鏡花の関東大震災記録
その一方、廃炉作業のためにも、原子力技術者はこれからも必要です。人材育成と人材確保の両面から具体策を練り、実行に移さなればなりません。数十年間かかるので月額30万円ほどプラス・アルファ―の「危険手当付き特別公務員」枠をつくって確保するしかないかもしれませんね。作業員の確保という問題もあります。現場作業をするとすぐに被爆線量が規制値いっぱいになるので、次々に新しい交代要員を投入しなければなりません。
3年前に書いた記事を貼り付けます。
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#4504 福島第一原発事故:ファクトチェック Mar.11, 2021 [13. 東日本大震災&福島原発事故] [編集]
2号炉のベントは失敗していたから、ベントによって大量に放射能が出たということはありえぬ。全電源喪失時のベントマニュアルすらなかった。原子力発電は安全だという神話があって、万が一に対する備えがなかった。だからベントに失敗したのだ。東電はベントによって放射能が排出されたと言ってましたが、それが嘘だったということ。ではどこからあんなに排出されたのかという問題が生じます。三号炉が核爆発を起こし十数キロ先でプルトニウムの破片が発見されています。水素爆発にそんな威力はないし、MOX燃料が十数キロ飛ぶほどの爆発ってなに?
あれが核爆発で、放射能をまき散らしたなら、排出された放射能量の計算の桁が違ってくるでしょう。小児甲状腺癌が多発している問題についてもまったく違った様相を帯びるでしょう。
*やはりベントできなかった2号機 東京電力福島第一原発 (tokyo-np.co.jp)
消防士による決死の海水注入は炉心に届いていなかったこともずいぶん後でわかった。原子炉内部ではメルトダウンどころかメルトスルーを起こして、原子炉の床がすっぽ抜け、核燃料が融けてコンクリートの床に瓦礫となって固まってしまった。放射能はそばに近づけぬほど強かった。メルトダウンを認めたのは5月ではなかったか。
水素爆発では放射能は出てこない。どこから大量の放射能が出たのか?三号炉の爆発からの影響が甚大なのではないか?そしてどうして三号炉の爆発(核爆発)が起きたのか、そのメカニズムは10年後のいまに至ってもわかっていない。MOX燃料の原子炉は危ないと思わざるを得ない。それとともに思うのは、原子物理学者の知識など、原発の運用に関しては見えている範囲がとても狭いということ。何が起こったのかさえ10年たってもわからない者たちが、原発は安全だと言い、その規制に関わっている。見えている範囲は狭いにもかかわらず、その自覚がまるでない。それこそがリスクの最たるものだ。
その見本のような対談を見つけたので、お読みいただきたい。核爆発のことなら何でも知っていると神になったつもりの専門家が対談している。
*福島第一原発3号機は核爆発していたのか? – Fact Check 福島 | ファクトチェック 福島
FBでお二人物理の専門家とマネジメントなどについて議論することがある。千葉大学名誉教授のお一人は、手に入る材料でさまざまな実験を毎日やっていらっしゃる。実験のデザイン、実験結果の分析について常にオープンで、異論を受け入れてます。もう一人は原子物理の専門家でしたが、青山学院で経済学を教えています。お二人ともとっても謙虚です。世の中わからないことだらけ、だから楽しい。(笑)
ファクトチェックに必要なのは、小出さんの提供してくれた材料の方だ。この人は人生を原子力発電にかけてきても、なお知りえない部分があることを正直に述べている。
2011年5月のインタビューから。
*5月4日 3号機の爆発は核爆発だったのか? 小出裕章 (MBS) | 小出裕章 (京大助教) 非公式まとめ (wordpress.com)
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小出氏:ですから、私は、水素爆発だと思っていますし、
いずれにしても、水素爆発が起きた事は確実だと思いますけれども、それに伴って核爆発、核暴走ですね、までが起きたかどうかという事に関しては、たぶんないと、ずっと私は思って来ました。
所が、いろいろなデータが次第に出て来まして、私が今一番注目しているのは、包括的核実験禁止条約というのがあって、世界中のどこかで秘密裏に核実験が行われているかどうかという事を、監視するための測定機関があるのです。
日本の場合はそれが(群馬県)高崎にあって、待機中の微量の放射性物質を
常に監視しながら、どこかで核実験が行われているかどうかという事を
ずっと監視している組織があるのです。
MC:国際的組織なのですか。
小出氏:国際的な、包括的核実験禁止条約を検証するための組織です。
そのための日本の組織もあって、それが高崎で観測を続けて来た訳ですが、その施設でずっと放射能を計って来た所、
3月15日から16日にかけての空気中の放射性各種の分析ももちろんしていたのです。
その日はちょうど東京にも物凄い濃密な放射性物質が飛んで来た日ですけれども、高崎のその研究機関で測定した所、ヨウ素135という放射性核種が大量にあったという報告がなされています。ヨウ素135という放射性核種は、半分に減るまで6.7時間という比較的寿命の短い放射能です。
MC:6.7時間で半分になる。
小出氏:そうです。
3日も経てば1000分の1になってしまう、非常に寿命の短い放射性核種なのです。もし、福島の原子力発電所が、3月11日で停止したのであれば、その時原子炉の中にあったヨウ素135は、3月15日の段階ではもう殆ど無いと思っていいと思います。
MC:そうですね、3月11日から3月15日までの間に、もう物凄く微量になっているはずですよね。
小出氏:そうです。
もう4日経っている訳ですから、何千分の1かになっているはずで、ほとんど無いと言って良い位になっているはずなのですが、その高崎で計っていた機関の測定結果によると、
膨大なものがあった、ヨウ素135が。もしその測定値が正しいとすれば、そのヨウ素135は、3月15日あるいは3月14日に生みだされたと考える以外にありません。そうすると、3月14日に3号機で爆発が起きたという、その時に出来た可能性というのは、考慮すべきかもしれないと思います。
MC:という事は、3号機がもし水素爆発であったとしたならば、この直後にヨウ素135(間違って145と発言)が膨大な量で検出される事は考え難いのですが。
小出氏:水素爆発だけなら、もちろんそんな事はないのですね。
ですから、水素爆発に誘発されて、使用済み燃料プール中の使用済み燃料というものが、ある一定の場所に吹き飛ばされて、と言うか、集まって、そこで再びウランの核分裂反応が異常に進んだ、という状況を仮想するのです。仮想するというか、そんな事があったという事がひとつの説明になるかもしれないと。
MC:この時間にヨウ素135(145と間違ったまま)が沢山あるという事の説明のひとつとしてはあり得る、考え得るという事ですね。
小出氏:そういう事も考えなければいけないのかな、と思うように今私はなっています。
MC:という事は、水素爆発はあって、それを引き金にして、もしかしたら核分裂反応が使用済み燃料で進んだかもしれないという事。
小出氏:そのためのひとつのかなり有力な証拠というものが出て来ている訳です。
ただ、こういう放射性物質の測定というものは、東京電力も何度も何度も間違えた情報を出して来た訳ですから、高崎のその包括的核実験禁止条約を検証するための測定機関が間違った情報を出した、という可能性もあると思います。
ですから、情報開示(声かぶってよく聞き取れず)は常に注意をしながら考えなければいけませんが、もしその測定データが正しければ、3号機の爆発というのは、ひょっとすると核暴走という事が起きたのかもしれない、と今私は思い始めています。
近藤氏:先生、この事とレベル7との因果関係というものは無いのですか。
小出氏:ありません。
MC:それとは関係ない。
小出氏:はい。
要するに、核暴走が起きたか起きなかったかという事とは全く関係なく、環境に出て来た放射能の量というのは、別に測定されている訳ですね。多数の地点で。それでもう大量の放射性核種が出て来てしまっているという事は確定している訳です。ですから、それが壊れて溶けてしまった原子炉の中から出て来たのか、あるいは一時的に核暴走という事が起きて、ある程度の量の放射性核種がその時に噴き出して来たのか、という事。
どちらでも良いのですけれども、もう出て来た放射性核種自身の量は解っているいますので、レベル7はもう動かない事実です。
#4503 福島第一原発3号機の爆発は何だったのだろう?
*四号機の使用済み核燃料2148本はすでに原発敷地内の共用プールに移設されています。
共用プールに6365本、キャスク仮設置き場に2033本、合計8398本あります。地震で共用プールにひびが入り冷却水が抜けたら、想像するだに恐ろしい。首都圏も含めてアウトだ。
福島第一・第二原子力発電所の燃料貯蔵量 - 福島県ホームページ (fukushima.lg.jp)
福島第一4号機使用済み燃料取り出し完了──計画の狂いは規制委のせい? (kakujoho.net)
「キャスク」の意味や使い方 Weblio辞書
使用済の核燃料を陸上で安全に保管する「乾式貯蔵」とは?|スペシャルコンテンツ|資源エネルギー庁 (meti.go.jp)
原子力規制委員会の更田豊志委員長のビデオを見たが、いつまでに何をという具体的な考えのない方のようだ。廃炉に向けてどういう最終の姿とそれに向けてどういうスケジュールで何をいつまでにやっていくのか、通常はPERTチャートで管理するが、話を聞いている限りではそういう絵柄がまったく出てこない。マネジメントの素人。
たとえば、「リサイクル備蓄センターの事業許可申請」がいつになるのかは事務局任せでいつになるのか目標値すら示していないように聞こえる。キャスクの耐用年数が来たらどうするかについても考えていない。頭のよい方ではあるのだろうが、マネジメントという観点から見ると、ひどくお粗末。あえていいところを挙げると、前委員長よりは人がよさそうであることは認めたい。
福島第一原発内での使用済み核燃料や核燃料デブリはそのままサイト内に貯蔵されることになる。誰がやっても原子力規制委員会委員長の職はたいへんだが、原子力分野でマネジメントのできる人材はいないのだろうか?
2020年9月2日の定例記者会見のビデオのURLを貼り付ける。
「恐れるのは(使用済燃料の)出ていく先が無い状態でキャスク(保存容器)の耐用年数が来てしまうこと」リサイクル燃料備蓄センターの事業許可変更申請について~9.2原子力規制委員会 更田豊志委員長 定例会見 - Bing video
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*「なぜ、圧力が急激に下がったのか…のちのシミュレーションでわかった「意外な実態」」
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東日本壊滅はなぜ免れたのか? 取材期間13年、のべ1500人以上の関係者取材で浮かび上がった衝撃的な事故の真相。他の追随を許さない圧倒的な情報量と貴重な写真資料を収録した、単行本『福島第一原発事故の「真実」』は、2022年「科学ジャーナリスト大賞」受賞するなど、各種メディアで高く評価された。今回、その文庫化にあたって、収録内容を一部抜粋して紹介する。
消防注水の開始
電源復旧とベント作業。事故対応の行方を左右する重要なミッションの裏で、吉田はもう一つ大切な作業の指揮をとっていた。消防注水だった。12日午前2時すぎ、免震棟は、原子炉を冷やすために消防車による注水作業に乗り出した。消防車のホースをタービン建屋の送水口に接続すれば、消防車から注ぎ込まれた水は、一本道となった水のラインを通って、原子炉へと送り込まれるはずだった。
しかし、ここでも作業は難航した。そもそも免震棟には、配備されていた消防車の運転操作ができるものが誰もいなかった。消防隊は、消防車を運用していた協力会社の南明興産(現・ネクセライズ)に頼み込み、消防車を操作してほしいと求めたのである。南明興産にとっては、高い放射線量の中で社員に消防車を操作させるのは危険であり、委託業務からはずれる作業だったが、非常事態だけに、求めに応じた。
午前2時45分。復旧班が1号機の中央制御室に車のバッテリー2台を直列で結んだ急ごしらえの24ボルトバッテリーを持ち込み、原子炉圧力計を復活させた。
圧力計を見ると、およそ8気圧だった。原子炉圧力は11日午後8時台は69気圧だった。原子炉圧力を下げる措置は何もしていなかった。いつの間にか、69気圧が8気圧へと大幅に下がっていたのである。吉田は首をひねった。
なぜ、圧力が急激にここまで下がっているのか。吉田は、炉主任と呼ばれる原子炉物理学などの専門資格を持つ原子炉主任技術者や原子炉の解析を担当する技術班の幹部と議論した。しかし、専門家であるはずの彼らも燃料が破損している可能性を指摘するものの原子炉圧力がここまで急に下がった理由を説明できなかった。不可解であったが、圧力が8気圧にまで下がっていれば、10気圧程度ある消防車のポンプで原子炉注水はなんとかできる。吉田は議論していても仕方がないと考え、とにかく作業を進めることにした。
後の「サンプソン」のシミュレーションによると、この頃までに、原子炉の中でメルトダウンした燃料が熱を帯び、原子炉の配管の繋ぎ目が溶け出して破損し、放射性物質を帯びた蒸気が格納容器に噴出し原子炉圧力が急激に下がったとみられている。一方で蒸気が噴出した先の格納容器の圧力は急上昇し、原子炉圧力と格納容器圧力がほぼ同じになるという現象が起きていたと推定されている。事態は、吉田ら免震棟の誰も理解も制御もできていない状態に陥っていたのである。免震棟の防災班の社員と南明興産の社員が1号機に向かったが、消防ホースを接続するタービン建屋の送水口がどこにあるか正確に知らなかったため、暗闇の中で送水口を探すのに手間取った。結局、消防車による注水作業が始まったのは、午前4時すぎだった。当初、消防車のタンクにあった1.3トンほどの水を注水していたが、すぐに水はなくなった。消防隊は、1号機のタービン建屋の海側にある防火水槽近くに消防車を横付けして、防火水槽に溜めていた淡水を汲み上げることにした。別の消防ホースをタービン建屋の送水口までのばして接続が完了した。午前5時46分、ようやく注水ができるようになった。吉田が思い描いた消防車による注水作業は、こうして12日早朝から断続的に行われるようになっていた。さらに連載記事<1号機爆発まで24時間50分…東日本大震災が発生した「まさにその瞬間」の「福島第一原発」の「あまりに緊迫した状況」>では、発災直後の緊迫した様子を詳細に語っています。
ごめんなさい、ずっと嘘をついてきました。 ――――福島第一原発 ほか原発一同
- 作者: 加藤就一
- 出版社/メーカー: 書肆侃侃房
- 発売日: 2021/03/04
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
いないことにされる私たち 福島第一原発事故10年目の「言ってはいけない真実」
- 作者: 青木美希
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2021/04/20
- メディア: 単行本