#4509 うっせえうっせえうっせえわ:Ado Mar.15, 2021 [A9. ゆらゆらゆ~らり]
現役高校生が歌っている。リリースしてから4か月ですでに9500万回の再生回数だという。間もなく1億回を突破する。どこまで伸びるかわからないが、あまりはやると「うっせえ」。
「正しさとは愚かさとは/それが何か見せつけてやる/ちっちゃなころから優等生/気づいたら大人になっていた/ナイフのような思考回路/持ち合わせるわけもなく/でも遊び足りない/何か足りない/困っちまうこれは誰かのせい/あてもなく混乱するエイディ」
歯切れがいいね、反逆精神の欠片がラップ風のリズムに乗ってポンポン飛び出してくる。
「骨まで愛して」は城卓矢が1966年にリリースした歌で、美空ひばりさえもカバーしている大流行した歌だ。そのころ根室高校から明治牧場内を横切って歩いて家へ帰るときに、小学生が
*城卓矢 骨まで愛して 歌詞 - 歌ネット (uta-net.com)
* Ado うっせぇわ 歌詞 (j-lyric.net)
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歌:Ado
作詞:syudou
作曲:syudou
正しさとは愚かさとは
それが何か見せつけてやる
ちっちゃな頃から優等生
気づいたら大人になっていた
ナイフの様な思考回路
持ち合わせる訳もなく
でも遊び足りない何か足りない
困っちまうこれは誰かのせい
あてもなくただ混乱するエイデイ
それもそっか
最新の流行は当然の把握
経済の動向も通勤時チェック
純情な精神で入社しワーク
社会人じゃ当然のルールです
はぁ?うっせぇうっせぇうっせぇわ
あなたが思うより健康です
一切合切凡庸な
あなたじゃ分からないかもね
嗚呼よく似合う
その可もなく不可もないメロディー
うっせぇうっせぇうっせぇわ
頭の出来が違うので問題はナシ
つっても私模範人間
殴ったりするのはノーセンキュー
だったら言葉の銃口を
その頭に突きつけて撃てば
マジヤバない?止まれやしない
不平不満垂れて成れの果て
サディスティックに変貌する精神
クソだりぃな
酒が空いたグラスあれば直ぐに注ぎなさい
皆がつまみ易いように串外しなさい
会計や注文は先陣を切る
不文律最低限のマナーです
はぁ?うっせぇうっせぇうっせぇわ
くせぇ口塞げや限界です
絶対絶対現代の代弁者は私やろがい
もう見飽きたわ
二番煎じ言い換えのパロディ
うっせぇうっせぇうっせぇわ
丸々と肉付いたその顔面にバツ
うっせぇうっせぇうっせぇわ
うっせぇうっせぇうっせぇわ
私が俗に言う天才です
うっせぇうっせぇうっせぇわ
あなたが思うより健康です
一切合切凡庸な
あなたじゃ分からないかもね
嗚呼つまらねぇ
何回聞かせるんだそのメモリー
うっせぇうっせぇうっせぇわ
アタシも大概だけど
どうだっていいぜ問題はナシ
エネルギーに満ちていて、全身からエネルギーがほとばしる若者が出てこないものかと期待して待っていたが、歌の世界に現れた。1980年代にレベッカというバンドがあった。FBで採り上げていた人がいたので、聴いてみた。元気いっぱい、若いころはあれでいい。
根室商業時代からの伝統だった総番制度はヒロシが潰した。総番制度に普通科の生徒はアンタッチャブルだった。商業科で規格外の生徒たちが集められた「Gクラス」のA野とわたしも少しだけ関与している。1年生が終わり、一年間生徒の性質を見極めたうえで、どうにも扱いに困る生徒たちはベテランの冨岡先生のクラスに集められたのである。お陰で面白いクラスだった。わたしは1年生の時にはFクラス。隣のクラスにヒロシがいたはずだが、お互いに全く面識なしだった。出身中学校もヒロシは柏陵、わたしは光洋だったので接点がない。「Gクラス」へ集められなかったら、接点がないままだったかも。出遭いは偶然、否、行動を考えると必然だった、Gクラスという箱が必要だった。2年と3年の2年間、同じ箱の中で過ごした。1年生の夏から足駄(10㎝くらいの高下駄)を履いて通学した。背が高い方だったから上級生を見下ろすような格好になった。ずいぶん目障りな奴だったのだろう。総番グループだって足駄で通学する奴は少なかった。何かルールがあったのだろう。ルールなんかうっせうっせだった。
丸刈り坊主頭の校則は2年生になってすぐに生徒会で改正の段取りをして、3か月後には生徒総会で校則改正にこぎつけ、11月の修学旅行は長髪で東京・京都・奈良を歩いた。
当時の修学旅行は11泊12日だった。こちらはたまたま生徒会会計をしていた私が担当した。校則改正を提案したら、3年生の副会長2人が「おまえがやれ」と言ってくれたからだ。3か月で完了できる具体的な段取りをすぐに決めて実行に移した。目標は修学旅行へ長髪で行くことだった。保護者への髪型のアンケートを実施し、スケジュール通り運んだ。
当時の生徒会会計は生徒会の帳簿をつけて決算までやっていた。政府で言うと財務大臣のポストだった。簿記の成績のよい者が任命されていた。たまたま先輩のNさんがわたしを指名した。思いっきりのいい人で、2年生の時に各部の予算折衝を「おんちゃ、おまえがやれ」と一人で任された。各部の部長と副部長を生徒会室へ呼んで個別に予算折衝をした。責任が重い仕事だったが、そういう仕事を任されて、人は育つ。
ぶっ飛んだ高校生時代だったが、ヒロシもおれも社会人になってからちゃんと仕事してきたから、至極まともだ。(笑)
若いうちは一度はぶっ飛べ!
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