#5015 斎藤幸平氏の大きな勘違いはなぜ生じたのか? Jul. 14, 2023 [96-2.人新世の『資本論』を読む]
重要な論点が二つ、『人新世の資本論』で取り上げられている。
①「ここで、真に重要な問題は、マルクスが進歩史観を捨てた結果、どのような認識にたどり着いたか、である。」『人新世の資本論』p.178
マルクスの進歩史観とはヘーゲルの歴史哲学、マルクス流にいうと唯物史観のこと。ヘーゲル弁証法を棄てたということになる。それが資本論第2巻を出せなかった理由でもある。
斎藤氏はドイツへ留学して、新メガ版のマルクスの遺稿を読んで指導を受けているが、さて、この問題の立て方は適切だろうか?
齊藤氏には「マルクスはなぜ進歩史観を捨てたのか」という問いがない。こんな重大なことを決定するのに、深刻な理由がなかろうはずがないとは考えなかったのか?
②「第一巻の発行から16年後にマルクスは帰らぬ人となる。先にも述べたように、その間、マルクスが取り組んでいたのはエコロジー研究と共同体研究だ。なぜ執筆を勧めず、マルクスはこの二つの研究に取り組んだのだろうか。上面的に見れば、さまざまな病気に苛まされたマルクスが『資本論』続編の執筆という辛い作業から、趣味の読書に「逃避」しようとしていたと勘繰りたくなる。」同書p.179
「資本論第二巻の執筆を進めず」と齊藤氏が書いているが、「進めず」ではなくて、「進められない事態が出来した」となぜ考えなかったのだろう?『資本論第一巻』の読み方や学の体系構成に関する考察に問題がありそうだ。斉藤氏が『資本論』を読んでいないはずがないから、『資本論』の学としての体系構成にはまるっきり関心のない人なのかもしれない、だから的を射る前に外してしまった。マルクスが方法論的に重大な変更をしているのに、その理由を考えずに、方法論の変更をした結果何が起きたのかを問題にしている。的は正面にあるのに、左側を向いて矢を放つに等しい。これでは資本論体系も共産主義も理解できようはずがない。これからその理由を具体的に述べる。
マルクスが資本論の続編の遺稿を大量に残しながら、第二巻を出版しなかったのは理由がある。ヘーゲル弁証法では資本の生産過程までしか展開できないことに、資本論第一巻を出版した後に気がついたからである。二項対立では体系が展開できないという方法的な破綻にマルクス自身が気がついてしまった。『資本論第二巻』の原稿を書き進めるうちに、『資本論第一巻』が方法的に間違いであったことに気がついてしまったのである。
方法的破綻は労働価値説も剰余価値説も否定することになった、だから、資本論第2巻の草稿原稿を残したが、『資本論第一巻』の方法論では体系的に整合性が取れた展開が無理となって、出版にはこぎつけられなかったのである。生産関係論で資本の生産過程を論じたあと、市場関係論に論を進めたところで、アダム・スミスやディビッド・リカードの労働価値説が間違いであることに気がついた。いまさら、間違いであったとはいえない。何しろ、『共産党宣言』も出版して、国際共産主義運動の教祖になっていたのだから、信者の手前、いまさら『資本論第一巻』が間違いでした、剰余価値理論は妄想でしたとは言えない立場にいた。だから、死ぬまで、『資本論第二巻』が出版できなかったのだ。まことに気の毒なほかないが、自分の蒔いた種は、自分で刈り取るべきだった。晩年のマルクスはほうっかむりを決め込んだ。それが、資本論第一巻出版後16年間の沈黙の理由である。
学の体系としては、ユークリッド『原論』が最初の演繹的な体系であったが、マルクスは数学が苦手であったために、読まなかったか、読んでもその方法的意味が理解できなかったのだろう。『数学手稿』を読むと、マルクスが微分概念を理解できなかったことがわかる。無限小が理解できなかった。あれはただの「学習ノート」だった。あんなものを出版してほしくはなかっただろう。マルクスの学位論文は、ギリシア自然哲学に関するものだった。それなのに、ユークリッド『原論』を読まなかったとしたら、数学アレルギーの可能性がある。
デカルトが『方法序説』で科学の方法「四つの規則」で、いままでの科学の方法をさまざま考察して、最後に残ったのは演繹的な体系構成しかないと、具体的に言及しているから、マルクスはデカルトの『方法序説』も読まなかったように見える。流行り病のヘーゲル病に罹っていたと言わざるを得ない。そしてその病が重篤であることに、資本論第一巻を出版した後に気がついたのだ。それは「死に至る病」だった。マルクスの大きな絶望を感じる。資本論を公理を選択して論理的な整合性がとれた演繹体系として書き直してみようと思えば、方法的な欠陥はすぐにわかることだ。
ヘーゲル弁証法が方法論として破綻しているなら、階級闘争史観も同時に破綻する。だから、晩年のマルクスは、研究方向を共産主義経済社会はいかにしてデザインができるかという風に転換せざるを得なかった。階級闘争史観が破綻すれば、その次の社会は自然に訪れるのではない、デザインの必要があるのだ。そこに気がついただけでも立派だ。マルクス経済学者は一人もそのことに気がついておらぬ。
生産過程関係では、価値と使用価値の対立構造で記述はできた。しかし、市場関係になるとそうはいかぬ。労働価値がいくらあっても、使用価値がなければ市場価値としては無価値である。概念としては労働価値よりも使用価値の方が根源的であることがここに示されることになる。
剰余価値学説や労働価値学説の破綻は、現代ではデジタル商品に典型的に現れている。電子的なコピーだけでいくらでも再生産できるが、労働は不要だ、あたりまえのこういう議論が、マルクス経済学者には見えないのである。マスクス自身が市場関係で資本の運動を記述しようとして気がついたことだ。経済学は演繹的に記述されるべきであり、そのもっとも根源的な概念は労働価値ではない、使用価値だということ。労働価値というのは幻想であり、利潤の源泉が不払労働たる剰余価値にあるというのも幻想である。市場を考えればすぐに了解できるだろう。生産性の劣った企業の商品は生産性の高い企業の製品よりもコストが高く、価格も高い。市場ではコスト割れした価格で売ることになる。労働価値での取引というのは幻想にすぎない。
経済学は経験科学であるから、現実に基礎をおいてそれを分析することで成り立つ学問である。共産主義社会というのは現実にはない社会だから、経験科学の対象ではないことは万人が了解できるだろう。それをマルクスはやろうとしたのだ。経済学の演繹的な体系展開に絶望したマルクスは、共産主義社会の展望をもっと具体的に記述する方法はないのだろうかと探したのだ。
共産主義社会はどうやったら実現できるのかというのは、経済社会のデザインの問題である。経験科学の対象ではない。
利潤を目的としない経済組織としては、当時は協同組合しかなかったので、マルクスはそこに注目した。アソシエーションはそうしたなかで探し当てた概念である。実に単純でイージーな構想だった。
マルクス没後140年たっても、協同組合は経済社会のごく小さな部分しか占めていない。その延長線上に共産主義社会がデザインできないことは、歴史的にも明らかである。
新しい経済社会のデザインは、企業経営そのもの、マネジメントである。マルクスのような書斎の学者には想像もつかぬ。一番適していない仕事と言い切っていいだろう。
日本には数百年前から、「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」というビジネス倫理がある。そして、わずか30年ほど前まで、一部上場企業の代表取締役でも年収は2000~3000万円がほとんどだった。それがいまでは10億円を超える企業がいくつもある。給与格差が極端に大きくなった。日本は伝統的なビジネス倫理を捨てて、欧米の自我本能の経営へと30年をかけて転換してしまった。
「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」という経営倫理で運営されている老舗企業が共産主義に一番近い。大数学者の岡潔先生風にいうと、自我本能を抑制し、平等性智が働くようにしなければならない。経営者も、社員も、非正規雇用も生活者としては、あるいは同じ企業で働くものとして、みな同じだという意識である。
新入社員と代表取締役の給与格差は1:10まで、内部留保は自然災害などに備えて、売上が3年間ゼロでも経営破綻しないほど積み上げて、配当は微々たるものにとどめる。
マネジメントをした経験のない経済学者に新しい経済社会がデザインできるはずもない。日本の伝統的なビジネス倫理でまずやってみることだ。
<余談:ハリウッドの俳優のストライキ>
CNNニュースによれば、ハリウッドでは16万人が加入する俳優組合がストライキに入ったようだ。テレビを見ていたら、なかなか立派な主張をしていた。
「経営者は数億ドルも手にしているのに、経営は苦しいと言って、人件費カットをしている。恥を知れ!」
最後のところはShame on them!と聞こえた。
*「#4938 新たな経済モデルの点描:マルクスを超えて」
「#4937 資本主義を乗り越える経済モデルとは」
「#4929 労組はいつまで春の賃上げ闘争なんてやっているのだろう?」
「#4660 数学と経済学の体系構成の方法」
「#3438 フェルマーの最終定理と経済学(2):不完全性定理と経済学」
「#3437 フェルマーの最終定理と経済学(1):純粋科学と経験科学」
「#3436 フェルマーの最終定理と経済学(序):数遊び」
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①「ここで、真に重要な問題は、マルクスが進歩史観を捨てた結果、どのような認識にたどり着いたか、である。」『人新世の資本論』p.178
マルクスの進歩史観とはヘーゲルの歴史哲学、マルクス流にいうと唯物史観のこと。ヘーゲル弁証法を棄てたということになる。それが資本論第2巻を出せなかった理由でもある。
斎藤氏はドイツへ留学して、新メガ版のマルクスの遺稿を読んで指導を受けているが、さて、この問題の立て方は適切だろうか?
齊藤氏には「マルクスはなぜ進歩史観を捨てたのか」という問いがない。こんな重大なことを決定するのに、深刻な理由がなかろうはずがないとは考えなかったのか?
②「第一巻の発行から16年後にマルクスは帰らぬ人となる。先にも述べたように、その間、マルクスが取り組んでいたのはエコロジー研究と共同体研究だ。なぜ執筆を勧めず、マルクスはこの二つの研究に取り組んだのだろうか。上面的に見れば、さまざまな病気に苛まされたマルクスが『資本論』続編の執筆という辛い作業から、趣味の読書に「逃避」しようとしていたと勘繰りたくなる。」同書p.179
「資本論第二巻の執筆を進めず」と齊藤氏が書いているが、「進めず」ではなくて、「進められない事態が出来した」となぜ考えなかったのだろう?『資本論第一巻』の読み方や学の体系構成に関する考察に問題がありそうだ。斉藤氏が『資本論』を読んでいないはずがないから、『資本論』の学としての体系構成にはまるっきり関心のない人なのかもしれない、だから的を射る前に外してしまった。マルクスが方法論的に重大な変更をしているのに、その理由を考えずに、方法論の変更をした結果何が起きたのかを問題にしている。的は正面にあるのに、左側を向いて矢を放つに等しい。これでは資本論体系も共産主義も理解できようはずがない。これからその理由を具体的に述べる。
マルクスが資本論の続編の遺稿を大量に残しながら、第二巻を出版しなかったのは理由がある。ヘーゲル弁証法では資本の生産過程までしか展開できないことに、資本論第一巻を出版した後に気がついたからである。二項対立では体系が展開できないという方法的な破綻にマルクス自身が気がついてしまった。『資本論第二巻』の原稿を書き進めるうちに、『資本論第一巻』が方法的に間違いであったことに気がついてしまったのである。
方法的破綻は労働価値説も剰余価値説も否定することになった、だから、資本論第2巻の草稿原稿を残したが、『資本論第一巻』の方法論では体系的に整合性が取れた展開が無理となって、出版にはこぎつけられなかったのである。生産関係論で資本の生産過程を論じたあと、市場関係論に論を進めたところで、アダム・スミスやディビッド・リカードの労働価値説が間違いであることに気がついた。いまさら、間違いであったとはいえない。何しろ、『共産党宣言』も出版して、国際共産主義運動の教祖になっていたのだから、信者の手前、いまさら『資本論第一巻』が間違いでした、剰余価値理論は妄想でしたとは言えない立場にいた。だから、死ぬまで、『資本論第二巻』が出版できなかったのだ。まことに気の毒なほかないが、自分の蒔いた種は、自分で刈り取るべきだった。晩年のマルクスはほうっかむりを決め込んだ。それが、資本論第一巻出版後16年間の沈黙の理由である。
学の体系としては、ユークリッド『原論』が最初の演繹的な体系であったが、マルクスは数学が苦手であったために、読まなかったか、読んでもその方法的意味が理解できなかったのだろう。『数学手稿』を読むと、マルクスが微分概念を理解できなかったことがわかる。無限小が理解できなかった。あれはただの「学習ノート」だった。あんなものを出版してほしくはなかっただろう。マルクスの学位論文は、ギリシア自然哲学に関するものだった。それなのに、ユークリッド『原論』を読まなかったとしたら、数学アレルギーの可能性がある。
デカルトが『方法序説』で科学の方法「四つの規則」で、いままでの科学の方法をさまざま考察して、最後に残ったのは演繹的な体系構成しかないと、具体的に言及しているから、マルクスはデカルトの『方法序説』も読まなかったように見える。流行り病のヘーゲル病に罹っていたと言わざるを得ない。そしてその病が重篤であることに、資本論第一巻を出版した後に気がついたのだ。それは「死に至る病」だった。マルクスの大きな絶望を感じる。資本論を公理を選択して論理的な整合性がとれた演繹体系として書き直してみようと思えば、方法的な欠陥はすぐにわかることだ。
ヘーゲル弁証法が方法論として破綻しているなら、階級闘争史観も同時に破綻する。だから、晩年のマルクスは、研究方向を共産主義経済社会はいかにしてデザインができるかという風に転換せざるを得なかった。階級闘争史観が破綻すれば、その次の社会は自然に訪れるのではない、デザインの必要があるのだ。そこに気がついただけでも立派だ。マルクス経済学者は一人もそのことに気がついておらぬ。
生産過程関係では、価値と使用価値の対立構造で記述はできた。しかし、市場関係になるとそうはいかぬ。労働価値がいくらあっても、使用価値がなければ市場価値としては無価値である。概念としては労働価値よりも使用価値の方が根源的であることがここに示されることになる。
剰余価値学説や労働価値学説の破綻は、現代ではデジタル商品に典型的に現れている。電子的なコピーだけでいくらでも再生産できるが、労働は不要だ、あたりまえのこういう議論が、マルクス経済学者には見えないのである。マスクス自身が市場関係で資本の運動を記述しようとして気がついたことだ。経済学は演繹的に記述されるべきであり、そのもっとも根源的な概念は労働価値ではない、使用価値だということ。労働価値というのは幻想であり、利潤の源泉が不払労働たる剰余価値にあるというのも幻想である。市場を考えればすぐに了解できるだろう。生産性の劣った企業の商品は生産性の高い企業の製品よりもコストが高く、価格も高い。市場ではコスト割れした価格で売ることになる。労働価値での取引というのは幻想にすぎない。
経済学は経験科学であるから、現実に基礎をおいてそれを分析することで成り立つ学問である。共産主義社会というのは現実にはない社会だから、経験科学の対象ではないことは万人が了解できるだろう。それをマルクスはやろうとしたのだ。経済学の演繹的な体系展開に絶望したマルクスは、共産主義社会の展望をもっと具体的に記述する方法はないのだろうかと探したのだ。
共産主義社会はどうやったら実現できるのかというのは、経済社会のデザインの問題である。経験科学の対象ではない。
利潤を目的としない経済組織としては、当時は協同組合しかなかったので、マルクスはそこに注目した。アソシエーションはそうしたなかで探し当てた概念である。実に単純でイージーな構想だった。
マルクス没後140年たっても、協同組合は経済社会のごく小さな部分しか占めていない。その延長線上に共産主義社会がデザインできないことは、歴史的にも明らかである。
新しい経済社会のデザインは、企業経営そのもの、マネジメントである。マルクスのような書斎の学者には想像もつかぬ。一番適していない仕事と言い切っていいだろう。
日本には数百年前から、「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」というビジネス倫理がある。そして、わずか30年ほど前まで、一部上場企業の代表取締役でも年収は2000~3000万円がほとんどだった。それがいまでは10億円を超える企業がいくつもある。給与格差が極端に大きくなった。日本は伝統的なビジネス倫理を捨てて、欧米の自我本能の経営へと30年をかけて転換してしまった。
「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」という経営倫理で運営されている老舗企業が共産主義に一番近い。大数学者の岡潔先生風にいうと、自我本能を抑制し、平等性智が働くようにしなければならない。経営者も、社員も、非正規雇用も生活者としては、あるいは同じ企業で働くものとして、みな同じだという意識である。
新入社員と代表取締役の給与格差は1:10まで、内部留保は自然災害などに備えて、売上が3年間ゼロでも経営破綻しないほど積み上げて、配当は微々たるものにとどめる。
マネジメントをした経験のない経済学者に新しい経済社会がデザインできるはずもない。日本の伝統的なビジネス倫理でまずやってみることだ。
<余談:ハリウッドの俳優のストライキ>
CNNニュースによれば、ハリウッドでは16万人が加入する俳優組合がストライキに入ったようだ。テレビを見ていたら、なかなか立派な主張をしていた。
「経営者は数億ドルも手にしているのに、経営は苦しいと言って、人件費カットをしている。恥を知れ!」
最後のところはShame on them!と聞こえた。
*「#4938 新たな経済モデルの点描:マルクスを超えて」
「#4937 資本主義を乗り越える経済モデルとは」
「#4929 労組はいつまで春の賃上げ闘争なんてやっているのだろう?」
「#4660 数学と経済学の体系構成の方法」
「#3438 フェルマーの最終定理と経済学(2):不完全性定理と経済学」
「#3437 フェルマーの最終定理と経済学(1):純粋科学と経験科学」
「#3436 フェルマーの最終定理と経済学(序):数遊び」
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2023-07-13 21:08
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