#5138 集中力と「仕事(=遊び)⇔労働」概念:NHK地上波「スタニスラフ・ブーニン」を見て Jan. 1, 2024 [5.1 脳の使い方]
元旦です、あけましておめでとうございます。
弊ブログを今年もどうぞよろしく。
午後1時からの標記の番組を見ていて、アッと思いました。
それはショパンコンクールに出場予定の日本人の若者が、自分の演奏を聴いてもらいたいとブーニンへ依頼し、それに応じたときの様子です。
演奏を聴き終わって、
「技術的には問題がない、それが問題でもある」
それでどこをどのように弾けばいいのか、2台並んだピアノでブーニンはやってみせます。
何箇所か繰り返しているときに、日本人のピアニストは、
「自分の感覚が(高いレベルへ)塗り替えられていく感覚がする」
そういいました。ブーニンの演奏は、手と鍵盤の距離が正確に計算されていました、美しく弾くためです。リストと違って、ショパンの曲を弾くのに過度の感情移入はふさわしくないと戒めていました。
ブーニンが並んだグランドピアノを弾き始めます、この若者に美しい旋律・演奏がどのようなものか伝えたかったのでしょう。それが40分間続きました。
ブーニンの奥さん(日本人)は少し慌てていました。時間には制限があって、記念撮影する予定が組み込まれていたからです。ブーニンはお手本を示そうと演奏を始めたら、すっかりそのことを忘れてしまっていました。
集中のスイッチが入ってしまうと、時間の感覚がなくなります。周りの雑音も会話も耳に入ってきますが、意味をなしません。脳が集中していることに全力で駆使されて、音が耳に入ってきても聞こえないか意味を理解できないのです。他に注意を振り向ける余力が失われているからです。
こういう時は矢のように時間が飛んでいきます。
十数時間の勉強を10日ほど継続することはそれほど難しいことではありません。あ、と気がついて時計を見たら、5~8時間も経っているなんてことが起きます。数時間が30分くらいにしか感じられないのです。夢中で遊んでいるときと時間の感覚は同じです。だから、遊びも勉強も全力で集中しているときは一緒、区別がないのです。それが「仕事(=遊び)⇔労働」とタイトルに書いた意味です。10日続けたら、睡眠障害が出てきて体力が消耗します。脳の活動レベルを上げる(集中力をアップする)と、脳の血流がアップして大量にエネルギーを消費するようです。だから、血流のバランス確保のためにも、ヨガのような全身を動かすストレッチ運動とか散歩をしたほうがいい。顕在意識と潜在意識をクールダウンするために座禅やヨガの瞑想が有効です。学習事項が自動的に脳内に次々に展開して止められなくなるので、それを消すためには座禅で呼吸をコントロールして、「自動ポップアップ現象」を鎮静化させます。高校生の時にはまだそういうことができませんでした。
スキルス胃癌と巨大胃癌を同時に患って胃と胆嚢のの全摘手術をしてからは、週龍力はせいぜい3時間です。それぐらいの時間でエネルギーが枯渇して続けられません。脳の活動レベルが突然に落ちるのです。脳の活動が体力と関係があることを思い知らされました。2~3時間ごとに何か食べながらやっています。これじゃあかん(笑)
集中モードが体力ではが続き出来ないので、以前よりも分散モードを上手に利用するようになりました。こちらはトルクが小さいようで、大量のエネルギーを必要としません。
高校1年の終わりの春休みに、毎日十数時間、原価計算の問題集をやって、1週間でやり終わったときの時間感覚がそうでした。学部のゼミの準備で『資本論』や『経済学批判要綱』を読みふけってい思索しているときも、気がつくと夜が明けていることが何度もありました。
大学院を修了して、企業に勤めて、科学技術用の計算機HP-67とHP97でリバースポーランド記法のプログラミングを数日でマスターしたときもそうでした。家に帰ってからプログラミングを始めると、空が明るくなってきたのに気がつき、時計を見ると5時近くです。あわてて1時間ほど仮眠して通勤電車に乗るなんて生活をしてました。真夜中の5時間が1時間ぐらいにしか感じられないのです。
半年ぐらい後でCOOLというダイレクトアドレッシングのオフコン用の原始的なプログラミング言語を習得して、自分の仕事に使ったときにも、時間は矢のように飛んでいきました。終電には間に合うように、そこだけ気を配っていました。3つほど経営改善のためのシステム開発をしたときに外部設計や実務設計をしているときにも時間は矢のように飛んでいきました。
ピアニストも芸術家であると同時に、スキルアップの厳しいトレーニングを積むので、職人の側面があります。全身全霊で取り組むときにスキルの上達があると同時に、遊びや仕事はより完璧なものとなり、喜びが心を満たします。
こういう深い集中は誰にでも起きうる現象で、ほとんどの人がなんらかの大好きな遊びの中で経験しているはずです。
私はサラリーマン生活を52歳まで、業種を変えて5つの企業で26年間やりましたが、一度も「労働している」という感覚が湧いたことがありません。いつでも「仕事(=遊び)している」という感覚でした。それが心の持ち方次第なのか、それともそれ以外のものがあるのか、よくわかりませんが、「労働」と感じている人はつらいでしょうね。そこは理解できます。労働という概念は明治以降に入ってきた西欧の概念です。その淵源は奴隷や農奴の「労働」なのです。だから、マルクスのように「労働からの人間の解放」が、経済社会改革の重要なテーマになり得ます。西欧の人々は定年退職は「Happy retirement!」なのですが、日本人の多くは疎外感を感じているのではないでしょうか?仕事に生きがいを感じている人が少なくありません。もうやらなくていいよと言われたら、ありがたくないのです。健康でいる限りは、体力に応じた形で仕事をしたいというのが、多くのお年寄りの本音です。人のお役に立てるということがうれしいのです。日本人が仕事に対して伝統的に維持してきた価値観は、奴隷労働に淵源をもつ「労働概念」とはまったく異なるものなのです。
日本人にはすくなくとも明治までは「労働」という言葉がないのですから、もともとあった「仕事」という日本語で考えてもらいたい。それにふさわしい、経済社会をデザインすればいいのです。
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#5138 集中力と「仕事(=遊び)⇔労働」概念:NHK地上波「スタニスラフ・ブーニン」を見て Jan. 1, 20
弊ブログを今年もどうぞよろしく。
午後1時からの標記の番組を見ていて、アッと思いました。
それはショパンコンクールに出場予定の日本人の若者が、自分の演奏を聴いてもらいたいとブーニンへ依頼し、それに応じたときの様子です。
演奏を聴き終わって、
「技術的には問題がない、それが問題でもある」
それでどこをどのように弾けばいいのか、2台並んだピアノでブーニンはやってみせます。
何箇所か繰り返しているときに、日本人のピアニストは、
「自分の感覚が(高いレベルへ)塗り替えられていく感覚がする」
そういいました。ブーニンの演奏は、手と鍵盤の距離が正確に計算されていました、美しく弾くためです。リストと違って、ショパンの曲を弾くのに過度の感情移入はふさわしくないと戒めていました。
ブーニンが並んだグランドピアノを弾き始めます、この若者に美しい旋律・演奏がどのようなものか伝えたかったのでしょう。それが40分間続きました。
ブーニンの奥さん(日本人)は少し慌てていました。時間には制限があって、記念撮影する予定が組み込まれていたからです。ブーニンはお手本を示そうと演奏を始めたら、すっかりそのことを忘れてしまっていました。
集中のスイッチが入ってしまうと、時間の感覚がなくなります。周りの雑音も会話も耳に入ってきますが、意味をなしません。脳が集中していることに全力で駆使されて、音が耳に入ってきても聞こえないか意味を理解できないのです。他に注意を振り向ける余力が失われているからです。
こういう時は矢のように時間が飛んでいきます。
十数時間の勉強を10日ほど継続することはそれほど難しいことではありません。あ、と気がついて時計を見たら、5~8時間も経っているなんてことが起きます。数時間が30分くらいにしか感じられないのです。夢中で遊んでいるときと時間の感覚は同じです。だから、遊びも勉強も全力で集中しているときは一緒、区別がないのです。それが「仕事(=遊び)⇔労働」とタイトルに書いた意味です。10日続けたら、睡眠障害が出てきて体力が消耗します。脳の活動レベルを上げる(集中力をアップする)と、脳の血流がアップして大量にエネルギーを消費するようです。だから、血流のバランス確保のためにも、ヨガのような全身を動かすストレッチ運動とか散歩をしたほうがいい。顕在意識と潜在意識をクールダウンするために座禅やヨガの瞑想が有効です。学習事項が自動的に脳内に次々に展開して止められなくなるので、それを消すためには座禅で呼吸をコントロールして、「自動ポップアップ現象」を鎮静化させます。高校生の時にはまだそういうことができませんでした。
スキルス胃癌と巨大胃癌を同時に患って胃と胆嚢のの全摘手術をしてからは、週龍力はせいぜい3時間です。それぐらいの時間でエネルギーが枯渇して続けられません。脳の活動レベルが突然に落ちるのです。脳の活動が体力と関係があることを思い知らされました。2~3時間ごとに何か食べながらやっています。これじゃあかん(笑)
集中モードが体力ではが続き出来ないので、以前よりも分散モードを上手に利用するようになりました。こちらはトルクが小さいようで、大量のエネルギーを必要としません。
高校1年の終わりの春休みに、毎日十数時間、原価計算の問題集をやって、1週間でやり終わったときの時間感覚がそうでした。学部のゼミの準備で『資本論』や『経済学批判要綱』を読みふけってい思索しているときも、気がつくと夜が明けていることが何度もありました。
大学院を修了して、企業に勤めて、科学技術用の計算機HP-67とHP97でリバースポーランド記法のプログラミングを数日でマスターしたときもそうでした。家に帰ってからプログラミングを始めると、空が明るくなってきたのに気がつき、時計を見ると5時近くです。あわてて1時間ほど仮眠して通勤電車に乗るなんて生活をしてました。真夜中の5時間が1時間ぐらいにしか感じられないのです。
半年ぐらい後でCOOLというダイレクトアドレッシングのオフコン用の原始的なプログラミング言語を習得して、自分の仕事に使ったときにも、時間は矢のように飛んでいきました。終電には間に合うように、そこだけ気を配っていました。3つほど経営改善のためのシステム開発をしたときに外部設計や実務設計をしているときにも時間は矢のように飛んでいきました。
ピアニストも芸術家であると同時に、スキルアップの厳しいトレーニングを積むので、職人の側面があります。全身全霊で取り組むときにスキルの上達があると同時に、遊びや仕事はより完璧なものとなり、喜びが心を満たします。
こういう深い集中は誰にでも起きうる現象で、ほとんどの人がなんらかの大好きな遊びの中で経験しているはずです。
私はサラリーマン生活を52歳まで、業種を変えて5つの企業で26年間やりましたが、一度も「労働している」という感覚が湧いたことがありません。いつでも「仕事(=遊び)している」という感覚でした。それが心の持ち方次第なのか、それともそれ以外のものがあるのか、よくわかりませんが、「労働」と感じている人はつらいでしょうね。そこは理解できます。労働という概念は明治以降に入ってきた西欧の概念です。その淵源は奴隷や農奴の「労働」なのです。だから、マルクスのように「労働からの人間の解放」が、経済社会改革の重要なテーマになり得ます。西欧の人々は定年退職は「Happy retirement!」なのですが、日本人の多くは疎外感を感じているのではないでしょうか?仕事に生きがいを感じている人が少なくありません。もうやらなくていいよと言われたら、ありがたくないのです。健康でいる限りは、体力に応じた形で仕事をしたいというのが、多くのお年寄りの本音です。人のお役に立てるということがうれしいのです。日本人が仕事に対して伝統的に維持してきた価値観は、奴隷労働に淵源をもつ「労働概念」とはまったく異なるものなのです。
日本人にはすくなくとも明治までは「労働」という言葉がないのですから、もともとあった「仕事」という日本語で考えてもらいたい。それにふさわしい、経済社会をデザインすればいいのです。
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