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#4029 岩井圭也『夏の陰』とデイビット・ピース『Xという患者』を読む July 7, 2019 [44. 本を読む]

<最終更新情報>
7月8日朝8時45分

 久しぶりに小説を読んだ。時々素振り用の重たい木刀を振っているので剣道に興味があったからだろう。思うように振れないので何かヒントがあるかもしれぬ。岩井という人の小説は初めて読む。
 粗筋はamazonの内容紹介を引用しておく。
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出会ってはならなかった二人の対決の行方は――。「罪」と「赦し」の物語。

運送会社のドライバーとして働く倉内岳は、卓越した剣道の実力を持ちながら、公式戦にはほとんど出場したことがなかった。岳の父である浅寄准吾は、15年前、別居中だった岳と母の住むアパートに立てこもり、実の息子である岳を人質にとった。警察との膠着状態が続いた末、浅寄は機動隊のひとりを拳銃で射殺し、その後自殺する。世間から隠れるように生きる岳だったが、自分を剣道の道に引き入れてくれた恩人の柴田の願いを聞き入れ、一度だけ全日本剣道選手権の京都予選に出場することを決意する。予選会の日、いかんなく実力を発揮し決勝に進出した岳の前に、一人の男が立ちはだかる。辰野和馬、彼こそが岳の父親が撃ち殺した機動隊員の一人息子だった。「死」を抱えて生きてきた者同士、宿命の戦いが始まる――。
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  読み始めてみたら、時々秀逸な表現が出てくるので、巧いと思う箇所へ線を引き始めた。
 夜空に上がる花火を次のように描写して見せる。
a1:黒々とした夜を背負って、ひと筋の光が向こう岸から空へと昇っていく。月と同じ高さに達したとき、破裂音とともに弾けて四方へ散った。光の華は夜空を彩り、瞬きする間に空へと溶けた。(100頁)

a2:岳は観念したように空を見た。母子にとって最後の思い出となる花火は、銃声に似た響きを残して散っていく。終わるからこそ美しいものがこの世にあることを、岳は今まで知らなかった。(101頁)

a3:美しく輝く花火の背後には、広大な闇夜が広がっている。

  a2の後半はステレオタイプな表現がまざってしまって、前半の印象深い表現を台無しにしているようにみえた。だから、まだ進化しそうな作家だ。

b1:柴田は饒舌だった。その饒舌さが、岳には不穏に感じられた。まるで時間切れを恐れ、焦っているような話しぶりだった。開け放された窓からブナの葉擦れの音が聞こえた。(107頁)

 剣道の師匠である柴田は試合の審判をしている最中に倒れて入院した、それを聞いて岳が駆けつけて柴田と話をするシーンである。柴田は自分の過去について何か隠していることを示唆している。こういう伏線がこれでもかというくらい頻繁に出てくる。少し抑え、さらりとやってのけたほうがよかったのではないか。

c1:しかしある日、このままでは自分(柴田)までもが犯罪者になってしまうと思った。これ以上、身内に罪を犯す人間を増やしてはならない。警察の厄介になる自分を、娘は軽蔑するだろう。それだけは避けたかった。石が潮に流されて磨り減るように、娘への執着は摩耗し、やがて消えた(112頁)

d1:これ以上優亜の顔を見ていると、感情が決壊してしまいそうだった。(117頁)
 
 使われている語彙は漢字検定3級程度の平凡なものばかりでとても読みやすい、そして使い方が上手だ。なにより褒めたいのはプロット(筋書き、話の構成)である。「題3章 陰の絆」「エピローグ」で無関係に見えていた事件とその関係者を結ぶ強い絆が明らかにされる。構想力がすばらしい。伏線を半分に抑えたら、あっとおどろく結末になったのではないだろうか。
 犯罪被害者の息子と加害者の息子の心理的葛藤がよく描けていることもこの小説を面白くしている。
  誰もが犯罪加害者や犯罪被害者の家族になりうる、そしてそれは明日かもしれない。そうなったときにどういう人生を生きるのか、この小説は深刻な問題を提起している。
 常なるものはない、明日は何が起きるかわからぬ、『方丈記』や『徒然草』の無常感が21世紀の小説にまで流れていることにふと気がついた。方丈記の「作者の鴨長明は自身が体験した都の大火、大地震、さては二年にわたる惨憺たる基金の状況などを回想しながら、克明に捉え示すことによって説得的に語っているのである」。(日本古典文学全集44巻『方丈記・徒然草・正法眼蔵随聞記・歎異抄』より)
 小説のテーマは他所事だと思っているから娯楽として読めるんだろうな。(笑)

 古典を読み漁って、使える語彙が拡張したときに、この構想力の緻密さがさらに飛躍を遂げていたらどのような小説ができあがるのか楽しみである。いや、発行部数を増やすためには漢検3級程度の語彙で書いた方が有利だろう。漢検準1級レベルの語彙が頻出したら、読者層は限定され狭い層にしか読まれない。読者の語彙力に合わせた小説が売れるのである。

 漫画の本を読まなくなって13年、久々に娯楽本を読んだが、とっても楽しめた。
 著者の岩井圭也さんに感謝!
 次回作も期待したい。

<余談:2冊セットで読む>
 岩井圭也の『夏の陰』は一日で読んだので、続けて『Xという患者 龍之介幻想』を読んでいる。主人公は芥川龍之介、少年のころから家の本、学校の図書室、近所にある図書館、川向こうの図書館と片っ端から本を読み漁り、精神を病んでいく。芥川の作品には「羅生門」や「鼻」など古典からのリライト物が多いが、それが中学生のころから宇治拾遺物語や今昔物語などの古典も片っ端から読んでしまう読書マニアだったことによって成り立っていたとしたら、その精神状態はどうなるのか、著者は龍之介を精神病の患者Xとして観察していくのである。患者Xは読めば読むほど語彙が豊かで表現の巧みな本が読みたくなってしまう、読む本のレベルを上げすにはいられない、次第に読書中毒の症状を呈して、それがアウトプットへと向い、際限のない技巧の高みを目指して螺旋階段を昇り詰めていく。ブレーキの利かない読書機械や作文機械がだんだん速度を上げて道路から外れて空を飛んでいき、音速を超えて空中分解してしまうかのような…。
 大作家を精神を病んだ患者として眺めた一風変わった読み応えのある小説であるのだが、周囲の人々や時代を象徴する出来事や人との付き合いでも、読書機械であると同時に作文機械でもある患者Xの精神の歯車は勝手に回ってしまう。龍之介はあっちこっちで自己制御不能になるのである。
 それゆえ芥川が生きた時代背景や同時代の他の作家について知識のあった方が愉しく読めることは申し上げるまでもない。たとえば、明治天皇崩御の際の乃木希典の自殺の龍之介の精神への影響が描かれている。自殺と殉死という言葉の葛藤は、言葉のセンスが過度に鋭敏な者にはないがしろにできない重大な問題として立ち現れ、そこに拘泥する。
 人の精神が何をすることによってどのような方向へ歪(いびつ)に育っていくのか、人のこころとはどのようなものなのか、ディヴィッド・ピースのこの作品と岩井圭也の小説に、テーマの共通性を感じた。まったく関係のない作品を2冊セットで読むという読み方がありそうだ。

*『夏の陰』
https://www.amazon.co.jp/夏の陰-岩井-圭也/dp/404108038X/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E5%A4%8F%E3%81%AE%E9%99%B0&qid=1562474153&s=gateway&sr=8-1



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夏の陰

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  • 作者: 岩井 圭也
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2019/04/26
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Xと云う患者 龍之介幻想

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  • 作者: デイヴィッド ピース
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新編日本古典文学全集 (44) 方丈記 徒然草 正方眼蔵随聞記 歎異抄 1

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  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 1995/02/17
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#3995 『ゲーデル、エッシャー、バッハあるいは不思議の環』May 16, 2019 [44. 本を読む]

 いつか読まなくてはと思っていた本を根室の本屋さんで注文した。たまたま、昨年、ゲーデルの『不完全性定理』を2/3ほど読んでいた。いきなり数学の証明の本を読むのは無理だから、数理論理学の入門書を一冊読んでおいた。お陰で序章の38頁まではスムーズに読めた。残りの700頁は問題なかろう。20年前に読んだらかなり難解な本だっただろうが、いまは必要とされる周辺知識を獲得済みなので難なく読める。

 この本の翻訳者の一人に、翻訳の名手である柳瀬尚紀さんがいるが、根室高校の6年先輩にあたる。どういう日本語を充てるのがふさわしいのか、とことん考えて訳文を作る人だから、原著と読み比べてみたらいい。工夫の跡が随所に確認できるだろう。
 柳瀬さんは3年前に亡くなられた。

 出版20年記念版の序文にはバートランドラッセルの『プリンキピア・マテマティカ』がいきなりでてくるから、自然数を使った数学の証明法や公理的な数学モデル構築に関する知識がなければ意味が理解できないだろう。この本は広い教養と数理論理学の専門知識と深い深い思索を同時に要求するから、読んで理解できる読者はとても少ない。この本を読んで理解できる知性がいま日本には何人いるのかな。

 ホフスタッターがなぜ数学者と絵描きと音楽家をとりあげたのかは最初の章で理由が明らかになる。

 ホフスタッターには、バッハの「音楽への捧げもの」のカノンが無限に上昇しながらいつのまにかもとのハ短調に戻る。エッシャーのだまし絵、水が下へ下へと流れているのに、ちゃんと元へ戻ってくる、そこに同じ構図のあることを見ている。彼が見ている同じ構図が「不思議の環」である。
 わたしも、ユークリッド原論とラッセルPMとマルクス資本論に同じ構図を見ている。ホフスタッターと同じ経験をしているから、理解しやすいのだろう。
 
わたしにとってはちっとも不思議ではない異なる分野で生じる同型性、むしろ当たり前の環。これら三つの書物に共通しているのは演繹的体系だということと、それだからこそ学の出発点に公理を設定しており、公理自身はそれぞれの体系内部では論証不可能だということ。そして公理を変えれば別の演繹体系が立ち上がるということである。経済学に対してこのような主張をしているのはebisuが世界でただ一人である。
 演繹体系がその出発点にそのモデル体系では証明不可能な公理をもつのは当たり前のことだから、マルクスは価値と使用価値の定義を経済学の公理にして演繹的な記述をはじめて、弁証法にとらわれて迷路に入り込み破綻した。数学音痴だったマルクスは流行り病の弁証法が方法論としてはダメだということに資本論1巻を書きあがて気がついたのだろうと思う。かれは方法的破綻を明確に自覚していた。だから晩年の10年ほど沈黙したまま死んでいる。共産党宣言を書いて、世界中の人々を煽って、いまさら自分の経済学方法論が間違ってましたなんて言えなかったのだろう。方法的破綻が明らかになったらもう書けない。哀れな晩年のマルクス。
 わたしは職人仕事と「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」という商道徳を出発点に措定した経済学を展望している。

 いずれかの分野を深く掘り下げれば、興味のある別の分野にある同型性が見えてくるもの、これは平等性智の働きである。エゴの発動である自他弁別本能を抑制すれば見えてくる。自我本能を抑制できない人に理解できるだろうか?amazonに並んでいる書評を読んでみたらいい。

 大数学者の岡潔先生の最終講義が『数学する人生』(新潮文庫)として出版されています。生とは何か、命とは何か、自然とは何か、西洋科学とはまったく別の視点からの考察が述べられていますから、ホフスタッターの思索と比べてみると、『ゲーデル、エッシャー、バッハあるいは不思議の環』がどういうレベルの議論をしているかよくわかります。
  



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②エッシャーの大判の画集です。30年ほど前に本屋をぶらついているときに見つけて買いました。ほしかった画集が目の前に突然現れたのです。うれしかった。
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③ゲーデル『不完全性定理』です。いきなりこの本を読んでも理解不能ですから、数理論理学の入門書を1冊読みました。バッハのCDはおまけです。「音楽の捧げもの」もCD棚にありました。ARCHIV 指揮者はラインハルト・ゲーベル、演奏はムジカ・アンテクワ・ケルン。POCA-2123

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④バッハ「音楽の捧げもの」。J.S.バッハは好きな作曲家だから探したらCD棚にありました。この本の構成はバッハの「音楽の捧げもの」を模したものとなっています。形を模すことで何かが浮かび上がってくることを書き手が期待している風に感じます。
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ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環 20周年記念版

ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環 20周年記念版

  • 作者: ダグラス・R. ホフスタッター
  • 出版社/メーカー: 白揚社
  • 発売日: 2005/10/01
  • メディア: 単行本
ゲーデル 不完全性定理 (岩波文庫)

ゲーデル 不完全性定理 (岩波文庫)

  • 作者: ゲーデル
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2006/09/15
  • メディア: 文庫
音楽の捧げもの

音楽の捧げもの

  • アーティスト: ムジカ・アンティクワ・ケルン,バッハ,ゲーベル(ラインハルト)
  • 出版社/メーカー: ポリドール
  • 発売日: 1992/04/22
  • メディア: CD
 
数学する人生 (新潮文庫)

数学する人生 (新潮文庫)

  • 作者: 岡 潔
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2019/03/28
  • メディア: 文庫


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#3851 無限級数:『πとeの話』Nov. 11, 2018 [44. 本を読む]

 11月11日、ぞろ目の日ですね。昨日一日中降り続いた雨があがって快晴です。サイクリング日和、走ってこようかな。

 わたしの専門は会計学や原価計算、そして経済学です。学部と大学院は文系ですから、理系分野の専門家ではありません。コンピュータシステムについては仕事で経営情報系統合システム開発を担当していた時期があるので、その分野では当時国内トップクラスのSEの専門知識と経験がありますが、やはり根っこは「文系」です。   
 どういうわけか大きな本屋に行ったときに探すのは数学専門書コーナー。(笑)
 もともと好きなんでしょうね。複式簿記は特殊数学の分野の学問で、美しい体系をもっています。高校時代は簿記が大好きでしたから、そこを入り口に公認会計士2次試験参考書(当時は7科目、簿記論・会計学・原価計算・商法・経済学・経営学・監査論)をつかって勉強してました。教えられる先生がいませんから、独力でやるしかありません。勉強しながら、その体系が美しいと感じるこころはどうしようもありません。公認会計士二次試験講座の経済学は近代経済学でしたから、バランスをとるために高校2年生の時に読んだマルクス『資本論』はその体系の仕組みがさっぱりわかりませんでした。これだけは歯が立たなかった。(笑)
 マルクス資本論体系を理解し、それを超えること、それが大学院へ進学する動機になりました。学問(数学)の最初の体系的な叙述であるユークリッド『原論』は美しくてまぶしいくらいです。20代のころはまさか、『資本論』と紀元前に書かれたギリシアの数学書である『原論』がむずびつくとは思っていませんでした。世界中の経済学者はだれもそんなこといいませんが、演繹的な体系叙述という点で共通しています。(笑)

 10月下旬に東京へ行ったついでに、ワンフロアでは日本一広い売り場の多摩センターの丸善を覗いてみたら、面白い本がみつかりました。『π(パイ)とeの話』という本です。
 πが何種類もの無限級数で表現できることに数字の魔術を見る思いがします。π/2(ウォリスの等式)、π/3(ウォリスの等式)、π/4(マシーンの等式)、π/6、π/8、π/12、π/24、それぞれの無限級数と証明が載っています。
 ウォリスの等式は「(sin x)/x」から導かれる。


 指数関数も三角関数も無限級数で表すことができるので、指数関数を三角関数で表すようなことが可能になります。
   e^iΘ=cosΘ + isinΘ

 オイラーの公式と呼ばれているものです。美しいでしょ。
 このように無限級数は指数関数と三角関数の最大公約数のような役割を果たします。両方の分野にかけられた橋のようなもの。
 高校数学の数Ⅲ「数列」の章の最後に無限級数がちょっとだけ顔を出しますが、関数の無限級数展開は数Ⅲの微積分でも扱われません。好奇心の強い高校生用になんとかならないものかと思います。

 ところで、π(パイ)と並ぶもう一つの代表的な無限小数であるネイピア数eについてはシグマ記法を用いたものが14通り掲載されています。
122-123頁にはe級数が24通り載っていますが、最後のものは「オイラーの恒等式」です。シンプルで美しい。オイラーってどういう頭していたんでしょ、会って話をしてみたい気がしますが、タイムマシンがなければ無理ですね。

   e^iπ-1=0

 さて、どうしてさまざまな無限級数がπやeに収束するのでしょう?
 無限級数の世界は美しい、宝の山かもしれません。



πとeの話―数の不思議

πとeの話―数の不思議

  • 作者: Y.E.O.エイドリアン
  • 出版社/メーカー: 青土社
  • 発売日: 2008/09/25
  • メディア: 単行本


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#3842 良質のテクストと日本語音読指導 Oct. 20, 2018 [44. 本を読む]

 先々週から中3人と高1の生徒に音読指導を再開した。テクストは西岡常一。小川三夫・塩野米松共著『木のいのち 木の心 天地人』である。
 西岡氏は法隆寺に代々伝わる棟梁の末裔、小川はその弟子である。師匠と弟子の対話は読みごたえがある。
 いわゆる宮大工だが昔は番匠といっていたらしい。明治の廃仏毀釈運動*が宮大工を激減させた事実は、歴史の教科書には載っていない。
 名人の域になると、古代建築に関しては東大教授も足元にも及ばない専門知識をわんさかもっている。手の技だけではなく、建築材料である檜がいつから使われているかを、日本書紀の文を引用しながら解説している。
 5か月ほどたのしい時間となりそうだ。
(裏話をすると、工業高校へ進学して、建築士になるという生徒が二人いるので、職人仕事の精髄を伝えたくて急遽選んだのがこの本である。わたしは小学生のころ大工さんになりたかったことがあるので、西岡氏と小川氏の本は出版されたときに単行本で読んでいる。)

 高1の生徒から昨日、福沢諭吉『福翁自伝』を読み終わったと報告があった。「次は何をやりますか?」と問うので、山本義隆著『近代日本150年 科学技術力総力戦体制の破綻』をとりあげると通告した。
 山本は日本でトップクラスの物理学者である、そして知の巨人でもある。緻密な論証の技は一流の職人そのもの。語彙が豊富で引用文の読解に苦労するところはある、たとえば鉄を意味する用語に充ててある漢字が漢和辞典には載っていない字だったりする。明治に鉄がはいってくるが、従来の鍛冶屋の製鉄とは違うので、その違いを表現する字を創ったのだろう。明治の人々が外国へ行き、見聞きしたものを紹介するのに、既存の漢字では表現しきれぬものを感じたのだろう。そういうみずみずしい感動も引用文から伝わってくる。
 山本義隆氏の緻密な論証の積み上げを味わってもらいたい。
 『福翁自伝』は途中まで一緒に音読し、残り2/3を独力で読ませた。高校1年生でこのレベルが読めたら、明治期のものの半数くらいは読めるだろう、十分に目的は達成した。
 日本語語彙力と読解力はセットになっている。日本語読解力の大きな者は日本語語彙も豊富である。そして外国語の読解が母語である日本語の読解力を上回ることはない。そういう意味で日本語語彙が豊かで日本語の文章の読解力が大きいということは英文読解の基礎をなしている。今年初めころから英文読解トレーニングをしている、だいぶこなれた日本語にできるようになってきたので、精読と合わせて頭から読みこなす速度アップトレーニングを数か月前から始めた。一緒に読んで、やりかたを伝授するだけ。半年後にジャパンタイムズ記事を読むことになるだろう。ジャンルが様々だから、よいトレーニング材料になる。

 当代の知の巨人の一人である山本義隆は1968年に東大全共闘議長だった。団塊世代には懐かしいネームである。

 #3640より
https://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2017-11-17
〈 音読リスト:#3405より 〉
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< 国語力アップのための音読トレーニング >
 中2のトップクラスのある生徒の国語力を上げるために、いままで音読指導をしてきた。読んだ本のリストを書き出してみると、
○『声に出して読みたい日本語』
○『声に出して読みたい日本語②』
○『坊ちゃん』夏目漱石
○『羅生門』芥川龍之介
○『走れメロス』太宰治
○『銀河鉄道の夜』宮沢賢治
 『五重塔』幸田露伴
 『山月記』中島敦
●『読書力』斉藤隆
●『国家の品格』藤原正彦
●『すらすら読める風姿花伝・原文対訳』世阿弥著・林望現代語訳
 『日本人は何を考えてきたのか』斉藤隆

 『語彙力こそが教養である』斉藤隆 

 これから読むものをどうしようかいま考えている。
 『福翁自伝』福沢諭吉
 『善の研究』西田幾多郎
 『古寺巡礼』和辻哲郎
 『風土』和辻哲郎
 『司馬遼太郎対話選集2 日本語の本質』文春文庫
 『伊勢物語』

(○印は、小学生と中学生の一部の音読トレーニング教材として使用していた。●印の本は中学生の音読トレーニング教材として授業で十数年使用した実績がある。音読トレーニング授業はボランティアで実施、ずっと強制だったが2年前から希望者のみに限定している。)
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木のいのち木のこころ―天・地・人 (新潮文庫)

木のいのち木のこころ―天・地・人 (新潮文庫)

  • 作者: 西岡 常一
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/07/28
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新訂 福翁自伝 (岩波文庫)

新訂 福翁自伝 (岩波文庫)

  • 作者: 福沢 諭吉
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1978/10
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近代日本一五〇年――科学技術総力戦体制の破綻 (岩波新書)

近代日本一五〇年――科学技術総力戦体制の破綻 (岩波新書)

  • 作者: 山本 義隆
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2018/01/20
  • メディア: 新書
 明治初期の廃仏毀釈運動とその寺院・仏閣・伽藍の破壊や経典・仏像類の国宝級の文化財破壊の凄まじさについては井沢元彦の下記の著作をご覧いただきたい。中国の文化大革命は他人事ではないのである。
逆説の日本史23: 明治揺籃編 琉球処分と廃仏毀釈の謎

逆説の日本史23: 明治揺籃編 琉球処分と廃仏毀釈の謎

  • 作者: 井沢 元彦
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2017/10/25
  • メディア: 単行本

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#3742 一家団欒の風景:道の駅コンキリエ Maay 20, 2018  [44. 本を読む]

<最終更新情報:5/21朝8時15分>

 釧路からの帰路、2時ころ厚岸の道の駅コンキリエによった。気温11度で外は少し寒い。入り口を入ると左側で蒸し牡蠣を実演販売していた。厚岸の牡蠣も独特の味でとっても美味しい。

 テーブルについて釧路のイオンで買ってきた天むすを食べた。隣の席にお母さんと子供三人が座っていた、お母さんはスマホ、子どもたちは同じくらいの大きさのゲーム機とやはりスマホをずっと操作していた。子どもたちの年齢は小学生と中学生だろう。終始無言で、四人四様小さな画面に向かっていた。二人はイヤホンをつけていた。

 日本語全体の1割が日常会話などの話し言葉で、9割が文章語だと斉藤隆の『子供の語彙力を伸ばすのは親の務めです』(角川書店、2017年刊)15頁に載っている。
 日本語語彙は水の流れと同じで、語彙レベルの高い方から低い方に流れる、だから子どもの語彙を豊かにするためにはと生活を共にする大人=親の役割が大きい。豊かな語彙をつかって会話できる親や周囲の大人に恵まれた子どもの日本語語彙が豊かなのは当然である。日本語語彙には日常会話で使われているものと文章語の2種類あり、語彙の豊かな大人は会話に文章語の語彙が増える。
 9割を占める書き言葉は本を読まなければ身につかぬことは当たり前語彙力が爆発的に増大する季節は小学生高学年から中学生のだろう。この季節に、本を読まず、文章語がほとんど身につかないとしたら、コミュニケーション能力や学力向上へ大きな妨げになるだろう。教科書を読んでも理解できない、相手の言うことが理解できない、自分の感情を細やかに表現できない、言うべきことを整理して適切な語彙を用いて伝えられないとしたら、人間関係はどうなる、そして社会に出たらどういう仕事が待っているだろう?
 中3で教科書が理解できないレベルの生徒が、根室市内の中学校ではすでに1/4から1/3も存在している。国立情報学研究所の最近の調査でも1/4程度が教科書を読んで意味をつかむことのできない学力層だという。
 ニムオロ塾では2004年から日本語音読指導を15年間継続しているが危機感を感じている。いままでは強制参加方式でやっていたが、昨年から自由参加形式に改め、水曜日に90分間の音読授業を月に2回実施している。これはボランティアである。私塾を根室でやっているので、社会的責任の一つと思っている。

 釧路の本屋「コーチャンフォー」によって根室半島の1/25000の三色刷りの地形図を三枚本を二冊買ってきた。地図を広げてみたら、「友知」が抜けていた。サイクリングコースをカバーしたい。サイクリングコースではないが、「東梅」や「風連」「落石」「別当賀」も必要だ。調べたいことがある。

 今日購入した斉藤孝の本は戻ってからすぐに読み終わった、ついでだからもう一つも紹介しておこう。『魔法の読み聞かせ』、この著者の主張、「自由読書」にはわたしは異論がある。日本の現実とりわけ根室の現実はもうそういう段階を通り越している。自由に読ませても字面を追っているだけで、半数以上の生徒たちが読めていない、つまり意味を理解して読んでいないのである。読めない漢字は飛ばし読みするし、見慣れない文章語が出てくれば瞬時に知っている日常会話での語彙に置き換わってしまうこんなことが読解力のない生徒の頭の中で頻繁に起きるから、文章の意味や文脈が読めない朝読書=自由読書では半数以上がただ字面を追っているのである
 適切な音読トレーニングをしなければ、ほとんどの生徒が年齢相応の読書力が身につかない、そういう時代であるスマホ使用時間の増大が読書時間を侵食して読書習慣育成の障害になっている、この傾向は7年前から中学生のスマホが普及し始めたころから顕著になった。生徒たちの日本語能力が急激に低下している。そのことは早晩、生徒たちの大幅な学力低下を招くことになる。低学力層がさらに厚くなり、高学力層の枯渇化がさらに進む。13年前には五科目300点満点の学力テストで200点以上の生徒が市街化地域の3中学校では10-15人ほどいたのだが、今年四月のテストではB校で2人C校で1人しかいない。得点が20%未満の60点以下はB校13/55(23.6%)、C校10人/45人(22.2%)もいる。10年前は数人のレベルだった。昨年のデータでは200点以上はB校1人、C校2人である。60点以下はB校は階級値の幅が50点となっているので不明だが50点未満が4人いた。C校は7人である。高校入試が根室高校1校となってから、学力下位層がまったく勉強しなくなったのではないか、低学力層の底が抜けたかのようなデータである。昨年よりもさらに進行しているようだ。根室市教委は全国学力テストデータを分析して、根室の子どもたちの学力が上がっているかのようなデータの読み違いをしている。全国平均正答率と根室の子どもたちの正答率の差は拡大を続けている。普段の学力テストデータを見ていないから、そういうことが起きる。根室市の教育長はコメントを公表する前にデータを確認してる?組織として問題アリだよ。

  読書は語彙を増やし読解力を育てるだけではない、名文を読むことで心のセンターの情緒を育み、精神的な成長を促す効果がある。そこが一番常用ではないのか。情緒がしっかりしてくると、心が安定する。人の心の襞も感じ取れるようになるし、自分の感情の細やかなところも人に理解してもらえるような多様な語彙を用いて表現できるようになる。高度なコミュニケーションが成り立つのである。

 親が新聞も本も読まない、そして身の回りに読むべき本がない、そういう環境要因は読書習慣育成の妨げになっている。一家に6段の本棚一つ分くらいの本は置いておきたい。願わくば、家族一人につき、6段の本棚一つくらいの分量の本をそろえてもらいたいというのは斉藤孝先生のご意見である。ほかの本のどこかで書いておられた。読書環境が劣悪なことも子どもたちを読書から遠ざけている。たとえば新聞を定期購読している家庭が減少し続けている。それでもまだ根室市内は2/3くらいの家庭が新聞を定期購読している。
 身の回りにすぐに手に取れる本があるという環境は親が用意してやる必要がある。値段の高い単行本でなくて文庫本や新書版の本でいい。百冊買っても80000円前後である。子どもが可愛ければ、それぐらいの教育投資はしてやろう。塾を半年休んで授業料を充当したっていいのだ。
 年に一度、五月の連休に市民ボランティアの皆さんが、市立図書館で古本市を開催してくれているが、そこで購入すれば、定価の1割で買える。業者が欲しがるほどの安値で品質の良い本も中にはあるので、利用してもらいたい。読み終わって邪魔になったら、翌年の古本市に寄付したってよい。こういうリサイクルが成立していることは根室の読書人を育てる力となっている。わたしたち一人一人の努力次第で状況は変えられるのである。

 別保公園の桜がきれいだった。細い枝にピンク色の桜の花がたくさんついていた。それから、浜中町茶内のJAショップ内で販売されているソフトクリームがとってもおいしかった。コーンがあっさりしているのとアイスクリームが濃厚な味、その組み合わせが絶妙。乳脂肪が高めのソフト、隣にあったのは高梨牧場、もちろん製造元も高梨である。よく育てた牧草を食べ健康な牛から絞られる生乳を原料としているアイスクリームはとってもおいしい。でこののソフトクリームはオイコスの森川さんが絶賛していた。
 住所と電話番号が載っているURLを貼り付けておく。
 厚岸郡浜中町茶内栄61 0153-65-2123
https://www.jabank.jp/ja/shops/index/3335000


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子どもの語彙力を伸ばすのは、親の務めです。

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  • 作者: 齋藤 孝
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2017/08/04
  • メディア: 単行本
できる子に育つ 魔法の読みきかせ (単行本)

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  • 作者: ジム トレリース
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  • 発売日: 2018/03/24
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#3706 道立高校入試日 3/6  Mar. 6, 2018 [44. 本を読む]

<更新情報>
3/6 夜9時 釧路新聞「学力危機」記事貼り付け

 今日3月6日は道立高校入試日である。昨夜降った雪がうっすら歩道を覆っていた。9時半から試験開始だったかな、午前中は3科目、昼休みに持参したお弁当を食べ、午後2科目、3時45分に終了の予定。
 陽射しが春だ、暖かい。11時の気温はー3.6度だが、アスファルトは太陽熱を吸収して真っ黒、雪はどんどん融けている。

*#3684 根室高校入試倍率:定員240人に対して出願者数175人 Jan. 29, 2018
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2018-01-29


 定員240名に対して応募175名だから、全員合格である。これでは試験をやる意味がない。五科目合計点で3割未満の得点しかとれない者は不合格でよいと思うのだが、制度改正が必要なのだろう。
 高校1校体制になって、成績下位層にまったく勉強しない生徒が増えた。90点で足切りをすれば、ほとんどの生徒が合格ラインまで点数を上げてくるだろう。甘やかすからいけない。
 ところで、裁量問題で90点以下のラインは普段やっている学力テストでは110点付近だから、昨年11月に実施した学力テスト総合Cでは根室市内の約半数の生徒が不合格となる。10年前には根室高校普通科の合格最低ラインが150点を超えていたことを考えると、生徒たちの学力低下は目を覆うばかりだ。実質BFだから五科目合計点が50点でも合格できるだろう。これでは教える側がたまったものではない。授業の照準は低いところに向かわざるを得ない。
(11/9実施学力テスト総合Cの得点階層別棒グラフでみると、B中学校は56人中32人が100点以下、C中は58人中30人が100点以下である。2校の54.4%が100点以下。)

 試験の帰りに数人がニムオロ塾へ来る。高校数学の最初のところでやる計算問題を30ページコピーして用意している。合格発表は16日だが、そのときに「宿題」を渡される。数学は25ページほどある小冊子の問題集だ。今日から16日まで「やることがない」という生徒のために用意してある。
 もうじき高校生だが、復習方式主体で家庭学習をしてきた生徒は、予習方式に切り替えるべきだ。
 「読み・書き・そろばん」勉強の土台をなしている。読みとそろばん(計算)スキルが高く、標準の2倍速でやれる生徒は表準則の生徒の2倍の(勉強量/時間)をもっていることになる予習も短時間で済む
 高校1年生が苦手とするのは世界史と化学基礎である。前者は読み、後者は計算スキルが高い生徒が圧倒的に有利である。
 ジャンルを問わず濫読して読書速度と集中力をアップしよう、そして春休み中に計算問題をたくさん解いてスピードアップをしよう。新学期の始まる前にしっかり準備しておきたい。市街化地域の3校のうちB校とC校三年生の昨年度の学力テストの結果を見ると、生徒の70%は計算スキルが低すぎて高校数学や化学や物理などの計算分野で支障が出る。ニムオロ塾では音読トレーニングをしているが、日本語の読みのスキルも劣化が著しい。スマホの普及によって本を読む生徒がさらに減少したからだろう。赤ん坊だってハイハイをしばらくすれば立ち上がり、そしてよちよち歩き始める。2歳になるころにはちょこちょこ走り出す。読書も速度と読むもののレベルを上げていくべきだ。いつまでもアニメのノベライズものにとどまっていてはいけない。


<ラジオの朗読番組と読書>
 NHKラジオで日曜日朝6時から「古典講読の時間」という番組で『御伽草子』の朗読と解説をしている。録音できるラジオがあれば、録音して聴いてみたらいい。そして本も買って朗読をまねしてみたらいい。自然に古典が体の中にしみこんでくる。今週日曜日は第48回「転寝(うたたね)草紙」の2回目でした。

(うとうとしながら聞いていて面白かったので、あとで本をとりあげ、「鉢かづき」を読みました。鉢をすっぽりかぶって取れないお姫様のお話です。)
 なお、このお話(「転寝太郎」)は岩波文庫版の『お伽草紙』には収録されていません。「酒呑童子」「ものくさ太郎」「一寸法師」「浦島太郎」は絵本や童話でほとんどの人が読んでいるでしょうね。中高生の皆さんは、その元々の原文『お伽草紙』へチャレンジしたらいかが?

 『宇治拾遺物語』も面白いお話が満載です。芥川龍之介の『鼻』は宇治拾遺物語の「七 鼻長き僧」の現代語でのリライト版です。「三 鬼に瘤取らるる事」は太宰治が「瘤取り」という題名でリライトしていますが、原文よりもずっと文の量が大きくなっています。原文よりもずっと面白い。わたしは古い『太宰治全集7』(筑摩書房、昭和33年刊)に収録されているものを読んでいます。太宰のリライトは名人芸です。
(こぶとり爺さんの初出は『日本書紀』ですが、太宰によれば丹後風土記や本朝神仙伝にも載っているそうです。そして『御伽草子』(享保年間に渋川清右衛門が出版したものを「渋川版」といいます、23話が収載されています)にも。お伽草子は収録話数が本によってさまざまのようです。)


 わたしは小学館から出版された「日本古典文学全集50 宇治拾遺物語」で読んでいます。三段組になっていて、上段が語彙注釈、中段が原文、下段が現代語訳です。1ページに必要な情報が全部載っているので読みやすいのです。これなら中学生でも読めますよ。
 2冊も読めば、現代語訳がなくてもときどき古語辞典のお世話になればほとんどの意味がとれるようになります。
 『源氏物語』はそう簡単にはいきません。身分の違いでそれぞれ相手に対する敬語表現を使い分けているのでを誰が誰にいっているのか注釈なしにはとてもわかりません。現代語訳は数人の文学者の手になるものがありますが、林望先生の『謹訳源氏物語』が現代語訳としてはもっとも格調の高い名訳ですのでこれをおススメします。全部で十巻あります。別冊で『源氏物語̪私抄』があります。ユニークな視点から読み解いているので、『源氏物語』を古典の時間にやる高校1年生はぜひ読んでください。大人の視点から読み解くと、東宮の母親である弘徽殿女御から恨まれ、六条御息所の生霊に祟られて死んでいく葵上の立場とその境涯に同情したくなります。林望先生が古典講読の視野を広げてくれます。


<2012年の釧路新聞記事>
「学力危機」6年前の釧路新聞記事です。あれから根室の中学生の学力は著しく低下してしまいました。違いはどこに?市議会と経済諸団体そして学力低下に危機感を抱いた人たちが集まって協同したからでしょう。

  九九ができない高卒、メニューの漢字の読めない高卒、10㎏1500円のミカンが1kg当たりいくらになるのか即答できない高卒、仕事をしてもらいたくても無理です。根室でもおそらく類似の現象が起きていますよ。釧路市内の中学校のほうが根室の市街化地域3校よりもずっと学力が高いのですから。釧路はそれでも全国学力テストで北海道の平均点に達していません。
 昨年の中3の学力テスト総合ABC、三回の学校別五科目平均点を比べると根室の3中学校は釧路市内13校の最底辺のレベルです。とても残念です。

*#3030 低学力の実情:中学2年生4/10学力テスト問題から Apr. 19, 2015
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2015-04-19


 #2111 成績下位層 中2の国語力は小4以下の現実 Nov. 1, 2011
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-10-31


 記事の写真は、ブログの横幅表示の限界を超えているので、上下に分割しました。左端まで読んだら、下段に下がって続きをお読みください。

釧路新聞2012.png

釧路新聞3.png



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御伽草子 上 (岩波文庫 黄 126-1)

御伽草子 上 (岩波文庫 黄 126-1)

  • 作者: 市古貞次
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1985/10/16
  • メディア: 文庫
お伽草紙・新釈諸国噺 (岩波文庫)

お伽草紙・新釈諸国噺 (岩波文庫)

  • 作者: 太宰 治
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2004/09/16
  • メディア: 文庫
新編日本古典文学全集 (50) 宇治拾遺物語

新編日本古典文学全集 (50) 宇治拾遺物語

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 1996/06
  • メディア: 単行本
謹訳 源氏物語 私抄――味わいつくす十三の視点

謹訳 源氏物語 私抄――味わいつくす十三の視点

  • 作者: 林 望
  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 2014/04/28
  • メディア: 単行本

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#3696 ヤマモリの黒糖餅+黒豆黄な粉と「横笛草紙」:乙な味 Feb. 17, 2016 [44. 本を読む]

 ヤマモリパンが美味しい黒糖餅を売り出すのは12月だけ、正月用の餅である。白餅、生姜餅(薄いピンク)、蓬餅(ヨモギ色)、黒糖餅(茶色)の4種類ある。
 餅が大好きなので、正月用のほかは冷凍庫へ保存して、好きな時に解凍して食べている。弥生町のお店兼製造工場へ注文し作り立てを冷凍すると家庭用冷凍庫でも数か月は味が良い。
 餅を焼いて、さっと湯通し、そして黒豆黄な粉をまぶすとおいしい黄な粉餅のできあがり、上品なお菓子のような味わいである。

 黒豆黄な粉は宅配トドック(コープさっぽろ)で注文、以前は牛乳に入れて飲んだりしていた。
 黒糖餅は黒糖入りだから甘い、だから黒豆黄な粉のほうはお砂糖控えめでよい。黒糖餅はそのまま食べてもとってもおいしいのだが、この黒豆黄な粉をまぶすと別物に化ける。黒糖が自己主張をやめ、黄な粉と仲良しになる。目隠ししたら黒糖餅だとわからないのではないだろうか?
 乙な味*、組み合わせの妙だ。

------------------------------------
乙:(形容動詞)①ちょっと気がきいていて趣のあるさま。「なかなか乙な味だね」「乙なことを言う」
  ②ちょっと変わっているさま。妙だ。「乙にすましている」
  乙に搦む 変なふうにからむ。遠回しに皮肉をいう。
    …『大辞林第三版』より
------------------------------------
 

<「横笛草紙(下)」を聴く>
 日曜日朝6時からのNHK古典朗読番組『お伽草紙』を4月から録音してあったので、その中の一篇「横笛草紙」の後編を聴いた。悲恋物語である。主人公の横笛は17歳、三年間付き合った男(斎藤滝口時頼)がいたが、とつぜん男が訪れなくなる。
 横笛の容姿は次のようにつづられている。
「そのかたち、容顔美麗にしていつくしく、霞に匂ふ春の花、風に乱るる青柳の、いとたをやかに、秋の月に異ならず」
 名調子だね、声出して読んでみてください。それはともかく、あまり繁(しげ)く女の下へ通うので男は親から叱責を受け、仏門へ入り、山深い荒れたお寺で修行するが、横笛への思いをなかなか断ち切れずに悶々としている。横笛は男を探して山深い荒れ寺を見つけるのだが、男は修行中の身だからと会わない。「一目お顔なりとも…」と言えど、願いはかなわない。横笛はその帰り道に大井川の千鳥ヶ淵で入水(じゅすい)する。樵(きこり)たちがうら若い乙女が入水自殺するところをみて助けようとしたが間に合わなかった。その噂は山寺の男のもとへすぐに届く。男は胸騒ぎがして駆けに駆けて千鳥ヶ淵へと急ぐ。…
 儒教は親への孝を説く、それと恋の板挟みで、わずか17歳の乙女が川の淵へ身を投げる。横笛は14歳から男と契っていた、当時の性風俗ではそれが当たり前。
 男が恋の歌を横笛へ渡す、その初発がこれ。
「秋の田のかりそめぶしのみなりとも君が枕をみるよしもがな」
 切ない心の内を歌に詠み、何度かやり取りしてから男が女のもとへ通い始め契る(=エッチ)。そのとき横笛14歳。やりとりされた歌を味わうのも一興。
 セックスに関しては八百数十年前はじつに大胆でおおらかだが、恋をするには歌の勉強もしなかればならなかった。恋の歌が詠めなければ、相手にしてもらえないのは男も女も同じだ。教養があって心に響く歌が詠める女は少ないから男が殺到する、もてるのである。男も同じ。知的な遊びと男女の契りがセットになって恋が成就する、そういう時代だった。
 14歳から3年間通い続けてくれた男が突然訪れなくなった。横笛が20歳だったら、一時は悲しいがその成熟した身体はさっさと次の男を受け入れただろう。17歳だからこそ執着が強かった。二十歳だったら時頼への執着はそれほど強くなかっただろうと想像する。お伽草紙には14歳で契る話がほかにもあるから、当時はそれが「標準的」と考えられていたのだろう。
(ところで、根室の女子高校生の性体験率は十数年前に道新に乗っていた記事では3割前後だったと記憶するが、2割くらいに落ちているとこれも何か紙の媒体で拾った情報。何かの全国調査では30代の独身女性の3割が男性経験なし。世の中どうなっているのだろう?性に興味をなくした男子が増えているがスマホの普及と関係があるのかも。なんだか平安末期のほうがいまよりずっと健全な気がしてくる。)

 さて、横笛は黒糖餅に黒豆黄な粉をまぶして食べたことがあっただろうか?

 斎藤滝口時頼に懸想されるまでは、「黒糖餅にはやっぱり黒豆黄な粉が一番合うわね」ところころ笑い転げながら無邪気に食べる少女だったかも。蛹(さなぎ)が蝶々になるように、少女が大人の女になり、惚れる男ができるのはいかんともしかたがない。美人に生まれたのが幸か不幸かわからぬ。
 美人の皆さんにはイケメンが殺到するだろうから、恋に身を焦がして横笛よろしく、命をはかなくすることや身を持ち崩すことがあるかもしれない。それも人生。
(顔やスタイルはたしかに大事、looksというのは「見てくれ」のことで人間は中身と合わさって総合評価ができる。見てくれは眼・耳・鼻・舌・身・意の六根のうちの眼の作用。だから見てくれがそれほど良くなくても、残りの5つによさがあれば、やはり男にもてる。
 視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚・意識とどれも強い影響力がある。懐かしい人と同じ香水をつけた女性が通り過ぎると思わず振りむいてしまった、同じ整髪料をつけている男と都会の雑踏ですれ違い、どこにいるのと通り過ぎた人を振り返ってしまったという話を聞いたことがある。匂いや触覚には相性がある。

(右上の黄な粉餅はこれだけ形が崩れて小さいでしょ、一口食べたら余りのおいしさに、ブログへアップしようと撮ってみたからです。食べる前に写せばよかった。一口食べて”うまい”とつぶやいたところも想像してください。手前側にebisuがいてコンデジを構えている。撮り終わったとたんに、ぱくつくところもね。お茶は煎茶です。)


SSCN1395.JPG


<余談:ケーキ>
 女房殿はケーキをつくるのが趣味だった。50種類くらいはつくれるだろう。わたしはタルトが大好きで、ケーキ教室に日はタルトのホールケーキだったらいいなと楽しみにしていた。通っていたケーキ教室はプロが対象の技術レベルの高いクラス。カステラも美味しかった。これは、焼く人が数人決まっていて、材料費をメンバーで出し合い、焼きあがったカステラを持ち帰る。業務用の大きなオーブンだから焼ける。実にきれいな焼き上がりと、文明堂のそれとは少し違った食感がある。もってみるとずっしりと重いのだ。
 手造りすると材料を厳選できるところがよい、もちろん自分の家族に食べさせるだから添加物は一切なし。
 根室の家にはオーブンがないので作り方を忘れなければいいが…

 ああ、思い出した。学生時代に渋谷の進学教室で3年間教えていた時、講師のOさんから「オヤジがケーキつくり教えてあげるって言ってるから来たら?」と誘われたことがあった。Oさんのお父さんは帝国ホテルのフランス菓子の責任者だった。かの有名な村上総料理長の時代である。恐れ多くて女房殿、腰が引けて行かずじまい。家が近くて歩いて10分くらいのところだったので、お誘いいただいた、あれから41年になるかな。
 東京って面白いところでしょ、若き根室っ子諸君、数年間東京暮らしをして戻ってきたらいかが?



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御伽草子 上 (岩波文庫 黄 126-1)

御伽草子 上 (岩波文庫 黄 126-1)

  • 作者: 市古貞次
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1985/10/16
  • メディア: 文庫
 「横笛草紙」は(下巻)にあります。

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#3615 万葉集と宇治拾遺物語とあの時代の性風俗 Sep. 16, 2017 [44. 本を読む]

 <更新情報>
9/18 朝9時 <性風俗の変容が性意識を変え日本の社会構造を根底から覆す>を追記
      13時10分 インドのタージ・マハル寺院等を追記
  23時半 もろもろ追
記した。
9/19 8時半追記 <性の二つの類型:短距離全力疾走型とマラソン型>

  リライアブルブックスに注文していた標記の本が2冊入荷したと連絡があったので、取りに行った。小学館の『日本古典文学全集』で第一期配本が40冊、第2期配本が48冊のシリーズもの。
 万葉集を漢字原文で読みたくて使いやすいかどうか試しに取り寄せた。岩波書店の『日本古典文学全集』が定番だが、新しい小学館のものは読みやすくなっているかどうか確認したかった。
 『万葉集 巻第一~巻第四』は三段組になっていて、上之段が注、中之段が読み下し文、下之段が原文というページ構成になっていた。黒と茶色の2色刷りで、ところどころに挿絵がはいっている。
 読み下し文を読みながら、原文の漢字を確認し、わからないところは同じページの注が読めるのはとっても便利だ。巻末には人名や地名の一覧が五十音順に整理されている。ありがたいのはこの時代の地図がついていること。地理に関心のある生徒も楽しめる。手持ちの地図帳と見比べてみるのも楽しい。いつか奈良の都、藤原京や平城京の地を訪れることがあるかもしれない。頭の中に位置関係図が出来上がっていたら、観光旅行の楽しみが倍にも3倍にもなる。
 漢字原文の意味を調べるには『大漢和辞典』が必要だが、これは新本だと15巻セットで24万円(税抜き)する。中古だと5-15万円くらいのようだ。引き慣れるのに数か月をようする難物。好奇心に任せてそこまでやる人は10万人に一人もいるだろうか?それでも日本人全体では1000人いることになる。20歳未満を差し引いても700人、なかなか凄い。古代朝鮮語や中国語にも堪能な者がその中に20人もいたら十分だ。何に十分かというと、古事記や万葉集研究の人材として一つの学会を構成するに十分な人数。それぞれが、研究論文を発表し、議論を戦わせてもらいたい。
*大漢和辞典
http://www.taishukan.co.jp/book/b197527.html

 『宇治拾遺物語』は上之段が注で、中之段が本文、下之段が現代語訳になっていて視線を上下に移すだけで注も気になった箇所の現代語訳も参照できるから、やはり読みやすい。最初に載っている話が面白い。タイトルを書いておく。
「道命、和泉式部の許に於いて読経し、五条の道祖神聴聞のこと」
 色好みで声の良い阿闍梨が和泉式部の許へ通う、あるとき色事をいたしたあとでふと目が覚め、経を読む。興が乗って、一巻また一巻、そうして八巻読み終えると人の気配がすることに気付き、誰かと問う。「おのれは西の洞院の辺に候(さぶら)う翁に候」とその気配が応える。普段経を読むときは精進潔斎してから読むので、梵天や帝釈などが集って聴聞しているのでわたしなどとても聞くことはできぬという。
-------------------------------------------------
 「今宵は御行水も候はで読み奉らせ給へば、梵天帝釈も御聴聞候はぬひまにて、翁参り寄りて候ひぬる事の忘れがたく候ふなり」とのたまひけり。
 されば、はかなく、さは読み奉るとも、清くて読み奉るべき事なり。「念仏、読経、四威儀を破る事なかれ」と恵心の御房も戒め給ふにこそ。
-------------------------------------------------


  和泉式部の好色ぶりは古典文学の世界ではよく知られており、平安時代のセックスシンボルのような存在であり同時に教養もある。エッチしてよし話しても楽しい、そういう魅力的な女に惚れた阿闍梨だが、色事の後で行水もせずに読経をするとは何事かと戒める説話がこれ。逆だと思うが、煩悩におぼれた末でなければ、そこから抜け出せぬのが凡庸なわたしたち。ことを致した後の阿闍梨には煩悩のかけらもなかったと思うのは、凡人たるebisuの勘違いだろうか?
 それはさておき、千日回峰修行をしないと僧は阿闍梨になれぬ、風邪をひいて熱があっても、腹痛で歩けなくても、這ってでも雨の日も吹雪の日も一日も休まず千日間定められた山の中を命懸けで巡らなければならない。この修業はいったん始めたらやめられない、やめるのは死が訪れた時だけ。そうした苛烈な修行を終えて煩悩を断ち切ったかにみえる阿闍梨も人間本能である色事には抗えぬというところがわたしにはとても可愛くみえる。
  男も女も声がよいのは重要な魅力のひとつ、和泉式部が美声の主に惚れたのも無理なし。男のいいところが即座にわかるのが和泉式部の特性。NHK「こころ旅」の火野正平も美声の持ち主で女子(おなご)によくもてた昭和の色男。和泉式部からみたら教養もあり、修行も終えた立派な阿闍梨の読経の声があまりに素敵でセクシーなので、懸想した(お付き合いしてみようかしらと 思った)のだろう。そしてすぐに褥をともにした。自分の心に嘘偽りのない素直な女。
 そういう平安期の理想の女が書いた『和泉式部日記』はエッチ満載、早熟な色好みの一部の高校生には好奇心と古典勉学の両方を満足する好著。こういうところから古典に馴染むのも結構。経験のない人にはわからないシーンや歌が多いから十分に修行(?)を積んだ後でもう一度読めば、なるほどそういうことだったのかと合点がいく。好きこそものの上手なれというではないか、楽しい修業をしたらいい。至上の楽しみと苦しみは表裏の関係にあることも、体験してこそ理解できる。
 『源氏物語』は敬語表現の敷居が高いから、注釈や主語が誰なのかの補足がなければチンプンカンプン。岩波文庫版には随所に注釈があるから林望現代語訳の『謹訳源氏物語』全十巻と読み比べたらいい。大変なのは最初の百ページほどで、次第に慣れる。
 万葉集の時代は男に問われて名を名乗るだけで、「あなたを受け入れます」との意思表明になる。即エッチでプラトニックラブなとというまどろっこしいところがない。平安時代の男女は短歌や文(ふみ)をやり取りして気が合えば、エッチするのは自然の成り行き、何の抵抗もない。年頃の女の許へ男が数人通うのは当たり前の話である。女がOKしないとエッチは成立しない、声は男が掛けるのが原則、それを受けるか否かは女の意志次第、基本は女が男を選ぶ。俺のほかにも男がいるのかなんて野暮は言いっこなし、それが粋(いき)というもの。
 『古事記』でも冒頭で男が女に「いい女だ」と声をかけることになっている。女が「いい男だこと」と返事をすることから国産み(伊弉諾(イザナギ)と伊弉冉(イザナミ)のエッチ)神話が始まる。何かが生まれ出(いずる)ということは陰と陽との結合なしには成し遂げられぬというのが、日本人と古代中国人の世界観。古来、日本の風俗はエッチにじつに率直で寛容なのだ。女性天皇でさえも歌垣(乱交パーティ)を催している。庶民の間で広く行われていたのが宮中でも行われただけのこと。盆踊りやお祭りは本来そうした場だった。戦後もしばらく残っていたのは、東京府中の大國魂神社の例大祭の夜祭、ご祭神は大國魂大御神。夜祭の三日間は娘を家から出さない家が多かったそうな、出たがる娘が多かった証拠。既婚者もこの三日間だけは無礼講、夜神社境内に入れば、男たちが女たちへ大っぴらに声を掛け、古事記の冒頭のようなシーンが境内のあちこちで展開された。婚(まぐわい)は作物の豊穣につながるから、いいことだったのである。工業国家へ変貌し、情報産業が盛んになるにつれて、農業や漁業と結びついていた風俗が廃れていくのはなんだか国の根本が崩れる心地がする。日本の性風俗の伝統については宮本常一著『忘れられた日本人』(岩波文庫)参照。歌垣や盆踊りについては下川耿史著『盆踊り 乱交の民俗学』(作品社2011年刊)参照。以下、『盆踊り』と略称する。

---------------------------------------------
<性風俗の変容が性意識を変え日本の社会構造を根底から覆す>
  農山漁村の村落共同体を底辺で支えていた伝統的な性風俗や価値観が失われることで日本人に何が起きているのか皆さんに考えてもらいたい。
  井原西鶴の『好色一代男』には大原の風俗として、正月や盆に神社の社務所で雑魚寝があったことが『盆踊り』「第3節 雑魚寝と雑魚寝堂」P98-114 に書かれている。若者たちが集まって雑魚寝して年に2度エッチを存分にできる、そういう社会装置が日本列島のどの農山漁村・村落共同体にもあった。
  弊ブログ#2812の英字新聞記事とその解説を見てもらえばわかるが、いまや20代の女性の25%、30代の未婚女性の3割が処女だという。
====================
<弊ブログ#2812より引用>
 週刊紙「スパ!」がとりあげたコンドームメーカの調査では20代の女性の25.5%がバージンで、同じ年代の男は40.6%が童貞である。童貞は性愛にも性の神秘にも部外者(strangers 異邦人)たらざるを得ない。この数字から見る限り、20代の女性の約15%(74.5-59.4=15.1%)、つまり6人に一人は30代以上の男性と性的な関係をもつしかないのである。教えてもらうには経験を積んで上手な者がいいから、対象となるのはほとんどが既婚男性だろう。

25.5 percent for single women in their 20s — high enough, but low compared with single men in their 20s, 40.6 percent of whom remain strangers to Eros and his mysteries.

 女性のvirginity percentagesが増えていることが、virginであることに対する意識を変えつつある。昔は年齢相応に経験がないと恥ずかしいという意識が強かったが、それが薄れてきただけでなく、30代になっても胸を張ってバージンだと言う女性が現れてきた、記事のタイトルがそうした事情を如実に示している。
====================

 こんなことは明治以前の日本社会にはありえなかった。出遭いの場が年に2回保障されており、若者たちは自分たちでルールを決めてそういうことをしていた。経済社会の重要な担い手だった彼ら・彼女たちは村落共同体の一人前の成員として義務を負うだけでなく、大人の干渉を受けずに活力に満ちた生き方もしていたのである。
  明治維新以降、そういう風俗を文部省や内務省が破壊していった。富国強兵・殖産興業という国策を推し進め、西欧先進国や米国に並び立つためには、低俗で恥ずかしいという理由で日本に古来から伝わる性風俗・風流にかかわる装置をことごとく禁止・破壊したのである、これもまた国策であった。
  コンピュータの高性能化やスマホの出現で、コミュニケーション能力の極端に弱い群が生まれつつある。性風俗は生身の人間の濃厚なコミュニケーションでもあるが、それができない男子が増えている。女子から見れば、身体が成熟して自然な性的欲求が起きてもなかなか同世代の相手が見つからぬという深刻な事態がそこここで生まれている。
  性の解放装置が失われただけでなく、セクハラと言われることを恐れて、若い男たちが若い女たちに声もかけず、迫りもせずという体たらくになっているから、年頃の女たちのイライラも募ろうというもの。
  フィルタリングがかかっていてもスマホでアダルト動画を見ることができるらしい、これならセクハラの心配はない。美人でスタイルのよいお姉さんたちやパワフルな男優さんたちが競って出演している動画を小中学生のうちから観続けることで、一部の男子たちが経験する前に現実のセックスに興味を失っている。同世代に相手が見つからぬ女子たちはSNSを使って年代の異なる相手を探すしかない、「付き合っている」のに手すら握ってこようとしない同期の男子にあきれ、手を握るとかキスするという性的な接触機会を見いだせずに追い詰められるようなケースが少なくないのである。高校生でこれではあまりの晩熟(おくて)さに首をかしげる。
  伝統的な性風俗の破壊という少子化の芽は明治維新とともにばらまかれて、敗戦によって米国の価値観が広く流布することでその芽が大きく育ってしまったように見える。日本という風土に米国流の価値観を接ぎ木した結果、得体の知らないおかしな社会が生まれてしまった。このようにみると、2000年から始まっている少子高齢化は、古来から伝承されてきた性風俗を棄てたことで加速されたのではないか?
 インドは17世紀から東インド会社を通じて英国の支配下に置かれ、言語も英語となり、インドの伝統的な性風俗がその影響を被ったことは想像に難くない。「ヨガ本来、生命=自然=真理を「結ぶ」という意味」である。インドには白い大理石でできたタージ・マハルという美しい寺院があるが、その壁面には多数の男女交合彫刻で飾られている。インドの強い陽射しの下で、白大理石の男女交合彫刻が輝いている、これを健康的で美しいと感じるか、卑猥な彫刻だと感じるかは、観る人の文化圏や風俗観に依存する。一枚だけ写真のURLを張り付けておく。
*https://www.bing.com/images/search?view=detailV2&ccid=TeEmQz%2fO&id=E4931837511EA337A50C093132E2F8253CC63AC6&thid=OIP.TeEmQz_O19qcPoAtPhNh7gDMEs&q=%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%82%b8%e3%83%9e%e3%83%8f%e3%83%ab+%e5%bd%ab%e5%88%bb%e7%94%bb%e5%83%8f&simid=608048138281619082&selectedIndex=39

  おおらかでしょ。健康法ですから1時間も2時間もゆっくりとそうしているのです。見ただけでわかる人にはわかってしまう。明治以前の日本人と、現代の日本人ではこの彫刻像の受け止め方がまるで違っているだろう。カソリックやプロティスタントの性風俗観では、太陽が燦然と輝く中でなんと卑猥なと顰蹙を買う。数百年間英国の植民地だったインドが、こうした彫刻を壊さなかったのは偉い。自国の文化をある面では大事に守ったということ。
  それでも英国流の価値観が広がったインドで、性を抑圧した結果何が起きているかは指摘しておきたい。性犯罪の多発である。公共交通機関のバスの中で集団暴行事件が時々起こるなんてことになっている。伝統的な性風俗が外的な力で破壊されたら、社会は根底から変容せざるを得ない。どこへ向かうかは不明、大きな社会実験とならざるをえない。インドでは英国の価値観とインド固有の伝統的な価値観が拮抗しているように見える。それだけインド文化は奥が深い。
  インド人とは異なって、西欧やロシアや米国に伍するために自ら進んで伝統的な性風俗を日本人は棄てた。若者たち、とくに1~2割くらいの男子が性に興味を失いつつあることは危険な兆候だ。この群の増殖をどうすれば食い止めることができるのか、言い換えると日本の人口減少の加速をとめることができるのか、皆さんにも考えいただきたい。
 このままで百年もしたら日本の人口は3000万人以下になりかねない。日本人という固有種が2百年後には風前の灯火になりかねないのである。
  『古事記』『万葉集』『源氏物語』『和泉式部日記』『宇治拾遺物語』『今昔物語』『好色一代男』など、日本の古典文学を読み返し、日本人が伝えてきた性風俗がどのようなものであったかをわたしたちは知る必要がある。
 
伝統文化や価値観は日本人のアイデンティティを構成する基本要素だが、もう古典文学や民俗学関係の本を読むことでしか理解できない状況になっている。若衆宿のような制度や性的接触の場としての本来の盆踊りや正月という社会的な装置がなくなったし、そういう時代に生きた人々はもうとっくに世を去った、わたしたちは記録として残るものを読んで知ることができるだけ、すでに手遅れといってよい。日本の伝統的な性風俗は消滅の危機にある。これで、若い人たちが古典文学や民俗学関係の本を読まなければ、日本人として現代が過去から断絶してしまう。文化や伝統や価値観の継承こそが日本人としてのアイディンティティだとすれば、日本列島ありて日本人なし。
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 閑話休題(それはさておき)、小学館の日本古典文学全集版の『古事記』は「原文・読み下し文・現代語訳・注釈」が見開き2ページに載っているのでとても見やすい。わたしは新潮社の「日本古典集成」の『古事記』をもっているのだが、この本には原文が載っていない。最近、藤村由加『古事記の暗号』(新潮社1997年)を読み返して、原文にあたる必要があるので、小学館の日本古典文学全集版を買いなおすつもりだ.「日本古典集成」には古事記成立といくつかの写本の評価、その後に成立した諸本についての詳しい解説が載っている。付録として「神名の釈義」が85ページも載っているので、これはこれ、原文の未載という欠点を補って余りあるいいところもある。

 ついでに書くと、NHKラジオが日曜朝6時からの番組で宇治拾遺物語の朗読をずっとやっていたが、現在は『御伽草子』をやっている。9/17は第24回目だ。音で言葉を聞いて聴いてイメージするのも楽しい。中学生や高校生は録音したらいい。プロの朗読をお手本にして真似てみよ、聴き手の中から1割でも古典文学が大好きになる人がでたらうれしい。古典文学は日本の国の宝だからそれを伝える人が増えることを期待したい。量だけでも全ヨーロッパを凌駕するほどの作品群がある、もちろん、その質も高い。

 小学館の日本古典文学シリーズは98巻あるが、値段の高いのが玉に瑕(きず)、一冊4267円+消費税だから高価。全巻そろえると45万円かかる。高価だから函も立派だし、製本もしっかりしている。値段が高いけれども全巻そろえて子供や孫に残してあげたい全集だ。

(念のためにアマゾンの書評欄を見たら、製本が拙くて表紙と本体が外れたというものがあったので、ちょっと心配)
(製本会社名が奥付にない、せっかくの豪華製本だから社名を印刷してもらいたい。それとも印刷した大日本印刷が製本工場をもっているのか?事情を知っている人がいたら、投稿願いたい。)


*#2812 日本人の性意識の変化: Women express pride in remainig a virgin Sep. 18, 2014
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-09-18
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 高橋克彦著『風の陣』は5冊あるが、何巻目かに天皇(女帝)が歌垣を催すシーンが描かれている。歌垣とは当時しばしば行われた乱交パーティであるが、天皇が宮中で女官も含めて自由に楽しめと言ったのは他に例がないのだろう。小説の中ではあるが、道鏡と夫婦になることのできなかった女帝が哀れだった。
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<性の二つの類型:短距離全力疾走型とマラソン型>
 南太平洋に住む人々だったか、アフリカだったか、ヒマラヤ周辺に住む人たちだったか忘れたが、米国のアダルトビデオを見せたら、腹を抱えてゲラゲラ笑ったという話が何かの本に載っていた。あんなセックスのどこがいのかアホだというのが彼ら・彼女たちの素直な感想。あれは「短距離全力疾走型」のセックスと名付けたい。百メートル走だから、すぐに息が上がる。ビギナークラスの程度の低いもので、健康とセックスについての洞察がまるでないことを表している。
 その笑った「未開」の人々はどうかというと、スローセックスで「マラソン型」なのである。1回に1-2時間かけるのだという。3時間走れば42.105km、フルマラソンを走り切れる。最中に周りで子どもたちが戯れていたりする。そういう性風俗をもっているから、米国製のアダルトビデオのセックスが滑稽でたまらない。食べ物だってファストフードよりも手間暇をかけたスローフードのほうが断然おいしいに決まっている。
 千年2千年の歴史のある、インドのヨガも中国仙道房中術も日本の医心方も、健康とセックスに関して書いてあることは似たようなもの。ことの要諦は呼吸のコントロールである。これは武道にも共通している。息が上がったらアウトだから、呼吸は静かに深くゆったりコントロールする。そうすればまったく別の世界が訪れる。呼吸が自在にコントロールできるようになれば、あれも数時間楽しめる。どういうことが起きるか想像したらわかるだろう。次元がまるで違う、だから未開人が腹を抱えて笑った。
 若い人たちが、アダルトビデオのビギナーセックスが理想の姿だなんて勘違いしてもらいたくないから、書いておく。何冊か本を読み、恋人同士でちゃんと勉強してたのしく実修したらいい。新書版で『スローセックス』というタイトルの本が10年くらい前に出版されていたような気がする。いまみると数冊ヒットするから、ようやくまともなセックスの指導本が流布しつつあるようだ。犬・猫・猿並みの短距離型セックスにおぼれている人は、ヨガや仙道房中術や医心方に関する本を何冊か読んで恋人同士で実修してみたらいい
 「読み・書き・そろばん」の3技能うち、「読み」の技能が最優先であることがわかる。小中高生のうちに学力の基礎をしっかり育んでおかないと、セックスでもたいへんな格差がついてしまう。世の中厳しい。知っているだけではだめだよ、実修して体得しなけりゃ。子どもから大人への成長の中にはこういう大事なことも入っている。ビリヤードだって理論だけではだめで、基本パターンを繰り返し実修して一つ一つ技を会得していく。他の分野だって同じだよ。
 これもその国や地域に固有の性に関する文化と伝統=性風俗ということ。それぞれの国や地域の文化や伝統を仇やおろそかにしてはいけない。米国はその点では新しい国で、そうした蓄積が極端に乏しいのだということも知っておくべき。



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 読みやすいので、興味のある人はどうぞ。視野を広げる効果はあります。中国語と古代朝鮮語と日本語に精通する学者が何人も出てきて、論争してもらいたい。
 易経をベースに古事記の説話を解説している。古事記の編者は実に周到で完璧なデッサンに基づき説話を書き上げていると著者の藤村由加が主張する。
 古事記を作った人に易経の知識があったことは事実だろう。この時代のインテリには必須の知識だから。「稲羽の素兎(しろうさぎ)」と大国主の物語の意味を易経から解説しているのは見事な展開に見える。古事記の編者は易経に通暁しているだけでなく、易経に忠実にデザインを施し、子どもたちにも理解できるような説話に仕上げている、すごい技だ。書き手にそういう高度な専門知識と文章力が備わっていることを前提にするなら、古事記の読み方は全面的に見直すべきだろう。
 藤村氏の論には牽強付会とおもわれるものもあるが、反論できる学者はほとんどいないだろう。古典と中国語と古代朝鮮語に精通する学者は日本国内には見当たらぬ。ああ、この分野に精通する学者が一人だけいる。高校生の時に日本古典文学大系全冊を読破し、中国の古典を原文で読んだ人がいる。しばらく朝鮮の文献も研究していたはず。指導教授とそりが合わなかったので慶応大学大学院を出た後、慶応大学には残らずにどこかの大学で教授をしている。専門は何だったかな、この人朝鮮関係の本を書いている。弊ブログでその本をとりあげたことがある。
 藤村由加の3著作はどれも面白い。最後に挙げた一冊だけ読んでいない。

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#3524 『証明と論理に強くなる』Apr. 2, 2017 [44. 本を読む]





  東京の書店を散策していたら、面白いタイトルの本が目についた。
  数理論理学の本である。理系の学生は数理論理学は履修科目にあるのだろうが、文系学部で数理論理学の講義はないだろう。

  数学者の藤原正彦『国家の品格』にゲーデルの不完全性定理が出てくるが、その証明方法かいかなるものであるか門外漢のわたしには見当もつかないが、一度じっくり証明に目を通してみたいものだと思っていた。この本はゲーデルの不完全性定理の門の前まで案内してくれる本であるから、数理論理学の入門書と言ってよいのかもしれない。
  門の中へ入るには専門書を読むしかない。著者は教科書として鹿島亮著『数理論理学』朝倉書店2009年 を、専門書として菊池誠著『不完全性定理』共立出版2014年 を挙げている。

  著者によれば、「言語(記号)」と「公理」と「推論規則」がセットになって演繹システムが展開される。命題の真偽は「可能世界」や「モデル」が決まらなければ判定ができない。
  「記号」として四則演算記号のほかに命題を表す記号や述語論理記号(全称量化記号と存在量化記号)が具体例として挙げられている。公理についてはユークリッド平面幾何では「自明なもの」だったが、現代数学ではそうではない。群構造の公理が例として挙げられている。
  演繹システムの中でものごとは演繹的に定義されていく。
 
  自然数の定義が案外難しいことが述べられている。数理論理学ではゼロを自然数の端緒に措定する。そこから推論規則を使って演繹的に定義していくが、自然数は無限である。それを数学的帰納法で一気に倒してしまう。ドミノ倒しの論法である。高校数学で出てくる数学的帰納法が自然数の定義で重要な武器になっている。この方法は案外新しいが、現代数学の証明には頻繁に出てくるという。19世紀、数学者コーシの考案だと書いてあったような気がする。

  「仮定は、考えている世界で真偽が異なることがありえます。例えば、平面の幾何学で導入される仮定集合(平面幾何の公理と呼ばれる)と、球面の幾何で導入される仮定集合(球面幾何の公理と呼ばれる)は異なる集合です。したがって、球面幾何の仮定がすべて真となるとき、平面幾何の仮定はいくつかが偽となります。それゆえ、三角形の内角の和に対して相容れない定理が演繹されても不思議ではないのです。このような公理系(仮定集合の設定された世界)については第3部で詳しく解説します。」 p.184

  平面幾何では三角形の内角の和は180度であるが、球面幾何では180度よりも大きくなる。別の演繹システムということ。第3部のタイトルは「自然数を舞台に公理系を学ぶ」となっている。

  「集合と論理」は高校1年生の数1でやるが、興味にある生徒は視野を広げるために、この本で暇つぶしをしてみたらいい。

(経済学も演繹システムであり、数学と似た構造をもっている。したがって、何を公理に選ぶかで異なる経済学がありうる。カテゴリー「資本論と21世紀の経済学」の眼目はそこにある。欧米の経済学とは全く異なる「職人仕事」を公理に措定した経済学がありうる。日本的情緒や価値観を反映した経済学である。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」。)

証明と論理に強くなる  ~論理式の読み方から、ゲーデルの門前まで~ (知の扉)

証明と論理に強くなる  ~論理式の読み方から、ゲーデルの門前まで~ (知の扉)

  • 作者: 小島 寛之
  • 出版社/メーカー: 技術評論社
  • 発売日: 2017/01/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


#3516 『アトランティス』佐々木君紀著:語彙を増やせ! Mar. 3, 2017 [44. 本を読む]

  小説を一冊も読んだことがないというレアな中3の生徒に、1990年に読んだ佐々木君紀著『アトランティス』全8巻をあげた。ジャンルは古代ファンタジー。
 歴史が好きな生徒なので、2セットもっている『戦略の歴史』の下巻もあげたが、こちらは読むのに骨が折れるだろう。上巻は他の中3の生徒にプレゼントした。友人の遠藤利国さんの翻訳である。
 春休みがもうすぐだ、本を読んで語彙を増やせ!

 SRL学術開発本部で仕事していたときに、若くて背の高い女性社員がおり、仕事が終わって家に帰ってから小説を書いているといっていた。何かおススメの小説があるかと訊いたら、『アトランティス』を挙げた。半年くらいして、小説を書くことに没頭したいと会社を辞めた。身長が172cmだといっていたような気がする。サイズの合う皮製のかわいい靴が売ってないと笑いながら話し、いつもスニーカーを履いていた。名前が思い出せない、どうしているかな?何か本を書いていれば読みたい。


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アトランティス〈1 上巻〉

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  • 作者: 佐々木 君紀
  • 出版社/メーカー: リム出版
  • 発売日: 1990/07
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アトランティス〈1 下巻〉

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  • 作者: 佐々木 君紀
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  • 発売日: 1990/07
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戦略の歴史(下) (中公文庫)

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  • 作者: ジョン・キーガン
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
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