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石臼で挽いた珈琲 [A8. つれづれなるままに…]

  2,008年4月9日   ebisu-blog#162 
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 北海道新聞を見ていたら、「有珠の溶岩でコーヒーミル」という記事が目にとまった。有珠(ウス)の溶岩で゙石ウスという駄洒落、伊達の石材メーカ社長の浪越さんは遊び心のある人のようだ。「石臼だと豆をひく際にコーヒーの雑味となる皮を取り除けるほか、石の熱伝導率が低いためコーヒーの風味を損なわない」とある、本当だろうか?そう思った読者が多いだろう。

 昔話にお付き合いいただきたい、15年ほど前の話である。福島県郡山市の駅から歩いて20分ほどのところにスナックがあった。今でもあるかもしれない。「ランチが美味しい、マスターが蕎麦打ちが趣味で石臼で挽いた蕎麦を打ってくれる」という。メニューに蕎麦はない。連れてってくれた人が常連だった。店は2階だが、建物横に小屋をもっていた。電動モータのついた石臼と作業台を置いているらしい。蕎麦を打つ人は、趣味が高じて、良い道具をそろえ他人に食べさせたくなるという。「どうだ、俺の打つ蕎麦は絶品だろう」、腕が上がれば打った蕎麦の味が違ってくるから、はっきりわかる、だからのめり込む。何事も腕前が上がるというのは気持ちの良いものである。うまい蕎麦を打つために自分の石臼で挽いた粉を使う。挽いてから時間が経ってしまっては風味が損なわれる。

 極細の蕎麦がでてきた。一口ずつ笊に小分けして盛り付けてある。石臼で挽いたばかりの蕎麦粉を使い、打ちたて、茹でたてだから、早く戴かないと罰が当りそうだ。じゅるじゅるっと音を立てて軽く口の中で噛み、香りを鼻に抜いて楽しみ、喉に流し込む。笊の上から盛り付けられた蕎麦が次々と消えてゆく。
 茹で時間はたったの9秒である。さっとお湯を通すだけだが、それ以上茹でるとのびて味が落ちる。細面にするには延ばしが難しいし、均一に断つのもかなりな技倆を要することだろう。スナックはやめて蕎麦屋にしたほうが好いようなものだが、好きな蕎麦は常連客にしか出したくないらしい。蕎麦打ちにはそういう変わった数寄者が多いとは連れて行ってくれた人の弁である。

 蕎麦を食べながら、実は珈琲の方がもっとうまいと言い出した。「だけど滅多に淹れてはくれないんだ。飲みたいだろう?」、不安げな顔で私を見る。
 石臼で挽いた珈琲を前から一度飲んでみたいとは思っていた。お茶が好きで自宅に茶室を作った人が、茶室に石臼の珈琲ミルを置いている、そのような話も聞かされていたからだ。
 マスターが布をかぶせて隅においていた小型の花崗岩製の石臼をだしてきた。え、淹れてくれるの、そう思ったとたんにどんな味だろうと想像が始まった。
 コーヒー豆を少しずつ入れながら石臼を手でゆっくり回すと、店内に珈琲の香りがじんわりと漂い始める。この瞬間、飲むときに勝る香りがする。
 挽き終わって、刷毛で石目に詰まっている珈琲も丁寧に集める。
 そうして淹れた珈琲が目の前に置かれた。ドリップだったかサイフォンだったかは覚えていない。味の印象が強すぎたせいだろう。
 コーヒー豆にこんな味が眠っているのかと思うほど経験のない味だった。美しい味としか言いようがない。水ももちろん特別なものだったはずだ。滅多に手に入らない特別な豆を使ったのだろう、どのような豆なのか教えて欲しいと思った。

 1960年代の終わりごろ、珈琲が好きでサイフォンで淹れてよく飲んだ。単品の品質の良い豆を使っても、代表的なブレンドであるブラジルベースの4・3・2・1でもよく失敗した。滅多に美味しいコーヒが淹れられない、1年ほど熱中したが技術が上がらないので諦めてドリップ方式に変えた。サイフォンを使うと同じ豆でも淹れ方で味がぜんぜん違う。あの頃は高級な豆、ブルーマウンテンのハイマウンテンものでも今ほどは高くはなかった。

 聞いてみた。これほど美しい味の珈琲ってどんな豆を使ったのだろう。飲んだことのない、よほど高級な豆を使ったのだろう。仕入れルートも気になっていた。
 マスターの返事はそっけなかった。
「普通のブレンド豆ですよ」
「え、こんな味の珈琲は飲んだことがない」と絶句している私を見て、
「石臼で挽いたからでしょう」と笑顔が返ってきた。

 連れて行ってくれた人は凝り性で、石材店に注文してコーヒー専用の花崗岩でできた石臼を造らせていた。擦り合わせ部分の刻みは何度か違ったパターンで試したという。その石臼をここのマスターにも勧めた。
 蕎麦の場合も珈琲の場合も、石臼には材料が本来もっている味を引き出す霊力のようなものが備わっているように思える。
 美味しいコーヒーが飲みたかったら、高い豆を求めてもあまり意味がない。その高級な珈琲がもっている力を挽き出す石臼を使わなければ、珈琲カスと一緒に一番極上の部分を棄てることになる。
 手で豆を少しずつ入れながら、ゆっくり石臼を廻すのは手間隙がかかる。コーヒー豆に「美味しくなるんだよ」と囁いているかのようだ。
 あの時以来、石臼で挽いた珈琲を飲んだことがない。


 4月8日北海道新聞より転載

 有珠の溶岩でコーヒーミル
【伊達】北海道洞爺湖サミットの7月開催を記念して、浪越石材(伊達市)が洞爺湖に隣接する有珠山の溶岩(安山岩)を囲うし、「石臼コーヒーミル」を開発した。9日にはじまる大阪・阪急デパートの物産展で公開する。
 同社は2006年に花崗岩の石臼コーヒーミルを開発し、職人が手作りで受注生産している。安山岩製もサイズは高さ11センチ、横最大17センチ、重さ5㌔でほぼ同じ。
 石臼だと豆を挽く際にコーヒーの雑味となる皮を取り除けるほか、石の熱伝導率が低いためコーヒーの風味を損なわないという。
 花崗岩製に比べて安山岩はやや加工しやすいものの、注文を受けてから2週間ほど製作日数がかかる。1ミリ単位の制度が要求されるだけに、1台3万5千円とやや値が張るが、「豆を挽きながら香りをかぐと癒されますよ」(浪越準一社長)とPRに努めている。