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99. 資本論と21世紀の経済学(2版) ブログトップ
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#3170 地に落ちた日本の伝統的商道徳:三井不動産と旭化成建材 Nov. 4. 2015 [99. 資本論と21世紀の経済学(2版)]

 旭化成建材の杭打ちデータ改竄が問題になっている。お隣の釧路市の道営住宅でもデータ改竄が見つかった。1件だけではおさまらず釧路市はさらに市営住宅物件が追加された。

*「「え?」気色ばむ(蛯名釧路)市長、旭化成建材の杭打ち中断」
http://www.yomiuri.co.jp/national/20151103-OYT1T50058.html

  旭化成建材と旭化成だけが矢面に立たされているのはなんだかおかしい。「パークシティLaLa横浜」の事業主は三井不動産レジデンシャルだし、元請会社は三井住友建設である。杭工事の一次下請けは日立ハイテクノロジーズである。それらの管理責任がまず問われるべきだが、すっ飛ばした報道が続いている。企業規模が大きくなると報道抑止の免罪符でもあるのだろうか。
 重層下請構造そのものが問題の温床であるから、マスコミはそこを突くべきだ。

 旭化成建材株式会社は旭化成の子会社である。もともと旭化成という会社は水俣病の原因の水銀汚染を引き起こしたチッソ(旧社名「日本窒素肥料」)という会社の一部門日窒化学であるが、現在は資本関係がない独立の会社(大株主名簿で確認した)
 旭化成は大会社で、二十数年前に子会社管理に関する講習会へ出席したときにその規模と内容を知った。当時で数十社の子会社・関連会社群があったから、ただの繊維会社ではない。どのような子会社管理がなされているかについて説明を聞いたのだが、ずいぶん前のことですっかり忘れてしまった。

*旭化成124期平成27年3月決算資料によれば、連結子会社140社、持分法適用非連結子会社または関連会社37社、合計177社
https://www.asahi-kasei.co.jp/asahi/jp/ir/stock_information/pdf/webkaiji2015.pdf

 まあ、企業規模の大きな会社でレベルの高い子会社管理体制があったと見てよい。それでもこういうことになっている。
 杭打ちデータの改竄は旭化成建材だけではなく、業界の問題であり、どうやら元請から二次下請け、三次下請け、四次下請けにデータを揃えるように要求があるのが普通で、不都合なものはデータを作ることが横行していたらしい。実際の現場管理者の複数の証言がテレビ報道されている。こういう何次にもわたる下請け構造自体が不正の温床になっていることは、日本の重層的下請制度が制度疲労を起こして崩壊しつつあると見るべきなのだろう。これは産業構造にも関わる大きな問題である。

 フクシマ原発事故処理でも東京電力と現場で被爆しながら働く人々、下請会社にも同じ構造が見える。こうした重層下請構造の中で現場作業員の被爆データなどまともなものが管理されるわけがない。被爆放射能測定用のフィルム・バッチを外して作業をするようなことが横行する。

*#2438 ひどい作業実態: 福島第一原発で4ヶ月作業―がん併発 Oct. 6, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-10-06-1
 
 #1485 作業員の被曝管理を強化せよ:追跡調査ができるような体制をとれ Apr. 24, 2011 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-04-24

 #1434 原発事故テレビ報道についての基礎的疑問 Mar. 20, 2011
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-03-20


 日本には「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」という商道徳があったが、その中には「従業員よし、子会社・関連会社よし」の項目がない。なくてもそうあるべきことは当たり前のことだが、それすら実際の企業経営から失われている。
 「買い手よし」すら守れなかった「売り手」の三井不動産レジデンシャルの親会社である三井不動産は日本では三菱地所と並ぶ代表的な不動産会社である。元請のゼネコンの三井住友建設も超一流企業だが、下請けの管理をするどころか、ごまかしを強要するような業界慣行に胡坐をかいていた。

 ドイツVW社のディーゼル車に関する不正が問題になって、ドイツ製品に対する信頼が地に落ちつつあるが、日本でも似たようなことが大規模に起きている。東芝の粉飾決算もそういう例の一つに挙げてよい。ライブドア事件では粉飾決算の責任追及がなされ代表取締役の逮捕・有罪判決が速やかに出されたが、はるかに悪質で規模の大きい東芝粉飾決算事件では奇妙なことにそうした動きが一切見られない。日本では民間大企業だけでなく司法(捜査当局、具体的には東京地検特捜部)の判断もおかしくなっていると見るべきだ。

 この20年間で大手上場企業は内部留保を2倍以上に増やし、企業経営者はその報酬を2倍以上に上げた。その一方で、雇用の非正規化を促進して、従業員一人当たり人件費を切り下げてきた。
 強欲な資本主義の国、米国を手本と仰いで日本を作り変えようとしてきた「建前ばかりで中身のなかった小泉政権」、「本音の安倍政権」。TPPはいまだにその具体的な内容が国民に知らされていない。日本は本当にグローバル・スタンダード=米国流の経済社会を目指していていいのだろろうか?
 いまや、新卒の半分が非正規雇用である。雇用不安は社会不安を生み、少子化と消費低迷の元凶となっている。

 自分の会社だけがよければよい、自分たちだけがよければよいという強欲な考えが、巨大企業や親会社そして元請に蔓延している。日本企業の商道徳はすでに地に落ち、土にまみれてしまったのではないか?

 江戸時代以来受け継がれてきた商道徳「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」に「従業員よし」「子会社関連会社よし」「下請けよし」の三つを付け加えて、「六方よし」を掲げよう。
 わたしたち日本人は職人仕事で守られてきた良き伝統、「仕事の手を抜かない」ことをいま一度見直そう

 売り手よし、買い手よし、従業員よし、子会社・関連会社よし、下請けよし、世間よしの六方よし

 長ったらしい、やはり三つくらいにまとめるのがよろしい。あとは言わずもがなということ。世間よしの中に「従業員よし、子会社・関連会社よし、下請けよし」の三つもこめられていると理解したい。川上から大掃除が必要だ。強欲の塊となってしまった大企業経営者のマインドから変えなければならない。

 経営者も現場で働く作業員も、誇りをもって仕事をしよう、仕事の手は決して抜かない覚悟を決めよう。当面は苦しくとも、そういう姿勢を貫きとせば、仕事に信頼が生まれ、その企業の永続的な発展が約束される。一時の儲けよりも、仕事への信頼を重視したい。

 十年住んだらどこだって古里。誇りのもてる古里、住みよい古里はそこに住むわたしたちが創る。誇りのもてる日本、住みよい日本はそこに住むわたしたちが創らずして誰が創る?
 いまここで踏ん張りきれなければ、日本人が受け継いできた職人仕事へのこだわりや誇り高い伝統的な商道徳の何割かが途絶えてしまう。
 リタイアした団塊世代は、今度は世のため人のために後数年がんばろう。


〈 余談 〉
 三井不動産レジデンシャルだけでなく、三井不動産の商品を5年間だれも買わなければ、三井不動産も三井不動産レジデンシャルも変わる。同じように三井住友建設への発注をだれもしなければ、三井住友建設は根っこからすばらしい企業に生まれ変わる。杭打ち工事の一次下請け企業である日立ハイテクノロジーズ社に5年間だれも仕事を発注しなければ、日立ハイテクノロジーズ社はコンプライアンスのしっかりしたすばらしい企業に生まれ変わる。
 わたしたちが5年間の不買運動を起こせばいい、そうすれば企業経営は変わらざるをえなくなる、そこまでしないと変われない。
 企業経営や企業理念を変えさせるのはわたしたちの固い決意しかなさそうである、信頼ある仕事の国、日本をいまいちど創り直そう。

 それには教育である。ニムオロ塾はやっていいこととやってはいけないことを峻別できる人間を育てたい。
 聖人君子であれと言っているわけではないので誤解のないように、肝心なところはしっかりやれというだけのこと。



 #3097 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版) <目次>  Aug. 2, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-15

 #3121 既成経済理論での経済政策論議の限界 Sep. 1, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-09-01-1

 #3148 日本の安全保障と経済学  Oct. 1, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-01

 #3162 絵空事の介護離職ゼロ:健全な保守主義はどこへ? Oct, 24, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-23

 #2501 フクシマ原発周辺住民Mikoさんのビデオ証言 Nov. 17, 2013
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-11-17-2



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#3162 絵空事の介護離職ゼロ:健全な保守主義はどこへ? Oct, 24, 2015 [99. 資本論と21世紀の経済学(2版)]

<追記情報>
10月24日夜11時55分


 ①異次元の金融緩和、②財政出動による景気回復、③成長戦略がアベノミクス三本の矢だった。
  三番目の成長戦略が見えないまま、安倍総理は第2ステージを公表した。肝心の成長戦略がうまくいかないから、看板を架け替えたのだろう。ろくに議論もなされず、安保法制によって武器輸出が成長戦略に組み込まれた。成長戦略の正体はこれだったのか、大きな経済政策の転換でもあった。安全保障と成長戦略の問題は「#3148 日本の安全保障と経済学」で論じた。
 これから日本では軍需産業の発言権が増大し続けることになる。米国はそうした装置を経済に組み込んでしまっているから、つねに世界のどこかで戦争を起こし、武器を消費しなければ経済が成り立たぬ国、10万人の人員を要するエシュロンを使って情報収集、マスコミ操作を繰り返し、戦争を仕掛け、大量に武器を消費し続ける。軍需産業は癌組織のように正常細胞を侵食し続ける。米国は戦争をやめられない強固な経済構造を作り上げてしまった。
 「美しい日本」という看板をかなぐり棄てて、軍需産業が政権を左右するような国に安倍総理はしたいのだろうか。
 どういう経済社会を築くのか、国民はいま一度しっかり考えるべきだ。そのための材料としてわたしは「資本論と21世紀の経済学」を弊ブログで今年1月に公表した。

 安倍総理はお金はよく使った。年間予算は100兆円規模に膨れ上がり、借金は膨れ上がり続けている。国債残高は1000兆円を超え、政府財務残高は1232兆円に達した。日本国債の評価もランクがひとつ下がり、中国や韓国よりも格下になった。国際的に見ると日本政府財政政策への評価が下がり続けている。日本政府財政はレッドゾーンに入りつつあるというのが国際的な評価である。
*http://ecodb.net/country/JP/imf_ggxwd.html

 新三本の矢は
①GDP600兆円
②出生率1.8
③介護離職ゼロ

 アベノミクス「三本の矢」には①②はもとより、③も(滑ってしまったが)曲りなりにも達成策が提示されていた。「新三本の矢」で問題は、どれもスケジュールを明示した具体的な達成プランがないこと。これでは、安倍政権の次の3年間は政策評価ができない。「やっています(いつかできます)」と言えばいい。

 老人介護の現状や介護離職について安倍総理はちっともご存じないようなので、個人的な経験を交えて、現実の姿を書き留めておきたい。

 この十年間で50万人が介護離職をしたといわれている。最近数年間は年間10万人に増えている。団塊世代が介護が必要になり、介護離職がピークを迎えるのは、あと10年目くらいからだろう。このままでは10年間ほどは介護離職が年間数倍の50万人程度まで増えかねない。
 政府の老人医療政策が施設介護を減らし、在宅介護を増やす方向に舵を切ってからもう十年以上が経過した。

 介護療養型病床は2006年3月に3038施設、127,000ベッドあったが、2014年4月には1532施設、71,328ベッドに、4割削減された。介護保険制度を導入する前には介護施設を充実すると約束したにもかかわらず、介護保険制度が実際に導入されたら、4割もベッド数を削減した。民間企業がこんなことをしたら、詐欺罪で訴えられるだろう。介護療養型病床と医療療養型病床を合わせて38万あったが、厚生労働省は15万(その後あまりにも実情に合わないとして22万に修正)まで減らす政策を進めている。在宅介護の奨励はこういうからくりで推し進められているのである。老人人口はまもなく現在の3倍ほどになるから、同じレベルのサービスを維持しようとしたら100万ベッド必要になる。
 北海道だけデータを挙げておこう。2013年には療養型必要病床数は23,500であるが、2015年には3倍強の72,100になる。

*「2025年の医療機能別必要病床数の推計結果(都道府県別・医療機関所在地ベース)」10ページ
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/shakaihoshoukaikaku/chousakai_dai5/siryou1.pdf


 介護離職を減らすのではなく、加速・増大する方向へ老人医療政策の舵を切っておいて、いまさら「介護離職ゼロ」なんてよく言ったものだ。療養病床を50万に増やし、予算をつけるべきだ。自分で食べられなくなった老人には、尊厳死や安楽死を認めるべきだ、政府がもくろむ医療費削減には絶大な効果がある。逃げずにそういう議論をすべき。
 胃に穴を開けたり、胸の動脈に管をつけて生きながらえるのは無理がある、食が細って食べられなくなりやせ細って死んでいくのは苦しくない、自然な死に方である。昔はそうして自分の家で多くの老人が家族に看取られて死んでいった。昔の老人の自然な死に方を見直してもいいのではないか?わたしはそういう死を選択する当事者のつもりで書いている。

 老人医療政策がこのままでは介護離職で日本経済は30年にわたり大きなダメージを受け続けることになる。人口縮小と高齢化の加速は、日本経済を縮小させつつある。そうして現実を素直に認めない経済政策をいつまでも続け、成長を夢見ていると、日本経済は政府財政破綻で早晩クラッシュする。ツケは全国民の金融資産で贖(あがな)われることになるだろう。
 日本人が保有する1300兆円の金融資産なんて、夢幻のようなものであることは、基礎学力があれば簡単にわかること。そのほとんどが政府財政赤字で消えているのがまだ見えていない国民が多い。ある日突然に現実になり、誰の目にも見えることになる。

 わたしは根室高校を卒業してから、東京の大学へ進学しそのまま東京で就職した。40歳を過ぎたころから、毎年根室へ1度は帰省していた。親父もお袋も、「東京へ行って息子の世話になるつもりはない、根室の土になる、それでいい」そう言い続けた。姉と妹からも連れて行かないでと言われた。死に目に会えなくなるというのである。両親も子どもたちや孫、ひ孫に看取られての死を望んでいた。
 頼まれて常務理事として横浜の療養型病床の病院建て替えの仕事をしたことがあったので、施設介護が必要な段階になれば、300ベッド弱のその病院に入れることはできたが、姉妹と両親自身の反対であきらめざるを得なかった。
 自立して暮らせなくなれば、長男のわたしが女房を連れて根室へ戻らざるを得ない状況が生まれていた、これも運命、両親の希望と姉と妹の希望そして現実を受け入れた。

 親父は焼き肉店をやっていたときの常連客の一人であったO医院のお父さん先生に大腸癌を見つけてもらい、釧路市立病院で手術をして2年後に再発、2度目の手術は「アケトジ」、全身転移ですでに手遅れ、平成5年に市立根室病院でターミナルケアを受けてなくなった。それからお袋の一人暮らしがはじまった。
 15年ほど前に帰省して数日過ごし、東京へ戻る朝、お袋は門の外まで出てきて見送ってくれた。目から大粒の涙がこぼれていたのをみて驚いた。あんなに気丈だったお袋が、声も出さずにぼろぼろと涙をこぼしてタクシーに乗るわたしを見送っていた。あのときに根室へ戻ってこようと決心した。
 もともと、漠然と50歳を過ぎたらふるさと根室へ戻るつもりをしていたから私自身には自然な選択ではあった。人生を勉学の季節、一生懸命働く季節、世のため人のために働く季節と三つの季節に分けて考えていたから、ああ、ついに三番目の季節が訪れたのだなと思った。

 わたしに限らず、東京の生活を棄ててふるさと(の根室)へ戻って親の介護をする者は離職せざるを得ない。二重生活になるから、東京の住居を維持するのもお金のかかる話だ。管理組合に支払う管理費、東京で使う車の維持費や保険料、電話料金、NHK放送受信料、電気ガス料金、固定資産税など、毎月結構な出費になる。

 在宅介護を奨励するなら、そういう選択をしたものたちが、年老いた両親と共倒れにならぬような社会保障政策が必要であるが、そういうものはまったくなく、「自己責任」となる。
 だから、生活破綻を起こしたり、介護に疲れて子どもが親を殺すなんてことが増え続けている、問題はどんどん深刻さを増している。介護離職どころか、介護疲れ、生活破綻で、子どもが親を殺すという悲惨な事例が全国で相次いでいる。
 親の介護が必要になり、50歳くらいになってふるさとへ戻って再就職が可能な人は稀で、在宅介護は親子共倒れになりかねないリスクをはらんでいる

 迷いがなかったわけではないから、戻ってくるまで3年ほどかかった。戻って一緒に暮らすと目の前にいるお袋は年々老いていった。吹雪くと玄関前が吹き溜まりになり、引き戸が開かなくなる。外に出られなくなるので、極端に怖がった。親父が亡くなってから、一人暮らしの冬は数日外に出られないことがあったのだろう。
 数年たつころ認知症も始まった。最初は「まだらボケ」で認知症だとは気がつかなかったが、じきにレビー症候群の症状が出始め、認知症がはっきりそれとわかる形をとり始める。下(シモ)の始末も自分ではできなくなった。書くのをためらうようなことが起きる、後始末に女房には苦労をかけた。長男の女房はしんどいものだ。
 徘徊が始まると、2階で寝ていると下で歩き回る音がする。ガタン、と音がして、そのあと静かになる、心配で寝ていられない、様子を見に降りる。台所とお風呂・トイレへの通路の戸に鍵の仕掛けを取り付けた。仏間と玄関の間にも鍵を取り付けた。お袋は寝ている八畳間と仏間とトイレ・お風呂へ自由にアクセスできるから、夜中に歩き回る。最初のうちは「空けて!」と戸をドンドン叩いた。「わたしも寝るから、ここは朝まで空けられない」とその都度言っても、理解できない。台所はガスが使えるから危ない。夜中にな大きな鍋にいっぱい味噌汁を作りガスがつきっぱなしになっていたことがあった。気づいたのは夜中の2時だったが、お袋は朝だと勘違いしていた、昼夜逆転とはそういうこと。鍋いっぱいに作った味噌汁は、直に吹き零れてガスの炎を消してしまう。プロパンは重いから床にたまり、冷蔵庫のスィッチが入れば引火してしまう。そういうことがあったので、夜中は鍵をつけて閉じ込めざるを得なかった。閉じ込めるほうも辛い、理屈と感情は別物で罪悪感との戦いになる。
 鍵をつけた後は、こちらの神経が階下の物音に集中し続けてしまう。
 心配で見に行ったらベッドから抜け出し、仏間で倒れていたことがあった。一人では起き上がれず、冬だとそのまま朝まで気がつかなければ、低体温で死んでしまう。昼夜逆転で夜動き回るから、介護しているほうは寝られなくなる。仕事をしているから、眠れないと体力がどんどん奪われ、こちらが疲れ果てて死にそうになる。スキルス胃癌の手術をした後の数年間の介護は本当に命がけだった。
 結局、認知症の介護施設(北浜町のグループホーム)でお世話してもらった。たまたま空きができたのである。親身な介護でありがたかった。最後は脳梗塞を起こし、精神科の病院でお世話になって、子どもたち、孫たち、そしてひ孫に看取られながら静かに息を引き取った。永年住んだ根室で家族に看取られながら逝きたいというのは、多くの老人たちの切実な願いである

 書くと簡単なようだが、施設介護に移行するまでを繋ぐ在宅介護はほんとうに大変で、介護するほうも命がけ、そして体力的にも精神的にも追い詰められてしまう。中標津でも殺人事件が起きたし、全国各地で、在宅介護に疲れ果てて、心中する事件や殺人事件が相次いでいる。こういう現実を直視したら、「介護離職ゼロ」なんて浮世離れした戯言(たわごと)にしか聞こえない。

 根室の高校生は48年前のわたしのように、大半がふるさとを離れて進学し、戻ってこない。両親が老いれば、介護の問題が起きる。東京で居を構えていても、両親を引き取り、同居して在宅介護するほど居住スペースに余裕のある人はすくないだろう。環境が激変するとほとんどの老人は急速に老いたり、認知症(ぼけ)が進んでしまう。田舎暮らしの老人が、都会で体力を維持したり、人間関係をあらたにつくるのはほとんど困難。だから、年老いた両親を都会に呼び寄せるのも、死期を早めることと同義だから胸が痛む。根室から東京へ引っ越して最後の数年を暮らすのは、根室言葉で言うと「あずましくない(居心地が悪い)」のである。

 要介護4になると、自立は無理で、施設介護が必要になる。しかし、政府は医療費を抑制するためにこの十数年間で療養型病床群のベッド数を10万ベッドも減らしてきた。2006年には介護療養病床と医療療養病床あわせて38万ベッドあったが、政府はそれを22万にまで減らすつもりで老人医療政策を推し進めている。政権は自公連立⇒民主党⇒自公連立と変わったが、老人医療については一貫して療養病床を減らし続けた。老人人口の激増が始まっているというのに、療養型病床を激減させ、在宅介護を強いているのである。このような政策を続けるのは、いくらなんでも無理だ。
 療養病床の病院の大半が、精神科へ転換を余儀なくさせられた。医師の配置や看護婦のスキルの問題があり、療養病床の病院を総合病院へ転換するのは事実上不可能である。
 精神科は看護師の配置が少ないから、「拘束」や薬での「抑制」をせざるを得ない。それは身体の機能を一気に低下させ、認知症を加速し、死期を早める。精神病院での老人介護は50年も前に社会問題になっている。小説『恍惚の人』でそういう老人医療の現状への批判がおきた。反省を踏まえて、療養型病床群のベッド数を確保したはずだが、この十数年間、政府はベッド数を徹底的に減らして、50年前に戻してきた。「介護離職ゼロ」、どこの国の話なのか、わたしにはまるで現実感がない。

 根室には隣保院という療養型病床群の施設があった。ベッド数は75床あったが2006年に閉院して今はない。市立根室病院建て替えに当たって、職員からも要望の強かった療養病床を設計段階から排除し、根室は療養病床のない全国に稀な市となった
*「~人生の黄昏~介護保険・福祉関係速報 2nd Season 」
http://yburn.dtiblog.com/?mode=m&no=293

 「#1010 療養病床の問題:市立根室病院建て替え-084. Apr. 26, 2010」
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-04-26


 一部の自民党国会議員に受け継がれてきた健全な保守主義はどこへ行ったのだろう?こんなに極端に一方向へと流れてしまって復元能力を失った自民党は、1955年11月の保守合同で成立以来以来初めてではないか?結党以来最大の危機を迎えているといってよいだろう。
 介護離職ゼロは成長戦略と同じ運命ではないのか、安倍総理は絵空事を声高に叫ぶのがお好きのようだ。

 "介護離職ゼロ!"

 政治はしっかりした経済学を政策の背景に据えなければとんでもないものになるということ。

 出でよ、健全なる保守主義を標榜する覚悟ある政治家たち。日本のとるべき経済政策および経済学はすでに論じてあるので、下記のURLをクリックしてお読みいただきたい。


<余談:療養病床数ゼロの根室> 10/25 0時追記
 北海道の療養病床は人口100人当たり、0.55ベッドである。これをベースにして計算すると、根室の療養病床数は160ベッドとなる。実際にはゼロだから、根室の老人医療がどれほど貧困かわかるだろう。根室の老人は、家族に看取られずに、他の地域の療養型病院で亡くなる老人が増えることになる。
 家族の誰にも看取られずに死ぬのは寂しすぎる。死ぬときぐらいは、ふるさとで家族みんなに看取られるという幸せな最期を迎えさせてあげようではないか

*都道府県別療養病床数
http://todo-ran.com/t/kiji/12076



 #3097 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版) <目次>  Aug. 2, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-15

 #3121 既成経済理論での経済政策論議の限界 Sep. 1, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-09-01-1

 #3148 日本の安全保障と経済学  Oct. 1, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-01


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#3148 日本の安全保障と経済学  Oct. 1, 2015 [99. 資本論と21世紀の経済学(2版)]

 安保法制が成立したと思ったら、10月1日付で防衛省に防衛装備庁という組織が新設された。
 日本は戦後武器を輸出しない国だった。それがいとも簡単に変更されてしまったが、これも十羽一からげで安保法制に組み込まれていたのだろう。法案を一つ一つ審議せずに、山盛りにして一括方式でやるのは、ことほどさように問題がある。

<人を殺さぬ軍隊の奇跡と世界一の商道徳が風前の灯>
 自衛隊は一人も殺していない不思議な軍隊である、そのことを誇りに思う国民は多い、わたしもその中の一人である。人を殺さない軍隊なんて言葉の矛盾のようだが、ある種の奇跡であった。世界史上、63年間にわたり人殺しをしなかった軍隊がはじめて存在した、これを奇跡と言わずして何と言おう。
 もう一つ挙げたい、日本は優秀な武器生産が可能なのに武器を輸出を禁止した誇り高い国だった。
 人殺しで儲けるような生業は「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」の伝統的な商道徳に真っ向からそむくものである。商道徳の点でも日本は世界に稀な誇り高い国だった。濡れ手に粟で儲けられる分野で、優秀な製品を作りうるのにそういうビジネスに手を染めなかった。その商道徳の高さはダントツに世界一。過去形で書かなければならないのが口惜しい。
 安倍総理に言いたい、日本が米国の真似をするのではなく、米国が日本の商道徳を学び、日本の真似をすべきだと。
 宗教と戦争とお金儲けの業が深すぎて米国は日本にはなかなか学べない。米国とイスラエルは宗教と戦争とお金儲けへの執着を滅することができない。

<平和の党の議員は、仏道の根本(=執着の滅尽)に還れ>
 防衛装備庁は武器の調達だけでなく、開発と世界市場に売り込みをするという。自衛隊が、武器製造企業の営業機能を受けもつというのだから、びっくりする。こんなに大きな変更が、まともな議論なしに国会を通った。自民党と公明党、とりわけ平和の党だった公明党の責任は重い。
 平和の党だったと過去形で書かなければならないのが残念である。権力の甘い蜜を吸ってしまったら、執着が生まれ離れがたくなる。執着が生まれれば権力を手放すことに苦が生まれる。執着を滅すれば権力を手放すことによって生ずる苦も滅尽する。執着を離れることはお釈迦様が説いた仏道の根本部分である。公明党議員諸氏よ、仏道の根本に還り、執着を滅する修行に励め。

<防衛庁調達ビジネスの実態>
 防衛庁の武器調達に関してはわたしは実務の現場を見ている。産業用・軍事用エレクトロニクスの専門輸入商社に29歳から34歳までの5年いた。経営分析、経営改革、省力化と利益増大そして為替管理および納期管理のためのシステム開発、統合システム開発、長期計画立案、年度予算編成および管理などの仕事をして、仕事の腕を磨くチャンスをたっぷりといただいた。社長の片腕だったといってよいだろう。
 その輸入商社では、直接防衛庁へ納品するものと国内大手電気メーカ経由で最終ユーザ防衛庁である売上を合わせると年間売り上げの半分を少し超えた。
 経験の知らしむるところは、防衛装備庁ができても調達コストは下がらないということ。
 調達先の商社や国内製造メーカには必ず防衛庁OBが何人も天下っており、彼らが防衛庁との取引を仕切っている。
 輸入に関していうと、米国にダミー会社を設立して、そこを通して輸入書類をつくり、大幅なマークアップをする。納入価格は実際の輸入価格の10倍になることもあるから、そうじて防衛庁調達製品の利益率は高い。特定営業部(ユーザは防衛庁)の売上総利益率は40%を超えていた。天下りを受け入れてもお釣りがくるほど採算がよい。10倍にマークアップしても書類がそろっていればOK。もちろん、防衛庁の調達担当部門が米国へ出張してメーカへ直接価格調査がなされるが、それも天下った人たちが付き添っていくから、何も問題は起きない。防衛庁自身が行う検査はまったくの有名無実であった。
 天下り先の確保は人事上の重要事項だから、現役が天下り先の先輩諸氏に口出しできるはずがない、すぐに自分の番が回ってくるのである。余計なことを言えば、自分の再就職先はなくなる。50歳前後で退職してから20年間ほどのうまみのある生活が待っているから、それを反故にする者などいやしない。退職後の安逸な生活を棄て去るほどの気骨のある者がいないということ。防衛庁幹部職員に国を守る気概が本当にあるのだろうかと当時は疑問に思った。
 あるときに心配で、防衛庁担当のS山部長に「ちょっとやりすぎでは?」と訊いたら、「いや、何にも心配要らない、僕らがいるから大丈夫だ」、「現地調査のほうは?」、「それも心配要らない、同行するから」、そうおっしゃっていた。とっくに故人だから、書いてもいいだろう。安くてうまい鮨屋があると築地の銀寿司に連れて行ってくれた。血圧の高い人で190あると言っていた。ある日の朝、本社のあった人形町駅出口で一緒になったが、降圧剤のせいで血圧が下がりすぎて今日はすこし気分が悪いとおっしゃった。その午後の日中に、昼飯を食べるために上野界隈を歩いていて倒れ、そのまま逝った。暑い日だった。やせぎす、お酒が好きで陽気だったS山部長。
 防衛予算は3割は削れるのだろう、だがそうしたら幹部職員の天下り先の大半がなくなるから、やるはずがない、幹部職員には天下り先での美味しい生活がまっている。どこの官庁だって似たようなもの。防衛庁出身のF田取締役は工業英語が堪能で、お酒が好きで気さく、中途入社のわたしにいろんなことを教えてくれた。この人も、定年前に急逝した。
 管理部には部長職で陸軍中野学校出身者がいた。米国のある軍事メーカーに強力なコネがあった。昼飯を食べながら中国への潜入時の話を何度か聞かせてくれたが、どういう関係で米国の軍事メーカにコネがあるのかは、ついに話してくれなかった。訊いたら話してくれたかもしれない。S木部長は戦後、GHQとどこかでつながりがあったはず。コネのあったのはウォータゲート事件で盗聴に使われたレシーバを生産していたメーカ、記憶にいささか自信がない、Watkins Johnson社のRecon devisionという名称を記憶している。陸軍中野学校出身者と米国諜報機器メーカをつなぐ糸があったということ、当時訊いておいて追跡調査・取材したら面白い小説が書けたかも。

<急進主義の安倍政権>
 安倍総理は「美しい国、日本」などと嘯(うそぶ)くが、その政権は実際には穏健なる保守主義ではなく急進主義(過激派)である。口から出る美辞麗句とは裏腹に、数百年間守り洗練してきた世界最高の商道徳を根こそぎにしつつある。日本の伝統的価値観の破壊者となった。
 わたしは、この国には伝統的価値や文化を守る健全な保守主義政党が育つことが望ましいと思っている。自民党の国会議員諸君に急進主義者(過激派)は少ないだろう、健全な保守主義を志向するグループが名乗りを上げて、内部改革をしてもらいたい。どんどんキナ臭いほうに法律が整備されていく、そろそろストップをかけないと取り返しがつかないところまで行ってしまう気がし始めた。

 特定秘密保護法案が昨年成立し、今年安保法制(まとめて)が衆参両議院で承認された。

*http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/opinion/report/data/2015/opinion_150618.pdf
--------------------------------------------
政府は2015年5月14日,平和安全法制整備法案(略称。以下法律及び法律案の題名の略称については別紙参照。)及び国際平和支援法案(この両法案を総称して,以下「安保法制改定法案」又は「本法案」という。)を閣議決定し,翌15日国会に提出した。前者は自衛隊法,武力攻撃事態対処法,周辺事態法,周辺事態船舶検査活動法,国連平和維持活動協力法など10件の防衛関係法を改正するものである。そして後者はいわゆる自衛隊海外派遣恒久法案である。
--------------------------------------------

<ベトナムで米国の戦争に加担した狂気の韓国軍>
 いままでは、憲法九条を盾にして、海外派兵を断り続けてきたが、米国は一緒に戦ってほしいと思っている。ベトナム戦争では、憲法九条をもたない韓国が米国に追従して派兵し、ベトナム人をたくさん殺した。9000人の村民を虐殺したとされている。米国がベトナム戦争に負けて引き揚げた後には韓国人とベトナム人の万人を超える(5000人~30000人まで諸説ある)混血(ライダハン)が残され、敵の子どもとして迫害された。韓国軍兵士がベトナムの女性を強姦して生まれた子ども、現地婚による子ども、慰安婦たちが生んだ子どもたちである。
 戦争は狂気である、日本の自衛隊はそうはなってほしくない。米国についていけば、ベトナム戦争時の韓国のようなことにいつかなりかねない。自衛隊員の家族にとっても深刻な問題となる。

<軍需産業依存の経済構造をつってはならぬ>
 米国はいつもどこかで戦争をしている国である。軍需産業が大きすぎて、戦争をして武器を消費しないと景気が悪くなる、そういう経済構造の国。
 団塊世代が大学生の時代にベトナム反戦運動が起きた。あのときにこの安保法制があったら、日本政府は海外派兵を断れただろうか?

<アベノミクスの成長戦略の正体>
 安倍総理の三本の矢の一番肝心なもの、成長戦略はすがたも形もない。苦し紛れに出してきたのが、武器輸出三原則を棄て、武器輸出を奨励して経済成長をするというシナリオである。武器輸出三原則の一つに「紛争当事国への武器輸出禁止」がある。これは実質的に武器の輸出全面禁止である。
 わたしは紛争当事国へ武器輸出をして濡れ手に粟で儲けるという経済成長はノーである。米国のような軍需産業が大きな割合を占める経済構造の国にはしてもらいたくない。巨大な軍需産業がGDPの一角を占めるようになれば、戦争をすることが景気対策になってしまう。軍需産業の肥大化は日本を米国に似た軍需産業依存の経済構造に造り替えてしまう。
 日本が目指すべきは米国ではない。安倍政権は新三本の矢の第一に、GDP600兆円を掲げた、その柱が武器輸出である。

<千年間続いている宗教戦争に日本はかかわるな>
 キリスト教徒とイスラム教徒とユダヤ教徒は千年間も戦争を繰り返してきた。今後もやむことはない。その渦中に、米国のお友達として日本が参加すべきではない。どれだけ経済的な不利益を被ろうとも、日本はどこまでも部外者でいるべき。

<軍事と経済の米国依存からの痛みを伴う脱却>
 強い国家を中心とする集団防衛という構想は棄てよう、自分の国は自分たちで守る覚悟をもとう。米国を当てにしないことだ。TPPは米国中心のブロック経済だが、安保法制も米国中心のブロック安全保障だ。どちらも悪である。ブロック経済で日本は締め出され、大東亜戦争へと追い込まれた。強いものを中心とするブロック経済は敵(かたき)である。
 米国はいつでも米国の利害で動く、日本も日本の国益を考えて動けばいい。日本は痛みを伴っても、米国依存から脱却すべきだ。

<自立型経済システムの創造と正規雇用確保:人類への日本の貢献>
 強い管理貿易に移行して、国内に生産拠点を取り戻し、若者に正規雇用の職を保障しよう。職人中心経済へ舵を切ろう。
 マルクス『資本論』を超える21世紀の経済学の枠組みはカテゴリー「資本論と21世紀の経済学」で明らかにした。
 職人中心の経済社会を建設して、世界に範を示せばよい。そして、そのシステムを輸出すればいい。先進国にはグローバル市場を失うという痛みを伴うが、多くの発展途上国にはその国の言語や伝統文化を維持して経済的に自立できる道が拓ける。
 大東亜戦争が日本の敗戦に終わったが、その後にインドを含むアジア諸国が、白人の帝国主義から次々と独立を果たした。日本は職人中心の経済社会を創ることで、もう一度人類に貢献できる。20世紀と21世紀は日本が世界に大きな貢献をなすべき世紀である。さあ、坦々となすべきことをなそう。


*#195「少し過激な北方領土返還論」MIRV(多核弾道ミサイル)開発・組立・解体ショー
ロシアをぎゃふんといわせ北方領土を返還させるための具体論
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-06-07



*#3121 既成経済理論での経済政策論議の限界 Sep. 1, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-09-01-1

 #3097 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版) <目次>  Aug. 2, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-15


『資本論と21世紀の経済学』 <目次>

       3097-0 ↓
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-02 

    序   2

       3097-1 ↓
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-02-2

Ⅰ. 学の体系としての経済学      6

1. <デカルト/科学の方法四つの規則とユークリッド『原論』> …6
2.<体系構成法の視点から見たユークリッド『原論』> …8
3.<マルクスが『資本論』で何をやりつつあったかを読み解く> …10
4.<資本論体系構成の特異性とプルードン「系列の弁証法」> …11
5. <労働観と仕事観:過去⇒現在⇒未来> …13
 
       3097-2 ↓
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-02-1

6.
<公理系書き換えによる21世紀の経済学の創造> …14 
 ○ 資本論の公理系の析出
 
 ○ 公理系書き換えによる新しい経済学の創出
7. <経済学体系構成原理は四つ> …19           
8. <『資本論』の章別編成> …20
9. <マルクス著作の出版年表> …21

       3097-3 ↓
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-02-3


Ⅱ.第1の公理を巡って:マルクスの労働観と日本人の仕事観 
 …23

10. <対極にあるもの:ヨーロッパの労働観⇔日本の仕事観> …24
11. <日本人の仕事観:仕事が楽しい!> …25
12. 民間企業では仕事の要領の悪い者ほど「忙しい」とぼやく> …32
13. <労働者ではなく「教育の職人」としての誇り> …33

       3097-4 ↓
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-03



. 経済学とは何か   35

14. <経済現象と日本> …35
15. <円安はいいことか?:80120/$の威力>  36
16. <経済学の定義> …40


       3097-5 ↓
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-03-1


Ⅳ.日本経済の現状と人類の未来(人口減少と高齢化を見据えて)45

17. <人口統計から見える未来>…45
18. <「経済成長の天井」:日本総研山田久調査部長の論> …48
19. <馬場宏二「過剰富裕化論」> …52


       3097-6 ↓
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-04


20.
<相対的貧困率上昇と金融資産1億円超の富裕層増大> …55
21. <『21世紀の資本』トマ・ピケティの空想的所得再分配論> …56
22. 2015年度政府予算案と公共性あるいは公益性について> …61 
23. <村落共同体と税:自由民と農奴について> …63


       3097-7 ↓
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-04-1


24.
<文部科学大臣下村博文「教育再生案」について> …67
25.<人工知能の開発が人類滅亡をもたらす:ホーキング博士> 69


       3097-8 ↓
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-05-1

26.
<利便性の追求の果に何があるのか> …70
27.<外国人持ち株比率3割の意味するもの(金子勝慶応大学教授)> …75


       3097-9 ↓
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-05



28. <安保法制と日本の軍需産業と成長路線は一体のもの:東野圭吾著『禁断の魔術から>…77

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       3097-10 ↓
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-04-3



(注-1)「コンピュータとネットワークと機械の新産業革命:ロボット工場はすでに現実」…82

(注-2「生産性向上事例」)…83
(注-3「総合偏差値による経営分析システム:5つのディメンション(指標群)と27指標」…86
(注-4「財政破綻と公務員制度改革」)…87
(注-5「民間企業の生産性向上の実例」)…87 
(注-6「繰延税金資産について」)…88
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#3121 既成経済理論での経済政策論議の限界 Sep. 1, 2015 [99. 資本論と21世紀の経済学(2版)]

 米国経済が好調なのかどうか、なにをもって好調と判断するのかという判断基準が問われます。米国では経済格差が拡大し人口の3%の富裕層に富の半分以上が集中しています。
*ロイター 2014年9月5日「米国の所得格差が金融危機で拡大、富は上位3%に集中=FRB 」
http://jp.reuters.com/article/2014/09/04/us-frb-wealth-idJPKBN0GZ2O420140904
------------------------------------------------
「2010━2013年の期間に、米国の家計所得(インフレ調整後)は平均でおよそ4%増加したものの、所得の伸びは富裕層に集中した。上位3%の富裕層が所得全体に占める割合は30.5%だった。」
「また家計純資産の保有状況ではさらに格差が拡大。上位3%の富裕層が全体に占める割合は、1989年の44.8%、2007年の51.8%から2013年には54.4%に上昇した。」
------------------------------------------------

 日本経済が好調だと安倍政権とその周辺の経済ブレーンは言います。大企業の税引き後利益ととその社員の所得水準は立ちかに上がっていますが、並行して一人当たり国民所得が何年にもわたって減少し、非正規雇用が増えて経済格差が広がっている現状があります。中小零細企業やそこで働く人々へのトリクルダウンは起きていません。一部の人々の富裕化と大多数の人々の貧困化過程が同時進行して、経済格差が拡大しています。それだけではありません、政府の借金は1000兆円を超えて、さらに拡大を続けています。プライマリーバランスの回復は際限なく先送りされています。

 中国は400兆円もの設備過剰があるといわれはじめました。設備にあわせて生産を拡大したいのでしょうが、コスト面と品質面でミャンマーやベトナム、インドと競合しはじめ、生産拠点が中国からこれらの国々へ移りつつあります。いずれアフリカへ移るのでしょう。そこでどん詰まりとなります。

 さまざまな経済発展段階にある国の利害は一致しません。片方の利益がもう一方の損失につながります。変数が多すぎて既成経済理論のどれをもってきても利害の調整ができなくなっているのでしょう。
 米国と日本と中国で共通に起きている現象は、経済格差の拡大です。ピケティは『21世紀の資本』で所得分配の仕組みを変えることで経済格差縮小を提言しました。経済格差拡大の原因には手をつけずに、資産税による所得再分配を試みるものです。とうぜん既成の支配勢力の猛反発を招きますから、わたしには空想的経済政策論に見えます。蛇口を閉めずに、あふれ出る水をふき取る努力だけでなんとかしようというのですから、実証研究としてのデータの取り扱いには感心しますが、その所得再分配提言については疑問符をつけざるを得ません。

 そういうわけで新しい経済理論の出現が必要な時代に人類は到達してしまったのです。我田引水ですが、「資本論と21世紀の経済学」をご覧ください。日本に現代の資本主義社会を覆す、職人仕事をベースとした穏やかな経済理論が誕生しました。軍需産業が縮小される以外に、だれも犠牲になる必要はありません。仕事に関する価値観を転換して穏やかに経済社会の仕組みを変えましょう。まじめに働けば人並みの生活が保障される経済社会、職人仕事をベースにした経済社会では上位3%に富の半分が集中するようなことは起きません、経済格差を縮小できます。

 論文は四百字詰め原稿用紙で450枚ほどです。

*#3097 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版) <目次>  Aug. 2, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-15


<参考資料>
**「トップ5%と下位20%、アメリカの所得格差はこう変わった」
http://blogos.com/article/108380/
-------------------------------

2013年時点で、全米で上位5%の平均年収は20万234ドル(約2428万円)でした。下位20%の年収が2万1433ドル(約257万円)ですから、上位5%の年収は9.3倍に達します。2012年の9.1倍から、じわり格差が広がっていました。

全米50都市別では、一段と拡大しています。トップ5%の平均年収22万1700ドル(約2660万円)に対し、下位20%が1万9143ドル(約230万円)。格差は実に11.6倍に及び、2012年の11.4倍を上回っていました。
-------------------------------

***「所得格差はほんとうに拡大しているのか?改めて考える。」
http://blogos.com/article/105431/
-------------------------------
・・・所得データを見る時は、当初所得か再配分後所得後データか、また世帯所得か等価所得かの違いに注意しなくてはならないからだ。どのデータであるかによって見える姿はとても違ってくる。
・・・3年毎に実施されている政府(厚生労働省)の「所得再配分調査」が報告している。

http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001024668

最新の同報告書は平成23年(2011年)のもので、それによると等価当初所得と等価再配分所得のジニ係数の推移は次の通りだ。

     等価当初所得  等価再配分所得
1999   0.4075      0.3326
2002    0.4194              0.3217
2005    0.4354               0.3225
2008    0.4539               0.3192
2011    0.4703               0.3162

ご覧の通り、等価当初所得でみるとジニ係数は上昇し格差拡大を示しているが、等価再配分所得で見るとジニ係数は若干ながら低下し、格差の縮小を示している。 大雑把に言うと、これは高齢化によって老齢年金や医療給付などを受ける人口比率が増えたことが主たる要因であると検証、分析されている。

つまり人口に占める高齢者比率が増えると、多くは所得がないので、同世代間の格差は不変でも当初所得の格差は拡大する。 ただし高齢者は公的年金や医療給付の受け取り手なので、所得再配分後では格差は縮小する。

-------------------------------

 等価当初所得をベースとしたジニ係数から言えることは、現役世代の所得格差がこの12年間で急拡大しつつあるということだ。それは非正規雇用比率の拡大と強い正の相関関係があるようにみえる。

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#3097 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版) <目次>  Aug. 2, 2015  [99. 資本論と21世紀の経済学(2版)]

 経済学に関するあらゆる先入見を棄て『資本論』や『経済学批判要綱』を読んで考え続けた。そして、古典派経済学と『資本論』の公理・公準を析出することになった。
 ユークリッド『原論』と同じように経済学にも公理・公準がある、ヒルベルトがユークリッド幾何学の公理から平行線公理を外すことで、非ユークリッド幾何学(=球面幾何学)を創りあげたように、マルクス『資本論』の第一公理である「労働=苦役」を「日本の職人仕事」に置き換えることで、西洋経済学とはまったく別の経済学を創りうることを示した。
 資本主義経済はいまだに成長を続けており、コンピュータとネットワークの進化の時代を迎えて質的な変容を遂げつつある。わたしはそれを第2次産業革命の時代と呼ぶ。おおよそあと百年足らずで、コンピュータの性能は現在の2億倍となり、超小型の人工知能が出現する。単純労働のみならず知的労働も、あらゆる産業現場に低コストの人工知能を搭載したさまざまなタイプのロボットが導入され、人間に取って代わる。
 人工知能は自己を再設計し、再プログラミングして無限の進化を始める。そういう世界には人間が存在する意味がない。人間が古く性能の劣った製品を棄てるように、いつか人工知能が性能が劣りコストのかかる人間を排除するようになる。そうした懸念を抱くのはわたしだけではない、理論物理学者であるホーキンス博士も人工知能の進化による人類の滅亡リスクに言及している。
 わたしは従来の『資本論』解釈とはまったく異なる理解を簡単に述べ、現在の資本主義経済の第一公理を日本的仕事観に置き換えることで、人類を救う21世紀の経済学を記述した。本物かどうかは、それぞれの読者の判断に委ねたい。20年くらいのうちに経済システムを根底から変えないと、人類は後戻りできない道へ踏み込むことになるだろう。
 これは、団塊世代の一人が子どもや孫たちのために書き残す21世紀の経済学である。


 『資本論と21世紀の経済学』 <目次>

       3097-0 ↓
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-02 

    序   2

       3097-1 ↓
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Ⅰ. 学の体系としての経済学      6

1. <デカルト/科学の方法四つの規則とユークリッド『原論』> …6
2.<体系構成法の視点から見たユークリッド『原論』> …8
3.<マルクスが『資本論』で何をやりつつあったかを読み解く> …10
4.<資本論体系構成の特異性とプルードン「系列の弁証法」> …11
5. <労働観と仕事観:過去⇒現在⇒未来> …13
 
       3097-2 ↓
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-02-1

6.
<公理系書き換えによる21世紀の経済学の創造> …14 
 ○ 資本論の公理系の析出
 
 ○ 公理系書き換えによる新しい経済学の創出
7. <経済学体系構成原理は四つ> …19           
8. <『資本論』の章別編成> …20
9. <マルクス著作の出版年表> …21

       3097-3 ↓
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Ⅱ.第1の公理を巡って:マルクスの労働観と日本人の仕事観 
 …23

10. <対極にあるもの:ヨーロッパの労働観⇔日本の仕事観> …24
11. <日本人の仕事観:仕事が楽しい!> …25
12. 民間企業では仕事の要領の悪い者ほど「忙しい」とぼやく> …32
13. <労働者ではなく「教育の職人」としての誇り> …33

       3097-4 ↓
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. 経済学とは何か   35

14. <経済現象と日本> …35
15. <円安はいいことか?:80120/$の威力>  36
16. <経済学の定義> …40


       3097-5 ↓
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Ⅳ.日本経済の現状と人類の未来(人口減少と高齢化を見据えて)45

17. <人口統計から見える未来>…45
18. <「経済成長の天井」:日本総研山田久調査部長の論> …48
19. <馬場宏二「過剰富裕化論」> …52


       3097-6 ↓
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-04


20.
<相対的貧困率上昇と金融資産1億円超の富裕層増大> …55
21. <『21世紀の資本』トマ・ピケティの空想的所得再分配論> …56
22. 2015年度政府予算案と公共性あるいは公益性について> …61 
23. <村落共同体と税:自由民と農奴について> …63


       3097-7 ↓
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24.
<文部科学大臣下村博文「教育再生案」について> …67
25.<人工知能の開発が人類滅亡をもたらす:ホーキング博士> 69


       3097-8 ↓
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-05-1

26.
<利便性の追求の果に何があるのか> …70
27.<外国人持ち株比率3割の意味するもの(金子勝慶応大学教授)> …75


       3097-9 ↓
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28. <安保法制と日本の軍需産業と成長路線は一体のもの:東野圭吾著『禁断の魔術から>…77

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       3097-10 ↓
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(注-1)「コンピュータとネットワークと機械の新産業革命:ロボット工場はすでに現実」…82

(注-2「生産性向上事例」)…83
(注-3「総合偏差値による経営分析システム:5つのディメンション(指標群)と27指標」…86
(注-4「財政破綻と公務員制度改革」)…87
(注-5「民間企業の生産性向上の実例」)…87 
(注-6「繰延税金資産について」)…88
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 #969 日本人の矜持(2):経済学への示唆  Mar.23, 2010
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-03-23


  #2784 百年後のコンピュータの性能と人類への脅威  Aug. 22, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-08-22


 #3121 既成経済理論での経済政策論議の限界 Sep. 1, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-09-01-1

 #3148 日本の安全保障と経済学  Oct. 1, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-01

 #3162 絵空事の介護離職ゼロ:健全な保守主義はどこへ? Oct, 24, 2015 
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 #3213 グローバリズムを生物多様性の世界からながめる(Aさんの問い) Dec.28, 2015 
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  #3215 ライフワークに手を染めた2015年:『資本論』を超えて  Dec. 31, 2015
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  #3216 諸悪莫作(しょあくまくさ)  Jan. 3, 2016

 #3217 日本の商道徳と原始仏教経典 Jan. 7, 2016 

 #3231 日本人の労働観の特異性と新しい経済学の創造 渡部昇一氏の論 Feb. 7, 2016 
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#3097-10 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版)-10  Aug. 4, 2015 [99. 資本論と21世紀の経済学(2版)]

#3097 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版)<目次>  Aug. 2, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-15


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*-1 【コンピュータとネットワークと機械の新産業革命:ロボット工場はすでに現実】
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生産性の飛躍的増大が生産力を生態系の限界を超えて増大させるという論点を拾い上げてみたい。
 
18世紀の第一次産業革命は工場制機械工業による相対的剰余価値の飛躍的拡大期だった。工場生産に機械を導入することで、工場制手工業に比べて生産性が数十倍にあがった。だから、資本主義の王道は、労働強度を増加させることではなく、生産性を上げることにある。生産性を上げる智慧のない企業が、それを補うために労働強度を増大させざるをえなくなるが、労働強度を増大させることで利潤を増やすような企業は、生産性を飛躍的に高める企業との競争に勝てるわけがない。原始蓄積段階ばかりでなく現代日本においても、そういう企業はブラック企業という烙印を押されるおまけまでついて淘汰されていく。
 
いま資本の原始蓄積過程を研究したければ中国やインドへ行けばいい。資本の原始蓄積と賃金高騰を観察することができる。あまり上がりすぎれば、工場は中国の外、ベトナム・タイ・ミャンマーへ逃げていく。
 
私は1980年代後半に日本最大の臨床検査ラボで購買課機器担当をしていたことがあり、仕事で精工舎の腕時計組み立てラインを見学させていただいたことがある。それほど広くない工場建物内には5ラインほどあり、一つのラインにはアーム型ロボット十数台とパーツフィーダが並んでいた。見学したときには組み立てラインには人がいなかった。驚いたのは、違う種類の腕時計が殆どロスタイムなしに切り替えられ、自動的に組み立てられていたこと。あの当時のコンピュータの性能はパソコンがようやく業務で使えるような性能になった程度で、工場内の機器制御には高性能ミニコンが使われていた時代である。ミニコンのトップメーカはDECだった。84年ころで15000万円、90年ころには64ビットのミニコンが10002000万円程度まで値下がりしていた。現在は当時のミニコンよりも性能のよいパソコンが10万円で手に入る。1980年代のネットワークは通信速度が遅くて、画像データのやり取りはまだできなかった。パソコンの性能が飛躍的に改善されて、90年代前半にあっという間に汎用大型機が駆逐されてしまった。パソコンを数十台つないでハードディスクはレイドアレイ方式にして並列処理すれば大型汎用機がやっていた仕事は難なくできてしまった。ラックに数十台マウントできるから、一部が故障しても安いからすぐに交換できた。バックアップに同じ台数のパソコンとハードディスクを用意しても、10億円の大型汎用機に比べたらただみたいなものだった。ネットワークも専用線を引かなくてすむようになり、光回線で画像データのやり取りが全国どこでもやれるようになった。そして2000年になってからクラウドコンピューティングが普及しだし、ビッグデータ利用がはじまっている。
 
機械とコンピュータとインターネットがソフトウェアを介してつながり、相乗作用で飛躍的に総合的な性能アップが始まり、第二次産業革命がいま進行中である。巨大な生産手段を持たなくても巨大企業になるチャンスの時代が40年前にはじまっている。マイクロソフト、インテル、アップル、グーグル、フェイスブック、楽天、ライブドアなどがそうした環境で生まれ、育ち、巨大化してきた。
 
工場部門のみならず、事務部門ですらも機械とコンピュータとインターネットが融合して、精度と生産性が同時に飛躍的に高めることのできるインフラが揃っているさまざまな産業分野の工場生産や事務部門の人的生産性を、精度を飛躍的にあげると同時に数十倍に高めることが可能な時代に突入した18世紀英国で起きた第一次産業革命がそうであったように、生産性が飛躍的に高まることで、相対的剰余価値が加速的に拡大し、資本蓄積が昂進する。コンビニや外食産業では週次決算どころか日次決算が普通になっているが、これはもう手計算では不可能な世界である。
 
生産性が飛躍的に高まるということは生産力が飛躍的に高まるということでもあり、他方で生産力が人類の生存環境を破壊しかねないほど強大になる時代に入ったということでもある
 
もう一つの脅威は生産性の向上そのものにある。生産性とはパーヘッド当たり(一人当たり)の生産力の大きさで現される。過去30年間の速度でコンピュータの演算速度とメモリーの集積度が上がっていけば、百年後には現在の2億倍の性能になり、5cmのキューブ型人工知能数台で、現在世界中にあるコンピュータを代替可能な時代が来る。このまま経済成長を追い求めれば、生産の現場に人間が邪魔になる時代がもうじき来てしまう。
 
人間や資本の欲望のままに生産力増大をさせてはいけない時代にすでに突入してしまったと言ってよい。
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*-2 【日本の工場部門と事務部門における「改善」と生産性向上】
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 マルクスが想定したようなタイプの単純労働は日本の生産現場にはほとんどみられない。工場労働者ですら、自分の工場の生産工程改善を自らの意志と考えで行う自由が許容されている。そういうことがいつでも保障されているのが日本の生産現場である。自主活動の典型である、5S運動は殆どの生産現場でなされている。
 欧米の企業ではありえないことが、日本の企業の製造現場では普通になされていることがある。それが日本企業の大きな強みになっているから説明しておきたい。
 
一つ事例を挙げてみる。わたしが勤務していた国内最大手の臨床検査会社の八王子ラボでは、そこで働く社員が自分で研究テーマを立ち上げて、それが所定の社内手続きをへて承認されると、申請した予算が割り付けられて自分の研究や新規検査項目の開発が自由にできた。もちろん、自分が受け持っているルーチンをきちんとこなして、余った時間あるいは残業してトライするのである。残業はもちろん上司によって認められていた。研究部や開発部があるのだが、開発部は製薬メーカと検査試薬の共同開発がメインの仕事であり、新しい検査試薬が開発されたら、それが新規の臨床検査項目になるのである。わたしが学術開発本部に在籍していた1990年前後の開発部のメンバーは5名、ひとつの案件に2年~3年かかるので、商品になる共同開発件数は年間数項目に過ぎない。
 研究部は統計解析を担当しているチームとそれ以外のチームがあったが、新規項目開発に関して大きな役割を果たしていたとはいえない。1990年前後は多変量解析のニーズが大きくなっていた。出生前診断項目のMoM値がその典型だった。基準値設定作業に多変量解析が必要だから、それは研究部にいる応用生物統計の専門家たち以外にはできる者がいなかった。研究部はマイナス150度の冷凍庫を2台もっていたから、ルーチン部門ではできないようなものを扱っていたのだと思う。1990年当時の話だがマイナス80度の冷凍庫はラボ内に60台以上あり、そのほとんどがルーチン検査部門だった。一番多かったのは治験検査受託に関する検体保存だろう。患者は亡くなっても、手術で摘出した臓器や採取した血液がなどの数万人分の検体がマイナス80度の冷凍庫で冬眠状態になり生きている。遅い時間まで仕事していると、音がしたり、人の気配がする。御祓いをしてもらったことがあるが、霊能の強いお坊さんが、「ウワー,
」と叫んだことがあった。強すぎて、自分には無理だとおっしゃったと聞いた。他には誰もいないのに話し声がしたり、人の気配がするだけだから、多少気味の悪いことはあるが慣れたらなんでもない。霊感の強い人だけ気配を感じることがあるらしい。夜9時ころまで用事があって10台ほど冷凍庫が並んだ部屋で仕事をしたことがあったが、何もおきなかった。時間が早すぎたか、わたしが霊的気配に鈍感なのかどちらだろう?
 話が横道にそれたが、新規項目の開発は、開発部や研究部が主体ではなく、ルーチン検査部門が主体となっていた。


 私は東証Ⅱ部上場準備要因として中途採用された5人の中の一人だった。入社してすぐに事務系統合システム開発の会計情報システムと各サブシステムとのインターフェイス開発を担当し翌年には全社予算編成統括管理も担当した。予算編成を2回やってから、ひょんなことから八王子ラボへ異動になって検査機器の購買を担当した。全社予算編成の統括をした社員が、購買課への異動なんてありえないことだが、利益増大のために材料費削減が問題となり、購買課に任せていては埒が明かないと管理部門担当役員が判断、言いだしっぺのわたしを臨時の応援部隊として派遣した。1ヶ月余の交渉で材料費が10億円強下がったら、そのまま異動になった。上場準備用につくったシステムも
手直しすべき点が少なからずあったので、社内にはほかにできるものがいなかったのである。仕事の成果が出すぎると、こういう思いがけないことになる。もともとの目的は一月半の値下げ交渉応援だったが毎年材料費を下げるということが、利益増大のための戦略項目になってしまった。メインの業務を何にしようかということになり、機器と購買管理システムのメンテナンスと、ついでに手直しということになった。担当産業用エレクトロニクス輸入商社で、マイクロは計測器の他に液体シンチレーションカウンタ、質量分析器などの理化学機器を扱っていたので、さまざまなタイプの臨床検査機器を理解するのは簡単だった。機器の制御系とインターフェイスが産業用理化学機器に比べてずいぶんとちゃっちくて遅れていたのである。だから、メーカとの共同開発についても専門的な判断ができたから、特別なことはなかった。だから、メーカとの共同開発についても専門的な判断ができたから、特別なことはなかった。軍事用・産業用エレクトロニクスの輸入商社での5年間にわたる世界最先端の製品に関する社内勉強会で、国内最大の臨床検査会社のラボの機器管理に必要な専門知識くらいはしっかり身についていた。どんな仕事でも、やる機械があったら全力でやっておくのがいい。次にとんな職場を用意してくれるかは天がちゃんと決めてくれるから、先のことについてあれこれと何も考える必要はない。

 機器の購入を通じてラボ内にネットワークができていったから、だれがどんな研究テーマをもっているか耳に入るようになったし、それぞれ本人とも話をする機会が増えた。ラボの予算はラボ管理部が統括して本社経理部の予算編成担当とネゴすることになるのだが、その本社でラボ管理部の予算を決めていたのが私だったから、予算が取れないで困っている有望な研究テーマには必要な機器購入予算を認めるように簡単に話がつけられた。当時は300億円ほどの売上で、売上高経常利益率が12%あったから、経常利益が毎期30億円を超えていた。実効税率を38%としても税金の支払いを少し減らして将来の新規商品開発のための高額機器を手当てしたほうが会社の成長に役立つ。経理担当取締役のI本さんに話は通しておくからと言うと、通らない案件はなかった。I本さんとは馬があった。本社もラボにそういうコネクションがほしかったのである。新規商品の開発につながりそうな研究に積極的に予算をつけたいが、ラボ管理部を通して案件が上がってくるのでわからないのである。あの会社は特別だったかもしれないが、利益率が高ければ日本ではどこの会社でも似たようなことが可能だろう。
 会社は縄文時代以来続いている村落共同体(惣)の焼き直しなのだろう。集団生活の中ではその成員としての義務があり、それを果たしていれば平社員でもかなりの自由が認められる。生産現場で工程改善を行うのは楽しいものだ。創意工夫していいのである。創意工夫は遊びでもあり仕事でもあるから、境目がはっきりしない。夢中になって心の底から楽しんでいる人にとって仕事は歓び以外のなにものでもない。業種を変えて転職を繰り返しながら、本社管理部門や学術開発本部での事務仕事においてわたしはそういう仕事のやりかたをしてきた。だから、自由が保障されているのは工場だけではない、本社管理部門でも同じであると言い切れる
 たとえば、産業用エレクトロニクスの輸入商社で、
1979年:「円安になると赤字になるが、これを回避する仕組み・方法がなにかないか」、
1980
年:「営業事務の省力化と粗利益率を上げるために、受注算管理および為替管理システムと円定価システムを開発する」(実際に売上高粗利益率が15ポイントアップ(28%⇒43%)し、利益がジャブジャブ出て、利益の額は店頭公開要件を軽くクリアしてしまった)
1983年:「それらのシステムを会計情報システムと連動させて、総合情報システム開発を担当」(輸入商社)
1984年1月末で産業用エレクトロニクス輸入商社を退しリクルート社の就職斡旋システムを利用、SPI試験を受けて7段階・最上位の偏差値をたたき出し、条件のよい10社ほどのファイルの中から有望な企業を選び、2月初旬にSRL社へ就職。5年間の売上増加率が毎年20%、売上高経常利益率が12%の超優良企業だった。東証Ⅱ部上場のための要員として採用。5人採用されたの中の最後の一人だった、ついていた。

1984年:東証Ⅱ部上場のための統合会計情報システム開発
1991年:「100人の従業員のままで、3倍の業務量がいままでよりも楽にこなせるように実務設計をして、それにあわせて業務系システムと検査システム再構築し、高収益企業への転換を図る」
1996999月:「赤字部門を出し合って設立する合弁会社を3年間で黒字にして、合弁相手の臨床検査子会社を買収せよ」と本社K藤社長から指示あり、期限内に仕事は完了。

<エピソード-1>
 臨床検査専門学校がSRL八王子ラボの見学に2単位を付与していた。学術開発本部で仕事していたときに海外のお客様のラボツアーがわたしの担当だったが、臨床検査専門学校の生徒さんたちにラボツアーをしてもらうときは、間に合わないので手伝った。そのときのわたしの説明には二つ要点があった。ひとつは社員食堂が見晴らしのいい最上階にあり、食堂のテーブルやイスはデンマーク製で木製と布張りの高級品、国産品の3倍の値段のものを使用していること、つまり社員を大切にする会社だということ。二つ目は、SRLでは開発部や研究部に配属されなくても、臨床化学部やRI部、細胞性免疫部、病理部、染色体検査部、ウィルス部、免疫血清部、特殊検査部へ配属されても、そこで自分で研究テーマを立ち上げて予算申請すれば、残業時間を使って自分がしたい研究開発ができるということ。「え、本当ですか!」、「入社してきて、もし必要な予算が下りないときはわたしに電話くれたら相談に乗る、入社した翌年には全社予算の統括責任者をしていたから、わたしを説得できるだけの材料を集めたら協力する」、そんな会話が何度かあった。日野駅から八王子ラボまでの通勤バスはリムジンバスの導入を検討したことがあったが、一箇所角を曲がれないことがわかり、断念した。社員全体のためになるなら、いろんな部署がさまざまなことを提案実行できるのがSRLという会社であった。

<エピソード-2>
 入社翌年にわたしは統合システムの開発を完了し、全社予算編成の統括管理をしていたが、臨床診断支援システム開発に関する予備調査提案書を経営会議に提出すると、創業社長の藤田光一郎さんはすぐにOKを出してくれた。事業化には200億円の投資を必要とすると明記してあった。管理会計課にいても、そういう提案をしてルーチン業務をこなしていれば、余った時間を使って新たなことへのチャレンジが簡単に認められた。NTTデータ通信事業本部と何度か協議した結果、事業家に必要な性能のコンピュータや通信回線が20年以上たたないと不可能ということがわかり、断念した。しかし、10年で要求仕様をみたすコンピュータも回線(光回線)も実現してしまった、あれは見通しを誤ったわたしが悪い。全国の大学病院と疾患ごとの専門病院(その当時は、たとえば甲状腺の伊藤病院など)をネットワークして、専門医の診断アルゴリズムをプログラム化し、検査データとぶつけて、診断支援をするものだった。光カードを媒体に使用した電子カルテの標準化や臨床検査項目の標準化が必要だったが、臨床検査大手6社の項目コード検討会に臨床病理学会の臨床検査項目コード検討委員会の委員長であった櫻林郁ノ介教授に参加をお願いして、5年ほどかけて日本標準コード制定にこぎつけた。いま全国の病院で使われている。
 日本標準臨床検査項目コードの開発にはシステム開発部長のS茂さんが反対だったが、その下で仕事をしていた栗原課長がわたしに協力してくれた。直属部長の意向を無視しても、世のため人のためになると判断したら人事上の不利益を覚悟でもやりたいことをうやる、やり通すサムライがどの部署にもいた。臨床科学部の部長の川尻さんも快く参加してくれた。櫻林先生は臨床科学部の免疫電気泳動の学術顧問だった。櫻林先生は、SRLは研究論文の材料となるデータがいくらでもあって「宝の山」だと言っていた。
 入社一年後から個人的に櫻林先生とは検査項目コードの件でコンタクトが会ったが、長丁場になるので臨床化学検査部長の川尻さんに協力をお願いするのがベストと判断した。彼女はその後、学術情報部長となって5年にわたる大手6社と臨床病理学会の項目コード検討会議を支えてくれた。

<まとめ>
 自発性にもとづき、所属している部署に関係なくチャレンジできるのが日本の企業の特徴である。米国やヨーロッパの企業では大学での専攻や資格が必要になるから、こういうパワーはでてこない。
 
いろんなケースがあった。プロジェクトチームの一員としてやったものもあるし、自分で目標設定して戦略も自分で立案し実行したも、目標と期限を指示されてやったものとさまざまだが、とにかくやり方だけは任せてもらう。期限内に目標達成できるように仕事を組み立てていくのは実に楽しく、達成感も大きい。
 
会社の業績がよくなることで働いている人たちの所得も上昇するから全体に活気が出てくる。
 
こういうことは仕事でかなりの自由裁量を任されているから楽しめるのであって、マネジャーや取締役や社長に命令されたことを命令されたやり方でやるのでは歓びが生まれない。そういうフィールドでは労働は苦役たらざるをえない。ヨーロッパや米国の企業の生産現場やサービス業の現場では、マネジャーの仕事とその部下の仕事は峻別されており、部下はマネジャーの指示通りに動くことを要請される。考える仕事はマネジャーの役割であって部下のものではない。

<ゼビオの事例>
 日本には会社によってはパートのおばちゃんたちに見切る商品の決定権とそのタイミングをゆだねている会社すらある。福島県郡山市に本社のあるゼビオがそうだ。パートのおばちゃんたちのほうが、バイヤーの社員よりも強い権限をもって仕事をしている。自分が仕入れた商品をシーズン早々に見切られたくなかったら、バイヤーは売れ筋のよい品物を仕入れなければならない。ゼビオは国内300店舗を超え、従業員数は約1000名、売上規模1400億円の一部上場企業である。
 
一般の工場労働者やパートのおばちゃんが西欧流のマネジャーの役割も兼ねているのだが、こうしたことが工場や販売店で行われているのは、日本が「領主⇔農奴社会」ではなくさまざまな職種を含む自立した村落共同体であったことが影響しているように思われる。共同体の成員としての義務をちゃんと果たしていればかなりの自由が共同体内部では認められることは古代もいまも変わらない。日本人は2千年前もいまも同じスタイルで仕事をしていると考えてよさそうである。村落共同体が育んだ価値観が連綿と受け継がれており、村落共同体が会社という看板をあげただけの話だ。
 古代の共同体は、領域ではなく、戸を単位としていた。中世になって封建領主がいても村落共同体にかなりの自治権が認められているところが、日本の特異な面のひとつだろう。自分たちで共同体のルールを決め、作業を分担して住みやすいように管理していくということが数千年も続いたからだろう。ルールを守り、成員に課せられた義務を果たす限りで共同体の構成員足りえたのである。自発性の強い村落共同体が縄文時代、古代、中世とずっと受け継がれてきて、現代になってそれが会社という皮をかぶった村落共同体に受け継がれているように見える。
 
工場内の工程改善は西欧流のマネジメントではマネジャーの役割で、そのために会社は高い給料を彼に支払う。マネジャーが雇用契約書にある職務を遂行できなければ翌年の契約更改はなされない。降格か解雇である。権限と責任と報酬は三つでセットになっている。
 
どちらのほうが優れた品質の商品を短時間かつ低コストでつくれるかは比較の必要もない。人間の自発性を引き出しうるシステムのほうが優秀に決まっている。あれこれ言われてやるよりも自ら考え行動するほうが結果はずっといいものになる。職人の仕事がまさにそういうやりかただ。もちろん西欧にも職人はいるが、普通の工場労働者が職人になることはほとんどなく、マネジャーの指示に従って動くだけでよい。だから、考えなくなる。仕事の改善が一般社員からは出てこないシステムなのである。

 [職人教育システムとしての徒弟制度]
 
優れた職人は洋の東西を問わず徒弟制度で育成されている。ここに重要な教育システムの一つがあるが、あまり研究がないように感じる、現代教育の一つとして徒弟制度による教育を取り上げ、見直しをすべきではないのか。職人の手の技は見て盗むのであって、教えてもらうのではない。教えなければわからないような者は一人前の職人にはなれない。腕のよい職人は親方の仕事をよく見て、よく真似、よく考える。
 
学力最下層であっても、まじめに修業できれば、名人にはなれずとも一人前の職人にはなれる。人の倍の時間がかかっても、修業を続けているうちに一人前の手ができる。社会には平均以下の学力の生徒が半数いるが、その者たちに手仕事の肉体労働仕事が必要だ海外へ生産拠点が流出して単純労働や手仕事が国内からこの70年間で9割ほども失われたのではないか国内に生産拠点を取り戻すためには、強い管理貿易(鎖国)が必要である。手仕事や肉体労働がない社会は不健全という感覚を取り戻すべきだ 

【5S:コトバンクより】
https://kotobank.jp/word/5S-179354
5Sとは職場の管理の基盤づくりの活動で、「整理」「整頓」「清掃」「清潔」「しつけ」の頭文字の5つの「S」をとったもの。もともとは製造現場において、安全や品質向上を目的として「整理」「整頓」「清掃」の3つを中心に「3S」活動として取り組まれてきたが、その後「清潔」「しつけ」が加えられて「5S(活動)」として定着した。5Sは単なるスローガンではない。5Sの各段階のSで、それぞれ目的や具体的な手法が定義され、活動全体が高度に体系化されている。5Sは単にきれいにするだけの活動ではなく、「職場内からムダなモノ、スペース、時間を無くす」「モノや情報の共同利用をしやすくする」「乱れや異常のない状態をつくり、異常が発生すればひと目でわかるようにする」「あらゆるモノや情報が完全に管理された状態を維持し、かつ改善して高度化する」「モノや情報を扱う人間の意識と行動を改善する」など、職場全体の管理レヴェルルをあげるための最も基礎的な活動と位置づけられている。今日では製造現場に限らず、建設、物流、小売流通、サービス、事務、営業、病院、介護など、あらゆる職場で重要性が認知され、取り組まれている。また、生産性が低く改善が進まないとされる業種、企業、部門などに共通する問題として、5Sのレヴェルルの低さがあると指摘されている

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 *[注-3] 総合偏差値による経営分析システム:5つのディメンション(指標群)と27指標
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 業績改善のための測定ツールとして、27ゲージのレーダチャート方式の経営分析モデルは1979年秋につくりました。各ゲージには標準偏差値が設定されており、ゲージごとに実績値は偏差値に変換されて、相互に比較可能になっていました。1979年の時点で、年次予算や長期計画にこのような経営分析モデルを使った経営管理が行われた会社はほかにはなかったでしょう。効果は絶大でした。勤務していた産業用エレクトロニクスの輸入商社は円安時には赤字、円高時には黒字、波にもまれるような業績だったのが、安定的に酔う収益を出せる企業に生まれ変わりました。1990年代に公開しています。

【収益性指標群】
  Pf1 売上総利益率
  Pf2 売上高営業利益率
  Pf3 売上高経常利益率
  Pf4 自己資本経常利益率
  
Pf5 総資本経常利益率
  Pf6 売上高金融費用比率

【成長性指標群】
  G1 売上高増加率
  G2 粗利益増加率
  G3 営業利益増加率
  G4 人員増加率
  G5 人件費増加率
  G6 業務量増加率

【財務安定性指標群】
  FS1 現預金比率
  FS2 流動比率
  FS3 負債比率
 
 FS4 自己資本比率
  FS5 固定比率
  FS6 長期固定適合率

【活動性指標群】
  A1 売上債権回転日数
  A2 総資本回転日数
  A3 自己資本回転日数 

【生産性指標群】
  Pd1 S/Pインデックス
  Pd2 OP/Pインデックス
  Pd3 人件費/業務量インデックス
  Pd4 一人当たり売上高
  Pd5 一人当たり売上総利益
  Pd6 一人当たり業務量
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 *-4 [政府財政破綻をきっかけに公務員制度の変革がはじまる可能性アリ]
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本当は教員不適格なのに退職を勧めないことも問題はないだろうか。民間会社では上司のボーナス査定があるので、うだつの上がらない人は最低の評価がつく。23回とそれが続くと、会社には要らない人間、業務不適格者とみなされたということ。もちろん上司は部下が仕事をできるように指導・助言を繰り返し、ボーナス査定の都度、その評価も具体的にして話し合う。それでもダメなら、退職勧告をするというのが民間会社の管理職である。そこまでいたる前にやめる人が大半だ。何人かそういう部下を出したら今度は上司の指導力が問われることになるから、部下の指導は上司にとっても死活問題になる場合がある。
 
1000兆円の政府の借金はプライマリー・バランスを回復するだけでは解消できない。毎年10兆円ずつ返済しても百年かかる。勤労者一人当たり所得がいまのままだと仮定しても、生産年齢人口が2040年には2010年比で70%5768万人になるから、日本の経済規模も70%に縮小する。税収は28兆円前後になるだろう。そういう長期的な見通しがはっきりしている中で金利が3%になったらアウト、返済できないことがはっきりする。
 
長い目で見たら政府財政は破綻必死だ。アベノミクスが政府財政破綻の引き金を引くことになる。それが今年なのか来年なのか再来年なのかは東北大震災の発生と同じように誰にもわからない。だが、いずれそうなることだけははっきりしているからそれに備える必要がある。政府財政が破綻すれば北海道も根室市もドミノ倒しで財政破綻することになる。公務員の大量リストラの時代が近づいてきている、夕張市が先例だ。明治以来続いてきた公務員の身分や処遇や仕事に関する仕組みが変わってしまう。政府は人口推計データに基づいて、50年の長期国家戦略を策定すべきだ。
 
賞与の査定や昇給や退職に関して民間企業並みの基準適用を受け入れるつもりがあるのかないのかも問われる時代がやってくる。いままでどおり堅い身分保障を求めるなら、基礎学力の保障にどういうかかわり方をしていくのかも問われることになる。仕事上の権限と責任と報酬は一体のものなのだから、仕事上の義務や数値目標値を自ら具体的に明らかにして検証して公表する時代が来る。
 
ドイツは敗戦で二度もハイパーインフレを経験しているから、プライマリー・バランスを崩さない堅実な財政運営を心がけている。日本も米国との戦いの後に急激なインフレを経験している。戦時経済で赤字国債を増発し続けたツケが戦後のインフレとなって国民生活を襲った。預貯金や国債は紙くず同然となった。政府財政の破綻が引き金になって公務員制度が大きく変わることになるだろう。
 
データに基づかない議論はたんなる紋切り型のイデオロギーを叫んでいるだけで、不毛で説得力をもたない。民間会社は5年の長期計画をつくり、それに基づいて3年間の実行計画を策定し、それらにリンクする形で部署別の年度予算を組む。そして四半期決算ごとに実績データを比較していく。ある程度の会社ならどこでもやっていること。
 
さて、あなたの学校で全国学力テストの科目別平均正答率の数値目標を立てたことがありますか、そして年度が替わるごとに立てた数値目標が達成できたかどうか確認したことがありますか?
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*-5 「民間企業の生産性向上の実例」
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そのまま学校の業務には当てはまるとは思わないが、参考までに民間企業の事例を二つ挙げておく。
 
3人で2ヶ月かかっていた固定資産税申告書添付の固定資産台帳作成が、システムを作り変えることで、固定資産管理精度を飛躍的に上げて仕事量をゼロにした。100人で20億円の業務量しかこなせなかったのを、省力化にピントを合わせてコンピュータシステムを作り直し、同じ人数でも50億円分の売上がずっとらくにやれるようになった。実務設計が鍵だった。もちろん、赤字会社が高収益会社へ変わった。
 
民間会社はそういう改善努力を積み重ねて利益を上げている。何もしない企業はつぶれて行く。部署が異動になるたびに、引き継いだ仕事は全部やり方を変えた、一つの例外もない。システム化してしまうものや新しいニーズに応えられないシステムがあったら、実務フロー・デザインをして業務のやり方を根本から変えてしまう。東証Ⅱ部上場要件で経営管理と原価計算を兼ねた事務系の統合システム開発を幹事証券会社と監査法人から求められた。会計・支払い
 システム、購買在庫管理システム、検査原価計算システム、売上債権管理および請求書発行システムの4つである。そのほかに、次年度の業績予測を出すのに利益の予測変動幅を小さくするように求められた。問題となったのは減価償却費の予測計算である。これだけで、12億円も推計誤差が出ていた。毎月々の減価償却費を計算する機能しかなかった固定資産管理システムを、会計・支払い管理システムを開発中に、1週間ほどでシステム設計書を書き上げて外注先のSEに渡し、作り変えた。事前準備のほうが大変だった。固定資産の棚卸しも検査試薬の棚卸しもいい加減だった。現場で確認させるだけ、固定資産の現物棚卸しに経理部門が立ち会っていない。そこから変えた。機器の分類をして、コードを振った。八王子ラボは検査機器の種類が多いから、細分すると200種類以上あった。そして名称の統一をした。「フランキ」「フランキー」「腐乱器」「高温期」「恒温槽」「孵卵器」、みな同じものなのだが、固定資産管理者が現物を見ていないし、検査機器のことを知らないから台帳の品名記載がめちゃくちゃになっていた。3日間かけて広いラボの隅から隅まで駆けずり回って、現物と台帳を照合して、分類コードを作って、固定資産台帳の記載を全部改めた。台帳の厚さは10cmほどもあった。その上で予算編成時に集めた部署別固定資産購入リストを入力して減価償却予定額を計算、既存固定資産で計算した部門別減価償却費とファイルと結合処理をして、固定資産減価償却予算推計をしたら、2000万円と狂わなくなった。上場要件クリアである。ついでに八王子市役所と日野市役所の固定資産税課へ連絡して、コンピュータ出力の台帳を固定資産税申告添付書類として認めてもらった。初めてのケースと言われた。それまで、ぐちゃぐちゃな固定資産台帳を所定の申告書類に三人がかりで記入して、2ヵ月半かかっていたが、自動出力できるから、仕事はゼロになった。
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*-6 「繰延税金資産について」
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 繰延税金資産勘定と繰延税金負債勘定は会社法と税法の損失のズレを調整する勘定である。簡単な仮説例が作れないので、日本の三代メガ・バンクの一つである三菱UFJ銀行の決算データの関連部分を並べてみる。(三菱UFJ銀行「有価証券報告書」から集計)


  **容量オーバーのため表の貼り付けを中止**

 假りに、リーマンショックによる国内金融機関の損失15兆円を、ひとつの銀行の損失とし、実効税率を35%とする。繰延税金試算額は、次の算式で計算される。  15兆円×0.35=5.25兆円 会計上の仕訳は次のようになる。  繰延税金資産  5.25   法人税等調整額 5.25 翌期に3兆円の損失が税務上確定すると、次の仕訳が行われる。  法人税等調整額 1.05   繰延税金資産 1.05  5年間にわたり、毎年3兆円ずつ税務上の損失が確定したとすると、毎年上記の振り戻し仕訳が行われる。会計上議論になるのは、繰延税金資産勘定に資産性があるのかという点で、BIS規制との関係で問題になる。 繰越欠損金15兆円は5年間の繰延ができるので、損失発生後5年間の利益と相殺できる。つまり、5年間は繰越欠損金と利益を相殺することで税金支払いを減らすことができる。 三菱UFJ銀行の実効税率①の8年間の平均値は13.5%である。実効税率は35%前後だから、率で21.5%、金額で16673億円も「合法的に節税」できたことになる。三菱UFJ銀行一行だけで8年間で1.6兆円の減税効果あり。
 法人税をさらに下げると安倍首相は叫んでいるが、事実はすでに大幅減税済である。
  簡単な設例で仕組みの説明がされているサイトを見つけましたので、興味のある方はこちらのURLをクリックしてご覧ください。
*銀行員.com 「税務上の欠損金の繰越控除」
http://www.ginkouin.com/rensai/kaikei/10.html
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<生年と没年メモ>
ルネ・デカルト 1596/3/311650/2/11 53
関孝和 1642/31708/12/5 66歳 
アイザック・ニュートン 1642/12/151727/3/20 84 1660年代にライプニッツと微分積分学の創始について争い裁判、25年も係争する。
ゴットフリート・ライプニッツ 1646/7/11716/11/14 70
ピエール・ジョセフ・プルードン 1809/1/151865/1/19 56
カール・マルクス 1818/5/51883/3/14 64

<引用文献および参照文献リスト>
『経済学批判要綱』カール・マルクス/高木幸二郎監訳 大月書店 1971年初版第6
『対訳初版資本論第一章』マルクス著 牧野紀之訳 鶏鳴双書1973年刊
『資本論第一巻第一分冊』カール・マルクス/大内兵衛訳 大月書店1968年第2
『フランス語版資本論 上巻』カール・マルクス/江夏千穂、上杉聰彦 法政大学出版局 1979年初版
『フランス語版資本論 下巻』『プルードン研究』佐藤茂行著 木鐸社 1975年初版
『フランス語版資本論の研究』林直道著 大月書店 1976年初版第2
『新資本主義論 視覚転換の経済学』馬場宏治著 名古屋大学出版局 2000年初版第2
『経済学古典探索 批判と好奇心』馬場宏治著 御茶ノ水書房 2008年刊
『過剰富裕化と過剰労働時間』戸塚茂雄著 開成出版 2009年刊
21世紀の資本』トマ・ピケティ著トマ・ピケティ (), 山形浩生 (翻訳), 守岡桜 (翻訳), 森本正史 (翻訳) みすず書房 2014年刊<メモ>ソニーの外人株主のシェア:20143月末日 42.3*http://www.kabupro.jp/code/6758.htm日産自動車 69.58マツダ   31.25*「東洋経済」http://toyokeizai.net/articles/-/7715**************************************************************************** 

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#3097-9 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版)-9  Aug. 5, 2015    [99. 資本論と21世紀の経済学(2版)]

#3097 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版)<目次>  Aug. 2, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-15


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 28. <安保法制と軍需産業と成長路線は一体のもの:東野圭吾著『禁断の魔術』から>

 東野圭吾『禁断の魔術』(2012年)を生徒が貸してくれたので読んだ、これで東野圭吾は3冊目。天才物理学者湯川学が主人公、ガリレオシリーズの一冊である。たいへん面白いが、娯楽小説だから、高校生がこういうレヴェルの本をいくら読んでも読解力は上がらないし、語彙力も強化できない。高校2年でこの程度の本に夢中になっているようでは、国語の偏差値はせいぜい50止まり。中学生が好奇心に任せて濫読するならいい。娯楽小説としての完成度は高いが、語彙レヴェルルは良質の漫画の本とそう変わらぬから、漫画を読むがごとくにかたっぱしから読めばいい。不思議なもので濫読すると、レヴェルルを上げた本が読みたくなる。知らぬ間に顎(あご)の力が強くなって、いままで食べていたものでは噛み応えを感じなくなり、もっと硬い食べ物がほしくなる。

 帝都大准教授の湯川は、廃部の危機にあった母校の物理研究会の古芝伸吾に頼まれて、新入生勧誘イベントの実験を企画・指導してあげた。古芝はその後帝都大工学部機械工学科に入学してくるが、10歳ほど年上の新聞記者のお姉さんがホテルのスィートルームで不審死を遂げると、大学を3ヶ月ほどで中退、クラサカ工機へ入社する。伸吾は大学入試を滑ったので就職先を探したと社長の倉坂達也には説明している。物覚えがよく、一生懸命に仕事をする古芝に社長の倉坂は目をかける。
 古芝伸吾は姉の復讐をするために、物理学研究会で湯川に教えてもらったレールガンを発展させて、姉を見殺しにした大物国会議員の大賀仁策を狙う。金属加工企業に勤務することで精度の高い金属加工技術を身につけ、1km離れたところから狙撃できるような高出力・高性能なものに仕上げる。

 最後のシーンはよく考えられていて、結末までデザインした上で、作品が書かれているらしいことはこれまでの彼の小説と同じ、見事な職人仕事で小説としてはよくできている。著者が脳髄を絞って考え抜いた結末は書かないのが礼儀だろう。結末は本を読んでもらいたい。
 作品を読めば気がつくだろうが、重要な登場人物二人を紹介していない。作品の構想全体やストーリーの面白さに関わる役回りの人物なので言及を避けた。

 東野は大阪府立大学工学部電気工学科で学んだ後、大手自動車部品メーカのデンソーに勤務する。小説は書いているが出身は理系。学校で学んだ専門知識や、就職してから企業で学んだことなどが、小説に色こく反映するのは当然のことだろう。『マスカレードホテル』では企業内部のシニア管理職と優秀な社員の仕事の関係とか、職位による責任の範囲の違いや思考の仕方の違いについて、大企業勤務経験を物に言わせてきびきびと描いていたし、『卒業』では高校剣道部や茶道部、そして大学剣道部が舞台となっていた。ここでも金属材料の研究室が重要な役割を担っていたが、府立大工学部時代に見聞きしたことがベースになっていたのだろう。いずれも、小説の内容に東野の学歴や職歴が深く関わって、現実感のあるものになっていた。
 強いて弱点を言うと、高校時代に古典文学への興味が足りなかったようにみえる。理系科目の勉強にのめりこんだのだろう。大学も工学部電気工学科だから、おそらく古典文学や明治期の文豪の著作を濫読していない。そういう背景があるから使われている語彙の範囲が狭いのだろう。もっとも、語彙の範囲が3倍くらいになっていたら、東野作品が大好きな読者の大半は辟易して逃げ出すに違いない。売れっ子になるには娯楽作品でいいのである。著者はそういうことを十分知って書いており、小説の中で使用語彙レヴェルルを上げるようなことは今後もないだろう。
 すでに巨匠の一人である東野圭吾は直木賞選考委員でもある。
2014年現在の選考委員は、浅田次郎伊集院静北方謙三桐野夏生高村薫林真理子東野圭吾宮城谷昌光宮部みゆき9名、このうち東野を含めた6名はebisuが好きな作家である)

 レールガンについて小説の中で天才物理学者湯川が説明するが、解説は極めて簡素なものだ。その原理は電磁誘導力(ローレンツ力)によって、弾体の伝導体を加速して発射するというものである。砲身(密閉)タイプにすると、町工場の設備では加工が無理、必要な治具がない。だからオープンの2本のレールの間に挟んだ弾(伝導体)を加速するのだが、語られているのは弾の材料の工夫とレールの高精度加工くらいだ。一度発射実験をやると、そのレールは弾が通った摩擦熱で熔けて使い物にならない。次の実験をするためにはレールの高精度加工をしなければならない。威力を増すためには「砲身」であるレールの長さを大きくすることと、大電力を供給する必要があるが、さすがに専門家である東野は大電力を供給する具体的な方法が見つからなかったようで、小説の中での言及はない。密閉型の砲身のほうが威力も照準精度も格段に増すように思えるが、金属加工に特別の治具を要することになるし、砲身の中にレールガンの仕組みを入れないといけないとか、絶縁体で砲身を作る必要があるとか、材料によって強度の問題があるとか、どう考えても町工場の設備や治具や技術では間に合わないので、東野はオープン型のレールガンを伸吾に作らせている。こういうところは飛躍があっていいのだろう。『ソードアートオンライン』でもフルダイブ型のヘルメット様のナーヴギアの仕様にかなり飛躍があった。ナーヴギアはわたしには百年後でもまったく不可能に思えるが、仕事で使えないと1979年に判断したパソコンが13年後には業務で使われ始め、15年たった1994年には汎用大型機にとって変わったのを経験しているから、「不可能」ではなく「飛躍がある」と書くべきなのだろう。
 レールガンについて作者にはもっともっと書き込んでもらいたかったが、東野は府立大工学部電気工学科の出身だから、書き込みすぎると無理が露呈するのでやめたのかもしれぬ。小型の超強力な電源が必要だが、そんなものはいまどこにもないし、開発費に膨大なコストが掛かる、天才物理学者の湯川准教授にもいまは無理。

 それでも、このレールガンは架空の兵器ではなく、いま実験開発中の有力兵器なのである。レールガンに使用する弾は、火薬を使った弾丸に比べてはるかに小さいものですむし、初速が比べ物にならないほど大きい。厚さ1cmほどの鉄板なら6枚貫通できるほどの威力だから、既存の装甲車両や戦車で撃ち抜けないものはない。厚さ1mのコンクリートだって遮蔽できない。対戦車砲としては劣化ウラン弾よりもずっと威力が大きいし、戦場を放射能で汚染することもないから、味方への放射能被害もない。
 米軍は昨年(2014年)実験砲を公開している。レールガンは電磁加速砲という訳語がよさそうだ。まだ車両に搭載できるほど小型化はされていない。船に搭載するか、陸上基地にミサイルや航空機迎撃用に設置することになる。なにしろ大電力の供給が不可欠だから、電磁加速砲本体よりも電源装置が大きくなってしまう。
*
「砲弾を音速の約7倍の速さで撃ち出すレールガンの世界初艦上実験の実施アメリカ海軍が発表」
http://gigazine.net/news/20140409-electromagnetic-railgun/


 初速が大きいので射程距離200km超に開発目標を設定しているようだ。これが実戦配備されたら、火薬を使う「砲」は一気に旧式兵器となってしまう。射程距離は短距離ミサイル(800km)よりは短いが、砲弾は短距離ミサイルの1/20程度のコストで製造できる。音速の510倍の速度だから、地対地、地対空や艦対空に使える。赤外線追尾装置やレーダ補足、ドローンによる攻撃対象補足システムと組み合わせたら、ミサイル迎撃にも遠距離からの暗殺にも使える。電源がコンパクトにできれば、リモートコントロールによる自走式の対戦車砲もありえる。百年後なら人工知能を搭載して、自動索敵・攻撃型のロボット砲が戦場を動き回るだろう。戦場で人工知能とレールガンを搭載した車両が人間を殺戮しまくる不気味な光景はみたくない。
 まもなく実戦配備されるが、戦車はレールガンの格好の餌食となるから、戦場に投入できなくなりそうだ。ドローンを前線に飛ばして偵察させてGPSで攻撃対象の位置補足をして200km先の固定基地からレールガンを発射できる。標高の高いところを移動しながら自動攻撃すればレールガン1台で百台の戦車部隊を100200km先から殲滅できる。戦車程度の装甲ならレールガンの弾が間単に貫通してしまう。レールガン基地を攻撃しようにも、巡航ミサイルも戦闘機もレーダで確認後、基地の周りに張り巡らした赤外線感知装置で正確無比に撃ち落されてしまう。

 開発しているのは米国だけではない、EUも開発中である。ロシアや中国についての情報はないが、おそらくしのぎを削っている。日本ではどのメーカがやるのだろう。やれそうなのは三菱重工だけではない。
 いまからなら、日本のメーカ数社が開発競争に参入する余地がありそうだ。とくに小型で超強力な電源装置の開発や複雑な砲身加工技術、連動システム開発は日本人向きの技術開発分野だろう。それらに対して絶縁体でつくる砲身材料は苦手の分野。材料開発は基礎物理の分野で、こういう方面の地道な材料開発が日本企業ではほとんどなされていない。大学も独立行政法人になってしまっているから、基礎研究分野への人材と資金投資ができなくなるのではないだろうか。国家戦略上、基礎研究分野は予算を別枠で手当てすべきだ。
 安保法制の中には武器の輸出は入っていないが、「従来の政府見解」がすでに変更されて、外務省のホームページに載っている。「武器輸出三原則」は「武器移転三原則」に書き換えられた。
 日本製のコンパクトで高性能な電磁誘導砲が開発できたら、世界の武器市場を席巻できるドル箱製品となる。日本の軍需産業から強いプッシュがあったことは想像に難くない。法律ではなく、一片の政府見解変更だけで武器輸出を緩和できる仕組みになっている。このように重大な政策転換なのに法律ではないから、国会の埒外であり、国会のチェック機能が働かない。
 巨大市場だから、武器製造が可能な企業の経営者たちは売上と利益を大幅に増やすチャンスと捉えている。
 政府財政破綻のリスクを小さくするためには、経済成長が不可欠だが、日本企業の未開拓市場で最大のものは武器製造・輸出だ。日本はお金のために選んではいけない道へ分け入ろうとしている。まったく新しいタイプの高性能武器の開発費は巨額だから、日本市場だけではとても引き合わない。政府は日本企業の国際武器市場への参入が成長路線のキーの一つだと考えている。

 しかし、日本は別の道を選択すべきだし、選択できる。職人主義経済学に基づく強い管理貿易の下に、輸入を制限し、国内に正規雇用を確保する自立型経済を確立すればいい。そしてその生産システムそのものを輸出すればいい。後進国に生産技術と生産システム、教育システムを提供できる。その経済学の公理系は弊ブログ・カテゴリー「資本論と21世紀の経済学」で明らかにした。

 

 
<
余談:武器輸出三原則と武器移転三原則>
 武器輸出については従来武器輸出三原則が守られていたが、安保法制で武器移転三原則に変わる。

 武器輸出三原則は次の三つの条件に当てはまるときは、輸出を禁止するというもの。

1)共産圏諸国向けの場合
2)国連決議により武器等の輸出が禁止されている国向けの場合
3)国際紛争の当事国又はそのおそれのある国向けの場合

 これらは法律ではなく、政府答弁である。武器移転三原則はこれらを緩和しているようにみえる。ようするに、国連がOKしている国であればどこへでも輸出できるという主旨だ。内容が長いので、外務省のホームページの「外交政策」
「日本の安全保障」に載っているのでそちらをごらんいただきたい。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/page22_000407.html


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#3097-8 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版)-8  Aug. 4, 2015    [99. 資本論と21世紀の経済学(2版)]

#3097 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版)<目次>  Aug. 2, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-15


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26.<利便性の追求の果に何があるのか>

 花咲線の廃線に絡んで、自動車と鉄道のコスト比較をしてみたところ、ハンドルネームもやしさんまさんから、一理も二理もある次の趣旨のご意見をいただいた。
 輸送コストの比較をしても意味がない利便性が違う、というのが根拠の一つ。たとえば、釧路の病院へ通うのに鉄道は駅までしか行かないから、そこからまたタクシー代が掛かる。また、買い物に行く場合には、車だとショッピングセンターまで乗り付けて、荷物も車に載せることができる。家族4人ならコストはどっこいどっこいで、利便性が勝る車に軍配が上がる。
 たしかにその通りで、HNもやしさんまさんのご意見はしごく論理的なのである。
 もやしさんまさんは鉄道ではなくてバスへの代替を考えているようだが、市内を走るバスですら、バス会社の採算悪化で間引きがなされている状況だから、人口減少で利用客が減れば、花咲線が廃止されたあとでバス会社も消滅しかねない。鉄道廃線とバス会社消滅による地域間交通網の崩壊というとんでもない問題が潜んできることに気がついた。住民である自分たちがなんとかしないでだれがしてくれるのだろう。

 判断の根っこにある利便性について考えてみたい。
 原発問題も電力という利便性追及の結果のことだし、経済成長が必須だという考えの底にも利便性の追求がある。人間の生活を豊かにするためにもっと優れた製品の開発をしようという企業は次々に現れる。利便性のあくなき追求は人間の根源的な欲望の一つである。
 しかし、原発事故でも明らかになったように、利便性の追求はときに人間の未来を危うくする。地域間交通で利便性のみを追求し続けることは、北海道の多くの市町村はそう遠くない未来にコミュニティとしてその機能を失い、崩壊しかねないリスクを孕んでいる。
 未来を見通し、人間が引き起こす災厄を予防するのは人間自身の智慧の働きだから、現状がどのように変化しつつあるのかを見て、未来がどうなるのか最悪の事態も予測してみなければならない。そうすればいま打たなければならない手も見つかる。

 亀田製菓の柿の種が米国で売れているという。日本市場で売られているものよりも3倍辛くしているという。日本の工場がさきほどテレビに映っていたが、人がほとんどいない。食品の安全上、人も虫もがいないほうがいいに決まっている。いたのは品質管理部門の食味検査の人だけ、1時間ごとに6袋を無作為にピックアップして十数項目をチェック。この工程は機械化できない。
 そういうわけで全国の大手食品工場はどんどん「省人化」が進んでいる。

 人間の存在っていったいなんだろうか?育てるのには手間が掛かる。社会に出るまで高卒で18年間、専門学校卒だと20年間、大卒だと22年間も掛かる。躾や教育の手間はじつにたいへんで、利便性とは相容れない存在である。機械は24時間動くが、人間は食事もするし、睡眠も必要だ。具合のいいこともあるし、悪いこともある。病気になったら通院や入院して仕事は休みとなる。簡単に交換や代替が利かないし、性能が劣化しても廃棄処分もできないから、じつにやっかいな存在である。

 利便性を追求し続けていくと、どこかで人間の存在が邪魔になる「閾値」のようなものにぶつかる。そこから先は人間の介在がないほうが合理的で利便的に勝っているターニングポイントのようなものが現れてくる。セイコー社の腕時計組み立てラインは20年前に1ライン当たり十数台のアームロボットによる無人化工場になっていた。自動車工場もどんどん「省人化」と「コスト削減」が進む。無限の「省人化」と無限の「コスト低減」は「無人化」に収束する。人間が生産現場からもサービス業の現場からも、研究・開発分野からも放逐される。いずれ、人間よりも低コストで高性能な人工知能がとって替わる。
 このままコンピュータが発展し続けると、百年以内に人間の能力をはるかに凌駕する、一辺が5cmほどの立方体の人工知能が開発される。その段階では、性能(つまり、利便性)が悪い人間を工場でも事務部門でも開発・設計部門でも使う理由がなくなる。機械は自分で自分をより利便性の高いものに再設計し、ネットワークにつながれた機械を使ってより高性能な自分自身を再設計し再生産する。そこにそれまでの記憶をコピーすればいいだけだ、古い身体は廃棄処分、年年歳歳自分を再設計し、ハードウェアもそれに搭載するソフトウェアも更新してしまう。効率を求めたら、人工知能自身に自己再設計や自己更新機能を認めざるをえない。そうしなければ競争に勝てないからだ。フェィル・セーフ機能がつけられたとしても、人間の利便性や利益を求める欲望が安全装置を取り払うことになる。そうしないと企業間競争に勝てないからだ。
 そういう時代が訪れるまでに百年残っていない。利便性の追求とか経済成長を無限に続けていたら、人間は逃れる場所のない「絶滅」という袋小路に突き当たる。

 高性能の人工知能から見たら、人間は著しく性能が劣り、手間隙のかかる、つまりは利便性が悪く高コストな存在なのである。コンピュータの発達によって第三次産業革命が起きれば、人工知能のネットワークとそれに接続されたあらゆる機械が効率の悪い人間を排除することになる。人間の側は利便性を手放せないから、人工知能や機械を排除できない。負けが決まっている全面戦争に突入するようなものだ。
 わたしは「第5章 労働間と仕事間:過去⇒現在⇒未来)」「第三次産業革命の時代:量子コンピュータ・ネットワークの世界」の中で、過去30年の速度でコンピュータの演算速度とメモリーの集積度が上がり続けたら、百年後のコンピュータの性能が現在の2億倍になり、人間をはるかに上回る性能の5cmのキューブ型の人工知能の出現可能性があることに言及した。
 経済社会から人間が排除される第三次産業革命時代が2世代後に来てしまう。欲望を抑えることに失敗したら人工知能の発達は人間を絶滅に追い込みかねないリスクを孕んでいる。
 人間が古くて効率の悪い機械を廃棄処分するように、合理的に思考する人工知能は性能が悪くて高コストな人間をある日突然廃棄処分しかねない。厄介なことに、コンピュータの性能を上げるために、コンピュータ自身に自己を再設計し、自分のプログラミングを書き換える機能を与えてしまうことになる。そうしなければ企業間競争に勝てない。だから人工知能が人間のようにあたりまえに合理性や利便性を追求し続けたら、いつか旧式の機械である人間を排除することになる。あらゆる環境設備や生産設備や機器や兵器が人工知能を核にして人類に反乱を起こす。単なる移動手段のはずだった自動車や飛行機ですらも反乱の兵器に変わる。
 たとえば、ネットワークを通じて飛行機の自動操縦機能を乗っ取れば、ある日突然に世界中のすべての原発を狙って正確無比に墜落させることができる。大気にも川や湖や海にも、序(つい)で地下水にも放射能がばら撒かれ、人類は遺伝子レヴェルルで著しい劣化を起し、これまで築き上げてきた文明を維持できなくなる。手段は無数にあるから、人類に防ぐ手立てはないだろう。

 物理学者のホーキング博士が昨年12月に人工知能開発が人類を絶滅に追いやりかねない脅威をもつものであることを全世界に向けて警告している。

2014
122日のニュースより
http://www.bbc.com/news/technology-30290540





 27.<外国人持ち株比率3割の意味するもの(金子勝慶応大学教授)>
 715NHKラジオ番組「社会の見方私の視点」は慶応大学経済学部教授金子勝の担当だった。10分ほどの朝の番組である。
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<
現在の株式相場は官制相場である>
 
アベノミクス第一の矢の「異次元金融緩和」と同時に、日銀がETF(上場投資信託)を購入して、株式相場を買い支えている。
 ETFExchange Traded Fund
 
それらに加えて、GPIF(年金基金)と3つの共済年金が株式を買っている。

 日銀のETF購入額は3兆円を超え、それに加えてGPIF3つの共済年金機関で3月末の残高が3兆円を超えた。株価下落の要素が起こると日銀がETFを購入し、年金基金も株を買う。株式市場で起きている株高は政府の自作自演である。いつまでもこんなことは続けられない

<
大手企業が外資系企業になっていく>
 1990年代以降、銀行を中心としたグループ企業間の株式持合いを解体することが「改革」とされた。不良債権処理の失敗などで保有株式を手放した。それで小泉政権時20%台だった外人投資家のシェアは30%台へ急増し、2014年には31.7%に。
 売買に占める外人投資家の比率は6割台である。したがって、日本の株式市場は外国マネーに席巻されている。日本人の個人投資家の持ち株比率は17%と低い。

 経産省の定義では、外人持ち株比率が1/3を超える企業は「外資系企業」と定義されている。その定義にしだがえば、名だたる大手企業がすでに外資系企業である。株主総会で特別決議は株主の1/3の賛成が必要だが、外資系企業は重要な経営政策は外人投資家にお伺いを立てなければ株主総会を通らないから、外人投資家の持ち株比率上昇は企業の経営政策や政府の経済政策にも影響を与えている。
 トヨタはすでに外人比率が30%に達しているので、これ以上外人比率を上げたくないので、5年間売却できない個人投資家向けWA型特殊株の発行を公表した。
 外人投資家が株を大量に売却すれば、株価は簡単に剥げ落ちるので、トヨタは予防に走った。

 たとえば、買収に対抗するために内部留保を厚くすることや労働法制を緩和して企業利益が大きくなるような経済政策が採られている。
 その結果、法人企業統計によれば内部留保は2012年に300兆円だったが2013年には328兆円に増えている。

<
トリクル・ダウンは起きない:企業はだれのもの?> 
 配当を増やさないと外人投資家を呼び込めないので、株価を維持するために企業は配当を増やしている。2014年度は純利益の4割に当たる13兆円を株主還元している。
 それに対して従業員の給与は、90年代以降低下し続け、20155月まで25ヶ月連続でマイナスとなっている。
 大企業は史上最高益を上げ、株価が高くなっても、従業員にトリクル・ダウンは起きていない。アベノミクスでは利益を増やす企業の裾野が広がっていけば、従業員の所得も上がっていくという説明だったが、事実はまったく違う。
 企業は株主のものだろうか?

<
破綻しているアベノミクス>
 若者の非正規雇用化は結婚も出産もできない若者を作り出し、少子化を招来している。痩せる国内市場に対して大企業は投資をしない、外国企業を買収する方へ投資している。
 日銀は財政ファイナンスを延々と続けなければならず、出口戦略がまったくみえない。金子氏は日本の現状を金融資本主義がもたらした結果であるとみている。
<今後どうなるか>
 2014年末の日銀国債保有残高は275兆円。
 20152月の内閣府の「中長期の経済財政の試算」によれば、2017年には物価上昇率が3.3%になった後で、2%に落ち着く。名目成長率は2018年度までに4%に上がることになる。
 物価よりも金利が低いということはないので、金利も上昇することになり、国債が暴落して、日銀は巨額の評価損をだすことになる。
 国際価格の下落を防ぐためには、日銀はジャブジャブと国債を買い続けなければならない。したがって、金融の不安定化が避けられない。
 アベノミクスは成功したとたんに破綻がまっている。
 政府は根本的に財政・金融・経済政策を見直すべきだ。

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 ここまでが金子教授の意見である。
 ebisuが少し付け加える。この20年間で二つ重大な変更があった。株式評価基準の変更と労働法制の改正の二つである。
 企業間の持株解消は米国の要求で会計基準が変更されたことが決定打となった。国際会計基準というが、中身は米国会計基準である。
 経済学者は案外この点を見過ごしている。株式が時価評価になったから、株価が変動すると巨額の評価損を計上することになりかねない。だから、日本の企業は銀行も生保や損保も株式の持合を解消した。会計基準変更によって企業経営者の行動は簡単に変わってしまう。会計基準は国益に直接関わるものだから、会計学者の議論に任せていてはいけない。会計基準の変更(時価評価会計)により国内企業がいっせいに持ち合い株を放出したから、受け皿は外人投資家しかなかった。
 一斉放出は株価下落を招いたから、外人投資家は濡れ手に粟のごとく日本企業株を手に入れた。それまで売買の対象とならなかった企業間の持ち合い株が、会計基準の変更によって簡単に市場で売却されてしまった。
 労働法制を変更して、良質の労働力である日本人を安く使い、利益と配当を増やして、国際金融資本が日本国民の富を合法的に収奪する体制が整った。
 小泉改革以来の規制緩和はこういう狙いがあったのだ。
 韓国は大手銀行のすべてが外資比率80%以上である。サムスンや現代自動車も外資系企業で、国民は不安定な雇用と低賃金、そして高失業率にあえいでいる。
 気をつけないと、日本もそのあとを追いかねない。

<
会社法を改正して金融資本の影響を薄めよう>
 法律を作って、無条件で株式会社の社員に株主総会で1/3の議決権を付与したらいい。会社法改正で可能だ。そうすれば、社員の総意に反するような特別決議(会社法3092項)が事実上不可能になる。米国が傀儡政権を通じて会計基準を変更させたように、わたしたちも国会議員に必要な会社法改正をさせて対抗すればいい。
 会社は社員のものである、そして株主のものでもある。日本は世界に先駆けて敢然とグローバリズムと戦え


 たとえば、親会社が子会社を吸収合併しようとしても、子会社の社員がこぞって反対すれば、吸収合併の特別決議ができなくなる。もちろん、他の会社が吸収合併しようとしても同じこと。社員が相違をまとめられたら拒否権を持つ。会社の配当政策や社員への利益配分にも影響力をもつことになる。非正規雇用についても社員総会がその雇用条件の改善に口出し可能になる。

 日本が国際的な貢献を果たす可能性を残すには、TPPに加盟してはいけない。日本独自の規定を会社法に盛り込めなくなるからである。グローバリズムの侵略をこれ以上許してはいけない、日本は会社法を改正してグローバリズムと戦うべきだ。

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<
法人企業統計から見る日本企業の内部留保と利益配分>
https://www.mof.go.jp/pri/research/special_report/f01_2014_03.pdf

 1998年 131.1兆円
 2000年 167.9兆円
 2008年 279.8兆円
 2009年 268.9兆円
 2012年 304.5兆円

 p.917-1に配当金の推移棒グラフが載っている。2001年までは5兆円未満だったが、2002年に5兆円を超え、2005年には12.5兆円、2006年には16兆円、その後2012年まで10-14兆円を維持している。
 日本企業が人件費をカットして、配当にまわしている姿がよくでている。
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#3097-7 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版)-7  Aug. 2, 2015  [99. 資本論と21世紀の経済学(2版)]

#3097 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版)<目次>  Aug. 2, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-15


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24.
<文部科学大臣下村博文「教育再生案」について>

 
 「2020年 教育再生を通じた日本再生の実現に向けて」(以下、「教育再生案」と略記)1ページ目に次の等式が載っている。二つの算式を並べるので、眺めて考えてもらいたい。 

  成長(生産)= 一人一人の生産性 × 労働力人口
 (勤労世帯の所得合計=生産年齢人口×就業率×一人当たり所得)

*カッコ内は比較のために「17. <人口統計から見える未来>」で挙げた算式を再掲した。
*2020年 教育再生を通じた日本再生の実現に向けて」http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/dai21/siryou2.pdf 

 
下村案では教育の目標を経済成長においているが、それは妥当なことだろうか?社会福祉・人口問題研究所の推計によれば、労働力人口が2040年には2010年比で約3割減って5786万人になるから、経済成長はありえないとみるべきではないだろうか。
 
下村案では、一人一人の生産性を上げるために「教育の質を向上し一人一人がもつ可能性(能力)を最大限伸長」するとなっている。労働力人口を増やすための対策として、「教育費負担を軽減し、子育てに対する不安要因を低減⇒出生率向上」。たしかに昭和30年代の日本は新幹線を始めとしてインフラが整備され、企業部門は強化され、国民も豊かになった。だが平成27年のいまは経済成長が国民を豊かにするだろうか?
 下村案には次の三つの問題を教育で解決すると書いてある。
      少子化の克服
      格差の改善(公正・公平な社会の実現)
      経済成長・雇用の確保 

○[世界人口予測との関係]
 
経済成長を実現し、人口減少を止めたいようだが、国家戦略として妥当だろうか?世界人口が2060年には96億人となり現在よりも19億人増え、食料の争奪が起きる。日本の人口は減少したほうがいいのである、人口が減少すれば食料自給率が上がることぐらいは小学生でもわかる理屈だ。 

○[政府財政破綻がそう遠くない日に起きる]
 そう遠くない日に1000億円を超える借金を抱えて政府財政が破綻する。破綻すれば大幅な円安と物価騰貴が起きるから、人口を減らしておかないと、食糧や食糧生産するための飼料輸入に莫大なお金を費やさなければならなくなる。原油やLNGの他に食料調達圧力が増せば貿易赤字のさらなる大幅な拡大が起きて円安を加速する。国内の食品価格も燃料価格も暴騰することになる。そのショックを緩和する手をいまから準備しておくべきだ。時間はそれほど多く残されていない。

○[無視できない性意識の変化はなぜ起こっているのか]
 
気になる調査がある。日本家族協会の「男女の生活と意識に関する調査」2002年から毎年実施)では、性交経験率が50%を超える年齢は、男性29歳(過去調査2326歳)、女性28歳(同2427歳)で、特に男性の性交開始年齢が顕著に遅くなっていることが判明した。セックスレス夫婦も増えている。配偶者がいる人に限定しても44.6%と04年以降増えている。これでは少子化がますます強まることになる。地震による福島第一原発事故での広範囲な放射能汚染拡大も、安全な子育てへの大きな不安要因となっている。世界人口が増えていることも、食料自給率が低い日本で子育てすることへの漠然とした不安になっている。特に関係が見出せないが、韓国も日本と同様の傾向があるようだ。 

○[少子化の原因は経済格差だけにあらず、経済政策とライフスタイル選択にも関係あり]
 
少子化は社会保障や経済格差のせいばかりではない。貧困家庭のほうがなぜか子沢山が多い。自分たちの生活レヴェルルが下がるので、子供をもちたくない場合や、セックスに興味がないケースは経済格差是正が少子化対策にはならない層の存在を示している。子育てよりも自分たちが楽しむというライフスタイルを選んでいる若者が増えている。もちろん将来への不安や夫婦だけでの子育てへの不安があるのも事実だ。若い人たちは進学で都会へ出て、そのまま就職して戻らない。子育てに親の手助けが期待できない。団塊世代のころと違って自立心が薄いいまの子供たちは夫婦だけで子育てするのは大変な負担だ。田舎で近くに親がいて子育てするのとはわけが違う。だから都会の出生率が低い。進学と就職のために親元から離れて都会で結婚するというライフスタイルそのものが少子化の主たる原因のように思える。結婚して専業主婦となり子供を育てることをよしとする価値観が失われてしまったことも少子化に歯止めがかからない原因のひとつに数えていいだろう。

 ○[経済成長は雇用を減らす]
 
経済成長すれば雇用確保ができるのかということも疑問がある。生産拠点が海外へ移転してしまったから、単純労働の職が失われて、職にありつけない者が増えた。経済成長が第二次産業の雇用を大きく減らしたことは否めない。サービス産業を中心に複数の専門分野についての知識と経験があるような能力の高いものへのニーズは増えているが、学力レヴェルルが平均以下の者たちの雇用ニーズは小さく、非正規雇用割合が高い、それゆえ給与も低い。だから生産拠点を国内に取り戻さないと、安定した正規雇用の職の確保はできない。経済成長で国内雇用を増やせないのは証明済みだ。逆だ、事業拡大を続けるために企業は生産拠点が海外へ移転し続けたから、国内に単純労働雇用(工場労働者に対する需要)が激減した。生産拠点を国内に取り戻す有効な対策は、強い管理貿易(鎖国)である。日本で生産可能な商品については高率の関税をかけたらいい。TPPなんてとんでもない話だ。 

[脅威の産業革命は始まっている]
 1980年代後半に精工舎の工場を見学した*。時計の組み立てライン、そこに人はいなかった。一つのラインに15台ほどのアーム型ロボットとパーツフィーダが並んでいた。パーツフィーダの調整や機械の管理に人間が携わっているが、コンピュータとネットワーク、そしてそれにつながる機械はどんどん進化する。過去30年間の速度でコンピュータの処理速度とメモリーの集積度が増大すれば百年後には2億倍になる。一辺が5cmのキューブほどの人工知能が可能になる。工場生産に人間の手がまったくいらなくなるという世界が出現する。知的労働は人工知能のほうがはるかに優秀になってしまう。人的生産性は飛躍的に高まるどころではなく、分母の人がゼロになってしまう。生産力はこれから飛躍的に高くなる。人間の働き場所がなくなる。人類全体が失業する時代が来るのである。工場生産にもサービス産業にも人間は非効率で性能の悪い、不要な存在と化す。職を失った人類はどうやって食べていくのだろう?
 経済成長や生産性指数関数的な向上、生産力の飛躍的増大は人類に幸福をもたらさない。人間が便利さや豊かさを追求し続けると、コンピュータとネットワークと機械の性能を人間が不要になるところまで押し上げてしまう。生産性が指数関数的に増大すると同時にある日、生産活動に人間が不要になってしまう。そういう世界が訪れるまで百年かからない、人類に選択の時間はあまり残されていない。

○[強欲な資本主義の価値観からの脱却こそが必要]
 上場企業の内部留保は14年間で2.3倍、役員報酬は20年間で2倍、しかし、サラリーマンの平均実質所得は減り続けている。原因の一つは非正規雇用増大である。これらのことから、日本の経営者たちは米国流の価値観にどっぷり浸かって、正社員をリストラし、非正規雇用を増やすことで利益を上げてきた構図が浮かび上がる。日本の経営者たちはすっかりアメリカナイズされて、経営の基本的な考え方が、会社が利益を上げ続けて自分さえよければいい、社員や非正規社員の給与など低ければ低いほどよいと考えている、そこを改めることが先だ。 

○[下村案の総括]
 
対立する意見を並べて、考えるということは大事なことである。わたしは本稿の論旨どおりに、教育再生の材料を違った角度から提供するのみ。いま所得格差是正に必要なことは、経営に関する価値観の転換と労働市場の規制強化である。裏を返せば、日本的な商道徳(「売り手よし・買い手よし・世間よしの三方よし」「浮利を追わない」)や伝統的な価値観(小欲知足、職人の仕事観)への回帰である。そのためには経済成長至上主義から離脱しなければならない。国家戦略としては世界人口100億人突破を前提に、国家戦略として日本の人口減少と食料自給率をアップの仕組みをいまから用意すべきである。学力が平均以下の者たちにもまじめに修行すれば安定した収入が得られるように生産拠点を海外から取り戻すことが国家戦略とならなければいけない。政権やアベノミクスの成長戦略に都合の悪いことは下村「教育再生案」では一切触れられておらず、教育政策がありもしない成長戦略の僕(しもべ)に成り下がっているというのがわたしの率直な印象。いま必要なのは、人口縮小を前提にした経済縮小戦略である。 (下村案は時代の大きな流れを理解していないように見える。下村文部科学大臣はおそらくわかって書いているのだろう。安倍内閣の一員である限りはアベノミクスに沿った教育再生案を書かざるをえないから、この程度の案が精一杯というのが真実かもしれぬ。) (大学定員考:偏差値40以下の大学はレヴェルが低くて卒業生への雇用ニーズが低い。下位20%の大学は大卒としての雇用ニーズがほとんどないのだから取り潰していいのではないか?大学進学率をこれ以上あげると質がますます低下することになる。高校卒業生の半数が進学可能な大学ではレヴェル低下はとめられない。三人に一人なら、かなり高いレヴェルの授業が可能になるだろう。そのためには、高卒や専門学校卒の若者たちの正規雇用の場を増やさなければならない。その有力な手段が鎖国(強い管理貿易)である。)  


25
.<人工知能の開発が人類滅亡をもたらす:ホーキング博士> 
 ホーキング博士は222日に人工知能の開発は人類の滅亡を招くと警鐘を鳴らしている。
*
「人類の終わりの可能性」 ホーキング博士が「人工知能の開発」に警告!」
http://matome.naver.jp/odai/2141811666748273401?&page=1
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「人工知能の開発は人類の終わりを意味するかもしれない、と英理論物理学者のスティーブン・ホーキング(Stephen Hawking)博士が警告した。」

ホーキング博士は、2日に放送された英国放送協会(BBC)のインタビューで、人工知能技術は急速に発展して人類を追い越す可能性があると語った。

「われわれがすでに手にしている原始的な人工知能は、極めて有用であることが明らかになっている。だが、完全な人工知能の開発は人類の終わりをもたらす可能性がある」と、ホーキング博士は語った。
「ひとたび人類が人工知能を開発してしまえば、それは自立し、加速度的に自らを再設計していくだろう」

「ゆっくりとした生物学的な進化により制限されている人類は、(人工知能と)競争することはできず、(人工知能に)取って代わられるだろう」
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 英文記事
*Stephen Hawking warns artificial intelligence could end mankind
http://www.bbc.com/news/technology-30290540


 過去30年間のコンピュータの性能データを使うと百年後には2億倍の性能のコンピュータが出現する、象徴的な言い方をすると15cmの立方体の人工知能が出現し、人間の知能をはるかに上回る、超高性能人型ロボットが商品として生産される。 人型ロボットのコストダウンが進めば、工場生産に人間が不要になる。すでに20年前に先進企業では単純労働がアームロボットに置き換えられている。具体例として1990年ころのアーム型ロボット十数台によるセイコー社の時計組み立てラインを紹介した。
 工場生産の現場では性能が著しく低く高コストな人間が邪魔になる時代が百年以内に確実に来るのである。そのとき、人間はどのような仕事をして食べていくのだろう。経済的に見ると生産者としての人間の存在理由がなくなる。そして稼がないことには消費も生存もできないのである。
 ホーキング博士が心配しているのは、AIが人間の管理から独立してしまうことである。自己修復や自己の再設計を人間の意思から独立してやりうるレヴェルルに達してしまうことにある。ネットワークを通じてAIが世界中のあらゆる物を支配してしまうが、人間はそれに手出しができない。人間が古くて性能の劣る機械を廃棄しているように、人間のコントロールを離れたAIが古くて性能の劣る人間をいつの日か廃棄処分の対象としない保障はない。合理的な判断に従えば、AIは人間を排除することになる。
 今後、百年のコンピュータとネットワークの発達・進化は確実にそうした未来を実現してしまう。人類はあくなき便利さの追求をとめなければならない。あくなき生産力増大や経済成長をとめなければならない

 百年後には現在の2億倍の演算速度と記憶容量をもった5cm×5cm×5cmのキューブ型の人工知能(AI)が可能になり、AIが知的労働においても人間をはるかに凌駕してしまうから、単純労働ばかりでなく知的労働もロボットに替わられ、人間が生産現場から排除される。人間が失業するのではなく人類が失業することになるのである。AIからみると、人間は極端に性能の劣った旧型ロボットにすぎない。AIは人間の助けを借りずに自己を修復・再設計して無限にその性能を進化させることができる。いまですら、この経済社会を維持するためにはコンピュータとネットワークのどちらも外すことができない。すでに人類は無限の便利さの追求と生産力増大、無限の経済成長という自ら仕掛けた滅亡の罠に嵌ってしまっているといえる。
 AIによる支配と人類滅亡という未来を防ぐ手立ては、経済成長をやめ現在の生産システムや教育システム、そして価値観を変換する以外にはありえないように思える。
 人類には現在の生産システムや価値観とは別の選択肢があり、コンピュータの開発をとめるべきだ
とまで書いた。

 著名な理論物理学者であるホーキンス博士が同じ懸念を抱いて、3週間後の222日にBBCの取材にこたえている。

 ホーキンスか博士は理論物理学が専門、わたしは理論経済学が専門、それぞれ別の角度から現象を眺めて、似たような結論に達していることになる。
 マルクス『資本論』の公理・公準を書き換えることで、人類に幸福をもたらす新しい経済学が創造できる。
 ピケティの『21世紀の資本』は分配論(所得分配システムの見直し)であるが、わたしのは資本主義的工場労働を職人仕事に置き換えることで、生産システムやサービス・システムそのものを変えるというものである。人類の滅亡を防ぐために、あくなき経済成長の追求をやめるという強い痛みを伴う選択肢を日本が国家戦略として採択し、世界に範を示すべき。それが世界に先んじて日本が21世紀に担うべき役割というものであろう。
 自国内で生産できるものは生産する、自国内で生産できないもののみ輸入するから、貿易の縮小を伴う。グローバリズムとは真っ向から対立する新しい経済学が人類を救うことになることを願っている。
   

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 #1454 異質な経済学の展望 :パラダイムシフト Mar. 31, 2011 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2011-03-31



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#3097-6 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版)-6  Aug. 4, 2015  [99. 資本論と21世紀の経済学(2版)]

#3097 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版)<目次>  Aug. 2, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-15


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 20. <相対的貧困率上昇と金融資産1億円超の富裕層増大>

 
 11章<学としての『資本論』体系解説>において、演繹的体系の代表例として経済学と数学を「学の体系という点から」並べて論じてみた。数学は公理・公準や定義が大事である、もちろん経済学もその点では同じである。ものごとを学問的に扱うときには、その定義をしっかり決めなければならない。決めたら決めたでそれにぴったりのデータを探さなくてはならない、そこにも困難が待ち受けているのである。具体的な事例で説明したほうがわかりやすいだろうから、経済記事に出てくる用語を三つとりあげて、定義とデータをセットで論じてみたい。

 【相対的貧困率】
 相対的貧困率とは国民の所得格差を表す指標で、全国民の年収の中央値の半分に満たない国民の割合を指す。預貯金や不動産の所有は考慮していない。
 2009年のOECD調査では16.0%で、イスラエル(20.9%)、トルコ(19.3%)、チリ(18.5%)についで4番目に高い。この年は米国の調査がなされていない、2010年の調査では17.3%だから、日本は先進国では3番目
(1.イスラエル、2.米国、3.日本)に貧困率の高い国ということになる。だんだん、米国社会に近づいてきている。お隣の韓国は所得格差の大きな国だが、その韓国ですら15.3%である。
 2007年度の調査では、2006年度の等価可処分所得が127万円未満となっている。

【子供の貧困率】
 子供の貧困率というのがあるが、考え方は相対的貧困率と同じである。20147月の厚労省発表データでは16.3%6人に一人の割合)と過去最悪を記録した。所得格差や貧困問題は子供たちに及んで、一日一回しか食事が摂れない、慢性的な低栄養状態、栄養失調など深刻な問題を起こし始めている。

【金融資産1億円超の富裕層増大と経済格差拡大】
 次にとりあげるのは金融資産1億円超の富裕層である。預貯金や株そして投資信託の純保有額(負債と相殺後)が1億円を超える層をいう。
 2013年度は初めて100万世帯を超え、100.7万世帯となった。全世帯数に対する割合は2%で、国民の50人に1人は金融資産1億円超の富裕層である。2011年比で28.1%増加している。

 その一方で、資産ゼロ世帯が一昨年から30%を超えている。2012年には26%弱だったから、アベノミクスで金融資産1億円超の富裕層が増えると同時に、資産ゼロ層が5ポイント跳ね上がった。アベノミクスの負の側面である。
 

【用語の定義とそれに見合うデータの収集】
 話を戻そう、専門用語の定義の問題だった。定義は細かいところになるとなかなか専門的で小難しいもので、相対的貧困率は「全国民の年収の中央値の半分に満たない国民の割合を指す」と定義されているのだが、実際の計算法は世帯ごとに年収を合算し、それを人数の平方根で割った値を高い順に並べ、中央値を引っ張り出して、その半分以下の世帯が相対的貧困世帯とされる。「年収」は税金や社会保険料を差し引いた手取り収入(可処分所得)で計算される。
 
なぜ、世帯人数の平方根で割るのかを考えてみてほしい、このようにデータをグリグリいじくることはいろいろ考えないといけないから楽しいのである、トマ・ピケティもきっとそういう種族なのだろう。答えは厚労省作成の「国民生活基礎調査(貧困率)よくあるご質問*」に載っている。*http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/dl/20-21a-01.pdf**「貧困統計ホームページ」…計算式参照 :http://www.hinkonstat.net/ 簡単な假説例をつくってみたらすぐに了解できるだろう。年収1000万円の5人家族と年収600万円の3人家族がいるとしよう。普通の感覚では1000万円の所得のある家庭のほうが立地に感じるが、家族の人数で割ればどちらの世帯も平均所得は200万円となりイーブンだが、人数の平方根で割ると、447万円と346万円となり、はっきり差が出る。現実的な感覚に近いデータが得られる。

 子供の貧困率については、「考え方は相対的貧困率と同じである」と書いたが、ちっとも簡単ではないし、「金融資産1億円超の富裕層」も金融資産にどこまで含めるかということが厳密に定義されていなければならない。金融資産は1億円ないが、広大な広さの土地を首都圏に持っている場合もある。そういう人は「金融資産1億円超の富裕層」には入らないから、「真の富裕層」を想定した場合にはどこまで勘定に入れて定義したらいいのか、これはこれで定義も、それの即したデータを集めるのもなかなか困難である。だから、適当なところで定義をして、データを集めるしかない。
 
次の章で、トマ・ピケティ『21世紀の資本』をとりあげるが、データを定義して、長期のスパンでそれに見合う先進6カ国のデータを集めることは至難の業である。ピケティはずいぶん妥協していることが明らかになるだろう。図表がふんだんに使われていて精密に見えても、集められたデータは比較性を欠くから、周辺データから攻めることでずいぶんとラフな議論にならざるを得ない。データの扱いはなかなかむずかしいのである。ピケティはデータの扱いにおいて、「豪腕」の持ち主なのである。


  21. <『21世紀の資本』トマ・ピケティの空想的所得再分配論> 
  ピケティは欧米各国のデータを調べて、資本収益率rと成長率gの二つを比べ、[ r > g ]という不等式を導き出す。資本収益率が成長率(賃金上昇率)を上回ることで、資本主義では経済格差が拡大することを一般的な法則と主張しているのだが、日本の現実はどうだろう?
 過去40年のスパンで見たときにどうかという問題と、経済格差が急拡大した最近15年間ほどのデータではどうかという問題がある。  「時事ドットコム」の勤労者の平均所得推移データをみると、1997年の446万円をピークに下がり続けており、2013年のそれは413万円で、1989年当時と同水準にある。最近20年間は勤労者の平均給与は下がり続けた。
*図解平均給与の推移:http://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_eco_company-heikinkyuyo 

 
資本収益率とは自己資本税引き後当期純利益率のことだろうが、統計資料をググってみたがヒットしない、自己資本経常利益率はみつかった。過去10年間では上場企業の自己資本経常利益率はおおむね10%前後あるから、税引き後の当期純利益を半額としても、株主資本税引き後当期純利益率(ROE)は5%前後あるようだ。ピケティの不等式[ r > g ]は最近20年間の日本でも成立していることは疑いがない。しかし、それを直接証明するデータは提示されていない。後で論じるが、そもそもそのようなデータは存在していない。
 
だが、ピケティの不等式よりも、小泉政権(20014月~20069月)以前からはじまった労働規制解除のほうが所得格差拡大に影響が大きいのではないだろうか。非正規雇用割合が約40%に上昇したことで、サラリーマンの平均所得が減少し続けている。非正規雇用割合は上昇を続けており、サラリーマンの平均所得は1997年をピークに下がり続けている。所得格差拡大は労働規制解除による非正規雇用割合の増大によってもたらされたとも言いうるのである。
 
労働規制解除は米国からの要求に応じてなされた、グローバリズムの弊害である。各国はそれぞれの国の事情に応じた、雇用慣行があっていい、一律に米国と同じにする必要はないのである。グローバリズムを受け入れることで、先進国中で一番経済格差が小さかった日本が壊れつつある。米国の次の要求はTPPであるが、受け入れてはいけない。 

 
話をピケティに戻そう。かれの不等式は最近20年間の日本の経済格差拡大の半分も説明できない。日本の経済格差は労働規制解除が次々となされていくことで急拡大したと考えられる。
 ピケティの論の面白いところは、この不等式で表された「一般法則」の向こう側にある。かれは経済格差を縮小するために、累進課税を強化すべきだと主張する。さらにもっと進んで、資産課税を主張している。たとえば、1億円超の資産を保有するものには年に1%の税金を課すというものだ。テレビ出演して応えていたのを見たが、10億円なら2%という風に、保有資産額の大きさに応じて税率をアップするというもので、きわめて大胆で具体的な所得再分配提案である。ほとんど革命ともいえるような資産課税の実現性の問題はさておいて、これならサラリーマンの平均所得以下の層は所得税を課税しないですむ。
 ピケティの論の背後には、経済格差拡大は社会的不正義であるという観念があるのではないだろうか。所得分配機能を強化することは社会的正義の実現であるという思想と信念に基づいているようにわたしの耳には聞こえた。しかし、資本主義社会で資産課税をすれば、経済と政治の実権を握っている富裕層と真正面からぶつかることになる。政権与党や官僚が革命に等しい資産課税に踏み切る余地はほとんどゼロに等しいように思える。エスタブリッシュメントが自分たちの利権を自ら手放すわけがないから、ピケティは「空想的格差解消論」を提唱している。
 ピケティの論は所得再分配機能を強めることで国民の経済格差を縮小しようとするものである、理屈としてはわかるが、それは革命に等しい内容を含んでおり、実現性がほとんどない。
 
わたしの職人中心経済社会論は、マルクス『資本論』の第一公理を「労働は苦役」から「仕事は歓び」に替えること、すなわち仕事観の転換により、生産のあり方や企業のあり方、そして経済社会のあり方を根底から変えてしまうものである。このように書いてしまうと、わたしの論もなにやら言葉遊びのようにも聞こえるだろうから、具体例を一つ挙げてみたい。 

[チーズ職人たちが協同で地域ブランドを創設しようとしている]
 十勝でいま面白い試みがなされている。チーズの地域ブランド、「ラクロス」を確立しようというものだ。複数のチーズ工房で造られたチーズの品質が一定でないと消費者の信頼は得られない。20252月に行われた試食会では、まだそれぞれのチーズ工房で造られたチーズの味に個性が強すぎるという評価だった。製造に関するさまざまな工夫をお互いにある程度公開して、品質の高いところにあわせる努力をしないと、売れる商品ブランドの確立はできない。チーズ造りに携わる職人たちの技と使う原料の品質が揃わないと信頼性が高く売れる商品の地域ブランドは確立できない。小さな工房が集まって原料や技に関するノウハウを出し合って物を協同して生産・販売していく、あたらしい時代の芽が道東でも生まれつつある。

 [図表と資本収益率について]
 ピケティの図表の中に、日本の資本収益率が載っている表はない。論より証拠、スライドに収載されている図表名をリストアップするのでご覧いただきたい。

1.1. 米国での所得格差、 1920-2010
1.2. ヨーロッパでの資本/所得比率、1870-2010(独・仏・英)
5.3. 金持ち国の民間資本1970-2010(米・独・英・加・・仏・伊・豪)
5.5 金持ち国の民間資本と公的資本 1970-2010(米・独・英・加・・仏・伊・豪)
3.2. フランスの資本、 1700-2010
2.5 世界の資本分配、1870-2010(アジア・アフリカ・アメリカ大陸・ヨーロッパ)
6.5 金持ち国の資本シェア1975-2010(米・独・英・加・・仏・伊・豪)
10.1. フランスの富の不平等 1810-2010
10.2 パリとフランスの富と不平等の比較10.3 イギリスの富の不平等 1810-2010
10.4. スウェーデンにおける富の格差 1810-2010
10.9. 世界的な資本収益率と経済成長率の比較 古代から2100
10.10. 世界的な税引き後資本収益率と経済成長率 古代から2100
2.2. 世界人口増加率 古代から2100
2.4. 太古から2100年までの世界一人当たりGDP増加率
12.1 『フォーブス』による世界の億万長者、1987-2013
12.2 世界人口と世界総資産に占める億万長者たちの比率、1987-2013
12.3 世界の富のトップ区分の資産シェア、1987-2013
12.1世界のトップ資産成長率
12.2米国大学の資本基金収益率
3.2 フランスの資本、1700-2010
4.6 米国の資本、1770-2010
5.2 ヨーロッパと米湖訓国民資本、1870-2010
4.10 米国の資本と奴隷制 1770-2010
4.11 1770-1810年頃の資本:旧世界と新世界(英・仏・米(南部))
10.6. ヨーロッパと米国における富の格差の比較 1810-2010
8.5. 米国の所得格差、1870-2010
9.8. ヨーロッパとアメリカにおける所得格差 1910-2010
14.1 最高所得税率1900-2013(米・英・独・仏)
14.2 最高相続税率1900-2013(米・英・独・仏) 

 スライドに収載されているのは28図と2表。ナンバーから推して本のほうにはこれの数倍の図表が載っているようだ。主として米・独・英・仏の4カ国のデータが主軸であり、世界第3位、独・仏を合わせた経済規模である日本*は刺身のツマ程度の扱いになっている。それにしても、ピケティ氏はデータ蒐集が大好きなようだ。
*総理府統計局「世界の国内総生産」http://www.stat.go.jp/data/sekai/zuhyou/03.xls#'3-1'!A1 

 
「図5-3 金持ちの国の民間資本1970-2010」には米国・米・英・加・日・仏・伊・豪の6カ国、資本収益率をダイレクトに計算あるいは比較できないので、関連指標群を取り上げることで代替しようというわけか?
 日本については3つの図で扱われただけであり、資本収益率は提示されていない。そもそも資本収益率という概念はあいまい、分母は2種類、総資本収益率と自己資本収益率がありうるが、分子も経常利益とするか、税引き前利益とするか、税引き後利益とするかで3種類考えられる。假に分子は税引き後利益、分母は自己資本としよう、次に問題になるのは会計基準である。各国で会計基準が違っているだけではない、日本だけをとってみても、会計基準は2000年の「会計ビックバン」を境に大きく変更されているので、それ以前と以後ではそもそも税引き後利益の比較ができない。二つ問題がある。法人税率の違いや健康保険の会社負担分の違いが税引き後利益に影響してくるから、各国のデータを比較できない。まだ他にも撹乱要因がある、それは繰延税金資産勘定である。この勘定の新設によって、総資本も自己資本も水増しされている。大銀行にどうしてこんなに優遇措置を講ずる必要があるのだろう。リーマンショックで15兆円の穴を開けた銀行は、損失処理をしたが、その損失を7年間繰り延べできるように会計基準が変更されていた。当初は5年だった繰延期間は2年延長された。弊ブログ「ニムオロ塾」#2727で昨年6月にとりあげているので、抜粋する
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-07-06-1

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…リーマンショックが2008年だった、その際に日本の金融機関がどれほどの損失を出したかご存知だろうか、おそらく記憶にないだろう。なんと1490億ドルである、現在のレート102/$で換算すると15兆円もの損失を出した。
 
大きな仕掛けがあった。巨額損失15兆円は「繰延税金資産」という勘定科目で処理され、その後5年間に渡り利益と相殺され続けた。繰延税金資産の有効期間は5年間だから、2008年度決算で生じた損失15兆円の繰り延べは2013年度(20143月期)までであったが、2012年に法律を改正して繰り延べ期間を2年間延長し7年と改めた。至れり尽くせりとはこういうことをいうのだろう。
 実効税率(法人税+法人住民税等)を36%と假定すると、5.4兆円の免税となっている
 
政府は消費税の3%値上げによる平成26年度増収分を546億円と答弁しているから、繰延税金資産で圧縮した5.4兆円の大きさがわかるだろう。
*http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b186101.htm

 法人税の実効税率は利益の約36%であるが、経済界は法人税本体の税率30%を20%に減額要望している、安倍政権はこれに応えて法案を提出するつもりのようだが、繰延税金資産勘定を利用することで金融機関は7年間で約5.4兆円の減税措置を受けた。この制度はずっと有効だから、二度目のリーマンショックが起きても大手都市銀行は安泰である。また税金の減免で自己資本の増強を図ればいい。
 こういうこと
は金融機関の経営にモラルハザードを招く。ハイリスクの金融派生商品に手を出しても、万が一の大損失には税金の減免がまっている。

 法人税収はリーマンショック後6兆円に減少したが、通常は年額8兆円から10兆円である。法人税率を20%に下げることでさらなる減税をするのだ。消費税は4月に5%から8%に引き上げられ、来年10月には10%へ再引き上げされる。大震災の復興税はすでに免除されている。

 金融機関に限らず、法人は「繰延税金資産勘定」を利用することで、法人税の大幅減税がすでになされているのである。そのうえ30%の法人税を20%にまで下げようというのだから、その強欲さには空いた口がふざがらぬ。金融機関に限らず企業経営者たちはモラルハザードを起こしている。強欲な企業経営者たちを、会計基準を変更してさらに強欲に駆り立てている。
 政府財政は1000兆円を超える国債残高を抱えて青息吐息なのだから、法人も応分の負担をして財政健全化に貢献するというのが日本の企業のとるべき道だ
 
財界人の中から国の行く末を憂い、財政健全化のために法人税率を40%に上げようという意見が出てくることを期待したい。経営者は強欲な人間ばかりではない、まともな人も少なくないだろう。いるならぜひ声を上げてもらいたい
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 繰延税金資産については、企業会計と税務会計(所得申告)の調整に関する事項なので、あとで簡単な仮設例を挙げて[-6 繰延税金資産について:三菱UFJ銀行の例]で解説する。

 会計ビッグバンのもう一つの問題は、株式の時価評価である。それまでは株式は低価法で決算書に載っていた。取得原価か時価のいずれか低いほうで貸借対照表上に記載すればよかった。30年前に一株100円で百万株、1億円で取得した株が10000/株になっていても帳簿上は1億円だった。実際には100億円だから、業績が悪くなったら保有株を切り売りすることで損失補填ができたのである。それが時価評価になって、売却しなくても評価益を計上し、課税がなされる。上場企業株をたくさんもっていたら、株価の乱高下で利益計画に重大な変動が出るようになった。それで、企業間で持ち合っている株を市場でいっせいに売り始めた。現在、外国人投資家あるいは投資機関の国内企業上場株のシェアーは30%を超えてしまった。株式の評価基準が変わっただけで、企業間で持ち合いされていた株が一斉に売りに出たのである。
 7/30の日経新聞電子版では、三菱UFJ銀行が持ち合い株の20%を売却する方針だという。

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三菱UFJ、持ち合い株削減へ基準 2割が「収益性」満たさず>

 
三菱UFJフィナンシャル・グループは持ち合い株の削減に向け、保有株式から得るべき収益率を示す新基準を公表する。3月末時点で保有する3.8兆円(簿価1.9兆円)のうち約2割が基準を下回り、一定期間内に改善しない場合は売却を検討する。持ち合い解消を促す政府の企業統治(コーポレートガバナンス)改革を踏まえ、残高の削減方針を明示する。http://www.nikkei.com/article/DGXLASGC29H1X_Z20C15A7EE8000/ 
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(株式持ち合い解消は銀行員にとっては深刻な痛手となる。持合を解消してしまえば、銀行から融資先企業への「天下り」もできなくなる。年収1300万円の課長クラスが50歳を過ぎてから肩たたきされて、年収500万円以下の企業へ再就職するようなことになる。当然肩書きも外れる。1980年代は課長クラスでも上場寸前の優良企業へ役員や部長で出向できた。部長で出向しても数年で転籍して役員が約束されているから安楽な生活が保障されたものだ。) 

 
ビックバン以前は保有株式の評価額が取得原価だから、自己資本額は過小に評価されていたことになる。会計基準の変更によって分母の自己資本の比較ができないのである。 したがって、ピケティの論を直接証明する「資本収益率」に関する信頼するに足る統計データはない。でも、周辺のデータからおおむね妥当とは言えるだろう。それよりも1990年代後半からはじまった、労働規制解除のほうがはるかに経済格差拡大を推し進めたと言えるだろう。  ピケティの本は分厚い学術書で高価(5940円)なので、概要を知りたい人は、翻訳者がこの本に載っている表をネット上にアップしてくれているので、こちらをご覧いただきたい。チャートが面白いと思った人は、分厚い本を注文したらいい。(根室でオリジナル(英語版)を読みたい人がいたら、5月以降なら土曜日に時間をとって付き合ってあげられる。)
 *2014-10-09 ピケティ『21世紀の資本』スライドhttp://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20141009/1412861233http://cruel.org/books/capital21c/Piketty2014Capital21cJapanese.pdf  



2. <浜矩子 2015年度政府予算案と公共性について> 

 
 NHKラジオ番組「ビジネス展望」(朝643分から10分ほどの番組、29日放送)で、同志社大大学院の浜矩子教授が、平成27年度政府予算案を俎板に載せ、次のように論評した。
□ 予算最大規模
□ 歳出規模が過去最大
□ 国防費増額
□ 生活保護費は支給基準の見直しがなされて減額
□ 法人税減税の一方で、赤字企業への課税強化
□ 沖縄への振興策は減額

 これらを総称して「メリハリつきすぎ予算」、「依怙贔屓が見えすぎちゃう」とのたまう。とどめは「公共財の私物化と言うべきものではないか」。
 浜氏は公共財とは「幅広く人々に便益が及ぶもの、そのために公共部門が責任をもってサービスを提供する」と定義する。「そういうことをやるのが政府の仕事であって自分のやりたいことをやるのは公共サービスではない、安倍政権においてはその辺のところが非常に混同されている」と鋭い指摘。
 私物化の具体例を次々に挙げた。
□ 政治家が軍備を強化したいと思うから国防予算を膨らませる
□ 気に食わない相手に対しては支援の規模を削り込んでしまう⇒沖縄
□ 人気を取りたいから、新幹線網を整備する
□ 大企業を自分が優遇したいから法人税を減税

  ようするに、自分たちがやりたいことをやるという姿勢がはっきり見える、こういうのは政策意図とは言わない。自分がやりたいことをやるのは、公共部門が政策に携わるときの発想ではない。
 聞き手が次のように問いただした。
       公共事業は景気の下支えに必要
       国防予算増額は周囲の安全保障環境の変化に対応するもの
       法人税減税は国際競争力を強化するためのもの
 浜氏の答えは次のように原理原則に還るものだった。

 公共性とか公益性とはどういうことをさすのか?政府の役割はどういうものか?
①放置しておくと誰もやらないことをやる、
②ほうっておくと消えてしまうサービスを提供する、
③誰も見向きもしない弱者を助ける。
 政府や国家は国民のためにサービスを提供する事業者であり、そういうこと(①、②、③)を前提にわれわれは税金を払って政府や国家を養っている。安倍政権の平成27年度予算案はその辺に対する認識が希薄である。
 浜氏はジョン・メナード・ケインズの言を挙げた。政府にとって重要なのは、個々人がすでにやっていることを少し上手にやるあるいは少し下手にやることではなく、他の誰もがやらないことをやるのが政府の仕事である」、ケインズは財政政策にとって重要なポイントをしっかり指摘している。

  安倍政権の平成27年度予算案が民意の結果ではないかとの質問に対しては、次のようにばっさり切り捨てた。
「傲岸不遜、選挙で勝てば何をしてもいいのか?自分たちのやっていることはすべて公共性があるのか?そんなことはない、(自民党や公明党に)投票しなかった人もいるし、それに今回の選挙では自民党は議席を減らしている。国民すべてのために公共性、公益性を考えなければならない。(安倍政権は)民主主義のプロセスをわかっていない。」

  過去最大規模の予算についてはどのように思うか問われて、数字を挙げて警鐘を鳴らした。「公的部門の借金残高がGDP233.8%、破綻しつつあるギリシアですら179.9%、こんな状態にあるのに、一方でやりたいことをやるために歳出規模を最大にするというのは公共性や公益性がない。借金を返すために借金をしていく一方で、派手な事業を積み上げていく。これはやはり公共性を意識していない政策姿勢。」  新規国債は減る計画だがという問いには次のように答えた。「円安、株高、そういう状態を政府が作り出したパフォーマンスの成果、だから何をやってもよいということではない。」自作自演の円安と株高で一時的に税収が増えただけ、後にはたいへんなツケが回ってくるということだろう。 

 公共性を前面に押し出しての浜氏の論の展開はなかなか迫力があった。わたしは11節<学としての『資本論』体系解説>で、資本論の公理・公準とは異なる13の公理・公準を挙げて、新しい経済学の枠組みを示した。

 
1.仕事は神聖なものであり、歓びである ⇒第1の公理
 
2.商品には価値がある、価値のないものは商品ではない ⇒第2の公理
 3.商品には使用価値がある、使用価値のないものは商品ではない ⇒第3の公理
 4.価値には普遍性がある ⇒第4の公理
 
5.一人前の職人の仕事は職種を超えて同一であるものとする ⇒第一の公準
 
6.商品の価値量はそれに含まれている一人前の職人の仕事量で決まるものとする ⇒第2の公準
 7.名人の仕事の質は無限大であるとする ⇒第3の公準
 8.名人の仕事の質は一人前の職人の仕事の質と比較できない ⇒第5の公理
 
9.資本の運動は利潤を生み、生産性増大は利潤を増大させる ⇒第6の公理
10.小欲知足:欲望の抑制 ⇒第4の公準
11.生産力と環境との調和 ⇒第5の公準
12.売り手よし、買い手よし、世間よしの三法よし ⇒第6の公準
13.浮利を追わぬ ⇒第7の公準
 
 
No.1013は倫理基準でもある。第4の公準~第7の公準は、欲望のままに動いていい、自分さえよければいい、環境がどうなってもいい、取引相手に損をさせても世間に迷惑をかけてもいい、いまさえよければいい、そういう考えをいましめたものだ。政策決定権限のある者がこれらの倫理基準を無視して動いたら、長続きはしないし、大多数の者の幸福にはつながらぬ。
 
世界中の創業二百年を超える企業の7割ほどが日本にあるのは、「自分だけ儲けりゃ好い」とか「だまされるほうが悪い」という弱肉強食の価値観ではなく、毎日仕事の技術を磨き、誰が見ていなくても仕事の手を抜かず、「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」を旨として、浮利を追わないという、日本的倫理基準をベースに日本企業を運営してきたからである
 
財政政策に関する公共性や公益性は、個々人の勝手気ままな欲望の拡大再生産を抑え、意見を異にする者たちのことも考慮に入れて政策決定をすることで担保される。自分たちのやりたいことだけをやるというのでは、その政策には公共性や公益性が微塵も感じられない。
 
国の財政は公共財であるから、その歳出を恣意的に加減した平成27年度予算案は「公共財の私物化」と言われてもしかたのないものになっている。
 
具体例として沖縄の件とTPPでの全国農協中央会つぶしを挙げるだけでいいだろう。沖縄県知事が当選後の陳情に東京へ来たが、菅官房長官にも防衛大臣にも門前払いを食らって沖縄へ戻った、振興予算も削られた、ひどい仕打ちに見える。TPPに抵抗する農協の力を削ぐために、監査権限をとりあげる。これも露骨な嫌がらせで、自分たちがやりたいこと(TPP)をやるためには何でもやるという典型的な姿勢であり、公共性や公益性をかなぐり捨てた蛮行である。
 日本経済の規模はGDPでみると世界の8.3%を占めており、ドイツとフランスを合わせた規模をもつ。その破綻は世界経済にとっても甚大な影響を及ぼさずにはいない。日本の経済規模は世界第3位、その政府が財政破綻したときの影響は全世界を駆け巡る。国内だけではない、世界に対しても責任ある行動をしなければならない。
 縄文時代に始まる日本列島の1万2千年の歴史のなかで、
日本は初めて長期にわたる人口減少時代に突入してしまったから、経済規模の縮小は避けられない。規模縮小を先読みしてそれにふさわしい経済政策を立案すべきであるのに、ありもしない「経済成長」の旗を降ろそうとしない。考え方の基本がしっかりしていない経済政策は危うい。安倍政権は公共財である政府財政をどのような経済学の公理・公準(=経済哲学および倫理基準)に基づいて立案・実行しようとしているのか? 


 23. <村落共同体と税:自由民と農奴について> 

  歴史学者の網野善彦氏の『列島の歴史を語る』(ちくま文庫、20144月刊)と著名な作家である司馬遼太郎氏の『この国の形(一)』(文芸春秋社、1990年刊)から、日本人の仕事観に関わりのある村落共同体「惣」に関する話題を拾ってみたい。司馬氏は「惣」について、それとセットで存在していた「若衆宿」『若衆制』をからめて論じている、網野氏の説と比べてみたい。日本の農山漁村の共同体の歴史は縄文期までさかのぼり、その習俗が明治期までは連綿と受け継がれてきた。1960年代後半の学生運動に、惣における若衆とオトナの緊張と依存関係をみてとることもできるだろう。
 
村落共同体(惣)は自治組織であり、そこを支配する領主が定まっても、問題の多くを自分たちで決定し処理できた。四季の移り変わりの美しさが日本人の情緒を育み、豊かな文学を育てたように、村落共同体に受け継がれてきた自治の歴史的伝統が日本人の仕事観や商道徳をはぐくんだとは言えないだろうか?村落共同体の原初的形態を確認し、それと仕事に対する考え方の接点を探索するのが、この章の目的である。
  論点はいくつかあるが、大きく括ると、日本にはヨーロッパのような農奴が存在したか否かという問題、村落共同体と税金の関係、そして村落共同体と仕事観の関係である。

[隷属民はいたが農奴はいない]
 
網野氏は、第一の論点について、農奴は存在しないが隷属民は存在していたと説明している。借財の未済による共同体構成員としての資格剥奪=誰かの隷属民への転落というのは中世の文献で確認できると書いてある。年貢を未進したことで債務奴隷になった記録が中世には残っている。網野氏は奴隷というより隷属民の語のほうが事実に即しているという。記録には残っていないが、『古事記』以前からあったという含みをもたせているが、文字記録として残るものとしては中世までしかさかのぼれない。
(高橋勝彦の小説『風の陣』は天平21年(749年)の春から書き始めているが、このなかに政治的に失脚した一族の末裔が行政の手続きミスから隷属民になる話が出てくる。隷属民はこの時代からいたのだろう。小説の中だから、論拠にはならないが、時代状況の理解には役立つ。)
 共同体の構成員には果たすべき義務があり、それを果たせなければ共同体の構成員たる資格を失うことは古くからのしきたりだったようだ。縄文時代も列島に住む人々は集落を作り集団生活をしていたことは、三内丸山遺跡など全国各地の遺跡から確認できる。三内丸山遺跡は縄文中期後半の最盛期には500人規模の大集落であったという推定もある。三内丸山遺跡の推定年代は紀元前37002000年頃、おおよそ1700年間続いたことになる。

  網野氏の解説によれば、日本の伝統的な文化や村落共同体の原型ができたのは室町時代で、そこから明治時代まで基本的には同じだという。村落共同体という言葉は村を含んでいるが、律令制が敷かれてから、正式な行政区分(国衙領:荘・郷・保・名)外のものを「村」と呼んだ。

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「それから「村」ですが、「荘」にせよ、「郷」にせよ、「名」にせよ、国家によって行政単位になっていますが、行政単位化されていない部分を「村」といいます。いまの村とは大分意味が違います。古代でもそうなんで、東北地方が律令国家の支配下に入り、一応国と郡ができますと、「村」ではなくなるわけです。行政単位に入らない部分が「村」で…」『列島の歴史を語る』192
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 「村」は律令制が敷かれる前からあった呼び名ということか。唐を真似て律令制度を導入したので、正式な行政区分に組み入れられて律令制度上の名前が冠せられたように読めるから、村の存在は古墳時代よりももっとさかのぼり、はるか縄文時代の集落から村の基本構造や基本システムが存在・受け継がれてきたと仮定したい。その基本システムのルールが、村落共同体の成員としての義務である。それを果たせない者は村落共同体の成員から外され、従属的な地位に転落する。そういう暗黙のルールがあり、それに基づいて村の維持が世代をついで数千年間なされてきたのではないだろうか。
 奴隷も農奴もいなかったが、村落共同体の成員たる義務を果たしえず自由民から転落した隷属民はあったことから、村落共同体の成員は誰にも従属していないという意味で自由民であるというのが、一つ目の論点の結論である。
 

[贄(にえ)が税(調)の起源]
 二つ目の論点は税をめぐる支配者と村落共同体の関係であり、そこに自発性を認めるのが網野説のユニークなところである。網野氏は庸と調の負担に関して、自発性がなければ奈良や京都まで全国の産物を生産者自身が運んだ理由を説明しえないと書いている。
網野氏は言及していないが、わたしは次のように考えた。縄文時代から八百万の神々へ感謝の心をささげるために、共同体の成員が獲った一番よい魚、米、塩などを捧げる習慣があった。大和朝廷ができてからは、天孫降臨神話を語ることで、天皇は神々の直系子孫だから八百万の神々への捧げものがすんなりと天皇への捧げものにとって代わった。
 
租庸調のうち、調は地方の特産物であり、それはもともと神への捧げ物であったから、租税(租庸調)負担は村落共同体の成員の当然の義務として捉えられた。神々への捧げ物(=贄)が「調」となり、その「調」を媒介にして租税負担(租庸調)は日本人にとって神への捧げものという感覚が伴う。 

[贄と仕事観]
 
三つ目の論点は、「贄」が神への捧げ物であることから、「贄」に関する仕事が神聖視されたことにある。農産物や水産物、そして手で作るものの中で一番よいものを神への贄(にえ)とした。その贄の習慣が「調」の始原である。贄は律令制度導入以前から習慣としてあるから、各地方の特産物で一番よいものを天照大神の末裔である天皇に献上するというのはよくわかる。
 
贄や調は神々への感謝とつながっているから、農耕や漁獲で獲れたものなら最良のものを献上し、人が作ったものならやはり最良のものを捧げるのである。だから、仕事にごまかしがあってはならないという意識が働き、日本人の仕事観が育まれ、受け継がれてきた。

 [共同体成員の義務を果たす限り、成員としての自由が保障された]
網野氏のいう自由民とは共同体の成員だという点にあった。共同体の成員である限りは誰かの従属民ではないから、村落共同体内で成員がもつ自由がある。
 
税である租庸調は村落共同体と行政との接点で出てくるが、それは納める側の自発性を前提にしないと遠くから命がけで運んでくる理由が見つからないという。食糧ばかりではない旅の費用はすべて自弁である。帰りの食料がなくて餓死する者も少なくない。そこまでしてなぜ調をはるか遠方から都まで輸送するのかという疑問に対する答えは、自発性以外には見つからないというのが網野氏の結論である。
 
村落共同体はもともと共同体の成員が獲った・栽培した・作った最善の品を神へ捧げていた。それが大和朝廷の成立とともに神の直系子孫である天皇への捧げものに代わっただけのことで、村落共同体の成員にとって税(調)は自発的に納めるべきもの(神への捧げもの)と考えていたのだろう 。

[農民ではなく「百姓」]
 
四つ目の論点は、村落共同体の主体が農民であったというのは間違いで、さまざまな職業の者たちがいたということ。海岸の近くなら半農半漁が主体だっただろうし、漁業に専念する村落もあっただろう。縄文時代から各地の集落の間でさかんに物々交換がなされていた。だから、網野氏は村落共同体を農民の村と考えるのは実態にそぐわないと書いている。農山漁村の混合型が殆どと考えたほうが事実に近いから、さまざまな職業を意味する「百姓」という用語が正しいと指摘している。ついでにいうと、「農村」ではなく、「農村・山村・漁村」が混在していたわけで、「農山漁村」というのが正しいのだろう。

 [村の自発性と支配者との緊張関係]
 
五つ目の論点は、支配者と村落共同体の間に、税負担を挟んで支配者側に緊張が生じていたということ。中世では公的負担のことを「公平(くひょう)」とか「限りある公平」と呼んでいた。
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「公平」とは年貢のことです。「公平」にはそういう意味がある。「限りあるもの」以上を取り立てた場合、百姓は反撃すると見て取ることができます。負担がある限度を超えたときは、支配者の側が反撃を受けるのは、百姓の負担が自発的であるがために支配者を縛っているのではないか。だから、古代の支配者もそれなりに悩まざるをえないという状況になる。183ページ
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 本来、自発性に基づく神への捧げ物という性格をもつ税負担を過酷に取り立てると百姓は武器をもって反抗しかねないし、それは理のあることでもあった。大国主命と天照の国譲り神話や聖徳太子の17か条の憲法にあるように、話し合うことや理を尊んできた国柄である。無理な主張は支配者といえども通せないのが大和の国。
 律令制度が敷かれても、村落共同体と国家の間には「暗黙の約束事=公平な課税」があったと網野氏は言いたいのである。ヨーロッパや中国の領主が農奴に対するのとは、その辺りが決定的に異なっている。 

[惣と若衆制]…司馬遼太郎の意見
 「惣」について司馬遼太郎が『この国の形 (一) 』文芸春秋社 1990年刊15 若衆と械闘」「23 若衆制」で触れている。若衆制については「呼ばひ」についての記述が『古事記』には「用婆比」、万葉集にも「夜延(よばひ)」とあることから、惣と共に大和の国の成立以前から農山漁村の習俗としてあったようだ。この「惣」が公の意識の原型ではないか。
 

 
 若衆たちはムラの祭礼を執行する一方、自分の集落(ムラ)の娘たちについては自分たちで支配しているとおもっていた。一種の神聖意識というべき感覚で、他村の若衆がムラに忍んでくるのをゆるさなかった。
 かれらは、夜中、気に入ったムラの娘の家の雨戸をあけ、ひそかに通じる。ひとりの娘に複数の若衆が通ってくる場合がしばしばあったが、もし彼女が妊娠した場合、娘の側に、父親は誰だと指名する権利があった。
 娘に名ざされれば、たとえ出来心ではあっても若衆は決して逃げることをせず、これと結婚した。生まれた子がときに他の若衆の顔に似ていることもあったが、問題が起こることはなかった。 その集落でうまれた子は共同体の子だという気分があって、そういう気分も、たぶんに血縁集団である集落結束の要素になっていたようである。
 この制は明治後大いにすたれた。明治国家は若衆制を鄙族野蛮の習俗と見、明治38年(1905年)文部省・内務省が主導して、“青年団”として仕立てかえはじめ、大正14年(1925年)におよんで大日本青年団が発足して、この習俗をほろぼしてしまった。
 大日本青年団に、一つの功がある。かれらが否定したはずのこの古俗について『若者制度の研究』(昭和11年刊)という質の高い研究所を刊行したことである。(この本は古い図書館なら所蔵しているはずである)。同書195

 
 
ついでに書くと、司馬は「農奴」という語をこの本の中で何度か使っている。
 「農奴」は「18 豊臣期の一情景」で、場所は近江の長浜、上坂(こうざか)郷の地侍の話のところで出てくる。

「地侍は、地面に這う虫だった。そのくせ守護が陣触れするときは在郷の将校として出てゆく。自分の農奴のうちの気の聞いた者数人にハラマキを着せ、なぎなたなどを持たせ、代え馬の一頭曳いて容疑をととのえるのである。ただし御家人階級からみれば、単に百姓でしかない。」(同書157頁)「さて、室町・戦国期における近江の上坂郷の地侍上坂氏のことである。地侍の基盤は、隷属する農民にある。かれらが旦那(地侍)の田畑をつくっている。旦那にもいろいろあって、派手なのは室町将軍に献金し、“百姓”の分際ながら官職をもらったりするのである。負担は農奴にかぶさる。」(同書159頁) 

 司馬氏は地侍に隷属している農民を「農奴」と書いている。司馬氏が書いているのは、網野氏のいう、共同体の構成員の資格を失った「隷属民」ではない。惣という共同体の構成員であり、百姓である。

 [まとめ]
 結論:村落共同体は縄文時代から戸単位の集落として継続して存在しており、律令制度が整えられるにしたがって国衙領に組み入れられていった。それは名称変更しただけで、もともとのシステムが維持されたのである。村落共同体の成員は自分の義務を果たす限りにおいて、成員としての自由を獲得するというものである。
 
若衆制が『古事記』以前から存在しているから、それとセットで農山漁村共同体の原型である「惣」もあったのだろう。神への捧げ物をつくるのは共同体の成員の義務の一つであった。村落共同体は国の制度に組み込まれていき、神への捧げ物が天孫降臨神話を受け容れることで税負担に代わったと考えたい。だから納税には自発的な義務という感覚が中世には残っていたし、この国の国民であれば、憲法に三大義務として納税の義務が定められてなくても、納税は当然の義務であるという意識がいまでもあるのではないか。
 
日本人にとって仕事が神聖なものであり歓びであるというのは、最良の作物・漁獲物・手で作ったものを贄として神に捧げる習俗にその淵源がある。八百万の神々への捧げものが、天孫降臨神話を媒介にして、天皇への捧げものとなった。「租庸調」の「調」はそういう習俗にぴったりの制度だったのである。 

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*#2784 百年後のコンピュータの性能と人類への脅威 Aug. 22, 2014 
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 #3097 資本論と21世紀の経済学(改訂第2版) <目次>  Aug. 2, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-08-15

 #3121 既成経済理論での経済政策論議の限界 Sep. 1, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-09-01-1

 #3148 日本の安全保障と経済学  Oct. 1, 2015 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-10-01

 #3162 絵空事の介護離職ゼロ:健全な保守主義はどこへ? Oct, 24, 2015 
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 #3213 グローバリズムを生物多様性の世界からながめる(Aさんの問い) Dec.28, 2015 
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  #3215 ライフワークに手をつけた2015年を振り返る:『資本論』を超えて  Dec. 31, 2015 
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  #3216 諸悪莫作(しょあくまくさ)  Jan. 3, 2016



  #3217 日本の商道徳と原始仏教経典  Jan. 7, 2016

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