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#4938 新たな経済モデルの点描:マルクスを超えて Mar. 9、2023 [97. 21世紀の経済社会 理論と理念と展望]

(1)マルクスは工場労働者の労働を資本論の公理に措定しました。その淵源は奴隷労働です。だから、労働からの解放が人間の解放となることはモノの道理でした。奴隷が解放されて自由民となるのと一緒です。働く人のいない社会が究極の目標になります。だから、単純労働の機械化ばかりでなく、頭脳労働もコンピュータに任せて、生産の場から人間を追い出すことが理想となります。
 機械化やAIコントロールによる生産力増大が人間の生活を豊かにするものだとわたしたちは思っていましたが、地球は有限、SDGsなんてことを言い始めて、目論見が違ってきたことが明らかになりつつあります。
 職人仕事ベースの経済社会を想像してみてください。仕事は自己実現、自己表現でもありますから、仕事から疎外されたら、それは人間疎外そのものとなります。日本人は定年退職すると、なんとなく居心地が悪い。仕事は「苦役」ではないからです。ヨーロッパの「労働」概念と日本の「仕事」概念はまったく違っています

(2)利益の極大化と拡大再生産がマルクスが資本論で語る「資本家的生産様式」です。ですから、「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」の経営は利潤の極大化や拡大再生産が自己目的にはならないので「資本家的生産様式」ではありません。
 現状維持の規模でいい、あるいは人口減によって縮小再生産でもいいのです。人は仕事をすることでひたすら技術を磨き、昨日よりは今日、今日よりは明日、いい仕事をします。毎日その繰り返しです。週に3日働き、2日は畑仕事や魚釣りを楽しみ、育てたあるいは獲れた食材をいただきます
 そんな生活は、人口増大を前提にしたら永遠に手に入らないのです。人口縮小によってのみ可能な生活スタイルです。したがって、人口縮小は地球にとっても人類の生存にとっても善です。人口の拡大再生産もそろそろ終わりにしていいのです

(3)日本の建設機械メーカーのコマツが中国企業にモノの製造の仕方や工程改善の仕方、品質管理の仕方や経営の仕方を教えてあげたように、先進国は発展途上国にモノの製造の仕方を教えてあげたらいいのです。無償で発展途上国へどんどん技術移転してあげます。日本はそういうことのできる有力な国の一つです。21世紀の日本はそういう視点で自分の役割を定め、果たしていったらいい。
 生産拠点を集中化して生産コストを下げる必要はないのです。生産拠点を分散化すれば、それぞれの地域が独立して持続的に生存できます。偏在する天然資源は分かち合い、その消費は最低限に抑えたらいい。持続可能なエネルギー生産に関する技術も分かち合います。
 世界中で生産拠点の分散化が進めば、貿易量は縮小していきます。グローバリズムは自然に終焉します。GAFAMも小さな単位に分解されていきます。

(4)持続可能なエネルギーの生産に関する技術を分かち合うためには、現行の特許権制度が障害になるので、特許権の在り方も変わっていいのでしょう。
 先進国で薬が開発されても、お金のない発展途上国の国民が開発された効果の高い薬剤が使えないなんてことはなくしていい。それには特許権の在り方の見直しが必要です。「分かち合う」「憐憫の情をもつ」という考え方が、価値観として人類に普遍的に共有される世の中になってほしいと思います。


<結論>
 どのような経済社会モデルにも市場はありますし、競争もあります。企業がある限りそこで仕事する人たちがいて、経営という機能も普遍的に存在します。製品の機能や品質や堅牢性に応じた価格があっていい。そして仕事に見合った収入があるのが健全なのでしょう。
 有限な地球の資源を前提に、「足るを知る」ことで幸福な人類の未来が描けるということになりましょうか。
 それがエゴイズムに基づく欲望の拡大再生産に終止符を打つことを意味するなら、人類は精神的に新たな段階へ進化することになります。

<余談:無差別性智>
 これ(惻隠の情)を数学者の岡潔先生風に表現すると、動物本能である自他弁別智を抑止して、無差別智の光でものごとを観て判断するということ。無限の欲望の再生産である資本主義が終わりをつげ、経済がそうした智慧で運営されることになるのです。
 日本人が大切にしてきた「惻隠の情」というのは無差別性智の働きです。建設機械のコマツの社員の誰かが、中国企業の生産現場を見て、仕事しているのにいい加減に手を抜き、故障の多い製品を投げやりに作っている、かわいそうだなと思ったわけです。仕事は本来愉しいもの、いいものをつくったという喜びを伴なうもの、そうした喜びを知らないのは可愛そうだ、そう思ったから、数年かけてやり方を教えてあげたのです。そこにはコマツだとか日本企業とか中国企業とかそういう自他の弁別智が消えています。「われもかれも同じ」という無差別智が働いているのです。「労働=苦役」が「仕事=喜び」に変わります。それが「労働からの解放」の本当の意味です。日本の職人たちはすくなくとも飛鳥時代からはそうした仕事の仕方をしてきました。いまも日本の老舗企業の製造現場で息づいています。いい仕事には喜びがあるのを知っているから、職人は仕事の手を抜かないのです。
 
*「#5015『人新世の資本論』の著者である斎藤幸平氏の大きな勘違いはなぜ生じたのか?」


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