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#3904 市倉宏佑著『特攻の記録 縁路面に座って』(3):「2.誓子と特攻隊」 Jan. 23, 2019 [1. 特攻の記録 縁路面に座って]

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2.誓子と特攻隊
 
この誓子の句が詠われたのは、昭和十九年十一月十九日で、彼は伊勢富田で療養生活を送っており、いつ癒えるというあてもなかった。この月の雑誌に発表され、後に句集『遠星』に載せられている。が、この日付は、比島の最初の特攻隊が出動した日の直後である。関行男大尉の最初の特攻が行われたのは昭和十九年十月二十五日である。

  「凩の果はありけり海の音 注3

という有名な凩の言水の句がむしろ肯定的な感さえあることに比すれ ば、誓子の句は絶望感に満ちている。誓子自身が、後年、片道特攻隊のイメージがあると述べているが、確かにこの句は、万物がやがて無に帰するという思いを湛えている。
 
が、現代のような時代状況であればいざ知らず、当時日本中が壮烈な特攻に思いをはせている時代に、その空しさに通ずる感慨のみを発表しえたとは思われない(参照後述の「山梨日々新聞」の記事)。
当時の状況を思えば、特攻が何よりも何をしに征くのかに触れなければ、特攻を語る意味はあるまい。
 
誓子自身、伊勢神宮に関わる愛国の文章を書いている。激烈なものではないが、彼が国の難事に思いをはせていたことは否定しえない。むしろ、誓子自身が、病気静養中の自分の病状と先行きを予感して、木枯らしに何か同じ悲哀を感じていたのではあるまいか。
 
敗戦後、戦争批判が常識となり、特攻の空しさが強調されてきた。そしてその空しさが人生一般の悲哀と感じられ論じられてきたとき、読者たちによりこの句の絶望感が注目され、それが特攻に結びつけられていったような気がする。

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注3 表記は『日本の歳時記』小学館、2012年、542頁による。



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#3903 市倉宏佑著『特攻の記録 縁路面に座って』(2) : Jan. 23, 2019 [1. 特攻の記録 縁路面に座って]

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<ebisuメモ>
歌人山口誓子の句「海に出て 木枯らし 帰るところなし」を冒頭に掲げ、芭蕉の句「五月雨の降残してや光堂 」と対置して、特攻兵の心情の分析の端緒とする。

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1.海に出て木枯帰るところなし 注1
 
誓子注1自身が、みずから詠んだ特攻隊の句といわれている。果たしてそうか。句は、見たところ特攻の虚しい悲哀を詠って余りあり、多くの人に感動を与えて、高く評価されている。
 
確かに、日本の敗戦の現状から考えてみれば、特攻機もろとも敵艦に体当たりした搭乗員の痛ましさ。空しさ。悔しさ。悲しさ。苦しさ。そしてその憂愁の思いを文字通り写している。絶唱といってもいい。
 
しかし、この解釈は事実ではないであろう。誓子自身がこの句を特攻に結びつけ、我知らず感動を覚えているとすれば、この間の事態を見落としているような気がしてならない。
 
ひるがえって考えてみると、これは果たして特攻を詠った句であるのか。気にかかることもないわけではない。が、こんな詮索は句そのものの感慨とは、じつは何の関係もないことともいえる。この意味では、つまらない詮索に過ぎないかもしれない。

  「五月雨の降残してや光堂 注2

という芭蕉の有名な句について、誰であったかはっきりとは記憶して いないが、この句の詠まれたときに「雨は降っていたのか、それともいなかったのか」という議論を出していたひとがいた。読んでいて、たいへん面白かったことを覚えている。
 
もっとも、芸術作品そのものとしては、雨が降っていたかどうかということはそれほど重要な問題ではない。むしろ、文字に結晶した作品を通して、そこに表現された美的な状況が、どういう仕方でいかなる感動を呼び起こすかが問題であろうこの意味では、詠まれた状況そのものは絶対の意味をもつものではない。それぞれの人がそれなりに状況を思い浮べて、その状況が作品に結晶する仕方を推測することはよく見かけることであり、これがまた芸術を鑑賞解釈する一つの仕方であることも事実である。
 
その結晶の仕方を「雨が降っていたかどうか」の一点に絞って問題にすることで、芭蕉の芸術感覚を見極めようとしていた論者の意見が、たいへん興味深く感じられた。
 
もっとも、句の解釈に当たって、雨の有無の論議そのものは、本来的な見地からいえば、それほど重要な意味があることではあるまい。ちなみにいえば、特攻隊が盛んに出撃してゆく状況の中で、誓子がこの隊員たちの悲哀のみを感じていたとすれば、彼はよほどのひねくれ者か、反戦論者ということになるかもしれない。

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注1 表記は『山口誓子俳句文庫』春陽堂書店、平成四年、16頁、63頁による。
注2 表記は『新編芭蕉大成』三省堂、1999年、849頁による。



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#3902 市倉宏佑著『特攻の記録 縁路面に座って』(1) :目次 Jan. 23, 2019 [1. 特攻の記録 縁路面に座って]

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<ebisuメモ>
この本は、特攻兵として殉じた第14期学徒動員同期の者たちへの鎮魂の歌であると同時に、軍隊組織就中(なかんずく)海軍組織の実態、そして特攻命令を下し自らは死地へ赴かなかった軍上層部の告発の書でもある。泰然として特攻機で征き、散華した者たちもいる。その精神の在り様には驚かざるを得ない。
きちがいじみた下のものへのイジメは海軍がとくに酷かったようだが、秘密部隊であった落下傘部隊員だったオヤジからも同じ話は聞いている。落下傘部隊の前に通信兵として所属していた部隊のことだ。落下傘部隊にはうるさい先輩がいない、新しく創設された部隊だから。しかも、「命の要らない者集まれ!」という募集のビラの宣伝文句にしびれて「ぱっと散りましょ」と応じ、厳しい審査を経て集められた精鋭ばかりだったから特別扱いだったかもしれない。上官のパラシュートを畳むときだけは緊張したらしい。誰が畳んだのか名前を書いて判を押したから、それが開かなかったら、軍法会議、銃殺ものだと笑っていた。自分のパラシュートを畳むときよりさらに念入りにやらなければならない。
陸軍におけるしごきは具体例を青地でebisuコメントとして入れるつもりだ。オヤジは市倉先生と同じ大正10年生まれである。
下の者から慕われない先輩や上官が多ければ、いや、下の者から理不尽な命令・行為を毎日のようにし続ける先輩や上官が多ければ戦に勝てるはずがないとも書いている。海軍が勝ったのは真珠湾のみ、その後は負け続けた。負け続けた理由を組織の在り様、理不尽さに求めている。自衛隊大丈夫かな?いまでも隊内でそうした行為が隠蔽されてはいないか?戦に強い軍隊はそれなりの規律と高い道徳をもたなければ創りえない。
いまの若い人たちは軍隊の実態を親から聞くということがない、直接聞いたわたしたち団塊の世代が書き残す義務がある。決して昔ばなしではないのだ、似たような組織構造、いや組織病理は程度を変えて繰り返しでてくる。そのことにも触れるだろう。

この本を書くスタンスを先生自身の文章を引用して紹介したい。
イデオロギー解釈は、いずれも自分の好悪利害から特攻の事実のみに注目し、その事態の本質を素通りする。その事態を生きた人間を見過ごしている。… 
何よりも、人間の哀歓の観点に焦点をおいて、搭乗員たちの言葉に接してゆくことにしたい。
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 目次

凡例 ︱︱︱ 006
はじめに ︱︱︱007
 1.海に出て木枯帰るところなし
 2.誓子と特攻隊
 3.一つの伝聞

Ⅰ︱︱︱ 013
 1.搭乗員たち
 2.軍令部の特攻への提言
 3.考察不十分
 4.特攻の死の意味
 5.木枯らしと同じく、搭乗員たちは帰るところはなかったのか
 6.恬   淡   その一

Ⅱ︱︱︱ 037
 1.特攻とは
 2.恬   淡   その二
 3.はっきりと特攻に疑問を抱いていた搭乗員もいる
 4.行きたくない。死にたくない
 5.特攻隊員のニヒルと真実
 6.参謀軍令部の空しさ
 7.北浦空特攻志願
 8.指揮官みずから特攻へ
 9.生きて帰ったもの
 10 .四方中尉の人間宣言
 11 .三座水上偵察機特攻隊の出撃と米駆逐艦モリソンの沈没

2 .特攻志願の仕組み
 13 .〈特攻隊に予備学生を使う〉
 14 .航空隊における特攻隊員の募集
 15 .航空隊における正式の特攻隊募集
 16 .署名について
 17 .特攻の死の感慨
 18 .特攻志願実情、実態
 19 .同僚たち
 20 .〈望〉と〈熱望〉
 21 .第一次の隊員たち
 22 .特攻志願理由
 23 .酒巻一夫の日記
 24 .特攻における諦めと勇気
 25 .特攻も通常化
 26 .搭乗員と参謀との関係
 27 .特攻志願説
 28 .特攻命令
 29 .特攻発令者の心情
 30 .特攻世界と参謀
 31 .特攻隊員の心情
 32 .特攻とは
 33 .特攻員と気持ち
 34 .特攻の心得はこう教えられていた
 35 .特攻に疑問を持っていた隊員もいる

Ⅲ︱︱︱ 101
 1.海兵の予備士官軽蔑
 2.海兵による差別、修正、種々相
 3.宇佐空
 4.ぶん殴られ続ける
 5.罷免
 6.「あの十三期の馬鹿が」
 7.名古屋空の十三期
 8.百里原空における終戦時の混乱
 9.伏竜連判状
 10 .予科練から見た海兵海機
 11 .この殴るの効果
 12 .海兵候補生の着任。予備学生との違い
 13 .「ルーズベルトに貰った桜」
 14 .「軍紀厳正なること大和、武蔵以上」
 15 .落下中の米兵に敬礼
 16 .ある海機卒業者の修正
 17 .殴りの意味
 18 .日本を救う。空虚大言
 19 .米軍の指摘する、日本海軍の欠陥

Ⅳ︱︱︱ 139
 1.離   脱
 2.脱   走
 3.帰還とその後
 4.脱走者と特攻搭乗員
 5.特攻搭乗員の心情   非現実世界と現実世界
 6.両世界非現実化
 7.搭乗員たちに国を救える実感ありや、納得ありや
 8.搭乗員たちの気持ちはさまざまで一義的でない
 9.恬淡の様相
 10 .予備学生と予科練
 11 .残している思い
 12 .一様に納得しているのではない。心残り
 13 .特攻が守ったもの
 14.予備学生は自分の人生の姿勢を顧みる
 15 .前線が近くなると、姿勢が変化してくる
 16 .遺族たち
 17 .芭蕉
 18 .人間の一つの願い
 19 .何故こんな酷い作戦が実行されたか。海軍の貴族主義
 20 .殴ること
 21 .海軍貴族主義の原点
 22 .上級士官の自覚の問題
 23 .敗戦を補う特攻
 24 .海軍近代化
 25 .驕り
 26 .自己矛盾、自己崩壊
 27 .海兵温存
 28 .海軍の栄光と敗北
 29 .これでは、本当の意味で戦争は戦えないのではないか。
    NHKスペシャル「日本海軍400時間の証言」
 30 .問われなかった〈問い〉。特攻の意味
 31 .誓子、命令者、芭蕉

 市倉宏祐一人語り(インタビューにもとづく) ︱︱︱ 177
 編集委員会注 ︱︱︱ 204
 出典比較一覧と年表(編集委員会作成) ︱︱︱ 222
 特攻隊についての参考文献 ︱︱︱ 228
 あとがき ︱︱︱ 231

凡例
 一 原文に明白な誤りや誤植が認められた場合には訂正した。
 二 用字用語は引用文を除いて統一したが、原文を尊重してあえて統一 しない部分もある。
 三 数字は漢数字を原則とした。ただし視覚認識を考慮し、数量を表す 場合や固有名詞はその限りではない。
 四 人名については初出のみゴシック体で表記、略歴を確認できる範囲 で時系列に沿って[ ]内に記載した。
 五 引用の出典は本文中に( )で表示、出版母体は巻末の参考文献に 表記した。
 六 引用文について、原典が正字体・旧仮名づかいのものは新字体・現 代仮名づかいに改めた。
 七 引用文中の〔 〕は引用者による補足をあらわす。
 八 原文に注はないが、編集委員会で注をもうけた。
 九 引用の出典箇所不明、出典の版違いまたは復刻等による頁のずれが ある場合、その他書誌的問題がある場合は、注をつけて補足した。




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ゼロ戦パイロットで、元特攻兵、そして哲学者である市倉宏祐先生が、70歳を過ぎてから書き溜めた遺稿の出版を弟子の伊吹克己教授へ託した。『特攻の記録 縁路面に座って』は貴重な記録でもある。イデオロギーを離れて、特攻兵とは何だったのか読んで共に考えてもらいたい。
この本は非売品なので、関係者以外の目に触れることはほとんどないと思われる。しかし、市倉先生は広く読んでもらいたいと願って原稿をしたため、伊吹さんに後を託した。おそらく苦労の多かった編集期間をへて出版までこぎつけてくれた。わたしもできる範囲で協力したい。不詳の弟子、伊勢敏信、記す。
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  編集委員会代表の伊吹さんから、弊ブログへアップの便のために、PDFファイルが提供された。彼の配慮にこの場を借りて謝意を表します。
 縦書きなのでそれを横書きにするために、若干手を入れてますが、表示形式についてだけで内容については一切手を加えません。

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#3901 市倉宏佑著『特攻の記録 縁路面に座って』:市倉宏祐先生 Jan. 22, 2019 [1. 特攻の記録 縁路面に座って]

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 昨年夏に専修大学文学部哲学科の教授だった市倉宏祐先生(2012年逝去)の標記の本が出版された。遺稿の編集委員会代表である同期の伊吹克己教授(専修大学文学部哲学科)から、弊ブログ投稿欄を通じて出版記念会開催の案内をいただいた。わたしは15年前にスキルス胃癌と巨大胃癌の併発で胃の全摘、リンパ節切除、胆嚢切除、癌が浸潤していた大腸一部切除の手術を受け水分補給がままならない、夏場の東京行は命にかかわるので、出席できなかった。
 数日前に、伊吹さんから本が送られてきた。

 1968年から数年間学部を超えた学際的な一般教養ゼミがあった。市倉先生の一般教養ゼミのテクストはマルクス『資本論』、それを全巻読み終えると、次に選ばれたのは『経済学批判要綱』であった。レベルが高くて経済学部のゼミでもこの本はなかなか取り上げることはできない、資本論を全巻読み通した後でないとチャレンジできない代物。指導教授は哲学プロパーで経済学が本職ではない、だからこそ学部のゼミで「読めた」と思う。マルクス経済学諸学派の先入見がなかったから、まっさらな心で読むことができたのだろう。
 経済学部には経済学を教える先生による経済学のゼミがあったし、文学部の学生には『資本論』や『経済学批判要綱』は荷が重すぎるから、ゼミメンバーは商学部の学生が多かった。わたしもそういう中の一人、商学部会計学科の学生だった。哲学の教授が経済学の古典をテクストに取り上げてゼミをやるなんていうのは後にも先にも、日本中を探してもこの数年間、専修大学しかなかっただろう、千載一遇の幸運に恵まれたことがいまだからわかる。
 編集委員会代表の伊吹教授は当時文学部の本ゼミ(哲学)のゼミ生だった。一度だけ数名で本ゼミのほうへ出席させてもらった、正直言ってきつかった。サルトルの『弁証法的理性批判』がテクストに使われていたのだが、それまでにサルトルの著作は読んだことがなかったので使われている用語になじみがなかった。ヘーゲルなら高校時代から読みなれていたし許万元の解説書『ヘーゲルにおける現実性と概念的把握の論理』を読んでいたので議論に参加できただろう。興味があったので代ゼミへ通っているときに通読した。
(あのころから『エコノミスト』を毎週、『思想』『現代思想』『情況』などの月刊雑誌を読み漁っていた。忙しかった。(笑) 知的好奇心が旺盛でとめられなかった。当時の金額で毎月1万円以上本を買い込んでいた。大卒の初任給がまだ3万600円の時代に毎月4万円仕送りしてくれた両親そして家業のビリヤード店と居酒屋「酒悦」のお客様たちに感謝。「酒悦」は最後の十数年は焼き肉専門店であった。オヤジのコネクションで肉の特別な仕入れルートがあったのでおそらく根室では過去一番流行った焼き肉店。オヤジは仕入れルートが消えると、仕入れ先をいくつか模索したが、同じレベルの肉を仕入れることができないと言ってさっさと閉店した。見切りのいい男だったな。)

 本ゼミのほうから一般教養ゼミへは伊吹さんだけが参加した、かれも似たような思いをしたのではないか。顔を合わせたのは2度だけだが、わたしはいまでもそのときの彼の相貌をはっきり覚えている。
 市倉先生はあの当時、本ゼミではサルトルの著作を次々に取り上げておられた。つまり一般教養ゼミと2本立てだった。一方でヘーゲル研究書の翻訳をされていた。あるとき先生があくびをかみ殺しているのを見て、「眠そうですね?」というと、翻訳作業をしていて気がついたら明るくなっていたのでほとんど寝ていないと笑って答えられた。イポリット『ヘーゲル精神現象学の生成と構造(上・下2巻)』(岩波書店刊)の翻訳作業をしていたのである。友人の哲学者の遠藤利國によれば、早稲田大学大学院哲学研究科の樫山ゼミでは市倉先生のこの2冊の翻訳書をテクストにしていたという。先生はわたしたちと『資本論』『経済学批判要綱』と大部のマルクスの著作を丹念に読み込んだので、ヘーゲル弁証法の方法論的限界を感じたのではないかと思う。『資本論』ではヘーゲル弁証法が先へ行くにしたがって破綻してしまう。つまるところ、体系の端緒に、数学的に言えば体系の公理選択に問題がある。夏の合宿で先生と『資本論』の体系構成について議論したことがあったが、あのときはうまい表現がみつからなかった。先生は『資本論』全巻と『経済学批判要綱』を読み進むうちにヘーゲル弁証法の方法論的限界を感じて、関心がヘーゲルから経済学との学際的な分野に移ったのではないか。これはわたしの勝手な推論だが、その後の仕事が推測の正しさを証明しているように思える。
 わたしたちが卒業した後、哲学と経済学のハイブリッドであるドゥルーズとガタリの共著『アンチ・オイディプス』を翻訳された。あれは哲学と精神分析学と経済学のハイブリッドの本である。すくなくとも経済学と哲学の両方に足場を築かないとできない学際的な仕事だが、そこを評価されたのだろう、あの翻訳で先生は毎日出版文化賞を受賞している。数年間、学生たちと『資本論』と『経済学批判要綱』を読んだことが多少は影響したのではないかと推測する。
 1982年ころに戸塚先輩(元青森大学経営学部長)に誘われて生田のお家を訪問した。その折にはプロローグというフランス製のプログラミング言語で暇つぶしにパソコンをいじっておられた。わたしも科学技術計算用の計算機やオフコン、そして汎用小型機用のプログラミング言語を三つを習得し仕事で使っていたので、驚いた。先生と似たようなことをしていたことがわかりうれしくなった。同時に還暦近くになってもまったく新しい分野を歩くことができることを教えていただいた気がした。市倉先生はその後研究の中心をパスカルに移す。パスカルは自然科学者であると同時に数学者であり哲学者でもある。いずれ「呪文の哲学」を書くつもりだと、1970年ころ仰っていたが、執筆が遠のいているなあと感じた。
 『特攻の記録 縁路面に座って」を読んで、ようやく心の整理がついたのだと晩年の心境の変化を感じる。理不尽さと後悔をため息とともに吐露された1970年ころの夏の合宿のときとは、心境の違いがはっきり現れている。その文章からは、特攻兵として出撃を待っていたことのある自分が書き残さなければならぬという強い決意が読み取れる。征った者たちから託されたことはこれ、それを果たすことが自分の義務、そうした思いが随所に読み取れる。

 市倉ゼミは毎年夏は大学の箱根寮や千葉白浜寮で合宿をしたが、その折に、戦争の話が出てオヤジが落下傘部隊の生き残りだと話したら、先生がゼロ戦のパイロットだったと話された。少年兵に操縦を教えたこともあったと聞いた。飛行パイロットになるくらいだから、優秀な若者が選ばれてきた、そして実戦経験もなく短期間の訓練飛行で次々に特攻兵として送り出されたと沈痛な表情で語った。
 ebisuの父は戦時宣伝映画「加藤隼戦闘隊」の撮影時に殿(しんがり)を務め、直前の兵士が一瞬ためらったので両腕で外に押し出しながら、重なるように飛び出し、その時に主導索に右腕をひっかけ複雑骨折、だらりとぶら下がって動かない利き腕、左手で落下傘を開いてなんとか地上へ転がった。訓練降下は地上で上官が監視している。青空に絹製の真っ白い落下傘が等間隔で並ぶが、ためらうと間隔が開いてしまう。あとで「降下気迫が足りない」と当事者は殴られるんだそうだ。殿はあとに誰もいないから、空っぽになった輸送機を振り返ると怖気づいて飛び出すのが遅れてしまうので、落下傘部隊員の中でも気迫の強い者が選ばれる。
 衝撃吸収のために回転しながら三点着地しなければならないが、利き腕がブランと垂れ下がったままではバランスがとれない、よく命があったと思ったそうだ。
 宮崎県の港から戦友たちを左腕で敬礼して見送った。部隊がどこに行くかは秘密だから、行く先は知らなかった。戦後、落下傘部隊の本を読み、命懸けの降下訓練に明け暮れた戦友たちが南方部隊の戦意高揚のために船で送られ飛ぶ飛行機もなく、戦死していったことを知った。オヤジは一度読んだきり、二度と読まなかった。命懸けの降下訓練を否定されたようなもの。戦友たちは「靖国で会おう」と言って船に乗ったそうだ。大腸癌の手術をしたあとに東京へ遊びに来た。そのときにお袋と二人だけで靖国神社へ参拝に行った。そして翌年、執刀外科医の予告通りに再発して亡くなった、平成5年9月12日、72歳だった。
 その2年後だったかな、市谷に勤務地が変わったので、昼休みに靖国神社へ参拝に行った。桜が満開を過ぎて散り始めていた。鳥居をくぐってすぐに、「靖国で会おう!」というオヤジの戦友たちの言葉が脳裏に浮かび、前に進めなくなり、しばし佇んだ。数呼吸して心が落ち着いたらまた脚が前に出た。

 市倉先生は1921年生まれだから和暦だと大正10年、オヤジも同じ年の生まれである。箱根の夏の合宿で特攻の話をお伺いしてから、いっそう市倉先生に親しみが湧いた。落下傘部隊は親兄弟にも所属部隊を漏らしてはならぬ、秘密部隊だった。古事記にある神話になぞらえて「空の神兵」と呼ばれた。

 特攻に関する本を何冊か読んだことがある。哲学者が書いたものはない。ゼロ戦のパイロットで元特攻兵として「特攻待機」の身でもあった市倉先生が70歳で専修大学を定年退職したあと、突然に、特攻の本を書き残したいと伊吹さんらに語った様子があとがきに書いてある。遺稿はA4判の「プリントアウトで400枚もあったという。それがB5判で233頁に圧縮された。たいへんな編集作業だ。
 ところで、この本は非売品だから、世間一般の人の目に触れる機会がほとんどない。国立国会図書館には収められているので検索はできる。いずれ読めるようになるだろう。

 一流の哲学者が、元特攻兵としてどのように記録を残すのか、本のタイトルに如実に現れている。「縁路面」の「路面」とは滑走路のことだろう。滑走路の縁(へり)に座って、特攻として散華した戦友たちのこと、そして往時の自分を眺めて思索する市倉先生の姿が瞼に浮かぶ。

 特攻がなんであったのか、哲学者がこのようにまとめて書いたものはないから、記録としても貴重である。

 広く読まれることを市倉先生が希望しているように思えてならないので、この本を読みそしてタイピングしながら、市倉先生の思索のあとを丹念にたどろうと思う。当代一流の哲学者の思索がどういうものであるか自然にお伝えすることができるはずだ。

 どうなるかわからないが、とにかく弊ブログで36頁まで引用してみようと思う。カテゴリーを本のタイトルにしてあるので、左側にあるカテゴリーの当該箇所をクリックしていただければ、このシリーズの記事が並ぶ予定である。百ページを超えるようなことになれば、専用のブログを立ち上げてそちらへ移したい。WORDファイルへタイピングしたものを、少しずつブログへ張り付けてアップして行こうと思う。
 なお、著作権の問題もあるので、37頁以降をアップする前に、編集委員会代表の伊吹克己教授と市倉先生のご家族の了解をいただくつもりである。
 わたくしの体力との兼ね合いもあるので、どこまでやれるかは約束できない。


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#3900 佐藤章夫、早世した才能:日本の臨床栄養医学の草分け Jan. 19, 2019 [22. 人物シリーズ]

 理由もないのに、なんとなく亡くなっているのではないかという気がしていた。こういう感覚はたまに訪れるのだが、微弱な電波のようなものだから真偽がはっきりしない。あいつはわたしよりも9つ年下だからまだ若い、気のせいだと思って感覚が発する嫌なシグナルを無視していた。
 19日真夜中に突然に、亡くなっているとはっきり直感が告げていたので確信に変わった。考え事をしていて、ある言葉をきっかけに、突然大きな警報音が鳴り響いたとでもたとえたらいいのだろうか、慌てて「ネットで検索したら平成29年7月19日に逝去、1年と半年を経て事実を知った。ずっともやもやしていた感覚に合点がいった。いままで気がつかずにすまなかった。

 栄養医学研究所長 佐藤章夫、59歳。

 部署が違ったので、彼の要請を受けて立ち上げた二つのプロジェクトで一緒に仕事し、その縁で栄養医学研究所立ち上げのときに相談がありほんのすこしだけお手伝いした経緯をつづり挽歌としたい。

 アキオが40歳前後のころに1年間ほど短期米国留学して臨床栄養学の博士の資格を取ったのはミレニアムの直前だった。米国の学位をとって栄養療法を事業の柱とする企業を立ち上げ、日本に臨床栄養学を広めてこの分野の事業の草分けとなった。勉強熱心な男で、爪や頭髪を検体とするミネラル検査や栄養学に基づく治療を医師と連携してやっていた。自社で調合したさまざまなミネラル製品も扱っている。栄養医学の根拠をもった処方なので、安心して利用したらいい。ミネラル不足からくる疾患は多い。たとえば亜鉛不足でおきる味覚障害とか、特定のミネラル不足が引き起こす情緒不安定、糖尿病や口内カンジタ菌による口内環境悪化など。学術的な情報が満載のブログを書いていた。
*うつ病の栄養療法処方箋
http://www.nutmed.sakura.ne.jp/?fbclid=IwAR30owEeOWl3ytjIb6AabttGzWYkNTk4RD4KEnMjBU7TSGSUEO2-YZdbS9I

** さまざまな臨床症状から栄養療法への案内板
http://www.nutmed.sakura.ne.jp/?fbclid=IwAR30owEeOWl3ytjIb6AabttGzWYkNTk4RD4KEnMjBU7TSGSUEO2-YZdbS9I

 彼の存在を知ったのは86年だったが、営業職のアキオとは仕事で接点がなかった。あいつがSRLの学術営業部にいた1988年ころに仕事で接点ができた。米軍と慶応大学医学部から出生前診断検査のトリプルマーカMoM値の検査依頼を彼が受けたのだが、もちろん日本で実施している検査機関はなかったから、学術開発本部スタッフの東さんが佐藤君から依頼で米国から文献を取り寄せた。厄介なことに。通常の患者情報以外に妊婦の体重、妊娠週令、人種を入力しないと基準値(MoM値)の計算ができない。システム部へ相談したら「できない」とあっさり断られ、困っていた。
 東さんは米国滞在歴30年ほど、米国での実務経験のある臨床検査技師だった。彼女はわたしの向かいの机に座っており、購買課から異動してきたばかりのわたしに、「システム部がダメと言っているの、ebisuさんならなんとかできるでしょ、大事な仕事だから学術営業の佐藤君を助けてあげて」「資料はこれよ、見て頂戴」と英文の学術文献資料のコピーを渡された。「お姉さん」からの依頼だから否やはなし。ざっと見ただけで担当部門が「できない」と断った理由がわかった。余計な情報(体重・妊娠週齢・人種)を入力しなければならないが、そのために基幹業務システムの改造なんてやれるわけがないのである。入り口部分だから大掛かりな改造になる。「ebisuさんならやれるでしょ」、ご期待に応えることになった。社内で誰もできない仕事がもちあがったときの切り札だった。分野を問わない。わたしは営業所のパソコンで処理するように実務デザインした。売上を確保したい沖縄営業所にこれら3項目の入力を営業所のパソコンでさせる。基幹業務システムの監査結果データを営業所のパソコンでデータを受け取り、ファイルの結合処理をして、営業所のパソコンでMoM値を計算するようにデザインした。基幹システムの入力部を将来見直すことがあれば、そのときに3項目の追加情報を任意に入力できるようにすればいい、時間稼ぎの案であるが、これなら、システム部門はノーと言わない。検査報告書もラボ側で出すなら沖縄営業所で入力したデータを八王子ラボへ送信してラボ側でファイルを結合処理すればいいのである。何をどのようにやろうともシステム部門の協力は必要だ、パソコンでのプログラミングなので、C言語の扱えるプログラマーを1か月使えるようにシステム部へ依頼を出して人の応援をもらった。システム部門は当時は汎用大型機を使っていたので、C言語の扱えるプログラマーは数人しかいなかった。システム部のU野君が適任というので、HP-43cでカーブフィッティングして求めた計算式でプログラム仕様書を書いて彼にプログラミングしてもらった。こういう予算や人の手配はいくらでも調整できる。もともと本社で予算編成と統括管理をしていたから、予備費から予算振替は紙を一枚書くだけでフリーパス、そしてラボと本社の融和になくてはならぬ調整役だった。U野君にはご褒美に3日間の沖縄出張に同行できるように手配した。

 ニュヨーク州から取り寄せた文献には二次曲線回帰したグラフとデータが載っていた。1980年代終わりころのパソコンでは統計処理なんてできないので、日ごろ使っていた科学技術用計算機HP-41cxの曲線回帰ソフトを使って、線形回帰分析をして式を求めた。計算式がないとプログラム仕様書が書けないから、この仕事を受けるには科学技術計算用のコンピュータで線形回帰ソフトを使えることが不可欠の条件だった。社内では研究部に同じコンピュータ使っているのが一人いたらしく、あるとき特殊検査部のY課長が「この計算機を使っている人はちょっと変わっている人、八王子ラボでは研究部に一人だけいる」と教えてくれた。誰だか知らぬがその人と同列のヘンジンにカウントされた。(笑)
 検査はRI部ともう一つの検査部門でやるように調整し、多変量解析は応用生物統計の専門家である研究部の古川君へ直接依頼、製薬メーカの2社の担当者を呼び、数千人分になるので検査試薬の無償提供をお願いした。数年にわたる共同研究になるから1億円近く金がかかるので大学側の負担はきついだろうから、検査料金と多変量解析はタダでやるように社内と社外の調整してやるよとアキオへ伝えたら、大喜びだった。
 関係する製薬メーカ2社に稟議書を起案して予算処置をしてもらわなければならないから、研究成果を販促に使わせることを条件に数千万円分の試薬提供を飲ませたのである。SRL社内の予算措置もした。就社した年と翌年の2年間全社予算編成と管理の統括業務をしていたから、電話一本で根回しして、稟議書を起草して上司の学術開発本部長I神さんの印鑑をもらうだけでいい。数日でこんな離れ業をやれるのは社内には他に誰もいない。

(それまで購買課で機器購入担当と製薬メーカ各社から仕入れる試薬の価格交渉数十億円分を担当していたから、製薬メーカの営業は顔なじみ、価格交渉には製薬メーカの担当役員が必ず同行していたから、そこまで顔が利いた。ようするにすぐに言うことを聞いてくれた。どこでどう出世して化けるかわからなければ取引先のみなさんは言うことを真剣に聞いてくれる。
 異動のしかたが前例になかったからだろう。入社早々上場準備のための統合システム開発を8か月で完成し同時に予算編成と予算の統括管理をして、八王子ラボの購買課へ検査試薬のコストダウンの提案をしたら言い出しっぺだから、おまえがやってみろと価格交渉を任され2か月間の社内出向、終わると同時に異動辞令が出た。わたしを購買部門で使うのかとあきれたが仕事は楽しい。職権を利用して八王子ラボの検査機器全部を固定資産台帳を使って実地棚卸しながら一つ一つ調べた。2か月間かけた検査試薬のコストカットは役員数名にも協力してもらって目標値20%の材料費カットは実現した。以後3年ほど繰り返した。購買在庫管理システムの後始末と危険物の管理用のコードなど組み込んだ追加開発もやった。メーカとの検査機器の共同開発を何件か担当した。産業用エレクトロの輸入商社で仕事したときに、さまざまな理化学機器や計測器が取扱製品だったから、欧米50社の尖端商品の技術営業向けセミナーを5年間聞き続けていたからできた。染色体画像解析装置の開発はニコンの子会社とやっていたがうまくいかず、後始末。エジンバラの企業が開発した染色体画像解析装置を3台一気に導入した。これは検査管理部の緒方君と石原染色体課長との仕事。ファルマシアLKBが開発したフィルター方式の液体シンチレーションカウンターを国内初導入。これは「画期的だった。バイアルを山と積んで、それに検体をいれてガチャガチャ動かしていた。地震があったら怖いと検査担当者が怖がっていたが、紙フィルター方式のシンチレーションカウンターでは50検体くらいを25㎝×15㎝くらいの紙フィルターですむ。検査室はガラガラになった。購買課の次は学術開発本部の石神取締役に引っ張られて本部スタッフに異動。開発部の仕事である製薬メーカとの試薬の共同開発手順の標準化はPERTチャートを応用して作成した。学術情報部の仕事だった海外取引先からのラボ見学対応も担当した、ラボ内の業務部の分注システムやRI検査部のデータ管理システム、各検査部でやっている検査項目や検査方法などの案内しながら説明するのである。そういう一見滅茶苦茶な異動は後にも先にもなかった。そのあともまったくイレギュラーな異動をし続けた。学術開発本部から関係会社管理部で子会社・関係会社の管理、赤字子会社の黒字化、生産性を3倍に挙げるための新システム導入などの仕事を担当させてもらった。そういうことをしながら依頼のあった臨床検査会社の財務分析をし、業務改善提案書を作って、2社の買収と資本参加交渉をまとめ、郡山の検査センターへ役員出向、1年半で本社へ戻り経営管理部門で、社長室と購買部の兼務。つまらないので一番古い子会社へ無理やり異動しラボ新築計画を進めているところで、親会社社長の近藤さんから帝人との治験合弁会社を担当しろという指示、2年たたないうちに臨床治験合弁会社の経営を担当した。仕事はとっても面白かった。)

 稟議書もわたしが書いたし、手配もわたしが全部済ませたので、行きがかり上沖縄米軍のための出生前検査導入はわたしがプロジェクトマネジャーをすることになった。
 1か月くらいでシステムができ、検査受託体制が整ったと説明に沖縄米軍へ学術開発本部のI神取締役とプログラミングを担当したシステム部のU野君、そして学術営業部の佐藤君、4人で沖縄米軍を訪問した。沖縄の司令官大喜びだった。女性兵士の出世以前検査は米国の法律で義務付けられていたので困り果てていた。
 出張したのは6月、梅雨時期の3日間、一日だけ海水浴に行った。曇天でよく雨が降っていたが、海岸に着くと晴れ間が出て、1時間ほど泳ぎ、シャワーで海水を落としていたら、雨音がするのでみたらまた雨。沖縄の梅雨はほんとうに雨がよくふる。

 夜お酒を飲みに出かけた。つまみに豚の耳がでた。生の耳をスライスしたもので、わたしは食べられないが、アキオは平気で食べていた。「ebisuさんおいしいよ、食べたら?」と笑顔で勧めてくれたが、勘弁、とても食べられない。わたしをからかって面白がっていたな。すぐになついて弟みたいなやつだった。

 沖縄米軍の成果を踏まえて、慶応大学医学部へ日本標準MoM値の共同研究プロジェクト案をもって説明に行った。信濃町の慶応大学病院では3時間ほど待たされたのではかなったか。診療がすむまでは打ち合わせができないのは当たり前、営業はなかなか辛抱がいるなと、その時に思った。
 初秋ではなかったかな、病院へ行く前に信濃町駅前にあるカレー屋さんで昼飯を食べた。4坪くらいしかないような狭い店だったが味はとびっきり、香辛料を自前で調合していた。夏の2か月間はインドや東南アジアを回っていろいろな香辛料を試すので、店が長期間休みになると聞いた。佐藤君が「ebisuさん、おいしいカレー屋さんを知っているから、病院へ行く前に案内します」と彼がニコニコしながら言ったのをいまでも覚えている。確かにうまかった。沖縄出張で一緒に飯を食べただけなのに、あいつはわたしがカレー好きなことを知っていた。
 このプロジェクトは大成功、数年かけて6000人ほどの妊婦の検査をして日本標準値が定められた。黒人のMoM値が白人よりも2割程度高いのは文献を見て知っていたから、日本人はその間くらいだろうと見当をつけていたのだが、大外れだった。白人より3割も高かったのである。基準値を低い方から並べると「白人⇒黒人⇒日本人」ということがわかり、学術的な価値の高いプロジェクトとなった。
 新し検査法が2年ほど前に登場するまで、この産学協同プロジェクトが定めた基準値が二十数年間デファクトスタンダードであった。
 やはりアキオとタッグを組んでやった成果である。研究部の古川君の協力も重要なカギだった。応用生物統計の専門家は日本では少ないのである。その少ない中でもかなり優秀だった。古川は一度産婦人科学会で有るドクターが使った検査データに疑義を主張し、そのドクターが激怒。創業社長の藤田さんが謝罪に出向いたことがあった。あいにくと慶応大学病院産婦人科のドクターだった。「ebisuさんの頼みだからやるんだからね、他の人からなら受けてないよ」と笑いながら引き受けてくれた。そのプロジェクトが終わるとまもなくかれは応用生物統計の会社を立ち上げ、独立した。プロジェクトに優秀な人間を集めるのはふだんの人脈がものをいう。コミュニケーション能力は相手の専門分野の最低限の知識はもつこと、そして職人としての腕に敬意を払うことで醸成される。
 慶応大学病院との共同プロジェクトもSRL側のプロジェクト・マネジャーはやはり行きがかりというか、ebisuが担当することになった。ほかに担当できる社員がいないような仕事は必ず回ってくるようになっていたのは、前の産業用エレクトロニクスの輸入商社でも、SRLに転職した直後からも、一貫して変わらなかった。お陰様で、やりがいのある美味しい仕事がたくさんできました。(笑)

 わたしが15年間勤務したSRLをやめて、誘いのあった首都圏の300ベッド弱の特例許可老人病院の常務理事へと転職し、病院の建て替え仕様や県庁や横浜市役所担当部署と交渉していたころに、佐藤君も数年間独立の準備をしてSRLをやめた。臨床栄養学の学位(博士)を米国でとったので、そちらの新規事業をするということだった。
 立ち上げに協力してもらいたいと要請があったので、少しお手伝いした。要点を伝えただけで、かれは会社の登記も定款作成も自前でやった、栄養医学研究所はそうして立ち上がった。
 最初の数年間だけ監査役を引き受けたが、ふるさと根室へ戻ったのを契機に監査役辞任を認めてもらった。事業が軌道に乗って利益がたくさん出せるようになったらいっしょにやりたいという申し出が当初あったが、会社立ち上げまでがわたしの協力できる範囲である、そういう気は毛頭なかった。いままで会社を立ち上げるのでと3人の同僚に、共同経営者になることを頼まれたことがあるが、3度ともお断りした。
  一つ目は軍事用と産業用エレクトロニクスの輸入専門商社時代に東京営業所長のE藤さんがある米国メーカから日本法人設立の相談を受けているので、一緒にやらないかと誘われた。E藤さんは営業活動で抜群の成果を上げただけでなく、営業実務を根本的に変えて営業効率を上げる方法を普段から考え抜いていた、そういう意味で切れ者だった、わたしが人生の中でであった営業マンではダントツにナンバーワンである。
 二つ目は、SRL時代に同時期に入社したK藤が会社を辞めて健康関連事業を立ち上げたが、1年もすると経営コンサルタントの仕事が舞い込むようになり、SOSで900万円の仕事を一度だけ手伝った。あ、無報酬ですよ。あの程度の仕事なら年間20件は消化できただろう。取締役就任を依頼され、SRLに非常勤取締役だから仕事に支障は出ないがと届けたら、人事部長から「認められない」とシャッタアウト。業界ナンバーワンのSRLの看板を背負ってやる仕事はスケールが大きくて魅力があった。その後K藤からSRLを辞めて副社長に就任してほしいと要請があったが、断ると、次には社長に就任してほしいと打診あり。べつに職位に不満で受けないわけではなかったので誤解のないように説明を尽くした。友人だから頼まれてお手伝いできる範囲で応援しただけ。でも経営コンサルタント事業は専門外で荷が重かったようだ。奥さんは東大理Ⅲ、海外の化粧品メーカで開発部長をしていた。当時41歳くらいだっただろう。K藤はSRLへ同時期に入社して、八王子ラボでの研修で一緒になった、それ以来の付き合いだった。誘われて二人だけで新宿界隈でよく飲んだ。
 佐藤君からの誘いが三つ目だった。その時は社会的に意義のある仕事だと思ったが、自分の関与の必要のない仕事だと感じた。佐藤君は佐藤君自身の信ずる道をまっすぐに歩めばいいと思った。誘われても、感覚の命ずるままに動く、大事なことに損得勘定は入れない、欲得が絡むと判断を誤るからだ。わたしにはわたしの人生がある。

 FBのブログにアップされている平成27年3月頃の佐藤君の写真がずいぶん窶(やつ)れているので驚いた。まるで癌で退院した直後のわたしのような感じだった。体力が失われて、さぞかしたいへんだっただろうと想像する。あの写真の姿と手術後の自分を折り重ねてしまう。わたしと話すときはよく笑ったから、親しみがわいてなんとなく弟のような気がしていた、めんこかった。
 君はいい仕事した、認めるよ。でもね早すぎるよ、早すぎた。
 いまはただ冥福を祈ります。

*FBの佐藤君のブログ
https://twitter.com/nutmed_1

**日本栄養医学食養学会「理事長(佐藤章夫)逝去のお知らせ」
http://janmf.com/osirase0727/

<余談>
 佐藤君は1990年ころSRL学術営業部に所属していたのだが、その部門の上司は窪田規一さん、東証1部上場した注目のベンチャー企業、ペプチドリームの現社長である。SRLにはユニークな人材がいた。(笑)
 創業社長の藤田さんは富士レビオとSRLの2社を現役社長で東証一部上場させた稀有な人、その跡を継いだ近藤さんも医師で切れ者。SRLの一部の社員の中にはそういう「遺伝子のようなもの」が流れていたのかもしれない。過去形で書かなければならないのが残念である。

*ペプチドリーム
https://www.peptidream.com/



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#3899 Pancake ice & jewry ice in Kushiro [87.根室の話題]

 釧路のお友達の一人、森川さんが制作した映像をご覧ください。
 釧路川に流れてくる蓮の葉氷を幣前橋から眺める人々、大楽毛海岸に冬の間だけみられるパンケーキアイスと宝石のような氷群、ふるさと釧路を愛しするこころが映像に現れていると感じるのはわたしだけではないでしょう。こういう映像が撮れる根室っ子が現れてほしい。いいお手本です。

 クリックしてユーチューブで美しい映像を是非ご覧ください。FB上に投稿されているので、FBのアカウントがないと見れないかも、悪(あ)しからず。
https://l.facebook.com/l.php?u=https%3A%2F%2Fyoutu.be%2FjL1m8a_TaE8%3Ffbclid%3DIwAR3xWs9QuGmMp6PD42PbZjQk5Tb7ECPG0TlEcMerxyn4TxCzuEEOsxUgbX8&h=AT1c6AbdleHFXJZ6nkScPDEMKoTcJLUpsKrWG_sOqYvedYNx45fNVPCyRPJhMS_GusxUD-ayga3x6WLqvJ_zYT7HQ6_s9D6_S2bD0Ts6YH6yvWhc2pJKQCIu8uousqf0OR0fgkGAoiBn7zI8NagiMf4G


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#3898 複素数計算とコンピュータ: [Visual Studio 17] Jan. 14, 2019 [52. 数学]

 好奇心はそのままにしていても際限なく広がっていくものです。コンピュータで複素数の計算をどのようにやるのか想像してみます。たとえば、(2+i) と (3+2i)という複素数のセットで足し算と引き算はそれぞれ実部同士、虚部同士の加減算でこと足りますが、乗除算はそうはいきません。実部と虚部の乗算や除算がでてきます。冪(べき)乗計算になると指数や対数そして三角関数のおでましです。複素数専用の四則演算と冪乗計算のプログラミングが必要なことが明白です。

 必要があって複素数の計算を前回#3907でやってみました。複素数のべき乗計算を指数と対数と三角関数に展開して手計算でやるのも、関数計算機でやるのもしんどいので、HP-35sの複素数計算機能を利用しました。これだとRPN(逆ポーランド方式)で複素数をそのまま式に代入するだけで計算できました。とっても便利です。
 複素平面から複素平面への対応を調べ、複素数のべき乗関数グラフを描くためには次のような計算を繰り返す必要があります。
①z平面のxを固定し虚軸のyi1を0.5単位で±100の範囲で計算してみる。
②z平面の虚軸yiを固定してxを0.5単位で±100の範囲で計算してみる。
③zの長さを固定してxとyiのセットをつくりだして、zの絶対値が0~100の範囲で0.5刻みで計算してみる。

 こうすれば、それぞれに応じたw平面が0.5の点で表現できそうです。工夫次第でz平面で0.5の網目のグラフを描くデータが揃います。複素数の冪乗関数のグラフを描くのはじつにやっかいな作業を要します。

 プログラミング言語の「C++」に複素数計算機能があることは前回書きましたが、再掲します。

   class complex { double re, im;};

 実部と虚部があるので、ダブル型の関数として定義されています。加算と減算はすなおにそのままできそうですが、乗除や冪乗計算はそのままできません。

 C++の演算子一覧をみても、冪乗演算子はないから、Z^aはZをa回かけるしかありません。if文でカウンタをaになるまでループさせればいいだけですが、加算や減算も実数の場合とは違うから、プログラムが必要です。
 これらは基本計算に属しますから、C++のライブラリにあるのではないかと考え、検索してみたらありました。「第3章 C++標準ライブラリを用いた 複素数計算の基本」という学術論文を見つけました。
*http://na-inet.jp/fft/chap03.pdf

 18頁に「図 3.1: IEEE754-1985規格の2進浮動小数点数の形式」の解説図を見ると、浮動小数点表示で単精度で32bit、倍精度で64bit、拡張倍精度で80bitで計算できます。

------------------------------------
 すこし脱線します。
 1978年から84年1月末まで産業用エレクトロニクスの輸入専門商社で働き、84年2月からは臨床検査最大手のSRLへ転職して仕事してました。78年に産業用エレクトロニクス専門輸入商社では財務構造と収益体質を変革するために社長が提案した5つのプロジェクトの仕事を抱え、問題解決のために納期管理や外貨決済管理、仕入業務管理、円定価システム、為替予約管理などいくつかのシステム開発をせざるをえなかったので、三菱電機のオフコン、NEC製小型汎用機を使いました。SRLでは富士通製汎用大型機(84年から92年ころまで当時国内最大規模のコンピュータ)のユーザでした。プログラミングも必要があって3言語独習しています。プログラミングできないとスマートな外部仕様書やプログラミング仕様書が書けません。内部設計はソフトハウスのSEがやってくれるので、システム仕様書を書いたり実務設計をすることが仕事でした。1978年から一貫して84年まで、経営管理にかかわる統合システムのパッケージ全体をデザインしていたことになります。仕事柄SRL八王子ラボの検査システムも現物を自分の目でみていましたから、1990年代初頭のころのミニコンの使われ方もよく知ってます。
 そういうわけで、コンピュータに関する専門書を7年間ほど片っ端から読み漁ってましたので、このあたりも周辺知識がすこしだけあります。でも数値計算プログラミングだけは例外でした。経営分析のモデルつくりに必要な範囲で1978年と79年にからHP-67とHP-97をつかってやってただけ、C++を使った数値計算プログラミングの経験はありません。当時のオフコンや小型汎用機では加減乗除の四則演算機能しかありません。√やべき乗すらできません、基本的な統計計算すら扱えませんでした、関数機能がライブラリーとして提供されていませんでしたから。オフコンや小型汎用機ユーザにはそういう用途で利用する人がいなかったのでしょう。
 84年2月にSRLへ転職して3月には全社予算編成と固定資産管理そして経営統合システム開発プロジェクトを任されていました。予算減価償却費の実績値との誤差が1億円以上出ていましたので、東証2部上場要件に予算精度の向上という項目があり、減価償却費の誤差を2千万円以下にできないかと経理担当取締役の岩本さんから相談を受けました。元々の固定資産管理がどうなっているのかから調べ、全部の固定資産を実地棚卸して台帳の整理からしなければいけません。そのために固定資産の実地棚卸をしていたら、使われていないDECのミニコンが2台ありました。検査受付業務システムにDECのミニコン2台を購入したのですが、開発に失敗して練馬のラボに放置してありました。当時の購入金額で1台5000万円してました。どうせ使っていないのだから、経営分析用のモデル構築と計算用に使わせてほしいと上司の経理担当役員岩本さんへ申し出ましたが、ノーでした。「ebisuよ、それは無理だぜ」、山口県出身の人で(愛媛県の松山商業卒業後富士銀行へ、筆を使わせたら名人)、ウマが合いました。わたしは経理部所属で、入社2か月後には予算編成と統括管理と同時に暗礁に乗り上げていた統合システム開発プロジェクトのメンバの一人に任命されました。(当時のSRLの予算規模は300億円でした。入社2か月の社員に全社予算編成と統括管理を任せる、じつに面白い会社です。)
 岩本さんは富士銀からの出向者で、システム部門へ押しが利かなかったのでしょう。UNIX系のマシンですからC言語が使った数値プログラミングができるマシンでした。結局、高価なミニコンはだれも使わないまま廃棄しました。システム部門が使えないのでDECのミニコンを経理部員が使うなんて話は、いま考えたら「常識外れ」の要求です。でもわたしが岩本さんなら「わかった、やってみろ」と伝え、創業社長の藤田さんに根回ししたでしょうね。そういう常識外の要求が何かを生み出すことがあります。常識の範囲に囚われていたらクォンタム・リープ(飛躍)はありません。経営分析モデルはHP67とHP97で5年前(78~79年)に作ってありましたから、とりあえずか載せ替えるだけで使えました。92年ころに子会社6社の経営管理に経営分析モデルを使いました。一度っきりでした、関係会社管理部へ異動して翌年には福島県郡山市の臨床検査会社への資本出資交渉をまとめて役員出向してました。子会社の経営管理には79年に開発した経営分析モデルをEXCELに載せ換えただけでそのまま使えました。5群27項目の経営指標と総合偏差値評価のできる、時代の尖端を走る経営分析モデルでした。子会社6社が総合偏差値で評価できるだけでなく、生産性の改善、財務安定性の改善、収益性の改善、成長性の改善、活動性の改善、これらを五分野の27指標群に分けて数値目標を設定できます。予算達成したらどれくらいの5つのディメンションでどういう経営改革になるのか、それに加えて総合偏差値でも評価のできるものでした。おそらくいまでもないでしょうね、5群27項目の経営分析指標とそれをベースにした総合偏差値で会社の経営状態を測定できるようなモデルは日本にはいまでもないでしょう。40年以上時代に先んじて経営分析・経営改善の仕事をしていました。それくらいでなくっちゃ仕事は面白さが出てきません。
 1984年にDECミニコンの使用を上司の岩本取締役に申し出たのはSRLに上場準備要員として入社して半年ぐらいの時期でした。統合システムのサブシステム間のインターフェイス仕様も、担当した会計及び買掛金支払いシステムや固定資産管理システムの設計が終わってプログラミング開発に入っていました。暇だったのです。システムはノープロブレムで8か月で本稼働してます。「わたし失敗しない人なので」どこかで聞いたセリフです。(笑)
-----------------------------------------------

 話を元へ戻します、23頁に複素数の冪乗の関数名と機能が載っています。

 「complex exp(complex a) exp(a) = e^a 」

 推測通りでした、C++の標準ライブラリーをつかえば、複素数のべき乗計算ができます。
 無償提供されている[Visual Studio 17]をつかえば、テキストエディタを使ってプログラムを書き、コンパイルできることがわかりました。
  対応しているプログラミング言語は次の8つ。
*Visual Studio 17: ウィキペデイアへ
https://ja.wikipedia.org/wiki/Microsoft_Visual_Studio


 興味のある高校生や大学生にはこれだけで十分な情報です、やって遊んでみたらいかがですか?




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#3897 w=z^(2+i) :複素関数の世界へ Jan. 12. 2019 [52. 数学]

  忘年会で釧路へ行ったときに、イオンの熊沢書店を覗くと数学書のコーナーには専門書が10冊ほどあり、そのなかに面白そうな本が2冊ありました。一つは『高校生からわかる複素関数』で9月に出版されたばかりの「出来立てのほやほや」の本、そしてもう一つ興味を引く本『πとeの話』という無限級数に関する本です。興味のある分野の本が2冊並んでいたので、まよわず購入、二つ揃えて並べてくれた店員さんに感謝です。
 πやeを無限級数に展開すると三角関数と関係がでてきますが、オイラーの公式はそれらの関係を端的に表現したものです。複素関数にはπとeが必須の道具として登場し、実関数の世界とは別世界の複素解析の世界へとわたしたちを誘(いざな)ってくれます。
 オイラーの公式は「e^iΘ=cosΘ+isinΘ」ですが、Θをπに置きなおすとcosπ=1 & sinπ=0ですから、「e^iπ=1」、1を左辺へ移行すると「e^iπ-1=0」、eとπと1と0という基本的な要素のみ、夾雑物ゼロのシンプルな式が出てきます。まざりっけなしですからとっても美しいでしょ、無限級数へ展開すればこれらの関係に気がつく可能性が大きくなりますが、気がついたオイラーは数字の感覚がとってもよかった人なんでしょうね。代表的な無限級数の間にある関係を数字をいじくり合わしているうちに見つけてしまった。複素数の世界では指数関数が三角関数に置き換えられることに気がついた。たぶん、数字遊びをしていただけなのでしょう。数学の世界では誰も目にしたことのない宝物を発見した気分だったはず。

 本棚に積んで肥しにするにはもったいないので、正月3日から、暇を見つけては『高校生からわかる複素関数』の例題を一つずつ解いている(笑)のですが、歳のせいかときどきカメさんよりも速度が遅くなります。
 95頁に「w=z^(2+i)の振る舞い」という解説があり、「(1)zの実部だけを変化(虚部固定)させたときのw=z^(2+i)の振る舞い」が独立変数のz平面とそれに対応する関数値を表すw平面に分割してグラフが描かれています。複素数は4次元の世界ですからこう(分割)するしかないのです。

SSCN2514.JPG


 載せられている条件が①~⑤まであります。
①-2≦x≦2、y=-1
-2≦x≦2、y=-0.5
-2≦x≦2、y=0
-2≦x≦2、y=0.5
-2≦x≦2、y=1

  たとえば、(-2+i)^2なら高校2年生でも計算できますね。指数部分が整数なら計算は容易、指数部が分数になったら(つまり無理数)たぶん計算があやしくなります。しかし、指数部が複素数になったらまるで話は別で、高校の範囲を完全にはみ出てしまい、次のような計算をすることになります。

    w=z^a=e^a(lnr+iΘ0
 この問題の場合は、
  w=z^(2+i)=....=e^(2lnr-Θ0)×{cos(lnr+2Θ0)+isin(lnr+2Θ0)

 zにターゲットの複素数を変数として代入すれば、関数値が計算できます。実関数とは違って線ではなく、複素平面全体を代入することになるので、グラフの概形を描くだけでも計算量が膨れ上がります。
 そのうえネイピア数や自然対数や三角関数がでてきて、計算そのものがやっかいです。複素数の冪(ベキ)関数で繰り返しこの種の計算をしてだいぶトレーニングを積みました。計算は考えなくてもできるところまで習熟するのが肝。いつも生徒に言っていることですが、大事なことだからもちろん自分でもこのようにやってるんです。(笑)

 グラフの挙動を確認するために、①をxを0.5ずつ増やした時に計算値がどうなるかやってみました。指数関数や三角関数に展開するのは面倒ですから、手持ちの科学技術計算用の計算機HP-35sには複素数の計算機能があるので利用します。たった11,800円で買えます。日本語と英文マニュアルのついているものを買ってください。EXCELにも複素関数機能があるといいのですが…

1. (-2-i)^(2+i)=-11.7+71.8i
2. (-1.5-i)^(2+i)=-8.1+41.0i
3. (-1.0-i)^(2+i)=-7.2+19.8i
4. (-0.5-i)^(2+i)=-6.6+7.0i
5. (0-i)^(2+i)=-4.8+-0.6i
6. (0.5-i)^(2+i)=-1.9+-3.3i
7. (1.0-i)^(2+i)=1.5-4.1i
8. (1.5-i)^(2+i)=4.9-3.2i
9. (2.0-i)^(2+i)=7.9-1.0i


  Z平面の実軸の値が増えるとW平面の実軸も増えていますが、虚軸のほうの値は揺れていますね。Z平面からW平面への対応ですから、面全体が変数となってそれに対応する複雑な形状の面を紡ぎだしているのでしょう。4次元ですからちっともわかりません。①だけでこれだけ計算しなくっちゃなりませんから、①~⑤までやると五倍ですからね。(2)では、実部を固定して虚部を0.5刻みで計算するとやはり45個の計算が必要です。(3)ではZの大きさを固定し、偏角をπ/6ごとに計算すると24個の計算が必要になります。合計114個、ずいぶんたくさんになります。どうやって図を描いたのでしょう?(複素数の計算機能をもったプログラム言語(たとえばC++)でプログラミングするしかなさそうにみえます。*)
 これを指数関数と三角関数に展開してやるのではうんざりです。複素数を扱える計算機は、複素数のべき乗関数問題をやるときには便利がいい。
 W平面上にプロットしてみたが、滑らかな曲線になっていますから、計算違いはなさそうですが、写真の図に載っている線とはまるで違ってしまいました。
 さて、どこで間違えたのでしょう?

 計算機の使い方をまちがえたのだろうかと、93頁に載っている問題で操作を確認してみました。
   (1+√3 i)^(2+i)
  この計算をHP-35sの複素関数機能を利用してやると、-1.317+0.4860.4867iです。

 この式を主値をn=0としすると、つぎの計算式で求められます。
 4e^-2π/3×{cos(ln2+2π/3)+isin(ln2+2π/3)

 これも計算機でやってみましたが、同じ値がでました、どうやら操作は適正なようです。
 (表示は3桁のサイエンスモードにしてあるから、0.4867は「4.867E-1」)

 いまは原因がわからない、少し先へ進んでからまた戻ってやってみます、だんだん慣れて理解が進んできます。お酒の醸造をしているようなものです。ときどき惑いすったもんだするのも楽しみの一つ。

 ほかのグラフも転載しておきます。

 これはzの虚部だけを変化(実部固定)させたときのw=z^(2+i)の振る舞い。
SSCN2515.JPG

 こちらはZの大きさを固定し、偏角を変化させたw-z^(2+i)の振る舞い。
SSCN2516.JPG

 こうして遊んでいるので、ブログの更新頻度が落ちています。複素数という少し広い視野から数学をながめたくなりました。


<余談:C++と複素関数>
 複素数は実部と虚部があるので、ダブル型の関数です。ネット検索してみたら、次の命令セットで記述できます。
class complex {
    double re, im;
};

グラフ展開するにはまた別のブログラムが必要です。

 このオラクルのサイトにC++の複素演算ライブラリーの使用マニュアルが載ってます。
 

https://docs.oracle.com/cd/E19205-01/820-1213/bkaly/

 
ふたつのOSに載るコンパイラーが無償提供されています。ひとつはSolarisというUNIX系のOSでもう一つはオープンソースのLINUXです。サンマイクロシステムズが開発して提供(2007年)していましたが、同社がOracle社に買収されて、現在はそこから無償提供されています。C++のコンパイラーもついているようですから、ありがたいですね。97年ころにBorland社のC++コンパイラーが5万円ほどしていましたから、無償提供はありがたい。LINUXをインストールしたマシンを用意すれば使えます。Windows版があるとだれでも使えるのですが、ないかな?
 探したらありました。「Visual Studio 2017 Community」というWindows10用のコンパイラーが無償提供されています。いい時代になりましたね。

*https://www.softantenna.com/wp/tips/visual-studio-2017-install/

 マイクロソフト社の[visual studio] 無償ダウンロード用公式サイトです。もちろんテキストエディタもついています。
*https://visualstudio.microsoft.com/ja/

** C++の演算子一覧表
https://ja.wikipedia.org/wiki/CとC%2B%2Bの演算子







高校生からわかる複素解析

高校生からわかる複素解析

  • 作者: 涌井 良幸
  • 出版社/メーカー: ベレ出版
  • 発売日: 2018/09/12
  • メディア: 単行本
道具としての複素関数

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#3896 「50!はゼロがいくつつくのか?」 Jan. 8, 2018 [52-2 生徒の質問]

<最終更新情報>
1/10朝 問題を3個追加 100!、150!、200!の3個です。そして「拡張(個別)」と「一般化(=抽象化)」

 標記の数1の問題について生徒から質問があった。受験間際の看護学校志望の生徒であるが、解答を見てもよくわからなかったという。解答を見たが5の倍数が2の倍数よりも多いこと、5の倍数は10個、「50÷5^2=2」で合計12個という風な簡便な説明があっただけ。なるほどこれではわかる生徒はほとんどいないだろうと思った。実際の解説に脚色しつつ説明してみたい。
 10×10=100
 10×10×10=1000
 10^n=1のあとに0がn個並ぶ

 ここまではだれでもわかっている。
 次は50!である。
 50!=1×2×3×4×…×49×50

 これも数学が赤点でない限り知っている、この生徒は数学の点数が上位だからもちろん知っている。もう一つ数字を並べてみよう。50!には次の数字が含まれている。
① 10×20×30×40×50=1×2×3×4×5×10^5
 となるから、ゼロが5個つくのは自明だ。

ここからがちょっとジャンプしなければならない箇所だ。2の倍数と5の倍数を因数に含む数字も10の倍数となる。
②2×5=10
 4×15=60
 6×25=150
 8×35=280
 12×45=540
 これらを全部かけたらゼロは5個。

 他にはないだろうか?一度使った数字は使えないという制約がある。5の倍数で使ったものをチェックしてみる。
 5, 10, 15, 20, 25, 30, 35, 40, 45, 50
  全部使いきっている。他に5を約数に含む数はない。

 答えは12個だったはず、何を落としているだろう?

 念のために、1~50までの数字を並べてみる。
1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9, 10, 11, 12, 13 , 14, 15, 16, 17, 18, 19, 20 ,21, 22, 23, 24, 25, 26, 27, 28, 29, 30, 31, 32, 33, 34, 35, 36, 37, 38, 39, 40, 41, 42, 43, 44, 45, 46, 47, 48, 49, 50

  10の倍数を青色、10の倍数以外の5の倍数を緑色、②で使った偶数を赤色で表字してみよう。

1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9, 10,
11, 12, 13, 14, 15, 16, 17, 18, 19, 20
21, 22, 23, 24, 25, 26, 27, 28, 29, 30 
31, 32, 33, 34, 35, 36, 37, 38, 39, 40
41, 42, 43, 44, 45, 46, 47, 48, 49, 50


 これら太字&青・緑・赤で表示した数字以外で、積が10の倍数になる数があるだろうか、なさそうだね。
  いやあった、25は5^2だから二つに分解できる。50も2×5^2と変形できるから要注意だ。25と50に●をつけてみる。
2×5=10
 4×15=60
 ●6×5=150
 ●8×5=40

 12×35=420
 14×45=630
 ●16×5=80
 ●(5×2)=10


 色のついていない数字を掛け合わせても末尾が0になる組み合わせは一つもないから、50!を計算したら連続してならぶゼロは「10+4-2=12個」ということ。問題集の解答はあっていた。


  手持ちの科学技術計算用計算機HP-35sには階乗のファンクション・キーがあるので計算してみます。
 50!=3.0141409320×10^64
 65桁の数字、ずいぶん大きいな、65桁の末尾12桁がゼロということ。この計算機の計算精度は12桁である。桁が12桁を超えると科学表記モードに切り替わり、整数部が1ケタ小数部が11桁、指数部3桁の表示形式になる。指数部が(10^)999を超えるとオーバーフローを起こしエラー表示となる。科学標記モードは化学の計算に便利である。整数部が一桁、あとは指定された桁数での小数部の表示と10の累乗で計算結果を返してくれる。工学表記では指数部が3桁単位で切り替わるから、(g, kg, t)(mm, m, km)(ml, l, kl)などの計算に便利。たった1万円で買える、数学の好きな高校生は正月の小遣いで買ったらいかが?いい道具をもつことは学習効率とスキルを上げることにつながる。

 さて、整理しておこう。
 5!は1~50までの連続数の積だから、ゼロが何個つくのかという問題は、①10の倍数と②10の倍数ではない5の倍数と偶数のセットで10の倍数になるものを抜き出せばいいという風に置き換えられる。注意しなければならないのは25(5^2)と50(2×5^2)の二つの数字の処理である。
 ②と③は偶数の小さい方から順にピックアップしていったが、昇順ではなくて降順(大きい方からとる、たとえば、48,46,44、…)でもいいし、14からとってもいい。ランダムに抜くのはやめたほうがいいことはわかるね。整理整頓がだいじなことは社会人になったらうるさいほど言われる。「5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾 の頭の文字をとったもの)」という奴だ、いまから慣れておこう。(笑)

 遊んでみましょう。数学の好きな生徒ならここからさらに一歩踏み込むはず。みなさんもお付き合いください。
 「100!にはゼロが何個つくでしょう?」
 「150!にはゼロが何個つくでしょう?」
 「200!にはゼロが何個つくでしょう?」

 これが「拡張」です。そしてそれらを高いところから眺めることで、「一般化」できます。さあ、チャレンジしてください。こういう操作を繰り返すことが思考力を育てます。「個別具体⇒一般化&抽象化」という思考様式、機能的推論を育てるのです。授業を通じて「思考様式」をそして「勉強=遊び」であることを伝えたい。
 
 個別指導だから同じ授業時間帯(クラス)には中2や中3そして高1もいる。同じ学年でも自分の課題に合わせて使う問題集を自分で選ぶから、質問が出るのは看護学校を受験する生徒だけではない。次々に質問を裁かなければならないことがある。センター試験目前の高3の生徒からは河合塾の講習でやった問題の質問が二つあった。いままでやった問題集の総復習をしているのだろう。2次関数に関する問題だが、大問に問1、問2、問3とあるとすると問3の問題。最初から見て条件を抜き出していかないといけないので、問3は解説に時間がかかります。(笑) xの定義域が「a<x<a+3」となっていたのと、二次関数の式に定数としてaとkが含まれてました。問題文を全部覚えていたらいいのですが…細部は忘れました。
 もう一つは、質問のあった問題文を読みながら条件を抜き出して黒板に書いて行ったら、生徒が「その条件見落としていました、やってみます」、そして5分もしないうちに「できました!」。余計な解説は邪魔なだけ、成績上位層の生徒への解説は必要最小限でいい。もっとも、同じクラスで5-7人の同時個別指導では学力の高い生徒に余計な解説をしている暇はありません。生徒が「わかった!できそう!」というところでやめることになる、あとは独力でやったらいい。学力の低い生徒にはわかりやすく丁寧な解説が必要です。だから、学力の高い生徒の数倍手間をかけます、ここで手を抜いてはいけません、それが仕事ですから。

<勉強しよう!>
 よく生徒に言いますが、塾長も一緒。複素数の世界の全貌が知りたくて、リビングに机を一つ増やしてL字形に配置しました。一つはパソコンが置いてあります、もうひとつの机の上には複素解析の本が開いておいてあります。暇を見つけてちょこちょこやれます。そういうわけで1月3日から複素解析を勉強中、定理と例題をもれなくトレースしてます。ノートと鉛筆でせっせとやらないと数学はわかりません。このあたりは生徒の皆さんと一緒です。ブログの更新は3か月間ほど頻度が落ちるでしょう、いやすでに落ちてますね、悪しからず。
 オイラーの公式「e^iΘ=cosΘ+isinΘ」、どうしてこんな等式を考えついたのかわかりませんね。Θをπに置き換えると、「e^iπ=1」これを変形すると「e^iπ-1=0」、自然対数の底(ネイピア数)であるeと円周率のπと数字の基本の1とゼロがみごとに一つの等式に組み込まれています。こんなに美しい等式は他にはありません。
 そしてオイラーの公式は、実関数では単調増加関数にすぎない指数関数が、複素関数上では周期関数である三角関数に置き換えできるということを意味しています。つまり、実関数では単調増加関数であったはずの指数関数が複素関数では周期関数に化けてしまう、違う世界に迷い込んだ感じがします、眩暈(めまい)が…
 実関数でそれぞれマクローリン展開してcosΘとsinΘを無限級数に置きなおすと、シンプルに証明できます。いま不思議な世界をのぞいていますが、科学技術計算用のHP-35sがとっても役に立ってます。HP社のこの手の計算機は1978年から4台使用していますが、このためだったようです。(笑)
<本を読もう!>
 試験勉強だけではいけませんよ((笑))、たくさん本を読んだらいい。受験に忙しいから本を読む時間がないなんて言い訳しないようにしましょう。男子は自分の好奇心の応ずるままに読み漁る傾向があり、女子は誰かが読んでいるから読むという傾向があるそうですが、わたしは小学4年生の時から北海道新聞のコラム卓上四季と社説を辞書を引きながら読み始めました。母親がススメてくれました、ありがたいことでした。3か月もしたら使われる語彙に慣れますから辞書を引かずとも読めるようになります、それが語彙力や読解力の成長というものでしょう。毎日読むから、政治や経済に興味が湧いたのは自然なことでした。読解力や語彙力の成長は胃袋が大きくなるようなものです。インプットの質と量の向上を要求します。中学校ではSF小説を読み漁り、高校では公認会計士二次試験講座の簿記論・会計学・原価計算論・商法・監査論・経済学・経営学7科目の受験参考書を読みました。パールバックの『大地』も中3の時に読みました。根室高校商業科は定員の2倍でしたが受験勉強の必要はありませんでしたから、気の向くままに本が読めました。読むことが習慣になっていたといった方が正確かもしれません。読むもののレベルを上げていくのが心地よかった。高校2年生の時に原価計算論と経済学にとくに強い興味が生まれ、近代経済学から始めてマルクス『資本論』やヘーゲル哲学まで手を広げました。最初のうちは2~3割分かれば十分、高校生でも読み進むうちに専門用語に慣れ、理解が進むので半分以上はわかるようになってきます。だから、思いっきり背伸びしたらいいのです。そうすると、あら不思議、ほんとうにニョキニョキと背が伸びてきます。語彙拡張や精神の成長には「旬」があります、思春期に濫読しておきましょう。(笑)
 小学生、中学生、高校生の時期に背伸びして大量の本を読むことは、ときにその人の人生を大きく変える力をもちます。昨年読んだ本を紹介します、『できる子に育つ 魔法の読み聞かせ』(シム・トレリース著 鈴木徹訳)、ぜひお読みください。

*5S活動
http://www.kconsulting.jp/leteer/100801_what_is5s.html
 釧路の明光義塾は市内に3教室あるが、5Sが徹底している。とくに清掃だ。塾の周りも教室内も見事なものです。経営者とそれぞれの教室長が一生懸命です。
 ニムオロ塾は乱雑、本がどこに入れてあるのかわからなくなることあり。経済学、会計学、システム開発、構造言語学、医学など様々な分野の専門書を中心に4000冊あると行方不明がときどきあります。そんなわたしでも家の前の雪かきだけはせっせとしてます、これだけは自慢。(笑)

<HP35s> いい計算機を使おう!
*HP社の科学技術用計算機は元々マイクロ波計測器の機器制御やデータ加工用に開発されたもの。それをハンドヘルドにしたのが科学技術計算用の計算機だから、キーや仕組みにその名残がある。電卓に関数機能を付加した日本の「関数電卓」とはまったく設計思想が異なるということ。HP社の科学技術計算用計算機は理化学機器の制御やデータ処理用に開発された小型コンピュータをハンドヘルドに凝縮したもの。1970年代後半の製品には汎用インターフェイスバスがあった。パソコンにエンター・キーがあるようにHP社の計算機には大きめのエンターキーがついている。スタックが4段あるのは科学技術計算に使われる大型コンピュータの機能そのもの。RPNモードはスタックを駆使してなされるのでなれたらとっても使い勝手がよい。四段あるスタックx、y、z、tにそれぞれどの数字が入っているのかすぐにわかるようになる。xレジスターとyレジスターへデータを入力(エンターキーを押す)して二つのレジスター間でそのあとに押される演算子キーに応じた計算が行われる。四則演算子のほかに数十個の関数演算子がある。
 買うなら日本語マニュアルのついているものがおススメ。わたしの購入したものには英文マニュアルと日本語マニュアルの本が付属していました。11000円ほどです。アマゾンで8000円台のものがありますが、本になったマニュアルがついていません。PDF版で画面で見るのは使い勝手が悪いでしょう。こういう使い勝手にかかわるところはお金をケチらない、たった3000円の差ですから。
 それから、HP-35sはRPNモードとALGモード(代数記法:お馴染みの代数式がそのまま使えます)の二つあります。わたしは40年間RPNモードに慣れ親しんできたのでそちらの方がいいですが、慣れていない人はALGモードに切り替えて使えばいい。
 いい道具は学習作業効率を上げると同時にスキルアップを促します。(笑)

*RPN:Reverse Polish Notation
https://kotobank.jp/word/逆ポーランド記法-2692

<HP-35s使い方解説サイト>
https://www.bing.com/videos/search?q=hp-35s&view=detail&mid=226EC40DF498FCCA0F96226EC40DF498FCCA0F96&FORM=VIRE


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① 昨年9月に出たばかりの本です。釧路のイオンに熊沢書店がありますが、数冊しかない数学専門書コーナーにありました。奇跡ですね。
 この本の90頁の「w平面」の図が間違っています。2π/9と8π/9の位置が違います。それぞれ40度と160度ですから右側のほうが高い位置になければいけませんが逆になっています。

高校生からわかる複素解析

高校生からわかる複素解析

  • 作者: 涌井 良幸
  • 出版社/メーカー: ベレ出版
  • 発売日: 2018/09/12
  • メディア: 単行本

② こちらは一昨年11月に出た本です。例題と解説が多いので助かります。①の本とは章立てがまったく異なります。こういう性格の異なる本が初学者にはありがたい。指数関数の実関数でのグラフとZ平面そしてw平面での動きはこの本の解説のほうが優れています。だれにでも理解できるように書いてあります。オイラーの公式の説明のところで触れています。170-172頁をご覧ください。
道具としての複素関数

道具としての複素関数

  • 作者: 涌井 貞美
  • 出版社/メーカー: 日本実業出版社
  • 発売日: 2017/11/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

③ こちらは参考程度にながめてます。
なっとくする複素関数 (なっとくシリーズ)

なっとくする複素関数 (なっとくシリーズ)

  • 作者: 小野寺 嘉孝
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2000/04/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

できる子に育つ 魔法の読みきかせ (単行本)

できる子に育つ 魔法の読みきかせ (単行本)

  • 作者: ジム トレリース
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2018/03/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

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#3895 新年会:高校時代の同級生「9人会」 Jan. 3, 2018 [36. 健康]

 門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし…一休宗純

  昨日、恒例の新年会があった。近くに住むNさんの家でもう30年以上続いている。高校同級生のほかに、中学時代の同期で親しい人もいる。狭い根室のことだから、いろんなところで人間関係が接点をもっている。

 5年前にメラノーマ(悪性黒色腫)を患い手術したYが肺に小さな癌ができて内視鏡で摘出、話題のオプジーボで治療中。本人はいたって元気のようだったが、内心穏やかではないだろう。Aと話をしていたがいつもならやんわり受け止められる議論ができなくなっていた。横でしていた議論が時折耳に入ってきたが最後まで平行線だった。なんにもできぬ、そうした姿を見守っているだけの無力な自分がいる。
 肺機能の異常がでている者が二人、わたしの両側に座っていた。一人は煙草を吸ったことがない、もう一人はヘビースモーカだったが数か月前にタバコをやめた。呼吸するときにヒュウ―ヒュウー音がしたのだそうだ、そりゃあ慌てるわな。他にも悪いところがあり昨年2か所にメスを入れたと言っていた。胸と下腹部の辺りを手のひらでさっと撫でて示した。向かい側に座っていたEが「おれは胸膜に水が溜まって抜いた」と言った。タバコを吸うのは三人から一人になった。
 数人が帰った後で、いつになくはしゃいでいたAがじつは多発性骨髄腫を告白。まだ症状が出ていないが、数年後には発症すると医者に言われたそうだ。英語名はマルチプル・ミエローマ、造血幹細胞の機能異常が現れる。奇数の番号の染色体に異常が出るのも特徴だ。ようするに遺伝子レベルで異常がたくさん出てきて造血機能に異常をきたす始末に負えぬ悪性癌である。もちろん本人は調べてよく知っていた。癌患者の1%しか存在しない稀な癌、老齢になるとともに増える癌だ。歳をとるということは傷のある遺伝子が増えるということ、そういう意味では老人は誰もが癌の予備軍だ。この数年間は自分で車を運転して子どもと孫のいる東京や関西へよくでかけていた。九州も四国も旅は自分で車を運転してまわっている。タフな奴だ。今年と来年は無事に運転できるだろう。発症したら疲れがどっとでてしまうから長距離運転ができなくなる。車を運転して全国旅をしたほうがいいとわたしにも勧めてくれた。
 九州の旅を勧めてくれるのはありがたいが、胃の全摘、胆嚢切除、リンパ節切除、癌が浸潤していた横行結腸一部切除。わたしには車の運転は80㎞が限界、外食もままならぬ、時すでに遅し。年に一度東京へ行っても電車に乗るのは羽田空港へ行くときだけ。住まいの周辺を移動するだけというしだい(笑)
 話を聞いていると、それぞれの友が、自分の性格に応じたやりたいことをやっているのがよくわかる。

 それにしてもどうしたことだろう、70歳を境目に、みんなの身体が一斉に壊れつつある、何もなかったのは二人だけ。わたしは57歳の時にスキルス胃癌と巨大胃癌の併発で入院・手術をしてもらったが、どの病室も70歳前後の患者が多かった。義父は70歳、オヤジは72歳でどちらも大腸癌で逝った。70歳前後のみなさん、身体に異常を感じたら診察を受けよう。母校で哲学の教授をしている同期のIさん、どうしてるかな、昨秋葉書をもらってからちょっと気にかかっている。
 癌細胞が体の中で増殖し始めたら、生命エネルギーをもって行かれるから、とっても疲れやすくなる。それが最初のシグナルだからご用心。ふだんから自分の身体の声を聞くようにしていたら「ヤバイ」という体の発する声が聞こえてくるよ。ヨーガや座禅瞑想をしていたらわかる。
 癌仲間が増えるのはありがたくない。Yが五年前に「トシ、おれも同じになった」と言ったときの表情を思い出した。なってほしくなかった。スキルス胃癌と巨大胃癌の併発、そして広がっていき、リンパ節に転移、横行結腸へ浸潤していた、そんなわたしでも12年たって生きている。いや生かされたと言うべきだろう。死はいつ訪れるかわからぬ、くよくよせずにいまを精いっぱい生き、ただ生を謳歌する。再び病を得て自分で食事ができなくなったら、そのまま枯れるように死んでいくつもりだ。12年前に一度死を覚悟したので、死を当たり前のこととして受け入れる心ができた。ありがたい。
 12年前に、入院先の釧路医師会病院までYoがわざわざ見舞いにやってきた。中学時代からの大事な友、これが最後かもしれぬ、長い付き合いだったと思ったら、あいつが帰った後でほろりと涙がこぼれた。平然と死ぬ覚悟はできても情は別なのだよ。

 新年会メンバーはあと3人を残して70歳になった、3月末までに残りの3人が70歳を迎える。ピンピンコロリと逝きたいものだ、それがみなさん共通の願い。

 風力発電はほんとうにエコかなんて尖がった話を隣でしている、そしてこちらでは根室の水産業の現状と未来、改革の方途、そして公共交通機関維持について和気藹藹の議論あり。
 花咲線はいずれなくなる、道内から在来線が徐々になくなり、新幹線も赤字だからいずれ道内の鉄道網が消滅する。新幹線だけJR東日本に買収されるのではという意見もあった。JR東日本にとって函館―札幌間の新幹線網は東北新幹線の顧客を増やす手段としても必要性が高いので、そうかもしれない。
 根室はバスだって利用者が少ないから危ない、数名が運転免許証を返上した後の生活を心配していた。

 10年後、20年後を考えて街をいま創り変えなければ自分たちが困る、知恵を絞り、動かなければにっちもさっちもいかない近未来のなかで暮らすことになる。どういう未来を設計してつくりかえるのか、まったなしで団塊世代が試されている。

<余談>
 元旦、二日と続けて車庫前で半径1.6mの円がふたつの8の字コースをマウンテンバイクで60周、平均時速3.6㎞、分速に換算すると60m/分。歩く速さで8の字をトレース。時々2-3秒くらい静止できるようになればうれしい。
  
 有漏路より無漏路へ帰る一休み 雨降らばふれ風吹かば吹け

*多発性骨髄腫
https://ganjoho.jp/public/cancer/MM/index.html


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