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#3901 市倉宏佑著『特攻の記録 縁路面に座って』:市倉宏祐先生 Jan. 22, 2019 [1. 特攻の記録 縁路面に座って]

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 昨年夏に専修大学文学部哲学科の教授だった市倉宏祐先生(2012年逝去)の標記の本が出版された。遺稿の編集委員会代表である同期の伊吹克己教授(専修大学文学部哲学科)から、弊ブログ投稿欄を通じて出版記念会開催の案内をいただいた。わたしは15年前にスキルス胃癌と巨大胃癌の併発で胃の全摘、リンパ節切除、胆嚢切除、癌が浸潤していた大腸一部切除の手術を受け水分補給がままならない、夏場の東京行は命にかかわるので、出席できなかった。
 数日前に、伊吹さんから本が送られてきた。

 1968年から数年間学部を超えた学際的な一般教養ゼミがあった。市倉先生の一般教養ゼミのテクストはマルクス『資本論』、それを全巻読み終えると、次に選ばれたのは『経済学批判要綱』であった。レベルが高くて経済学部のゼミでもこの本はなかなか取り上げることはできない、資本論を全巻読み通した後でないとチャレンジできない代物。指導教授は哲学プロパーで経済学が本職ではない、だからこそ学部のゼミで「読めた」と思う。マルクス経済学諸学派の先入見がなかったから、まっさらな心で読むことができたのだろう。
 経済学部には経済学を教える先生による経済学のゼミがあったし、文学部の学生には『資本論』や『経済学批判要綱』は荷が重すぎるから、ゼミメンバーは商学部の学生が多かった。わたしもそういう中の一人、商学部会計学科の学生だった。哲学の教授が経済学の古典をテクストに取り上げてゼミをやるなんていうのは後にも先にも、日本中を探してもこの数年間、専修大学しかなかっただろう、千載一遇の幸運に恵まれたことがいまだからわかる。
 編集委員会代表の伊吹教授は当時文学部の本ゼミ(哲学)のゼミ生だった。一度だけ数名で本ゼミのほうへ出席させてもらった、正直言ってきつかった。サルトルの『弁証法的理性批判』がテクストに使われていたのだが、それまでにサルトルの著作は読んだことがなかったので使われている用語になじみがなかった。ヘーゲルなら高校時代から読みなれていたし許万元の解説書『ヘーゲルにおける現実性と概念的把握の論理』を読んでいたので議論に参加できただろう。興味があったので代ゼミへ通っているときに通読した。
(あのころから『エコノミスト』を毎週、『思想』『現代思想』『情況』などの月刊雑誌を読み漁っていた。忙しかった。(笑) 知的好奇心が旺盛でとめられなかった。当時の金額で毎月1万円以上本を買い込んでいた。大卒の初任給がまだ3万600円の時代に毎月4万円仕送りしてくれた両親そして家業のビリヤード店と居酒屋「酒悦」のお客様たちに感謝。「酒悦」は最後の十数年は焼き肉専門店であった。オヤジのコネクションで肉の特別な仕入れルートがあったのでおそらく根室では過去一番流行った焼き肉店。オヤジは仕入れルートが消えると、仕入れ先をいくつか模索したが、同じレベルの肉を仕入れることができないと言ってさっさと閉店した。見切りのいい男だったな。)

 本ゼミのほうから一般教養ゼミへは伊吹さんだけが参加した、かれも似たような思いをしたのではないか。顔を合わせたのは2度だけだが、わたしはいまでもそのときの彼の相貌をはっきり覚えている。
 市倉先生はあの当時、本ゼミではサルトルの著作を次々に取り上げておられた。つまり一般教養ゼミと2本立てだった。一方でヘーゲル研究書の翻訳をされていた。あるとき先生があくびをかみ殺しているのを見て、「眠そうですね?」というと、翻訳作業をしていて気がついたら明るくなっていたのでほとんど寝ていないと笑って答えられた。イポリット『ヘーゲル精神現象学の生成と構造(上・下2巻)』(岩波書店刊)の翻訳作業をしていたのである。友人の哲学者の遠藤利國によれば、早稲田大学大学院哲学研究科の樫山ゼミでは市倉先生のこの2冊の翻訳書をテクストにしていたという。先生はわたしたちと『資本論』『経済学批判要綱』と大部のマルクスの著作を丹念に読み込んだので、ヘーゲル弁証法の方法論的限界を感じたのではないかと思う。『資本論』ではヘーゲル弁証法が先へ行くにしたがって破綻してしまう。つまるところ、体系の端緒に、数学的に言えば体系の公理選択に問題がある。夏の合宿で先生と『資本論』の体系構成について議論したことがあったが、あのときはうまい表現がみつからなかった。先生は『資本論』全巻と『経済学批判要綱』を読み進むうちにヘーゲル弁証法の方法論的限界を感じて、関心がヘーゲルから経済学との学際的な分野に移ったのではないか。これはわたしの勝手な推論だが、その後の仕事が推測の正しさを証明しているように思える。
 わたしたちが卒業した後、哲学と経済学のハイブリッドであるドゥルーズとガタリの共著『アンチ・オイディプス』を翻訳された。あれは哲学と精神分析学と経済学のハイブリッドの本である。すくなくとも経済学と哲学の両方に足場を築かないとできない学際的な仕事だが、そこを評価されたのだろう、あの翻訳で先生は毎日出版文化賞を受賞している。数年間、学生たちと『資本論』と『経済学批判要綱』を読んだことが多少は影響したのではないかと推測する。
 1982年ころに戸塚先輩(元青森大学経営学部長)に誘われて生田のお家を訪問した。その折にはプロローグというフランス製のプログラミング言語で暇つぶしにパソコンをいじっておられた。わたしも科学技術計算用の計算機やオフコン、そして汎用小型機用のプログラミング言語を三つを習得し仕事で使っていたので、驚いた。先生と似たようなことをしていたことがわかりうれしくなった。同時に還暦近くになってもまったく新しい分野を歩くことができることを教えていただいた気がした。市倉先生はその後研究の中心をパスカルに移す。パスカルは自然科学者であると同時に数学者であり哲学者でもある。いずれ「呪文の哲学」を書くつもりだと、1970年ころ仰っていたが、執筆が遠のいているなあと感じた。
 『特攻の記録 縁路面に座って」を読んで、ようやく心の整理がついたのだと晩年の心境の変化を感じる。理不尽さと後悔をため息とともに吐露された1970年ころの夏の合宿のときとは、心境の違いがはっきり現れている。その文章からは、特攻兵として出撃を待っていたことのある自分が書き残さなければならぬという強い決意が読み取れる。征った者たちから託されたことはこれ、それを果たすことが自分の義務、そうした思いが随所に読み取れる。

 市倉ゼミは毎年夏は大学の箱根寮や千葉白浜寮で合宿をしたが、その折に、戦争の話が出てオヤジが落下傘部隊の生き残りだと話したら、先生がゼロ戦のパイロットだったと話された。少年兵に操縦を教えたこともあったと聞いた。飛行パイロットになるくらいだから、優秀な若者が選ばれてきた、そして実戦経験もなく短期間の訓練飛行で次々に特攻兵として送り出されたと沈痛な表情で語った。
 ebisuの父は戦時宣伝映画「加藤隼戦闘隊」の撮影時に殿(しんがり)を務め、直前の兵士が一瞬ためらったので両腕で外に押し出しながら、重なるように飛び出し、その時に主導索に右腕をひっかけ複雑骨折、だらりとぶら下がって動かない利き腕、左手で落下傘を開いてなんとか地上へ転がった。訓練降下は地上で上官が監視している。青空に絹製の真っ白い落下傘が等間隔で並ぶが、ためらうと間隔が開いてしまう。あとで「降下気迫が足りない」と当事者は殴られるんだそうだ。殿はあとに誰もいないから、空っぽになった輸送機を振り返ると怖気づいて飛び出すのが遅れてしまうので、落下傘部隊員の中でも気迫の強い者が選ばれる。
 衝撃吸収のために回転しながら三点着地しなければならないが、利き腕がブランと垂れ下がったままではバランスがとれない、よく命があったと思ったそうだ。
 宮崎県の港から戦友たちを左腕で敬礼して見送った。部隊がどこに行くかは秘密だから、行く先は知らなかった。戦後、落下傘部隊の本を読み、命懸けの降下訓練に明け暮れた戦友たちが南方部隊の戦意高揚のために船で送られ飛ぶ飛行機もなく、戦死していったことを知った。オヤジは一度読んだきり、二度と読まなかった。命懸けの降下訓練を否定されたようなもの。戦友たちは「靖国で会おう」と言って船に乗ったそうだ。大腸癌の手術をしたあとに東京へ遊びに来た。そのときにお袋と二人だけで靖国神社へ参拝に行った。そして翌年、執刀外科医の予告通りに再発して亡くなった、平成5年9月12日、72歳だった。
 その2年後だったかな、市谷に勤務地が変わったので、昼休みに靖国神社へ参拝に行った。桜が満開を過ぎて散り始めていた。鳥居をくぐってすぐに、「靖国で会おう!」というオヤジの戦友たちの言葉が脳裏に浮かび、前に進めなくなり、しばし佇んだ。数呼吸して心が落ち着いたらまた脚が前に出た。

 市倉先生は1921年生まれだから和暦だと大正10年、オヤジも同じ年の生まれである。箱根の夏の合宿で特攻の話をお伺いしてから、いっそう市倉先生に親しみが湧いた。落下傘部隊は親兄弟にも所属部隊を漏らしてはならぬ、秘密部隊だった。古事記にある神話になぞらえて「空の神兵」と呼ばれた。

 特攻に関する本を何冊か読んだことがある。哲学者が書いたものはない。ゼロ戦のパイロットで元特攻兵として「特攻待機」の身でもあった市倉先生が70歳で専修大学を定年退職したあと、突然に、特攻の本を書き残したいと伊吹さんらに語った様子があとがきに書いてある。遺稿はA4判の「プリントアウトで400枚もあったという。それがB5判で233頁に圧縮された。たいへんな編集作業だ。
 ところで、この本は非売品だから、世間一般の人の目に触れる機会がほとんどない。国立国会図書館には収められているので検索はできる。いずれ読めるようになるだろう。

 一流の哲学者が、元特攻兵としてどのように記録を残すのか、本のタイトルに如実に現れている。「縁路面」の「路面」とは滑走路のことだろう。滑走路の縁(へり)に座って、特攻として散華した戦友たちのこと、そして往時の自分を眺めて思索する市倉先生の姿が瞼に浮かぶ。

 特攻がなんであったのか、哲学者がこのようにまとめて書いたものはないから、記録としても貴重である。

 広く読まれることを市倉先生が希望しているように思えてならないので、この本を読みそしてタイピングしながら、市倉先生の思索のあとを丹念にたどろうと思う。当代一流の哲学者の思索がどういうものであるか自然にお伝えすることができるはずだ。

 どうなるかわからないが、とにかく弊ブログで36頁まで引用してみようと思う。カテゴリーを本のタイトルにしてあるので、左側にあるカテゴリーの当該箇所をクリックしていただければ、このシリーズの記事が並ぶ予定である。百ページを超えるようなことになれば、専用のブログを立ち上げてそちらへ移したい。WORDファイルへタイピングしたものを、少しずつブログへ張り付けてアップして行こうと思う。
 なお、著作権の問題もあるので、37頁以降をアップする前に、編集委員会代表の伊吹克己教授と市倉先生のご家族の了解をいただくつもりである。
 わたくしの体力との兼ね合いもあるので、どこまでやれるかは約束できない。


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