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#4199 Sapiens : p.26 Mar. 6, 2020 [44-3. 原書講読講座 Sapiens]

 学年末試験の勉強で1週パスしてます。
 質問が少なくなりました。問題になったのは24ページ第2段落から一つだけです。

<24.2> The gossip theory might sound like a joke. but numerous studies support it. Even today tha vast majority of human communication -- whether in the form of emails, phone calls or newspaper colums -- is gossip.  It comes so naturally to us that it seems as if our language evolved for this very purpose.  Do you think that history professors chat about the reasons for the First World War when they meet for lunch, or that nuclear physicists spend their coffee breaks at scientific conferences talking about quarks?  Sometimes. But more often they gossip about the professor who caught her husband cheating, or the quarrel between the head of the department and the dean, or rumours that a colleage used his research found to buy Lexus.



Itgossip
この代名詞が何を受けているのかがはっきりしないと意味がまるでつかめません。後の方の'it'は' it seems as if ...'(まるで…のようだ:仮定法直説法)、ジーニアスに次の例文が載ってます。電子辞書の使い方が目に見えてよくなってます。肝心なところは手を抜かずに引いている。
 It seemed as if I would be die. (死ぬかと思ったほどだった)

 代名詞を元の名詞に置き換えて書き換えると、だいぶ様子が見えてきます。
  Gossip comes to us.
「ゴシップはわたしたちのもとへとやってくる」では日本語にならないので、意訳の必要ありですね。
 英語は日本語と違ってモノやコト主語の場合が多い、そして「コト」主語は日本語にしにくいことが多いものです。そういうときにどう処理するか、文例に出遭うたびによく考えてコツをつかんでください。この場合はゴシップ(噂話)の方からやってくるんです、自然にね、するりと話題に上ってしまう。そうしてみるとこの文、なかなかうまい表現です。
「人というものは寄ると触るとうわさ話に興じてしまうもの」
 この日本語を元の英文に戻せたら、英作文の達人でしょう。だから、こういう文例を書き溜めて、WORDで自分のライブラリーをつくってみたらいかがでしょう?
 英語の学力の差はモノ主語の英文の和訳や、日本語特有のレトリックで書かれた文章を、モノ主語の英文に作文できるところに如実に現れます。そのまま日本語に置き換えて不自然ではない英文や、そのまま英文に置き換えられる日本語文を英文で書くのはやさしい。
 勉強のコツは必要になる都度、必要とされる範囲で何か工夫をしてみること。それが他の科目に「汎用化」できる場合も出てきますから。英語の勉強をするときににも数学の勉強をするときにも、頭の中には「個別⇔特殊⇔一般化」という図式がつねに浮かんでいます。

 Gossip comes naturally to us.
「数人寄ればうわさ話に興じるのは人間の性(さが)」

「数人寄ればうわさ話に興じるのは自然な流れ、それゆえ、わたしたちの言語はそうしたうわさ話に興じることを目的にして進化してきたかのようにみえます」

 soは論理の一定の流れの方向を指し示す言葉です。
 この一文、最初は「so…that」構文であることをうっかり見逃してました。いけませんや。(笑)
It comes so naturally to us that it seems as if our language evolved for this very purpose.

「噂話」説は冗談のように聞こえるかもしれないが、おびただしい研究に裏打ちされている。今日でさえ人類のコミュニケーションの大多数は、電子メール、電話、新聞記事のいずれの形にせよ、噂話だ。噂話はごく自然にできるので、わたしたちの言語は、まさにその目的で進化したかのように見える。考えてほしいい。歴史学の教授たちが集まって昼食をとったら、第一次世界大戦勃発の理由について雑談するだろうか?あるいは科学の会議の休憩時間を、原子物理学者たちはクォークについての話し合いに費やすだろうか?そういうこともあるだろう。だが、夫の浮気の現場を押さえた教授について、あるいは学部長と上司との口論について、はたまた、同僚が研究助成金を使ってレクサスを買ったという風評について、噂話をすることの方が多い。」柴田訳


 翻訳者の柴田さんも、意訳してますね、だいぶ苦労してます。(笑)


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#4198 厚労省と医師会だけで医療政策ができる時代ではない Mar.6, 2020 [35. 感染症および自己免疫疾患]

<最終更新情報>
3/6午後4時半

 マスク不足がテレビ報道を賑わしている。北海道の2か所だけ特別に郵便を使って政府が配布を決めた。メーカーにも増産要請をして、マスクメーカーは24時間体制でフル操業している。それでも一向に必要なところへはいきわたっていないのはなぜか。答えの一つが台湾にある。
 台湾は1995年に健康保険カード(ICカード)を導入している。国民全員がこれをもっており、情報の書き込みができる。このカードをもって小売店に行けば買える。購入履歴はICカードに記録されるので、政府が決めた量以上は買えない。健康保険カードが公平なマスク購入を保障しているのである。こういう医療デジタル・インフラがなければ必要なところへ公平にマスクを流通させることができない。日本にそうした医療デジタル・インフラが欠けているのは30年間厚生労働省が医師会とだけ医療政策を決めてきたからだ
 自動車業界に例えていうと、ガソリンエンジン車にしか興味がなかったということ。時代はいつのまにかハイブリッド車や電気自動車の時代になっている。
 たとえば、創薬はとっくに分子生物学、物理学、化学、そしてシステムサイエンスの複合分野になっているから、それぞれの分野の専門家が新薬開発にしのぎを削っている。新型感染症が現れれば分子モデリングシステムで解析がなされ、その分子構造上の特徴が明らかになる。とっくにそういう時代なのだが、医療行政は、厚生労働省と医師会という旧態依然のスキームからいまだに脱することができない、時代遅れ。

 重要な医療デジタル・インフラに一つに臨床検査項目コードの標準化があったが、これは臨床検査大手6社と臨床病理学会(現・日本検査医学会)の産学協同プロジェクトの五年間の検討作業を経て1993年ころに日本標準臨床検査項目コードが制定され、それ以来全国の医療機関で使われている。これがあることで、保険点数が決まればコード管理事務局のあるSRLで登録するだけで、全国の病院やクリニックの医療システムにインターネットを通して保険点数とコードの取り込み・登録ができる。だから、翌日から、全国の病院やクリニックで民間検査センターへ検査依頼が出せるのである。このプロジェクトは産学協同プロジェクトとして1987年にスタートさせたものだが、重要な医療デジタル・インフラであるにもかかわらず、厚生省は関与していない。産学協同プロジェクトの検討作業に厚生省は不要だったし、実質的な日本標準臨床検査項目コードが成立して、全国の医療システムに組み込まれても、一向に関心を示さなかった。厚労省も医師会も医療デジタル・インフラの整備に関心がないようにみえる

 おかしなことが起きている。今日(3/6)から、新型コロナPCR検査が保険適用になると政府が公表したが、実質的にできないことになっているようだ。仕組みが、専門外来でないと受け付けられないようになっている。クリニックで「発熱外来」を時間を分けて設定しても、検査外注できないのである。3/5の「明日から保険摘要、ドクターの判断で検査できるようになる」との安倍総理の発表は、これでは嘘ではないか?しかも、病院で検査する場合と民間検査センターに検査依頼する場合では保険点数に500点(金額では5000円)の差がある。これでは病院にPCR検査装置があり、検査技術者のいるところしかできない。クリニックではやりようがないから、禁止しているのと変わらないこれだけ民間検査センターでの検査を阻止したいというのは何か特別な事情がなければあり得ないことだ。なにがあるのか説明をしてもらいたい
 価格は民間検査センターへ外注する場合は18000円である。病院内でやる場合は13000円。3割負担なら5400円あるい3900円が自己負担分。RNAウィルスの処理はむずかしいのだろうか、ほかのPCR検査に比べてずいぶん高い設定である。検査コストを考えたら、半額程度で十分な気がする。
*保険点数に関するニュース
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/「気軽に検査できる」は誤解-検体採取、専門病院のみ-新型肺炎きょう保険適用/ar-BB10O1fp?ocid=spartanntp
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医師が必要と判断すれば保健所を通さずに可能に。ただ感染を防ぐため、身近な診療所ではなく、感染防護が整った専門外来の病院でしか受けられない。兵庫県の担当者は「かかりつけ医で誰でも検査が受けられるとの誤解を与えている」と政府の説明不足などによる混乱を懸念する。…全国に約860ある「帰国者・接触者外来」など対策が整った病院が担う。従来通り、住民は各地の「帰国者・接触者相談センター」に連絡する必要があ
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**PCR検査の保険点数事例
https://clinicalsup.jp/contentlist/shinryo/ika_2_3_1_1_6/d023.html

 病院から民間検査センターへ検査がだされると検査数が増えるから感染者数が急伸する、それを恐れてこんな姑息なことをしているわけではあるまいが、東京オリンピックとのかかわりが取りざたされている。ちゃんと説明してもらいたい。
 検査対象が増えれば、実際の感染者が増えたのか、それとも今まで検査していなかった人たちが一斉に検査したので急増したのかがおそらくわからないことになる。


 それで思い出すのはHIV検査である。1988年ころSRL八王子ラボのウィルス部のHIV検査室(BSL-3)ではスクリーニング検査で陽性になった検体をウエスタンブロット法で確認検査をして、毎日1-2検体が陽性、年間ではおよそ500検体が陽性だった。
 厚生省ではエイズ・サーベイランス委員会を設置して医者から感染者数の報告を求めて集計していた。88年のデータを見ると23人である。その後、80⇒66⇒442⇒277人と増えていく。グラフの載っているサイトをご覧いただきたい。
*https://honkawa2.sakura.ne.jp/2250.html

 HIV感染者はスクリーニング検査で陽性、そしてウエスタンブロット法の確認検査で陽性になれば、患者はほかの病院で検査はしないだろう。1988年時点で厚生労働省発表の20倍の感染者がSRL一社の検査だけで陽性だった。ほかの民間検査センターでも受注していた。数の多いところでは江東微研が多いと当時は聞いていた。業界2位のBMLでも検査していただろう。
 1988年の感染者数が23人だから、数が少ないということで、世界中がエイズ撲滅運動を展開したのに、日本だけがほとんど動かなかった。アジアで患者数が多かったのはタイであるが、エイズ撲滅キャンペーンを大々的にやったので、感染者は目に見えて減っていった。先進国ではHIV感染者は日本だけが増え続けたのである。原因は厚生省のエイズサーベイランス委員会が感染者数を過小評価したためである医者から報告数を集計しただけだったから過小評価になった。実際の感染者数の数十分の一しかつかんでいなかった、そのせいで対策が遅れたと言える。民間検査センターに問い合わせが行われていたら、エイズ撲滅キャンペーンはすぐに行われ、患者の増加はずっと小さい値に抑えられただろうこれも、厚生省と医師会だけで感染者数を集計・公表した結果だ。感染者数を小さく見せたかったとしか思えない。そうして医療政策を誤り、感染者の急増を招いた

 いま形を変えて、新型コロナでも似たようなことが起きつつあるのではないか?
 1か月半公的機関だけで検査してきた。これから病院から民間検査センターに検査外注ができるようになれば、感染者数は急激に増える。いままで検査できなかったケースも医者が必要と認めれば、検査できるようになるからだ。政府は感染者数が増えるのは困るのだろう。オリンピックが控えているからか。
 1か月前から保険点数がついて民間検査センターで検査していたら、いまアウトブレイクのピークがどの程度で、これから1週間どれくらい増えたのかがちゃんとわかったはず。感染者数増大のどのフェーズにいるのか判断がはなはだ難しくなったと言わざるを得ない。ピークアウトがいつなのか統計的に予測がむずかしいものになった。
 いまとなっては手遅れ。実際に感染者数が減りだすのを観測するしかない。
 新型鳥インフルエンザ、SARS騒ぎのときは8か月かかっている、今回の新型コロナウィルス感染の流行も3か月程度ではおさまらないだろう。経済へのダメージが大きい。

 「二度あることは三度ある」、次の新型感染症アウトブレイクのときはHIVと新型コロナウィルス感染症の轍を踏まぬようにしてもらいたい
 健康保険証の光カード化はカルテフォーマット標準化と合わせて検討していたが、1986年時点ではコンピュータの性能と通信速度の問題、通信回線の問題で技術的に無理があった。NTTデータ通信事業本部と2度だけ「臨床診断支援エキスパートシステムと専門医トレーニング用CAIシステム事業化案」をたたき台にして、議論したことがあった。標準臨床検査項目コード制定は10個のプロジェクトの内の一つだった。実現できたのはこれだけ、不甲斐ない。せめて、フォーマットの検討だけでもしておけばよかった。後のことは後から出てくる人に任せたらよかったのだ。日本標準臨床検査項目コードは、世界標準制定のためのたたき台のつもりだった。エキスパートシステムの主戦場は世界市場と考えていた。なぜ、コードの標準化をターゲットの一つに選んだかというと、さまざまな国際標準規格があるが、日本人が提案したものがなかったからだ。そういうことを産業用エレクトロニクス輸入商社に勤務していた6年間に知った。ヒューレットパッカード社の社内規格である汎用バスHPIBはそのまま国際規格GBIBという双方向のインターフェイス・バスになっており、そういう製品が社内にごろごろしていた。機会があったらチャレンジしてみたかった。最大手の臨床検査会社SRLへ上場準備要員として転職したのが1984年、その2年後に大きなチャンスが巡ってきたというわけ。

 咽頭拭い液でやるPCR検査はそこにウィルスが繁殖していれば検出できるが、奥の方なら綿棒にウィルスが付着していないので検査で検出されない、つまり擬陰性となる。検査を受ける人はこのことを良く承知して診察を受けてもらいたい。偽陽性もありうるがこれは確率的にずっとすくないだろう。

*武漢肺炎は「SARS+エイズのようなものだ」遺体解剖した中国の医師が見解
https://www.epochtimes.jp/p/2020/03/52988.html


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#4197 民間検査センターのPCR検査について Mar. 4, 2020 [35. 感染症および自己免疫疾患]

 FBでPCR検査について次のような記述を見つけました。大方の人はPCR検査が高度な技術を要する検査で、急には検査処理数を増やすことができないと漠然と考えているのではないでしょうか。結論から申し上げると、1日当たりの検査処理量は80施設の公的機関が排他的にやっているから900/dayからアップできないのであって、そもそも議論の前提条件に間違いがあることを実証したいと思います。ですから、下記のFBの記事をとりあげたのは、たまたま目についただけで、他意はございません。
*https://www.facebook.com/moriya.akinari/posts/3032166170178767
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とても専門性が高い技術なので
やったことない人にもパッパと教えてやらせるなんてことは到底無理です
経験を積んだベテランが、大学を出て基礎知識のある新人に
1ヶ月ぐらいつきっきりで教えてようやく独り立ち、
というぐらいの技術です
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 獣医師の山下先生が漫画を描いてそれに守屋先生の説明を貼り付け、わかりやすく解説してくれています。PCR検査精度について詳しいそしてわかりやすい解説でとっても便利ですので、ぜひお読みください。新型コロナのPCR検査がどういうものかよくわかります。内容をちゃんと知れば、一度の検査で陰性でも、偽陰性の可能性があるので、しばらく経過観察が必要であること、そしてもう一度念のために検査が必要であることは理解できます。もちろん擬陽性もあるので、これも経過観察が大事です。PCR検査の性質を具体的に知る事で、クラスター感染はあるていど防ぐことができます、デマに惑わされず、あわてずに対応しましょう。
*https://www.facebook.com/photo.php?fbid=2759828210761221&set=a.2759665554110820&type=3&theater

  国語の読解力の低下を考慮すると、中高生の3割は偽陰性や擬陽性の話を精確に理解できないのではないかと危惧します。それは根室の子どもたちに限らない、日本全国の子どもたちの語彙力や読解力が落ちてます。簡単にデマに振り回されるのではないでしょうか。
*偽陰性と擬陽性
https://blog.goo.ne.jp/saitomas_001/e/3cf482d20b890befe31f76734b369364

 疑問に思ったことがあるので、書いておきます。上記の引用は公的機関でのPCR検査にかかわる事情を前提にしているので、民間検査センターという検査の巨大セクターが抜け落ちた議論です議論は前提条件を誤ると、その先をどのように精緻な論理で組み立てても、結論が誤りになります

 PCR検査は民間検査センターではルーチン検査の一つにすぎませんし、特別な技術を必要とするものでもありません。SRLでPCR検査を導入したのは1988年ころだったのではないかと思います。検査機器を購入した記憶があります。それ以来、32年間ルーチン検査としてやっています。1990年ころで八王子ラボには1000人ほど社員がいて、800人ほどが臨床検査技師でした。設備は米国大手の臨床検査センターが91年ころに、ラボの設備を丸ごと作ってほしいとオファーがあったくらいで、世界ナンバーワンでしょう。技術水準も大学病院検査室がレファレンスにするくらいですから、日本一です。臨床医から要望があるのに、どうして、公的機関だけ排他的な体制で検査しているのか意図するところがわかりません。多くの人が疑問に思っているところでしょう。

 SRLは1988年ころ世界一厳しい臨床検査の品質管理基準である米国CAPライセンスを取得しています。そのときに受託している3000項目の標準作業手順書を整備しました。もちろん、日本語と査察用の英文と両方です。2年後に電子ファイルにして、タイムラグのない更新が可能になりました。だから、実施しているPCR検査すべての項目に標準作業手順書があります(業界2番目の検査センターもそのCAPライセンスを取得したはずです)。
 標準作業手順書基づいて、実際に検査している担当者が、社内の他のセクションで検査している臨床検査技師相手に検査手順を説明すれば、1-2日間でトレーニングは終了しますPCR検査が他の検査よりも複雑だなんてことはないのです。あえて言うと、前処理と後処理に手間がかかります

 検査手順が上記のFBに載っていますのでそれを参考にします。
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そして、PCR検査は、実際にはおそろしく手間のかかる検査なのです。
1本綿棒をとってから、
専門の技師さんがすぐに検査を始めて、
ずっとかかりきりで作業し続けても、
結果が出るのが5-6時間後、
という大変な手間のかかる検査です。

10分で終わっちゃうインフルエンザの検査とはまったく違うのです。


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 綿棒で検体を採取してから、それをラボで液体に抽出して、マイクロプレートへ分注します。その前処理工程と、分注作業に手間がかかります。マイクロプレートを検査装置にセットしてしまえば、あとはPCR検査機器が10分間ごとに温度を上下させてRNAを増幅させます。終了したら機械がウィルス量を読み取ります。

 PCR検査機器と検査結果報告システムがサブシステムで接続されて、自動化してある可能性が大きい。その手のシステムは1990年ころ細胞性免疫部で、リンパ球表面マーカの検査機器をDECのミニコンへつないで自動化しているので、それを一部手直しすればいいだけの仕事ですから、とっくにやられているでしょう。技術的な問題はありません。

<業界ナンバーワンのSRLって面白い会社です>
 
機械化、自動化を具体例を挙げて解説してみます。30年前の話ですが、その精神がいまも伝統としてつながっていたら、うれしい。
● 1984年ころラボに搬入された検体を検査分野ごとに分注する工程が自動分注機によって自動化されました。PSS社田島社長が独立する前、アドバンテック東洋の営業マンでSRL担当でした、彼が担当者で共同開発したものです。その後、田島さんは独立、PSS社はずいぶん大きくなりました。たいした経営手腕です。DNA増幅装置も開発販売しているようです。分注作業は単純作業なので、半年くらいで退職が相次いだために自動化に踏み切りました。毎日毎日分注作業だけでは心が折れます。SRL社内基準の100本ラックが業界標準になってしまいました。本当は、12×8=96本のラックの方が自動化処理に便利でした。12の倍数は約数が多いのです。ノズルの数が約数の数に対応します。10×10ラックだと、ノズルは(1, 2, 5,10)の4タイプしかできませんが、8×12ラックだとノズルは(1, 2, 3, 4, 6, 12)の6種類で分注できます。わたしの入社前に始まっていた自動化だったので、関係していません。SRL社内規格が事実上日本標準規格になってしまったので、世界標準から外れてしまいました。
*PSS社ホームページ:http://www.pss.co.jp/company/message.html
● 1988年ころ、結石検査の前処理に手間がかかるので、セイコーの腕時計組み立て精密作業用アームロボットを使って前処理工程を自動化しています。導入検討のためにセイコー社の腕時計組み立て工場を見学させてもらいました。15台くらいのアームロボットパーツフィーダーと接続され、品種の異なる腕時計が数十台ずつ、ほどんど間をおかずに組み立てがなされていました。驚きました。10ラインくらいありました。
 わたしは2度尿管結石を経験しています、とっても痛い。結石の検査は採取された結石を砕いて粉にして、五円玉のような真ん中に穴の開いた金属に詰めて固めます。それを赤外分光光度計にセットして分光光度計のコンピュータ内の物質ライブラリーと照らし合わせて結石の成分分析をします。その成分分析報告書に基づいて、医師が薬を選択・処方するのでしょう。業者さんにご苦労をおかけしました。粉上にした結石を直方体の金属製のブロック1cmほどの深さの穴(そこが半球状)があけられていて、そこからこそげ落とすのに使う金属ブレードの形状を50タイプも作って試行錯誤してもらいました。これも単純作業の機械化でした。当時のSRLでは単純作業を人間に毎日毎日やらせるのは非人間的だと考えていました。ビリルビンが石になったものは茶色い、腎臓結石はカルシウムですから、白くギザギザしています。脂肪が固まったものは半透明の黄色、宝石のようにきれいです。カルシウムギザギザした石が細い尿管を通ったら痛い、潜血反応が出るのは当然ですね。去年10月東京で小山ドクターに診てもらってときは潜血反応+++でした。膀胱へ落ちてしまうと楽になります。
● 同じころ、液体シンチレーションカウンターを使った検査の方法変更がありました。LKB社が開発した紙フィルター方式のカウンターを世界初導入。ガラス製のバイアル瓶が検査室に所せましと積まれて、地震があったら検体の山が崩れてきかねないので、危険を感じながら検査していると担当検査員。それで個人的にコネクションのあったファルマシアから、LKBの新製品開発情報をもらい担当者と検討しました。紙フイルター(約25×25cm)の新開発のカウンターを2台導入したら、96検体同時測定ですから、山積みだったガラス製のバイアル瓶が消えました。こんなに広かったとはその検査していた人の言です。これも自動分注機とセットで動かしたので、検査担当者は1人で十分でした。
● 染色体画像解析装置は1989年だったのではないかと思います。検体を72時間培養して顕微鏡で染色体の写真を撮ります。染色体を一つずつハサミで切り取り、大きさの順番に並べて検査報告書に貼り付けていました。この作業にたくさんの人を使っていました。とっても退屈な仕事です。切り取って大きさの順に並べて糊付けするだけ。毎日毎日この作業を繰り返します。糊付けですからはがれることもあったのです。当時国内の染色体検査の8割以上をSRLが受注していました。ニコンの子会社のニレコと染色体画像解析装置の開発をしましたが、当時世界最高性能のマジスキャンの画像処理用コンピュータを使っても1検体1時間でした。目標値は10分程度、数千万円かけて共同開発を断念しました。虎の門病院に英国製の染色体画像解析装置が導入されたと聞いたので、染色体検査課長とラボ管理部のO形さんと3人で見学させてもらいました。25分で5検体処理できたので、目標値の2倍の処理能力だったのですぐに導入を決めました。大きさの順に並び変えて番号をつけて高性能のレーザープリンターで出力します。染色体検査課とユーザーの先生たちが喜んでいました。決め手はCCDカメラでした。CCDカメラで画像を取り込めばデジタル処理が簡単になります。ニコンは優秀なレンズメーカですから、どうしてもレンズにこだわってしまう、それで後の画像処理工程が複雑になったようです。IRSが使っているのはエンジニアの説明では「ミリタリーーコンピュータ」、中を開けてボードを見せてくれました。ようするに自作のボード・コンピュータでした。おそらく300万円程度の原価、マジスキャンは十倍くらいしてました。IRSの染色体画像解析装置を当時一気に3台導入してます。顕微鏡写真に写っている染色体を切り抜いて、大きさの順番に並べて貼り付けていた作業はなくなりました。生産性は2倍以上にアップしたはず。
  以来、膨大な数の染色体画像データが蓄積されています。福島第一原発事故の疫学調査がこのデータベースを利用してやれるでしょう。研究者にとっては宝の山です。
● SRLの自動化は単純作業工程が最優先です。マイクロプレートへの分注は1990年にはすでにPSS社と開発済みの自動分注機がありました。綿棒からRNAを抽出する作業も単純作業なので、とっくに自動化されている可能性があります

 わたしはもう25年ほどSRL八王子ラボを見ていませんから、あれからどれほど進化しているのか見学してみたい。95年ころに偶々用事があってラボを訪れたときに、廊下を歩いていたら、栄研化学が開発したラッテクス凝集法の大型自動分析器LX3000がずらっと並んでいたので、うれしかった。
 栄研化学が上場準備中であることが分かって、「準備中だろう?」と営業マンに訊いたら、「どうして知ってるんです?」、にわかに取引契約書の書式を改めて作りたいと申し出があったのでピンと来たのです。その関係でなにか困っていることのお手伝いをしてあげたら、助けてもらったお礼に情報教えていいと上司に言われたのでしょう、開発中の大型案件情報を教えてくれました。市場へだす半年ぐらい前だったので、「SRLでインスタレーションテストをしてあげる、フィールドテストだから、そこで問題点を潰してから販売したらいい」「SRLで厳格なテストしてOKがでたと宣伝していい、ただし、テスト終了後半年独占使用を認めろ」、そんな交渉をしました。2台設置して、旧法とデータの比較をしました。立ち上げ後のデータ再現性が悪く、現場とトラブルがあり、臨床化学部のどの課だったか、係長が「再現性が悪くて使えない」と怒ってました、栄研化学の担当者も困っていた様子なので間に入って調整しました。回路をいじってもらって、電源を早くから入れて温めておくように頼んだら、再現性が改善されました。そうして時間稼ぎしている間に、原因を見つけてくれたようでした。市場に出てからあんなトラブルがあったら、RI法に比べて3桁高精度なラッテクス凝集法のあの大型分析機はどうなったかわかりません。2年半くらいの間に、製薬メーカに数社に、仕事を通じて強力な人脈ができてました。91年に慶応大学病院と出生前診断検査トリプルマーカMoM値の基準値の産学協同プロジェクトのときに、こういう人脈があったので、2社に検査試薬の無償提供をしてもらってます。研究成果のデータを使っていいという条件で飲んでもらいました。まともにやったら1億円のコストのかかるプロジェクトでした。タダ。社会的に意義のある産学協同プロジェクトだったからです。今回の新型コロナウィルスPCR検査も社会的な意味合いの大きな仕事です。当面のコストを無視してもやるでしょう。
 SRL八王子ラボは、自社開発も含めて、前処理工程や機器の共同開発、検査工程の改善など、自分たちがかかわってやりうることはどんどんやる会社でした。高収益企業だったので、そういう仕事には予算がいくらでもつきます。ルーチン検査をやっていても、5時過ぎは好きな研究テーマをぶち上げて、予算をもらってやれたのです。

<PCR検査機器がSRLに何台あるかは簡単にわかる>
 PCR検査機器がラボに何台あるかは「投資及び固定資産管理システム」へ検査機器分類コードを入力すれば、画面に表示されます。このシステムは1986年にわたしが開発しています。機器の分類作業のために固定資産台帳とラボの検査機器すべてを突合・確認しました。台帳は500ページほどもある膨大な量です。台帳の記載を修正しながら、ラボ管理部のH間さんに協力願って分類してます。ついでに固定資産実地棚卸実務もデザインしなおしました。上場要件でした。

 新型コロナ検査が大量に来るなら、ラボにあるPCR機器ではぜんぜん間に合いません。機器を発注する必要があります。

 PCR検査に必要な人員が足りなけりゃ、他の検査部から10人くらいはすぐに人を回せるでしょう。必要な機器さえ確保でき、前処理工程の自動化やや検査結果報告書出力へのサブシステムが開発してあったら、たった10人でも、SRL一社だけで公的機関80施設の処理能力を上回るでしょう

<医療のインフラの整備:日本標準臨床検査項目コード>
 検査コードについても書いておきます。病院と民間検査センターをつないでいるのは、臨床検査項目コードですから。大手6社と臨床病理学会の産学協同プロジェクトで5年間の検討作業を経て、1993年ころに日本標準臨床検査項目コードが臨床病理学会(現臨床検査医学会)から公表されており、全国のクリニックや病院は例外なくそのコードで動いているので、保険点数がつけば、3日もあれば受託体制をとれるでしょう。このプロジェクトはわたしの発案です、30年以上前にやっておいてよかった。1986年に「臨床検査診断支援システムと専門医育成のためにCAIシステム事業化案」で、事業化のために仕事を10個のプロジェクトに分割してましたが、そのうちの一つが、日本標準臨床検査項目コードの制定プロジェクトでした。創業社長の藤田さん、中途入社の平社員の200億円の提案に、すぐにOK出してくれました。光カードを用いた電子カルテのフォーマット標準化も一時は検討したのですが、画像情報を入れるには容量が足りないし、NTTデータ事業本部とも2度ばかり協議しましたが、巨大サーバーをおいても当時は専用線でしか通信できず、断念しました。医療用光カードが生まれていれば、マスクの配給は簡単にできたでしょう。台湾政府が健康保険ICカード(書き込みのできるICカード)として1995年に導入しています。購入履歴がカードに残るので、台湾の国民は公平にマスクが買えます。こういう方面の整備がこの30年間まったくなされなかった。いまもそうです。現在の日本の医療行政の欠陥です。官僚にも政治家にもビジョンをもって30年の視野で医療インフラを整備したり、政策を考え実行していける人材がいないようです。空白の30年間です

<検体搬送ルート>
 いま、保健所から公的検査機関へ保健所職員が運んでいますが、クリニックや病院と民間検査センターの間には厳重に温度管理された検体集荷・搬送ルートがあります。何も特別なことは必要ありません。

<PCR検査室の仕様?:公的機関はどうなの?>
 薬剤耐性結核菌検査やHIV検査もしています。それなりの感染防止がされています。ラボ内検査室での検体取り扱いについてはすべて標準作業手順書に記載があるでしょう。HIV検査室はBSL-3だったと思います。1997年だったかな、オーバースペックですが、検査員の安全を考えてそういう仕様の検査室にしました。新型コロナウィルスは飛沫感染ですから、特別な仕様の検査室は必要ありませんが、飛沫感染のHIV検査室を32年前にBSL-2仕様にしているので、どうなるでしょう?社員がそうでないと困ると言えば、オーバースペックの検査室誕生となります。へパフイルターのついた空調が2台で検査室内を陰圧にします、それと非常時のシャワーを備えます。床の防水処理をしないといけませんね。そこまで要求するなら1週間くらいかかりそうです。公的機関はどういう体制で検査しているのでしょう?

<官民協力の時代>
 わたしも八王子ラボの現状がどうなっているのか知りません、古い話を書いただけです。一日当たりどれくらい新型コロナPCR検査処理能力があるのか、厚生労働省から問い合わせたらいかがでしょう。大手3社へ問い合わせたらどうですか。
 公的機関だけで排他的に検査しようとしているから、ドクターが必要と必要と認めても検査できないような理不尽なことが起きています。臨床医が患者を診て、PCR検査が必要と判断したら、すみやかに検査できる体制のあることが望ましいのはあたりまえです。「非常事態」でしょうから公的機関と民間検査センターの両方で協力して検査すれば隘路はなくせます。官民協働でいい仕事したらいかがです?

<具合が悪けりゃどうしたらいい?>
 検体採取にかかわるウィルス検出精度の問題はまた別の問題です。わかりやすい山下先生のイラストをご覧ください。
  なお、新型コロナウィルス感染症には有効な治療法がないので、PCR検査陽性なら、自宅で寝て栄養補給して寝ているのが一番です。PCR検査陰性でも、偽陰性の可能性があるので、具合が悪けりゃやはり寝て状態がよくなるのを待つのが一番です。高熱で呼吸が苦しくなったら、即入院。その段階では新型コロナなら重篤に陥る可能性大です。なんとも困ったウィルスです。感染力が強くないところが救いですね。根室で感染者が出ましたが、そのご増えていません。症状らしきものが出て、5日間ほど一緒に暮らしていた家族にも移っていないくらいですからね。20日に入院して検査、22日に陽性と判明、もう2週間たちました。

<今の対応では経済への影響が大きすぎる>
 新型感染症対策として打ち出された政策による経済へのダメージの影響が大きすぎはしませんか?

<余談:PCR>5/25追記
*https://ja.wikipedia.org/wiki/ポリメラーゼ連鎖反応
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PCR法は、試薬を混交したDNA溶液の温度を上げて下げる、という一連の熱サイクルによって動作する。このDNAサンプルの加熱と冷却の繰り返しサイクルの中で、二本鎖DNAの乖離、プライマーの結合、酵素反応によるDNA合成、という3つの反応が進み、最終的に特定領域のDNA断片が大量に複製される。
PCR法では、増幅対象(テンプレート)のDNAサンプルの他に、大量のプライマー(標的DNA領域に相補的な配列を持つ短い一本鎖DNA(オリゴヌクレオチド))とDNAの構成要素である遊離ヌクレオチド、そしてポリメラーゼの一種であるDNA合成酵素DNAポリメラーゼ)という3つの試薬を使用する。

  1. 最初のステップでは、DNA二重らせんの2本鎖DNAを高温下で変性させ、1本鎖DNAに物理的に分離する。変性が起こる温度は、DNAの塩基構成および長さ(塩基数)によって異なり、一般に長いDNAほど温度を高くする必要がある。
  2. 次に、この1本鎖DNAを含む溶液を冷却して、プライマーを一本鎖DNAの相補配列部位に結合させることで、部分的に2本鎖を作らせる(アニーリング)。冷却が急速であると、長いDNA同士では再結合して2本鎖になることは難しいが、短いDNA断片(オリゴヌクレオチド)は容易に結合できることを利用している。この結果、対象とする長い1本鎖DNAの一部にプライマーが結合したものができる。プライマーをDNAよりも圧倒的に多い状況にしておくことで、DNAとプライマーが結合する傾向はDNAとDNAが結合する傾向よりも、さらに優越的になる。
  3. 次に、溶液を若干加熱して、この2本鎖DNA部位をテンプレートとしてDNAポリメラーゼを働かせることで、プライマーが結合した部分を起点として、遊離ヌクレオチドを利用して1本鎖部分と相補的なDNAが酵素的に合成される。DNAが合成された後、再び高温にして最初のステップに戻り、このサイクルを最初のDNA変性から繰り返すことにより増幅をすすめる。PCR反応が進むことで、生成されたDNA自体が複製のテンプレートとして使用され、元のDNAテンプレートが指数関数的に増幅される連鎖反応が進む。

以上のようにPCR法は、DNA鎖長による変性とアニーリングの進行速度の違いを利用して、反応溶液の温度の上下を繰り返すだけでDNA合成を繰り返し、任意のDNAの部分領域を増幅する技術である。



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#4196 日銀異例の談話発表 Mar.2, 2020 [95.増え続ける国債残高]

 日銀黒田総裁が異例の談話を発表した。
今後の動向を注視しつつ、適切な金融市場調節や資産買い入れの実施を通じて、潤沢な資金供給と金融市場の安定確保に努めていく方針である
*https://www.msn.com/ja-jp/news/money/潤沢な資金供給と金融市場の安定確保に努める%ef%bc%9d日銀総裁が談話/ar-BB10BGJ9?ocid=spartanntp

 中身は国債の大量購入とETF(上場投信)の大量買入れである。前者は放置しておくと、国債が売れ残り長期金利が暴騰し始めるからやらざるを得ないし、後者は大量の一部上場株を日銀が抱えているので、株価が下がり続けると、日銀は巨額の評価損を出して債務超過を起こしかねないから、債務超過を避けるために大量購入せざるを得ない。長期金利が上昇したり、株価が暴落して債務超過になれば、何が起きるかわからない。預金の取り付け騒ぎは必須、預金凍結そして新円発行というのが過去の経験の示すところであるから、新型コロナウィルスどころの話ではなくなる。

 だから、おしりに火がついて慌てて行動しているだけで、先の見通しがあってのことではない。日銀が国債を買い支えることは、政府財政赤字の垂れ流しを支え続けるということで、金利上昇による国債発行抑制というブレーキを外してしまうことになる。ずっとそんなことを続けている。要するに日銀総裁は政府が飼っている愛犬ポチということ。中央銀行の独立性などとっくに失われている。最近は司法(検察庁)の独立性すら危うくなっている。権力の暴走をとめられるブレーキは、一つずつ着実に壊されている。忖度政治はそうした土台があって可能になる。

 政府総債務残高は2019年末で1325兆円、毎年50兆円ほど増えるから、2023年にはGDPの3倍、1500兆円を超えそうである。租税収入は50兆円あるがその30年分の借金だから、もはや政府に返済の意志はない。
*国債発行残高の推移
https://ecodb.net/country/JP/imf_ggxwd.html

 中央銀行が政府とは独立の機関であるのは、一緒になると赤字財政に歯止めがなくなるからだが、政府と日銀が結託しているのだから、文字通り赤字財政はとめどなく膨らみ続けている。もう、誰が日銀総裁やってもマイナス金利とため込んだETF売却、国債売却の出繰り戦略は描けない。中央銀行の資産はその国のGDP20-30%でも多いとされ、そこまで膨らんだだけで財政的に不健全とみられるので売却を迫られる日銀の総資産はGDPの2.6倍を超えている。もうとんでもない比率になっている。
 日銀資産が膨らみ続ければいつか破裂する日(国際通貨としての円の不信認)が来るが、それがいつかは誰にもわからない。突然国内の預金が雪崩を打ってドル預金へと向かう。そして財務省が「預金引き出し凍結」を発表する。

 日本は戦前と戦後に2度、財政破綻した経緯がある。新円への切り替えで、国民の銀行預金はゼロになる。ああ、1000万円は保証されていた。
*<戦後の預金封鎖の実例>
https://finalrich.com/crisis/crisis-blockade-history-japan1946.html

 破綻すれば、国債通貨である円の信認が失われ数十兆円規模で円が投げ売られてドル買いへと向かう、そして預金封鎖。大幅な円安が起き、輸入品を中心に物価は高騰するので、いま1000万円でも、破綻後の価値は300万円かもしれぬ。こんなビタ銭では老後の足しにはならない。
 財務省の書類改ざんも、検察人事介入も、張り子の虎のアベノミクス(マイナス金利)も、日銀の度を越した国債買い入れやETF買い入れ、GPIFへの株式っ購入の道を開いたのも、すべては国民が選び支持している政権がやっていることだから、国民は自業自得である。この難局を乗り切れる人材は自民党にも野党にも見当たらぬ。もうだれにも止められぬ。大破綻の前に新型コロナ肺炎に罹って亡くなる老人は飲まず食わずの生活をせずに済むなら幸せ。

 また、米国ダウ平均と日経平均との差が広がりだした、株価の行方は誰にもわからない。
 円の信認が失われるとしたら、個人レベルで何か自己防衛の方法はあるだろうか?1億円以上の金融資産をもつ国民は2%程度だが、数千万円なら半数程度の国民が老後の資金に蓄えている。
① 金を買う
② ドルを買う
③ 人民元を買う
④ 土地を買う
⑤ 米国株を買う
⑥ 日本の上場株を買う
 
 それぞれ、それなりのリスクがある。リスクのあるところもうけ話もある。確実なのは①の金ということか。確実なものほどもうかもすくないのではないか。しかも金の安全な保管はむずかしい。保有金融資産の大きい人ほど悩みも大きい。だれだって損はしたくない。

 2016年11月の野村総合研究所が公表した記事では、「純金融資産保有額が1億円以上5億円未満の「富裕層」、および同5億円以上の「超富裕層」を合わせると、2015年時点で121.7万世帯」だそうだ。国民の2%に当たる。別の2018年1月の記事によると、総資産額100万ドル以上は国民の23人に一人(4.3%)の割合、世界第2位。
*http://www.anyguidepost.com/entry/financial-assets-180107
**http://netgeek.biz/archives/109932
***https://stage.st/articles/dvpc8

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 3/12午前9時追記:「日銀会計規程」があって、日銀保有の有価証券(連動型株式)の評価は取得原価基準でなされています。つまり企業会計基準の時価法の埒外。取得原価法で昨日の日銀総裁発言(日経平均が18400割れを起こすと評価損が出る)をベースに計算しなおした結果、日銀債務超過ラインは日経平均15600円となりました。こちらをお読みください。
*#4205 日銀債務超過ラインは日経平均15600円割れ Mar. 12, 2020
https://nimuorojyuku.blog.ss-blog.jp/2020-03-12

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#4195 「全国の学校休校要請」対「WHO報告書」 Mar. 1, 2020 [35. 感染症および自己免疫疾患]

 モスラ対ゴジラ?入国制限という基本的な措置をしないで、ピント外れの全国一斉休校、日本が世界中の笑いものになりそうです。
 WHOが2/25付の報告書を公表しています。首相官邸のみなさん、そして厚生省のみなさん、当然お読みになっているでしょう。
*https://www.who.int/docs/default-source/coronaviruse/who-china-joint-mission-on-covid-19-final-report.pdf?fbclid=IwAR2ZXSqAucIdIwc6AkdRbBenx1MGoNL5BA9VZu7ffojYWN6hw3nrawTjWr8

 その12ページには次の記述があります。
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As of 20 February, 2114 of the 55,924 laboratory confirmed cases have died (crude fatality ratio [CFR2] 3.8%) (note: at least some of whom were identified using a case definition that included pulmonary disease).  The overall CFR varies by location and intensity of transmission (i.e. 5.8% in Wuhan vs. 0.7% in other areas in China).  In China, the overall CFR was higher in the early stages of the outbreak (17.3% for cases with symptom onset from 110 January) and has reduced over time to 0.7% for patients with symptom onset after 1 February (Figure 4).  The Joint Mission noted that the standard of care has evolved over the course of the outbreak. 
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 2/20までに新型コロナ検査陽性の患者は5,924人でそのうちの2,114人が死亡。文中にあるCFRとは流行のフェーズも地域も無視した致死率、確認された陽性患者のうちで死亡した人数を割ったもの、すなわち陽性確認症例のうち何パーセントが死亡したかという率(単純平均値)です。[CFR2]はPCR検査陽性だけでなく、検査はしていないが肺炎症状を呈した患者を分母に算入しています。
 アウトブレイクの初期段階であった1/1-10の間に発症した感染者の致死率は17.3%2/1以降は0.7%に劇的に減少しています。流行のフェーズの違いで、こんなに大きな差があります。
 日本で新型コロナウィルス感染症患者が10,000人出ても、死亡は7人です。19歳以下は致死率ゼロということになりそうです。休校措置は本当に必要なのでしょうか?

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Individuals at highest risk for severe disease and death include people aged over 60 years and those with underlying conditions such as hypertension, diabetes, cardiovascular disease, chronic respiratory disease and cancer.  Disease in children appears to be relatively rare and mild with approximately 2.4% of the total reported cases reported amongst individuals aged under 19 years.  A very small proportion of those aged under 19 years have developed severe (2.5%) or critical disease (0.2%).
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 ハイリスクグループ(重篤症状を呈するとか死亡するグループ)は60歳以上の老人で、高血圧、糖尿病、慢性呼吸器症疾患の患者、癌患者だそうです。
 19歳下の子どもは患者全体の2.4%で、そのうち重篤な症状を呈するのは2.5%(肺炎かな?)で、深刻な状態に陥るのは0.2%です。

 中国の新型コロナウィルス感染症PCR検査陽性患者55,924人を追跡調査したデータです。

 日本で1万人の感染者が出たとして、このデータをもとにして試算すると、不幸にして亡くなるのは7人です。それほ、ほとんどが基礎的疾患を抱えた老人ですから、19歳以下の小中高生が亡くなる心配はほとんどありません。それがWHOの調査報告です

 日本政府は何をやっているのでしょう?事実とデータに基づかない全国一斉の休校要請ドタバタ劇、気が違ったのかと笑われそうです
 台湾の蔡英文総統は患者が発見される前から具体的な準備を始めて1か月も前に手を打ってます。1/15に新型コロナウィルス感染症を「法定感染症」に指定1/25には立法院で新型コロナ対策法を可決成立させています。マスクの不足も生じてません。政府がメーカから全量買い上げて、健康保険カードで購入履歴を管理しているからです。週に1度だけ買えるように、健康保険カードの番号ごとに販売日を振り分けてます。購入履歴は健康保険カードに残ります。ICカードになっていて、履歴を残せるのです。関係省庁の対応も素早かった。どこで買えるか、地図にマークをつけてインターネットで公表してます。先手先手で具体策を打ってます。感染患者も39人です。中国のお隣にありながら、韓国の3150人とは大違いです。結果から見ても防疫体制が現実的でしっかりしているということ。

 日本政府はダイアモンド・プリンセス号の感染拡大に大わらわ、不手際が続出し批判が渦巻く中で、ほとんどなすすべがなかった安倍総理大臣は、何か派手に打ち上げなくてはと考えたのか、全国の小中高の学校へ1か月間の休校要請をだしました。法治国家だから、対策特別法を成立させてからでしょう。検討している時間がないなんて言い訳は通じませんよ、時間は1か月以上もあった。まだ中身がないので具体策の検討はこれから、学校も経済も大混乱。まずいところは微調整しながらやるしかない。

 選挙制度の欠陥はどうあれ、現在の制度で国民が選んだ政権であり、総理大臣なのだから、結局はkoderaさんの言うように、国民の意識レベル相応の政治がある。それが忖度政治であり、法律無視の今回の突然の全国一斉休校要請だったとしても。じゃあ、誰がいるかと問われたら、すぐに名前は出てこない。大方の国民もそうなのだろう。

 WHOのデータを読む限りでは、小中高の休校措置は必要のないものとわたしは思う。しかし、WHOの数字だけですべてが判断できるとも思わぬ。報告書を隅から隅まで読んだわけでもないから、見えていないもの、わかっていないことがある、なんとも気持ちの悪い心地がする。
 新型っていやだね。感染した19歳以下の子どもの数って本当に感染者全体の2.4%なのか?免疫が大人に比べて相対的に弱いので、症状が軽くてPCR検査の網の目から漏れているケースはどの程度なのかさっぱりわからない。わかっていないことはわからないとしておこう。中国のデータに現れた感染者数から判断するとそんなに感染力が強くないことだけはたしかなようだ。

 政治がどうあろうと、明日も坦々と仕事する。

3/2 0:28追記
*https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200228-00000078-sasahi-soci&p=1
(台湾ではすでに学校の休校は原則終了している。旧正月(春節)の冬休みを2週間延長して24日まで休みにしていたのを、現在は、教職員や生徒で感染者が1人出れば学級閉鎖、2人以上なら学校閉鎖するという基準を設け、授業を再開している。)

<社会実験のようなもの> 3/2朝8時半追記
 ベッドで朝、ラジオを聴いていた。道内の農家から大学生の春のアルバイトが集まらなくなったので作付面積を減らさざるを得ないという。春から夏場にかけて道内野菜の収穫量が減るということ。これはもうどうしようもない。聞いてみたら当たり前だが、案外こういうことは実際の状況が生まれるまで気がつかぬ。牛乳の生産農家は給食が中止になっているので、生乳を加工乳へ回さなくてはならない、当然単価は下がる。給食用は生乳消費量の10%を占めている。こうした「あたりまえの影響」がいたるところで起きる。社会は複雑根ネットワークでできている。一箇所に変化があれば、それは複雑なネットワークを介して全体に及ぶ。半年後にその結果がどうなるのか「大きな社会実験」なのだろう。
 同じラジオの解説で中国の感染症の責任者が論文を発表したそうだ。死亡した人の症例を分析したところ、入院時に発熱もない、肺炎症状もない人がかなりの割合でいたという。実際の割合が度だったか、その論文をみないとわからぬ。

 根室市内でも様々なうわさが飛び交っているが、何が本当かさっぱりわからない。濃厚接触者23人が経過観察中のようだが、噂が全部本当なら、家族を中心に数人は感染者が出ているはず。真偽の不確かな噂のいちいちは書かない。
 たしかな情報だけを書くと、公表された感染者リストの14番目に根室市の感染者(2/22PCR検査陽性判明)が載っているが、末尾が72番目、根室市の感染者は増えていない。2/16から発症していたから、すでに2週間以上経過しているが、密閉空間で生活していた家族にすら感染していないことがわかる。新型ウィルスの感染力はインフルエンザに比べるとかなり弱いと言えそうだ。
*北海道庁保健福祉部地域保健課<新型コロナ:道内の発生状況>
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/hf/kth/kak/hasseijoukyou.htm


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#4194 日本の医療行政の人材劣化現象はなぜ起きたか? Mar. 1, 2020 [35. 感染症および自己免疫疾患]

 前回、新型コロナウィルス感染症に対する政策を台湾と日本を比較しながら分析してみた。この感染症に対する特別法は台湾ではまだ感染症患者が出ていないうちから検討され、患者が出始めてすぐに1/25に台湾立法院で可決成立して、ただちに実施されている。マスク不足への対策は、政府がメーカから全量買い上げ、健康保険カードを使って、一人一週間に一度だけ買えるように制限したから、マスクがなくて困っている国民はいない。健康保険カードは1995年に導入され、ICカードになって購入履歴が書き込みできるのでコントロール可能だ。日本にはこういう制度がない。
 日本では1993年ころに臨床検査項目コードが標準化されている。臨床検査会社6社と臨床病理学会の5年にわたる産学協働プロジェクトの成果である。最大手の臨床検査会社SRLに事務局があるが、新型コロナウィルス感染症PCR検査を新規登録すれば、翌日からでも病院から民間検査センターへ検査外注できるから、いま公的機関80施設でやっている900ID/dayの制限がなくなる。20倍は検査可能だ。ラボ側の受け入れ調整があるので、実際には検査項目コード登録から3日後くらいになるだろう。この点では日本は世界中のどの国よりも進んでいる。何しろ、臨床検査項目コードを国内で統一した国はないからだ。
 臨床検査項目コードの標準化も台湾の健康保険カードも医療のインフラと言っていい。ほんらいは行政がやるべき仕事だが、日本の厚生労働省からそういう発想や提案が出てきたことがない。
 「東大村」という仕組みのせいだと思う。人脈が狭いのだ、人脈が狭いと視野も狭くなるようだ。前回のブログで書いたが長くなりすぎたので、こちらへ転記して紹介する。

 2/29に唐突に出された、全国の小中高一か月間一斉休校要請は、集団ヒステリックのようなもの。理由は一連の新型コロナウィルス感染症関係の記事でいくつか書いたのでそちらをご覧あれ。
 新型が厄介なのは、再発率が14%(中国の事例)もあることだ。ウィルスが検出されなくなっても、どこかに隠れていて、薬が切れたり免疫が下がると再び増殖してしまう。まるで、帯状疱疹ヘルペスウィルスのような性質をもっているらしいことだ。それが何に由来するのか、新型コロナウィルスを遺伝子モデリングで分析してもらいたい。インフルエンザウィルスにはいままでそういう性質がなかった。罹患して治療完了すれば抗体ができて再発はなかった。世界中の研究者が競って解析してるから、いずれ学術論文が出てくる。



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<余談:人材考>
 なぜ、厚労省から臨床検査項目標準化というデジタル時代の医療システムのインフラともいうべき重要なプロジェクトが提案されなかったのだろう。そして、わたしたちがやった産学協同プロジェクトは厚生省に声をかけなかったのはなぜだろうか考えてみた
 答えは簡単、必要ないからだった。わたしが集めたのは、臨床検査項目コード制定に必要なメンバーだけ。一つは実務で使っているグループ、それが大手6社(BML,三菱BCL,住友バイオサイエンスなど)のシステム部門と学術部門の専門家だった。臨床病理学会は自治医大の河合先生が国際病理学会長でその一番弟子の櫻林郁之助教授が臨床病理学会の項目コード検討委員長だった。そして彼はSRL顧問でもあったのだ。SRL自身が河合先生の提案を受けて、富士レビオ創業社長の藤田さんが作った会社だった。それらを結びつける接着剤が必要だった。それがわたしの役割。入社1年目に毎月各大学の先生たちを招いて開いた社内講習会があったが、そこで櫻林郁之助(当時は助教授)から項目コード制定の作業を手伝ってほしいと頼まれていた。中途入社まだ1年のわたしは、暗礁に乗り上げていた統合システム開発の中核部分を担当した。会計及び支払い管理システムと投資・固定資産管理システムの二つ、実際には購買在庫管理システムの担当者(3名)が困っていたので、外部仕様書の半分くらいを書いてやった。
 入社3か月目に富士レビオの子会社、東レ富士バイオから腫瘍マーカCA19-9の価格の決め方を向こうの取締役と話して決めてきてくれと、経理部長から頼まれた。輸入試薬の仕入価格に適用する為替レートも、上場審査上関係会社取引になるので、利益操作にならないような方法が求められていた。SRLの前は産業用エレクトロニクスの輸入商社にいたから、そのあたりの書類のフォーマットやコンピュータシステム上の仕組みは、統合システムですでに経験済みだった。関係3課長が数か月協議して、処理案ができなかった。話を聞いて3日後に事務フローや帳票類のデザインを説明して納得してもらったから、経理部長の岩本さん、「ebisu、練馬ラボまで来るように、東レ富士バイオの担当取締役に電話しとくから、行って決めてきてくれ」、課長越しに頼まれた。いまでも腫瘍マーカCA19-9は使われている。汎用性が高いからだ。わたしも岡田医院で3か月ごとにやっている定期検査に年に2度くらいはCA19-9がはいっているようだ。じつになつかしい。(笑)
 上場要件を満たすための統合システムには、わたしの担当した二つのほかに、購買在庫管理システム、原価計算システムと販売会計(売上債権管理と請求書発行)システムがあった。これらサブシステムとのインターフェイスが一番難易度が高かったが、インターフェイス仕様書は依頼されて1週間で完全なものを書き上げた。いまでも、各システム間のインターフェイスは1984年4月に書いた仕様書通りに動いているのだろう。各サブシステムの内容が分かっていないとできない離れ業だった。一番遅れていた会計及び支払い管理システムの担当がわたしに交替して8か月で最初に本稼働した。2か月の並行ランを含んで8か月である。ノートラブルでスタートした。他のシステムは1年半、長いもので3年かかっている。そういう手際の良さをシステム開発部の栗原課長が見ていて、提案書にも目を通していた、それでBML社がラボを新設するので業界標準コードをつくって自社コードにするために大手6社に声をかけて1回目の会合が開かれたので、2回目の会議に一緒に行こうと声をかけてきてくれた。臨床検査部長の川尻部長(女性)を誘おうということになり、彼女へ話した、すぐに櫻林先生の案件になるからというと、よろこんで協力して来れた。櫻林先生は臨床検査部2課の顧問だった。免疫電気泳動分野が研究対象だったからだ。当時わたしは入社3年目で平社員、でもこうして非公式に必要な人材が動かせる面白い会社だった。仕事の実績さえあれば、職位に関係なく、仕事=プロジェクトに必要な社内人材が協力してくれる。人事部も無関係。人事部長がそんな仕事を理解できるはずもないから話すだけ無駄。大事なところは稟議書や提案書を書いて、創業社長である藤田さんの了解をもらえばいいだけ。
 面白いことに、プロジェクトに6社から集まったメンバーに東大卒はいなかった。東大村には関係のないプロジェクトだが、日本の未来の医療制度には不可欠のインフラだった。医療カードとカルテの標準化もそうだった。

 東大理3卒、大学院で応用生物統計を学んだM君が帝人との治験合弁会社立ち上げのときに、必要な人材だったので、研究部から異動してもらった。M君の上司のH川は旧知の間だったから、二つ返事で異動を承知してくれた。(当時の)社長の近藤さんに話して、異動を人事へ伝えてもらった。M君は仕事のできる男だったが、応用生物統計の専門家のF川の評価は厳しいものだった。異動の5年ほど前にF川が「ebisuさん、酒を飲もうと」初めて誘ってくれ、日野駅前の居酒屋で飲んで話した。「Mはセンスがない、センスは教えられない」というのだ。数学や統計学はセンスがない奴にはダメだというので、教え方次第だと議論したのを覚えている。議論は平行線だったが、お互いにそれぞれの分野の職人としての腕のほどは分かっていたから気が合った。F川はわたしが学術開発本部でやった仕事を見ていた。沖縄米軍向けの出生前診断システム開発プロジェクトである。ニュヨークから東女史が取り寄せた資料をわたしの机の上にポンとおいて、「これ、学術営業の佐藤君が困っている、システム部にやれないって断られたの、あなたならやれるでしょ、手伝ってやって」、学術開発本部に異動した数か月後のことだった。東さんわたしの向かいの机、米国で臨床検査の仕事を25年ほどやったことのある人だった。机の上に置かれた英文の学術論文を読み、システム部が断った理由がわかった。検査受託の入力項目に妊婦の妊娠週令、体重、民族の項目がないから、受付処理ができない。受付システムを出生前診断検査で必要な項目を含めるように改造するのは1989年の時点ではお金がかかりすぎてやれない相談だった。別の方法を考える必要があった。とりあえずプログラム仕様書は書かなければならないから、HP41cをつかって載っていたグラフとデータから曲線回帰分析をして2次方程式で近似し、プログラミング仕様書を書いた。沖縄営業所で検査IDと3項目データを入力、3項目の検査後、入力したデータと検査結果報告データファイルとを沖縄営業所に置いたパソコンでファイルの結合処理をすれば、米軍が要求する検査報告書作成が可能だった。上司のI神取締役に、「学術営業の仕事、システム部に断られたから手伝ってやるよ、いいよね」と言うと、OK.学術営業部長は窪田さんだった。いま、一部上場企業ぺプリドリームの社長をしている。その部下で米軍むけの出生前診断検査と慶応大学産婦人科医との産学協同プロジェクトの仕事を担当した佐藤君は8歳下だったが、会社を辞めて留学し、米国臨床栄養士の学位をとって栄養医学研究所を立ち上げ独立起業した(立ち上げの3年間ほど、出資と監査役を頼まれてた。日本の臨床栄養学の草分けとなったが、2年半前に急逝している。癌だったのではないだろうか。亡くなる1か月前の講演会の写真を見たら、痩せていた)。
 パソコンのプログラムだったのでシステム部からC言語のプログラミングのできる上野君の応援を依頼し、1か月でシステムができて、上司のI神さんと学術営業部の佐藤君と上野君、わたしの4人で沖縄米軍を訪れた。ずいぶん喜んでくれて、三沢基地の米軍の取引を全部SRLに出してくれるということになった。米軍は法律の縛りがあって、女性兵士が妊娠したら出生前診断検査を受けさせる義務があった。国内でその要望に応じることができたのはSRLのみ、おまけにSRLは部国の品質管理基準のCAPライセンスも1988年ころに取得していた。上司のI神さん、米軍の「ゼネラルミーティング」に何度か呼ばれて参加していた。
 そのあと慶応大学産婦人科医たちと、出生前診断検査MoM値の基準値研究プロジェクトをマネジメントするために、佐藤君と一緒に信濃町の慶応大学病院を訪れた。多変量解析を伴うので古川の協力が必要だったがかれは二つ返事でOKしてくれた。「ebisuさんから来た仕事だからやるんだ」そう言っていた。わたしが間に入っていなければ、仕事を断って会社を辞めただろう。かれは産婦人科学会で慶応大学のドクターが発表したときに、そのデータがBML社のものだったので、データそのものに信頼性がないこととデータ処理に関する異議を申し立てたことがあった。応用生物統計に関しては臨床検査センターではナンバーワンの職人だから、彼の主張は正しかったのだろう。当時のBML社の検査データは技術レベルや品質管理に問題があった。慶応のドクターはかんかんに怒って、取引停止騒動になったが、社長の藤田さんが慶応大学病院を訪問して頭を下げてこはおさまった。古川は数年にわたってこの仕事を担当していい仕事をやってくれた。Mom値は白人の基準値よりも、黒人が2割高い、日本人は間の110%くらいと見当をつけて妊婦の協力を得て多変量解析を進めたら、130%だった。これは人種的な問題で示唆に富んだ結果である。日本人は白人や黒人とはまったく別のグループに属しているのだ。このプロジェクトが終わると、F川は会社を辞めて独立起業した。帝人との合弁会社の役員をしたときに、仕事をいくつかまわした。かれにとっては必要がなかったかもしれぬが、立ち上げ当初は思い通りにはいかぬものだ。
 このプロジェクトは、必要な三つの検査試薬は製薬メーカ2社に話して、研究結果が出たら論文を販促に自由に使っていいからという条件でタダにしてもらった。そのっ旨慶応大学病院のドクターにも伝えて了解をもらった。4年前に試薬の価格交渉で辣腕を振るったわたしが購買部長になる可能性も、本社でまた予算編成を任される可能性もあったから、製薬メーカは当然協力してくれた。恩を売っておいた方が製薬メーカは得になるから、喜んで受け入れてくれた。検査にかかるコストと多変量解析にかかるコストはSRLもちにしたから、慶応大学病院のドクターたちは予算ゼロで画期的な学術論文が書けた。数年にわたり、6000人ほどの妊婦に協力いただいたので、3項目で1.5万円としたら、多変量解析を含めると1億円を超えたかもしれない。この仕事をやったときの職位は学術開発本部の課長だった。

 東大理3応用生物統計出身のM君は帝人との臨床治験検査及びデータ管理に関する合弁会社で素晴らしい仕事をしてくれた。当初は一緒に役員出向したO部さん(営業担当常務)の部下だったが、データ管理グループを丸ごと管理系役員のわたしの下にもってきた。M君、「SASが必要なんですが…」とさっそく言ってきた。SASは慶応大学病院とのプロジェクトで研究部のF川が使っていたソフトで、仕事に必須のものだった。「SASは生物統計にはなくてはならないソフトだ、いくらするんだ?」、50万円だった、すぐに買ってやった。よろこんでいました。NTサーバを使うつもりだったから、若いほうのシステムエンジニアK谷とM君をパッケージ開発でタッグを組ませた。治験データ管理実務は若手だがベテランの優秀な三宅をメンバーに加えた。プロトタイプは武田薬品向けのデータ管理システムでできていたので、治験検査データ分野の仕事は初めてのかれらでも新しいツールを使ってできた。チャレンジャブルな仕事だった。ラックにマウントしたNTサーバーはかっこよかった。それまで、三菱電機製のオフコンとプリンターをつかっていた。プリンターだけで1000万円を超えていた。もうオフコンの時代ではなかった。わたしは前職の産業用エレクトロニクス輸入商社で1978年から4年間三菱電機製のオフコン2台を使ってシステム開発していたことがあった。NECの汎用小型機への乗り換えと統合システム開発を1983年に経験していた。14年もたっているのに、いまさらオフコンは選択肢になかった。古手のシステムエンジニアのW辺はNTサーバーへの切り替えに反対だったが押し切った。歳を食うと新技術への対応ができなくなる、不安なのだ。プログラミング言語もC++に切り換えている。1997年だったかな。方針を明確に打ち出すことが大事、そして何をやるのかビジョンを具体的に説明して納得してもらう。こうすれば、赤字のこの会社は黒字になり、転籍したときに、親会社以上の給料と賞与を払える、払うよと約束して、がんばってもらった。じっさいに、備品類やパソコンは親会社よりもグレードの上の製品でそろえたから説得力があった。口先だけの約束では人は動かない。決め手は言っている人物が信用できるか否かだろう。
 帝人との合弁会社は赤字部門の治験検査受託だったので、資金繰りが厳しい会社だったが、黒字にすればお金はいくらでも使える。机やいす、パソコン、書架などSRL本社よりもいいものを揃えた。非常勤取締役でSRL本社営業部門担当役員とラボ部門担当役員が月に一度取締役会にきており、備品を見て文句を言ったことがある。「なんだ、ebisuこれ本社よりもいい」、「赤字の会社を黒字にしてくれる社員に使わせるんだから、最高のものを揃えた」といったら黙った。黒字にできなかったら騒ぎ立てるが、それまでの仕事を見ているからぐうの音も出ない。1992年にできた関係会社管理部は営業本部に属していたから、その時代の2年間は、臨床検査会社の経営分析と買収や資本提携交渉がわたしの仕事だったので、親会社の営業担当役員といえどもわたしのすることにあまり口出しできない。営業本部で取引検査センターの経営改善を5件ほどやってあげたし、買収や資本提携もほとんど単独でやって成果を上げていたのである。会社内では相手が誰であろうと仕事の実績がモノを言う。そもそも親会社の営業担当役員を合弁会社の非常勤役員に据えたのは、親会社社長の近藤さんが、わたしたちが親会社と調整ごとがしやすいようにと、営業担当のT村さんと、ラボ担当役員のH泉さん一緒に貼り付けてくれたのである。彼らの役割は親会社との調整事項である。お目付け役だと勘違いされては困る。3年間で黒字化と、資本引き取りによる合弁解消、帝人臨床検査子会社の子会社化が近藤社長からわたしに課せられた課題だった。全部、期限内に片づけた。
 合弁会社では社内の人材がそれぞれの持ち場でしっかり仕事してくれたので、3年足らずで黒字になった。M君に指示してやらせたデータ解析用のパッケージシステム開発が成功して、営業がやりやすくなったためだ。彼とその(データ管理)グループで、利益で2億円貢献してくれた。社員60人ほどの小さな会社だったから、経営への影響は大きかった。赤字部門の切り離しで成立した合弁会社は黒字になった。

 民間企業では東大卒は有能な上司が使ってこそその力が発揮できる。順調に課長そして部長職になって、マネジメント比率が上がるにしたがって、スポイルされてしまうケースが多いのではないか、もったいない。使い方次第でいい仕事してくれる。
 M君に見るように、東大卒は一定の品質の仕事を約束してくれる。具体的な目標を設定し、必要なツールと時間を与えてやれば、いい仕事をしてくれる、速度も大きい、受験エリートの力は侮れないのである
 しかしだ、マネジメントだけはセンスがモノを言う。この面では受験エリートはからっきしである。一ツ橋卒の人5人ほど、京都大学の理系学部の課長とも仕事したが、たまたまなのだろうが、マネジメントのセンスのいい人は一人もいなかった。ズタボロだった人も二人いる。受験エリートは中高の時代に受験勉強に専念する代わりに、その時期にしか身につかない大事ななにかを失っているように見える。慶応・早稲田は一部上場企業ではそれだけでは社内エリートの物の数には入らない。

 わたしが手掛けた産学協同プロジェクト二つには、どちらも東大出身者がいなかったが、プロジェクトはいい仕事をした。これら二つのプロジェクトには東大卒が必要なかった。
 「東大村」だけでやっているのではもう時代遅れで、やれない仕事、プロジェクト、事業が増えている。そういう日本政府の、そして各省庁の政策決定過程と人材の弱点が、今回の新型コロナウィルス感染症で露呈したのである
 「東大村」のなかで仕事に慣れてしまったら、グルーバルなスケールで時代の30年先を行く仕事はできない。財務省や日銀を中心とした財政・金融分野にとくに弊害が著しい。かつては都市銀行にはMOF担なんて言葉があった。もうとっくにそういう時代ではない。
 国全体の人材を考えたときに、東大卒は数がすくない。東大の外にいる人材の方が数の上からは圧倒的に多い。ただ、東大卒は高度な学力レベルの品質保証がある。だから他の大学に比べて、外れは少ない。

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 1986年に原価計算学会へ加入しようと思い、一橋大にある原価計算学会事務局へ電話したことがある。専門を訊かれて、「理論経済学」と言うと、断られた。なぜ、学会に入る必要があったかというと、原価計算システムを発展させて、利益管理用のシミュレーションシステムを創るつもりがあったからだ。新規商品の価格設定による、販売量と売上高とコストの変化をシミュレーションして、最適な価格設定を見つけたかった。
 提案書数枚書くだけで、予算はいくらでも使えたから、会社のコンピュータをお金を使って大きな研究成果が期待できた。会社は利益が増えるのでいくらでもお金を出せる。自分の手でDEC社のミニコンを使って見たかった。統計計算が入るので事務用コンピュータ言語では無理、データ量から考えて汎用機は必要なかった。5000万円もあれがやれた。経理担当役員の岩本さんと管理担当副社長のY口さんがノーと言うはずもない。それまでの原価計算理論が一気に陳腐化してしまう新理論登場のチャンスだった。当時の原価計算の大家は一橋大学の岡本清教授。
 日本の原価計算学者で1986年当時、コンピュータシステムを理解できる者が一人もいなかった。一部上場企業の原価計算はすべてコンピュータシステムでなされていたのに。文系と理系の分野がクロスオーバしていたから、日本の原価計算学者は手が付けられなかった。大学1年のときにはやはり一ツ橋の番場嘉一郎さんの著作を読んだ。番場さんも岡本さんの本も1000ページ近い大著である、役に立ったが、読み終わったら、次のステップがばくぜんと現れだす。そのためのたたき台にすぎない。



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