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#4029 岩井圭也『夏の陰』とデイビット・ピース『Xという患者』を読む July 7, 2019 [44. 本を読む]

<最終更新情報>
7月8日朝8時45分

 久しぶりに小説を読んだ。時々素振り用の重たい木刀を振っているので剣道に興味があったからだろう。思うように振れないので何かヒントがあるかもしれぬ。岩井という人の小説は初めて読む。
 粗筋はamazonの内容紹介を引用しておく。
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出会ってはならなかった二人の対決の行方は――。「罪」と「赦し」の物語。

運送会社のドライバーとして働く倉内岳は、卓越した剣道の実力を持ちながら、公式戦にはほとんど出場したことがなかった。岳の父である浅寄准吾は、15年前、別居中だった岳と母の住むアパートに立てこもり、実の息子である岳を人質にとった。警察との膠着状態が続いた末、浅寄は機動隊のひとりを拳銃で射殺し、その後自殺する。世間から隠れるように生きる岳だったが、自分を剣道の道に引き入れてくれた恩人の柴田の願いを聞き入れ、一度だけ全日本剣道選手権の京都予選に出場することを決意する。予選会の日、いかんなく実力を発揮し決勝に進出した岳の前に、一人の男が立ちはだかる。辰野和馬、彼こそが岳の父親が撃ち殺した機動隊員の一人息子だった。「死」を抱えて生きてきた者同士、宿命の戦いが始まる――。
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  読み始めてみたら、時々秀逸な表現が出てくるので、巧いと思う箇所へ線を引き始めた。
 夜空に上がる花火を次のように描写して見せる。
a1:黒々とした夜を背負って、ひと筋の光が向こう岸から空へと昇っていく。月と同じ高さに達したとき、破裂音とともに弾けて四方へ散った。光の華は夜空を彩り、瞬きする間に空へと溶けた。(100頁)

a2:岳は観念したように空を見た。母子にとって最後の思い出となる花火は、銃声に似た響きを残して散っていく。終わるからこそ美しいものがこの世にあることを、岳は今まで知らなかった。(101頁)

a3:美しく輝く花火の背後には、広大な闇夜が広がっている。

  a2の後半はステレオタイプな表現がまざってしまって、前半の印象深い表現を台無しにしているようにみえた。だから、まだ進化しそうな作家だ。

b1:柴田は饒舌だった。その饒舌さが、岳には不穏に感じられた。まるで時間切れを恐れ、焦っているような話しぶりだった。開け放された窓からブナの葉擦れの音が聞こえた。(107頁)

 剣道の師匠である柴田は試合の審判をしている最中に倒れて入院した、それを聞いて岳が駆けつけて柴田と話をするシーンである。柴田は自分の過去について何か隠していることを示唆している。こういう伏線がこれでもかというくらい頻繁に出てくる。少し抑え、さらりとやってのけたほうがよかったのではないか。

c1:しかしある日、このままでは自分(柴田)までもが犯罪者になってしまうと思った。これ以上、身内に罪を犯す人間を増やしてはならない。警察の厄介になる自分を、娘は軽蔑するだろう。それだけは避けたかった。石が潮に流されて磨り減るように、娘への執着は摩耗し、やがて消えた(112頁)

d1:これ以上優亜の顔を見ていると、感情が決壊してしまいそうだった。(117頁)
 
 使われている語彙は漢字検定3級程度の平凡なものばかりでとても読みやすい、そして使い方が上手だ。なにより褒めたいのはプロット(筋書き、話の構成)である。「題3章 陰の絆」「エピローグ」で無関係に見えていた事件とその関係者を結ぶ強い絆が明らかにされる。構想力がすばらしい。伏線を半分に抑えたら、あっとおどろく結末になったのではないだろうか。
 犯罪被害者の息子と加害者の息子の心理的葛藤がよく描けていることもこの小説を面白くしている。
  誰もが犯罪加害者や犯罪被害者の家族になりうる、そしてそれは明日かもしれない。そうなったときにどういう人生を生きるのか、この小説は深刻な問題を提起している。
 常なるものはない、明日は何が起きるかわからぬ、『方丈記』や『徒然草』の無常感が21世紀の小説にまで流れていることにふと気がついた。方丈記の「作者の鴨長明は自身が体験した都の大火、大地震、さては二年にわたる惨憺たる基金の状況などを回想しながら、克明に捉え示すことによって説得的に語っているのである」。(日本古典文学全集44巻『方丈記・徒然草・正法眼蔵随聞記・歎異抄』より)
 小説のテーマは他所事だと思っているから娯楽として読めるんだろうな。(笑)

 古典を読み漁って、使える語彙が拡張したときに、この構想力の緻密さがさらに飛躍を遂げていたらどのような小説ができあがるのか楽しみである。いや、発行部数を増やすためには漢検3級程度の語彙で書いた方が有利だろう。漢検準1級レベルの語彙が頻出したら、読者層は限定され狭い層にしか読まれない。読者の語彙力に合わせた小説が売れるのである。

 漫画の本を読まなくなって13年、久々に娯楽本を読んだが、とっても楽しめた。
 著者の岩井圭也さんに感謝!
 次回作も期待したい。

<余談:2冊セットで読む>
 岩井圭也の『夏の陰』は一日で読んだので、続けて『Xという患者 龍之介幻想』を読んでいる。主人公は芥川龍之介、少年のころから家の本、学校の図書室、近所にある図書館、川向こうの図書館と片っ端から本を読み漁り、精神を病んでいく。芥川の作品には「羅生門」や「鼻」など古典からのリライト物が多いが、それが中学生のころから宇治拾遺物語や今昔物語などの古典も片っ端から読んでしまう読書マニアだったことによって成り立っていたとしたら、その精神状態はどうなるのか、著者は龍之介を精神病の患者Xとして観察していくのである。患者Xは読めば読むほど語彙が豊かで表現の巧みな本が読みたくなってしまう、読む本のレベルを上げすにはいられない、次第に読書中毒の症状を呈して、それがアウトプットへと向い、際限のない技巧の高みを目指して螺旋階段を昇り詰めていく。ブレーキの利かない読書機械や作文機械がだんだん速度を上げて道路から外れて空を飛んでいき、音速を超えて空中分解してしまうかのような…。
 大作家を精神を病んだ患者として眺めた一風変わった読み応えのある小説であるのだが、周囲の人々や時代を象徴する出来事や人との付き合いでも、読書機械であると同時に作文機械でもある患者Xの精神の歯車は勝手に回ってしまう。龍之介はあっちこっちで自己制御不能になるのである。
 それゆえ芥川が生きた時代背景や同時代の他の作家について知識のあった方が愉しく読めることは申し上げるまでもない。たとえば、明治天皇崩御の際の乃木希典の自殺の龍之介の精神への影響が描かれている。自殺と殉死という言葉の葛藤は、言葉のセンスが過度に鋭敏な者にはないがしろにできない重大な問題として立ち現れ、そこに拘泥する。
 人の精神が何をすることによってどのような方向へ歪(いびつ)に育っていくのか、人のこころとはどのようなものなのか、ディヴィッド・ピースのこの作品と岩井圭也の小説に、テーマの共通性を感じた。まったく関係のない作品を2冊セットで読むという読み方がありそうだ。

*『夏の陰』
https://www.amazon.co.jp/夏の陰-岩井-圭也/dp/404108038X/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E5%A4%8F%E3%81%AE%E9%99%B0&qid=1562474153&s=gateway&sr=8-1



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夏の陰

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  • 作者: 岩井 圭也
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2019/04/26
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新編日本古典文学全集 (44) 方丈記 徒然草 正方眼蔵随聞記 歎異抄 1

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  • 出版社/メーカー: 小学館
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