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#3097-4 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版)-4  Aug. 3, 2015 [資本論と21世紀の経済学(2版)]

目次:*#3097-0 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版)-0  Aug. 2, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-02


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. 経済学とは何か

 14.   <経済現象と日本>

      1971815日突然のドルの兌換停止発表、そして固定相場制から変動相場制への移行:ニクソンショックと呼ばれているその年の暮れには360/$308/$になった。英国ポンドは当時1008/£だったが201412月末は186.92/£、五分の一以下になり、英国製品は激安⇒商品と同じように通貨にも取引市場がある。 

    
低価格法(取得原価か時価のいずれか低いほうを選択)から時価法への会計基準変更⇒日本の上場企業の株式の1/3が外国投資家の手に渡った。2000年から「会計ビックバン」がはじまり、市場性のある株式は時価評価へ変更された。これは米国会計基準へ日本の会計基準をあわせた措置である。

 金兌換が保証されていた「ドル/金本位制」から兌換停止宣言による「ドル本位制」への移行は、100%米国の国益でなされた。米国政府は兌換を約束してドルを世界中にばら撒いた。各国はその約束を信じて外貨準備をドルで溜め込んだ。その先行きへの不安がヨーロッパ各国に広がり、フランスが外貨準備の兌換を実現、ニューヨーク連銀の地下金庫から金を運び出した。ドイツは敗戦国でそれができなかった。各国の要求を呑むとニューヨーク連銀の地下金庫に山積みになっている金を全部運び出しても足りない。フランスの「実力行使」によって、兌換要求がヨーロッパ各国へ広がると米国は兌換停止を宣言せざるをえなくなった、それが1971年の夏に起きたニクソンショックである。世界はこの日を基点に大きく変わった。兌換停止を宣言しドル本位制へ移行したからこそ米国はベトナム戦争1960/121975/4/30の戦費を調達できたし、その後の大幅な赤字財政でも財政破綻を起こさずにやってこられた。
 
2000年からはじまった会計基準変更(会計ビッグバン)は磐石な日本企業を切り崩すために仕組まれた米国の周到な戦略の一環である。会計基準を変更することで何が起きたかをみればわかる。二つ重要な変化が起きた。一つは外国投資家の持ち株比率が1/3に上昇した。持合をしていた日本企業の株の放出が始まり、経営参加することも支配権も握ることができなかった日本企業株を大量に買い占めることが可能になった。日本の上場企業株の三分の一がすでに外国人のものになってしまった。それを可能にしたのが会計基準変更である。会計基準変更にはもう一つ狙いがあった。二つ目の狙いは日本企業の弱体化である。日本企業が強いのは含み資産を膨大に抱え込んでいるからで、それがダントツの国際競争力を保障していた。赤字になったら持ち株の一部を売却すれば、膨大な利益を手にして簡単に赤字補填ができた。含み資産が大きければ、経営者が無能でも赤字の責任を取って辞任すればいいだけで、どんなに経営危機を招来しても、歴史のある含み資産の大きな会社はつぶれず、長期的な視野で腰を落ち着けて経営改革が可能だった。それが日本企業の強さの源泉のひとつだった。日本企業が強いのは日本人が勤勉なことによるだけではない、年功序列賃金をはじめとしてさまざまな日本特有の仕組みも日本企業の強さを支えていたのである。日本企業はそれまでに溜め込んだ含み資産を売却することで何回でも経営ききを乗り切れた。それが会計ビッグバンのひとつである株式に関する会計基準(低下法から時価法への)変更で半分消えてしまった。 

 
こういう仕組みの変更が日本経済に甚大な影響を与えていることを知ろう。米国は日本企業を弱体化させる戦略を長期間にわたって実施している。米国企業による日本企業支配の促進を米国政府が国家戦略の一環として実施している。隠してなどいない、米国大使館のホームページに規制改革に関する対日要求リストがある。これは戦いなのである。小泉政権も安倍政権もこれら対日要求リストどおりにやっている。日本の国益はいったい誰が守るのだろう?
 *米国大使館ホームページ 「規制改革」http://japan2.usembassy.gov/j/p/tpj-20110304-70.html 「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本国政府への米国要望書」20071018
http://japan2.usembassy.gov/pdfs/wwwfj-20071018-regref.pdf


 15.            <円安はいいことか?:80120/$の威力>

 団塊世代のわたしが大学3年のときの時事英語の授業は土曜日午前中で、前日に発行された毎日ディリーニュースの社説をテクストにとりあげていた。夏休み明けの最初の授業の社説に載っていた、‘foreign exchange rate’ という用語を先生は「外国交換比率」と訳した、生徒から「なんのことか先生はそれでわかるんですか?」と質問され「???」、英単語を一つずつ日本語に置き換えただけ、英米文学研究科出身の時事英語担当の先生は経済専門用語を知らず外国為替の仕組みについても知識がなかった。ところが扱った記事は固定相場制の終焉と変動相場制の幕開け告げる通貨制度変更に関する社説だった。この年は固定相場制から変動相場制に移行した年だから、例年よりも経済関係の社説が多かった。
 
周辺知識やある程度の専門用語に関する知識がなければ英文の経済記事は読めない、それは医学記事でも、会計基準に関する記事でも同じことである。
 
“外国為替相場”という日本語を知っていたら、通貨市場での各国通貨の交換比率=相場だと見当がついたのではないだろうか。日本語は便利だ。基本漢字がわかっていれば理解できる専門用語が多い。しかし「為替」は使われている漢字から意味がつかみにくい専門用語だから、金融関係の人以外は馴染みがない言葉だろう。たまにはこういうものがある。

為替:手形や小切手によって、貸借を決済する方法。離れた地域にいる債権者と債務者の間で貸借を決済する場合、遠隔地に現金を輸送する危険や不便を避けるために使われる。中世では「かわし」といい、銭のほか米などの納入・取引に利用された。…『大辞林』

 
 為替は日本の発明である。起源は中世だが、江戸期には商取引ばかりでなく、庶民がお伊勢参りにも大きな現金を持ち歩かず、為替を利用して現地でお金を受け取るというようなことが普通になされていた。江戸の両替商にお金を払って為替証書を手に入れ、それをもって旅行して大阪の両替商で金を受け取る。中世も江戸時代も大金を持ち歩くと山賊や盗賊に襲われるリスクが大きい時代だった。証書を交わすから「交わし」といったようだ。国内で行われるのを(内国)為替といい、海外との取引決済を現金授受を介さずにやる仕組みを外国為替という。その際に使われる二国間の通貨の交換比率(相場)を、外国為替相場という。為替制度は「日本原産」である。
 
日本語でも専門用語には漢字の字面からわからないものが少しだけあるが、英語は殆どが見当つかない、例を挙げてみよう。Leukocyteをみてすぐに意味がわかる人は、医学関係者だろう。Leukoは白を意味するラテン語かギリシア語、cytoは細胞や球を意味する。white blood cellと書けば誰でもわかる。日本語で白血球と書いてわからない中学生はいないが、米国で普通の中学生はleukocyteleukemiaの意味がわからない。
 
英語の専門用語はギリシア語やラテン語の接頭辞や語幹や接尾辞からできているから、「一般人」には理解しづらい、その点日本語はよくできている。誰でも知っている基本漢字で専門用語が組み立てられているから、2000字あまりの基本漢字(たとえば、常用漢字は2136文字)の意味さえしっかり押さえておけば、類推ができる専門用語が殆どである
 
このことから、義務教育を終えたら専門書が読めるという基礎学力を前提に、小学校で1000字、中学校でさらに1000字、合計2000字を中学校卒業までに漢和辞典で調べ終わるという具体的な目標ラインを生徒に示していいのではないか
 
さて、具体的なやり方について一言書いておく。調べた語に線を引き付箋をつけさせれば、付箋が増えていくのが楽しくて、教科書だけでは飽き足りずに、知らない語彙の出てくるような本を読むとか、漢検問題集にトライして新語に出遭う機会を増やしたくなる。漢和辞典や国語辞典が付箋だらけになるのは楽しい。
極論を言うと、基礎学力がしっかりしていれば高卒でもたいがいの専門書は読める。団塊世代までは、高卒でも基礎学力の点で大卒に引けをとらない者が一定の割合でいた。社会人になったときに仕事に関連する専門書を読んで理解できるかどうかは、その人のその後の人生を分けることになる。基礎学力が低ければ、大卒だって仕事で必要な専門書を読むのに支障をきたす、基礎学力侮るべからず。わたしは、専門書を独力で読みこなすことのできる学力を「社会人に必要な基礎学力」と定義したい。

 本題は為替相場が円安になっていることだった。1222日に120/$を超えた。第二次安部政権の誕生は20121226日のことである。その直前201211月は80/$だったから、2年と2ヶ月前に比べて50%の円安
 
80/$120/$を比べてみても生活実感がわかないから、生活実感のある商品、ガソリン価格で考えてみたい。ガソリン価格は当時レギュラーだと148/だった。11月にガソリンを入れたときには151/(レギュラー)だったのが、1226日には141/117日には131/ℓ。
 
原油価格(ブレント)は201211月に108$/バーレルだったが、201411月は78$である。12月に入って60$台を動いている。NY原油先物市場は20151550$を割り込んだ。====================================================================================
問題:為替レートが2年前の80/$のままで原油が60$/バーレルだったとしたら、ガソリン価格がいくらになる?   (a barrel of oil is equal to 159 litres )(計算式は最後のページに書いてある)====================================================================================
 簡単な比例式でだいたいのところがつかめる。比例式は昨年から小学校6年生で習うように変わった。こういう円安の影響を自分で確かめるためにも小学校6年あるいは中学1年程度の基礎学力がなければならない。社会人となって生き抜くためにも中学卒業程度の基礎学力は身についていなければならない。住宅ローンだって売り手や金融機関の営業の言いなりではいけない、自分で条件をいくつか変えて計算して確認しなければ、10年たたないうちに自己破産の憂き目に遭いかねない。サブプライムローンとはプライムローン(最優遇貸付金利適用の借入)に対して、一段高い金利での住宅資金貸付である。信用度の低い低所得層向けのローンだ。不動産ローン会社と大手金融機関がこぞって、低所得層をターゲットにして貸付拡大をした。住宅の時価が上がれば担保価値が上がるから貸付金増額を勧めたのである。担保不動産が値下がりすれば、とたんに担保不足の分は一括返済を求められる。借金増額によって手に入れたお金は、贅沢をして消費に回っているから返済資金はない、こうして次々と自己破産して行った。低所得層の無知と貧困に付け入る営業をやっていたのである。担保不動産が値下がりしたときの返済額を自分で計算できれば、こんな詐欺的な営業に引っかかることはなかった。基礎学力はこういう場面でも重要なのである。日本の伝統的な商道徳では、「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」でなければならないから、このような詐欺的な商売を大々的にやれば、大概つぶれてしまうから、抑制が働く。日米では商道徳がまったく異なるのである。 
 
話を元へ戻すと、為替相場が元のままの80円/ドルだと仮定すると、計算結果は44.4%の値下がりで、レギュラーだと72.2/$ということになる。私たち日本国民は円安によってバカ高いガソリンの購入を余儀なくされていると言うこと。灯油(12月請求分が98/㍑)も同程度値下がりしただろう。日銀の円安誘導がどれほど国民生活にダメージとなっているかを理解するには、為替相場と物価の関係、すなわち経済に関する若干の知識と基礎学力(読み・書き・そろばん)が必要である。
 
あてにはならないが、専門家の予測によると、中国やインドそして欧州の景気が悪いので需給が緩み2015年度は60$台を推移するという。
(米国のシェールガスやシェールオイルは長期的には多少問題ありだ。ひとつの油田やガス田の生産量が10年で100分の1に減少することと生産に水が必要なのだが、水利権の事情が米国は特殊で新規参入組みは渇水期には取水できない。) 

 
円安というのは日本の国力の低下、円高は日本の国力の上昇と考えたらいい 

 
円安を経済政策の柱に据えるということがどんなに莫迦げた政策かは、国益の観点から考えてみたらわかる。円安は日本の国力を弱体化させるということと同義である
 
米国はいつでも「強いドル」を標榜している、それが国益にかなうからだ。ドル高になれば米国政府と米国民は世界中から資源や製品を安く買うことができる。ドルが半値になったら米国は同じ量の資源や製品を買うのに2倍のドルを支払わなければならない。
 
日本がゼロ金利と異次元の量的緩和をして円安を演出してくれたから米国政府と米国民は大喜びだ。しかも余剰のドルで米国財務省証券を100兆円も購入してくれている。日本が稼いだお金はドルとなって米国にそっくり戻っている。これほどお人よしの国民は世界中に中国人と日本人だけ。米国財務省証券を買わずに金を買うべきだ。(1975年は200$以下、2014年は1266$
 
円安が日本国民生活にとっていいわけがない、輸入品の価格は安倍政権前に比べて円価換算ですでに1.5倍に上昇している。釧路港に陸揚げされる米国産穀物飼料は1.5倍になって、乳価は上がらず、酪農家は泣いている。輸出産業の一部の好業績の背後で輸入産業は製品の値上げをせざるをえなくなり、売上数量が激減、中小企業はコストアップ分を製品価格に転嫁できずにあえいでおり、とても賃上げどころではない。景気が好いのは全産業の12%を占める輸出産業のそれも一部だけである。トヨタ本体とトヨタの取引企業の業績を代表例としてみたら、事情が呑み込める。

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【トヨタ自動車と下請けの事例】嘉悦大学大学院ビジネス創造研究科黒瀬直宏教授の論を紹介する。

 
大企業の好業績が中小企業に及んでいないのは、大企業が生産拠点を海外に移してしまったからである。円安の恩恵を受けているのはGDP12%を占める輸出産業の一部だけ。
 
たとえば、トヨタグループ16社の70%2013年度の売上が2007年度の売上に達していない。トヨタは10-3月期の取引については部品単価の切り下げを求めないことに決めた。
 
トヨタの2次下請け以下は国内に3万社ある。トヨタ本社だけが史上最高額の利益(2014年度当期純利益額は18230億円、前年比2倍)を更新して、子会社、関連会社そして取引先企業が青息吐息では社会的な批判をまぬがれないから、先手を打ったということ。取引先に毎年単価切り下げを求め続けてきた「トヨタ看板方式」が結果として、取引先の競争力と売上増大には寄与したが、2008年度以降は取引先の業績を圧迫するのみで、このまま取引先が倒れていけば高品質で低単価の部品供給先を失い、長期的にみればトヨタ本体が傾くことぐらいはトヨタの取締役ならずとも想像がつく。
 
トヨタ一社を見ても大手輸出企業の好業績が3万社ある関連会社や取引先にはまったく及んでいないことがわかる。安倍総理の説明ではトリクル・ダウン(trickle down effect*)で川下の中小企業の景気がよくなるはずだったのではないか、事実はまったく違っている。
(安倍総理は経済音痴ですから、安倍政権の経済政策ブレーンの浜田宏一内閣参与に問題があるのでしょう。小泉政権時の竹中平蔵氏並かもしれません。労働規制を解除してちゃっかりリクルート社の会長に納まっている。竹中氏は金融実務がわからないので元日銀マンの木村剛を仕事の相棒に引っ張り込んだのだが、木村は日本振興銀行刑事事件で2010年に有罪判決がでている。)

 
人口減少が始まったのと、生産年齢人口が総人口よりも加速的に減り始めたので、国内市場が急激に縮小しだしたのが痛手。トヨタの国内乗用車生産台数は2007年度の3849353台がピーク、2014年度は300万台ぎりぎりになる。若者が少なくなっているうえに、車は要らないという若者が増えているのだから、乗用車の国内市場は急激に縮小しつつある。

*trickle down effect: 「富める者が富めば、貧しい者にも富が滴り落ちるとする経済理論。サプライサイド経済学の中心思想とされる」。サプライサイド・エコノミクスとは、供給力を強化することで経済成長できるという牧歌的な経済理論。

 
2014510日の日本経済新聞記事によると「トヨタ自動車は、201458日に開いた20143月期(2013年度)の連結決算の発表会場で、年間の国内生産台数について「今後も300万台をめどに維持していこうと考えている」(同社取締役副社長の小平信因氏)と語った。…2013年度の国内生産台数は3356899台…2014年度の国内販売台数の見込みは221万台だから、「需要のあるところで造る」という現地生産の基本を踏まえると、国内生産は約100万台の“過剰生産”とみることもできる。 

 
25年後の2040年には購買年齢層の生産年齢人口が5786万人に減少するから、このままでは国内販売台数は120万台を割るだろう。日産が2014年度の国内販売台数が100万台を割りそうだが、それに近い規模になる。国内の生産拠点が品質改善の素であるから、国内生産台が半減したら新車開発力が大きく低下する。トヨタを支えているのは3万社もある下請けである。仕事量が激減すれば廃業が増える、優秀な下請け企業が廃業していけば、高機能部品の安価な調達ができなくなる。下請けの経営が立ち行かなくなって高性能で品質が安定した部品供給が細れば、トヨタ車の信頼性も揺らぐことになる。 
 
記事中の「2013年国内生産台数」には乗用車にトラック・バスの合計台数になっているので、わたしが書いた「乗用車生産台数300万台」とはベースが違うことに注意。トラック・バスはおおよそ30万台弱の生産量である。
 
黒瀬教授の論は牽強付会なところがある。データを調べてみたら、トヨタ連結ベースの決算は2007年度が特別によくて、その後3割も売上が落ちている。

2007年度 売上高26.3兆円、純利益1.72兆円 117.75/$
2008年度 売上高20.5兆円、純損失4369億円 103.35/$
2009年度 売上高18.9兆円、純利益2094億円 93.57/$
2010年度 売上高18.9兆円、純利益4081億円 87.77/$
2011年度 売上高18.5兆円、純利益2835億円 79.80/$
2012年度 売上高22.1兆円、純利益9621億円 79.79/$
2013年度 売上高25.7兆円、純利益8609億円 97.59/$
2014年度 売上高26.5兆円、純利益2.0兆円。 120.66/$20141229日)

 このデータから言えることは、連結決算ベースのトヨタの売上高は為替レートの影響を無視できないということ。たとえば、2007年度と2008年度が同じ為替レートだとすると、2008年度の売上高は、次の計算になる。
 20.5兆円×117.75÷103.3523.35兆円
 
もちろん、国内売上は為替レートに関係がないから、米国などの外貨売上分が換算されているに過ぎない。トヨタは海外売上のシェアが高いから、為替レートの影響の概要を掴まえるにはこれで十分だ。2008年、2009年と、2010年、2011年と続いた円高が円価換算売上高の撹乱要因となっている。同じような計算を2011年度と2012年度に適用すると、2007年度の売上高を上回る。
 18.5兆円×117.75÷79.8027.3兆円(2011年度) 
  22.1兆円×117.75÷79.7932.6兆円(2012年度)

 
2014年度の売上高26.5兆円は円安で円換算売上高が膨らんだだけのことだ。売上高の実質的な内容は2012年度や2013年度よりも悪い。
 
ドルベースの連結決算では2012年度の売上高が最高額を記録している。2014年度がドルベースでは売り上げ減少なのに利益が増えているのは、国内生産で輸出されるのが100万台(完成車ベース)ほどあるほかに、高機能部品の輸出が寄与しているからだろう。大企業(トヨタ本社)が取引先中小企業をいじめているという構図は確かにあるだろう、しかし、イレギュラーなデータをなにもコメントせずに取り上げて、読み手が判断を誤るような「誘導」は慎むべきだ。 
 
さて、黒瀬教授の論に戻ろう、かれはトヨタの子会社・関連会社や取引先企業3万社の売上が2007年度の売上数値を回復していないことを指摘しているのだが、2007年度をピークとしてトヨタ本体の売上自体が2013年度まで回復しないのだから、グループ各社への発注数量も減っていて当然だから、トヨタ取引先の売上が減るのも当たり前。特筆すべきことは、2009年に米国で起きたレクサスの事故訴訟で売上が一時的に激減したこと。
 
人の論を鵜呑みにしてはいけない、たまにこういうことがあるから、自分で元データを確認する必要がある。信用に足る学者の場合はその限りにあらず。 *「トヨタ自動車75年史」よりhttp://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/data/automotive_business/production/production/japan/production_volume/index.html**外国為替の推移 (「世界経済のネタ帳」より)http://ecodb.net/exchange/usd_jpy.html 

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<計算式と答え>  131:x=108:60      131(円/㍑)×60$÷108$=72.8(円/㍑)
*原油価格の推移 http://ecodb.net/pcp/imf_group_oil.html
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  16. <経済学の定義> 

 経済学を云々する前に、そもそも「学」あるいは「学問」とはなんだろうか?日本語では経済学は社会科学の一分野とされており、自然科学と対置される。英語はscience(科学)、ドイツ語ではdie Wissenshaftという語を充てている。英語のscienceという語に「学問」の訳語を充てることにすくなからぬ違和感があるので、国語辞典の定義を参照する。
学問:一定の原理によって説明し体系化した知識と理論的に構成された研究方法などの全体をいう語。(中世・近世には「学文」とも書かれた) 
人文科学:広く人類の創造した文化を対象として研究する学問。哲学・文学・史学・語学などが入る。文化科学。   『大辞林』

 
辞書に分類が載っていないが、日本では学問を三分類(人文科学・自然科学・社会科学)している。どれも「科学」の語がついている。人間の文化に関する学問だから人文科学というのだろう。Scienceは「自然科学」だと思っていたが、もっと意味が広いようだ。 

 英語のscienceの項を
Cambridge Advanced Learner’s Dictionaryで引くと、次のような説明がある。
science: 1. (knowledge from) the systematic study of structure and behaviour of the physical world, especially by watching, measuring and doing experiment, and development of theories to describe the results of these activities.: pure/applied science.2. a particular subject that is studied using scientific methods: physical science. Economics is not an exact science. (経済学は厳密科学ではない)1. 物質界の構造と性質に関する体系的な研究(からえられた知識)、とくに観察・測定・実験によって裏付けられたもの。そしてそれらの(研究)活動(観測・測定・実験)結果を包摂して記述する進化した理論(からえられた知識)
2. 科学的な方法を用いて研究されている特定の学科目: 物理科学。(物理学はphysics

 
純粋科学の物理学と経済学とは異なるというのが英語のscienceという語の基本的な定義と感覚。まるで注文したかのように、面白い用例が載っている、「経済学は厳密科学ではない」というのがそれだ。
 CALDの説明では科学を「物質界の構造と性質に関する体系的な研究」として、純粋科学と応用科学に分類している。対象は「物質界=physical world」であって、これでは人間の文化は対象外になってしまう、この定義では人文科学を含めることができない、おかしい。Oxfordを引いてみたら、4番目の定義に探しているものが見つかった。
Science: 4 [singular] a system for organizing the knowledge about a particular subject, especially one concerned with aspects of human behaviour or societya science of international politics
 この定義には人文科学が入っている。でも4番目だから「広い意味」でのscienceということ、基本的には英語でscienceは自然科学を意味している場合が多い。
 
人文科学を英和辞典で引くと、the humanities, human science, literal artsの三つが載っている(ジーニアス『和英辞典』)。英語のscienceに対置される語はarts(芸術・技術・人文)やtechnology(技術)である。芸術・技術と対比される(狭義の)scienceとそれらを含んだ上位概念としての(広義の)scienceがあると了解しておきたい。ついでだから後で何度も出てくる「職人」もartに関係しており、派生語にartisan(職人)がある。何年もの修業によって確かな技術を身につけた者がartisan(職人)である。
 
CALDは、経済学は科学でなくある種の技術であるといいたいようだ。科学を狭義に捉えたらそういうことになる。確かにケインズの有効需要政策は政策技術論であるし、乗数理論は数学の応用である。リフレ派の主張するマクロ経済理論や計量経済学も技術論か数学の応用に属するから、事実として認めたい。
 
(ケインズ辺りから経済学は科学ではなく、技術(政策)論の分野に重点を移し、特定の経済現象に潜む法則性やメカニズムが経済政策に利用できるに足るだけわかればいいということになった。1929年の大恐慌後の経済立て直しのために、経済学が利用され、公共事業で有効需要を増すことで景気回復を図った。ところが、公共事業に乗数効果が小さいことはすでに証明済みで、巨額の財政赤字の原因となり、いずれ経済を破壊する副作用をもつことが経験的に知られている。)

 
では、ドイツ語のdie Wissenshaftはどうだろう。Wissenは「知」や「知識」を意味しており、shaftは抽象名詞語尾であると辞書(相良『ドイツ語大辞典』)にある。雑然とした知識の寄せ集まりではなく、整然とした知識体系がドイツ語でのdie Wissenshaftの語感なのだろう。人文科学・自然科学・社会科学すべてを包摂する概念である。
 
 『漫言翁 福沢諭吉』『続漫言翁 福沢諭吉』『明治廿五年九月のほととぎす』の著者、遠藤利國さんから128日にsciencedie Wissenshaftに関するコメントをもらったので紹介する。もともと哲学が専門だから、こういう話題には適確な解説をしてくれる。あいまいなところや調べ切れていないことを教えてもらえる、ブログはこの辺りが便利でありがたい。
基本的にはこの二つの言葉は意味するところは同じで現に独英辞典でWissenschaftの項をひくとscienceとなっています。かつてscienceにも学問という意味を持たせていた時代がありました。多少古い英和辞典には<学問全般(廃)>としてあるものもあります。scienceはラテン語の動詞scio(知る、理解する)に由来する言葉で、名詞はscientia(知識、学、原理、理論等)となります。英語とフランス語ののscienceはこのラテン語が語源です。ではドイツ語ではなぜWissenschaftになったのかといえばscioに相当するwissenという動詞があったので、それに名詞をつくる語尾を加えたということなのでしょう。ヨーロッパの言語はラテン語を語源とする語と自前の語が共存していますが、これは漢字の音読みと訓読みの違いと思えば当らずといえども遠からずといったところでしょうね。
日本ではscienceに科学というニュアンスがつよくて学問全般という意味合いが希薄に感ぜられるのは、明治以降の学問移入の歴史によるものかもしれませんね。日本語で学問といえば江戸までは儒学でしたが、明治以降はデカンショになってしまい英語で学ぶ学問は影が薄くなってしまったことが尾を引いているのかもしれません。

 
デカンショの件(くだり)は説明が必要ですね。デカルト、カント、ショーペンハウエルの三人の哲学者のことですが、デカルトはフランス人、カントとショーペンハウエルはドイツ人、つまり幕末から明治初期にかけては洋学の主流は英米の経験論だったのが次第にデカルトに始まる大陸の合理論、とくにドイツ哲学にとってかわられたという事情を述べたのでしょう。
 
「知る」という語幹では英語のscienceとドイツ語のdie Wissenshaftはラテン語由来で同じ意味だった。
 
雑然とした知識の寄せ集まりではなく、整然とした知識体系がdie Wissenshaftの語感。人文科学・自然科学・社会科学すべてを包摂する概念である。
 
マルクスはdie Wissenshaftというドイツ語のイメージで、整然とした体系構成をもつ経済学を考えていたのだろう。 経済学がいかなる学問であるかについて、さらにCALDと「大辞林」の説明を見よう。
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economics: the way in which trade, industry or money is organized, or the study of this.経済学とは貿易、産業あるいは通貨を系統立てて叙述する方法、あるいはその研究をいう。 経済学:人間社会の経済現象、特に財貨・サービスの生産・交換・消費の法則を研究する学問。法則を抽出する理論経済学、理論の応用である政策学、経済現象を史的に捉える経済史学に大別される。『大辞林』
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体系的に整序されたものが経済学だとしても、それは純粋数学のような体系をもちうるのかという議論はなされたことがない。『大辞林』は理論経済学を「法則を抽出する」ものと定義しているが、これは自然科学の物理学における法則(たとえば、万有引力やE=mc^2)を想定してのことだろうから、体系の叙述の方法は問わないことになる。万有引力の法則やE=mc^2が実験結果や観測によって証明されればいいだけである。
 
では、なぜ学の体系構成を意識した分類がなされていないのだろうか、それは純粋数学のほかに事例が一つもないからだ。純粋数学だけは他の諸科学とはまったく別物だという思い込みがあり、経済学が数学と似たような体系構成が可能なはずがないと経済学者も思い込んでいる。だが、そうした思い込みは正しいのだろうか?
 
経済学は実証科学だというのが多くの経済学者に共通した理解である。たとえば、経済史の分野で著名な学者に増田四郎先生(元一ツ橋大学・学長)がいる。38年前に院生3人で特別講義をお願いしたら、リスト『経済学の国民的体系』を読もうということになり、月に一度くらいの頻度で授業の後に、国分寺駅近くのビル4階のガラス張りの眺めのよいお店でビールをご馳走になりながらお話を聞いた。その折に、イタリア留学から帰ってきたお弟子さんの阿部謹也氏のことを、目を細めて何度も話してくれたから、阿部謹也著『中世の窓から』もそのときに増田先生の著作数冊とともに読んだ。阿部氏はその後、ヨーロッパ中世に関する本をたくさん書いているからイタリア留学中に目を通した中世の文献資料からえたものが大きかったのだろう。増田先生は阿部氏の研究スタイルが気に入っていたようだ。阿部氏は後に一橋大学長になっている。もちろんお二人とも優れた実証研究者である。
 
テレビによく出演して反原発をコストの面から具体的な数字を挙げて理詰めで解説する慶応大学経済学部の金子勝教授もまた違った学風の実証研究者である。世の中の経済学者は理論経済学者の一部を除けば他はすべて実証研究者と言ってよいだろう。たくさんのデータや資料を読み込んで、そこから帰納的に規則性や法則性を抽出する。抽出した法則は假説であり、それをまたデータで論証するというのが、オーソドックスな研究スタイルとなる。

 
観測データ⇒規則性を帰納的に抽出⇒假説設定(&未知の特定現象の予言)⇒実データで検証 

 
後で、馬場宏治先生の過剰富裕化論を取り上げるが、馬場先生は理論経済学者であると同時に、米国経済のすぐれた実証研究者でもあった。
 
経済学が数学と同じタイプの演繹的体系構成をもつ学問であるという理論経済学者は残念ながらわたしのほかはいまのところ一人もいないから、数の上からは絶望的なほど分が悪い、はっきり言って数の上では勝ち目がない。しかし、「学」のタイプとしては二種類あることは事実なので、二つの見解を並べて対比してみたい。

      経済学は経験科学である「純粋に理論を探求する科学に対し、経験的事実を対象として実証的に諸法則を探求する科学。実証科学」 …『大辞林』 経験科学は観察から得られたデータのみに依拠し、そのデータ群の中から諸法則を帰納的に導き出し、それを假説としてデータで実証する。
 
     経済学は数学のような規範学であるさまざまなデータから帰納的に法則が導かれるのではなく、経済学は数学のように演繹的な体系構造をもつ。経済学が経験科学であるという立場の対極にあるのは、経済学は数学と同じ独立した演繹的な体系構造をもつ学問という立場である。すでに論述したように、マルクスが『資本論』でやって見せた。後にも先にも、数学以外の分野で、このようなことを試みた学者はプルードンとマルクス以外にはない。

 [時代状況の違い]

 
マルクスの時代(国民国家成立による帝国主義の時代の幕開け)と現在は大きく異なる。当時はなかったものをいくつかランダムに挙げてみる。
①多国籍企業
②グローバリゼーション
③コンピュータ
④インターネット
⑤いくら売っても減らない商品の出現たとえばCDDVD、ゲームソフト、さまざまな名簿情報等々、これらはデジタルコピーすればまったく同じ品質のものがいくらでも生産できる。

 
マルクスはサイバー空間や今日のスケールの世界市場を知らない。マルクスの時代の資本主義経済社会と現在の資本主義経済社会は異なる発展段階にある経済社会と見るべきで、21世紀の経済学は①~⑤も網羅しなければならない。サイバー空間が加速的に拡大して、現実空間に多大な影響をあたえている現実を経済学は包摂する必要がある。機械とコンピュータとネットワークの融合した21世紀を、わたしは2次産業革命の時代とネーミングする。わたしたちはその渦中にいるから、大きく時代が変わるのをなかなか意識できない。30年後に振り返ってみたときに2000年を境に産業社会が大きく変わったことに気がつくのだろう。

  少子化と高齢化の同時進行による人口縮小という時代の大きな転換点に立っているからこそ、いま経済学は何かとその意味を問う必要がある。経済学が経験科学であることは多くの経済学者の業績がそれを証明しているから議論の余地がない。では経済学は演繹的な体系足りうるのか?yesというのがマルクスの答えでもあり、マルクス『資本論』を乗り越えたわたしの答えである。 大事な部分だから、言い方を替えて繰り返しておきたい。経済学と何かに対する私の結論は、経済学は経験科学であると同時に純粋数学のように演繹的な体系構造をもちうる学問領域であるというもの。すでに述べたように上向の論理は経済学が演繹体系で叙述可能なことを示している。その一方で、マルクスが「生産過程」までしか体系化できず、流通過程や市場論を断片的に書き残したのみで、世界市場については何も残せなかったのは『資本論』を書いていた時点でそれが現実に存在しなかったからである。コンピュータとネットワークとグローバリズムに支えられた今日の経済社会には世界市場が現実のものとして存在しているから、わたしたちはそれを研究対象にすることができるのである。それゆえ経済学は経験科学でもある。そこがユークリッド『原論』との違いだ。 

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*#3097-0 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版)-0  Aug. 2, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-02




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