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#5085 英語音読におススメCD教材:『赤毛のアン』 Oct. 14, 2023 [49.1 英語音読トレーニング]

 アガサ・クリスティ―『そして誰もいなくなった』の朗読CDを二つ紹介しました。この小説は内容が面白いので飽きずに読めます。しかし、完全版の170 words/minの方は音の短縮の版かが多すぎて、音読トレーニング教材としては適していないことがわかりました。詳しくは#5084に記してあります。150 words/minのゆっくりしたほうは、リライト物ですから、分量は1/4ほど語彙数は1/5以下でしょうね。高校の英語教科書みたいでつまらない。
 例えば、「米国の大金持ちの妻」と「米国の大金持ちの三番目の妻」では、読み手の方の面白さがまるで違ってきます。ああ、お金目当てで結婚して、ヨット好きの亭主に話を合わせていたが、船酔いするので、さっさと屋敷と島を処分させたのだな、なかなか強そうな女だというように想像力を働かせることができない。

 では教材として何があるかと、手持ちのCDをチェックしたら、L.M.モントゴメリー『赤毛のアン』がありました。160 words/minで、ナレーターのBarbra Carsoさんはきれいに原文通りに読んでくれています。1908年の刊行ですから、物語の時代が古いことが難です。そこは我慢してくださいね。

  CD 9枚 完全版 Anne of Green Gables
 3155円です。
 
 手持ちの、それもたった3種類のものの比較によるご推奨ですので、世の中にはたくさんの英語朗読CDがありますから、他も当たってみてください。

<映画のDVDを使った物まねのススメ>
 映画もいいでしょうね。台詞の読み方、そのときの情景が映像で与えれらますから。例えば「カサブランカ」や「ローマの休日」のような古い映画は、安価ですから、高校生や経済的に楽ではないほとんどの大学生には求め安くていいでしょう。字幕が英語と日本語の両方に切り換えられるものを選んでください。好きなシーンの台詞をひたすら繰り返し真似したらいい。好きなシーンの台詞はすぐに暗記できます。
 この2枚を含めて、映画のDVDを数枚持っています。

<余談:時代の移り変わりと思い出>
 いい時代になりました。CDやDVDで英語の勉強ができるのですからね。
 高校1年生になったばかりの時(1964年東京オリンピック)に、sonyのテープレコーダーを買ってもらいました。オープンリールで、同じところを聞くにはガチャガチャと早戻しのハンドルを操作し、すぐに再生位置に戻して聞かなければなりませんでした。あんまり乱暴にやると壊れそうでした。35000円くらいしてました。大卒初任給の年次統計を参照すると19,100円です。どうしてそんなに高価なものを買ってもらえたのかというと、ミシンか何かの積み立てで、溜まった金額が40000円ほどになったので、電気屋さんからそろそろ商品化って下さいと言われて、何がいいかとお袋はわたしに相談。それでソニーのテープデッキを選んだというわけ。NHKのラジオ英語講座を録音して聴いてみたのです。まだ、カセット式のテープレコーダーが発売される前のことでした。
 小学生の時からビリヤード場がわたしの遊び場でした。中学生になったときには、毎日2~3時間店番していました。だから「ご褒美」でもあったのです。
 団塊世代でしたから高校受験は根室高校商業科は2倍の倍率でしたが、倍率が何倍でも関係ありません。毎日変わらずビリヤードの手伝いをしていました。いろんな職種と性格の大人がお客さんでしたから、愉しかった。勝負事にはその人の性格や世界観がもろに出てきます。それをみながら、それぞれの人がその職種でどんな仕事の仕方をするのか妄想していました。だいたい当たっていたと思います。
 高校2年生になるとオヤジは写真の引き伸ばし機一式をそろえて注文して買ってくれました。あるとき、「鳥渡ついてこい」といって緑町3丁目にあった写真屋さんへ行くと、引き伸ばし機を渡され、現像の仕方を店の人が教えてくれて、...サプライズでした。ほしいなんて言ったことがありません。オヤジは結婚するときにもっていたカメラを売って、写真の趣味をやめてます。自分が欲しかったのでしょうが、一度だけ「1枚焼かせろ」と言ってやってみただけで、一切口出ししません。写真を乾燥機にかけているところへ来て眺めるだけ。いいとも悪いとも言いません。好きにやらせて愉しむだけ。干渉しない、いいオヤジでした。

 ここまで書いていま思い出しました。ヤクザの親分のTさんが常連客の一人でしたが、まだ誰も客がいないときでも、一度もわたしにゲームしようと言ったことがありませんでした。お行儀のよい幹部3人ほどだけ店への出入りを許していましたが、彼らも一度もわたしにゲームの相手をしてくれと行ったことがないことを思い出しました。Tさん、出入りを許した幹部には息子とビリヤードはするなと言い渡していたんだといま気がつきました。相手したことのないお客さんって他には思い出せません。若頭のK生さん、当時30歳前後だったと思いますが、瘦せ型で見るからに元気のある人でした。高校時代にスナックへ出入りしていて、チンピラ風の客に絡まれて、あわや喧嘩になるところを、なぜか現れて「息子、どうした?」と訊くと、すぐに相手の男のところへ行って小声で何かを話して場を収めてくれました。その間2分とかかっていません。k生さん、すぐに店からいなくなりました。絡んできた相手はおとなしくなっていました。あの社会では若頭って偉いんだなって感心しました。それからはスナックへの出入りはやめました。喧嘩になってケガさせたら警察沙汰になって高校退学になりかねません。それに、借りを作ると碌なことになりません。

 高校時代になぜスナックに出入りできるほどお金があったかについても書いておきます。毎日店番をしていたことは書きましたが、ときどき土曜日は客がいれば24時間営業していました。「オヤジ寝てていいよ、今日は俺が朝まで店番するから」といって朝まで営業していました。売上が多いんです。それで10%もらう。それから、珠算塾の高橋先生から、S山先輩(2学年)が中央大学文学部へ合格して卒業し汐見町の分塾の講師がいなくなり、1年間ピンチヒッターを頼まれました。当時で8000円もらっていました。毎月、15,000円ほど毎月お小遣いがあったのです。大卒初任給の7割ほどですから、現在の貨幣価値では15万円ほどです。たまにはスナックにでも出入りしなけりゃ高校生には使いきれない。(笑)
 しかたないので、友達つれて「甘太郎」(緑町2丁目)で買い食いした後、今度は塩ラーメンが食べたいと「浅草軒」(梅ヶ枝町3丁目)でラーメンを食べるようなことしていました。
 近所(緑町3丁目)にあったパン屋さんの「畠山」で焼き立てのふわふわの食パンを買って、森永の練乳をたっぷり乗せて食べるなんてこともしてました。1斤食べ終わると練乳一缶がなくなります。お菓子よりもおいしかった。
 緑菓子店の串団子もおいしかった。餡子は「緑の父さん(鷲尾さん)」が手造り、団子は包丁で輪切りしてました。餡子がいいからとってもおいしいのです。餡作りには手をかけるけど、団子には手をかけない、仕事の主張のはっきりした職人さんでした。人がいないと「トシボー、一緒にやろう」とよく誘ってくれました。女の子2人だけだったので、ヤッコの同じ年のわたしをかわいがって遊んでくれました。あんなにおいしい串団子にまだお目にかかっていません。幼馴染のヤッコちゃんはもう十数年前に癌で亡くなりました。幼稚園の頃にヤッコのところで一緒にお風呂に入った仲だと聞かされて、びっくり。残念なことに記憶にありませんでした。(笑) 中学生になっても高校生になってもいちども口をきく機会がありませんでした。家が50mほどしか離れていないので、高校には毎日同じバスで通っていたはずです。年頃になると男女を意識するので気軽に声をかけにくかったのかもしれません。
 不思議なことにヤッコとも花屋のケイコとも洋裁店のユッコとも一度もクラスが同じだったことがありません。ユッコのところから50mほどのところの田塚歯科医院の二女のケイコは高校までずっと一緒のクラスでした。ユッコと田塚歯科医院のケイコの間に小学校の同級生の荒関の家がありましたが、NTTの空き地で一度も缶蹴りやドッジボール、ケンパなどの遊びをしたことがなかった。ヤッコと花屋のケイコとユッコが、家の前のNTTが建て替わるまで広い空き地になっていたので、遊び仲間でした。小学校の時は男女の体力差はあまりありませんので、一緒に本気で遊べます。ああ、角の床屋のマーちゃんも一緒に遊んでましたね。梅ヶ枝町1丁目の魚屋さんの女将さんです。夏場は毎日のように暗くなるまで一緒に遊んだ幼馴染でした。




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