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#2756 偏差値55以上の大学受験生対象の塾はビジネスとして成立たぬ現実(根室)  Aug. 1, 2014 [55. さまざまな視点から教育を考える]

  根室の中学生の学力がこの7年間で著しく低下したことは、一番学力の高かったB中学校を例に挙げて#2606と2607で説明した。

*#2606 根室の中学校の過去6年間の学力低下を検証する  Feb. 28, 2014
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-02-27-1

 #2607 生徒の学力低下に気がつかぬ学校と根室市教委 Mar. 1, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-03-01

<序:データから読み取れること>
 文協学力テストの年平均点が50点も落ちている。
 6年間の学力低下の実態を表した表を再掲する。
======================

   155.9 ⇒ 105.0

B中学校3年生2007年
  国語 社会 数学 理科 英語 合計
4月学テ33.234.922.927.832.4151.2
8月学テ37.440.423.634.831.7167.9
 総合B38.929.223.526.932.0150.5
 総合C37.440.423.634.831.7167.9
 模試37.325.624.825.229.3142.2
 合計184.2170.5118.4149.5157.1779.7
 平均36.834.123.729.931.4155.9
成績下位20%は18/83で、点数は119点(8/27の学テデータによる)
B中学校3年生2013年
 国語 社会 数学 理科 英語 合計
4月学テ25.51719.316.922.0100.7
 総合A26.724.617.825.615.9110.6
 総合B33.717.517.724.215.9109.0
 総合C27.522.716.218.418.0102.8
 模試27.318.817.522.021.2106.8
 合計140.7100.688.5107.193.0529.9
 平均28.120.117.721.418.6106.0

<抜粋引用>
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(2) 五科目合計点210点超の高学力層
 2007年は9~18人、2013年1月の学力テストでは4人である。高学力層がおおよそ1/3に激減してしまった。生徒数は2007年が79人、2013人が72人である。

    9~18人⇒ 4人

(3) 五科目合計点70点以下の低学力層
 2007年度は70点以下は1人かゼロである。20013年1月の学力テストデータでは21人(29.2%)

    1人⇒ 21人(29.2%)

 五科目合計点で70点以下の成績下位層が21倍になった。

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<なんとも判断しかねる4月学力テストデータ> 
  今年四月のB中学校の3年生の学力テストの平均点は139.7点だったから、39点アップしている。
(個人票に書き込まれている五科目学年平均値は100.8だが、これは昨年度のデータを間違ってコピーしてしまったのだろう。「3年生学力テストの点数の推移」の方は139.7点となっているからこちらが正しいのだろう。)
 C中学校は平均点が149.9点になっている。こんなに高いのは初めてかもしれない。2校がどちらも大幅にアップしているのは問題の難易度が低かったのだろうか、それとも今年の3年生の成績が昨年の3年生よりも大幅に高いのか、わからない。
 2年続けて道立高校入試の問題の難易度が極端に落ちたので、文協学力テストもそれにあわせて難易度を下げたのだろうか?なんとも判断に困るデータである。
 経緯を追うのはもちろんだが、2月に実施した学力テスト(500点満点)と四月の学力テスト(300点満点)の階層別の人数を比べたらなにかわかるだろうか?次回の#2757で3階層に分類してデータをみることになる。

 計算問題集カルクを繰り返し宿題に課すことは学力下位層の数学の底上げに役に立っていると思うが、どれくらい底上げに寄与しているのだろう?
 (問題集に答えを書きこむ指示を一部の教員がしているようだが、すぐに取り消してもらいたい。繰り返しやらせるという趣旨で市の予算を割いて無料で生徒全員に配られている問題集なのである。)

<高学力層の激減、低学力層の肥大が進む根室>
 市街化地域の3中学校で1・2年生は500点満点の学力テストを実施しているが、最近数年は400点以上が3校合計で4~15人である。10年前には50人くらいいた。高学力層が10年経たないうちに三分の一になっている。しっかりした本を読まない生徒が増え、中3ですら小学4年生レベルの語彙力の生徒が20~25%いる。中学1年生で分数や小数の四則演算に問題を抱えている生徒が現状で各学校に約4割いる。B中学校では昨年度の3年生は、五科目合計点で比較すると以前は一人しかいなかった最低得点層に20人近くもいた。(成績下位の)赤信号、みんなで渡れば恐くないのである。そのうちの半数は自分は「普通」だと思っている。
 そのまま放置したら学校を卒業しても単純労働しかできないだろう。職人の修行は厳しいから、嫌いな科目の勉強すらやらなかった生徒は将来一人前の職人になることもできぬ。道は八方塞となる。それでもいつかは気がつく、心の底から思うときが訪れる、「あのときにもっと勉強しておくべきだった」と。そこからがんばってもいいのだよ。努力を重ねていたら、見る人は見てくれている。

<ローカルな学力テストの得点と全国模試での偏差値の対応関係>
 400点の生徒は高校に進学してから概ね全国模試の偏差値は45~48くらいで全国平均に少し届かない。高校1年生の全国模試偏差値55を超えられるのは中学校の文協学力テストでおおよそ450点超の得点層である
 市街化地域3中学校を合わせても450点超の得点層は3~7人に減ってしまっている。理由はいままで弊ブログでいくつか書いてきた。
 はっきり言えることは小学校の段階で、「読み・書き・そろばん(計算)」のトレーニングが足りないということ、それと家庭学習や読書が生活習慣に組み込まれていない生徒が多いことだろう。後者については全国学力テストの際の調査票の分析で明らかになっている(「H25全国学力テストデータ分析」というカテゴリーにまとめてあるので、参照してほしい)。
 中学校は中学校でいろいろ問題がある。成績下位層への放課後補習の徹底もそのうちの一つだ。過度なブカツも学力向上の阻害要因の一つに数えられるだろう。健全な家庭学習習慣育成の障害となっている。
 北海道教育委員会は野球選手の大谷翔平君を起用して「文武両道」のキャンペーンをした。現場の先生たちに文武両道をはっきりいう人が増えてきたことはいい変化だ。

<文協学力テスト450点はおおよそ全国偏差値55を意味する>
 450点超の成績上位層がターゲットとする偏差値55以上の道内大学は、北大、旭川医大、札医大、帯広畜産大、小樽商大、道教育大札幌分校、北星学園(文)、・・・これくらかな。

<高学力層対象の私塾がもはやビジネスとしては成立たぬ理由>
 成績上位層がこんなに(3校合計で1学年3~7人)激減してしまうと、偏差値55以上の大学受験生を対象とした学習塾はビジネスとして成立たない。
 いつからこうなったかというと、B中学校では今年3月の高校卒業生が中1のときから学力テストの平均点がガクンと下がり高学力層が40%程度になっていたから、そのあたりだろう。

 学力テストの五科目合計点が450点を超える数人の成績優秀な生徒を育てるには個別指導しか手がない。高校数学と英語の先生を雇って生徒が学年7人以下ではおおよそ年間1千万円の赤字が出るだろう。
 幸町にある塾が高校生の受け入れをやめるので、来年4月からヤクルトビルにある塾と日専連ビルにある塾しか高校生を受け入れる塾がなくなる、残念なことだ。いろんな方針の塾があった方が生徒のためにはよい。

<高校統廃合後の授業プランが公表されていない>
 心配なのは3年後(2017年度)に迫っている高校統廃合後のことである。普通科と商業科の2科体制が予定されている。現在の普通科の教科書を使って授業をしたら、40人くらい落ちこぼれるだろう。根室西高校で使っている数英の教科書と根室高校で使っている教科書は難易度に大きな隔たりがある。授業速度にも大きな差がある。たとえば根室高校で1年でやる数Aが根室西高校では2年生の科目になっている。
 対策無しで統合すれば、生徒を留年や退学から救うために授業レベルを低下させざるをえなくなるから、根室のマチの将来にとって優良な人材供給が細るという痛手になるだろう。30年あるいは50年前に前に町を支える学力中間層を育てそこなったから人材が枯渇して、先を読んで有効な手が打てない。高学力層の生徒たちは都会へ進学するとそのままそこで就職してほとんど戻ってこない。町を支えている学力中間層のレベル低下、そして低学力層の肥大こそ憂えるべき事態なのである。このままでは町を支える人材のレベルがいまよりさらに下がってしまう。
 大学が地元にない根室の場合、高校教育の内容がどうなるかは町の未来にとって死活問題なのである
 まだ時間が残されているから、じっくりと解決案を探してもらいたい。根室高校はオープンな場で地域社会との対話が必要だ。

<統合後の高校で学習意欲低下が起きないだろうか?>
 高校統合で普通科の生徒の補習塾へのニーズが大きくなるはずだが、どうせ卒業させてくれるのだろうと高校で勉強を放棄する者たちが増える。
 中学生は高校全入でしかも一校体制になれば、高校入試のために塾通いをする必要がなくなる。2校体制下では根室高校へ入りたくて嫌いな勉強に数ヶ月間耐えて乗り越えた生徒は少なくない、そういうことが学力の底上げに役立っていたのだが、それがなくなる。生徒たちの入試直前数ヶ月間の学力の異常な伸びを何度も繰り返しみているから高校入試の競争消失の影響が恐い。生徒たちは飛躍的に自分の学力を伸ばす大事な大事な機会を失うのだ。一度、自分の学力の大きな伸びを体験した生徒たちは社会人になっても大事なところできっとがんばりきれる、なぜならたしかな実績があるからだ。そういう経験をしていないものはひ弱で、困難にぶつかると簡単にひしゃげてしまう。

 とっても大事なことなのに根室高校から統合後の授業をどうするのかアナウンスがない。高校統廃合に関する検討委員会があるようだが、そういう点の議論がなされていないのではないか?
 授業のレベル低下が起きれば生徒たちはランクを下げて大学受験に臨まざるを得なくなる。地元に残る者たちがレベルダウンした授業の中で育つことになる。30年後に結果がどうなって跳ね返ってくるか書くまでもあるまい。

<十数年後に高校生対象の学習塾は根室にあるか?>
 高校生対象の塾については、ネット予備校も何種類かあるから、十数年後にはそういう選択肢しかなくなるのだろう。学力差が大きいことと人数が少なくなるのでなんともしかたがない。

<基礎的学力の高さは小中学生の時期の勉強の仕方で決まる>
 基礎的学力は中学卒業までにほぼ決まってしまうから、それまでにどれだけ本を読んでいるか、「読み・書き・そろばん(計算)」トレーニングをどれほど積んだかでその後の学力が決まってくる。こういう重要な時期だからこそ本の濫読もすべきだ。「熱い鉄のかたまり」である子どもたちにとっては、自らを叩き鍛える人生の大事な修業期間でもある。
 そういう大事な大事な修業期間を神様が与えてくれているというのに、ゲームにスマホ、そして過度なブカツ、読むのは漫画の本ばかり、もったいないことをしている子どもたちのなんと多いことよ。大人が自覚を促すしかないではないか。だから、基礎学力保障は子どもの問題であると同時に大人たちの問題でもある。
 人口減と学力低下がダブルで生じているから根室の状況は深刻だ。


<余談-1>
 偏差値が60前後の大学へ進学できても、東京の上場企業への就職で有効なのは旧帝大系と慶応大学くらい、あとはナカミ(学力と思考力と行動力)で勝負ということになる。
 就職試験として課されるSPI偏差値で60(上位16%)が最低条件だろう。SPIの結果は、仕事の能力と関係がある。この試験で要求されるのは基礎的学力のたしかさとそれを運用する速度の大きさや正確さだ。
 一番長く仕事させてもらった会社が東証Ⅱ部へ上場し、その数年後に東証Ⅰ部上場を果たしたが、1990年代半ばには20名の募集に10000人の応募が殺到、書類選考で200人に絞り、SPIテストと面接を実施していた。
 当たり前のことだが、入社した後も競争がある。管理職試験も職位ごとに設定されていた。基礎学力が充実していて、複数の分野の専門知識をもっていないと仕事で大きな成果をあげることはむずかしい。合弁相手の東証1部の百年以上の歴史のある企業は、とつぜん会社の人事方針を変更して課長職登用条件にTOEIC600点超を追加した。部長職のハードルはさらに100点高かった。競争で仕事で勝てるだけではダメだ、基礎学力の高さも証明しなければ管理職への道が閉ざされる。管理職にはマルチ能力を要求する上場企業が増えている。

*SPI総合検査(ウィキペディアより)
http://ja.wikipedia.org/wiki/SPI%E7%B7%8F%E5%90%88%E6%A4%9C%E6%9F%BB

<余談-2:センター試験英語問題のレベル>
 私塾関係者で誤解している人はほとんどいないだろうが、誤解をしている受験生がいるかもしれないので、センター試験の英語問題の難易度について書いておきたい。
 配点の大きい問題は長文問題二つで45%を占めているが、ネイティブの中学生レベルが読むようなやさしい英文だから、あの程度の「長文」が短時間で正確に読めなければ大学へ入学してから、授業で使う「英語で書かれた専門書」を読めるはずがない。
 試験の目的は英文読解の基礎的能力を見ているだけだろう。大学の教員側が重視しているのは、基礎的「読み・書き」能力、専門課程で勉強する準備ができているかどうかだろう。

 センター試験の長文とジャパンタイムズに載っている記事を読み比べてみたらいい。根室のようにキオスクで英字新聞を売っていない町が全国にはたくさんあるだろうから弊ブログの英字新聞記事を扱ったカテゴリーをクリックしてみることを勧めたい。会計専門知識が必要な記事のような特殊なものは授業でたまに使うことがあってブログではとりあげていない、なるべく高校生が興味をもちそうなもの、あるいは読んでおいてほしいとebisuが考える記事に絞って紹介している。
 英字新聞には専門家が書いた記事が多い。専門知識を含めた「周辺知識」がなければ意味のわからぬ英文が頻繁にでてくる。ふだんからいろんなことに興味をもって情報を頭の中に溜め込んでおかないと新聞英語が理解できないことにすぐに気がつくだろう。
 英字新聞はだれが書いたのか責任の所在を明確にするために署名記事がほとんどである。それぞれ各分野の専門家が書いているものが多い。日本と違って当該記事に関する分野の学位をもっていないと専門記事は書かせてもらえない。たとえば、経済に関する記事を書くのは経済に関する学位をもっている者だし、臨床検査に関する記事では医者かその方面の学位をもっている者が記事を書くことになる。資格と仕事の関係が日本の実社会とは事情がだいぶん違っており、厳密に対応している。専門家が書くから記事には当然のごとく専門用語が使われるという事情ものみこめるだろう。

 ジャパンタイムズが読めれば特定分野の専門書もその分野の専門知識さえあれば読める、つまり英字新聞も専門書も英文自体の難易度は変わらない。だから英字新聞記事を読めたら全国どこの大学院でも英語入試問題はクリアできる。英字新聞はセンター試験レベルの長文とは難易度が段違いだ。センター試験の長文はネイティブの子供用、英字新聞は大人用、それぐらいの差がある。
 いわゆる高級紙と呼ばれる英字新聞は専門用語の知識のあるエリート層が読む新聞だ。庶民が読んでいるのは大衆紙で社会的事件やスポーツ、芸能、ゴシップが満載である。版が少し小さくてタブロイド版と呼ばれている。
 英語の専門用語はラテン語やギリシア語の接頭辞、語幹、接尾辞の組合せでできているから、専門外の人には知らない語彙がたくさん出てくるから辞書を引かずには読めない。もちろん、記事になっている分野の専門知識も概略わかっていなければならない。
 その点日本語は便利だ、一例を挙げよう。「白血病」と書いてあれば中学生でもおおよその見当がつくが、英語でleukemiaと書いてもさっぱりわからない。leukがラテン語で白を意味するのだが、そんなことを普通の中学生が知っているはずがない(ちなみにleukocyteは'白血球'なのに、赤血球の方は日本語のようにわかりやすい'red blood'なのである、これなら小学生でもわかる)。日本語は専門用語が基礎漢字の組み合わせでできているから、中学生にも専門用語のおよその意味の見当がつくというとっても便利な言語なのである。 何がいいたいかというと、小学生でも意味のわかる基本漢字で専門用語を組み立てているという日本語のメリットを活かして興味のあるものは新聞であろうと雑誌であろうと本であろうと片っ端から読んで、雑多な知識を集積しておくべきだということ。それが英文を理解するときに武器庫となる。

 高校2年生くらいになったら、ジャパンタイムズ記事を読んで見たらいい。センター試験のとっても短い「長文」がお子様ランチにみえてくるだろう。ワンランク上のレベルのテクストをこなしておくと見渡せる世界が広がってくるのは、数学でいうと数Ⅲや数Cあるいは大学の数学をやってから数ⅠA・数Ⅱ・Bをやるようなものにたとえられるだろう、視野に劇的な変化が起きるよ。1年間みっちりトライしたら、根室高校なら校内120人中30番くらいの成績の者が全国模試で校内1・2番に躍り出ることになる。難易度が少し高い良質のテクストを使って勉強してそういう世界を体験してみたらいい。
 一部上場企業への就職を考えている大学生が英字新聞を読むのは当たり前だろうな、もう理由を書く必要もないだろう。

<余談-3:ニムオロ塾の基本方針>
 学習塾としてのニムオロ塾は、社会人になったときに必要な次の二つの能力の獲得を目指している。
 ①独力で必要な専門書(英語で書かれた専門書を含む)を読みこなす能力
 ②現実の問題をよく観察して臨機応変に考え、独力であるいはチームで問題解決ができる能力

 それゆえ、ニムオロ塾では原則として数学と英語しか教えていない。他の科目は自力でやれという方針である自力でやる部分を半分は残しておかないと社会人になってから、必要な分野の専門書を10冊20冊と自力で読めるはずがない
 偏差値の高い大学へ入学し、一流企業へ入社できても30代あるいは40代で管理職として采配を任されたときに、小中高で塾に頼りきりのスタイルで受験勉強偏重の学習を何年も続けた深刻な副作用が現れてくる。何人に一人の割合でそうなるとは言わないが、リスクは大きい。3年間あるいは6年間にわたって続けたことは気がつかないところで習慣となり、いつのまにか性格の一部を形作っている。依存心の強い性格になっていることに本人すら気がついていない。
 そういう深刻な弊害を防ぐために自分でやる部分を半分くらいは残しておくべきだ、いくらビジネスだからといっていつまでも塾に頼らなければいけないようなひ弱な育て方をしてはいけないと私は考え、実行している。
 しかし、他の科目も勉強の仕方だけは教えている、「どうやって勉強したらいいわからない」という生徒がいるためだ。

 教育基本法も「社会の形成者として必要な資質を備え」ることを目的にしている。その点では学校教育は私どもと目的を同じくしているということができる。
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(教育の目的)
第一条  教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
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 学力は結局のところ、小中学校で獲得した「読み・書き・そろばん(計算)」能力に強く依存している。SPI総合試験も同じで、そうした基礎的能力がどの程度かを測定するテストである。
 社会人になったときに責任ある仕事をしっかり担えるような人材を育てることこそ塾をやっている目的である。点数アップや目先の学年順位向上はその都度塗り替えられる一次的な目標にすぎない

 専門学校や大学を卒業して職についてからではほとんどが手遅れなのである。基礎的能力はすでに固まってしまっている。
 鉄は熱いうちに鍛えておかねばならない、冷えてしまってからでは鍛えられない。嫌いな科目でも必要な勉強はする、そういうことを通して基礎学力を育てる。どこの塾だって旬の大事な時期のこどもたちを塾生としてお預かりしていることは変わりがない。

 いろいろな方針の塾があるから、私塾がいくつもあった方が生徒のためにはいい。ふるさとのこどもたちのためにできる範囲で選択肢を広げる努力をわたしたち私塾経営者はしているのだろう。


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