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#3615 万葉集と宇治拾遺物語とあの時代の性風俗 Sep. 16, 2017 [44. 本を読む]

 <更新情報>
9/18 朝9時 <性風俗の変容が性意識を変え日本の社会構造を根底から覆す>を追記
      13時10分 インドのタージ・マハル寺院等を追記
  23時半 もろもろ追
記した。
9/19 8時半追記 <性の二つの類型:短距離全力疾走型とマラソン型>

  リライアブルブックスに注文していた標記の本が2冊入荷したと連絡があったので、取りに行った。小学館の『日本古典文学全集』で第一期配本が40冊、第2期配本が48冊のシリーズもの。
 万葉集を漢字原文で読みたくて使いやすいかどうか試しに取り寄せた。岩波書店の『日本古典文学全集』が定番だが、新しい小学館のものは読みやすくなっているかどうか確認したかった。
 『万葉集 巻第一~巻第四』は三段組になっていて、上之段が注、中之段が読み下し文、下之段が原文というページ構成になっていた。黒と茶色の2色刷りで、ところどころに挿絵がはいっている。
 読み下し文を読みながら、原文の漢字を確認し、わからないところは同じページの注が読めるのはとっても便利だ。巻末には人名や地名の一覧が五十音順に整理されている。ありがたいのはこの時代の地図がついていること。地理に関心のある生徒も楽しめる。手持ちの地図帳と見比べてみるのも楽しい。いつか奈良の都、藤原京や平城京の地を訪れることがあるかもしれない。頭の中に位置関係図が出来上がっていたら、観光旅行の楽しみが倍にも3倍にもなる。
 漢字原文の意味を調べるには『大漢和辞典』が必要だが、これは新本だと15巻セットで24万円(税抜き)する。中古だと5-15万円くらいのようだ。引き慣れるのに数か月をようする難物。好奇心に任せてそこまでやる人は10万人に一人もいるだろうか?それでも日本人全体では1000人いることになる。20歳未満を差し引いても700人、なかなか凄い。古代朝鮮語や中国語にも堪能な者がその中に20人もいたら十分だ。何に十分かというと、古事記や万葉集研究の人材として一つの学会を構成するに十分な人数。それぞれが、研究論文を発表し、議論を戦わせてもらいたい。
*大漢和辞典
http://www.taishukan.co.jp/book/b197527.html

 『宇治拾遺物語』は上之段が注で、中之段が本文、下之段が現代語訳になっていて視線を上下に移すだけで注も気になった箇所の現代語訳も参照できるから、やはり読みやすい。最初に載っている話が面白い。タイトルを書いておく。
「道命、和泉式部の許に於いて読経し、五条の道祖神聴聞のこと」
 色好みで声の良い阿闍梨が和泉式部の許へ通う、あるとき色事をいたしたあとでふと目が覚め、経を読む。興が乗って、一巻また一巻、そうして八巻読み終えると人の気配がすることに気付き、誰かと問う。「おのれは西の洞院の辺に候(さぶら)う翁に候」とその気配が応える。普段経を読むときは精進潔斎してから読むので、梵天や帝釈などが集って聴聞しているのでわたしなどとても聞くことはできぬという。
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 「今宵は御行水も候はで読み奉らせ給へば、梵天帝釈も御聴聞候はぬひまにて、翁参り寄りて候ひぬる事の忘れがたく候ふなり」とのたまひけり。
 されば、はかなく、さは読み奉るとも、清くて読み奉るべき事なり。「念仏、読経、四威儀を破る事なかれ」と恵心の御房も戒め給ふにこそ。
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  和泉式部の好色ぶりは古典文学の世界ではよく知られており、平安時代のセックスシンボルのような存在であり同時に教養もある。エッチしてよし話しても楽しい、そういう魅力的な女に惚れた阿闍梨だが、色事の後で行水もせずに読経をするとは何事かと戒める説話がこれ。逆だと思うが、煩悩におぼれた末でなければ、そこから抜け出せぬのが凡庸なわたしたち。ことを致した後の阿闍梨には煩悩のかけらもなかったと思うのは、凡人たるebisuの勘違いだろうか?
 それはさておき、千日回峰修行をしないと僧は阿闍梨になれぬ、風邪をひいて熱があっても、腹痛で歩けなくても、這ってでも雨の日も吹雪の日も一日も休まず千日間定められた山の中を命懸けで巡らなければならない。この修業はいったん始めたらやめられない、やめるのは死が訪れた時だけ。そうした苛烈な修行を終えて煩悩を断ち切ったかにみえる阿闍梨も人間本能である色事には抗えぬというところがわたしにはとても可愛くみえる。
  男も女も声がよいのは重要な魅力のひとつ、和泉式部が美声の主に惚れたのも無理なし。男のいいところが即座にわかるのが和泉式部の特性。NHK「こころ旅」の火野正平も美声の持ち主で女子(おなご)によくもてた昭和の色男。和泉式部からみたら教養もあり、修行も終えた立派な阿闍梨の読経の声があまりに素敵でセクシーなので、懸想した(お付き合いしてみようかしらと 思った)のだろう。そしてすぐに褥をともにした。自分の心に嘘偽りのない素直な女。
 そういう平安期の理想の女が書いた『和泉式部日記』はエッチ満載、早熟な色好みの一部の高校生には好奇心と古典勉学の両方を満足する好著。こういうところから古典に馴染むのも結構。経験のない人にはわからないシーンや歌が多いから十分に修行(?)を積んだ後でもう一度読めば、なるほどそういうことだったのかと合点がいく。好きこそものの上手なれというではないか、楽しい修業をしたらいい。至上の楽しみと苦しみは表裏の関係にあることも、体験してこそ理解できる。
 『源氏物語』は敬語表現の敷居が高いから、注釈や主語が誰なのかの補足がなければチンプンカンプン。岩波文庫版には随所に注釈があるから林望現代語訳の『謹訳源氏物語』全十巻と読み比べたらいい。大変なのは最初の百ページほどで、次第に慣れる。
 万葉集の時代は男に問われて名を名乗るだけで、「あなたを受け入れます」との意思表明になる。即エッチでプラトニックラブなとというまどろっこしいところがない。平安時代の男女は短歌や文(ふみ)をやり取りして気が合えば、エッチするのは自然の成り行き、何の抵抗もない。年頃の女の許へ男が数人通うのは当たり前の話である。女がOKしないとエッチは成立しない、声は男が掛けるのが原則、それを受けるか否かは女の意志次第、基本は女が男を選ぶ。俺のほかにも男がいるのかなんて野暮は言いっこなし、それが粋(いき)というもの。
 『古事記』でも冒頭で男が女に「いい女だ」と声をかけることになっている。女が「いい男だこと」と返事をすることから国産み(伊弉諾(イザナギ)と伊弉冉(イザナミ)のエッチ)神話が始まる。何かが生まれ出(いずる)ということは陰と陽との結合なしには成し遂げられぬというのが、日本人と古代中国人の世界観。古来、日本の風俗はエッチにじつに率直で寛容なのだ。女性天皇でさえも歌垣(乱交パーティ)を催している。庶民の間で広く行われていたのが宮中でも行われただけのこと。盆踊りやお祭りは本来そうした場だった。戦後もしばらく残っていたのは、東京府中の大國魂神社の例大祭の夜祭、ご祭神は大國魂大御神。夜祭の三日間は娘を家から出さない家が多かったそうな、出たがる娘が多かった証拠。既婚者もこの三日間だけは無礼講、夜神社境内に入れば、男たちが女たちへ大っぴらに声を掛け、古事記の冒頭のようなシーンが境内のあちこちで展開された。婚(まぐわい)は作物の豊穣につながるから、いいことだったのである。工業国家へ変貌し、情報産業が盛んになるにつれて、農業や漁業と結びついていた風俗が廃れていくのはなんだか国の根本が崩れる心地がする。日本の性風俗の伝統については宮本常一著『忘れられた日本人』(岩波文庫)参照。歌垣や盆踊りについては下川耿史著『盆踊り 乱交の民俗学』(作品社2011年刊)参照。以下、『盆踊り』と略称する。

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<性風俗の変容が性意識を変え日本の社会構造を根底から覆す>
  農山漁村の村落共同体を底辺で支えていた伝統的な性風俗や価値観が失われることで日本人に何が起きているのか皆さんに考えてもらいたい。
  井原西鶴の『好色一代男』には大原の風俗として、正月や盆に神社の社務所で雑魚寝があったことが『盆踊り』「第3節 雑魚寝と雑魚寝堂」P98-114 に書かれている。若者たちが集まって雑魚寝して年に2度エッチを存分にできる、そういう社会装置が日本列島のどの農山漁村・村落共同体にもあった。
  弊ブログ#2812の英字新聞記事とその解説を見てもらえばわかるが、いまや20代の女性の25%、30代の未婚女性の3割が処女だという。
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<弊ブログ#2812より引用>
 週刊紙「スパ!」がとりあげたコンドームメーカの調査では20代の女性の25.5%がバージンで、同じ年代の男は40.6%が童貞である。童貞は性愛にも性の神秘にも部外者(strangers 異邦人)たらざるを得ない。この数字から見る限り、20代の女性の約15%(74.5-59.4=15.1%)、つまり6人に一人は30代以上の男性と性的な関係をもつしかないのである。教えてもらうには経験を積んで上手な者がいいから、対象となるのはほとんどが既婚男性だろう。

25.5 percent for single women in their 20s — high enough, but low compared with single men in their 20s, 40.6 percent of whom remain strangers to Eros and his mysteries.

 女性のvirginity percentagesが増えていることが、virginであることに対する意識を変えつつある。昔は年齢相応に経験がないと恥ずかしいという意識が強かったが、それが薄れてきただけでなく、30代になっても胸を張ってバージンだと言う女性が現れてきた、記事のタイトルがそうした事情を如実に示している。
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 こんなことは明治以前の日本社会にはありえなかった。出遭いの場が年に2回保障されており、若者たちは自分たちでルールを決めてそういうことをしていた。経済社会の重要な担い手だった彼ら・彼女たちは村落共同体の一人前の成員として義務を負うだけでなく、大人の干渉を受けずに活力に満ちた生き方もしていたのである。
  明治維新以降、そういう風俗を文部省や内務省が破壊していった。富国強兵・殖産興業という国策を推し進め、西欧先進国や米国に並び立つためには、低俗で恥ずかしいという理由で日本に古来から伝わる性風俗・風流にかかわる装置をことごとく禁止・破壊したのである、これもまた国策であった。
  コンピュータの高性能化やスマホの出現で、コミュニケーション能力の極端に弱い群が生まれつつある。性風俗は生身の人間の濃厚なコミュニケーションでもあるが、それができない男子が増えている。女子から見れば、身体が成熟して自然な性的欲求が起きてもなかなか同世代の相手が見つからぬという深刻な事態がそこここで生まれている。
  性の解放装置が失われただけでなく、セクハラと言われることを恐れて、若い男たちが若い女たちに声もかけず、迫りもせずという体たらくになっているから、年頃の女たちのイライラも募ろうというもの。
  フィルタリングがかかっていてもスマホでアダルト動画を見ることができるらしい、これならセクハラの心配はない。美人でスタイルのよいお姉さんたちやパワフルな男優さんたちが競って出演している動画を小中学生のうちから観続けることで、一部の男子たちが経験する前に現実のセックスに興味を失っている。同世代に相手が見つからぬ女子たちはSNSを使って年代の異なる相手を探すしかない、「付き合っている」のに手すら握ってこようとしない同期の男子にあきれ、手を握るとかキスするという性的な接触機会を見いだせずに追い詰められるようなケースが少なくないのである。高校生でこれではあまりの晩熟(おくて)さに首をかしげる。
  伝統的な性風俗の破壊という少子化の芽は明治維新とともにばらまかれて、敗戦によって米国の価値観が広く流布することでその芽が大きく育ってしまったように見える。日本という風土に米国流の価値観を接ぎ木した結果、得体の知らないおかしな社会が生まれてしまった。このようにみると、2000年から始まっている少子高齢化は、古来から伝承されてきた性風俗を棄てたことで加速されたのではないか?
 インドは17世紀から東インド会社を通じて英国の支配下に置かれ、言語も英語となり、インドの伝統的な性風俗がその影響を被ったことは想像に難くない。「ヨガ本来、生命=自然=真理を「結ぶ」という意味」である。インドには白い大理石でできたタージ・マハルという美しい寺院があるが、その壁面には多数の男女交合彫刻で飾られている。インドの強い陽射しの下で、白大理石の男女交合彫刻が輝いている、これを健康的で美しいと感じるか、卑猥な彫刻だと感じるかは、観る人の文化圏や風俗観に依存する。一枚だけ写真のURLを張り付けておく。
*https://www.bing.com/images/search?view=detailV2&ccid=TeEmQz%2fO&id=E4931837511EA337A50C093132E2F8253CC63AC6&thid=OIP.TeEmQz_O19qcPoAtPhNh7gDMEs&q=%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%82%b8%e3%83%9e%e3%83%8f%e3%83%ab+%e5%bd%ab%e5%88%bb%e7%94%bb%e5%83%8f&simid=608048138281619082&selectedIndex=39

  おおらかでしょ。健康法ですから1時間も2時間もゆっくりとそうしているのです。見ただけでわかる人にはわかってしまう。明治以前の日本人と、現代の日本人ではこの彫刻像の受け止め方がまるで違っているだろう。カソリックやプロティスタントの性風俗観では、太陽が燦然と輝く中でなんと卑猥なと顰蹙を買う。数百年間英国の植民地だったインドが、こうした彫刻を壊さなかったのは偉い。自国の文化をある面では大事に守ったということ。
  それでも英国流の価値観が広がったインドで、性を抑圧した結果何が起きているかは指摘しておきたい。性犯罪の多発である。公共交通機関のバスの中で集団暴行事件が時々起こるなんてことになっている。伝統的な性風俗が外的な力で破壊されたら、社会は根底から変容せざるを得ない。どこへ向かうかは不明、大きな社会実験とならざるをえない。インドでは英国の価値観とインド固有の伝統的な価値観が拮抗しているように見える。それだけインド文化は奥が深い。
  インド人とは異なって、西欧やロシアや米国に伍するために自ら進んで伝統的な性風俗を日本人は棄てた。若者たち、とくに1~2割くらいの男子が性に興味を失いつつあることは危険な兆候だ。この群の増殖をどうすれば食い止めることができるのか、言い換えると日本の人口減少の加速をとめることができるのか、皆さんにも考えいただきたい。
 このままで百年もしたら日本の人口は3000万人以下になりかねない。日本人という固有種が2百年後には風前の灯火になりかねないのである。
  『古事記』『万葉集』『源氏物語』『和泉式部日記』『宇治拾遺物語』『今昔物語』『好色一代男』など、日本の古典文学を読み返し、日本人が伝えてきた性風俗がどのようなものであったかをわたしたちは知る必要がある。
 
伝統文化や価値観は日本人のアイデンティティを構成する基本要素だが、もう古典文学や民俗学関係の本を読むことでしか理解できない状況になっている。若衆宿のような制度や性的接触の場としての本来の盆踊りや正月という社会的な装置がなくなったし、そういう時代に生きた人々はもうとっくに世を去った、わたしたちは記録として残るものを読んで知ることができるだけ、すでに手遅れといってよい。日本の伝統的な性風俗は消滅の危機にある。これで、若い人たちが古典文学や民俗学関係の本を読まなければ、日本人として現代が過去から断絶してしまう。文化や伝統や価値観の継承こそが日本人としてのアイディンティティだとすれば、日本列島ありて日本人なし。
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 閑話休題(それはさておき)、小学館の日本古典文学全集版の『古事記』は「原文・読み下し文・現代語訳・注釈」が見開き2ページに載っているのでとても見やすい。わたしは新潮社の「日本古典集成」の『古事記』をもっているのだが、この本には原文が載っていない。最近、藤村由加『古事記の暗号』(新潮社1997年)を読み返して、原文にあたる必要があるので、小学館の日本古典文学全集版を買いなおすつもりだ.「日本古典集成」には古事記成立といくつかの写本の評価、その後に成立した諸本についての詳しい解説が載っている。付録として「神名の釈義」が85ページも載っているので、これはこれ、原文の未載という欠点を補って余りあるいいところもある。

 ついでに書くと、NHKラジオが日曜朝6時からの番組で宇治拾遺物語の朗読をずっとやっていたが、現在は『御伽草子』をやっている。9/17は第24回目だ。音で言葉を聞いて聴いてイメージするのも楽しい。中学生や高校生は録音したらいい。プロの朗読をお手本にして真似てみよ、聴き手の中から1割でも古典文学が大好きになる人がでたらうれしい。古典文学は日本の国の宝だからそれを伝える人が増えることを期待したい。量だけでも全ヨーロッパを凌駕するほどの作品群がある、もちろん、その質も高い。

 小学館の日本古典文学シリーズは98巻あるが、値段の高いのが玉に瑕(きず)、一冊4267円+消費税だから高価。全巻そろえると45万円かかる。高価だから函も立派だし、製本もしっかりしている。値段が高いけれども全巻そろえて子供や孫に残してあげたい全集だ。

(念のためにアマゾンの書評欄を見たら、製本が拙くて表紙と本体が外れたというものがあったので、ちょっと心配)
(製本会社名が奥付にない、せっかくの豪華製本だから社名を印刷してもらいたい。それとも印刷した大日本印刷が製本工場をもっているのか?事情を知っている人がいたら、投稿願いたい。)


*#2812 日本人の性意識の変化: Women express pride in remainig a virgin Sep. 18, 2014
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-09-18
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 高橋克彦著『風の陣』は5冊あるが、何巻目かに天皇(女帝)が歌垣を催すシーンが描かれている。歌垣とは当時しばしば行われた乱交パーティであるが、天皇が宮中で女官も含めて自由に楽しめと言ったのは他に例がないのだろう。小説の中ではあるが、道鏡と夫婦になることのできなかった女帝が哀れだった。
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<性の二つの類型:短距離全力疾走型とマラソン型>
 南太平洋に住む人々だったか、アフリカだったか、ヒマラヤ周辺に住む人たちだったか忘れたが、米国のアダルトビデオを見せたら、腹を抱えてゲラゲラ笑ったという話が何かの本に載っていた。あんなセックスのどこがいのかアホだというのが彼ら・彼女たちの素直な感想。あれは「短距離全力疾走型」のセックスと名付けたい。百メートル走だから、すぐに息が上がる。ビギナークラスの程度の低いもので、健康とセックスについての洞察がまるでないことを表している。
 その笑った「未開」の人々はどうかというと、スローセックスで「マラソン型」なのである。1回に1-2時間かけるのだという。3時間走れば42.105km、フルマラソンを走り切れる。最中に周りで子どもたちが戯れていたりする。そういう性風俗をもっているから、米国製のアダルトビデオのセックスが滑稽でたまらない。食べ物だってファストフードよりも手間暇をかけたスローフードのほうが断然おいしいに決まっている。
 千年2千年の歴史のある、インドのヨガも中国仙道房中術も日本の医心方も、健康とセックスに関して書いてあることは似たようなもの。ことの要諦は呼吸のコントロールである。これは武道にも共通している。息が上がったらアウトだから、呼吸は静かに深くゆったりコントロールする。そうすればまったく別の世界が訪れる。呼吸が自在にコントロールできるようになれば、あれも数時間楽しめる。どういうことが起きるか想像したらわかるだろう。次元がまるで違う、だから未開人が腹を抱えて笑った。
 若い人たちが、アダルトビデオのビギナーセックスが理想の姿だなんて勘違いしてもらいたくないから、書いておく。何冊か本を読み、恋人同士でちゃんと勉強してたのしく実修したらいい。新書版で『スローセックス』というタイトルの本が10年くらい前に出版されていたような気がする。いまみると数冊ヒットするから、ようやくまともなセックスの指導本が流布しつつあるようだ。犬・猫・猿並みの短距離型セックスにおぼれている人は、ヨガや仙道房中術や医心方に関する本を何冊か読んで恋人同士で実修してみたらいい
 「読み・書き・そろばん」の3技能うち、「読み」の技能が最優先であることがわかる。小中高生のうちに学力の基礎をしっかり育んでおかないと、セックスでもたいへんな格差がついてしまう。世の中厳しい。知っているだけではだめだよ、実修して体得しなけりゃ。子どもから大人への成長の中にはこういう大事なことも入っている。ビリヤードだって理論だけではだめで、基本パターンを繰り返し実修して一つ一つ技を会得していく。他の分野だって同じだよ。
 これもその国や地域に固有の性に関する文化と伝統=性風俗ということ。それぞれの国や地域の文化や伝統を仇やおろそかにしてはいけない。米国はその点では新しい国で、そうした蓄積が極端に乏しいのだということも知っておくべき。



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 読みやすいので、興味のある人はどうぞ。視野を広げる効果はあります。中国語と古代朝鮮語と日本語に精通する学者が何人も出てきて、論争してもらいたい。
 易経をベースに古事記の説話を解説している。古事記の編者は実に周到で完璧なデッサンに基づき説話を書き上げていると著者の藤村由加が主張する。
 古事記を作った人に易経の知識があったことは事実だろう。この時代のインテリには必須の知識だから。「稲羽の素兎(しろうさぎ)」と大国主の物語の意味を易経から解説しているのは見事な展開に見える。古事記の編者は易経に通暁しているだけでなく、易経に忠実にデザインを施し、子どもたちにも理解できるような説話に仕上げている、すごい技だ。書き手にそういう高度な専門知識と文章力が備わっていることを前提にするなら、古事記の読み方は全面的に見直すべきだろう。
 藤村氏の論には牽強付会とおもわれるものもあるが、反論できる学者はほとんどいないだろう。古典と中国語と古代朝鮮語に精通する学者は日本国内には見当たらぬ。ああ、この分野に精通する学者が一人だけいる。高校生の時に日本古典文学大系全冊を読破し、中国の古典を原文で読んだ人がいる。しばらく朝鮮の文献も研究していたはず。指導教授とそりが合わなかったので慶応大学大学院を出た後、慶応大学には残らずにどこかの大学で教授をしている。専門は何だったかな、この人朝鮮関係の本を書いている。弊ブログでその本をとりあげたことがある。
 藤村由加の3著作はどれも面白い。最後に挙げた一冊だけ読んでいない。

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