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#2745 ベネッセの顧客データ流出事件を考える July 22, 2014 [A.6 仕事]

 流出データ数が当初の数百万規模から増え続け2260万件に達した。ベネッセの方で流出件数の確定ができないようだ。つまり、防ぐこともそのあとの流出データの確認もままならないということ。

*朝日デジタルニュース
http://www.asahi.com/articles/ASG7Q0154G7PUTIL01Y.html
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ベネッセ流出2260万件に 新たに通販サイトからも
・・・この事件では、不正競争防止法違反容疑で逮捕された外部会社の元システムエンジニア(SE)松崎正臣容疑者(39)が、顧客情報を私有のスマートフォン(スマホ)に転送して取得したことが判明。ベネッセがこのスマホに6月17日と27日に保存されたデータを解析した結果、判明した。

 ベネッセHDはこれまで、26サービス計760万人分の流出を名簿業者から取得した情報から確認し、最大2070万件に及ぶと説明していた。
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 このSEは会社からデータ管理のためにベネッセの子会社に派遣されていた。テレビで住居情報が流れたが、狭いところに家族と住んでいた。借金があったという報道も流れている。

 一般的な話だが、企業の命ともいえる重要情報の管理に外部SEを使うのはじつにまずいと思う。ベネッセホールディングスとシステムを管理していたベネッセの子会社にも大きな給与格差があるだろうし、その子会社に派遣されていたSEがもらっていた給料はさらに格差があったに違いない。
 企業機密に関わる重要な仕事をしながら、給与格差の大きな子会社の社員やその親会社の社員と一緒に仕事をする。派遣されたSEの方が技術的には上というのはよくあるケースだが、給与は比較にならぬほど低い。これは大きなストレスであると同時に、データを保有している当該企業にとってはリスクである。
 データ管理という仕事は、さまざまなデータへのアクセスを付与されて成立する。その気になったらいつでもでーたのコピーの方法は見つかるものだ。
 わたしは1980年頃にプログラミングを覚えて、経理システムと納期管理・決済システムデータの管理を担当していたが、管轄外である給与データの管理が大丈夫か試したことがある。プログラムを組んでデータを画面にアウトプットすると、ファイルの中のレコードの長さやデータタイプがわかってしまう。あとは簡単だ。三菱電機のオフコンだったが、どんなにコンピュタの性能がよくなっても、データにアクセスする権限のあるものがデータをコピーしようと思ったら簡単にできる。内部でも不心得者がいればいつでも興味のあるデータを閲覧できるし、コピーもとれる。COOLというダイレクトアドレッシングのユニークな言語を使ったプログラミングは社内に他には誰もできる者がいないのでデータの安全性は確保されていた。給与プログラムが保存されている8インチフロッピーがなければわたしの他はだれも給与ファイルを閲覧できない。それは業務を担当していた役員が自分の机に鍵をかけて保管していた。社員数200名弱の会社だったから、コンピュータ関連業務に携わっている社員は5名ほどだったから安全管理は容易だった。社員数が1000名を超え、従業員総数が2000名を超えるような大企業ではそうはいかない。独立のシステム部門があって、国内最大の汎用大型機(84年当時)を運用していたから、業務に携わる社員も多かった。人数が増えればセキュリティのやり方も規模に応じたものに整理していかなければならない。それにしてもこの35年間のコンピュータとそのシステムの発展はすさまじい。問題を予測して対応していても予測外の問題が出る。ましてやセキュリティをあまり考えていないシステム部門責任者や経営者のいるところでは、あぶない。システム・セキュリティは人事や経営方針、システム部門の責任者の資質の問題、システム部門の役割認識などトップマネジメントにかかわる部分が少なくないからである。
 安全性を考慮したら、全国模試を実施している教育関連企業は、強力な管理者権限を付与せざるを得ない仕事を外部委託してはいけないのだろう。

 こういう仕事はリスク管理上ベネッセホールディングスの社員が担当すべきで、派遣社員も子会社社員も使ってはいけない。ベネッセはシステム部門を別会社化したのだろうが、教育産業で顧客情報の価値が高いからコアの部分は別会社化してはいけないのだろう。
 では内部に有能なものがおらず、外部の優秀な技術者が必要になったらどうするか。
 移籍についてその会社と交渉すればいい。その社員の年収の2年分くらいを払ってやれば移籍交渉はまとまるだろう。引抜を露骨にやるとその企業にダメージをあたえ恨みを買うから、それなりの金銭で話しをつければいい。 
 年収が1.5倍~2倍になるだろうから、移籍した人に忠誠心が生まれることが期待できる。生活がいい方へがらりと変わる。問題がないわけではない、長く勤務している他の社員とのバランスを考え、処遇がむずかしい。
 関係者はみんな得をする、あとは社内に不和が生まれないような処遇の仕方を工夫すればいい。

 強力な管理者権限を伴う仕事は本社にコアのシステム部隊を残しておくべきで、そこで処理できる体制をつくっておけというのがebisuの結論。実務の振り分けはなかなかむずかしいだろう。

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< 余談 >
 わたしがいた大手臨床検査会社は、会計情報システムの開発と管理は外部委託していた。自社のシステム部隊は業務系システム専用のメンテナンス部隊で、会計情報システム開発能力もメンテナンス能力もなかったからである。
 一人だけ先の見える課長が居た、Kさんという。三代のシステム部長とはそりが合わなかっただろう。三人ともシステム屋ではなかったからだ。職人の世界とはそういうものだ。Kさんはデファクトスタンダードとなった臨床検査項目コード作業で重要な役割を果たしてくれた。ebisuが入社2年目に企画書を描いて経営会議で創業社長のOKをもらった臨床診断支援システム開発(全国の主要大学病院および疾患別有力病院をネットワークでつなぎ、疾患ごとの診断手順をシステム化するもの。途中からNTTデータ通信事業本部と一緒に検討)を十余のサブプロジェクトに分けていたが、そのひとつに日本標準検査項目コードの開発と普及があった。臨床病理学界の臨床検査項目コード検討委員会を立ち上がったばかりの大手6社の臨床検査項目コード検討委員会と合流させた。産学協同の検査項目コード検討委員会にK課長がシステム部長の反対を押し切って臨床化学部長と一緒に参加してくれた。いま日本全国の病院の院内システムがその標準コードで動いている。コード管理事務局はいまでもわたしがいた会社が担っているだろう。
 この企画書を描いた時点(上場準備要員として転職2年目)の私の所属は経理部管理会計課だった。統合会計情報システムを8ヶ月で開発完了し、全社の予算編成および管理を統括し、固定資産管理実務フローの作成とシステムの作り直しをついでに担当していた。予算で作成した減価償却費が1億円も実績差異が出てしまうので、なんとかしないと上場要件を満たす予算精度がクリアできなかった。不思議な会社で、平社員前者予算管理の統括という大きな権限が与えられていた。85年当時で300億円ほどだった。東証Ⅱ部上場準備中で、やるべき仕事が満載だったから、やれる者なら誰でも使えという時代だった。上場準備で組織権限規程を整備してからはその規程に基いた運用がなされる。84年という実に面白い時期に中途入社したと思う。飛んで火に入る夏の虫のようなもの。

 1984年に開発した会計情報システムは経理(予算・決算)および支払業務システム、購買在庫システム、原価管理システム、販売および請求業務システムから構成される統合システムの一部だった。当時富士通最大規模の大型機を使用し、時代の先端システムだった。業界内で統合システムを開発できた会社はかなったし、日本全体で見ても少なかっただろう。
 一番の難所は各サブシステム間のインターフェイス仕様だった。これら四分野の業務に精通しているのはもちろん、深い専門知識が要求される。もちろんシステム開発に関する専門技術もかな備えていなければ、SEに外部設計仕様書を書いて渡すことなどできない。インターフェイスが決まらないと各サブシステムの開発がストップする。5つの開発チームの合同会議は暗礁に乗り上げていた。他の全チームからの依頼で、一番最後に上場準備要因として入社したebisuが担当することになった。経理・支払管理システムと他のシステムとのインターフェイス仕様書を1週間で書き上げてそれぞれの開発チームへ手渡しした。
 各システムについてebisuには前の会社で専門知識と経験があったのである。魔法でも使うように暗礁に乗り上げていた仕事を引き受けて次々に解決するので「悪魔くん」というあまりかんばしくない渾名がついたが、前の会社で何をやっていたか喋らなかったので知られていなかっただけのこと。最後の頃はまだ50歳前なのに合弁会社で「苗字+爺」と呼ばれていた。「○○じい」このニックネームはえらく気に入っていた。五人がこのあだなで親しみを込めて呼んでくれた。(笑)

 開発および運用委託先のNCDさんのSEたちとは個人的に年に数回お酒を飲んでお付き合いをしていた。担当SEが5名ほどいたが腕は業界トップレベルの職人、信頼できる人たちだった(危ないと判断したら、それなりの対応をとっていただろう)。
 わたしのいた臨床検査会社は圧倒的な品質を誇っていたので、顧客情報が流出しても買い手がない。なぜなら個別ユーザごとの取引単価を知っても役に立たないからで、他の検査センターに比べて取引単価が高いことは業界の常識だったからデータを盗む意味もなかった。
 受託している約3000項目の検査項目の内、2700項目は採算の合わない検査だった。しかしその2700項目の赤字項目を受託するおかげで残り300項目が全国の大学病院を中心に圧倒的に高い価格で取引してもらえた。主力300項目で売上の7割くらいを稼いでいた。
 ある検査会社の顧客取引情報が流れていたことは郡山の会社に出向したときに知っていた。顧客マスターには病院別・検査項目別の取引単価が載っているから、それより少し低く設定してそれぞれの病院と交渉したら売上を容易に増やすことができる、経営力の弱い会社の戦略としては有効だろう。しかし、どこかがそんなことをし始めたら、他の会社もやりだすから業界全体にとってタメにならない。臨床検査会社の経営者に良識があれば、顧客マスターが流出しても、流通しない(買い手は現れない)のである
 自社のSEでデータ管理をやっても処遇が悪ければ情報漏洩を完全に防ぐことはむずかしい
 最後は人だ、好い加減な人間を雇えばそれまで。その会社の社員一人一人が、処遇に満足し仕事に誇りをもっているかどうかが大切だ。
 ズルをしない、品質を守ることを最重要と考える経営方針を社員に周知徹底できるかどうかが問われる。精神論だけではダメで、処遇も技術レベルに応じていなければならぬ。好い加減な経営方針で好い加減な処遇をしたら、仕事に誇りをもてぬ社員がいたるところに存在してしまう。
 笑い話になるが、合弁会社の役員をしていたときには、本社社長へ重要な報告は社内e-mailを一切使わなかった。システム部にはe-mailの管理権限をもっている社員が何人もいた。面白半分に読む可能性があったからである。機密事項を知れば「内緒の話だけど・・・」と尾ひれがついて面白おかしく伝わる。トラブルを未然に防ぐ必要があった。別の会社に出向したときに本社取締役会資料ですらコピーが業界内に流出しているのを知っていた。だだ漏れするのはコンピュタデータだけではないのである。だから三つの課題に関しては定期的に報告文書を作成して専用封筒に入れて封緘して社内メール便で届けていたが、最重要な情報は本社社長に直接会って報告していた。課題の進捗状況は文書で毎月のようにしていた。判断を仰ぐ事項が発生しない限り、「業務進捗連絡」である。仕事の進捗にしたがって、親会社のそれぞれの関連部署との調整事項が発生する。ラボ担当役員を中心にスムーズに調整作業がなされた。
 三年間という期間をきって三つの課題を片付けるようにというのが合弁会社発足時の本社社長の指示だった。三年間三つという数字を見て、システム専門家ならこの指示の見事さがわかるだろう。この時点で課題は期限通りに達成されることが保証されたようなものだった。こういう面ではじつに勘のよい人だった。馬が合ったのである。
 創業社長のあとを継いで社長に就任したKさんは、元厚生省の医務技官、課長補佐の職から創業社長に誘われての転職だった。創業社長は小児科医だったがKさんも医者。弊ブログカテゴリー欄に「養老牛温泉夜話」というのがある。そこに7本ぶら下がっている。地域医療と教育について語り明かした。

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#2702 残業代をゼロにする"ホワイトカラーエグゼンプション"③:公務員は別扱い June 10, 2014   [A.6 仕事]

 民間企業だけという報道はほとんどなかったように思うが、公務員には適用しないという。大手都市銀行だって企画部門にこの制度の適用はやらないだろう。人材が集まらなくなる。

 おかしな話だ、こういうときは原理原則にもどって考えたらいい。公務員は除外、民間会社だけ適用する。民間会社の中には適用する会社とそうでない会社が混在する、ほんとうにおかしな話だ。
 法の下の平等なんて考えがハナからないらしい。ようするに特定分野の一般職の社員にだけ労働基準法36条の適用除外が合法化され、しかもそうするかしないかはそれぞれの会社が決める。さらにいうと、同じ会社の中で特定分野の職種にだけ成果主義を適用して残業代支払を合法化するというのである、こんな不平等はない。不平等だらけの経済社会だから、せめて法の適用だけは公平であってもらいたい。

 正規雇用を減らし非正規雇用割合を増やして人件費をカットして利益を増やしただけでは飽き足らず、さらに残業代のカットを合法化しようというのだ。無能で強欲な経営者層からの要求を呑み、日本を強欲な資本主義に変えようとする仕掛けである。
 日本国民はそういう強欲な資本主義経済社会への改変を望んでいるのか?そうではないだろう、もっと穏やかな欲望を自制した環境とも共存できる資本主義経済社会を望んでいるとebisuは思う。小欲知足、国内で生産したものを消費する、貿易は強い管理貿易(鎖国)に変えて、国内に雇用を確保する。そんなことが可能な国はいま世界に日本しかない。高い理想を掲げてやって見せるべきだ。

 わたしのいた国内最大手の臨床検査会社は成果主義による評価制度を90年代中ごろに導入したが、管理職がメインの評価制度だった。特定の一般職だけに限定して成果主義を適用して残業代を削ろうなんて発想はなかった。もちろん一般職といえども業績評価シートに計画として挙げている項目が期限どおりに達成できなければ賞与の評価に反映されるが残業代の支払は保障されている。管理職が管理職手当てがついているから、当然のことだ。
 ホワイトカラー・イグゼンプションに胡散臭さを感じたのは、特定の職種にだけ限定するということにあったようだ。管理職も役員も戦略目標にそって自部門の年度課題を設定して、それが達成できなければそれ相応の責任を負う(賞与や役員報酬の減額)がなければ、納得の行くものではない。
 会社全体が成果主義にもとづく評価制度を導入していることが前提条件だろう。

 この制度を導入する企業に特定の分野の能力に秀でた社員が集まるはずがない。一定期間はリスクの大きい新しい分野の仕事にチャレンジさせなければ人材は育たぬ。それが20代後半になってとつぜん残業代の出ないスタッフ部門へ異動になったら、家庭不和のもとにはなるし、本人自身の仕事への意欲が失われる。評価を気にして上司の顔色をうかがうようになる。
 経済界からの要望が強いからと、こういう好い加減な制度を導入したら、日本の競争力が低下してしまう。

 どうしてもやるというなら、法の下の平等を確保するために公務員からやればいい。そこで問題点を分析して改良版を練り上げ、3年後くらいに民間企業への適用をはじめるべきだ。
 こんな強欲な制度導入はやらないのが一番いいことを記しておく。
 この20年間で経営者の年収は2倍になったが、勤労者一人当たりの年収はほとんど増えていない。そういう中でさらに特定分野の一般職の所得を切り下げようというのである。こんなに独りよがりで身勝手な制度はない。安倍政権は経営者達に迎合するのもいい加減にしたらいい。
 正直で、誠実で、公平な制度を望みたい。こんな制度を導入したら、日本が滅ぶと自民党の中から反対論が出ていい。

 「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」



*#2699 残業代をゼロにする"ホワイトカラーエグゼンプション"① June 6, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-06-06

 #2701 残業代をゼロにする"ホワイトカラーエグゼンプション"② June 9, 2014  
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-06-08

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#2701 残業代をゼロにする"ホワイトカラーエグゼンプション"② June 9, 2014  [A.6 仕事]

 標記についての森永卓郎氏の論を紹介する、卓郎君の卓見だからなるほどなるほどと肯いてもらいたい。(6月6日NHKラジオ「ビジネス展望」、朝7時43分からの8分間ほどのテレフォンインタビュー番組)

 産業競争力会議が公表したこの制度の内容は次の三つにまとめられる。
①生産性を上げる
②弾力的な働き方を可能にする
③職種は特定の専門職に限定する

 一番目について生産性向上が必要なのは発展途上国であって、日本のように世界のトップレベルの生産性を誇る国が生産性向上を目標にするというのは経済発展段階を無視した議論であると森永氏はいう。
 二番目の論点については、労働時間の弾力的な運用はすでに裁量労働制で可能になっているので、あえてホワイトカラー・エグゼンプションを導入する理由がない。
 三番目の論点についてはまやかしであると断じている。労働者派遣法でも当初は同時通訳などの専門職に限定されていたし、製造業については絶対に適用しないとまで言っていたが、結果は1999年に禁止リストにない職種は原則自由(ネガティブリスト化)ということになり、2004年には聖域だったはずの製造業へ拡大された。だから、当初は限定された職種だという政府の説明は信用できない。

 残業については労働基準法36条に規定があるが、これは歯止めにならないと森永氏はいう。使用者側のほうが圧倒的に力が強いことを理由に挙げている。

 もうひとつ、成果の評価の問題にも触れている。成果によって報酬額を決めるのだが、成果についての公平な評価は不可能であると森永氏はいう。評価はボスが決めるのだが、ボスの好き嫌いで部下の報酬額が決まることになるので、次のような人間が社内に増えるというのだ。
a 上司への取り入り方のうまい者
b 同僚の脚の引っ張り方のうまい者
c 同僚の手柄を横取りする者
 成果主義による評価は結果としてこういう人材が社内に跋扈するようになるというのである。結果として仕事の質が落ちてしまう。
(普通の会社ならそうなるだろうが、わたしのいたある東証Ⅰ部上場企業は職種ごとに難易度を設定し具体的な年次目標設定をすることで成果主義に基く評価制度を実施していた。達成時期が不明とか「がんばります」というような評価不能な抽象的あるいは精神的な目標設定は拒否される。管理職は戦略目標実現のために、いついつまでに何をどのようにやり、どのような効果が期待できるのかを具体的に記述しなければならない。こうした成果主義の評価制度を導入するには、評価制度の運用についてのトレーニングが必要になる。評価結果については社内のネットワークで評価項目と共にオープンすることで公平性を担保することも可能だ。評価について部門を越えた"speak out"を保障することで、恣意的な運用を防ぐことができる。やりかたを教えてやるから、根室市役所で導入したらいかが?)

 ホワイトカラー・エグゼンプションはタダ残業を強要する制度であるが、日本は米英とともに残業の多い国だから、残業時間を少なくする方向へ誘導するような制度改革ならわかるが、これはそういう方向とはまったく異なるものであり、働く者の幸せにつながらない。豊で幸せな暮らしを保障するどどうしていえないのかというのが森永卓郎氏の言いたいことのようだ。
 国民の幸せにつながらないような制度導入を急ぐ安倍政権は経済政策の方向を誤っている。
 

*残業代の割増率については日本は25%だが、米国は50%。
 割増率が低いことが残業を増やす誘引となっている。そのうえにただ働き残業を追加したら、なおいっそう残業が増えることになるのはebisuには自明に思える。いずれ正規雇用だけでなく弱い立場の非正規雇用にまで拡大されることを強く懸念する。国民を不幸にする政策の上に企業の繁栄をもたらそうというのだろうか?
 経済政策のベクトル(方向)の間違いに気がついてもらいたい。こんなことまでしないと実現できぬ成長路線、歴史的に見れば日本は高度経済成長時期をすぎて、経済縮小時代に突入したという理解の上にたった経済政策を立案・実行すべきで、こういう無理に無理を重ねても、結局もとの木阿弥となり、残るのはマイナス成長と大きな財政赤字である。安倍政権のブレーンはいい大人たちのはずだが、考えの基本的なところをまちがえている。経済政策の前提条件の認識に基本的な誤りがあるのだ。

**#2699 残業代をゼロにする"ホワイトカラーエグゼンプション"① June 6, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-06-06

 #2701 残業代をゼロにする"ホワイトカラーエグゼンプション"② June 9, 2014  
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-06-08

 #2702 残業代をゼロにする"ホワイトカラーエグゼンプション"③:公務員は別扱い June 10, 2014   
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-06-10




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#2699 残業代をゼロにする"ホワイトカラーエグゼンプション"① June 6, 2014 [A.6 仕事]

 産業競争力会議をいうのがあるようだ。そこでホワイトカラーエグゼンプションを検討しているという。理由は生産性を上げることで競争力を強化しようということのようだ。残業代を支払わなければ産業の競争力が強化できるのだろうか?

 言葉の定義からみよう。

 exemption: permission to ignore something  such as a rule, obligation, or payment
   ・・・Macmillan English Dictionary for advanced learners

  兵役「免除」や税金の「控除」をあらわす言葉のようだ。「法や義務あるいは支払のようなものを無効にするもの」だから、徳政令も含む概念なのだろう。ようするに一部の法規制を無効にすることをいう。

 white-color exemptionとはホワイトカラーに限定された法規制(労働基準法)解除ということ、「労働時間規制適用免除制度」という訳語が充てられている。
 免除されて誰が得をするのだろう?残業代を支払わずにすむのだから雇用者側あるいは株主が得するように見えるが長期的に考えるとそうではない。

 残業代を支払わないことがどうして生産性向上につながるのかがわたしには理解できない。高度な専門職については労働時間ではなく成果で給料を支払うというのがいままでとは違うところだ。成果の客観的な評価はとてもむずかしい。よほどの人格者でなければ、自分の好みが評価に大きく反映するものだ。きらいなやつの評価は低くなるから、大方は評価者であるボスにゴマをする者を増やすことになる。
 管理職については管理職手当てがついており残業代は支払われないから、一般職の者たちが対象ということになる。管理職が7時頃に帰宅して、能力の高い一般社員が給料も安いのにタダ働きで終電間際まで仕事をするわけがない。難易度の高いいい仕事を次々にやらせることで優秀な人材を育てることができるが、タダ働きではそうした機会をなくすことになる。

 5/28MSNニュース
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/140528/biz14052809220035-n1.htm
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政府の産業競争力会議が進める労働規制の見直しで、労働時間規制を適用しない「ホワイトカラー・エグゼンプション」の対象職種を限定する方向で検討していることが、27日わかった。

 労働者が仕事を自らの裁量で調整や管理ができる企画部門の会社員や金融機関のファンドマネジャーなどの一部の専門職を対象とする。28日の競争力会議で民間議員が提案する。

 民間議員の提案では、労働者側に一定の裁量がある専門性の高い職種に限定して、本人の同意を前提に導入を可能とする一方で、小売店での販売職やトラックの運転手などは対象外とするとしている。労働時間と成果の関係に応じて対象職種を線引きし、労働者側から懸念されている、なし崩し的な導入を防ぐ狙いがある。

 また、長時間労働を防ぐために、労働時間の上限や休暇の最低限の取得日数といった労働者の健康管理を行う仕組みも併せて導入。長時間労働を強要するなどの悪質な企業への指導や罰則も強化する。
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 わたしは20代後半から産業用エレクトロニクスの輸入商社で、「高度な専門職」に該当する仕事を五年間やっていたことがある。中途入社したての三年間で為替変動に左右される業績を為替変動から切り離す仕組みを営業課長のEさんとつくった。そのほかに利益を拡大する仕組みをいくつかつくり、システム化もした。役員中心の6つの委員会に属して仕事のほとんどは単独でやり遂げた。
 もし、あの三年間にホワイトカラー・イグゼンプションが実施されたいたら、バカバカしくなっただろう。週に3日間は終電近くまで残業し、土日のいずれかは10時間ほども書斎に閉じこもってシステム関係や管理会計や経営管理関係の専門書を読み漁った。時代の先端を駆け続けるには日本で出版された本ではとても間に合わず、米国で出版された最新の専門書を何冊も読まざるをえなかった。利益管理の統合システムを実現するにはそれぐらいの負荷がかかった。売上高経常利益率は平均して10%程度あがった。その仕組みのあるおかげで、その会社は後に店頭公開を果たした。
 臨床検査会社へ転職してから、東証二部への上場準備で統合システムのサブシステムである会計システムを担当したが、監査会社から派遣されていた会計システム担当の公認会計士を外すことに同意した。200万円/月支払っていたのだが、技術レベルが低いので困っていたら当時の課長が提案してきた。Ⅱの部に適合する会計システムと支払管理システムの仕様書を3週間ほどで書き上げ、1週間漏れやミスがないかチェックしていた。予算システム、原価計算システム、購買在庫管理システム、販売会計システムとのインターフェイス仕様書は3日間で書き上げた。着手9ヶ月でシステムは2ヶ月の並行ランを含めて無事に本稼動した。会計分野の専門知識とシステム技術レベルの低いものがやったら2年かけてもトラブル続出だっただろう。1984年のことだ。担当してくれたNCDのSE二人もこの分野では一流だった。
 会計とシステム両方の高度な専門知識を有する技術レベルの高い一般職はたまにいるし、仕事に恵まれた少数の者が会社の利益構造を劇的に変える。そういう修業時代を潜り抜けて、赤字会社を高収益の黒字会社へ転換できる強い経営者が育つ。複数の分野の専門知識が必要な困難な仕事がなければ人は育たぬ。

 能力が群を抜いて高い平社員に残業代を支払わずに働くことを強要したら、成果は出ないし、優秀な社員を育てられない。タダ働きしろというなら、だったらまず管理職や役員がやってみろということになるし、ばかばかしくてそんなことを言う会社への忠誠心は失われる。
 こんなものを制度化したら、日本企業から活力が失われ、人材が育たなくなる。亡国の制度導入が始まろうとしている。どうして安倍政権は頓珍漢な政策ばかりとりあげるのだろう?いいと思ってやっているのだろうが、経済や仕事音痴も度がすぎている。

 森永卓郎氏が6/6日の朝のNHKラジオ番組「ビジネス展望」で標記についてめずらしく実務に即した正統な解説していたので、続編「~②」を書こうと思う。

*#2699 残業代をゼロにする"ホワイトカラーエグゼンプション"① June 6, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-06-06

 #2701 残業代をゼロにする"ホワイトカラーエグゼンプション"② June 9, 2014  
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-06-08

 #2702 残業代をゼロにする"ホワイトカラーエグゼンプション"③:公務員は別扱い June 10, 2014   
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-06-10

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#2688 AKB48 障害事件を考える:「売り手よし、買い手よし、世間よし」を守れ May 27, 2014 [A.6 仕事]

 AKB48の握手会場で20代の男がメンバーに折りたたみのノコギリで切りつけたという事件が起きた。

 AKB48のCDを買うと握手券がついてくる。お気に入りのメンバーと握手がしたいために同じCDを何枚も買う。これはファン心理を逆手に取った悪質商法だ。
 投票権もCD1枚につき、投票権が1票与えられるようだが、これも悪質商法そのもの。なぜ悪質かというと、CDは1枚で充分なのにファン心理を利用して何枚も買わせるからである。投票や握手が終わればCDはいらないということになる。つまり、要らないものを買わせている。前から胡散臭い、いやアクドイことをやるものだと思っていた。

 売上縮小に悩んだメーカが苦し紛れのドギツイ悪質商法に打って出たというのが真相だろう。まともな経営者はこういう商売の仕方をしないもの。典型的な浮利を追う商法だ。
 ファン心理を煽り、人の心を弄ぶ商法はよくない。
 若い人たちも何枚もCDを買うのはやめよう。
 大人たちはダメなこと(悪質商法)をダメと言おう。

 商売は正直に誠実にやるべし。
 要らぬものを買わせてはいけない。
 浮利を追ってはならぬ。
 「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」


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#2637 落石漁協の係長8000万円着服事件:監査および経理業務のあり方 Apr. 9 2014 [A.6 仕事]

 また漁協関係で横領事件が発生した。「また」というのは2009年に根釧漁船保健組合(根室)で先例があったからである。弊ブログ#427や#513で予防措置まで含めてオーソドックスな方法をとりあげて解説している。
 事件を報じた北海道新聞根室地域版の記事を紹介してから、辛口のコメントをしたい。通常の経理業務のやり方や初歩的な監査業務の知識があればおきるはずのない事件である。監査業務も経理業務も実にお粗末であったといわざるをえない。あとでその根拠を述べる。

4月9日北海道新聞根室地域版より転載
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 落石漁協の係長8000万円着服
  漁業者「なぜ起きた」
【根室】落石漁業で信用部門を担当していた男性係長が漁協の積立金などから約8000万円を着服した問題が、漁業者らに波紋を広げている。15日に日本200海里内の小型サケ・マス流し網漁が解禁になるなど、今後、漁業シーズンが本格化することから、落石地区の漁業者からは早期の健全化を求める声が上がっている。
 「漁協にしっかりしてもらわなければ、漁業者の生活も立ちゆかなくなる。50代の組合員は不安を漏らした。同漁協は7日夕、50人の漁業者を集め、今回の問題について報告した。組合員からは「どうして起きたのか」「なぜ発覚までに時間がかかったのか」などと激しい声が飛んだという。
 同漁協によると、係長は2006年から今年3月までの約9年間、架空の取引を仕立て、自分の預金口座に不正送金した。また、金庫にあった融資目的の積立金から繰り返し現金を着服し、電算処理の操作を駆使して貸借対照表を偽造するなどし、発覚を防いでいたという。
 7日に記者会見した同漁協の浄土昭雄専務理事は「漁協の財務状況を示す貸借対照表に食い違いはなく、不正を見抜くのに時間がかかった」と説明した。
 一方、道内の漁協、農協などの財務状況を検査する道総務部法人団体課も2010年6月、同漁協を調査したが、不正を見抜けなかった。同課は「漁協業務は多岐にわたり、一般的に貸借対照表自体に改竄を加えられた場合、見つけるのは非常に難しい」と指摘した。
 落石地区の70代の漁業者は「漁業者を納得させるためにも、調査は警察の手に委ねてもらいたい。漁協は、二度と同じことが起こらない体制を整えることが大切だ」と話した。
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 なぜこのような事件が繰り返されるのか、それは経理業務や監査業務の基本に忠実でないからである。経理業務は内部統制を考えて担当業務を別々の人にやらせなければならない。お金を出し入れするものが伝票も操作でき、経理システムへの入力もやりうるという体制はじつに危険だ。
 報道記事の文面から読めることは、係長は金庫からのお金の出し入れ、伝票起票、入力すべてを日常的に行っていたようにみえる。そして上司はそれを適切にチェックしていないと推測できる。
 経理規程のチェックからやるべきだ。内部統制を考慮した経理規程になっているかどうかがポイントだ。
 たとえ係長が伝票を起票してこっそり入力しても、伝票に上位者の承認印があるかどうかや、月次で課長が試算表の合計金額と伝票の合計金額を突合すれば簡単に防ぐことができたはず。伝票の再鑑と月次試算表との合計金額突合を怠っていたということではないのか。おざなりな実務が透けて見える。

 不正はチェックが一つ外れただけでは生じないものだから、監査人の仕事にも問題があるはず。このケースでは監査人も伝票再鑑と伝票合計と月次試算表合計金額突合の証跡を確認していないようにみえる。お粗末な実務が幾重にも重なっているから、何年にも渡って「ゆうゆうと」不正を続けられえたのだろう。
 ここでも根釧漁船保険組合事件と同じ構造がみえる。経理実務に関する内部統制制度が無視され、監査が専門知識のない者に委ねられて実質的な監査がなされていないという共通項がある。
 監査業務をする者は、全商簿記1級程度の知識はあったほうがいいし、監査手続きについての専門書を2冊くらいは読んでおくべきだ。

 道の総務部団体法人課も言い訳に終始している。半日調査すれば内部統制に問題があることは簡単に指摘できたはずで、そういう視点でチェックをしていないということだろう。じつにお粗末な調査のようだ。これでは基本から逸脱した実務が全道の漁協で行われていてもさっぱり改善ができない。団体法人課の担当者は会計監査の専門書を読むべきだ。
 道庁総務部団体法人課は念のために全道の農協と漁協の内部統制と実際の監査手続きがどうなっているか早急に調査すべきだね。危ないところは具体的な改善指導をすべきだ。危ない事例がいくらでもあると思うよ。

 根室の子供たちの学力が低くいということも事件の遠因である。子どもたちは大人になり、成績上位5%の者たちはほとんどが大学へ進学し地元へもどってこない。地元を支えるのは5%を除いた者たちだ。
 根室の子供たちの学力がどの程度かというと、昨年度の全国学力テストで根室管内は小学校で全国偏差値で37、中学校で44である。いまや市街化地域の3中学校ですら学年3番目が高校へ入学して最初の全国模試で偏差値が50(成績中位=平均値)に届かない、(根室市内は別海よりも低かったという情報があるが)こういうことも事件の遠因だ。学力の低い子どもたちは大人になってもほとんどが低いままで、仕事に必要な専門書を読む学力が不足してしまう。全国レベルで平均以下での学力では会計監査論の専門書を読みこなすのは無理だろう。
 経理業務を担当していても必要な専門知識が足りないとか、応用力がないとか、関連業務についての専門書を読みこなす学力がないとか、そういうことがルーズな仕事につながっているとebisuは考えている。

*#2492 (1) 根室管内版解説 : RC-1と偏差値 難易度の高い問題を授業でやるべし 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-11-12

■ 【全道14支庁管内・偏差値ランキング表】
#2485 (小・中対比)
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-11-09


 経理業務の責任者や監査業務をやっている者は深く反省し、必要な専門書(監査論)を読む努力をし内部統制を確立して、基本に忠実な日常業務を早急に確立すべきだ。専門書を読んでもわからないところや実務への応用で判断に迷うところがあったら専門家に聞くといい。真摯に反省し、基本的な専門知識を習得すれば好いだけである。
 生まれ育ったふるさとへのご恩返しのつもりで12年前にもどって私塾を開いたのだから、わたしにできることはするつもりだからわからなければebisuのところに聞きに来てもいいよ。いっしょにこういう不祥事が起きない町にしようじゃないか。ニムオロ塾がどこにあり、ebisuが誰かは根室ならすぐにわかる。



 ↓ 以下、弊ブログより関連記事の抜粋

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*427「漁船保険組合の元専務逮捕」より抜粋
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-12-03
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 《コメント》
 12月3日北海道新聞朝刊25面の記事を転載した。監査役の責任も問われて当然だと考える。通常の監査手続きをきちんとやっていれば、簡単に見つけられたはずである。監査役が有名無実の名誉職化しているから、このような不正を長年見過ごすことになる。監査がきちんとなされていたら、足立元専務は魔が差すことがなかっただろう。不心得者ではあるが、晩節を汚して気の毒なとしか言いようがない。犯罪が起きてからでは遅い、人の心には魔物が棲んでいるという前提で犯罪の起きる余地を小さくしておくべきだろう。
 根室には市の関連団体をはじめ各種団体がたくさんある。予算額が1千万を超える団体は、監査役とその業務執行状況についてきちんと点検すべきだ監査役を名誉職化してはならないと同時に理事職も名誉職化しないために定年制を導入すべきだ
 根釧漁船保険組合専務理事、根室漁業組合長の事故保険金搾取問題、湾中漁業組合長(当時)のカニ密漁事件及び漁船員のロシア国境警備艇による銃撃死亡事件など、根室の漁業組合に関連して不祥事が相次いでいる。
 こうした不祥事を防ぐにはなにより見識や志の低い人を組合長に選出しないことである。それから規程を設けて理事は62~63歳を定年とすべきだ。上場会社でも役員定年制を設けている会社がある。長くその職にとどまることで時に弊害が大きいからだ。
 監査役は会計知識があり監査業務ができる人を選ぶべきだろう。就任の際に、監査業務についての専門知識を有していること、監査業務に瑕疵があった場合は監査役報酬の全額返還と法的責任を問われることになる旨の確認書に署名を求める。そうすれば好い加減な気持ちで監査役には就けないし、監査業務も現在よりも適正に行われることになるだろう。個人企業ではないのだから、最低限それぐらいのことは速やかに実行すべきだ。


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**#513「漁船組合横領 元専務を追送検(北海道新聞)」
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2009-02-01

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・・・
 公職にあるものはお金に汚くなってはいけない。他にも類似の事件が数件あった。公職にあるものはつまらないことで職を失ったり、世間を騒がせない。
 この事件は5年間にわたり着服していたわけだから、組合長の監督責任や監査役の職務怠慢の責任が追及されなければならない。形式だけの監査役は言語道断である。道義的責任は容疑者と同じくらい重いものがあることを肝に銘ずべきだ。
・・・

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***#256「根室漁船保険組合専務、数千万円着服事件のその後」
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-08-15
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 下世話な話である。「根室漁船保険組合 専務、数千万円着服か(北海道新聞)」というタイトルで5月25日にブログを書いたが、先ほど午前7時のFMラジオニュースで水産庁の調査結果が報じられた。
 要点は二つである。組合のチェック体制が甘いことと組織全体に不適切な支出のあることが指摘されている。具体例としてH17年に予算の2倍の接待交際費のあることを挙げている。金額は70万円余だった。ラジオのニュースだったから漁船保険組合への監督官庁の調査だったか漁業協同組合への調査だったか聞き漏らした。

 いずれにせよ根室漁船保険組合は根室漁業協同組合の下部組織のようなものである。組合長が兼務している。実態から判断して同じ組織、同じ基準で動いていると見てよいだろう。
 根室の経済・政治の中で根室漁業協同組合の役割は決して軽くはない。戦後63年間、根室の経済が衰退の一途を辿ってきたのはここがしっかりしてこなかったことも一因だろう。。「昆布しょうゆ」「舞いサンマ」「フコダイン」と新商品開発が続いている歯舞組合の革新性と斬新さと比べてみるとよくわかるだろう。無為無策の63年間が横たわっている。
 先のブログで私は根室の悪弊として、名誉職をたらいまわしにすることや職位にふさわしい見識・能力がないにも関わらず、名誉職を簡単に引き受ける人の多いことを書いた。結果として、その職務は機能しないことになる。これは根室漁業協同組合に限った話しではない。いたるところにある、それゆえ「悪弊」と書いた。そして組合長や組合の監査役をその具体例として挙げ、その職能と職責を説明したが、水産庁の調査結果は私の主張を裏付けてしまったようだ。残念である。詳しくは前のブログを見てほしい。文末にアドレスを貼り付けておいた。
 悪弊はやめるしかない。よりよい根室を作るためにはそうすべきだ。しかし、人口3万人の町になかなか適当な人材の見つからないことも事実だろう。さて、どうしたものだろうか。
 言うは易し行うは難し。根室組合に本当に人材はいないのか?自浄努力はできないのだろうか?情けない組織が根室経済の核を構成している。
 このところサイクリングや祭りやサンマなど楽しい話題が続いたのに、こんな残念な結果を後追い報告会しなければならないのは残念だ。

 根室の漁業関係者の子供で北大水産学部へ入学するものが大勢出てほしい。一人や二人ではだめだ。二桁必要だ。そうすれば根室は変わる。北大水産学部はたかが代ゼミ偏差値54である。それほど難しい大学ではない。
  根室の町にとって必要なのは、重要な組織の長としてその職責をまっとうできる見識と教養を兼ね備えた人材だろう。
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****#191「根室漁船保険組合 専務、数千万円着服か(北海道新聞)」
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-05-25-1
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 《コメント》
 事実関係はこれから警察や検察の手で明らかにされるのだろう。この保険組合は専務理事一人で経理業務をしていたのだろうか?他に担当者がいるとすれば、その人は着服の事実をうすうすあるいはしっかり承知していたと推測する。実務を考えるとそうなる。これらの業務を専務理事一人に任せっきりにしていたなら、組合長の責任問題である。
 保険組合には監査役も2名いるはずだが、「名誉職」のようで、実質的に監査が機能していない。
 1996年からだから、2年の任期としても6期・12回の監査が行われている。保険会社そして保険菌支払先の個別の金額を突合するだけで簡単に不正が見抜ける。どちらも、預金口座へ振込みだろうから通常の簡単な監査で露見するはずだが、それすら行われなかったのだろうか。常識的な監査手続きすら実施されていなければ、監査役は責任を問われる。
 経理知識や監査知識のない者が監査役を引き受ける事例がある。不正がないときは良いが、不正があった場合には見抜けない。実質的に監査役不在の状況が生まれる
 (保険会社に対する過剰請求で保険金詐欺で立件されるか、業務上横領罪で立件されるか、あるいはその両方かによって、保険組合に実質的な損害が発生するか否か微妙なところがあるので、推移を見守る必要はある。)
 今回の事件では組合長に管理能力のなかったことも問題だ。そういう人が無責任にいくつもの団体の長を兼務すること自体が問題を起こす元凶である。
 日本人の美的感覚には潔さということがある。おりしも千島桜は満開であり、今日の雨に打たれて散りつつある。公的な職にあるものは襟を正して職責を全うすべきで、職責を全うできないときは退け時と心得るべきだ。保険組合長がそのまま居座ったら「みったくなし」だ。

 株式会社なら、取締役は善管注意義務違反となり、会社法違反で刑事訴追の対象となる。会社役員と同等の責任があるとすれば、理事は組合に対して生じた損害を連帯して賠償する義務がある。当然、保険組合は理事全員を相手取り損害賠償請求を出すのだろう(株式会社でこうした事態が生じたら、総務部は取締役を相手取って損害賠償訴訟を起こさないと、株主代表訴訟の対象となる)。今後の事件発生を防ぐためにも必要な措置だ。それぞれの責任をうやむやにしてはいけない。
 それにしても裁判所の判決が出るまでは容疑者や被告人であっても犯人ではない。結論を急がず、事態を見守るべきだろう。報道にあるように本人が事実を認めたのなら、直ちに理事職を解任し、刑事告発の手続きがとられる。今はその段階のようだ。
 
 いろんな団体があり、その中には熱意も能力もない人がその団体の長を務めているケースが他にもある。名誉職のたらいまわしのようなことはやめるべきだ。根室市が関係している団体だけでもずいぶんな数があるのではないだろうか。補助金を出している団体の長を名誉職的な感覚で選ぶことは今後はやめたいものだ。

 人口3万人の町にはそれぞれの仕事に必要な専門知識を有した人材がすくない。根室市の予算審議や市議会のやりとりをたまにラジオで聞くが、適確な質問をするためにも経理の専門知識をもった議員が一人はいて欲しいと思う。市議もまた名誉職化しているのだろうか?
 市財政と病院事業の赤字について何度かこのブログで採り上げたが、経理業務に多少の経験がある程度の私は何度も勘違いを起こしたし、行政のわかりにくい経理処理を整理して内容をつかむのに努力を要した。民間と同じ言葉を使いながら、実質がまったく違うことがしばしばであり、実にわかりにくくできているのである。
  市民にわかりやすい予算書や決算書を市役所に作らせるのは市議の役割である。

 地域社会としての根室を良くするためには、各自が担っている職務を誠実に果たすべきで、そのために職務を果たすための専門知識や管理能力はもっているべきであり、日々磨いていくべきものである。 
 社会的に責任の重い職務にある人は、仕事をきちんとすべきだ。仕事をする能力や管理能力をもち合わせていないのなら、その仕事(役職)を引き受けてはいけない。ましてや、その仕事に熱意のない人は論外である。 

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#2572 アクリフーズ 農薬混入事件と雇用形態の関係  Jan. 26, 2014   [A.6 仕事]

 日曜日ずっと吹雪いている、天気予報では夜9時まで雪が降るという。
 車庫前が吹きだまっていたのでママダンプで除雪した。強めの北風が雪を運んでくるが、途中で一回やっておくと後が楽だ。7年前のスキルス胃癌の手術以来体力が半分くらいなので雪がやんでから一気に除雪をするのは無理がある。
 除雪車が何台も通り過ぎるが、家の前の市道は除雪されない、車の通行に問題がないからだろう。道路は真っ白だが、走っている車で圧雪されて交通に支障がない。頻繁に除雪車が来て道路への出口のところに50センチほども硬い雪が積まれるとそのたびに通路を開けないといけないので、回数が少ないほうがありがたい。

  さて、本題である。冷凍食品にマラチオンという農薬を混入した疑いで、マルハニチロ・ホールディングスの子会社アクリフーズの準社員が取調べを受けている。

NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140125/t10014768291000.html
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食品大手「マルハニチロホールディングス」の子会社の群馬県の工場で製造された冷凍食品から農薬が検出された事件で、警察は工場に勤める49歳の従業員の男が農薬を混入させた疑いが強まったとして、偽計業務妨害の疑いで逮捕しました。
男は「覚えていない」と容疑を否認しているということです。

逮捕されたのは、「マルハニチロホールディングス」の子会社「アクリフーズ」の群馬県大泉町の工場の従業員で、同じ大泉町に住む、A(49)です。
この工場で製造されたピザやコロッケなど7品目の冷凍食品から、殺虫剤などとして使われる農薬「マラチオン」が、最大で残留農薬の基準値の150万倍もの濃度で検出され、警察は工場内でこの農薬が使用されていないことから、何者かが意図的に混入させた疑いが強いとみて捜査を進めてきました。・・・
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 このニュースを聞いてちょっと切ない思いがした。準社員という雇用制度は常勤ではあるが社員とは別の採用ルートで集められ、処遇(給料)は社員の5割~6割程度である。
 あまり業務知識を要しない職種に限定されて使われていれば大きな問題は生じないだろうが、同じ仕事をしている社員がいるとややこしいことになる。身分上は社員の指揮下にはいることになる。仕事のできる者が仕事のできない社員の下についたときに問題が起きる。
 同じ仕事をやっていて、処遇が著しく異なるのは心に大きなストレスを生じさせることになる。そう簡単に割り切れるものではない。毎日仕事をしていながら、隣でやっている社員は自分よりも仕事ができないのに社員だから給与は2倍、しかもその仕事のできない社員の頓珍漢な指示に従わなくてはいけない。有能な準社員はいつも心の中で「なぜ?」と理不尽さを問い続けている。

 根室では水産加工会社で2年ほど前だったか、ボヤ騒ぎや火事が何度かあったが、社員だった者がアルバイトに格下げされたのに腹を立ててのことだった。食品を扱う会社で同じライン・同じ仕事で社員と非正規雇用が混在しているのは、リスクがあるのである。
 コストを下げたくて経営者はできるだけ社員を減らして非正規雇用を増やそうとするが、それは半面で何らかのトラブルのリスクを増大させていることになる。

 わたしは赤字部門の別会社化であった合弁会社経営を任されたときに、ある事業分野を切り開くことで2年で黒字化を果たしたが、心を砕いたのはもう一つ、準社員の処遇の問題だった。有能な準社員が数人いた、そして準社員よりも能力の劣る社員が2割ほどいた。ときどきグチを聞いてやったが、それでガス抜きをするつもりはなかった。わたしは5年で準社員全員を社員にするつもりだった。赤字を解消し売上高経常利益率を10%ほどにして親会社2社と掛け合えばいい。利益率が親会社よりも高くなればそうした稟議を親会社に提出しても承認が降りると考えた。準社員を社員にしても親会社以上の利益率を維持できれば可能なのである。
 全員社員のほうが士気の高い企業をつくれることはあたりまえだろう。ようは儲かる事業分野を戦略的に育成できるかどうかであり、それは経営者の経営手腕次第だ。能力のない経営者は、非正規雇用を増やすことで、利益をあげようとするが、一部の者たちの犠牲の上の築く利益は企業経営の邪道であるといってよい。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」が経営の本道である。

 利益の柱になるような事業分野を切り拓く戦略を立て、社員に説明し、中期計画や年次計画へ反映して、着実に実績を上げることがその企業で働く者たちに安心感を与え、ストレスを軽減する。
 企業経営者なら志を高くもち、社員や非正規雇用の者たちに夢を語れ、それができないなら有能な者を見つけて経営を委ね、自分は退くべきだ。経営者の地位に固執してはならない。


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#2509 (眼耳鼻舌身)意と仕事 Nov. 24, 2013 [A.6 仕事]

【検査データ改竄と北海道の義務教育の惨状】
  JR北海道が組織ぐるみでレール監査データの改竄をしていたことが明らかになった。保線区の保守点検要員が保守点検データの改竄を続けたら必ず大事故につながることは誰にだってわかっていたはずだが、そうしたインチキ、手抜きをやめられなかったのはどうしてなのか。
 この問題は、全国最低レベルにある北海道の児童・生徒の学力が明らかにも関わらず、現場の教員や学校管理職(教頭や校長)から危機意識が伝わってこないこととも深いところで関連がある。
(根室市内を見ても、一部の学校の管理職や教員は危機意識をもち始めている、歓迎すべきことだ。願わくば、こうした動きが主流になってほしい。)


【賃労働:意識の作用は大きい】
 自分の仕事を賃労働だと認識すればその人の仕事は賃労働になるし、職人仕事だと認識すればそういうものになる。人間は眼耳鼻舌身意の六根で世界を認識しているから、意識が現実の仕事に強く作用してしまうことは避けられないことなのだ。だから、自分の仕事を「労働」だと思ってはいけない。思えばそれは現実に作用し、そういうものになってしまう。ロシアや中国の「労働者」が仕事を怠けるのは「賃労働者」という自分に誇りがもてないからだ。そして現実は意識が作り出した「誇りのもてない仕事」=賃労働と化す。
 人間の意識の作用とは案外に大きなもので、そう思いこむと、それがその人にとっての現実になる。じつはそれは思い込みであり、そういうものが実在しているわけではないから、思い込みを棄て去ればなくなる。ところが偏向した思想をもっているとすべてをその思い込みでみてしまうから、マルクスの『資本論』をありがたいと思う団体に属する人々にとっては仕事は賃労働になってしまう。
 そうすると仕事の質を下げることや仕事の強度を下げることが自分の得になるような気がして、本来の仕事をほったらかしにして、自分の得になることばかり考えそういう主張を繰り返すようになる。
 曰く、「少人数学級実現のため教員の増配を!」、「雑用が多いので減らしてほしい」。

【現実を直視しないわがままな要求】
 根室市内の小中学校は30人を超えるクラスは5%もあるのだろうか?25人前後が中央値だろう。とっくの昔に30人学級は実現しているのに、学力を全国レベルの物差しで測ったら最底辺のままである。実際に根室管内では少人数学級が実現しているのに生徒の学力は全国トップレベルではない。
 根室管内の偏差値は小学校が37.0、中学校が41.4*である。小学校は下位9.7%、中学校は下位19.5%に位置している。資料はないが、少人数学級では根室管内は全国トップレベルだろう。

 雑用が多ければ、短時間で片付ける工夫をすればいいだけ。仕事のやり方はいくらでも工夫できるし、工夫をするのは仕事をしている自分である。工夫をするためにはさまざまな専門知識や技術を身につける必要がある。そうした努力をしないで「雑用が多い」と叫ぶのは愚かだ。
 わたしは部署が変って仕事が変わるたびに、引き継いだ仕事を1年以内にワーク・デザインを変えて手間のかからない仕事に変えてマニュアルを残して引き継いできた。仕事の精度を飛躍的に高めることと仕事量を10分の1以下にすることは矛盾しないのである。無駄のない実務デザインを創り上げることで仕事量をゼロにすることすら可能だ。
 愚かなやり方を踏襲したままでいると、その仕事は雑用化して負担になってしまう。EXCELとACCESSを自在に使えるようになれば仕事はまったく異なる様相を見せるはずだ。WORDも定型の文書業務への負担を軽減させる。コンピュータシステムの専門書を読んでみるのもいいだろう。パッケージシステムの内部の動きが理解できるくらいになれば必要な情報を切り出し、自分で加工できるようになる。
 ようするに、自分の周りの仕事を改善するために努力しているかということ。民間会社のトップレベルの社員は日々そうした改善を繰り返している。できない説明をいくらしてもらっても何の役にも立たない、できない話ではなく少ない費用と手間でどうしたらできるかが問われる。
 それには高度な知識と技術が要求されることはあたりまえだ。教育や知に関する職人である学校の教員が、そういうことができないというのなら、あなたはその職業に向いていないということだ。教育や知の職人であると決めたなら、必要な努力はすべきだ。知的好奇心をなくしたら、生徒の前に立つべきではない。それは抜け殻のようなものだから。
 本業への努力を怠り、ブカツで愚にもつかぬ素人指導を繰り返しているという例が多いとわたしは感じている。6回フリー授業参観を繰り返した結果と、日々生徒達からブカツ指導に関する実例を聞いていての結論である。

【無能力の典型例】
 仕事のできない者は、成果をあげるためにただ長時間労働することしか考えない。民間企業ではこういう社員はダメ社員の烙印を押される。
 たかが地区大会で優勝し、全道大会へ出場したいがために毎日6時半まで、そして土日は2ブレンを繰り返しているブカツがある。特定の関節や筋肉を酷使する種目では、選手生命に関わるほどの障害が毎年起きているのだが、一部の保護者が炊きつけ、それに応じる先生がいる。生徒もそういう大人に煽られて、全道大会出場に強い執着をもつようになる。学業不振の生徒達はこれ幸いとブカツに逃げ込むが、高校入試になって厳しい現実に遭遇する。小4程度の基礎学力すら怪しいまま中学校を卒業してしまう。こういう生徒達の将来がどれほど厳しいものになるのか中学校のブカツ指導をしている先生は考えたことがあるのだろうか?成長期の子どもたちは基礎基本のトレーニングで充分でブカツよりも学業が優先だということすら理解していない先生と保護者が少なくないことは残念だ。

【教育のそして知の職人とは】
 職人は日々自分の技術を上げるためのトレーニングを欠かさない。仕事の都度さまざまな工夫を考え、仕事で試している。仕事の都度、己のもつ最高点の仕事をなしとげようと手を抜かない。他人が見ていようといまいと、真摯な仕事をする。正直に誠実に、渾身の力で仕事をするから、深い満足がある。
 教員はもっぱら教育の仕事をする職人である。そう考えたら、全国レベルで測ると最底辺にある北海道のこどもたちの学力をそのままにしておくはずがない。

 過度なブカツの自粛と、成績下位の生徒には個別補習、そして先生たちはすぐれた授業技術の共有化などいくらでもやりうることはある。

【先生たちが成績不良の生徒に補習を始めている】
 昨日、土曜補習に来た生徒が3時頃まで学校で数学の先生が生徒二人に個別補習をしたくれたと、うれしそうな顔をしていた。いつもはすこしやってはわからなくなると不機嫌になり、感情的なパニック状態を引き起こし、しばらく問題に手をつけられない状態になるのだが、それが出てこなかった。おだやかな顔で4時間勉強していた。
 こういう状態が一月続くと、生徒の成績は見違えるように変ることが多い。教員は成績下位の生徒が変るきっかけをつくってあげられる。

 「賃労働」という愚かな考えは捨てよう。自分を教育の職人だと考えよう。ひたすら仕事の技術を磨き、正直に誠実に渾身の力で仕事をしよう。ブカツよりも先に、生徒の学力をアップし、教える技術磨くことがあなた達に課せられた課題であり仕事である。

 #2093 教員の質向上はどうやる?⇒ "Educating educators" Sep. 25, 2012 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2012-09-25-1


【ブカツ指導についての予告】
 ブカツについて、わたしが反対だと考え違いをしている読者がいるだろうが、そうではない。
 たまたまわたしはビリヤードが好きで、セミプロの指導技術と理論をもっているから、稿をあらためて説明したい。ほかの種目にも共通するところがあるはず。
 大半のブカツの担当の先生は、その種目には素人、だから己の指導技術の程度をよく考えよ、そしてブカツは教育の一貫だということを忘れるなということ。
 生徒をあおり、たかが地区大会ごときの勝ちに執着するようなブカツのやり方に問題があると言っているだけなのだ。強いチームほど、指導理論を欠いた長時間練習になりがちだ、それに熱心な保護者が輪をかけるからますますブカツは度を過ぎたものになる。具体的な説明を一度しておきたい。
 

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*<データ>

全国学力テスト
管内別偏差値ランキング表
<中学校優先>abb-c
順位管内名小学校中学校
2石狩43.952.28.3
10十勝36.149.513.4
3上川43.447.23.8
6留萌38.243.95.7
12空知33.443.610.2
13オホーツク27.642.514.9
1檜山46.242.3-3.9
4渡島39.141.62.5
7根室37.041.44.4
5胆振38.341.12.8
8釧路36.840.73.9
9後志36.437.41.0
14日高16.633.516.9
11宗谷33.533.4-0.1

 このデータをみると、根室市のほうが釧路市よりもいいような印象を受けるが、これは管内の比較であって、両市の比較はできない。現に根室の市街化地域の3校の学力テスト総合ABCの平均点は、釧路の中学校の最底辺校と同じレベルなのだから、根室の中学校のほうが「かなり重症」だといえる。


*#2508 JR北海道 レール検査データ改竄と賃労働 Nov. 22, 2013 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2013-11-22-1



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#2375 就活と実際の仕事で必要なコミュニケーション能力とは Aug. 18, 2013 [A.6 仕事]

 MSNニュースで標記の話題が載っていた。私のつけたヘッダーとはちょっと角度がちがって、

「【プロが教える就活最前線】コミュニケーション能力って何?取り違える学生が急増」
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/130818/fnc13081807010001-n1.htm

 となっている。

 筆者(水本幸太郎氏)はコミュニケーション能力を三つに分類している。
(1)話す力
(2)聴く力
(3)読む力

 就活の面接を想定しているからこういう定義になったのだろう。「読む力」を面接官の質問の意図を読む力と解説している。

 わたしは企業の上場に何度かかかわり、思うところ(マルクスの労働観に違和感がありその正体を突き止めたくて*)があり業種を変えて転職を繰り返したので、コミュニケーション能力が重要であることはこの筆者とは別の意味で感じている。就活時ではなく社員となってから求められるコミュニケーション能力について書くのがわたしの役割だろう。

 就活がうまくいったとして、実際に企業人として働くときに必要なコミュニケーション能力は、次の6つである。

(1)話す力
(2)聴く力
(3)読む力
(4)書く力
(5)計算する力
(6)考える力

 「読み・書き・ソロバン」に「話す・聴く・考える」を加えただけの簡単なものが六つ並んでいるだけだから、わかりやすいだろう。

 企業では複数の部門の人材が集まらないと解決不可能な複雑な問題はプロジェクト方式で仕事が進められる。
 分野の違う部門からプロジェクトに参加する者たちはぞれぞれ専門分野を異にしており、相互のコミュニケーションがむずかしいのは普通のこと、それゆえプロジェクトに参加する人材には複数の専門分野を専門用語を使いながらこなせる人材がいたほうがスムーズに仕事を進めることができる。
 そうした観点からは、「複数の専門領域を学び仕事として経験している」というのが「高いレベルのコミュニケーション能力」の要件である。でも、そうしたスーパー人材は千人に一人、希少種である。

 重要なことは稟議書や打ち合わせの確認書などの文書で処理されるので、「書く力」に秀でていることが「高度なコミュニケーション能力」のもう一つの要件となるだろう。
 文学的な表現能力が問われるわけではない、分かりやすい説明が求められるのであり、表や図を用いてこれからやるべき仕事を解説し、その結果何がもたらされるのかと明確に描いてみせるという表現能力が求められるのである。もちろん、スケジュールを示し、数値でそれらを描かなければならない。描いた事柄は「コミットメント」となる。なにがなんでも達成しなければならない約束である。
 部長クラスから取締役への階段を昇るにはこういう能力が必要である。でも、なかなかこういうレベルの取締役がいないのが実態だから、そういう意味では民間企業もまたこうしたレベルの人材不足の渦中にある。
 
 書く能力はアウトプット力と言い換えてもいいだろう、それは話す能力にもつながる。分かりやすい文章、わかりやすい話し方は何年もかかって磨き上げられる。大量のインプットがなければ良質のアウトプットができるわけがない。普段から知的好奇心の赴くままに読書をしろということだ。習慣にしてしまえばどうってことはない。その基礎は中高生や大学生のときにつくられる。読書が好きだというのはほとんど性格だろう、長年繰り返すことで習慣が性格にまで熟成してくる。

 最後は、「考える力」である。人の発言の意図を読む力(聴く力)は相手の意図を想像し考えることに他ならない。インプットを大量に繰り返しても、考える力のないものは頭の中が情報の洪水になるだけで、情報の海の中から必要なものを拾い集め、有機的に関連付けて総合することができない。
 書かれた文章の行間を読むにも考える力が関係してくる。字面を読むだけでは文章の真意は理解できない、行間を読んでこそ、書いた人の意図が伝わる。

 わけのわからない問題にぶつかり、1時間考え、1日考え、1週間考え抜く、そしてさらに抽象的で困難な問題を「発見し」数ヶ月、1年考え抜く、そうしたことを繰り返すことで、ある日問題解決の具体的な方法がひらめく。次になすべきことはそれを権限をもった者に説明して了解をもらうことである。企業規模が大きくなれば稟議書ということになる。これは書く能力が求められる。
 そういう一連の経過を経て、民間企業では実務がなされている。

 だから、コミュニケーション能力とは「読み・書き・ソロバン、話す力・聴く力・考える力」とebisuは定義したい。ものごとは三つぐらいにまとめるのが一番分かりやすいことを考慮すると、昔から言われている「読み・書き・そろばん」がやはり一番大事な三つなのである。

 小中学校はこの基礎学力に費やす時間を減らしている。日本語の読み書きが少なすぎる。重要な伝統文化と計算技術であるそろばんを教えない小学校が増えている。
 日本語語彙力が小4程度の中学3年生がいまや4人に一人はいる。小6で逆九九ができない生徒も10~20%いるし、分数や小数の四則演算の不確かな中学1年生は3人に一人を超えているだろう。学力テストの答案をみれば根室の小中学校の先生たちは肯けるのではないか。

 社会人となったときに、「読み・書き・そろばん(計算)」という基礎学力に問題のあった生徒はebisuが定義する高度なコミュニケーション能力をもつことができない。年収や生活にダイレクトに響くことになる。
 基礎学力を軽視してはならない。北海道14支庁管内最低レベルの根室の子どもたちの学力向上を果たさなければ子どもたちの未来は暗いし、根室の町の経済の活性化も、でたらめな市政も変えることができない。変革に必要なのは、たしかな基礎学力とまっすぐな心根である。

 市議選挙の投票日は9月である。根室市議選挙に立候補しているみなさん、なんのための立候補か今一度考えてもらいたい。根室の町に変革の嵐を起こすためなら確かな基礎学力とまっすぐな心根のぶたつのアイテムが必要である。変革するつもりがないなら、市議は要らない。市長が恣意的な市政で根室の町の財政を破綻に導いてくれる。それも選択の一つである、夕張市の市民はそういう選択をしてしまったし、市議たちは浮かれてハコモノ行政のチェックができなかった。夕張市と同じ道を選ぶかどうかは市民の選択だが、90%いままでの市議が当選するようなありさまでは、市民に選択肢が示されているとは思えない。だから、いまいる市議たちが変らなければ根室の未来はない。

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*【マルクスの労働観批判:違和感の正体】
 工場労働者の労働は単純労働に還元される。生産手段から疎外され、喜びを見出せない労働観は日本人の仕事観と大きく隔たっている。
 工場労働者ですら日本人は工程の改善を繰り返すことに生きがいを見出し、いきいきと働いている例がじつに多い。あらゆる職業は職人によって支えられており、それぞれの職種ごとに「名人」がいる。名人の仕事は単純労働には還元できない性質の仕事であり、西洋の「労働」という概念ではとらえきれない。わたしは「職人仕事」とよびたい。ebisuの経験ではやらされ感はなかった。仕事は自己実現の手段であり、全人的な表現であった。他の人から仕事を引き継ぐたびに大きく仕事を変えた。4人で2ヶ月かかった仕事をゼロにして、仕事の精度を飛躍的に上げることだって現実には可能だった。会社を動かす仕組みを変えることで、仕事を楽にし精度を上げつつ売上高粗利益率を15%もアップすることもできた、結果として円安と円高のたびごとに赤字と黒字を繰り返していた会社は安定して高収益の黒字会社に生まれ変わった。
 そういうわけで、終電で帰宅することが多くても仕事はとっても楽しい。土日に知的興味のある分野の専門書を読み、その技術を現実に仕事で使って効果を自分の目でみて、能力の拡張を確かめることも楽しいのである。仕事をやることが人間疎外だなんてマルクスの主張は日本の現実にはまったく合わぬ。

 たとえばギリシアにみるように西ヨーロッパの一般市民の理想は労働からの解放であるが、日本人はなんらかの仕事を生きがいにして生活するのが理想である。日本人が「仕事から解放」されて感じるのは多くの場合「疎外感」だろう。
 千年以上もいい仕事をすることが立派なことだと教えられてきたから、それは伝統文化の一部をなしており、日本人には仕事が善であることは常識的な事柄に属する。それは神事とも関係している、刀鍛冶の仕事を想像してもらいたい。農業もそうだが作ったものを神に捧げるのである。だから日本人は仕事の手を抜かない。仕事に没頭しているときに命の喜びを感じることがある、文字通り命が喜んでいる。

 物を作るということは豊穣とつながりそれゆえ神事とどこかでつながっている。セックスに関する考え方もそうした文化の基底層にあるものから影響を受けている。豊穣につながるから、セックスは神事でもある。天岩戸を開くときホトを広げて踊るのは文化的な理由があるのだ。
 日本の伝統的なお祭りは乱交の場でもあったのだが、そこで妻が妊娠しても自分の子供として育てることがあたりまえに行われた。普段は閉じている村落共同体が他の共同体に開かれるのはお祭りの期間だけ。遺伝子の劣化を防ぎ、よい遺伝子を積極的に向かいいれることも普通に行われていた。都のそれなりの人が旅で村に宿泊するときには夜伽と称して娘を差し出すことだって特別なことではなかった、日本人のセックス観はじつにおおらかなのである。そうした習俗のひとつに「歌垣」**があるのだが興味のある人はネットで検索してみたらいい。

 仕事場にはいまでも神棚を祭っているところがたくさんある。刀鍛冶に限らない、歌舞伎や文楽などの伝統芸能もそうした世界である。根室の漁師達だって必ず家に神棚を飾っている。そしてそれは単なるお飾りではないのだ。神に祈ることは大漁につながり、命がけの仕事をしてとった獲物を神に捧げる。

 奴隷制度を経験した国々の労働観は日本人の職人仕事観とはまったく違っており、労働からの解放が全人的な人間回復の絶対条件であるかのようだ。
 儒教の国も手仕事の労働を軽視、あるいは侮蔑する。そうした仕事に携わる者たちの社会的身分が低い。
 そうした国で最高級の品質の製品など作れるはずがないから、日本人は職人仕事の粋を集めて、最高品質の製品をつくればいい。そういう伝統を守っていけば、世界経済の中での日本は北極星のごときものとなる。

 「マルクスの労働観」を日本人の「職人仕事観」に置き換えると、まったく違った経済学が展望できる。それこそが21世紀以降数百年間の新しい経済学となるとしたら、日本の世紀がはじまっているのかも知れぬ。未来は明るい。

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【歌垣】
 黒岩重吾に『弓削の道鏡』という作品がある。その下巻383ページに歌垣の場面が描かれている。余命幾何もない称徳天皇(女帝)が命じて歌垣を催させる。この歌垣のことは『続日本紀』にも記述がある。
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 歌垣は春や秋の穀物の祭りから起こったもので、若い男女が歌を歌って踊り、気に入った相手を見つけ山野で媾合(まぐわ)うのである。
 由義宮での歌垣は女帝の要望で行われた。河内に住む渡来系の氏族、藤井・船・津・文・武・生(ふ)・蔵の六氏から選ばれた男女が、麻の疎目(あらめ)の布を山藍で青く摺染めにした衣服を纏い、長い紅の長紐を垂らし、歌い踊った。六氏から選ばれた男女は二百三十人だった。
 道鏡と女帝は急造の楼観から歌垣を眺めた。歌垣には、これまで女帝が知らなかった人間の生命力が、華やかさの中に溢れていた。まさに人間賛歌である。女帝は歌垣に酔い、五位以上の官人、内舎人、また女の孺(めのわらわ(=幼い子の意))と呼ばれている女帝に仕える女官達にも、歌垣に加わるように命じた。
「皆人間に戻るのじゃ、身分や誇り、また羞恥心は捨てよ、気持ちと身体のおもむくまま歌い、踊るのじゃ、気が合えば媾合って構わぬ」
女帝は顔を紅潮させて叫んだ。
 この歌垣には、また女帝の要望で歌人が作った歌が歌われた。

 乙女らに 男立ちそひ 踏みならす 西の都は 万代(よろず)の宮
 淵も瀬も 清くさやけし 博多川 千歳を待ちて 澄める川かも

『続日本紀』にはニ作しか記していないが、もっと多くの歌が歌われたであろう。・・・」

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【歌垣】大辞林より
 ①古代の習俗。男女が山や海辺に集まって歌舞飲食し、豊作を予祝し、また祝う行事。多く春と秋に行われた。自由な性的交わりの許される場でもあり、古代における求婚の一方式でもあった。人の性行為が植物にも生命力を与えると信じられていたと思われる。のち、農耕を離れて市でも行われるようになった。かがい。
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【まぐわい】「目合い」大辞林より
①目を見合わせて愛情を通わせること。目くばせ。
②情交、性交。

 『日本書紀』にも『古事記』にもよく出てくる単語である。古事記冒頭には伊弉諾の命と伊耶那美の命の2神の媾合が書かれている。なんとこの2神の媾合で大八嶋すなわち日本の陸地が産み出されるのである。これが国産み神話だ。お母さんの脇の下から生まれた(お釈迦様)とか処女マリアが受胎した(キリスト)という苦しい言い訳はみったくない。もっともロシア語通訳の米原真理(故人)によれば、ヘブライ語からラテン語への翻訳のときに間違えて、「未婚の女」が「処女」と誤訳されてしまったのだそうだ。マリアには何人かボーイフレンドがいたのだろう。
 古事記を読んでHの結果の壮大さに度肝を抜かれてみたらいい。正しい媾合が万物を産み出す根元であるというのが太古から日本人が抱いてきたセックスにかんする原・イメージなのである。個人の繁栄も国の繁栄もそこからはじまる。どうだ、セックスがおごぞかで神聖なものだという気がしてきただろう。
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 高校生よ、古典は面白いぞ、古来日本人はセックスにはおおらかだ。それは豊穣につながり、神事につながるからだ。自然なものだからいやらしいなんて感情はない。
 極端な例をあげると、高校生になっても付き合っているのに相手の手すら握れない草食系男子が存在するのでは、人間の本源的な欲望を健全に育て損なっているのではないかと心配になる。
 大学入試なんて一回ぐらい滑ってもいいから『源氏物語』を全巻読んでみたらいい。好きになることとセックスは大人の恋愛ではイコールの関係にあった。『枕草子』もそういう観点から読んでみたらいい。『和泉式部日記』はもっと過激だ。高校の古典の授業は、高校生が興味のある古典の面白いところを全部削ってしまっている。知的興味の赴くままに授業の枠を超えてみたらいい、別世界が君達をまっている。
 夢中で読んでいるうちに学力は勝手にあがってしまうものだ。学力向上なんて、目標ではない、ただの結果だよ。


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弓削道鏡〈上〉

弓削道鏡〈上〉

  • 作者: 黒岩 重吾
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1992/07/01
  • メディア: ハードカバー

弓削道鏡〈下〉 (文春文庫)

弓削道鏡〈下〉 (文春文庫)

  • 作者: 黒岩 重吾
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1995/06/10
  • メディア: 文庫

 本のページ数は文庫本ではなく、1992年の初版本である。

#2374 高架橋から35kgの金属板落下:作業の質の劣化が気になる  Aug. 16, 2013 [A.6 仕事]

 倉敷市の山陽自動車道から継ぎ目についている金属板が落下した。真下には一般道がある。

NHKニュースより
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130814/k10013762011000.html
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高架橋から35キロの金属板落下 猛暑影響か
8月14日 4時5分

岡山県倉敷市を通る山陽自動車道の高架橋から、重さ35キロの金属製の板が7メートル下の市道に落下しているのが見つかり、西日本高速道路は、連日の猛暑で板が膨張し固定していたボルトが折れたとみて調べるとともに、同じような箇所の緊急点検を行うことにしています。・・・連日の猛暑で鋼の板が膨張し、固定していたボルトが破断・・・
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 URLをクリックしてもらえばビデオ映像があるので、どんな風に金属板が取り付けられているのかわかる。
 高速道路のコンクリートの継ぎ目に金属板が張り付けれられているが、となりの継ぎ目の支柱との間に隙間を開けておかないと、コンクリートが熱膨張すると金属板をとめているボルトが熱膨張の圧力で破断することになる。
 追跡取材したテレビのニュースは点検した結果隙間のないところがいくつも見つかり、金属板を外したと報じている。

 これは作業ミスだろう。夏季の熱膨張はあたりまえだから、工事を施工する作業員は指示がなくても隙間を空けておく。なれない人間が作業したとしても、ベテランが結果の点検をして歩けば問題がなかったはず。真夏の日中に工事したのであれば隙間は小さくていいが、冬の夜に工事したのなら隙間はたくさん空けなければならない。その辺りは計算値があるだろうし、ベテランならば計算された表を確認せずとも全体の状況を判断して適切な間隔が判断できる。
 作業員が熱膨張を考えなかったとすると、いろんなところに同種の危険が潜んでいることになる。ビルにだってこうした金属板が貼り付けられているところがあるだろう。
 作業員は職人である。ベテランが初心者の仕事をしっかり管理していないとしたら作業品質は低下する。

 わたしは中高生を教えていて、成績下位層(下位20%)はこういう現場作業のノウハウをベテランに教えてもらっても言葉を正しく理解できるかどうかに不安がある。「熱膨張」という言葉を聞いて漢字に変換できない生徒は多い。おそらく成績下位10%は「ぼうちょう」という言葉を聞いてもその意味がわからない。説明された内容を理解するだけの気力があるかどうかについても不安がある。知らない言葉を聞いても成績下位層の生徒は国語辞書を引かない。それは習慣になっているから、ほとんどの者たちが大人になっても同じ事を繰り返すことになる。
 成績下位層は肉体労働者となる者が多いだろうが、こうした土木建設作業だってしっかりした仕事をするには、頭を使って考え、ベテランの説明を受け止めるたしかな基礎学力が要る。どんな作業も、頭を使ってなぜかと問いつつ意味をしっかりとらえて仕事をする者とそうでない者との仕事には数年たったらハッキリした違いがでてしまう。仕事から日々学ぶ者と学ばぬ者との技術的な差は歳を経るごとに大きくなっていく
 単純肉体労働者で終わるか、高度な判断を任される熟練労働者になれるかは日々の仕事の仕方次第だ。大工の棟梁を考えてみたらいい。極めると単なる肉体労働ではなくなる。高度な知的作業と磨きぬかれた技の統合がなされている。かっこいいし、任される仕事の範囲も責任も報酬も大きくなる。なにより、自分が頭の中に描いたものを形にできるという楽しさがある。
 仕事は本来楽しいものだ。自分の作ったものが50年たってもしっかりしている、適切なメンテナンスをやっていれば百年だってもつと思えるなら、それは仕事に対する誇りというものだろう。

 コンクリートが熱膨張するなんて事だって、教えられなければ分からないのでは困る。中3の生徒の中の何人かは、「先生、鉄道のレールのように金属は熱膨張するけどコンクリートが熱膨張するなんて聞いたことがない」と言いそうである。
 現場で何から何まで教えることは不可能だ。ベテランの作業の仕方を見て「盗み」、自分の頭で考え、そして工夫をしないと技術は上がらぬ。普段から仕事に関連する本にも眼を通さなければコンクリートが熱膨張するなんて思いもつかないことになってしまう。こうした肉体労働にだって最低限の基礎学力や教養が要る
 現場作業をする肉体労働者の基礎学力の高さや仕事への責任感の強さが日本の土木建築の品質を高からしめているのであるが、どうやらそこがあやしくなりつつある

 こどもたちの学力低下を見過ごしてはならないのだろう、それはあらゆる分野で仕事の品質の劣化となって現れることになるのだから

 団塊世代が退職して職場からベテランがごそっといなくなりつつあるから、仕事の管理がルーズになるのはむしろこれからである。いま行われている土木建設作業でつくられた構造物は30年後、40年後に全国いたるところでさまざまな問題を引き起こすのかもしれぬ。
 

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