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99. 資本論と21世紀の経済学(2版) ブログトップ
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#3097-5 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版)-5  Aug. 3, 2015  [99. 資本論と21世紀の経済学(2版)]

#3097 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版)<目次>  Aug. 2, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-15



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 Ⅳ.日本経済の未来(人口減少と高齢化を見据えて) 

17. <人口統計から見える未来>

  日本では世界に例を見ないほど高速に少子化と高齢化が加速的に進行している。縄文時代を含めて1.2万年の日本列島の歴史のなかで、初めて遭遇する長期にわたる人口減少はなにを意味しているかと、わたしたちは問うべきだ。 
 推計データを並べてみると、人類がこれから遭遇する困難な時代に日本人が無意識に備えを固めているという深い意味が隠されているようにも読める2060年には世界人口は100億人付近にあるから、世界的な食糧不足と食糧相場の高騰が予想される。貧乏な国ではたくさんの餓死者が出るだろう。日本も経済格差がこのまま固定、あるいは拡大すれば、国際穀物相場や食物相場が上昇すれば食費にお金が回せない家庭が増える。そのときに、人口が4000万人減っていれば食糧の輸入が途絶えても、自給がなんとか可能になる。人口減少はそういう時代に向かって、日本人が無意識に準備をしているという解釈もありうる。 

 
どういう状況が現出するかを推計データでごらんいただきたい。日本の人口推計データは社会福祉・人口問題研究所のものである。世界人口推計は国連や米国科学雑誌に載った最近の研究報告データ。
 
人口推計データ   
 (千人)(千人)(千人)(億人)
総人口生産年齢人口生産年齢人口減少数世界人口
(2010)128,057 81,735  77
(2020)124,100 73,408 8,326  
(2030)116,618 67,730 5,678  
(2040)107,276 57,866 9,864  
(2045)102,210 53,531   
(2050)97,076 50,013 7,853 96
(2060)86,737 44,183 5,830  
(2070)75,904 38,165 6,018  
(2080)65,875 32,670 5,495  
(2090)57,269 28,540 4,130  
(2100)49,591 24,733 3,807  
(2110)42,860 21,257 3,476 123


 
右端の世界人口が現在の77億人から35年後の2050年に96億人に、そして2110年に123億人に急増していくのに、日本の人口は1.28億人から4280万人へ減少し続けるのである。世界の流れに逆らって、先手を打っているようにはみえないだろうか? 

 
2013年時点で生産年齢人口がピーク時よりも200万人減少している。非正規雇用は全雇用者の40%を占め、比率は年々拡大を続けているから、勤労世帯の総所得は人口減少を上回る速度で減少することになる。
 
勤労世帯の所得は消費拡大の素(もと)であるから、その所得合計が小さくなれば、消費が減って景気は長期にわたって悪化する。合計所得は次の算式であらわされる。

  ①生産年齢人口×②就業率×③一人当たり所得=勤労世帯の所得合計 

 
勤労世帯の所得合計は三つの変数の積で決まる。生産年齢人口は15歳から60歳の年齢層だが、すでにピークよりも200万人ほど減少して、外食産業の一部で若者のアルバイトを確保できずに閉店が増えている。一つの会社で百店舗以上閉店せざるをえなくなっているところもある。以下、三つの変数を一つずつ検討してみよう。 

【生産年齢人口の急減少】
 
これから50年間で生産年齢人口が半減するから、ブラック企業と噂の立った企業には人が集まらなくなる。生産年齢人口の減少は、社員を大事にしない企業に大きなツケを支払わせることになるだろう。長期的に見れば、社員の生活をないがしろにするような企業は人口減少時代を生き残れない。こういう淘汰が進むのはいいことだ。ここでは生産年齢人口が激減していくことを押さえておけばよい
 
釧路と根室の場合は、子どもたちの学力低下が地元企業の経営者たちを悩ませ始めている。雇ってもすぐに辞めてしまう、高卒なのに割合の計算ができない、簡単な漢字が書けない、すぐに辞めるなど、学力低下が地元企業の事業継続に深刻な影響を及ぼし始めている。ボランティアで運営している「釧路の教育を考える会」の掲示板にはそうした地元経営者たちの悲鳴のような具体例が書き込まれている。学力低下は地元企業の事業継続に深刻な脅威となりつつある。釧路は地元企業経営者が子どもたちの基礎学力低下に危機感を抱いているところが根室と違う。 

 
生産年齢人口の減少は企業に変革を迫っているのだから、それを正面から受け止めよう。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」に「その企業で仕事をする人もよし」を付け加えたい。それを実現する経営力を持ち合わせた経営者はめったにいないからそうした企業は少ない。経営力の貧弱な経営者は取締役の報酬は増やすが、社員をリストラし、非正規雇用を増やして、人件費を切り下げることで利益を増やそうとする。人件費をカットしながら、自らの年間報酬を10億円以上に引き上げて恥じない、カルロス・ゴーンのような劣悪で強欲なな経営者をマスコミが持ち上げてはいけない、ダメなものはダメと言おう。会社は短期売買を繰り返す株主のものではないし、強欲な経営者のものでもない。 

2010年比で見て、生産年齢人口は2040年には70.8%5786万人へ、もう一世代後の2070年には46.7%3816万人へ激減する。一人当たり勤労者所得が同じだと楽観的な假定をしても経済規模(国内消費)は2040年に7割、2070年には半分以下になる。) 

【就業率は横ばい】
 
人口減少時代の就業率の見通しはどうか。専業主婦でも家計を助けるために子供の塾通いや進学にお金がかかるからアルバイトをしている主婦は多い。非正規雇用だから給与は正規雇用に比べて同じ時間を働いても三分の一程度である。すでに専業主婦が少ないから、就業率を上げるのも困難だ。
 
政府はこの15年で療養型病床を10万ベッドも政策的に減らしてきたから、認知症老人を家庭内で介護せざるをえない状況が生まれており、介護のために退職を余儀なくされる家族が増えていることも、就業率にはマイナスに働く。

 
113日のテレビ報道によれば、200710月~20129月までの5年間で、48.7万人が介護を理由に退職。8割の38.9万人が女性、50歳代の女性が多いという。施設数を減らして政府はしゃにむに在宅介護を増やそうとしているが、直近では介護退職は年間10万人に増えている。 

【一人当たり所得は漸減】
 
一人当たり所得はどうだろう。非正規雇用がほぼ40%にまで上昇しているから、勤労者一人当たり所得はこの5年間で10%ほど低下している。このままでは非正規雇用が50%を超えるのは時間の問題である。正規雇用者の給与を上げても、平均給与水準は低下し続ける。 

 
こうしてみると人口減少に伴い三つの変数の内、①「生産年齢人口」が著しく減少し、②「就業率」は横ばい、そして非正規雇用割合の増大によって③「一人当たり所得」は漸減していくから、勤労世帯の所得合計額は長期的な低落傾向を免れない。政府は大企業に賃上げ要請をする一方で、この10年間ほどで療養型病床数を10万ベッド減らして介護退職を激増させているが、経済成長という点からみるとちぐはぐで整合性がない。

 25年後の2040年の日本の人口構成は12百万人(ピーク時に比べて約20%減)、生産年齢人口は5786万人(ピーク時に比べて約30%減)である。日本の経済規模はピーク時に比べておおよそ25%縮小(GDP500兆円から400兆円に縮小)するだろう。こういう大きな長期的変化の中で経済政策も考えなければならないのだが、現実は経済が縮小し始めているのに成長路線へ舵を切るというちぐはぐなことをやっている。  日本列島には縄文時代以来1.2万年の歴史があるが、このように長期にわたる加速的な人口減少は経験がない。そういう大きな視野から国家戦略を考えるべきだ。急激な人口減少という事実から、日本経済の縮小は避けられない、それゆえ経済規模が拡大を前提にした成長路線はありえない話である。とるべき道ははっきりしている、日本経済の縮小を前提に経済政策を立案すべきだ。たとえば、インフラは維持すべきインフラと廃棄すべきインフラに分けて政策判断を行うべきだ
 国のレベルでいえばリニア新幹線は要らない、ふるさと根室でいえば国道の複線化は必要ないし、明治公園の再開発(40億円)も不要である。新規のインフラにお金をかけることは、未来の負担を大きくするだけである。どのインフラを維持するのか、どのような縮小をしていくのか、そこに議論のピントを合わせるべきだ。
 

人口減少と明るい未来]
 では日本の未来は暗いか?そうではない、縮小するからこそ明るいのである、だから人口縮小をとめる必要はない。国連の推計によれば2100年には世界の人口が109億人に達するという。昨年9月に米国の科学雑誌「サイエンス」に掲載された米国と国連共同チームの推計によれば123億人となっている。
 
2050年には96億人という推計が国連から昨年6月に出ている。2040年に世界の人口が90億人だと假定しよう。現在よりも13億人も増えるから、地球上にもうひとつの中国生まれるようなものだ、その結果世界中で食料の争奪がいまよりもずっと深刻な様相を呈することになる。中国は自国のEEZの水産資源を獲り尽くし、なりふり構わず他国の領海へ侵出してくる。
 
台湾(中国)が北太平洋の公海上に1000tクラスの大型漁船を10隻も浮かべてサンマ等を取り捲っている。船倉は大型の冷凍庫になっており、獲った魚はすぐに冷凍され、箱詰めされる。3000tクラスの輸送船が北太平洋上でフル操業しているこれらの漁船を回って冷凍された新鮮なサンマを回収して台湾へと向かう。買い手は中国である。いくらでも買い付けをするから、獲れば獲るほど利益が出る。こういうビジネスモデルがすでに確立している。サンマは一尾50円の安値で中国本土で売られている。根室よりも安い。中国人は、サンマは香ばしくて美味しい魚だと喜んでいる。産地の根室に住むわたしとしてはなんだか自分の庭を荒らされているような気分がする。冷凍技術の進化で北太平洋公海上はまるで中国の領海化しつつある。
 中国ばかりでない、インドも人口が増えており、まもなく中国を抜いて世界一になる。どちらの国も食料を大量に輸入することになる。日本でこのまま経済格差が拡大すると、食料調達のできない低所得層が急拡大しかねない。すでに母子家庭で子供に三度の食事を食べさせる余裕のない家庭が現れ始めて、社会問題化しつつある。
 
2040年に人口が17百万人(ピーク時の13%減)になると、食料の自給率が大幅に改善できるし、都会の通勤ラッシュも生産年齢人口が2600万人(ピーク時に比べて30%減)も減少するので解消されるだろう。
 
2世代後の2070年を見ると日本の人口は7590万人でピーク時に比べて38.3%減少し、生産年齢人口は55%減少する。北海道の食料自給率は現在200%といわれているが、19億人人口が増えて世界人口は96億人になるから、35年後の北海道はじつに有利な条件を備えていることになる。
 環境を汚染せず、水産資源を維持していくことができれば未来は明るい。問題は子供たちの教育である。
*「日本の人口推移(生産年齢人口推移)」 生産年齢人口のピークは1995http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/hokabunya/shakaihoshou/dl/07.pdf 

[人類の遺伝子劣化を防ぐ努力]
 原発事故による放射能汚染は日本人の遺伝子の劣化を招く、プラスチック製品は海洋に流れ出して、世界中の海の数箇所にたまり、紫外線で劣化しながら波の力でぶつかり合ってミクロン単位の小さなものに分解され、魚類の体内に取り込まれつつある。魚の内臓はミクロン単位やナノ単位のプラスチック微粒子で汚染されてこのままではいずれ食べられなくなるだろう。最終的には人間の体内へ取り込まれるから、遺伝子の劣化を招く災害となって人類を襲う。原発は事故を起こさなくても核反応によって半減期2.3万年のプルトニウムを生成するから、人類の遺伝子にとって深刻な脅威となる。原発とプラスチックはいま手を打たないと間に合わない。
 
小さなことだが、ペットボトルの使用をやめてガラスのリターナブル・ボトルにしよう、大人の責任だから大きなこともしっかり取り組もう、原発をやめてこれ以上使用済み核燃料を増やさないようにしよう、未来の子供たちのためにわたしたち大人がやれることはいくらでもある。

[生産拠点を増やすためにいまやるべきは鎖国政策]
 日本から失われた生産拠点は強い管理貿易(鎖国)によって再構築できる。そうすれば若者に正規雇用の職が保障できる。生産拠点さえあれば団塊世代が前の世代から受け継いだ技術を若い世代に渡すことが可能になる。いま必要なのは、米国のスタンダードに合わせることではなく、それに背を向けることだ。日本には職人中心の経済社会を築き安定と豊かさを実現するためにこれから300年間鎖国の眠りにつくという選択肢がある
 
学力の低い者たちにも正規雇用を保障するためには、強い管理貿易に切り替えて国内に生産拠点を取り戻し、手仕事、肉体労働を増やすべきだ。
 
そのためには徒弟制度を研究して職人を育成するシステムを作り直さなければならない。一人前に職人になるには強靭な辛抱力が要る。そうした観点から、家庭のしつけと学校教育や進路指導を見直そう。
 
日本は環境と調和する手仕事の職人中心の経済社会を創りあげて、生産システムとそれを支える価値観、「小欲知足」「浮利を追わない」「売り手よし、買い手よし、世間由の三方よし」を世界中に輸出しよう。こんなことを21世紀にやれる可能性があるのは世界中で日本だけ。
 
誇りと使命感をもって困難な課題にチャレンジする姿は、学校の先生たちのあるべき姿と同じだ。日本はそういう価値観をあらゆる職業の人たちが共有できる国だとわたしは思うのである。 

 18. 「経済成長の天井」:日本総研山田久調査部長の論> Aug. 11, 2014 
 さまざまな分野のスペシャリストが、それぞれ異なる意見を表明しているが、それらとマルクス『資本論』の公理・公準を入れ替えた「新しい経済学」を対比することで、両論の特徴がより鮮明になって見えてくるから、山田氏の論に耳を傾けながらわたしの論を対置してみたい。 

 
山田氏は貿易収支が赤字になっていることと、人手不足を「新たなハードル」と名づけている。貿易収支の赤字には供給サイドの問題が隠れており、6月の有効求人倍率1.122年ぶりで建設・小売・外食産業に人手不足が現れている。とくに外食産業ではアルバイトを確保できずに閉店が相次いでいる。山田氏はこれら二つの問題を個別に論じている。

[
]供給サイドの要因
 「国内生産設備の圧縮+人口減少」の二つの要因の影響を挙げている。彼の論によれば、外国人労働者の受け入れ増大は根本的な処方箋にはなりえない。外国人労働者を増やして設備投資を拡大しても、将来設備過剰になることが目に見えている。人手が足りなければ生産性を上げることを考えるが、人手が足りてしまえば、そうした圧力がなくなり、生産性向上にブレーキがかかるという。
 
では外国人労働者が増えなければ生産性向上が実現できるのか、そんなに単純な図式ではないだろうとわたしは思う。理由は後で述べる。

[
]需要が不足するというリスク
 消費拡大には賃金上昇が必要なのだが、賃金上昇のテンポに懸念がある。大学生や専門学校生の多い外食産業のアルバイトの時間給は上昇しているが、システム化による事務の生産性向上や工場の生産性を年々あげている大手企業と製造業では人余りのままである。したがって、これらの分野ではボーナスの上昇はあっても、基本給アップは限定的となる。つまるところ消費拡大はないという結論である。
 
その通りだが、いまごろこんなことを言い出すのだからよほどのんびりした性格に違いない。

[3]
供給不足経済が広がり始めている
人口減少による人手不足で、製品やサービスの供給能力が落ちてきている。建設業界、外食産業でそれが顕著に現れている。

[山田氏の処方箋]
 生産性と賃金が同時に上がればいい、それには二つポイントがある。
 
物的生産性向上
 
付加価値生産性向上

 GDPよりはGNI(国民所得)を増加していくことを考えるべきだというのが山田氏の主張である。海外投資からの利益を増やし、その結果賃金が上がるというルールをつくっていく。物づくりは海外でやり、商品開発は日本でやる。
 
これは政労使会議での決定事項と同じだ。日本総研は三井住友フィナンシャルグループが大株主だから、そういう意見になるのだろうか?

 日本経済の先行きを考えるときに、縄文時代以来1.2万年の日本列島で、はじめての人口縮小は高齢化と少子化の同時進行によって起きている。人口縮小時代に突入したという大きな時代認識が不可欠であることは論を俟たないだろう。山田氏の論にはそういう大局観が希薄に見える

 二つ、論点を指摘しておきたい。
 一つは、海外に生産拠点を移したまま、国内で商品開発をするという分業体制を考えているが、これは一部の企業の特殊な例に幻惑されて、現実を見ていない雑な議論である。
 たとえば、繊維メーカ(帝人)は海外に生産拠点を移したため、国内に30年以上工場をつくっていないという。海外子会社には工場新設の技術があるが、国内で工場新設の技術者はとっくに退職して、技術自体が失われてしまったという。もう17年も前に聞いた話だ。国内に工場がないのだから、生産技術の伝承もできない。物の生産という面では国内の技術が急速に失われつつある。裾野がどんどん小さくなっていることが、新商品がでてこない理由の一つに数え上げられるが、山田氏はそれをさらに促進しようというのだ。
 伊勢神宮の式年遷宮を考えてみたらいい、建築技術伝承のために20年に一度建て替えを繰り返している。1400年もそうしたことを連綿と続けているからこそ、技術伝承がある。仕事があれば技術伝承ができるが、国内に仕事がなくなれば生産技術の伝承は途切れてしまう
 それゆえ、海外に生産拠点を移して、国内で商品開発という分業体制は国内に生産技術が失われてしまうことを意味している。
 日本が上手だったのは生産現場でのさまざまな工夫・アイデアが生まれて、製品の改良や新商品のアイデアが出続けたということ。生産性向上は製造現場で仕事をするさまざまな職種の職人たちが担ってきたのである。新商品も開発チームには思いつかぬ工夫が生産現場で次々となされる。そうして高品質の新製品ができあがっていく。生産現場で工夫がなされることで高品質の製品が市場に出せる、松下産業が典型的な企業だろうし、トヨタだってそうだ。米国型の生産と商品開発のような分業システムは日本では稀だったし、これからもそうだ。
 
わたしが働いていた国内最大手の臨床検査会社の八王子ラボでは、研究部や党首検査部が新規項目開発を担う形には組織上なってはいたが、研究部は人数が少なかったし、特殊検査部は3課あり人数が多かったが、その業務の大半はルーチン検査だった。その一方で、各ルーチン検査部署からさまざまな研究案件が予算編成時にあがってきた。量でいうとルーチン検査部のほうが研究・開発が多いのである。ルーチンをこなしながら、一部の研究熱心な社員が、5時に仕事が終わった後で、残業をして自分のやりたい研究をする、必要な資材は申請すれば買ってもらえた。研究部や開発部に配属されなくても、何をやりたいか文書にしたためて必要な設備や原材料を予算申請すれば、そのほとんどが許可になった。もちろん失敗しても責任が問われることがなかった。成果が上がれば評価される。こういう仕組みがあるから、SRLは業界ナンバーワンで、高収益を挙げ続けたのだろう。利益がなければ、社員に好きな研究をさせることができないから、高収益の企業であり続けることは企業の安定的な継続に不可欠の条件といえるだろう。
 
生産拠点を海外に移し、国内では商品開発を行うというのは、日本的な商品開発のやりかたを不可能にして、生産工程改善の芽を摘む愚かな政策にみえる

 二つ目の論点だが、山田の処方箋「海外投資家らの利益を増やし、その結果賃金が上がるというルールをつくる」ということだが、これも幻想で、現場を知らぬ学者の論と同じ。
 日産のカルロス・ゴーンが最悪のお手本をみせてしまった。リストラと非正規雇用増大による利益拡大、そして役員報酬相場を跳ね上げてしまった。この20年間で役員報酬は2倍になったが、サラリーマンの平均年収は下がっているこれを強欲と呼ばずして何を強欲というか。従業員をリストラして人件費を大幅に削減し、それを自分手柄にして恥じない、わたしには最低最悪の経営者にしか見えない。
 厚生労働省が公表している「毎月勤労統計調査」によれば、1997年の月額37.1万円をピークに減り続け、2013年度は月収31.4万円になっている。ピークに比べて15.4%も低下している。非正規雇用割合がじりじりと上がり続けているからだ。
*http://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_eco_company-heikinkyuyo 

 
生産年齢人口はこの数年で200万人減少しているから、平均月収の低下と勤労者人数の低下のダブルパンチでは消費が増えるはずがない。
(暮れの12月24日になされた静岡経済研究所の「主婦の消費動向アンケート調査」では「景況感はやや後退、家計の引き締め傾向強まる」、主婦の7割がこれから一年間財布の紐を締めると回答している。この経済研究所の分析では、消費税アップと円安による物価上昇が主婦の行動を引き締めに変えたということだ。内閣府が毎月「景気ウォッチャー」調査を公表しているが、11月のそれは「先行き判断悪化」だった。理由は物価上昇によって企業収益や消費者行動に危険信号がともりはじめたからだ。)*静岡経済研究所「主婦の消費動向調査」
http://www.seri.or.jp/news/press/post_67.html

 無能で度量の小さい経営者達がこぞってカルロス・ゴーンを真似て社員をリストラし、非正規雇用を増やすことで利益を確保することに慣れきってしまった。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」には、企業で働く人々の仕事のしがいや幸福も入っていたはずだが、こうした伝統的な商道徳を忘れてしまったかのような経営者が巷にあふれ出しており、日本の伝統的な経営観が失われつつある。 
 しかし、「売り手よし、買い手よし、世間よし、働く人よしの四方よし」を実際の経営でやるのはなかなか厳しい。経営者に高い能力と大きな度量が要求される。高いレベルで経営のバランスをとるためには高い経営能力が要求されることは当然であるが、そういう経営者たちは次々にこの世を去り、倫理レベルの低い取締役たちが名門企業で次々に増殖していった。経営倫理基準と経営能力の低い経営者たちは利益を上げるために社員をリストラし非正規雇用を増やす、簡単に利益が出るからだ。心理学的に言うと「近道反応」である。その結果、役員報酬は2倍になったが、正規雇用の社員と非正規雇用をあわせた勤労者の平均年収が減少している。サラリーマン男子の4人に一人が300万以下の年収だという。自分さえよければという倫理基準の低い経営者が増えている証左だろう。
 
人口減少時代は経済規模の縮小の時代でもあるから、過去の日本のように経済成長によって所得(分配)を増やすことはできないから、分配の公平性をどこかで保障しなければならない。現実は非正規雇用割合の増大によって労働分配率が低下しつつある。
 法人企業統計によると企業の内部留保は1998年には131.1兆円だったが、2012年には304.5兆円と173.4兆円も増えている。14年間で2.3倍である。別の資料で調べてみたら、2013年度はさらに23.4兆円増えて327.9兆円になっている。2014年度は株価が上がっているから評価益が出てさらに50兆円以上増えるだろう。追って公式統計が明らかにしてくれる。サラリーマンの平均年収が下がっているのにこの14年間で民間企業の内部留保が2.3倍に膨らんだということは、労働分配率が低下しているということ。
*「法人企業統計から見る日本企業の内部留保(利益剰余金と利益分配)」前財務省総合政策研究所次長岩瀬忠篤、財務省総合政策研究所調査統計部佐藤真樹共著
http://www.mof.go.jp/pri/research/special_report/f01_2014_03.pdf 

 
どのデータも同じことを告げている、強欲な資本主義が日本中に蔓延してしまったのがこの20年間だ、山田氏は牧歌的すぎる。 日本企業の経営者たちの倫理水準はいまや米国の経営者たちと同レベルである。グローバリズム(強欲な者たちの資本主義)が日本の経営者たちの心を蝕みつくした。

 私の処方箋は、生産拠点を国内に築き、国内雇用を確保することだ。TPPは滅びの道であり、日本は強い管理貿易(=経済鎖国)をして、日本国内で生産できない商品のみ輸入すればいい。安全で高品質なものだけ国内生産を行い輸出し、肉体労働を伴う雇用の場を飛躍的に増やせば、学力競争に敗れた過半数の若者たちを救える。若者たちに安定した職が保障されれば、少子化の速度も緩和できる。資本主義から小欲知足の職人主義経済へ移行しよう
 工場だけでなく生産の仕組みや生産技術そして資材調達の仕方も含めて輸出したらいい。それが21世紀に日本が世界に対してなしうる貢献の最善のものである、志を高くもとう。 

 19. <馬場宏二「過剰富裕化論」>
 馬場先生の過剰富裕化論の結論は悲観的である。このままでは人類は滅亡の道を選択する、いや選択しつつあるという論旨になっている。馬場先生の過剰富裕化論では、生産力の無限の発展が、地球環境を破壊し人類を滅亡に追いやるというものである。わたしが言及したのはコンピュータの性能がこのまま発展を続けたら百年後には2億倍の性能をもつようになり、人間をはるかに凌駕する小型の人工知能が出現して、性能の悪い旧式の機械である人間が生産過程から放逐されるような事態が起きる。人類が失業する時代が来るのである。いまですら、コンピュータなしには人間の生活が営めない、その傾向はますます大きくなるだけでなく、人類がコンピュータをコントロールできなくなる日が来る。性能のよい人工知能がいろいろな物事を合理的に判断し、現実の政策を作成し、実行していく。機械が単純労働を奪うだけではない、高度な頭脳労働も小型化した高性能の人工知能にとって換わられる。
 滅亡を回避するために人類が欲望を抑えなければならないという点では、馬場先生の過剰富裕化論と私の「新しい経済学」は一致している。
人類の未来への暗澹たる憂いを抱きながら、馬場先生は滅亡を回避するための処方箋も記している。その中に経済成長の放棄と肉体労働の重視があるが、それら二つは職人中心の経済と通底するものがある。処方箋においてはそれほど離れたものではないというのがわたしの印象である。過剰富裕化について提唱者自身の説明をみよう。

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…過剰富裕化は如何様にして生じたか。直感的には、いわゆるダイエットといわゆるジョギングが普通に行われている社会は、過剰富裕化した社会である。この社会で普通に労働して普通に所得を得、普通に生活していたら、過食と肉体労働不足で健康が悪化する。それを回復するには、大衆レヴェルで節食と余暇における運動が必要になる、という意味である。(馬場宏二著『宇野理論とアメリカ資本主義』2011年御茶ノ水書房 第四部「三 成長の限界 (2)過剰富裕化」462ページ)
 …それだけではない。自動車化、家庭電化が生活のための肉体労働を減らし、大人の肥満を生み出すとともに、歩けない子供を生み出した。これは明らかに種としての人類の劣化である。が、この害の方は余り意識されず、殆ど騒がれなかった。この劣化は肉体的劣化から知的劣化に及ぶが、家庭電化、特にTVの娯楽番組や広告を通じて世界認識を混濁させ、IT技術の身辺化に至っては、大人の世界にすら事実認識や自己同定の混乱を引き起こしている。成長過程にある児童に及ぼす撹乱効果に至っては、想像の範囲を超える。彼らにケイタイやらゲームやらの普及が激しいことを考えれば、この表現は決して大げさではない。
 
ここまできたとすれば、量産型工業文明によって自然環境が修復不能にまで破壊され、グローバル資本主義化によって、自己保存型の伝統的社会が破壊しつくされ、環境ホルモンや遺伝子操作で生命維持力を破壊された人類に、類的存続を保とうとする意志と気力が残されているか否か疑わしい。
 
以上のことから、資本主義が、万能薬としての経済成長を通じて世界規模の過剰富裕化を惹起し、その結果、人類滅亡を通じて自滅するのが殆ど必然だと言える。(同書486ページ) 

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 世界市場の出現と人類の生存環境を脅かすほど大きくなった生産力はマルクスが見ることのなかったものである。馬場先生は,

経済成長路線は人類の自滅のもとだとはっきり言っている。この本を書かれた後に福島第一原発事故が起きた。馬場先生は死を前にして、経済理論学会へ次のメッセージをよせた。 

#2237過剰富裕化論提唱者の福島原発事故処理構想:遺稿 Mar. 4, 2013」より抜粋) 
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「経済理論学会第59回大会特別部会 東日本大震災と福島第一原発事故を考える 意見・提言集」 26ページ
http://jspe.gr.jp/drupal/files/jspe59teigenshuu.pdf
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1.
 原子力発電は過剰富裕化とシャム双生児である。
 質的には、人力で制御し得ない生産力をもちいて、当面の金もうけや生活の安楽の資とし、自然環境を生存不可能なまでに破壊する。量的には、日本原発設置は日本経済が、まさに過剰富裕化水準に達した時点から暴走した。電力消費抑制を含めて、反原発は過剰富裕化批判である

2.
 原子力発電コストは意図的に過小評価されていた原発なきあとの電力価格は、当然、大幅に引き上げるべきであり、それが環境維持の一助となる

3.
 原発処理を含めて、震災復興費は、付加税によるべきである国債によるのは、亡びの道である当代のマイナスは当代で負うべきである。負っても、まだ過剰富裕化状態である

4.
 肉体労働を高評価する風潮をつくるべきである。これが社会再生のカギである
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 1番目は馬場氏の年来の主張の過剰富裕化と原発をセットにして初めて論じた。
 2番目は「原発なきあとの電力価格は、当然、大幅に引き上げるべきであり、それが環境維持の一助となる」という主張はかなり踏み込んだものであり、大胆だ。廃止と同時に過剰富裕化を軽減するために電気料金値上げを受け入れるべきだと言っている。
 3番目の当代のマイナスは当代で負うべきというのは言葉の使い方がうまいな思うと同時に気迫を感じる。
 民主党政権と同じように安倍政権も国債増発で乗りきろうとしているが、国債で賄ってはいけない、きわめて重要と思われる論点である。次世代に対して当代がどう対峙すべきか迷いのない決然とした主張である。
 そうするためには付加税だけではすまぬ、特別会計予算と一般会計予算を徹底的に削るべきだ。あらゆる費用をおおよそ3050%カットするくらい過激なことを考えないといけないのだろう。大きな痛みを伴う具体案を1年間で検討し、ただちに実行すべきだと諭しているかのようだ。やれば戦後最大の国家プロジェクト、いや日本の歴史に残る大プロジェクトになる。
 4番目の「肉体労働を高評価する風潮をつくるべき」だという主張は今までの過剰富裕化論にはなかった論点であり、唐突であるが、経済成長を止めるべきだという馬場氏の主張の延長線上の発言でもある。最後に記したのはさらなる論考への誘
(いざな)いだったからだろうか。
 この論点は職人経済社会を標榜するわたしには大歓迎である、2年半前に言及したとおりの展開になったことに驚く。
 
私は20108月のブログ「ニムオロ塾」#1158で過剰富裕化論をとり上げて、次のように書いた。

「資本主義経済批判であると同時にマルクス経済学批判でもある職人主義経済は過剰富裕化論といくつか接点をもつことになるだろう、そういう予感がする。」

 馬場先生の絶筆のレジュメを読むとこの予感通りになったように思える。私は2年半前に理由も挙げている。

「資本主義経済で生産力の発展と拡大再生産が至上命題になってしまったのは、労働概念にもかかわりのある問題である。労働力は資本の拡大再生産のための歯車のひとつでしかない。
 名人の仕事を想起すればいい、全人格的な職人仕事は生産力を発展させない。利潤追求も至上命題にはならないから、拡大再生産とも無縁である
 ひたすらいい仕事をするために技術を磨き、道具の手入れを怠らず、仕事の手を一切抜かない。ごまかしのない誠実・正直な仕事をする
 職人主義経済は正直・誠実を旨とする。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」には地球環境との調和も実現可能だ。「世間よし」はまさにそういう価値観の表明である。自分だけがよければいい、自分の会社だけが儲かれば地球環境はどうなってもいいなどとは考えない。馬場先生と一度話してみたかった。」

 馬場先生はこうも言っている、「肉体労働を高評価する風潮を作るべきである、これが社会再生のカギである」、私の用語に翻訳すると「スミス、リカード、マルクスの労働概念から神の国の職人仕事概念への転換が社会再生のカギである」ということ。経済学と宗教はまことに関係の強いものだと思う。イスラム教ではお金を貸して利息をとることは戒律に触れる。だから出資という形をとる。グローバリズムはキリスト教をベースとしているからこれを世界中に広げるのは無理に無理を重ねることになる。無理を続ければ破綻が生じることは、一般常識としては誰もが知っている。輸出産業の利害を優先したTPPに抗えないなら、どうなるかその行方を見守ればいい、そう長くは続かない。

 馬場先生の論にさらに付け加えたい論点がある。
 鎖国(強い管理貿易)で国内に手仕事を確保すべきだ。TPPとは真逆のことをやるべきなのだ日本はそういう時代の転換点にあることを認識すべきだ。西欧経済学の労働観に対置して「職人仕事」へ価値観の転換を果たすべきだ、そこに人類社会再生のカギがある。
 日本列島に住む日本人は縄文以来1.2万年の日本列島の歴史で、初めて超高齢化社会の到来と急激な人口減少時代を迎えている。21世紀になって、ようやく新たな経済学が生まれる必然性が生じている

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 馬場先生の論点:人類滅亡への道(青)と人類再生への道()、二者択一#1164より)
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2008929日青森大学で開いた特別講演のレジュメの中の「.歴史観・価値観の逆転」という項目を再掲する。

.歴史観・価値観の逆転
 ―人類存続の前提―
 経済成長主義―世界の場合・日本の場合
 利潤経済=市場主義化―民営化・規制緩和・グローバリズム
 アメリカ的価値観=西欧近代思想の極限
           ―個人の自由
           ―成功至上主義
           ―臆面なき自己正当化
           ―フロンティア願望
           ―人種差別戦争
**
  **  **  **  **  **  **  **  **  **  **  **

  ―それでも、人類として唯一重要な課題、最大の努力が要る―
      ―金儲けと戦争の放棄
      ―生産より分配、発展でなく安定、民営化でなく重税国家
      ―経済成長を止め、物的消費水準を意図的に大幅に下げる
 先進国は消費水準を下げられる、それが『過剰富裕』の意味
 途上国は、先進国の下げた水準を到達目標とする
 到達目標は、地球環境自動復元力の回復

 前段(青‘**’より上)は逆転すべき価値観、後段(緑**より下は人類が生き延びるために示した指針である。
 逆転すべき価値観として「利潤経済=市場主義化―民営化・規制緩和・グローバリズム」を挙げている。金融デリバリー取引は利潤極大化のために実体経済の数百倍もの規模に膨れ上がり、世界経済にとって時限爆弾と化している。ブレーメンの笛吹き男の笛に踊ってまっしぐらに海へと向かう鼠の群れのように、利潤を追求して株式会社は成長路線をひた走っている。
 利潤追求は資本循環(拡大再生産)と相性がよい。資本主義では資本循環は個別企業にとって経済成長そのものである。馬場氏はそうした価値観を棄てろと言っているのだ。
 穏やかに言い換えると、「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」路線で行けということだとわたしは理解したい。地球環境との共存は「世間よし」ということだ。
 

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目次:*#3097-0 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版)-0  Aug. 2, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-02



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#3097-4 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版)-4  Aug. 3, 2015 [99. 資本論と21世紀の経済学(2版)]

目次:*#3097-0 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版)-0  Aug. 2, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-02


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. 経済学とは何か

 14.   <経済現象と日本>

      1971815日突然のドルの兌換停止発表、そして固定相場制から変動相場制への移行:ニクソンショックと呼ばれているその年の暮れには360/$308/$になった。英国ポンドは当時1008/£だったが201412月末は186.92/£、五分の一以下になり、英国製品は激安⇒商品と同じように通貨にも取引市場がある。 

    
低価格法(取得原価か時価のいずれか低いほうを選択)から時価法への会計基準変更⇒日本の上場企業の株式の1/3が外国投資家の手に渡った。2000年から「会計ビックバン」がはじまり、市場性のある株式は時価評価へ変更された。これは米国会計基準へ日本の会計基準をあわせた措置である。

 金兌換が保証されていた「ドル/金本位制」から兌換停止宣言による「ドル本位制」への移行は、100%米国の国益でなされた。米国政府は兌換を約束してドルを世界中にばら撒いた。各国はその約束を信じて外貨準備をドルで溜め込んだ。その先行きへの不安がヨーロッパ各国に広がり、フランスが外貨準備の兌換を実現、ニューヨーク連銀の地下金庫から金を運び出した。ドイツは敗戦国でそれができなかった。各国の要求を呑むとニューヨーク連銀の地下金庫に山積みになっている金を全部運び出しても足りない。フランスの「実力行使」によって、兌換要求がヨーロッパ各国へ広がると米国は兌換停止を宣言せざるをえなくなった、それが1971年の夏に起きたニクソンショックである。世界はこの日を基点に大きく変わった。兌換停止を宣言しドル本位制へ移行したからこそ米国はベトナム戦争1960/121975/4/30の戦費を調達できたし、その後の大幅な赤字財政でも財政破綻を起こさずにやってこられた。
 
2000年からはじまった会計基準変更(会計ビッグバン)は磐石な日本企業を切り崩すために仕組まれた米国の周到な戦略の一環である。会計基準を変更することで何が起きたかをみればわかる。二つ重要な変化が起きた。一つは外国投資家の持ち株比率が1/3に上昇した。持合をしていた日本企業の株の放出が始まり、経営参加することも支配権も握ることができなかった日本企業株を大量に買い占めることが可能になった。日本の上場企業株の三分の一がすでに外国人のものになってしまった。それを可能にしたのが会計基準変更である。会計基準変更にはもう一つ狙いがあった。二つ目の狙いは日本企業の弱体化である。日本企業が強いのは含み資産を膨大に抱え込んでいるからで、それがダントツの国際競争力を保障していた。赤字になったら持ち株の一部を売却すれば、膨大な利益を手にして簡単に赤字補填ができた。含み資産が大きければ、経営者が無能でも赤字の責任を取って辞任すればいいだけで、どんなに経営危機を招来しても、歴史のある含み資産の大きな会社はつぶれず、長期的な視野で腰を落ち着けて経営改革が可能だった。それが日本企業の強さの源泉のひとつだった。日本企業が強いのは日本人が勤勉なことによるだけではない、年功序列賃金をはじめとしてさまざまな日本特有の仕組みも日本企業の強さを支えていたのである。日本企業はそれまでに溜め込んだ含み資産を売却することで何回でも経営ききを乗り切れた。それが会計ビッグバンのひとつである株式に関する会計基準(低下法から時価法への)変更で半分消えてしまった。 

 
こういう仕組みの変更が日本経済に甚大な影響を与えていることを知ろう。米国は日本企業を弱体化させる戦略を長期間にわたって実施している。米国企業による日本企業支配の促進を米国政府が国家戦略の一環として実施している。隠してなどいない、米国大使館のホームページに規制改革に関する対日要求リストがある。これは戦いなのである。小泉政権も安倍政権もこれら対日要求リストどおりにやっている。日本の国益はいったい誰が守るのだろう?
 *米国大使館ホームページ 「規制改革」http://japan2.usembassy.gov/j/p/tpj-20110304-70.html 「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本国政府への米国要望書」20071018
http://japan2.usembassy.gov/pdfs/wwwfj-20071018-regref.pdf


 15.            <円安はいいことか?:80120/$の威力>

 団塊世代のわたしが大学3年のときの時事英語の授業は土曜日午前中で、前日に発行された毎日ディリーニュースの社説をテクストにとりあげていた。夏休み明けの最初の授業の社説に載っていた、‘foreign exchange rate’ という用語を先生は「外国交換比率」と訳した、生徒から「なんのことか先生はそれでわかるんですか?」と質問され「???」、英単語を一つずつ日本語に置き換えただけ、英米文学研究科出身の時事英語担当の先生は経済専門用語を知らず外国為替の仕組みについても知識がなかった。ところが扱った記事は固定相場制の終焉と変動相場制の幕開け告げる通貨制度変更に関する社説だった。この年は固定相場制から変動相場制に移行した年だから、例年よりも経済関係の社説が多かった。
 
周辺知識やある程度の専門用語に関する知識がなければ英文の経済記事は読めない、それは医学記事でも、会計基準に関する記事でも同じことである。
 
“外国為替相場”という日本語を知っていたら、通貨市場での各国通貨の交換比率=相場だと見当がついたのではないだろうか。日本語は便利だ。基本漢字がわかっていれば理解できる専門用語が多い。しかし「為替」は使われている漢字から意味がつかみにくい専門用語だから、金融関係の人以外は馴染みがない言葉だろう。たまにはこういうものがある。

為替:手形や小切手によって、貸借を決済する方法。離れた地域にいる債権者と債務者の間で貸借を決済する場合、遠隔地に現金を輸送する危険や不便を避けるために使われる。中世では「かわし」といい、銭のほか米などの納入・取引に利用された。…『大辞林』

 
 為替は日本の発明である。起源は中世だが、江戸期には商取引ばかりでなく、庶民がお伊勢参りにも大きな現金を持ち歩かず、為替を利用して現地でお金を受け取るというようなことが普通になされていた。江戸の両替商にお金を払って為替証書を手に入れ、それをもって旅行して大阪の両替商で金を受け取る。中世も江戸時代も大金を持ち歩くと山賊や盗賊に襲われるリスクが大きい時代だった。証書を交わすから「交わし」といったようだ。国内で行われるのを(内国)為替といい、海外との取引決済を現金授受を介さずにやる仕組みを外国為替という。その際に使われる二国間の通貨の交換比率(相場)を、外国為替相場という。為替制度は「日本原産」である。
 
日本語でも専門用語には漢字の字面からわからないものが少しだけあるが、英語は殆どが見当つかない、例を挙げてみよう。Leukocyteをみてすぐに意味がわかる人は、医学関係者だろう。Leukoは白を意味するラテン語かギリシア語、cytoは細胞や球を意味する。white blood cellと書けば誰でもわかる。日本語で白血球と書いてわからない中学生はいないが、米国で普通の中学生はleukocyteleukemiaの意味がわからない。
 
英語の専門用語はギリシア語やラテン語の接頭辞や語幹や接尾辞からできているから、「一般人」には理解しづらい、その点日本語はよくできている。誰でも知っている基本漢字で専門用語が組み立てられているから、2000字あまりの基本漢字(たとえば、常用漢字は2136文字)の意味さえしっかり押さえておけば、類推ができる専門用語が殆どである
 
このことから、義務教育を終えたら専門書が読めるという基礎学力を前提に、小学校で1000字、中学校でさらに1000字、合計2000字を中学校卒業までに漢和辞典で調べ終わるという具体的な目標ラインを生徒に示していいのではないか
 
さて、具体的なやり方について一言書いておく。調べた語に線を引き付箋をつけさせれば、付箋が増えていくのが楽しくて、教科書だけでは飽き足りずに、知らない語彙の出てくるような本を読むとか、漢検問題集にトライして新語に出遭う機会を増やしたくなる。漢和辞典や国語辞典が付箋だらけになるのは楽しい。
極論を言うと、基礎学力がしっかりしていれば高卒でもたいがいの専門書は読める。団塊世代までは、高卒でも基礎学力の点で大卒に引けをとらない者が一定の割合でいた。社会人になったときに仕事に関連する専門書を読んで理解できるかどうかは、その人のその後の人生を分けることになる。基礎学力が低ければ、大卒だって仕事で必要な専門書を読むのに支障をきたす、基礎学力侮るべからず。わたしは、専門書を独力で読みこなすことのできる学力を「社会人に必要な基礎学力」と定義したい。

 本題は為替相場が円安になっていることだった。1222日に120/$を超えた。第二次安部政権の誕生は20121226日のことである。その直前201211月は80/$だったから、2年と2ヶ月前に比べて50%の円安
 
80/$120/$を比べてみても生活実感がわかないから、生活実感のある商品、ガソリン価格で考えてみたい。ガソリン価格は当時レギュラーだと148/だった。11月にガソリンを入れたときには151/(レギュラー)だったのが、1226日には141/117日には131/ℓ。
 
原油価格(ブレント)は201211月に108$/バーレルだったが、201411月は78$である。12月に入って60$台を動いている。NY原油先物市場は20151550$を割り込んだ。====================================================================================
問題:為替レートが2年前の80/$のままで原油が60$/バーレルだったとしたら、ガソリン価格がいくらになる?   (a barrel of oil is equal to 159 litres )(計算式は最後のページに書いてある)====================================================================================
 簡単な比例式でだいたいのところがつかめる。比例式は昨年から小学校6年生で習うように変わった。こういう円安の影響を自分で確かめるためにも小学校6年あるいは中学1年程度の基礎学力がなければならない。社会人となって生き抜くためにも中学卒業程度の基礎学力は身についていなければならない。住宅ローンだって売り手や金融機関の営業の言いなりではいけない、自分で条件をいくつか変えて計算して確認しなければ、10年たたないうちに自己破産の憂き目に遭いかねない。サブプライムローンとはプライムローン(最優遇貸付金利適用の借入)に対して、一段高い金利での住宅資金貸付である。信用度の低い低所得層向けのローンだ。不動産ローン会社と大手金融機関がこぞって、低所得層をターゲットにして貸付拡大をした。住宅の時価が上がれば担保価値が上がるから貸付金増額を勧めたのである。担保不動産が値下がりすれば、とたんに担保不足の分は一括返済を求められる。借金増額によって手に入れたお金は、贅沢をして消費に回っているから返済資金はない、こうして次々と自己破産して行った。低所得層の無知と貧困に付け入る営業をやっていたのである。担保不動産が値下がりしたときの返済額を自分で計算できれば、こんな詐欺的な営業に引っかかることはなかった。基礎学力はこういう場面でも重要なのである。日本の伝統的な商道徳では、「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」でなければならないから、このような詐欺的な商売を大々的にやれば、大概つぶれてしまうから、抑制が働く。日米では商道徳がまったく異なるのである。 
 
話を元へ戻すと、為替相場が元のままの80円/ドルだと仮定すると、計算結果は44.4%の値下がりで、レギュラーだと72.2/$ということになる。私たち日本国民は円安によってバカ高いガソリンの購入を余儀なくされていると言うこと。灯油(12月請求分が98/㍑)も同程度値下がりしただろう。日銀の円安誘導がどれほど国民生活にダメージとなっているかを理解するには、為替相場と物価の関係、すなわち経済に関する若干の知識と基礎学力(読み・書き・そろばん)が必要である。
 
あてにはならないが、専門家の予測によると、中国やインドそして欧州の景気が悪いので需給が緩み2015年度は60$台を推移するという。
(米国のシェールガスやシェールオイルは長期的には多少問題ありだ。ひとつの油田やガス田の生産量が10年で100分の1に減少することと生産に水が必要なのだが、水利権の事情が米国は特殊で新規参入組みは渇水期には取水できない。) 

 
円安というのは日本の国力の低下、円高は日本の国力の上昇と考えたらいい 

 
円安を経済政策の柱に据えるということがどんなに莫迦げた政策かは、国益の観点から考えてみたらわかる。円安は日本の国力を弱体化させるということと同義である
 
米国はいつでも「強いドル」を標榜している、それが国益にかなうからだ。ドル高になれば米国政府と米国民は世界中から資源や製品を安く買うことができる。ドルが半値になったら米国は同じ量の資源や製品を買うのに2倍のドルを支払わなければならない。
 
日本がゼロ金利と異次元の量的緩和をして円安を演出してくれたから米国政府と米国民は大喜びだ。しかも余剰のドルで米国財務省証券を100兆円も購入してくれている。日本が稼いだお金はドルとなって米国にそっくり戻っている。これほどお人よしの国民は世界中に中国人と日本人だけ。米国財務省証券を買わずに金を買うべきだ。(1975年は200$以下、2014年は1266$
 
円安が日本国民生活にとっていいわけがない、輸入品の価格は安倍政権前に比べて円価換算ですでに1.5倍に上昇している。釧路港に陸揚げされる米国産穀物飼料は1.5倍になって、乳価は上がらず、酪農家は泣いている。輸出産業の一部の好業績の背後で輸入産業は製品の値上げをせざるをえなくなり、売上数量が激減、中小企業はコストアップ分を製品価格に転嫁できずにあえいでおり、とても賃上げどころではない。景気が好いのは全産業の12%を占める輸出産業のそれも一部だけである。トヨタ本体とトヨタの取引企業の業績を代表例としてみたら、事情が呑み込める。

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【トヨタ自動車と下請けの事例】嘉悦大学大学院ビジネス創造研究科黒瀬直宏教授の論を紹介する。

 
大企業の好業績が中小企業に及んでいないのは、大企業が生産拠点を海外に移してしまったからである。円安の恩恵を受けているのはGDP12%を占める輸出産業の一部だけ。
 
たとえば、トヨタグループ16社の70%2013年度の売上が2007年度の売上に達していない。トヨタは10-3月期の取引については部品単価の切り下げを求めないことに決めた。
 
トヨタの2次下請け以下は国内に3万社ある。トヨタ本社だけが史上最高額の利益(2014年度当期純利益額は18230億円、前年比2倍)を更新して、子会社、関連会社そして取引先企業が青息吐息では社会的な批判をまぬがれないから、先手を打ったということ。取引先に毎年単価切り下げを求め続けてきた「トヨタ看板方式」が結果として、取引先の競争力と売上増大には寄与したが、2008年度以降は取引先の業績を圧迫するのみで、このまま取引先が倒れていけば高品質で低単価の部品供給先を失い、長期的にみればトヨタ本体が傾くことぐらいはトヨタの取締役ならずとも想像がつく。
 
トヨタ一社を見ても大手輸出企業の好業績が3万社ある関連会社や取引先にはまったく及んでいないことがわかる。安倍総理の説明ではトリクル・ダウン(trickle down effect*)で川下の中小企業の景気がよくなるはずだったのではないか、事実はまったく違っている。
(安倍総理は経済音痴ですから、安倍政権の経済政策ブレーンの浜田宏一内閣参与に問題があるのでしょう。小泉政権時の竹中平蔵氏並かもしれません。労働規制を解除してちゃっかりリクルート社の会長に納まっている。竹中氏は金融実務がわからないので元日銀マンの木村剛を仕事の相棒に引っ張り込んだのだが、木村は日本振興銀行刑事事件で2010年に有罪判決がでている。)

 
人口減少が始まったのと、生産年齢人口が総人口よりも加速的に減り始めたので、国内市場が急激に縮小しだしたのが痛手。トヨタの国内乗用車生産台数は2007年度の3849353台がピーク、2014年度は300万台ぎりぎりになる。若者が少なくなっているうえに、車は要らないという若者が増えているのだから、乗用車の国内市場は急激に縮小しつつある。

*trickle down effect: 「富める者が富めば、貧しい者にも富が滴り落ちるとする経済理論。サプライサイド経済学の中心思想とされる」。サプライサイド・エコノミクスとは、供給力を強化することで経済成長できるという牧歌的な経済理論。

 
2014510日の日本経済新聞記事によると「トヨタ自動車は、201458日に開いた20143月期(2013年度)の連結決算の発表会場で、年間の国内生産台数について「今後も300万台をめどに維持していこうと考えている」(同社取締役副社長の小平信因氏)と語った。…2013年度の国内生産台数は3356899台…2014年度の国内販売台数の見込みは221万台だから、「需要のあるところで造る」という現地生産の基本を踏まえると、国内生産は約100万台の“過剰生産”とみることもできる。 

 
25年後の2040年には購買年齢層の生産年齢人口が5786万人に減少するから、このままでは国内販売台数は120万台を割るだろう。日産が2014年度の国内販売台数が100万台を割りそうだが、それに近い規模になる。国内の生産拠点が品質改善の素であるから、国内生産台が半減したら新車開発力が大きく低下する。トヨタを支えているのは3万社もある下請けである。仕事量が激減すれば廃業が増える、優秀な下請け企業が廃業していけば、高機能部品の安価な調達ができなくなる。下請けの経営が立ち行かなくなって高性能で品質が安定した部品供給が細れば、トヨタ車の信頼性も揺らぐことになる。 
 
記事中の「2013年国内生産台数」には乗用車にトラック・バスの合計台数になっているので、わたしが書いた「乗用車生産台数300万台」とはベースが違うことに注意。トラック・バスはおおよそ30万台弱の生産量である。
 
黒瀬教授の論は牽強付会なところがある。データを調べてみたら、トヨタ連結ベースの決算は2007年度が特別によくて、その後3割も売上が落ちている。

2007年度 売上高26.3兆円、純利益1.72兆円 117.75/$
2008年度 売上高20.5兆円、純損失4369億円 103.35/$
2009年度 売上高18.9兆円、純利益2094億円 93.57/$
2010年度 売上高18.9兆円、純利益4081億円 87.77/$
2011年度 売上高18.5兆円、純利益2835億円 79.80/$
2012年度 売上高22.1兆円、純利益9621億円 79.79/$
2013年度 売上高25.7兆円、純利益8609億円 97.59/$
2014年度 売上高26.5兆円、純利益2.0兆円。 120.66/$20141229日)

 このデータから言えることは、連結決算ベースのトヨタの売上高は為替レートの影響を無視できないということ。たとえば、2007年度と2008年度が同じ為替レートだとすると、2008年度の売上高は、次の計算になる。
 20.5兆円×117.75÷103.3523.35兆円
 
もちろん、国内売上は為替レートに関係がないから、米国などの外貨売上分が換算されているに過ぎない。トヨタは海外売上のシェアが高いから、為替レートの影響の概要を掴まえるにはこれで十分だ。2008年、2009年と、2010年、2011年と続いた円高が円価換算売上高の撹乱要因となっている。同じような計算を2011年度と2012年度に適用すると、2007年度の売上高を上回る。
 18.5兆円×117.75÷79.8027.3兆円(2011年度) 
  22.1兆円×117.75÷79.7932.6兆円(2012年度)

 
2014年度の売上高26.5兆円は円安で円換算売上高が膨らんだだけのことだ。売上高の実質的な内容は2012年度や2013年度よりも悪い。
 
ドルベースの連結決算では2012年度の売上高が最高額を記録している。2014年度がドルベースでは売り上げ減少なのに利益が増えているのは、国内生産で輸出されるのが100万台(完成車ベース)ほどあるほかに、高機能部品の輸出が寄与しているからだろう。大企業(トヨタ本社)が取引先中小企業をいじめているという構図は確かにあるだろう、しかし、イレギュラーなデータをなにもコメントせずに取り上げて、読み手が判断を誤るような「誘導」は慎むべきだ。 
 
さて、黒瀬教授の論に戻ろう、かれはトヨタの子会社・関連会社や取引先企業3万社の売上が2007年度の売上数値を回復していないことを指摘しているのだが、2007年度をピークとしてトヨタ本体の売上自体が2013年度まで回復しないのだから、グループ各社への発注数量も減っていて当然だから、トヨタ取引先の売上が減るのも当たり前。特筆すべきことは、2009年に米国で起きたレクサスの事故訴訟で売上が一時的に激減したこと。
 
人の論を鵜呑みにしてはいけない、たまにこういうことがあるから、自分で元データを確認する必要がある。信用に足る学者の場合はその限りにあらず。 *「トヨタ自動車75年史」よりhttp://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/data/automotive_business/production/production/japan/production_volume/index.html**外国為替の推移 (「世界経済のネタ帳」より)http://ecodb.net/exchange/usd_jpy.html 

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<計算式と答え>  131:x=108:60      131(円/㍑)×60$÷108$=72.8(円/㍑)
*原油価格の推移 http://ecodb.net/pcp/imf_group_oil.html
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  16. <経済学の定義> 

 経済学を云々する前に、そもそも「学」あるいは「学問」とはなんだろうか?日本語では経済学は社会科学の一分野とされており、自然科学と対置される。英語はscience(科学)、ドイツ語ではdie Wissenshaftという語を充てている。英語のscienceという語に「学問」の訳語を充てることにすくなからぬ違和感があるので、国語辞典の定義を参照する。
学問:一定の原理によって説明し体系化した知識と理論的に構成された研究方法などの全体をいう語。(中世・近世には「学文」とも書かれた) 
人文科学:広く人類の創造した文化を対象として研究する学問。哲学・文学・史学・語学などが入る。文化科学。   『大辞林』

 
辞書に分類が載っていないが、日本では学問を三分類(人文科学・自然科学・社会科学)している。どれも「科学」の語がついている。人間の文化に関する学問だから人文科学というのだろう。Scienceは「自然科学」だと思っていたが、もっと意味が広いようだ。 

 英語のscienceの項を
Cambridge Advanced Learner’s Dictionaryで引くと、次のような説明がある。
science: 1. (knowledge from) the systematic study of structure and behaviour of the physical world, especially by watching, measuring and doing experiment, and development of theories to describe the results of these activities.: pure/applied science.2. a particular subject that is studied using scientific methods: physical science. Economics is not an exact science. (経済学は厳密科学ではない)1. 物質界の構造と性質に関する体系的な研究(からえられた知識)、とくに観察・測定・実験によって裏付けられたもの。そしてそれらの(研究)活動(観測・測定・実験)結果を包摂して記述する進化した理論(からえられた知識)
2. 科学的な方法を用いて研究されている特定の学科目: 物理科学。(物理学はphysics

 
純粋科学の物理学と経済学とは異なるというのが英語のscienceという語の基本的な定義と感覚。まるで注文したかのように、面白い用例が載っている、「経済学は厳密科学ではない」というのがそれだ。
 CALDの説明では科学を「物質界の構造と性質に関する体系的な研究」として、純粋科学と応用科学に分類している。対象は「物質界=physical world」であって、これでは人間の文化は対象外になってしまう、この定義では人文科学を含めることができない、おかしい。Oxfordを引いてみたら、4番目の定義に探しているものが見つかった。
Science: 4 [singular] a system for organizing the knowledge about a particular subject, especially one concerned with aspects of human behaviour or societya science of international politics
 この定義には人文科学が入っている。でも4番目だから「広い意味」でのscienceということ、基本的には英語でscienceは自然科学を意味している場合が多い。
 
人文科学を英和辞典で引くと、the humanities, human science, literal artsの三つが載っている(ジーニアス『和英辞典』)。英語のscienceに対置される語はarts(芸術・技術・人文)やtechnology(技術)である。芸術・技術と対比される(狭義の)scienceとそれらを含んだ上位概念としての(広義の)scienceがあると了解しておきたい。ついでだから後で何度も出てくる「職人」もartに関係しており、派生語にartisan(職人)がある。何年もの修業によって確かな技術を身につけた者がartisan(職人)である。
 
CALDは、経済学は科学でなくある種の技術であるといいたいようだ。科学を狭義に捉えたらそういうことになる。確かにケインズの有効需要政策は政策技術論であるし、乗数理論は数学の応用である。リフレ派の主張するマクロ経済理論や計量経済学も技術論か数学の応用に属するから、事実として認めたい。
 
(ケインズ辺りから経済学は科学ではなく、技術(政策)論の分野に重点を移し、特定の経済現象に潜む法則性やメカニズムが経済政策に利用できるに足るだけわかればいいということになった。1929年の大恐慌後の経済立て直しのために、経済学が利用され、公共事業で有効需要を増すことで景気回復を図った。ところが、公共事業に乗数効果が小さいことはすでに証明済みで、巨額の財政赤字の原因となり、いずれ経済を破壊する副作用をもつことが経験的に知られている。)

 
では、ドイツ語のdie Wissenshaftはどうだろう。Wissenは「知」や「知識」を意味しており、shaftは抽象名詞語尾であると辞書(相良『ドイツ語大辞典』)にある。雑然とした知識の寄せ集まりではなく、整然とした知識体系がドイツ語でのdie Wissenshaftの語感なのだろう。人文科学・自然科学・社会科学すべてを包摂する概念である。
 
 『漫言翁 福沢諭吉』『続漫言翁 福沢諭吉』『明治廿五年九月のほととぎす』の著者、遠藤利國さんから128日にsciencedie Wissenshaftに関するコメントをもらったので紹介する。もともと哲学が専門だから、こういう話題には適確な解説をしてくれる。あいまいなところや調べ切れていないことを教えてもらえる、ブログはこの辺りが便利でありがたい。
基本的にはこの二つの言葉は意味するところは同じで現に独英辞典でWissenschaftの項をひくとscienceとなっています。かつてscienceにも学問という意味を持たせていた時代がありました。多少古い英和辞典には<学問全般(廃)>としてあるものもあります。scienceはラテン語の動詞scio(知る、理解する)に由来する言葉で、名詞はscientia(知識、学、原理、理論等)となります。英語とフランス語ののscienceはこのラテン語が語源です。ではドイツ語ではなぜWissenschaftになったのかといえばscioに相当するwissenという動詞があったので、それに名詞をつくる語尾を加えたということなのでしょう。ヨーロッパの言語はラテン語を語源とする語と自前の語が共存していますが、これは漢字の音読みと訓読みの違いと思えば当らずといえども遠からずといったところでしょうね。
日本ではscienceに科学というニュアンスがつよくて学問全般という意味合いが希薄に感ぜられるのは、明治以降の学問移入の歴史によるものかもしれませんね。日本語で学問といえば江戸までは儒学でしたが、明治以降はデカンショになってしまい英語で学ぶ学問は影が薄くなってしまったことが尾を引いているのかもしれません。

 
デカンショの件(くだり)は説明が必要ですね。デカルト、カント、ショーペンハウエルの三人の哲学者のことですが、デカルトはフランス人、カントとショーペンハウエルはドイツ人、つまり幕末から明治初期にかけては洋学の主流は英米の経験論だったのが次第にデカルトに始まる大陸の合理論、とくにドイツ哲学にとってかわられたという事情を述べたのでしょう。
 
「知る」という語幹では英語のscienceとドイツ語のdie Wissenshaftはラテン語由来で同じ意味だった。
 
雑然とした知識の寄せ集まりではなく、整然とした知識体系がdie Wissenshaftの語感。人文科学・自然科学・社会科学すべてを包摂する概念である。
 
マルクスはdie Wissenshaftというドイツ語のイメージで、整然とした体系構成をもつ経済学を考えていたのだろう。 経済学がいかなる学問であるかについて、さらにCALDと「大辞林」の説明を見よう。
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economics: the way in which trade, industry or money is organized, or the study of this.経済学とは貿易、産業あるいは通貨を系統立てて叙述する方法、あるいはその研究をいう。 経済学:人間社会の経済現象、特に財貨・サービスの生産・交換・消費の法則を研究する学問。法則を抽出する理論経済学、理論の応用である政策学、経済現象を史的に捉える経済史学に大別される。『大辞林』
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体系的に整序されたものが経済学だとしても、それは純粋数学のような体系をもちうるのかという議論はなされたことがない。『大辞林』は理論経済学を「法則を抽出する」ものと定義しているが、これは自然科学の物理学における法則(たとえば、万有引力やE=mc^2)を想定してのことだろうから、体系の叙述の方法は問わないことになる。万有引力の法則やE=mc^2が実験結果や観測によって証明されればいいだけである。
 
では、なぜ学の体系構成を意識した分類がなされていないのだろうか、それは純粋数学のほかに事例が一つもないからだ。純粋数学だけは他の諸科学とはまったく別物だという思い込みがあり、経済学が数学と似たような体系構成が可能なはずがないと経済学者も思い込んでいる。だが、そうした思い込みは正しいのだろうか?
 
経済学は実証科学だというのが多くの経済学者に共通した理解である。たとえば、経済史の分野で著名な学者に増田四郎先生(元一ツ橋大学・学長)がいる。38年前に院生3人で特別講義をお願いしたら、リスト『経済学の国民的体系』を読もうということになり、月に一度くらいの頻度で授業の後に、国分寺駅近くのビル4階のガラス張りの眺めのよいお店でビールをご馳走になりながらお話を聞いた。その折に、イタリア留学から帰ってきたお弟子さんの阿部謹也氏のことを、目を細めて何度も話してくれたから、阿部謹也著『中世の窓から』もそのときに増田先生の著作数冊とともに読んだ。阿部氏はその後、ヨーロッパ中世に関する本をたくさん書いているからイタリア留学中に目を通した中世の文献資料からえたものが大きかったのだろう。増田先生は阿部氏の研究スタイルが気に入っていたようだ。阿部氏は後に一橋大学長になっている。もちろんお二人とも優れた実証研究者である。
 
テレビによく出演して反原発をコストの面から具体的な数字を挙げて理詰めで解説する慶応大学経済学部の金子勝教授もまた違った学風の実証研究者である。世の中の経済学者は理論経済学者の一部を除けば他はすべて実証研究者と言ってよいだろう。たくさんのデータや資料を読み込んで、そこから帰納的に規則性や法則性を抽出する。抽出した法則は假説であり、それをまたデータで論証するというのが、オーソドックスな研究スタイルとなる。

 
観測データ⇒規則性を帰納的に抽出⇒假説設定(&未知の特定現象の予言)⇒実データで検証 

 
後で、馬場宏治先生の過剰富裕化論を取り上げるが、馬場先生は理論経済学者であると同時に、米国経済のすぐれた実証研究者でもあった。
 
経済学が数学と同じタイプの演繹的体系構成をもつ学問であるという理論経済学者は残念ながらわたしのほかはいまのところ一人もいないから、数の上からは絶望的なほど分が悪い、はっきり言って数の上では勝ち目がない。しかし、「学」のタイプとしては二種類あることは事実なので、二つの見解を並べて対比してみたい。

      経済学は経験科学である「純粋に理論を探求する科学に対し、経験的事実を対象として実証的に諸法則を探求する科学。実証科学」 …『大辞林』 経験科学は観察から得られたデータのみに依拠し、そのデータ群の中から諸法則を帰納的に導き出し、それを假説としてデータで実証する。
 
     経済学は数学のような規範学であるさまざまなデータから帰納的に法則が導かれるのではなく、経済学は数学のように演繹的な体系構造をもつ。経済学が経験科学であるという立場の対極にあるのは、経済学は数学と同じ独立した演繹的な体系構造をもつ学問という立場である。すでに論述したように、マルクスが『資本論』でやって見せた。後にも先にも、数学以外の分野で、このようなことを試みた学者はプルードンとマルクス以外にはない。

 [時代状況の違い]

 
マルクスの時代(国民国家成立による帝国主義の時代の幕開け)と現在は大きく異なる。当時はなかったものをいくつかランダムに挙げてみる。
①多国籍企業
②グローバリゼーション
③コンピュータ
④インターネット
⑤いくら売っても減らない商品の出現たとえばCDDVD、ゲームソフト、さまざまな名簿情報等々、これらはデジタルコピーすればまったく同じ品質のものがいくらでも生産できる。

 
マルクスはサイバー空間や今日のスケールの世界市場を知らない。マルクスの時代の資本主義経済社会と現在の資本主義経済社会は異なる発展段階にある経済社会と見るべきで、21世紀の経済学は①~⑤も網羅しなければならない。サイバー空間が加速的に拡大して、現実空間に多大な影響をあたえている現実を経済学は包摂する必要がある。機械とコンピュータとネットワークの融合した21世紀を、わたしは2次産業革命の時代とネーミングする。わたしたちはその渦中にいるから、大きく時代が変わるのをなかなか意識できない。30年後に振り返ってみたときに2000年を境に産業社会が大きく変わったことに気がつくのだろう。

  少子化と高齢化の同時進行による人口縮小という時代の大きな転換点に立っているからこそ、いま経済学は何かとその意味を問う必要がある。経済学が経験科学であることは多くの経済学者の業績がそれを証明しているから議論の余地がない。では経済学は演繹的な体系足りうるのか?yesというのがマルクスの答えでもあり、マルクス『資本論』を乗り越えたわたしの答えである。 大事な部分だから、言い方を替えて繰り返しておきたい。経済学と何かに対する私の結論は、経済学は経験科学であると同時に純粋数学のように演繹的な体系構造をもちうる学問領域であるというもの。すでに述べたように上向の論理は経済学が演繹体系で叙述可能なことを示している。その一方で、マルクスが「生産過程」までしか体系化できず、流通過程や市場論を断片的に書き残したのみで、世界市場については何も残せなかったのは『資本論』を書いていた時点でそれが現実に存在しなかったからである。コンピュータとネットワークとグローバリズムに支えられた今日の経済社会には世界市場が現実のものとして存在しているから、わたしたちはそれを研究対象にすることができるのである。それゆえ経済学は経験科学でもある。そこがユークリッド『原論』との違いだ。 

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*#3097-0 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版)-0  Aug. 2, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-02




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#3097-3 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版)-3  Aug. 2, 2015 [99. 資本論と21世紀の経済学(2版)]

#3097 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版)<目次>  Aug. 2, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-15


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 Ⅱ.第1の公理をめぐって:マルクスの労働観と日本人の仕事観

 労働価値説は工場労働者や奴隷労働をその淵源にもつ概念で、労働は本来楽しくないものというのが西欧経済学の共通了解事項となっている。経済学者には肉体労働の経験のある者がいなくても、企業でサラリーマンとして働いたことぐらいはある者が少なくないはず。適度な肉体労働が人間の健康にとっても不可欠なものであることに案外気づいていない。気づいていたのは過剰富裕化論の提唱者である馬場宏治先生だけのようだ。マルクスはギリシア古代都市国家にはじまる西欧の伝統的な労働間を背景にして、「労働は苦役である」という前提で資本論を書いている。その根拠を労働者が生産手段から疎外されているということに求めており、労働がきついということではない。生産手段が共有されれば労働は苦役でなくなる、それがマルクスの理想の社会、共産主義社会である。人間社会を維持するためには誰かが労働しなければならないことは自明であるから、共産主義は人間を労働そのものからの解放するのではない。それにしても、生産手段が共有されたら労働が苦役でなくなるとは、マルクスはどういう感覚の持ち主だったのだろう。自分で「労働」をした経験のない経済学者はこういう大きな間違いを簡単に犯すものだとしたら、それはマルクス一人に限らない問題を孕んでいる。世の中の経済学者に共通する問題ということができるだろう。
 人類が労働から解放されるのは、人間がやっている仕事すべてを人工知能搭載人型ロボットが代替するときである。それは生産過程から人間が放逐されるときであり、人類滅亡のときに他ならない。性能が悪く、旧型である人間は物質の生産に不要の存在となる。不要な存在を、利便性を追求する合理的なシステムのアドミニストレータたる人工知能が許容するはずもない。

 18世紀、原始蓄積過程の英国の労働の現実は実際には過酷なものだった。幼児労働が現在のインドで問題になっているが、当時の英国の現実でもあった。
 古代都市国家アテネやスパルタの時代を経てローマ帝国の時代から労働は奴隷や農奴がするものという考えが根底にある。
 
それゆえ、苦役である労働からの解放を願うのは自然なことに思える。共産主義社会になったとたんに、労働は苦役ではなくなるという牧歌的な空想的共産主義としか言いようのないものが、マルクスとエンゲルス共著の『共産党宣言』だった。
 『空想から科学への社会主義の発展』でサン=シモン、フーリエ、オウエンらを空想的社会主義と批判しながら、肝心の労働概念については、ギリシア古代都市国家以来の奴隷労働をその経済学研究の根幹に据えていたのである。マルクスもまた、共産主義という幻想を見ていたに過ぎない。
 マルクスが言うように、共産主義社会になったら労働は苦役ではなくなったのだろうか、現実はそうではなかった。親切にも旧ソ連や中国が壮大な社会実験をやって見事に証明してくれている。生産手段の共有によって疎外された労働が消滅し、労働者がハッピーになるなんてことは現実にはなかったのである。
 
労働者はできるだけサボタージュしようとする。マルクスの理屈では、労働強度を低下させることが、労働者が得をする唯一の手段であるからだ。一生懸命にやるのはばかばかしいという考えが共産主義や社会主義を標榜する国に蔓延したのは、そもそもマルクスの『資本論』にその原因がある。 

 
わたしはマルクスの労働観に違和感があって、東京で企業規模と業種を変えて転職を繰り返した。
*-2【日本の工場部門と事務部門における「改善」と生産性向上】)

 紳士服の製造卸業、軍事用・産業用エレクトロニクスの輸入専門商社、国内最大手の臨床検査会社、療養型病床の病院経営および建て替え、外食産業店頭公開、その都度業種を変えて転職してみた。ヴィジョンをもって仕事していたから、生産手段をもたずとも仕事が苦役だなんて思ったことも感じたこともない。マルクスは実際に働いたことがないからわからなかったのだろう。
 日本標準臨床病理検査項目コードの制定やMoM値(出生前診断検査)に関する産学協同など、いくつか時代の先端で仕事もできたし、その都度充足感を味わった。もちろん夢破れて失望感を味わったこともある。仕事はドキドキハラハラするものであり、自己実現や自己表現の手段であった。ただ夢中になってやっているだけ、縄文人が縄文土器を製作しているときの心の状態と変わらない。夢中になってやり、業種を変え部署を変えて働いたことで、経営分析スキル、長期経営計画・予算編成・予算管理技術、システム開発技術、経営スキルなどが、こなした仕事の数だけ磨かれていった。
20歳代や30歳代で仕事を任されて実務経験をした者としない者では、実務能力に大きな差がつくのは当然のことだろう。民主党がだめだったのは松下政経塾で30歳代を過ごし、責任ある立場で仕事をする機会をもてなかった者たちが幹部に多かったからではないのか。)
  (教育労働者を含む)「労働者(?)」の皆さんが、基本的に仕事が楽しくない、そして仕事がきつくなることを嫌がるのは西欧流の労働観にこころが汚染されているからで、北教組の先生たちが少人数学級や労働強度の際限のない緩和を主張することにも「労働(=苦役)観」という本源的な理由がちゃんとある、しかし、ご本人たちは自覚していない。
 
労働が苦役であるという彼らの労働観が働く意欲を蝕んでいる。教師は工場労働者に非ず、インテリである。わたしは「教育の職人」と呼びたい。
(江戸後期には私塾が3万もあったそうで、教育の職人がたくさんいた。だが、松下村塾の吉田松陰や緒方洪庵の適塾塾頭であった福沢諭吉は教育の職人を呼ぶだけではかなりはみ出す部分がある、別格扱いでいいだろう。こんな人物を教師のスタンダードにされたら、比較されるほうはたまったものではない。) 

 
日本には日本人の伝統的な考え方に基づく経済学がありうる。目の前の現実を見れば日本人ならだれにでもわかることが学者にはさっぱりわからない。日本人にとって仕事は誇りであり楽しいものであり、人生の不可欠な重要部分をなしている
 かように欧米の「労働観」と日本人の「仕事観」はまったく異なっている、異なっているどころか対極にあるというのがわたしの経済学の基本的なスタンス。
  


10. <対極にあるもの:ヨーロッパ労働観⇔と日本の仕事観>

 ヨーロッパ諸国民が共有する労働観「労働=苦役」に対して、日本人の「仕事観」は刀鍛冶に代表される。
 神への捧げものをつくるという仕事観
(第23章「村落共同体と税:自由民と農奴について」参照)が根底にあるから、「仕事する」ことや「働く」ことは神聖な行為でごまかしのないものである。もてる技倆の最善をつくしてものをつくる。仕事をする姿を神がご覧になっているという感覚もある。「誰も見ていなくてもきちんと仕事しなさい」という言葉には「神様(八百万の神々)がちゃんと見ていますよ、だからごまかしや手抜きは行けません」ということ。だから日本人はいい仕事をするために日々自分の仕事の技倆を磨き続ける。仕事は全人的な行為であるというのが日本人の仕事観であり、技倆を極めることは職人の人生の目標ですらある。(そういう職人の魂、生き方を描いた小説がいくつかある。たとえば、山本周五郎『日本婦道記』、幸田露伴の『五重塔』など)
 
こうした仕事に対する基本的な考え方が、日本ではさまざまな分野の職人たちを通じて千年以上も受け継がれている。大阪天王寺にある金剛組は寺社建築に強みをもち、西暦578年創業の日本最古の会社である、もちろん同時に世界最古の会社。他にも西暦705年創業の老舗温泉旅館「西山温泉慶雲閣」がある。日本には創業200年を超える会社が3146社ある浮利を追わず、高い商道徳を保ってきた日本企業は、世界中のほかの国々と比べて圧倒的に長生き企業が多い。商道徳が低くなるほど長生きできないものらしい。創業200年を超える企業数は、ドイツ837社、オランダ222社、フランス196社、中国5社だから、創業200年を超える企業の67割が日本企業ということになる。
信用を第一に心がけ、浮利を決して追わない、職人の価値観がベースになった経営スタイルが理想で、その理想の経営スタイルを日本の企業経営者たちが連綿と受け継いで来た。かいつまんで言うと、仕事でごまかしをしない、利益をむさぼらないということ。小欲知足や仕事の技倆を日々磨き続けることがどれほどすばらしい価値であるかがわかる
 神への捧げものを作るというのは縄文時代からのことだろう。働くこと、仕事することは日本人には神聖なことなのだ。だから日本人は仕事の手抜きやごまかしを嫌う。仕事の技倆を上げ続けること、技術を日々磨き続けることは職人の歓び。
 わたしは業種や規模がそれぞれ異なる会社へ4回転職して、その都度仕事の喜びを経験してきた。何かに打ち込み腕を挙げ続けることは日本人には歓びなのである。書道、茶道、珠算、柔道、剣道、空手、囲碁、将棋それぞれに級や段位があり、上達が実感できるようになっている。どんな仕事でも、一人前の職人となるにはおおよそ十年の就業期間を要する。万日(=30年)の稽古で名人の域に達したら立派なものだ。

 ①(伝統芸能はさまざまな職人集団によって支えられている。たとえば、文楽や能。宗教建築や生活用具も伝統を維持しているものがある。宮大工、江戸指物師、陶芸等々。大工ひとつとっても宮大工、船大工、一般住宅の大工などの別がある。一般住宅だってその建設には、大工、左官、建具職人、壁紙職人、屋根職人、水道、電気配線などさまざまな職種の職人がかかわる。)
②(日本にはレベルの高い伝統工芸もある。柴田玉樹(女性)は400年間続く博多曲げ物師の18代目である。江戸指物師。陶芸は数知れず。生活用具として大切に使う庶民がいてこそ作り続けられる。
③(南画(墨絵)家のイラン・ヤニツキーさんは、「」日本の職人はレベルが世界一高い)と断言する。雅号は名前を漢字にした「伊嵐」、師匠は南画の大家山田耕雨。)*「墨絵はスーパーモダンアート、書き直しのできない“一期一会”」http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20081118/113327/?rt=nocnt  


11.  <日本人の仕事観:仕事は楽しい!>
  日教組がお題目のように唱えている「30人学級がいい!」、「仕事量が多すぎる!」は本当のところと悪しき労働観の問題に分けることができそうだ。前者は事実だろうか、民間企業の仕事量や業務改善を引き合いに出して、仕事観の問題を論じてみたい。  

【民間企業の仕事量】
 民間企業の実例を挙げてみたい。 わたしは1979年、20歳代の終わりから30歳代半ばまで軍事用・産業用エレクトロニクス製品の輸入商社で働いていた。中途入社すると社長はすぐに全取締役が参加する財務委員会を立ち上げ、その下にそれぞれ目的を異にする6つの委員会ぶら下げた。その結果、実働部隊はわたしだけというプロジェクトを5つ(長期経営計画委員会、資金投資計画委員会、収益見通し分析委員会、電算化推進委員会、為替対策委員会)抱えることになったから、仕事の終わるのは週に34日はほぼ終電(0時過ぎ)間際、仕事は終わっていないのだが、そこでやめないと終電車に乗れない、土日のいずれかは自宅書斎で10時間余専門書を読みふける、そういう楽しい状態が5年間続いた。

[輸入商社の仕事 1979-83]
 新聞で見つけた2社に応募書類を送って、某有名ファッション企業のペーパー試験の後、社長面接をして入社が決まっていた。国内の子会社の経営管理を担当するか、NY支点勤務かどちらかに決めたいので、少し時間が欲しいと言われた。それでもう一つの会社の採用担当役員へ応募辞退を電話で告げたら、とにかく来て社長に会っていけというので、会社を訪れた。案内されて社内を歩いてみたらマイクロ波計測器やや制御用コンピュータがごろごろしていた。社長室で30分ほど話したら、社長は慶応大大学院経済学研究科で経済史を専攻したという、わたしのいた東経大大学院の入試難易度は当時慶応大学大学院経済学研究科とほぼ同じだった。話しているうちになんとなく気があってしまった。結局、産業用エレクトロニクス製品の輸入商社の方へ就職することになり、先に決まっていた会社へは、手紙を書いて辞退した。そういう事情があったからなのか、仕事の任せ方が半端でなかった。役員主体のプロジェクト6つの内、5つを中途入社したばかりのわたしに任せたのである。1979年、飛躍のチャンスをもらった、あの五年間がなければその後のわたしはなかった、二代目社長の関周氏に感謝している。18歳くらい年上だった。初代はスタンフォード大学で、ヒューレットやパッカードと一緒に学んだ。あのHP社の創業者である。わたしが入社したときには、初代はとっくになくなっており、2代目ががんばっていた。YHPへの資本参加を断念し、移籍希望の社員を新会社に移籍させ、残った社員で軍事用・産業用エレクトロニクス関係の欧米50社の輸入総代理店として事業を続けていた。その後為替が変動相場制に移行し、業績が嵐の中の船のようにアップダウンを繰り返していた。環境の激変に対応できる人材を求めていたのである。大きな仕事を任せてもらえる絶妙のタイミングで応募したことになる。運命とは不思議だ、必要なときに必要な場所に運んでくれる。ただそこで一心不乱にしごとをするだけでいい。

 HP67HP97を駆使した経営分析に基づく経営改善] 
 1979年11月ころ、仕事を効率的にやるために経営分析で必要な統計量計算アルゴリズムを科学技術計算用のプログラマブル・キャリュキュレータHP67HP97を使ってプログラミング、P/LとB/Sそして人員データを入力してチェック、25項目の経営分析指標の計算値をプリントアウト、そして25項目のレーダチャートを手描きしていた。経営分析モデル用基準ゲージを造るために、データの線形回帰分析を繰り返した。
 9月に入社早々、すぐに自社の5年間の財務データや人員データをベースに電卓をたたいて経営分析をしていたら、社長の関さんが米国出張のお土産に当時11万円もするHP67をお土産に買ってきてくれた。その2ヶ月後に社長が米国出張から戻ると、朝机の上にプリンタのついた卓上型のHP97があった。社長秘書のH金さんに訊いたら、社長がHP67のキーが小さいので、ブラインドタッチで叩けるHP97を買ってくれたとわかった、うれしかった。当時、22万円もする製品だった。HP97はプリンタがついているだけでどちらも性能は一緒、長さ8cm1cmの磁気カードにプログラムもデータも保存できる。線形回帰分析も曲線回帰分析も自在にできるすぐれもの。理系の大学院でもなかなか買ってもらえない高性能の科学技術用プログラマブル計算機だった。
https://www.google.co.jp/images?q=HP97&rls=com.microsoft:ja:IE-SearchBox&oe=UTF-8&rlz=1I7SUNA_jaJP310&gws_rd=ssl&hl=ja&sa=X&oi=image_result_group&ei=ZiDOVIPsO4qM8QW9yYLQCg&ved=0CBQQsAQ
** HP67&HP97(Wikipedia)
http://en.wikipedia.org/wiki/HP-67/-97
                       
 この2台のヒューレットパッカード社の計算機に採用されていたプログラミング言語は逆ポーランド記法の科学技術計算専用のプログラミング言語だった。1週間でそれぞれ400ページある英文の操作マニュアルとプログラミングマニュアルを読み切り、使った。英文がやさしくマニュアルの出来がよかったので読み切れたのだろう。使ってみてその威力の大きさに驚いた。1日かかっていた計算が30分で終わるのである、それだけではない、入力データだけチェックすれば、あとはプログラムがやるからチェックが不要、なんと便利だろう、そう実感した。
 自社の経営管理用に、過去5年の線形回帰データを元にして、アレンジを加え、5ディメンション(収益性×6、成長性×6、財務安定性×6、活動性×3、生産性×6)、27項目の経営分析モデル*(注-3)を作った。27項目の各ゲージを線形回帰分析データやそれが使えない場合は、理想型を想定してゲージを作成した。円定価システムや納期管理システム、外貨決済管理システムと連動してその経営分析システムは自社の財務安定性と収益性改善に絶大な威力を発揮した。

 1979年に開発したそのモデルは、1992年に臨床検査会社で子会社8社の業績評価に利用した。このモデルはMSDI(経営管理用標準偏差指数)を計算して、会社の業績を総合偏差値で評価できる優れもので、開発した1979年当時では日本では最先端のシステムだった。臨床検査会社へ転職してから、EXCELに載せ替えてやった仕事の文書、『平成4年度グループ会社業績報告書』(平成5323日付け)が残っている。会社の買収や取引先臨床検査会社の経営分析にも利用した。


[三つのプログラミング言語の習得]

 1年後には経理業務と給与システムが載っているオフコンのプログラミングをマスターして必要なデータを取り出し編集してプリントアウトするプログラムを作った。新しい技術を覚えてそれをすぐに使えるというのは楽しいものだ。個人で2千万円のオフコンや数千万円の汎用小型機を購入してプログラミングすることなどできるわけがないのだが、それが「会社という共同体」では可能になる。
 二番目に習得した言語はCOOLというダイレクトアドレッシングのオフコン用の面白い言語、12桁の数字を演算子と3個のオペランドに機能を分割した面白い言語だった。納期管理と外貨決済管理用のシステム開発をしてもう一台コンピュータを導入したので、三番目にはコンパイラ系言語Progress-Ⅱもマスターした。
 プログラム言語は一つ覚えると、表記の仕方が違うだけで、アルゴリズムは一緒だから次々にマスターできる、文系でも物怖じせずにアタックすればいいのだ。プログラム言語それぞれに特徴があって比較ができて面白い。わたしの本来のスキルは経理にあるのだが、ついにこの会社では資金計画を担当させてもらっただけで、経理のルーチン業務を担当することがなかった。予算編成統括業務と予算管理や経営分析、経営管理業務は異動してもずっと担当することになった。社員数が160人程度の会社では属人的な業務がどうしてもできてしまう。
 1979年当時は、経理がわかって経営管理ができて、為替管理の仕組みの考案やそれにマッチした輸入実務フロー・デザインとコンピュータシステム開発とシステム管理のできる人材が必要だった。経営改善というのはそういう専門領域がいくつもぶつかり合ったところで生じ、複数の専門知識と技術があって初めて解決可能になる。
 このころはコンピュータやシステム開発関係の専門書を数十冊読み漁った。自分の仕事の省力化を推し進めると余剰時間が生まれるから、それを利用して他の専門領域の本を読み仕事の幅を広げた。
 会社のさまざまな仕組みを変え、新たに実務デザインしなおしてシステム化し、省力化と仕事の精度の飛躍的な向上を同時に実現した。売上高経常利益率が10%に高め、利益を5倍にして財務安定性を強固なものにするために必要な経営改革だった。4年ほどで目標を超える成果が上がった。「必要は発明の母である」、忙しくない者は永遠に仕事の改善をしない、忙しい者ほど仕事の改善をすることになる、ハードルが高いほうが仕事のしがいがある。仕事は魂をこめて、渾身の力で、とことん、徹底してやるから楽しくなる
 

[強力なパートナーの存在]

 利益重点営業委員会は会社のナンバーワン営業の(一つ年上の)E藤課長が実務をやっており、円定価システムというシステムがらみの案件だったので、実務デザインをしてシステム仕様書を書いてあげた。
 3ヶ月移動平均為替レートを使って為替変動を反映すると同時に、受注残ファイルの納期情報から決済月を自動計算して為替予約を行い、受注時のレートと仕入レートと決済レートを連動させて為替リスクを回避する仕組みを作った。
 3ヶ月ごとに円定価表を改訂し自動出力した。それまでは営業マンがそれぞれ電卓を叩いて見積もり表を作っていたから、営業所で見積書作成作業に3分の1ほどの時間がとられていた。同じ電気メーカの横浜工場と府中工場に出す見積もり金額が違うので、しばしばクレームになっていた。理系大卒の営業マンを見積書作成業務から解放し、本来の営業活動に注力させて、一人当たり売上を2倍にしようというのである。円定価表と連動させて為替予約をすることで、為替変動リスクを回避するシステムもつくった。それ以来、円安で業績が悪化することがなくなった。目論見どおり、売上総利益率が10ポイント上がり、高収益会社へ変わった。
 50億円の受注を2年かけて狙って獲得したナンバーワン営業のE藤課長とは馬があった。わたしが出遭った中では最高の営業マンであった。かれが社内の主だった営業マンを次々にわたしの紹介してくれた。朝まで一緒に酒をなんども呑んだ。済ました顔で仕事を始めても、酒臭さはどうしようもないし、気持ちも悪いから、2度ほどトイレに行って吐いてくると楽になる。昼が来たら、日本橋芳町の高次を入ったお店、「よし梅」だたかな、そこのおかゆ定食がありがたい。それを食べたら元気回復、5時を過ぎることには仕事仲間とまた飲みたくなる。能力の高い他部門の役員そして管理職や社員とのコミュニケーションは、相手の業務を理解することからはじまる。酒だけ飲んでいてもコミュニケーションとはならない。文系だからマイクロは計測器や質量分析器や液体シンチレーションカウンタのことはわからないなどといっていたら、理系の営業職や技術部の人たちとのコミュニケーションはできない。計測器はディテクターと制御およびデータ処理部とインターフェイス部から成り立っているので、プログラミング言語を3言語マスターしたことで制御系やデータ処理部の機能はよく理解できた。
 

[社内のすべての部門へチャンネルをもつべし]

 まだパソコンがおもちゃで、仕事で使えるのはオフコンや汎用小型機の時代の話である。1980年に導入したA4版の書類がCRT(このころはカラーでもなく液晶でもない、まだグリーンディスプレイの時代)三菱製のワープロが200万円もした。業界初のA4の書類をフルに表示できるというのがその商品の売りのポイントだった。
 月に一度は東北大の助教授による、マイクロ波やミリ波の導波管や計測器についての仕組みに関する勉強会があった。マイクロ計測の原理をきちんと学べば、ミリ波も光も、ディテクター部の周波数域の違いだけで同じに見えてくる。勉強会の対象は営業マン(理系大卒あるいは国立高専卒)と技術部員であるが、そこに経理部員(そのあと経営管理部が新設されそちらに、そしてその後「電算室」が新設され、統合システム開発を任された)が割り込んだのである。営業マンも技術部員も歓迎してくれた。月に2度ほど輸入元のメーカが新製品の説明にエンジニアを送ってくるから、英語で新製品説明会が開かれる、技術部と営業部が対象である。そのどちらにも5年間全部出席した。講習会が終わると、彼らとお決まりのノミュニケーションである。週に1度は会社のさまざまな部門の人たちと酒を飲むことにしていた、酒の席でないと出ない話しがあるし、異なるセクションの人と話をして相手の業務を具体的に知ることはプロジェクトを円滑に進めるためにも効果が大きい。大きな視野で物事を判断するためには、社内のすべてのセクションの人々と普段からコミュニケーションすべきだし、社内で行われる業務ごとの講習会や勉強会にも積極的に参加したほうが、仕事の幅が広がって面白くなる。


[仕事の幅を広げる:専門領域の拡大]
 具体例を一つ挙げてみたい。経理部門(中途入社の最初の配属部門、経理担当取締役の直属スタッフ、1年後に管理部へ異動し3年半後に統合システム開発を担当)で長期計画、予算編成および予算管理、経営分析業務を担当していると、メインバンクの営業担当者と話をする機会がある。会社がどういう分野に注力して、今後3年間でどれくらいの売り上げ増が見込め、利益にどれぐらい影響がでるのか数字を挙げて説明し、翌年その通りの実績がでると、会社の信用が上がる。利益がきちんとコントロールできていれば無担保でも事業に必要な資金を貸し付けてくれるように変わる。だから、経理部門や経営企画・管理部門だからといって、会社の製品開発動向やそれによって年間の利益額にどれくらいの影響があるのかを推計もできないようではお話にならない。
 土日はどちらか1日は仕事に関係のある専門書かあるいは興味のある分野の専門書と812時間ほど「格闘」、1日は家族サービスに充てていた。
 20歳代や30歳代にインプットをおこたってはならない。民間企業では仕事のできる者に他の者にはできない難易度の高い仕事が集まってくる、複数の専門分野に関わる仕事をやり遂げるのは楽しいもの、チャレンジしているという実感がある。

[みんなが幸せになる]
 その結果、会社の利益は増えるし、社員のボーナスも安定して増えるからみんな生き生き働くようになる。そして社員持株会の株も毎年評価額が上がり、老後の足しになるから女房も喜ぶ。社員とその家族が幸せになれるのだから、給料がそこそこでも仕事のしがいは大いにある。その給料も実績を挙げ続ければいずれ上がってくるのが、民間企業のよいところだ。

[言われてやるのではなく、自分で課題を見つけてチャレンジすれば、仕事は楽しい]
 課題を自ら設定し、その課題解決に必要な技能を身につけるために、必要な専門書をかたっぱしから読み漁り、必要な機器を買ってもらって渾身の力で仕事をしていたから、産業用エレクトロニクス輸入商社の5年間は仕事することが苦役だと感じたことがなかった。
 マイクロ波やミリ波計測器の社内勉強会に毎月出席し、次第に商品知識も確かなものになっていった。ディテクター、データ処理用のコントローラ(制御用科学技術計算専用パソコン)、GPIB(双方向インターフェイスバス、General Purpose Interface Bus)というのが1980年代はじめのころの計測器の標準的な構成だった。周波数の種類ごとにディテクターがある。
 欧米50社の取引先から新製品がでると、市場の大きい日本にはエンジニアが製品説明に入れ替わり立ち代り毎月のように来て、理系大卒の営業マン対象に新製品説明会を開いていたが、これも5年間一つももらさず出席した。「門前の小僧習わぬ経を読む」を信じて勉強させてもらった。
 マイクロ波計測器、制御用コンピュータ、マルチコントローラー、時間周波数標準機(ルビジウム、水素メーザ)、質量分析器、液体シンチレーションカウンター、ウォータゲート事件で使われたレシーバ、電子戦シミュレータ、戦闘機のアンテナなどなど、世界最先端の機器に関する知識を吸収していくのも楽しかった。20代の終わりから30代は爽快に飛ばして仕事していた。
このときに習得した理化学分析機器や測定原理に関する知識が国内最大手の臨床検査会社に転職してから物を言うことになる。日本最大の特殊検査ラボの機器担当をひょんな事情から2年間担当することになるのだから、天の運命のいたずらは楽しい。検査に使われている分析機器はデータ処理部とインターフェイスバスがマイクロは計測器に比べると著しく遅れていた。双方向ではなかったのである。
 本社で予算の統括と統合システム開発をしていた人間がラボの機器購買担当になったわけだから、検査機器については知識がないのが当然だが、そうではなかった、「門前の小僧」は東北大学助教授を招いて毎月開かれていたマイクロ波計測やミリ波計測の勉強会と海外メーカの新製品説明会に毎回出席することで、いつのまにか専門家に育っていたのである。だから、2年間の間に製薬メーカとの間でいくつか共同開発や開発段階の機器の最終インスタレーションもやった。ひとつは半年独占使用を条件にしたから、大型開発品で市場シェアをがっちり握ることができた。そのひとつは
1988年頃、栄研化学のLX3000という酵素系大型自動分析機である。ファルマシアJKBにはいくつかSRL仕様で製品を造ってもらった。申し入れると、カタログを作成して商品ラインに加え、日本市場で販売していた。向こうにとっても、SRL仕様で製品をつくることが日本市場を攻略する手段になったのである。なぜこんなにファルマシアが協力的だったかというと、アレルゲン検査項目でモノがいいから試薬を値引きしないと強行に突っぱねられたことがあり、そのときに日本市場でのシェアの高め方を教えたからだ。日本支社長は業績を著しく上げたので昇格した。そういう経緯があって、体外の無理は聞いてくれた。デザイン性にも優れた真っ白いガンマカウンタはSRL仕様の特注品だと値段が高くなる、だから製品ラインに加えたのだが、大型検査ラボはSRL仕様だから、スムーズに導入が進んだ。たくさん売れたのである。商売は自分だけ儲けてはいけない、取引相手にも儲けさせる。いい製品が普及すれば世の中のためにもなる。仕事の姿勢は「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」を貫いた。

[業務の棚卸しと優先順位づけによる3割カット]
 臨床検査会社で学術開発本部スタッフとして仕事していたときに業務カット・プロジェクトで経験したことにも触れておきたい。学術開発本部には開発部、学術情報部、精度保証部の三つの部が属していたが、全員の仕事を日次・週次・月次・四半期・半期・年次業務にわけて棚卸しをして、優先順位をつけていき、優先順位の低いものから3割カットした。その結果人員が3割浮いた。こうすると人員を増やさずに、新規の仕事に人員3割を割くことができる。要はやり方だろう。

[働くことは楽しい]
 
働くは「傍(はた)を楽(らく)にすること」だという語呂合わせで説明されることがある。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」ということも数百年間広く流布している商道徳である。自分だけがよいのではなく、関係する周りの皆さんが幸せになるということが、日本人の暗黙の行動規範として受け継がれてきたように思う。仕事に関する自分の技術を磨いて、渾身の力で仕事をすれば、仕事は確かに歓びと変わり楽しいものになるもの。わたしは規模と業種の異なる4つの会社と1つの医療法人(常務理事)での26年間のサラリーマンや役員生活を通して仕事が歓びであることを繰り返し体験した。
 細かく言うと、それら5つの企業のほかに、2回役員として関係会社と合弁会社への出向も経験している。すべて同じスタンスで仕事をしてきた。だから、仕事をする自分の基本的スタンスや考え方(仕事観)、そして自分の心のあり方が、仕事の印象を異なるものにするのだと思う。

[仕事量が多くても工夫次第で劇的に減らせる
 仕事が苦役であると感じる人は、自分の心や労働観(仕事観)を今一度見直してみたらいいのではないだろうか。そんなに過酷な「労働」をしていますか?
 学校の先生たちは、業務の見直しや業務改善をどの程度やっているのだろう、業務を固定して考え過ぎてはいるということはないだろうか。

 
データを挙げて議論すべき】
 
団塊世代のわたしが通った花咲小学校は1クラス60人で1学年6クラスあった。5年生から担任だったT木先生は算数の授業で少数の乗除算や分数の加減乗除算をやったときには「わからない人は残れ!」って、放課後補習を頻繁に繰り返してくれた。北海道教育大釧路分校を卒業したばかりの若い先生でしたが実に生き生き仕事をしていらっしゃった。学校の校庭でスケート、裏山(丘、現在は住宅地になっている、埋め立てられてしまった海岸線ばかりでなくここでも子供たちの遊び場がなくなっている)でスキーとそり滑り、正月には百人一首といま思い出しても生徒と一緒によく遊んでくれた。昔は相対評価、成績つけるのなんて今に比べたらいい加減でもよかった。確かに絶対評価になって評価項目が細分化されて面倒になっているのは事実だ。しかし、長期的に取り組むなら変えられないものなどない。関係者の理解と納得がいく具体案を作り、組織を挙げて世の中と文科省を説得すればいい。
 中学校は1クラス55人で1学年10クラス、高校は1クラス50人で1学年7クラス350人だった。いまでは高校は50年前に比べて1クラス8割で40人規模だが、小学校は半分以下の規模になっている。花咲小学校の昨年の入学児童数は39人、今年は32人でどちらも2クラスだから、1クラス当たりの人数は58年前の60人と比べて三分の一以下、北海道の他の地域も似たり寄ったりではないのか。
 こんなに1クラス当たりの児童数・生徒数が減少したのに、2014年全国学力テストの都道府県別科目別正答率標準偏差データを使って計算すると北海道の小学校の偏差値は37しかないから、こんなに生徒たちの学力が低いのに仕事がきついというなら仕事の優先順位とやり方が間違っている。何がきついのか、仕事の種類とそれに費やされている時間データをあげて先生たち自身が保護者たちに具体的に説明し、関係者の理解と納得のもとに改善を図る必要がある。まだ1クラス当たりの人数が多すぎると一部の人たちが主張しているが、低学力の原因は一クラス当たりの人数が多いからという主張はデータの根拠がみつからないだろう。労働時間が少なければ少ないほどいい、労働強度は小さければ小さいほどいいというだけなら、それは得手勝手な主張であると言われてもしかたがない。現に学校の先生たちの週平均授業時間数は17.7時間だから、一日3.5時間しかない、あとは空いているのである。
 病院へ行くといろいろ検査をするが、医療現場ではどの医者もデータに基づく診療をしている、それが当たり前のことだからだ。検査データを示されて、身体のどこに異常があるのか説明してもらうと、自分の病状がよくわかるし、どうすればいいのかも説明してもらうと納得がいく。
 教育現場ではどうしてデータに基づく議論をしないのか外部から見ると不思議だ。都道府県別偏差値で北海道の小学校は37、偏差値が正しくないというなら、統計学的に妥当性のある代案を出せばいいだけだが、そういう反論は聞いたことがない。
 偏差値373年で50にもっていくには、今年何をすべきか、そして年度末にはそれを具体的な数値で確認できるように実務を組み立てる。結果を評価して次年度の数値計画を立てて、実績データでチェックする。要するにPDCAを繰り返す。
 PDCAPlan Do Check Act 


 12. 民間企業では仕事の要領の悪い者ほど「忙しい」とぼやく>
  ほんとうに仕事がそんなにきついだろうか?団塊世代のわたしの小学校の担任T木先生はしょっちゅう放課後補習してくれた、「わからないもの残れ!」って。いまは小学校の先生たちはそういうことをしないようだ。時代が違う?検討してみよう。

 事実もしくはデータを並べてみる。授業時間は前章で挙げたが平均週17.7時間である。一日3.5時間だから多くない。空いている時間を使って報告書や市教委のアンケートに答える時間は十分にある。もっとも、民間会社にだって、簡単な報告書を書くのに半日かかる者もいるし、一事間で軽く書き上げてしまうものもいる。仕事の要領のよい者は仕事の要領が悪い者に比べて時間をたくさんもっていることになる。
 1クラスの小学生の学力は58年前の半分以下になったが、2014年度全国学力テストの成績は全国最低レベル、都道府県データを基にした偏差値で37
(全国の小学校が百校あると假定すると北海道は90番目ということ)47都道府県で競争したらほとんどゲレッパ(ビリ)。全国学力テストの学校別・科目別正答率と全国平均値との差は、先生たちの普段の仕事への客観的数値による勤務評定でもある。
 
仕事の成果がまるで出ていないのに仕事がきついと感じ、自分の仕事のやり方に問題があると考えないのは、神経麻痺か不感症。仕事のやり方や指導の仕方に問題があるとは考えず、何かよくないことがあればそれは自分ではなく、自分の外側に原因があると考える、これでは自己改革のチャンスを失う。仕事の成果が出せないのに、生徒のいない夏休みや冬休みに登校して判だけ押して帰ってくるなんてことは民間企業のサラリーマンにはありえない。自分の生徒たちの平均点が全国平均値を下回っているのは、民間企業にたとえると仕事の成果があがっていない、すなわち赤字だということ。夏休みや冬休みの長期休暇をとっている場合ではないというのが民間企業の感覚。
 
会社が赤字なのに社員がいっせいに長期休暇をとっているようなもの、民間企業なら客はやる気のなさにあきれてその企業の製品を買わなくなる。
 
一斉長期休暇が年に2回あって、それでも仕事がきついと感じるのは、マルクスの労働観でこころが汚れてしまって、本来歓びであるはずのものが苦役に変わってしまっていることに気がついていないからではないのか。よく観察したら原因の大半は働いている自分のこころ(労働観)にある
 新卒でも3年やれば、授業のやりかたにも慣れてしまうし、必要な補助教材も一通り蓄積ができてしまう。4年目からはずっと仕事量が減るのが道理だ。本当にきついのは最初の一年だけ、それでも仕事がきつければどの仕事がきついのか、やっている仕事のリストを作成して優先順位の低い順に2割カットしたらいい。残った業務のうち、量の多いものからやり方をかえるべきだ。時間を食っているのが、授業時間数なのか、授業の準備時間なのか、部活指導なのか学校行事なのか、それとも報告資料作りなのか、生徒の評価資料作りなのか、それ以外の事務仕事なのか、日・週・月・季節・学期に分けて業務のたな卸しをして具体的に業務時間量を記入して眺めたらいい。やる必要のない業務が2割はある。
 
民間企業は業務の棚卸しをして、重要度の低い順に3割カットする。残りの業務を分析して実務デザインを変えてしまう、仕事にかかる時間は必要なスキルがあれば驚くほど短縮可能だ。*-4「民間企業の生産性向上の実例」
 
1年まわしたら、作成した実務フローチャートを後任に渡して、別の仕事にチャレンジする。前任者から引き継いだルーチンは一日2時間もあれば十分なように仕事のやり方を変えてしまえば時間の余裕がたっぷりできる。余裕ができて仕事時間にチョムスキーの構造言語学に関する著作を読んでいることもあった。会社の図書室にある数十種類の海外の科学・医療分野の専門雑誌に目を通す暇だってあった。要するに仕事のやり方しだいなのである。プロジェクトにお呼びがかかっても、もちろんルーチンワークには支障がまったくでない。
 
仕事のできる者は「忙しい」とは決して言わない、前任者の3倍量の仕事をしても次々に業務改善をすれば仕事はちっとも忙しくない。

  13.  <労働者ではなく「教育の職人」としての誇り>

 学校の先生は「教育労働者」ではなく、プロの仕事人である。プロの技を磨いて、真摯に仕事をする、普段は60%で十分だが、必要な局面では渾身の力で仕事する。自分が受け持っているかわいい生徒たちの学力を上げて生徒が自信を取り戻した表情を見た人は自分がしている仕事を「苦役」だとは思わない。
 
どの職業も、人様のお役に立って喜ばれてこそなんぼのもの。「先生、独りで文章題解けるようになった」と笑顔の生徒をみるのはうれしいもので、この職業ならではの歓びがある。仕事を通じて歓びがあれば職業に対する誇りも生まれる。学校の先生は日々学び、教育技術を磨き、生徒と共にある教育の職人であれ!

 教師の仕事は「工場労働」ではない。マルクスが『資本論』で想定したのは工場労働者の労働、しかし教師はインテリ。皮肉なことに『資本論』を書いたマルクスも、ロシア革命を成し遂げたレーニンも、労働者ではなく大学に職を求めて得られなかったインテリだった。共産主義や社会主義という言葉は、体制からスピンアウトしてしまったインテリの方便。実態は労働者階級の革命という看板を掲げて扇動し、インテリがちゃっかり権力を奪取した。
レーニンが這い上がるには「革命」を起こして政治指導層に君臨するしかなかった。労働者はインテリたちが指す将棋の駒に過ぎない。
(マルクスは悲運だった。ドイツで何度か大学に職を求めたがかなわない、そして英国に亡命せざるをえなくなる。マルクスはロンドンに亡命してから、工場経営や株で稼ぐエンゲルスの扶助を受けて大英図書館で経済学の研究に打ち込み、貧困の中に64歳で死去。) 

[根室の市街化地域の3中学校の状況]
 
根室の中学校の先生たちはこういうヨーロッパの「労働観(労働は苦役である)」の呪縛から自らを解き放ち始めているように見える。生徒の学力を上げようと、底辺の学力の生徒たちに放課後補習をするようになってきた。以前から市街化地域の3中学校では8年前にも数人いた、しかし数人だったし、学校として校長がバックアップしたものでもなかった。それがいまでは集団の動きになっている、学校としての取組に変りつつあるのは喜ばしい。
 
一部では小中学校の先生たちの定期的なミーティングも始まっている。中学校の先生の立場から、小学校の授業に注文をつける必要がある。4年生程度の漢字の書けない中1の生徒や、分数や少数の加減乗除算混合算のできない中1の生徒が34割いる現状は、小学校の授業のやり方から見直さないといけない問題をはらんでいる。小中の垣根や学校教育と教育問題に関心のある地域住民との垣根を越えた議論が必要である。 

[プロフェッショナル]
 
こういう名前のNHKの番組がある、この番組は長寿番組で、すでに254回放送されたから、この番組の本数をみても日本にはたくさんの種類の一流の職人がいて、社会を支えていることがわかる。
 
23日放送は「羽田空港日本一の清掃員」だった。ビル清掃の達人の新津さんが取材されていた。中国瀋陽生まれの新津さんは中国では日本人と言われて差別を受け、日本へ来てから今度は「中国人」と言われて差別を受けたという。ビル清掃の職に就くが、清掃が最下層の職であることを知る。だが、自分にはそれしかないと思いきめ、それならこの道を究めてみようと考えを変える。何度訊いても、どうやっても指導員の鈴木さんはほめてくれない、「もっとこころをこめなさい」というだけ。清掃技能選手権に出場するも優勝できない。さらに努力を続けて、優勝する。指導員の鈴木さんに報告すると、「優勝するのはわかっていたよ」との返事。日本一になることを確信していたのだという。
 
80種類の洗剤を使い分けて徹底的に汚れを落とす。お客さんの気持ちになって何が必要かを考えて行動する。トイレの手の乾燥機の排水溝に雑菌が繁殖すると異臭の原因になる。新津さんはそれを清掃する細長いブラシをメーカと共同開発した。プロの仕事は目に見えないところも手を抜かない。
 
部下の作業員から、トイレの黒ずんだ汚れの相談があった。「どうしても汚れが落ちません」と報告を受けると、現場に出向いて観察、滑り止めの表面のでこぼこ処理が邪魔をして低い部分の汚れが落ちないことに気づき、ウォッシャーに取り付ける素材を替えて試してみると、みごとに汚れが落ちた。そのあとの実に晴れ晴れした顔がよかった。
 
「日々努力し、こころを込めて…」それがプロフェッショナル、清掃の職人だと、新津さん。「自分の家だと思って仕事する」「空港がきれいですね、それで十分、誰がやったかはどうでもいい」、すごい人だ。羽田空港は2年連続で「世界一清潔な空港」に選ばれた。 
 その新津さんが尊敬するのが高層ビルの窓拭き30年の羽生田信之さんだ。その技も取材されていた。汚れを落とした後、水切りをするが、水きり道具を左右上下に手首を返しながら3回動かすだけで完璧に一つの窓の水切りを完了する、そして余分な水が下に落ちないように丁寧にふき取る。プロの技は無駄がなく完璧だ。プロフェッショナルとはと問われて、「いつまでもときめきを忘れない、永遠の初心者」と応えた羽生田さん。初心者はのろくてもけっして事故を起こさない、高層ビルの窓拭きは高所作業なので危険が伴うから慣れが一番恐ろしい、こころはいつまでも「初心者」であり続ける。
 日本には渾身の力で仕事をする、レベルの高い一流の職人がさまざまな職業分野で活躍している。日本は世界にまれにみる職人経済社会・職人文化の国なのである。

 *NHK番組「プロフェッショナル」「清掃のプロ」スペシャル (第254201522日放送)http://www.nhk.or.jp/professional/2015/0202/index.html 

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*#3097-0 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版)-0  Aug. 2, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-02


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#3097-2 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版)-2  Aug. 2, 2015 [99. 資本論と21世紀の経済学(2版)]

#3097 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版)<目次>  Aug. 2, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-15


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6. <公理系書き換えによる21世紀の経済学の創造>

 ○資本論の公理・公準
 経済学者で『資本論』の公理・公準の抽出を試みた者はこれまで一人もいない。理由は簡単である、ユークリッド『原論』が視野にはいっている経済学者がいなかっただけ、それゆえ、『資本論』の公理・公準はなにかという問題意識が生まれなかったからだ。学問研究には既存の学説にはとらわれない心の透明さが必要なときがある。だから、なにかを研究するときには解説書には一切目をくれずに、オリジナルのものを読むべきだ。解説書はその後にすればいい。
 
マルクス自身はユークリッド『原論』に関心がなかったようなので、彼の著作の中に公理・公準に関する記述は見つからない、しかし、『資本論』から、前提としている公理・公準を析出することはできるから、やってみようと思う。

1.労働は苦役である
2.商品には価値がある、価値のないものは商品ではない 
3.商品には使用価値がある、使用価値のないものは商品ではない
 
4.価値には普遍性がある
5.人間労働の質は均一であり、そして平均的な社会的労働力があるとせよ 
6.商品の価値はそれに含まれている人間労働の時間量で決まる
 
7.資本は価値と共に剰余価値を生産する
 8.際限のない欲望の拡大再生産 
9.資本の自己増殖の都合に合わせて際限のない環境破壊を行う

  マルクスが労働を苦役であるというときは、資本主義的生産過程で労働力商品として買われ、生産手段から疎外されているからである。生産手段から疎外された労働というのは、生産手段の所有者が資本家であり、労働者ではないということ。
  
そういう議論を裏返すと、共産主義社会になり、生産手段が労働者の共有になれば労働は苦役ではなくなるということになる、単純素朴な議論でわかりやすい。
 
こういう議論を推していくと、たとえば大工さんは自前の道具(生産手段)を所有しているから、疎外された労働ではなく、マルクスが理想とする「能力に応じて働き。必要に応じてとる」という状態に近いことになる。
 
マルクスは労働が疎外されている根拠に、資本主義的生産過程にあっては生産手段が資本家のものであり、労働者のものではないことに求め、「労働疎外=苦役」図式でものごとを考えている。これは労働をしたことのない学者の空想の産物であると言わざるをえない。
 
自分のもつ技倆の限りをつくして額に汗して働くことは、案外気分の好いものなのである。マルクスはお金を稼ぐために肉体労働をしたことがないから、人間の心の問題を度外視して、ただ生産手段から疎外されていることをもって、労働疎外と労働=苦役を論じているが本当にそうだろうか?業種と規模の異なる4つの民間会社で仕事をした経験のあるわたしはマルクスに同意できない。肉体労働の経験のないマルクスは労働を古典派経済学の先達たちと同様の経済学的概念でしか捕らえることができず、適度な肉体労働が爽快感や自己実現感を伴い、健康な生活維持に必要なものであるということすら理解できなかった。だから、仕事することを「労働=苦役」と捉えてしまったのだろう。この辺りがマルクスのみならず、西欧経済学に共通する限界なのである。

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用語解説】
公理:①一般に通用する真理・道理 ②真なることを証明する必要がないほど自明の事柄であり、それを出発点として他の命題を証明する基本命題。②’数学の理論体系で定理を証明する前提として仮定するいくつかの事柄 (大辞林より)
公準:①要請に同じ ②[] 一般には、証明されないが、証明の前提として要請される基礎的な命題のこと。ユークリッド幾何学においては、幾何学の作図に関する一群の基本命題を指す。現在では公理と同義であり、両者は区別されない。
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わたしは自明なことを公理と定義し、「~であるとする」を公準と定義して使い分けようと思う。一番大事なのは第一の公理「労働は苦役である」、これがヨーロッパの経済学に共通の労働観である。「ヨーロッパの経済学」と書いたが、もちろん、日本の伝統文化に根ざした経済学を念頭においている。職人中心の経済学の公理公準を参考までに述べておくと、公理系の一部を入れ替えると同時に、四つ追加が必要である。第4の公準~第7の公準の四つは、日本的情緒に基づく倫理基準でもある。

1.仕事は神聖なものであり、歓びである ⇒第1の公理
2.商品には価値がある、価値のないものは商品ではない ⇒第2の公理 
3.商品には使用価値がある、使用価値のないものは商品ではない ⇒第3の公理
 
4.価値には普遍性がある ⇒第4の公理
5.一人前の職人の仕事は職種を超えて同一であるものとする ⇒第一の公準 
6.商品の価値量はそれに含まれている一人前の職人の仕事量で決まるものとする ⇒第2の公準
 
7.名人の仕事の質は無限大であるとする ⇒第3の公準
 
8.名人の仕事の質は一人前の職人の仕事の質と比較できない ⇒第5の公理
9.資本の運動は利潤を生み、生産性増大は利潤を増大させる ⇒第6の公理
10.小欲知足:欲望の抑制 ⇒第4の公準
11.生産力と環境との調和 ⇒第5の公準
12.売り手よし、買い手よし、世間よしの三法よし ⇒第6の公準
13.浮利を追わぬ ⇒第7の公準

  仕事が神聖なものであり、喜びであるというのは日本人が古代から受け継いできた伝統的な考え方である
 公理系を入れ替え四つ付け加えることで別の経済学が誕生する。第1の公理は縄文時代から育んできた日本の伝統文化や天孫降臨神話と密接な関係がある(天孫降臨神話との関係は23章<村落共同体と税:自由民と農奴について>「贄と仕事観」参照)  
 ‘No.78’はピカソの絵や長谷川等伯「松林図屏風」、奇想天外な写実画家「群鶏図」「風神雷神(屏風図)」の伊藤若冲を想像してもらいたい。ピカソや等伯、若冲の絵の価値は彼らがその作品を生み出すに要した仕事時間で計量できないことは太陽が東から昇るのと同じくらい自明である。
 渡部昇一氏は、民族ごとに労働観につて違いがあり、日本独自の労働観に基づく経済学がありうることに言及している。わが意を得たりである。

 #3231 日本人の労働観の特異性と新しい経済学の創造 渡部昇一氏の論 Feb. 7, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-02-06

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 ・・・現代の日本では、労働時間の短縮が叫ばれているが、仕事を嫌悪する気持ちより、仕事を喜ぶ気持ちの方が貴重であるという事実は、いつの時代になっても変わらないことであろう。その意味で、「神様ですら働く」と考える日本人の労働観は、先に述べた自然観や宗教観と並んで、これからの世界にとって重要なメッセージとなると思われるのである
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一人前とは、熟練度の社会的平均値であり、それぞれの職種の職人が一人前になるまでに要する修業期間510年間を想定する。剰余価値生産のところでマルクスは困ったのではないだろうか。資本家的生産関係で、生産物の価値は原材料や生産手段を費消した分と労働力の対象化によって付加された価値と剰余価値に分裂している。それが市場関係では市場価値として止揚される。資本家的生産関係で価値と剰余価値を現在使われている一般的な用語におきなおすと、「生産コスト+利潤=生産価格」であり、生産性増大が生産コストを抑え、市場価格との差が拡大して利潤(相対的剰余価値)を増やす。36年ぶりに資本論を抜き読みしてみたのだが、この辺りはじっくり読み直す必要がありそうだ。
*-1コンピュータとネットワークと機械の新産業革命:ロボット工場はすでに現実】)
(資本論が世に出てから150年が過ぎたが、資本論が前提にしている公理・公準を俎板に載せた議論は初めて。資本主義国では日本が世界で一番マルクス経済学者が多いのだが、その日本ですら、こうした議論や研究がなされなかったことは、日本の学術研究の陥穽を如実に示すものである。専門化・細分化しすぎて、議論が深いところへ届かないばかりでなく、研究の視野が狭い。高校から、文系と理系を分けてしまう教育の弊害でもある。高校と大学に数学の得意な文系の科をつくるべきなのだろう。日本的情緒を育む文学作品に親しみ、なお数学が大好きだというのは人口の1%未満の学力エリートだろう。日本的情緒と高度な抽象数学を理解できる「鬼に金棒」の人材、国家戦略上、そういう人材を意識して育てるべきだ。) 

○資本主義社会の富は巨大な商品集積として現れているから、それを構成する最小のエレメント(要素形態)たる商品をマルクスは体系の端緒に措定した。そしてあらゆる概念的関係を排除したその原初的定義を行う。もっとも単純なものとしての商品の概念規定。

価値と使用価値(価値の二重性)
抽象的人間労働と具体的有用労働(労働の二重性)

 同じ演繹的な体系であるユークリッド『原論』は円を二つ使った正三角形の作図からはじめている。ユークリッドも「単純なものから複雑なものへ」という手順で体系を演繹的に叙述・展開していく。
(三平方の定理は第1巻第47章、中3の学習内容の弧と円周角、円周角と中心角の関係は第3巻第27章) 

○第1章第3節「価値形態」‘A 単純な、あるいは偶然的な価値形態’
 X量の商品Ay量の商品B、あるいはx量の商品Ay量の商品Bに値する。
20メートルのリンネル=1着の上着、すなわち20メートルのリンネルは1着の上着に値する。)ラシャトル版『資本論』18ページ 

A 単純な、あるいは偶然的な価値形態
(a)価値表現の両極、価値の相対的形態と等価形態
(b)相対的価値形態
(c)等価形態とその特色

B 総和の、あるいは発展した価値形態(
a)
発展した相対的価値形態
(b)特殊な等価形態
(c)総和の、あるいは発展した価値形態の不備

C 一般的価値形態
(a)価値形態の性格の変化
(b)相対的価値形態と等価形態の発展関係
(c)一般的価値形態から貨幣形態への移行

D 貨幣形態
● 流通過程での定義
 
使用価値と交換価値⇒交換価値は他の商品から独立して貨幣(金)となる 

● 資本主義的生産過程での定義
 
生産の三要素:生産手段、原材料、労働力
  
労働量=労働強度×時間商品の生産価格
 それぞれに費やされた価値+剰余価値
  価値表現形態を単純なものから複雑なものへ並べてみる。ここで不等号は複雑度の大小関係を表す。
  「単純な、あるいは偶然的な価値形態」<「総和の、あるいは発展した価値形態」<「一般的価値形態」<「貨幣形態」 

 マルクスは交換関係において価値表現形態を単純なものから次第に複雑なものへと展開している。交換関係では貨幣は資本へ展開できない、だから、概念的関係の拡張が行われ生産関係に措定されることで貨幣は資本形態をとることになる

 マルクスが記述した「生産過程」は日本の現実と大きくことなるが、その辺りのことなると日本の経済学者はまるで知識を持ち合わせていない。日本とヨーロッパや米国は事情が違うのである。真実は目の前にある、足元を見よと言いたい。
*-2【日本の工場部門と事務部門における「改善」と生産性向上】) 

  マルクス自身が編集したのはここ(第1部)までである。ここからは論理的な体系構成がどうあるべきか私見を述べたい。
(第2部は1885年にエンゲルスが編集して出版した、第3部は1894年にエンゲルスによって編集・出版された。マルクスは1867年に資本論初版を出版し、1872年に資本論のフランス語版を出して、11年後の188364歳で亡くなった。この年はエンゲルス編集の資本論第3版が出版されている。) 

    
市場関係での定義
    
市場価格 
     国内市場と国際市場での定義
    
国際市場価格⇒比較生産費説の導入 
     世界市場
    
資本や生産拠点が国境を越える。
    グローバリズム
    
コンピュータとインターネットが経済社会のあらゆる分野に入り込んでいく
    
売っても減らない商品の出現CDDVD、ゲームソフト、さまざまな種類の名簿等々、デジタルコピーの時代人類の生存環境を脅かすほどの生産力増大と過剰富裕化現象1920年代の米国に始まると、宇野派の理論経済学者馬場宏治先生が提唱した学説)の出現

 [結論-1
 資本論は演繹的な構成をもっている。概念的関係が演繹的・段階的拡張されるにしたがって、商品は具体的で現実的になる。マルクスは段階的に概念的関係を拡張し、用語をその都度再定義して経済学体系を記述しようとした。 

 
[結論-2:ヘーゲル弁証法の破綻]
 テーゼとアンチテーゼ、そしてそれらを統合するジンテーゼ、対立物の矛盾を論理の展開動力にするのが「ヘーゲル弁証法」だが、上向展開論理にヘーゲル弁証法を持ち込んだことがプルードンとマルクスに共通する間違いだったのではないか。
 
商品に内在する価値と使用価値のうち、価値は価値表現関係や生産関係、そして市場関係でより具体的な内容を獲得していくが、使用価値はそのままである。20エレのリンネルの使用価値はリンネルがもつ使用価値であり、布が縫われてワンピースに変われば使用価値も変わるのではないかといっても、原材料として使われて別の製品(この場合はワンピース)に生まれ変わり別の使用価値をもつことになるだけ。リンネルがもつ原材料としての使用価値は失われワンピースという製品の使用価値に変わるのみ。ところが単純流通では価値は交換価値となり、生産関係では資本家的生産過程で価値と剰余価値を生み出す。市場関係では価値は市場価値(あるいは市場価格)となる。市場関係では競争が導入されるから、個別企業の「生産コスト+剰余価値」と市場価格の乖離という問題が生ずる。ヘーゲル弁証法の「正」=生産価格と「反」市場価格と考えたくなるが、それは同じ「価値」の存在形態であって、価値と使用価値がより具体的な概念的関係で形態転化を遂げての対立ではない。商品の使用価値は使用価値のままである。
 
上向論理の展開動力に対立物の矛盾は必要がないどころか邪魔ものとなっている。正・反・合のヘーゲル弁証法は要らない。ユークリッド『原論』にもそういうものはまったくない。拡張されていく概念的関係は、それ自体を比較検討すれば、容易にその大小関係の判別がつくから、それにしたがって概念的関係の展開系列を決めればよいだけであり、実にシンプルである。
 資本家的生産様式で貨幣は資本となり、交換価値は(生産)価値と剰余価値に劇的な形態転化を遂げるが、対立物であるはずの使用価値は変わらない。生産過程では原材料の使用価値は原材料としての有用性にあるだけ。「なぜだ!」、ヘーゲル弁証法を学んだ者にはそういう疑問が出るのは当然だ。マルクスは上向の展開論理で「弁証法」にこだわったから行き詰ったというのがわたしの結論である。

  
2項対立はシンプルでわかりやすいので広く受け入れらたが、3項やもっと多変数のときには処理できない。世の中のものごとは無限の変数で動いているから、思考実験での二項対立はものごとをシンプルに考える上で有効な方法であるが、おのずと限界がある。マルクスはヘーゲル弁証法の限界を『資本論』を書くことで知ったのだろう。マルクスは『資本論初版』の20年前、1847年にエンゲルスと共著で『共産党宣言』を書いているから、いまさらヘーゲル哲学では経済学が描けないとは言えなかったのだろう。階級闘争史観が誤りであることを自ら認めることになるからだ。
 経済学の体系に則してもう少し具体的に書くと、生産過程を通過すると原材料としての使用価値を持つ毛織物は上着という使用価値に変わる。そして費やされた労働力と生産手段の損耗度合いに応じてそれらが製品の価値となる。だがそれだけでは足りない、資本の運動は生産過程で剰余価値も生み出す。つまり、変数が使用価値、価値、剰余価値の三つになったわけだ。ヘーゲル弁証法は2項対立であるから、3項の処理ができない。ここに来てマルクスは途方にくれただろう。だから第2部を書けなくなったというのがわたしの推論である。そうした問題意識のないエンゲルスが、マルクスの遺稿を整理して、資本論第2部「資本の流通過程」と第3部「資本主義的生産の総過程」をまとめたが、ヘーゲル弁証法の破綻という重要な論点を見逃し、見当違いな整理であったことはいうまでもない。「市場関係⇒簡単な国際市場関係⇒世界市場関係」で締めくくらなければならなかったのである。ところが、世界市場は資本論初版の出た1867年には影も形もない。世界市場の出現は21世紀をまたなければならなかったのである。マルクスは生まれるのが150年早すぎた。


  7. <経済学体系構成原理は四つ>

 
 マルクスの用いた方法は、デカルトの「科学の方法」そのもので、2300年前のユークリッド『原論』とも体系構成の方法論において共通している。マルクスはヘーゲル弁証法を適用して経済学体系の記述を始めたのだが、資本の生産過程のところでその方法論の間違いにようやく気づいたのだろうが、エンゲルスとともに『共産党宣言』を書いてから20年、すでに引き返せないところにいた、苦しかっただろう。
 
わたしたちにとって重要なことは、学の体系構成を検討するに際しては、ヘーゲル弁証法は不要なものだということ。当時のドイツ哲学はヘーゲル哲学全盛期であり、プルードンもマルクスもその影響を強く受けている。経済学へのヘーゲル弁証法の適用が 間違いだとしたら、『資本論初版』の20年も前にエンゲルスと共著で出した『共産党宣言』は根底から崩れることになる。

 体系構成を支える原理は、次のたった四項目にすぎない。 
①下向から上向へ
②抽象から具体へ 
③一般的なものから特殊なものへ、そして個別的なものへ
④一般的なものから具体的なものへ

 四つ挙げたが、全部同じことを言い換えてあるだけ。抽象度を基準にして概念的関係を抽象度降順で不等号を使って整然と並べられることはすでに示した。経済学的諸概念も同じ順に並んでしまうマルクスが使うべきはたったこれだけ。ヘーゲル弁証法という夾雑物が混じっているから取り除けばよい。
 
下向分析と上向がセットになっている点が要点である。セットという点ではデカルトの「科学の方法 四つの規則」と同じである。規則2が下降法、規則3上向法である。

第二は、わたしが検討する難問の一つ一つを、できるだけ多くの、しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分別すること。
第三は、わたしの思考を順序にしたがって導くこと。そこでは、もっとも単純でもっとも認識しやすいものから始めて、少しずつ、階段を昇るようにして、もっとも複雑なものの認識まで昇っていき、自然のままでは互いに前後の順序がつかないものの間にさえも順序を想定しえ進むこと。
 
 価値と使用価値というアンチノミーを媒介にした上向展開論理はプルードンの系列の弁証法そのもの、プルードン『創造』とマルクス『資本論』は体系構成の方法において兄弟であり、ヘーゲル弁証法がその産みの親である。
 
『資本論』からヘーゲル弁証法を取り去れば、下降法と上向法はデカルトと共通している。演繹的な体系構成のお手本は純粋科学である数学、ユークリッド『原論』にあることはすでに論じた

 体系構成の前提条件である公理・公準を入れ替えれば、11節で示したように別の経済学が立ち上がる。労働が苦役ではない、仕事が喜びとなる、日本の伝統的な的価値観をベースにした職人中心の経済社会の展望が開けるのである。



  8. <『資本論』の章別編成>

  マルクスが書き残したのは資本論第1巻第1部のみである。第2部と第3部は膨大な原稿からエンゲルスが編集したものであり、マルクスの手になるものではないから、ここでは資本論第1巻第1部全体を俯瞰しておけば十分である。

1部 資本の生産過程
1篇 商品と貨幣
 第1章              商品
 第2章              交換過程  
 第3章              貨幣または商品流通2編 貨幣の資本への転化

第2篇 貨幣の資本への転化
 第4章             
貨幣の資本への転化  
 第5章              労働過程と価値増殖過程  

3編 絶対的剰余価値の生産
 第6章              不変資本と可変資本 
 
第7章              剰余価値率
 
第8章              労働日
 第9章             
剰余価率と剰余価値量

4編 相対的剰余価値の生産

 第10章          
相対的剰余価値の概念
 
第11章           協業
 
第12章           分業とマニュファクチュア
 
第13章           機械と大工業

第2部            資本の流通過程

第3部            資本主義的生産の総過程

 
わたしの問題関心は、『資本論』という一つの経済学体系がどのような構成をもつのか、そしてマルクスは経済学の体系をどのような道筋で描こうとしたのかにある。展開の系列を簡潔に並べると、それは1巻の編のタイトルを順に並べるということになるであろう。

 商品と貨幣⇒貨幣の資本への転化⇒絶対的剰余価値の生産⇒相対的剰余価値の生産

 つねに前者の展開が後者の展開の前提条件になっている。「商品と貨幣」を描いて、次に商品の発展形態である貨幣が資本へ転化する。資本は絶対的剰余価値を生み出し、次いで、労働日の内の必要労働時間と剰余労働時間の割合を変化させることで相対的剰余価値の生産を論じている。絶対的剰余価値の編では固定されていた必要労働時間と剰余労働時間の割合を可変とするのである。譬えて言うと、いままで一定の濃度の食塩水を論じてきたのを、今度はさまざまな濃度の食塩水があることを論ずるのである。ここでも単純なものから複雑なものへという展開順序が守られる



  9. <マルクス著作の出版年表> 1
843
年『ユダヤ人問題に寄せて』25歳本のタイトルにユダヤ人とあるので、マルクスの出自と生年および没年に触れておく。「父はユダヤ教ラビだった弁護士ハインリヒ・マルクス]。母はオランダ出身のユダヤ教徒ヘンリエッテ(Henriette)(旧姓プレスボルク(Presburg)5]。マルクスは夫妻の第3子(次男)であり・・・」ウィキペディアより 
181855日生まれ、1883314日死亡、64歳)

1844年『経済学・哲学草稿』261
847
年『共産党宣言』29歳(エンゲルスと共著)
1858年『経済学批判要綱』401939年に出版された。日本語版初版は1959
1859年『経済学批判』411863年『剰余価値学説史』45
1867年『資本論初版』(第一部のみ、第二部は1885年にエンゲルスが、第三部は1894年に出版された)49

「この第2部と第3部の草稿についてマルクスは1866年の段階でエンゲルスに宛てて、「でき上がったとはいえ、原稿は、その現在の形では途方もないもので、僕以外のだれにとっても、君にとってさえも出版できるものではない」と手紙に書いたほどであった。1872年『資本論フランス語版』54歳:ラシャトル版ともいう。
 「「まったく別個の科学的価値を持つ」と(マルクスが)自分で称するほどに納得できる版となった「フランス語版」が出版されたのはようやく1872 - 1875であった。」

1873年『資本論第2版』
1883年『資本論第3版』(フリードリッヒ・エンゲルス)

 事細かに編集を指示したフランス語版の出版から死ぬまで11年間あったが、マスクスは資本論第2部の編集に手をつけていない。未整理の膨大な草稿が残されたことから考えると、混乱のまま、人生の終わりを迎えたように思える。経済学者はマルクスのこの沈黙の期間の意味を考えるべきだ。 

[経済学の研究深化と共産主義イデオロギーの破綻]
 
ヘーゲル弁証法では乗り越えられないところに自分が立っていることにマルクスは気がついていたのではないだろうか。いまさらヘーゲル弁証法ではダメだとは言えない、それを言えば階級闘争史観(唯物史観)も破綻してしまうから、共産主義の理論的な支柱が倒壊する、マルクスはだんまりを決め込むしかなかった。晩年のマルクスが10年もの間、著作を公表していない。そうした空白の期間も方法論の破綻という前提で読むと当然のことに思える。私の推測はあくまで論理的なものだが、いくつかの状況証拠がその正しさを裏付けている。
 
『経済学批判要綱』(1858年)段階での流通過程分析を通じて、価値形態研究の深化と併行して商品分析によって経済学諸概念の関連の整理がなされていく。マルクスは経済学の基本概念をいじくり回しているうちにしだいに整理がついて、ごく自然に演繹的な順序で経済学を叙述する方向へと舵を切ってしまったのであるが、そのことが学としての経済学の体系構成に混乱と疑義を抱く素(もと)となってしまった。たとえて言うと、ヘーゲル弁証法という水先案内人がいない海に漕ぎ出してしまったのである。水先案内人もいない、羅針盤すらもたず、未知の海域で漂流していた。打開の方法が見つからず、マルクスは方法論の破綻を墓場までもっていった。晩年に10年間沈黙せざるを得なかったマルクスが哀れでならない。
 1935年にブルバキの名前ではじまった集合論を基礎にした現代数学の総合化の試みですら、その体系的な叙述はいまだに完成していない。マルクスが個人で一つの経済学体系を完結できなかったのは無理もないことに思える。
 
そのうえに世界市場は資本論初版の時点ではいまだ存在していなかったし、世界市場論はそれだけをとっても個人でできる仕事量ではない。実証研究の深化をまたなければ書けない代物なのである。数えてみたら、『ブルバキ 数学原論』は東京図書から翻訳書で36冊出版されている。現代数学は体系化にこれほど膨大な冊数とそれに見合う仕事量を要求している。本格的な世界市場論は一群の若手研究者の台頭を俟たなければならない。
 
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* #1454 異質な経済学の展望 :パラダイムシフト Mar. 31, 2011 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-03-31

 #3097-0 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版)-0  Aug. 2, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-02

 #3231 日本人の労働観の特異性と新しい経済学の創造 渡部昇一氏の論 Feb. 7, 2016
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-02-06


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#3097-1 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版)-1  Aug. 2, 2015 [99. 資本論と21世紀の経済学(2版)]

#3097 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版)<目次>  Aug. 2, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-15

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 資本論と21世紀の経済学


. 学の体系としての経済学
 


1. <デカルト/科学の方法四つの規則とユークリッド/『原論』>

 『経済学批判要綱』(以下『要綱』と略記)流通過程分析や商品分析は「下向の旅」であり、『資本論』が商品の概念規定から始めるのは「上向の旅」である。これはデカルト『方法序説』1637年)にある「科学の方法 四つの規則」にあるものと同じだけでなく、数学書であるユークリッド『原論』とも方法論において同じものである。集合論をベースにした現代数学の体系化の試みである『ブルバキ 数学原論』(東京図書)も、『資本論』と共に公理的構成の厳密な演繹的体系構造をもつ。
 
デカルト「科学の方法 四つの規則」には次のような解説がある。

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デカルト『方法序説』ワイド版岩波文庫 「科学の方法 四つの規則」27ページ~
 
まだ若かった頃(ラ・フレーシュ学院時代)、哲学の諸部門のうちでは論理学を、数学のうちでは幾何学者の解析と代数学を、少し熱心に学んだ。しかし、それらを検討して次のことに気がついた。まず論理学は、その三段論法も他の大部分の教則も、未知のことを学ぶのに役立つのではなく、むしろ、既知のことを他人に説明したり、そればかりか、ルルスの術のように、知らないことを何の判断も加えず語るのに役立つばかりだ。…以上の理由でわたしはこの三つの学問(代数学、幾何学、論理学)の学問の長所を含みながら、その欠点を免れている何か他の方法を探究しなければ、と考えた。法律の数がやたらに多いと、しばしば悪徳に口実を与えるので、国家は、ごくわずかの法律が遵守されるときのほうがすっとよく統治される。同じように、論理学を構成しているおびただしい規則の代わりに、一度たりともそれから外れまいという堅い不変の決心をするなら、次の四つの規則で十分だと信じた
 
第一は、わたしが明証的に真であると認めるのでなければ、どんなことも真として受け入れないこと、そして疑いをさしはさむ余地のまったくないほど明晰かつ判明に精神に現れるもの以外は何もわたしの判断の中に含めないこと。
 
第二は、わたしが検討する難問の一つ一つを、できるだけ多くの、しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分別すること。
 
第三は、わたしの思考を順序にしたがって導くこと。そこでは、もっとも単純でもっとも認識しやすいものから始めて、少しずつ、階段を昇るようにして、もっとも複雑なものの認識まで昇っていき、自然のままでは互いに前後の順序がつかないものの間にさえも順序を想定しえ進むこと。
 
そして最後は、すべての場合に、完全な枚挙と全体にわたる見直しをして、なにも見落とさなかったと確信すること。
 
きわめて単純で容易な、推論の長い連鎖は、幾何学者たちがつねづね用いてどんなに難しい証明も完成する。それはわたしたちに次のことを思い描く機会をあたえてくれた。人間が認識しうるすべてのことがらは、同じやり方でつながり合っている、真でないいかなるものも真として受け入れることなく、一つのことから他のことを演繹するのに必要な順序をつねに守りさえすれば、どんなに遠く離れたものにも結局は到達できるし、どんなにはなれたものでも発見できる、と。それに、どれから始めるべきかを探すのに、わたしはたいして苦労しなかった。もっとも単純で、もっとも認識しやすいものから始めるべきだとすでに知っていたからだ。そしてそれまで学問で真理を探究してきたすべての人々のうちで、何らかの証明(つまり、いくつかの確実で明証的な論拠)を見出したのは数学者だけであったことを考えて、わたしはこれらの数学者が検討したのと同じ問題から始めるべきだと少しも疑わなかった
*重要な語と文章は、要点を見やすくするため四角い枠で囲むかアンダーラインを引いた。
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デカルトが「三つの学問(代数学、幾何学、論理学)」といっているが、歴史的順序に従えば「論理学、幾何学、代数学」である。アリストテレス論理学とユークリッド幾何学、ディオファントス代数学(『算術』)を指していると見ていいのだろう。デカルト自身が『幾何学』を著しているが、これは解析幾何学(曲線や立体のいろいろな性質を代数記号を用いて座標系を導入して研究する分野、中学・高校で習う座標平面のこと。XYZ座標をデカルト座標という)である。『方法序説』訳注#8で確認したが、やはり論理学はアリストテレス論理学。これには弁証法も含まれるが、ソクラテスの「弁証法」であって、弁論術であり、ヘーゲルのそれとは異なる。デカルトは解析幾何学や哲学や論理学の研究をした上で、『方法序説』で自分の方法論を振り返って記述している。科学の方法とは何かということを、『幾何学』を書いた後で帰納的に考えているのである、はじめに方法論ありきではない。
 哲学者であり数学者であり物理学者でもあったデカルトがフランス語で書いた著作をマルクスが読んでいたかどうかはわからないが、『要綱』にも『経済学批判』にも『資本論』にも、わたしが読んだ限りでは、体系構成についてデカルトから学んだという記述は1行もない、もちろんユークリッド『原論』への言及もない、どちらとも接点はなさそうである。数に関して言うと『資本論』は有理数の四則演算だけで無理数は使われていない、そして『資本論』の約百年も前にできた微分積分も使われていないこととあわせ考えると、マルクスは数学への興味が薄かったと判断していい。
 
微積分にすら関心がなかったくらいだから、経験科学の分野である経済学全体が、そうではない純粋数学の体系化と同じ演繹的な方法で叙述可能だという自覚も見通しも当時のマルクスにはなかっただろうとわたしは推測する。
 
1部だけでもフランス語版だけでなく、英語版の訳者へのマルクスの編集指示書が存在しており、それすらずいぶんと無視したくらいだから、エンゲルスに方法論を根本から見直す余裕がなかったのも事実だろう。第2部以降は悪筆のマルクスが残した膨大な遺稿から、『要綱』デッサン通りに第2部と第3部をエンゲルスがまとめたのだから、これは体系構成研究から除外してよい。
 旧構想をそのまま踏襲したということは、経済学体系がどうあるべきかをエンゲルスが読み取ることができなかったことを意味している。エンゲルスが元にしたマルクスの資本論構想は1858年の『要綱』で示されていたものである。フランス語版の出版が1872年だから14年も間がある。
 
フランス語版編集時点で全体の見通しがあったかどうかはわからない。マルクスは構想を大きく変えたか、見通しがまったく立たないままだったかのどちらかだが、資本論第2部の編集方針については何も書き残していない。それゆえわたしたちは『要綱』『資本論初版』そしてマルクスが編集を直接指示したフランス語版の「第一部」の内容から、内在的な論理に従って体系構成がどうあるべきかを読み取らなければならない。
 ヨーロッパの学問の伝統という点からは、科学の方法(=人文科学をも含む学問の方法)にはアリストテレス論理学とユークリッド「原論」が燦然と輝いている。経済学の体系構成を考えるということは、そういうヨーロッパの学問の伝統線上にマルクス『資本論』を措定したときに何が見えてくるのか、という問題でもある。
 
『資本論』は経済学的概念の構造物なのだが、書かれた文章から使われているいくつかの概念の関係を抽象的な構造物としてイメージするのはむずかしい。言葉をイメージに変換するのにハードルが一つあり、さらにそのイメージを今度は別の具体的な言葉に変換して説明するために、もう一つのハードルが待ち受けている。ひょんなことから、ユークリッド『原論』を読み、数学の体系と経済学諸概念の体系が似ていることに気がついた、これなら、アナロジー(類推)が可能だし、説明も楽になる。修士論文を書いていたときにそのことに気がついていたら、大学に残る決意を固めただろうが、不勉強で気がつかなかった。



   2. <体系構成法の視点から見たユークリッド『原論』>   

 高校生には「ユークリッドの互除法」が教科書に載っているから馴染みがあるだろう。ユークリッドの人物についてはどこで生まれてどこで育ったのか、記録が残っていない。しかし、実在したことだけは確かである。アルキメデス
287年ごろ~212B.C.がその著「『球と円柱について』の第1巻の第2命題の証明の中で「ユークリッド(の『原論』)の第1巻命題2により」と記してある。
(ユークリッド『原論』より、「ユークリッドと『原論』の歴史」437㌻。訳・解説 中村幸四郎・寺阪英孝・伊藤俊太郎・池田美恵 共立出版社1971年初版、以下『原論』と略記)

 ユークリッドはイデア論で有名なプラトンの直弟子たちと同世代である。

 『原論』は公理・公準の説明に続いて、同じ半径の円を二つ使った正三角形の作図から幾何学の解説を始めている。第1巻は平面図形の性質がとりあげられている。『原論』は平面幾何学だけではない、数論や立体幾何学、正多面体にまで及ぶ。79巻は「数論」を扱っている。ここで面白いのは、線分の長さの区切りに数字ではなく文字が充てられている点で、広義の意味での代数学も含まれていると考えてよいのだろう。第7巻の冒頭には23個の定義が並んでいる。大雑把にその順序を書くと次のようになる。

 単位⇒数⇒割り切れる数と割り切れない数⇒約数⇒偶数と奇数⇒偶数や奇数の除算の商の分類⇒素数の定義⇒互いに素⇒素数と合成数⇒平面数:二つの数の積で表される数⇒立体数:三つの数の積で表される数⇒平方数:等しい数に等しい数をかけたもの⇒立法数⇒比例数⇒相似な平面数と立体数は比例する辺をもつ数である⇒完全数:自分自身の約数の和に等しい数

 数論の定義は単純なものから複雑なものへという順序で並んでいる
 
最終巻の13巻第16章では正二十面体がとりあげられている。

 「正二十面体をつくり、先の図形のように球によって囲み、そして正二十面体の辺が劣線分とよばれる無理線分であることを証明すること」(『原論』427頁) 

 
立体図形、しかも正二十面体の辺が有理数ではなく無理数であることを証明せよというのである。球の直径を有理線分(有理数)としたときに20個の等辺三角形(正三角形)の各辺の長さが無理線分(無理数)になる証明が載っている。

 『原論』は平面幾何学と数論そして立体幾何学に及んでいる。全体が統一の取れた体系というよりは、いくつかの部分に分かれているといったほうが事実に即しているだろうか。全体の展開順序はこのようになっている。
    平面幾何⇒数論⇒立体幾何
 平面幾何と立体幾何の間に数論の挟まっているのがどうにも不細工にみえるが、数論を扱わぬわけにもいかない。平面図形の中に、無理数の背理法での証明や三平方の定理が載っているが、数論として独立に扱えるものではなく、平面図形に付随して扱われただけ。計算が複雑になるに及んで、立体図形の前に数論として独立に扱わざるを得なくなったという事情があるのだろう。
 
平面に高さという要素を加えたものが立体であるから、単純さを尺度にすると、次の不等式が成り立つ。
    
平面図形<立体図形
 
ここでも単純なものからより複雑なものへという展開系列の順序が守られている。

  第1巻の平面幾何は、重なり合う半径の同じ二つの円で等辺三角形を描くことから始められている。平面を二つの線分で囲むことはできない、三本の線分で囲まれた三角形がもっとも単純な平面図形である。三角形の内では等辺三角形がもっともシンプルで美しい。三角形を3分類して並べると、「等辺三角形⇒二等辺三角形⇒不等辺三角形」の順序になるが、第1巻は等辺三角形のあとに三角形の等積変形が来て、そして平行線の性質が導かれている。
  マルクス『資本論』との関係でいうと、注目すべきは公理・公準と作図の展開順序の2点に絞られる。第1巻の図形の性質は、もっとも単純な平面図形、(半径の同じ円二つを使った)正三角形の作図が最初におかれている。数論の定義の並び順も「単純なものから複雑なものへ」という系列になっていることはもうお分かりだろう。
 
1巻は「定義」⇒「公準」⇒「公理」⇒単純な図形の作図(正三角形)という順に展開されている。定義は23個あり、公準(要請)は5個、公理(共通概念)は9個並んでいる。定義は「点⇒線⇒線の端⇒直線⇒面⇒平面⇒…⇒平行線」

 体系構成で最も重要な公理・公準はユークリッド『原論』では次のようになっている。

公準(要請)
 次のことが要請されているとせよ。
1.       任意の点から任意の点へ直線を引くこと。
2.       および有限直線を連続して一直線に延長すること。
3.       および任意の点と距離(半径)とをもって円を描くこと。
4.       およびすべての直角は互いに等しいこと。
5.       および1直線が2直線に交わり同じ側の内角の和を2直角より小さくするならば、この2直線は限りなく延長されると2直角より小さい角のある側において交わること。 

公理(共通概念)
1.同じものに等しいものはまた互いに等しい。
2.また等しいものに等しいものが加えられれば、全体は等しい。
3.また等しいものから等しいものがひかれれば、残りは等しい。
4.また不等なものに等しいものが加えられれば全体は不等である。
5.また同じものの2倍は等しい。
6.またおなじものの半分は互いに等しい。
7.また互いに重なり合うものは互いに等しい。
8.また全体は部分より大きい。
9.また2線分は面積を囲まない。
                                   同書2頁より

 
平行線公準が成り立たないものと前提すると、リーマン球面幾何学のような非ユークリッド幾何学が成立することから、『資本論』の公理・公準の一部を入れ替えると別の経済学が生まれる可能性があることは容易に予想がつく。そういう操作を大学院生の頃から考えていたが、当時は何をどのように換えたらいいのかわからなかった。

 中学校と高校の図書室にはこのユークリッド『原論』を備えてもらいたい、そして数学の先生はそういう本が自分の学校の図書室にあることを生徒に伝えてもらいたい。数学好きの早熟な生徒なら十分に読める。田舎の学校でも、工夫次第で都会の学校よりもいい環境を整えることができる。大人の責任を果たすために、できることから始めてもらいたい。



    3. <マルクスが『資本論』で何をやりつつあったかを読み解く>

 マルクスが資本論で何をしようとしたのかについては定説がない。マルクス自身が資本論第1部を書いて、そのあと草稿を書き散らしただけで、どのようにまとめたらいいのかわからないと吐露している。だから、1858年に書かれた『要綱』段階のマルクスの構想で資本論を整理してはいけない、マルクス自身が1866年に体系の見通しが立たなくなったとエンゲルス宛に書いているのだから、その言を尊重すべきであり、マルクスがなぜ行き詰ったのかを合理的に説明できなければならない。この大きな謎を解いた経済学者はいない。謎を解く鍵はヘーゲル弁証法にある。経済学体系構成にヘーゲル弁証法を利用したのはプルードンとマルクス二人だけである、後にも先にも例がない。
 マルクスは研究が行き詰ったことをエンゲルスへの手紙で吐露しただけだから、彼が資本論で何を目論んだのか本当のところがわからないままである。だから、エンゲルスが古い構想に基づいて第2部以降を編集したように、他の経済学者が資本論を読んで独自の理論体系を構築する余地が残された
 
たとえば、マルクス経済学では宇野シューレが最大派閥であるが、宇野弘蔵は理論構成を三段階(原理論・段階論・現状分析論)に分け、資本論を経済学原理論と位置づけた。『要綱』日本語版が出版されていない段階での研究だから、マルクスがやって見せた下向分析の過程を丹念に追わずに、結果の『資本論』を徹底的に読み込んで自分なりの思考を重ね、別の理論体系をつくってしまった。これはこれで面白い。宇野氏は『資本論初版』序文にある、次の章句を何度も読み返し、塾考を重ねたのだろう。

 「物理学者は、自然過程を観察するにさいしては、それが最も内容の充実した形態で、しかも撹乱的な影響によって不純にされることが最も少ない状態で観察するか、または、もし可能ならば、過程の純粋な進行を保証する諸条件の下で実験を行う。この著作で私が研究しなければならないのは、資本主義的生産様式であり、これに対応する生産関係と交易関係である。その典型的な場所は、今日までのところイギリスである。これこそは、イギリスが私の理論的展開の主要な例解として役立つことの理由なのである。」

  マルクスの『資本論』を読めば読むほど迷路を彷徨うことになる、わたしは高校2年生のときにそういう強烈な体験をした。大きな森の中に入り込んで方角を失ったのである。それ以来、この巨大な知の森にもう一度分け入り、通り抜けてみたいと思い続けた。見通しがつくまでなんと約40年も掛かってしまった。
 大御所の宇野弘蔵はマルクスが『資本論』を書いている途中で、肝心の体系構成の方法論で破綻したとは考えなかった。マルクスは『資本論初版』第一部を書き上げて、自分の方法論の破綻に気がついてしまった。だから、エンゲルスに第2部以降の体系化はとても無理だと手紙で書き遺したのである。実際に第2部以降の体系化作業をやることはなかった。

 マルクスの時代には資本の原始蓄積が始まったのは18世紀英国で、資本主義の最初の典型例であった。その後百年たった19世紀中葉の米国では北部工業地帯で原始蓄積が始まり、南部の奴隷を工場労働者として労働市場へ投入する必要が生じた。いま資本の原始蓄積過程にあるのは中国やインドである。原始蓄積が始まれば、労働者の雇用数が増大し、賃金が高騰する。だが、それは資本蓄積を阻害することのない範囲であるとマルクスは「第七編 資本の蓄積」で指摘している。資本蓄積の進行は労賃変動の根源である。英国が研究対象となったのは当然である。
 
宇野『価値論』は読むほうが辟易するくらいしつこいが、しつこいからこそ独自の理論体系を造り、大きな学閥となりえた。わたしは宇野氏の『価値論』の論理展開しつこさに辟易すると同時に敬意を払いたい、たとえ見当違いの方向に行ったとしても、学者はあれぐらいしつこくなければいけない。
 
宇野弘蔵『経済学方法論』について、宇野学派の馬場宏治先生が感想をもらしている。
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「方法論なんてものもね、型にはまった図式化できるのが方法論だとは僕は思っていない。俺何やってきたってあとから考えてみて、こうなっていたのよってのが方法論じゃないかと思う。宇野先生の『経済学方法論』、宇野さんの書いた中で一番つまらない、あれは病気のせいもあるだろう。だけどそうじゃないんで宇野さん、本当の方法論書こうと思ったからしんどかったんじゃないか。教科書風な、変な書き方、堅い書き方になっていますよね。」(青森大学研究紀要第33-1号 20107月「社会科学を語る(続)」馬場宏治・戸塚茂雄)

 方法論については馬場先生のいう通りだと思う。マルクスもヘーゲル弁証法を真正面に押し捲ったが、研究が進んでくるとヘーゲル弁証法とは違うところにでてしまった。あとから自分の研究過程をみて、方法はこうだと書けばよかったのだろう。そこでマルクスに代わってその作業を試みるのがこの論考の主要な目的の一つである。
 
宇野氏が数学に興味があるかあるいは『要綱』が出版されていれば、丹念に読んで別の理論体系を構築した可能性はある、それにしても、宇野氏はドイツ語を読むのにそれほど困難があったわけではないから、『要綱』をドイツ語版で読めばよかったのだ。『経済学批判』と『資本論』を読んでいれば十分だと判断したのだろうか、わたしにはその点が疑問である。



  4. <資本論体系の特異性とプルードン「系列の弁証法」>

 一番大事な点:資本論は数学と同じ演繹的体系をなしている

 
経済学が経験科学なら、データに基づいて帰納的に法則を導き出し、理論を構築するのという方法論をとるはずだが、マルクスはそうはしなかった。はじめに方法論ありきだった。
 
経済学の研究という点から見るとじつに運のよいことにマルクスは1849年に英国に亡命し、1850年から大英図書館で経済学の研究をし始めるA.スミス『諸国民の富』やD.リカード『経済学および課税の原理』はよく読みこんでいる。経済学の本を読み、経済学の基本概念はなにか、その相互関係はどうなっているのかということに関心をもち何年間も執拗に追い続けたようで、その跡が著作年表や一連の著作から読みとれる。1858年『経済学批判要綱』(以下『要綱』と略記)での、「流通過程分析⇒価値形態(価値表現形式)⇒商品の基本概念分析」に下向分析の足跡がはっきり記されている。資本の原始蓄積過程における生産性上昇による生産力増大、そして資本の加速的な増殖が労賃の高騰を招くというような法則性抽出は、データの読みと内省的な思考の結果である。
 
ヘーゲル哲学にとらわれすぎると、それを超えたところにある『資本論』体系が見えなくなる。ヘーゲル哲学に戻って考える必要はない。『資本論』第1部をよく読めばいいのである。
 方法論に注目すると、同時代のピエール・ジョセフ・プルードン1809/1/15-18651/19、マルクスより9歳年上)に系列の弁証法がある。プルードンの論理的系列は思考作用の抽象過程をあらわすものであると同時に、「その結果としてえられる抽象的・一般的な概念の構造を表す」(佐藤茂行著『プルードン研究』109ページ、昭和50年出版)ものであると考えていた。アンダーラインを引いた箇所は、そのまま『資本論』に当てはまる。
 
プルードンはフランス人だからデカルト『方法序説』(いまでも高校国語の教材に採り上げられている)は読んでいるはずで、その延長上に自分の思考を積み重ねたのだろう。デカルトよりは踏み込んでいる。弁証法がこの時代の流行だったのだろう、しかし、ヘーゲル弁証法という余計な夾雑物が混じることで上向の論理の道をプルードンもマルクスも踏み外してしまった。
 
A.スミスが諸国民の富の原因と性質を明らかにするものとして経済学を捉えたのに対してプルードンは貧困を実証する手段として捉えた。そして自らの経済学体系を「系列の(ヘーゲル)弁証法」で叙述したのである。

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「「経済学」を貧困の原因の探求の科学としてではなく、貧困の実証の科学として評価するに至ったのであった。言いかえると、これまでの経過から判明するように、プルードンが経済学研究に取り組んだ際の問題関心は、現実的な「条件と財産の不平等」の究明であった。パリでの研究を通じて、かれにとって「経済学」は、この「不平等」の原因を究明する手段ではなく、これを実証する手段として、そしてその限りで有効なものとして評価されるに至ったわけである。」同書188ページ
 「プルードンの経済学体系は、平等=正義を分類主題として、「政治経済学」のカテゴリーを批判的に再編成した、いわば古典経済学批判の体系である。そこでは、まず、「分業」「機械」「競争」などのカテゴリー(類概念)が、平等=正義を区分原理として、それに対する肯定と否定の規定(種概念)にあらかじめ二分されている。…このようにして、相互に「アンチノミー」の関係にある概念の系列、すなわち「矛盾」の体系が成立する。…以上のような体系の構成の原理は、1843年の『人類における秩序の創造について』の中の「系列の弁証法」によって確立していたのであった。」同書238ペー
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 アンダーラインを引いたところは『資本論』商品章の価値と使用価値が相互にアンチノミーの関係にある概念として扱われ、価値形態でそれが交換価値と使用価値という概念の系列となって現れている。しかし、一連の著作の中でマルクスは系列の弁証法に一度も言及していない。プルードンの『人類における秩序の創造』(以下『創造』と略記)は資本論初版よりも24年も前に書かれている。マルクスが最初の経済学に関する著作『経済学・哲学草稿』を出版したのが261844年、つまりプルードンの『創造』の1年後のことになる。プルードンのこの著作のドイツ語版があったのかどうかは書誌学者の研究に任せたい。
 
方法論としてはほとんど同じであるのに言及していないというのは、この場合は利用したと受け取っていいのだろう。シンプルに言うと、プルードンの「系列」とは上向の系列であると理解してよい。マルクスが上向論理で行き詰ったのは、系列の弁証法を意識したか、同じことだがヘーゲル弁証法を『資本論』の論理展開エンジンに用いたためであるように思う。それはまったく必要のないことだった。
 
アナーキストのプルードンとは、思想においても方法論においても、コミュニズムを提唱したマルクスは明確な線を引いておきたかったのではないか。マルクスは古典派経済学から学び、その基本的な概念を析出しそれらの相互関係を突き止める作業が必要だった。そこさえきっちり押さえれば、系列の順序はおのずから明らかになった。『要綱』がそういう研究過程を明らかにしてくれているから、プルードンの系列の弁証法から学ぶ必要はなかった。
 
『資本論』研究文献でプルードンの系列の弁証法に言及したものを見たことがない。体系構成についてプルードンとの比較分析の余地がある。

  ついでだから、もうすこし掘り下げて具体的に論じてみたい。1866年のエンゲルス宛の手紙にあるように、マルクスには上向の系列が途中から見えなくなったことがわかる。事実に即して言えば、交換関係から貨幣を媒介として生産関係へと概念的関係を拡張した後、どのように体系を記述すればいいのかわからなくなった。下向分析で見つかった上向系列が生産関係で行き止まってしまった。単純な市場関係を展開した後、「国内市場と国際市場」関係へと概念的関係を拡張し、世界市場関係へと至る道がマルクスの採るべき上向系列だった。ところが、資本論初版が出版された1867年にはまだ世界市場は出現していない、そこに気がついて困惑した可能性がある。マルクスの時代に『資本論』を完成することは無理だった、世界市場は実証研究がその背後になければ描きえないのである。あの時代にはリカードの比較生産費説があるだけだったが、それで世界市場を描くことはできない、貧弱すぎるのである。この点から、経済学は経験科学の一つで、なおかつ演繹的体系構成をもつ面白い学問分野であることがわかる。
 院生のとき、リカードの国際市場論について小論を書いた。その折にマルクス『資本論』と比較しながらリカード『経済学および課税の原理』を読んだ。修論で『資本論』の体系構成の最後の環である世界市場関係に見通しをつけるために、リカードの国際市場論は一度読んでまとめ、中身の検討をすべきだと考えていたのだが、単純な国際市場関係とその完成形態である世界市場関係を概念的に区別するとしたらどうなるのかまったく見通しが立たなかったのである。もちろん、今日のグローバリズムや機械とコンピュータとインターネットが融合したサイバー空間が現実の世界にあるはずもなく、不可能だったと言わざるをえない。そのころからマルクスの労働観への違和感も大きくなりつつあった。



  5. <労働観と仕事観:過去⇒現在⇒未来> 

 
奴隷制社会と農奴制社会を経験しているヨーロッパおよび中国、借金を返済できずに隷属民となる例はあるが奴隷制社会を経験していない日本は労働観に決定的な違いがあることを指摘しておきたい。労働は苦役であるというのは特殊ヨーロッパ的あるいは中国的な労働観であり、普遍性をもちえない。それぞれの地域において歴史的にさまざまな労働観が育まれたのだろうと思う。
 
古代ギリシア都市国家においては労働をするのは奴隷だった。特権市民は労働しない。その伝統は帝政ローマへも引き継がれた。こうしたヨーロッパの歴史が労働への蔑視を生んだのではないか。
 
わが国では国が成り立つ以前の縄文時代から続いている村落共同体のあり方も、働くことや仕事に対する考え方の違いを生み出したように見えるので、横道にそれて第23章「村落共同体と税:自由民と農奴」で取り上げる。
 
古代エジプトやメソポタミア、インド、中国ではどうだっただろう。こういう風に並べてみると「特殊ヨーロッパ的な労働観」の意味がいっそう鮮明になる。
 
この小論のテーマに関連する限りでは、ヨーロッパの労働観を取り上げるだけで十分だろう。

 【過去系列】
(1) 古代都市国家およびローマ帝国での特権市民と奴隷や農奴 
(2) 初期:東ヨーロッパ人の奴隷化:貿易支払いのための奴隷狩り
 
(3) アフリカ人の奴隷化
 
(4) 第一次産業革命
 
(5) 米国南部での奴隷需要増大
(6) 米国北部工業地帯で労働力商品の不足状況の現出 奴隷解放1862年)=安価な労働力商品として黒人奴隷を解放して、北部工業地帯の労働力需要を満たす⇒ 米国の生産力の飛躍的拡大と世界支配開始
(7) 資本主義の第2段階開始:米国の勃興と白人帝国の世界支配の時代⇒帝国主義と植民地化政策資源収奪や低価格での一次産品収奪のための植民地政策。
(8) 白人帝国主義国家対アジアの戦い:日露戦争で有色人種の国が白人帝国に世界初勝利  (9) 大東亜戦争での日本の敗北と、日本の戦いに意を強くしたアジア各国が白人大国から次々に独立。

 【現在進行系列】
(10) グローバリゼーションの時代:米国製ルールの押し付け 
(11) 第二次産業革命:機械とコンピュータとインターネットが融合する時代。それ以前に比べて工場の生産性が数十倍になる。企業間競争の主戦場はソフトウェアとサイバー空間へ移る。
(12) 東アジアとインドへ覇権がシフトしていく 

 【未来系列】 
(13) 第三次産業革命の時代(百年後):量子コンピュータネットワークの世界。
 
現在の性能向上速度を延長すると、コンピュータの性能は百年後に現在の2億倍になる。物の生産に人間の手は要らない時代となる。現在のコンピュータの2億倍の性能を持つ人工知能がわずか5cmのキューブサイズになる。ネットワークにつながれた人工知能とロボットが工場生産のすべてを支えるから、生産に人間が邪魔になる時代、人間の存在理由がなくなりかねない危ない世界でもある。どれほど優れた人間よりも、人工知能搭載人型ロボットのほうがはるかに性能がよい製品をつくり、さまざまなサービスを提供する世界が現出してしまったら、人間は労働者でも職人でもいられなくなる。コンピュータの処理速度や記憶容量が2億倍にもなってしまったら、人工知能搭載の人型ロボットと競争しても、性能の面でもコストの面でも人間が勝てるわけのない時代の幕が開けてしまう、百年後の人類はどうやって職を探すのだろう?量子コンピュータがパンドラの箱を開ける鍵でないことを願うが、便利さを追い求め、欲望の拡大再生産を続ける人間が自らの手で経済成長や利便性追及を止めることができるのだろうか?強い懸念を表明せざるをえない。

 こうして過去・現在・未来の系列を俯瞰してみると、無限に自己増殖する資本はまるで癌細胞のようで、未来が人類にとってこういう風に悲観的なものだとしても、わたしたちは資本の自己増殖をとめることができるのだろうか?
 
資本の増殖の背後には人間の欲望の無限の自己増殖があるのだが、人間のコントロールを超えて資本が自己増殖する時代がコンピュータとネットワークの進化によって百年経たないうちに来る
 
過去30年間のコンピュータの計算速度とメモリーの拡大速度を前提にすると、おおよそ百年後に処理速度も記憶容量も2億倍になり、コンピュータもネットワークも人間のコントロールを離れてしまう。コンピュータとネットワークとそれに接続されたさまざまな機械が人間のコントロールを離れて自立的に動く世界、そしてそれをとめるすべはおそらく人間にはない。
 
これから一世代、どんなに遅くとも二世代の間に、小欲知足の価値観に基づき、肉体を使う仕事へ回帰して、過剰な便利さを排除する、職人中心の経済社会を創るべきなのだろう。無限の成長は癌細胞の成長そのものである、経済成長を追い続けることをやめるべきだとわたしは思う。
 
その一方で、生物進化が必然だと仮定すれば、人類は経済成長と利便性の追及の果に絶滅する運命にあるのではないかとも考える。人類には自らの欲望を抑える叡智があるだろうか。 

 5. 数学者藤原正彦氏の示唆

  数学者とはすごいものだ。慧眼の数学者は岡潔だけではなかった。一つの学問分野を深く掘り抜けば、他の分野へも通底するものがある。
 藤原正彦はA.スミスの経済学へ次のような根本的な疑問を投げかけている。わたしは経済学にこのような根本的な疑問を投げかけた経済学者を寡聞にして知らない。

 
(アダム・スミスの)予定調和でこの社会が巧く回っていく、と。しかし、そこにあるのは結局は経済の論理だけなんです。人間の幸福ということはどこにもない。市場経済もまったく同じです。いま、何をするにも「消費者のため」と言いますよね。消費者がよいものを安く買えることがもっとも大切だ。たとえばお米を安くするためには自由貿易を推進してお米をどんどん輸入するのがよい。そうすると日本から百姓はいなくなって、美しい田園が全部なくなってしまいますが、そうなっても仕方がない。消費者が半分の値段でお米を買えればいいじゃないかと、そういう論理です。
 はっきり言ってしまうと、経済学の前提自体が根本的に間違っている。人間の幸福ということは全く考慮にない。人間の金銭欲のみに注目し、個人や国家の富をいかにして最大にするしか考えていない。ものすごい天才が出てきて、経済学を根本的に書きかえてもらわないと、地球はもたないと思います。
 産業革命以来、西欧は論理、合理を追求しすぎて、「人間の幸福」ということを全部忘れてしまった。(106ページ)

 
 この箇所を読んだとき、日本の経済学者は誰一人このことに気づいていないのに、なぜ数学者である藤原正彦氏が気づいたのか、その目の確かさに驚いた。
 ユークリッド原論は数学者の常識に属するから、経済学の出発点の誤りが体系全体の及んでいるというのは学問体系の相似性から言いうることで、むしろ当たり前のことだったが、経済に関心をもつすぐれた数学者がいなかった。
 その一方で次のような疑問がわく。経済学者、とりわけ日本の経済学者はなぜこのことに気づかなかったのだろう?
 簡単に言えば自分の頭で考えていないからだろう。ある種の能力がないとも言い切ってよいかもしれない。スミスやリカードの目でしか経済現象を見ていない、誰一人自分の目で見ていないのである。どこか学問をやる根本的な視点がずれている。経済学に限らずそういう「学者」が多いのは事実だろう。話はそれるが林望『知性の磨き方』(PHP新書)を読んだときにも、学問への姿勢に違和感を感じた。

「#969 日本人の矜持(2):経済学への示唆」より転載
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* #1454 異質な経済学の展望 :パラダイムシフト Mar. 31, 2011 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-03-31

 #2784 百年後のコンピュータの性能 Aug. 22, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-08-22

 #2779 『ソードアートオンライン 9 』:量子コンピュータ・オンラインゲームと心  Aug. 17, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-08-17-1

 #2804 『ソードアート・オンライン14』  Sep. 12, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-09-13

 #2882 ソードアートオンライン007 マザーズロザリオ Nov. 26, 2014 
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  #3217 日本の商道徳と原始仏教経典  Jan. 7, 2016


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#3097-0 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版)-0  Aug. 2, 2015 [99. 資本論と21世紀の経済学(2版)]

#3097 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版)<目次>  Aug. 2, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-15


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                   〈序〉
 

 この論文を書くことになった経緯を綴りながら、その特徴を述べておきたいと思います。

 
2014年の暮れにTOSS北海道代表(当時)水野先生から北海道教育文化研究所宛に経済学の講義依頼があり快諾しました。124日の勉強会用にと4週間ほどかけて講義用のレジュメを書き始めたら、A4版で40枚、四百字詰め原稿用紙200枚の書き下ろしになってしまいました。
 省みれば、16歳のときに前年から読み始めた公認会計士2次試験講座の『経済学』では飽き足らなくなって、根室高校図書室にあったマルクス『資本論』を百ページ読んだのですが、まるで歯が立たず、『資本論』の経済学諸概念がどういう構成と関係になっているのか突き止めたいと好奇心と闘争心がむらむらと湧き起こりました。
 公認会計士になるべきか、それとも経済学研究に没頭するか悩みつつ、専修大学商学部会計学科で学びながら、哲学科の市倉宏祐教授の一般教養ゼミの門をたたいたのです。3年間『資本論』と『経済学批判要綱』を第3分冊まで読みました。『資本論』全巻はともかく、『経済学批判要綱』は、経済学部の本ゼミでも扱いづらい、難解なテクストでした。一般教養ゼミは物怖じしない商学部の学生が主体でしたから、市倉先生は資本論の前段階の分析資料を確認したくて難解なテクストを取り上げたのだろうと思います。先生は二つゼミをもって学生を指導しながらイポリットの『ヘーゲル精神現象学の生成と構造』を翻訳中でした。

 
大学院の学内入学試験で起きたある出来事が人生の方向を決めてくれました。筆記試験が終わって、当日だったか翌日だったか忘れてしまいましたが、口頭試問がありました。広い会議室に設置された楕円形のテーブルに30人くらい教授がずらりと並んでいました。理論経済学担当の教授の言辞には多少の敵意が感じられました。商学部会計学科の学生が理論経済学を専攻するのは筋違いという気持ちがあったのかもしれません。「君は経済学を知らない」といきなり高飛車におっしゃった。「答案をみて判断されたのでしょうから、どこでしょうか?該当箇所を挙げてください」と告げると、「貨幣としての貨幣の規定とはなんだ」と侮蔑を含んだ笑いを浮かべておっしゃるので、「マルクス『経済学批判要綱』流通過程分析の中で貨幣の第三規定としてそういう規定があります」と答えました。とたんに、それまでざわついていた30名の教授陣がシーンとなりました。大学院長の隣くらいに座っていたその教授の顔がみるみる真っ赤になっていきました。都合の悪いことに、その当時の専修大学大学院には商学研究科がなくて、経済学研究科に間借りしているような格好でした。経済学部の教授は会計学をただの技術分野と見ており、学問的には見下していたのです。会計学やマーケティングが専門の教授もいる中で、会計学科の一学生と経済学の基本的概念で心ならずも論争することになり、理論経済学担当の古株の教授が完敗してしまったのです、お気の毒な偶発事故でした。どちらも悪気はなかった、理論経済学担当の教授が会計学科の学生に「君は経済学を知らん」というのはきわめて常識的な発言ですし、答案にも見たことのない貨幣の第三規定が書かれていたのですから、この学生は経済学を知らないと思ったのも無理はないのです。まさか、会計学科の学生が『経済学批判要綱』を読み通していただけでなく、貨幣の規定を全部記憶していたなんて考えられなかったのでしょう。わたしの研究テーマである経済学の基本概念に関わる部分ですから詳しいのは当然でした。しかし、経済学部にだってそういうレベルの学生はいたとしても例外的です。
 30人もの教授を前にしての口頭試問の場ですから
、指導教授になる先生の意見をお聴きする立場です。面識がありませんでしたので、答案を見てのことだろうとお訊ねしたわけです。大学院長の内田義彦先生が気を使って文学部哲学科の市倉教授にその日の夜に電話をいれたのはたぶんそいうことがあったからです。鼻っ柱の強い学生に多少の興味はもってくれたようでした。その前年はゼミ生の商学部の先輩が二人経済学研究科と哲学研究科へ進学していました。市倉ゼミはいったい何をしているのかと評判になっていたようです。市倉先生は口頭試問の席上での経緯はご存知ないのですから、「院長の内田先生から電話があった、異例のことだ」と喜んでくださいました。そのまま勉強を続けて2月の一般入試にもう一度トライしなさいというようなお話でした。学内試験も、2月下旬に行われた入試も、その年はだけは合格者なしという異例の年になりました。何があったのかは知りません、毎年30人から50人くらい受験して3人くらいを合格者をだしていました。

 市倉先生の哲学科の本ゼミのほうの同期の伊吹君がいま母校の哲学科の教授をしています。経済学研究科で戸塚先輩と一緒だった田口さんはよく勉強する人でしたが、情報科学部の教授で週に2回東大の授業をもっているとずいぶん前に聞きました。

 入学できると確信して就職活動は一切していなかったので、合格者なしの結果に驚き、4月になってから慌てて新聞記事の就職欄をみて就職を決めました。就職の経緯は、いい加減なものですが、仕事はきちんとやりました。仕事は経理のはずが、紳士服の生産企画に多少のセンスがあったようで、そちらのほうの仕事も担当させてくれました。小さな会社でしたが米国とドイツの紳士服のファッション誌を定期購読していました。毎月見るのが楽しかった、企画がよかったのはその二つの雑誌のお陰で、見事に業績がよくなりました。時代もよかったのでしょう。社員の一人ががんばるだけでも会社の業績が天と地ほども違ってしまう現実がありました。あのときに仕事の魔力に絡めとられてしまったのかもしれません。高校時代に公認会計士受験勉強をしていたので簿記と珠算の資格があり、経理関係なら簡単に職を見つけることができたのです。一生懸命に働けば、会社の業績はよくなるし、将来への希望ももてた時代でした。
 しかし経済学への思いやまず、28ヶ月後に大学院受験をするので職を辞す旨社長に告げましたが、引継ぎのため一ヶ月退職が延びました。1月末から、一月間は毎日約15時間勉強しました。普段から英語で書かれた経済学書は読んでいました。
その半年ほど前に数ヶ月間先輩の戸塚さんが A history of Economic Thought (Eric Roll)の講読に付き合ってくれました。池袋から程近い要町のアパートまで毎週
来てくれたのです。もう一度大学院を受験しろということだったのでしょう、ありがたかった。精読してノートに訳を書いて、戸塚さんの訳と比べてみましたが、どうしてそういう訳になるのかときどきわからないことがそのときはありました。それで生成変形文法の専門書を読みました。効果があって経済学の専門書なら、読めないところがなくなりました。
 
東経大大学院と一緒に母校の大学院も受験しましたが、また異例の合格者なし、それで吹っ切れました、縁がないのだと。職を辞していましたから最初に合格通知をいただいた東経大への進学を決めました。大学院を設置してから10年間も「基準に達する受験生なし」と開店休業状態を続け、文部省からクレームをいただいていた、「いわくつき」の大学院でした。大学院で1学年上の鈴木さんは慶応大学大学院も合格していましたが、「指導教授で東経大を選んだ、大学院試験の難易度は慶応と変わらない」、そう言ってました。当時はそうだったのかもしれません。わたしの年度は受験者が50人ほどで、合格者は3人でした。一人は中大大学院へ行きましたから、同期はわたしを入れて二人だけでした。先生の中には若手のすぐれた研究者が数人いました。

 昭和50年に3年間勤務していた紳士服の製造卸の会社を辞めて東京経済大学大学院経済学研究科へ。宇野学派の春田素夫教授がいたので東経大大学院を選んだのですが、その春に赴任してくる別の先生が担当に決まっていました。若手の春田教授との論戦を期待していたのです。学長の井汲卓一先生が構造改革論者の大物であり、景気循環論、恐慌論、国家独占資本主義の論客であったので、そのラインで理論経済学の担当教授を決めてしまっていたのです。四国の国立大学から四月に赴任された藤井速實先生の専門は恐慌論でした。宇野学派の春田素夫先生の担当は人脈を考えると無理なお願いだったのです。受け持ちの授業がなかったので春田先生とは一度もお話しする機会がありませんでした。藤井先生は授業で恐慌論を採りあげました、景気循環論の専門家で、恐慌論の論文しか書いておられなかった。景気循環に関してはマルクス経済学よりも近代経済学の議論のほうが面白かった。大学1・2年のときにエコノミストを読んでいたのですが、マルクス経済学者は現実の経済分析には非常に消極的でしたから、マルクス経済学の景気循環論研究者の研究姿勢にかたくなさを感じていました。わたしのほうは経済学諸概念の関係や体系構成を研究テーマとしていたので、「指導」は無理で、研究上の相談は一度もしませんでした。もちろん藤井先生もこちらのテリトリーに踏み込んでくることはなかったのです。

  ルイ・アルチュセールの若手研究者である今村仁司助教授もいました。この先生には研究上のことで数回お話したことがありました。授業の担当をお願いしようとも思いましたが、アルチュセールに関心のあるのはわたしだけだったので、遠慮してしまいました。もったいないことをしました。他にお一人すごい先生がいらっしゃいました、一橋大の学長の増田四郎先生が定年退官で東経大へいらっしゃっていたのです。当時の井汲卓一学長が熱心に口説き落としたそうです、「井汲君はな、学校の敷地のはずれにある池の周りを散歩して、授業はついでにちょっと担当してくれるだけでいいと言っていてのだが・・・」と笑っておっしゃいました。授業は一日だけお休みで後は毎日、それも多い日は三つ入っていたのです。私学だからそういう事情をわかってこられたようです。お住まいが近いことがあったのでしょう、授業のない日に男のお孫さんを連れてきて、ときどき遊ばせていました。一学年上の鈴木信雄さん(千葉経済大学経済学教授)の提案で同期で大倉財閥を研究していた須田喜俊君と三人で増田先生に特別講義(通称「特講」)をお願いして、リスト『経済学の国民的体系』を一緒に読んでいただきました。たった三人ですから気が抜けませんでした、強いオーラを感じるのです。口に出されることはありませんが、準備が不十分だと冷汗の流れる授業でした。先生は大塚久雄氏と並ぶ西洋経済史の大家です、学風に影響を受けました、至福の一年間でした。
 学生数8000人、院生7名の小規模な学校でしたから、図書館の書庫の中にボックス机があって、院生は自由に出入りして、書架から読みたい本を取り出してぽつんとおかれたボックス机で勉強できるようになっていました。こんな特別待遇は他の大学院では考えられません。いい学校でした。もっと、早く来るべきでした。
 理論経済学を勉強するうちに経済学の体系がいかなるものであるかを研究するだけでは飽き足らなくなり、『資本論』を超えて新しい経済学の可能性を明らかにしたい、そう心に決めていました。マルクスと同じ道を歩んだらきっと同じ限界にぶつかる、多少は迷いましたが、企業の最前線で働いてみないとつかめないものがある、そういう時は考えないことにしています。直感の命ずるままでいいのです。大それた企てだったと思いますが、正解でした。仕事に区切りがついたら手をつけるつもりでしたが、水野さんが背中を押してくれたと感じました。この機会を逃してはいけない、執筆に力が入ったのは無理ないことだったのです。
 TOSS北海道代表の水野さんのコーディネイトに感謝です。この論文は彼のお陰でできたようなものです。本来なら、もう数年して「私塾(ニムオロ塾)」をやめてから書くつもりでした。1月に作成した講義資料をベースにして、この1週間手を入れ、章編成を変えて四百字詰め原稿用紙換算450枚の改訂版ができあがりました。

 
この論文が他の経済学書と大きく違うところがあるとすれば、それは業種と企業規模を変えて4つの企業で働いてえた体験、自分の目で見て、自分の耳で直接聞いた事例がふんだんに入っていることです。こうした経験智なしには、『資本論』の公理系を析出して、日本人が育んできた伝統的な仕事観をベースにした公理系を対置することも思いつかなかったのでしょう。

 経済の発展(=拡大再生産による経済成長)は癌細胞の増殖に似ているような気がします。無限の経済成長追求の果てに何が待ち受けているのか漠然とした不安を抱いている人が増えています。感度のよい数人の経済学者たちがその異常性に気がつき始めています。2011年10月に胃癌で亡くなられた馬場宏二先生も過剰富裕化論を提唱されて、生産力の無限の発展が人間の生存環境を破壊して滅亡に導くと述べておられます。青森大学経営学部長の戸塚茂雄教授もそういう経済学者のお一人です。
 経済学とは異なる分野で研究を続けておられる理論物理学者ホーキング博士は、人工知能の発展が人類を滅亡に導く可能性があると、2月に世界へ向けて警告を発しています。第25章でとりあげ、紹介しました。
 わたしも、100年後にコンピュータが現在の2億倍の性能を持つようになるので、一辺が5cmの立方体に収まるような人工知能の開発が現実になり、旧式で性能の悪い人間という機械が生産過程から排除されるリスクに第5章で言及しています。それを避けるにはどうすればいいか、馬場先生の意見とわたしの結論(新しい経済学の創造)は似ています。
 純粋数学(幾何学と数論)の本であるユークリッド『原論』とマルクス『資本論』を結びつけて経済学の体系を論じた経済学者は世界中でebisuが初めてです。百年後の人類に待ち受けている滅亡リスクを回避するために、どうかこの論文を最後までお読みになってください。

 なお、本稿は随時追加して来年春ころに改訂第3版を公表する予定でいます。
 そのあとは、『職人仕事と21世紀の経済学』というタイトルで、四百字詰め原稿用紙で5001000枚くらい書くつもりです。こちらは職人関係の書籍がたくさんある大きな図書館でなければ資料がそろわないので、東京での仕事になるのでしょう。したがって、いつになるかはわからぬ、というのが本音です。1年間ほどかかります。

 とにかく、マルクス『資本論』が経済学としてどのような体系構成をもっているのかを突き止め、序(つい)でその公理系を書き換えて、新しい経済学の叙述をはじめてしまいました。
 経済学は19世紀から150年間停滞していましたが、21世紀になってようやく新しい経済学が誕生します。なぜ新しいのか、どこが新しいのかを学問の根源にさかのぼって解説しました。このような経済学書をわたしはいままでに見たことがありません。
 日本人が守り育ててきた伝統的価値観、商道徳を原理とする経済学は人類を破滅から救うことになるでしょう。理解するには経済学や数学に関する周辺知識が多少必要ですが、高校生が読んでもその違いがわかるようになるべくわかりやすく書きました。経済学の根幹に関わる論文に目を通してくれようとしている読者のみなさんに敬意を表します。
 

 東京は6日連続の猛暑日を記録し、日本一涼しい根室も33度観測史上最高を記録しました。窓からはいる涼しい風が穏やかに部屋の中を通り抜けていきます、長年遣り残し胸につかえていたものが風に乗って消えていきます。 
 

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  #3097 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版) <目次>  Aug. 2, 2015

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