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#4509 うっせえうっせえうっせえわ:Ado Mar.15, 2021 [A9. ゆらゆらゆ~らり]

 面白い歌が流行っている。小学生でもすっかり歌詞覚えて「うっせえうっせえうっせえわ」してる子が増殖中だという。COVID-19よりも激パンディミックだ。親が心配していると今朝のNHKラジオで解説していた。

 現役高校生が歌っている。リリースしてから4か月ですでに9500万回の再生回数だという。間もなく1億回を突破する。どこまで伸びるかわからないが、あまりはやると「うっせえ」。

 「正しさとは愚かさとは/それが何か見せつけてやる/ちっちゃなころから優等生/気づいたら大人になっていた/ナイフのような思考回路/持ち合わせるわけもなく/でも遊び足りない/何か足りない/困っちまうこれは誰かのせい/あてもなく混乱するエイディ」

 歯切れがいいね、反逆精神の欠片がラップ風のリズムに乗ってポンポン飛び出してくる。

 「骨まで愛して」は城卓矢が1966年にリリースした歌で、美空ひばりさえもカバーしている大流行した歌だ。そのころ根室高校から明治牧場内を横切って歩いて家へ帰るときに、小学生が

「生きてる限りは/どこまでも/探し続ける恋ねぐら/傷つき汚れたわたしでも/骨まで骨まで/骨まで愛してほしいのよ」

と、体をよじって歌っているのに出くわしたことがあった。思わず顔見合わせて大笑いした、小学生には似合わぬ歌だったから。あれは天気の良い土曜日だった。昔は土曜日は4時間授業。一緒に笑ったのは誰だったかな。サイロの横を突っ切って小道があったあのコースを土曜日に一緒に歩いて帰った同級生はすくない、ヒロシだったような気がする。
*城卓矢 骨まで愛して 歌詞 - 歌ネット (uta-net.com)


Ado うっせぇわ 歌詞 (j-lyric.net)
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歌:Ado

作詞:syudou

作曲:syudou

ただしさとはおろかさとは
それがなにせつけてやる

ちっちゃなころから優等ゆうとうせい
づいたら大人おとなになっていた
ナイフのよう思考しこう回路かいろ
わせるわけもなく

でもあそりないなにりない
こまっちまうこれはだれかのせい
あてもなくただ混乱こんらんするエイデイ

それもそっか
最新さいしん流行りゅうこう当然とうぜん把握はあく
経済けいざい動向どうこう通勤つうきんチェック
純情じゅんじょう精神せいしん入社にゅうしゃしワーク
社会人しゃかいじんじゃ当然とうぜんのルールです

はぁ?うっせぇうっせぇうっせぇわ
あなたがおもうより健康けんこうです
一切合切いっさいがっさい凡庸ぼんよう
あなたじゃからないかもね
嗚呼ああよく似合にあ
そのもなく不可ふかもないメロディー
うっせぇうっせぇうっせぇわ
あたま出来できちがうので問題もんだいはナシ

つってもわたし模範もはん人間にんげん
なぐったりするのはノーセンキュー
だったら言葉ことば銃口じゅうこう

そのあたまきつけててば
マジヤバない?まれやしない
不平ふへい不満ふまんれてれの
サディスティックに変貌へんぼうする精神せいしん

クソだりぃな
さけいたグラスあればぐにそそぎなさい
みながつまみやすいようにくしはずしなさい
会計かいけい注文ちゅうもん先陣せんじん
不文律ふぶんりつ最低限さいていげんのマナーです

はぁ?うっせぇうっせぇうっせぇわ
くせぇ口塞くちふたげや限界げんかいです
絶対ぜったい絶対ぜったい現代げんだい代弁者だいべんしゃわたしやろがい
もう見飽みあきたわ
二番煎にばんせんえのパロディ
うっせぇうっせぇうっせぇわ
丸々まるまる肉付にくづいたその顔面がんめんにバツ

うっせぇうっせぇうっせぇわ
うっせぇうっせぇうっせぇわ
わたしぞく天才てんさいです

うっせぇうっせぇうっせぇわ
あなたがおもうより健康けんこうです
一切合切いっさいがっさい凡庸ぼんよう
あなたじゃからないかもね
嗚呼ああつまらねぇ
何回なんかいかせるんだそのメモリー
うっせぇうっせぇうっせぇわ
アタシも大概たいがいだけど
どうだっていいぜ問題もんだいはナシ

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 エネルギーに満ちていて、全身からエネルギーがほとばしる若者が出てこないものかと期待して待っていたが、歌の世界に現れた。1980年代にレベッカというバンドがあった。FBで採り上げていた人がいたので、聴いてみた。元気いっぱい、若いころはあれでいい。

 根室商業時代からの伝統だった総番制度はヒロシが潰した。総番制度に普通科の生徒はアンタッチャブルだった。商業科で規格外の生徒たちが集められた「Gクラス」のA野とわたしも少しだけ関与している。1年生が終わり、一年間生徒の性質を見極めたうえで、どうにも扱いに困る生徒たちはベテランの冨岡先生のクラスに集められたのである。お陰で面白いクラスだった。わたしは1年生の時にはFクラス。隣のクラスにヒロシがいたはずだが、お互いに全く面識なしだった。出身中学校もヒロシは柏陵、わたしは光洋だったので接点がない。「Gクラス」へ集められなかったら、接点がないままだったかも。出遭いは偶然、否、行動を考えると必然だった、Gクラスという箱が必要だった。2年と3年の2年間、同じ箱の中で過ごした。1年生の夏から足駄(10㎝くらいの高下駄)を履いて通学した。背が高い方だったから上級生を見下ろすような格好になった。ずいぶん目障りな奴だったのだろう。総番グループだって足駄で通学する奴は少なかった。何かルールがあったのだろう。ルールなんかうっせうっせだった。
 丸刈り坊主頭の校則は2年生になってすぐに生徒会で改正の段取りをして、3か月後には生徒総会で校則改正にこぎつけ、11月の修学旅行は長髪で東京・京都・奈良を歩いた。
 当時の修学旅行は11泊12日だった。こちらはたまたま生徒会会計をしていた私が担当した。校則改正を提案したら、3年生の副会長2人が「おまえがやれ」と言ってくれたからだ。3か月で完了できる具体的な段取りをすぐに決めて実行に移した。目標は修学旅行へ長髪で行くことだった。保護者への髪型のアンケートを実施し、スケジュール通り運んだ。
 当時の生徒会会計は生徒会の帳簿をつけて決算までやっていた。政府で言うと財務大臣のポストだった。簿記の成績のよい者が任命されていた。たまたま先輩のNさんがわたしを指名した。思いっきりのいい人で、2年生の時に各部の予算折衝を「おんちゃ、おまえがやれ」と一人で任された。各部の部長と副部長を生徒会室へ呼んで個別に予算折衝をした。責任が重い仕事だったが、そういう仕事を任されて、人は育つ。

 ぶっ飛んだ高校生時代だったが、ヒロシもおれも社会人になってからちゃんと仕事してきたから、至極まともだ。(笑)

 あいつも会社役員になったし、俺も3度別の会社や病院常務理事を経験して、53歳の時に古里へ戻って来て小さな私塾をやっている。それも役目はようやく先月に終えた、もう少し続ける。
 若いうちは一度はぶっ飛べ!



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#4508 スマホ第一世代と家庭学習の躾 Mar. 15, 2021 [58. 家庭のしつけ]

 前回の#4507を書いて思い出したことがあるので書き出してみる。
 小中高と女子バレーボール部で中村先生というよい指導者に恵まれた子たちは、道内の強豪高校校へ進学した者が多かったが、根室に残った生徒たちも全道大会出場を果たしている。卒業後は看護系への進学が多かった。
 彼女たちが中1のとき(2012年)にスマホをもち始めた。だから、スマホ第一世代を呼ぶことにしたい。
 一人がもつとすぐに全員が買ってもらったようだった。あのグループは他の生徒たちよりもスマホをもつのがすこし早かった。同じ部活をしているから一人が買えば、同じものが欲しくなるのはあたりまえだ。
 文武両道を貫いた子もいるし、スマホに時間を取られて、勉強や読書時間を削ってしまった生徒もいた、事情はさまざま。指導していた先生が文武両道をしっかり生徒に伝えてくれていたから、成績に問題のある生徒はとても少なく、成績の良い生徒が多かった。

 文武両道を貫けた子たちは、小学生の時にすでに家庭学習習慣がついていたようだ。家庭学習習慣がしっかり躾けられていたら、根室に限定してのことだが、市街化地域の中学校では成績上位2割以内にだいたい入っている。小学校の時に家庭学習習慣が身につけられなかった子どもたちは、スマホをもつようになればますます勉強も読書もしなくなる。この辺りではっきり道が分かれてしまう。

 中学校になってから成績が悪くて慌てて塾へ来ても、家庭学習習慣がなければ、なかなか成績は上がらない。1週間の生活時間割記入用紙をもたせて、記入させると、中高生になれば、どれほどひどいことになっているのか自覚が生まれる。
 それでも、習慣化した「withスマホ生活」からなかなか抜け出せないケースはある。スマホ依存症とでも言いたくなるようなありさまだ。勉強しているときも、ラインやツイッターが気になる。気もそぞろで3時間勉強しても、中身は30分くらいなものだ。「ながら勉強」が習慣になる、そこが怖い。
 毎日繰り返すことは習慣となる。習慣が数年続けば性格に影響を及ぼす。読書しない、家で勉強しない子に育つ

 小学校の先生に児童の学力差について聞いたことがある、小学校に入学してきたときにすでに大きな学力差がついているという。この差はどうにもならぬと。
 本が読めて、字が書けて、足し算引き算の練習を就学前にちゃんとした子供は、「学校の勉強簡単だよ、だってちゃんと勉強しておいたから」、そう言う。何もしないで小学校へ入学してきた生徒たちはスタートの地点ですでに大きな差を抱えてしまう。学力差が大きければ教える先生たちもたいへんだ。学力の低い生徒はしばらく個別指導しなければならないが、無理だろう。こうして低学力の生徒は家でも学校でもスポイルされる。中学校に入るころには成績下位20%の層に定着してしまって、なかなか抜け出せない。家庭学習習慣の躾からやらなければならないからだ。

 就学前に子供に読み書き計算の基礎をちゃんと教えることはたいていのお母さんにできる。鉛筆の持ち方、箸の持ち方、勉強の姿勢、こういうことも親がちゃんと躾けておきたい。ジジババでもいい。子どもや孫が可愛かったら、就学前と小学校1・2年生の時にちゃんと手をかけてやろう。
 小学校低学年で家庭学習習慣がつけば、後は放っておいても勝手にやるし、塾へ通わずとも成績2割層に居続けられる。

 もうすぐ4月、新学期が始まる。家庭学習習慣の躾について、市教委や学校は保護者に具体的なやりかたを教える講習会を開いた方がいい。やり方を知らない親が根室には多いからだ。
 教育こそが町づくりの礎であるということに異論のある大人はいないだろう。



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