#2595 イメージの力(2): 8タイプに分類 Feb.16, 2014 [54. イメージ化能力と学力について]
土曜日の授業は中3である。1時間延長して10時まで英語の授業をやっていた。1・2・3年生でブカツ三昧だったり、ワガママできらいな科目を辛抱して勉強できない生徒が三人に二人の割合でいる。いまさらだが、基礎がまるでダメなので、不規則動詞を使った各単語三種類(現在形・過去形・過去分詞形)の文例をそれぞれ否定文と疑問文に書き換えさせるトレーニングをしている。68種類の不規則動詞をほぼ全員が60以上書けるようになった。家でまったくやってこない一人は11時20分まで居残りさせたこともあった。低学力化が進行する根室で私塾にどういう戦い方があるのか、こちらも真剣勝負だ。このクラスは思い入れが大きい。学校の先生たちも低学力の生徒に放課後補習をやる例が増えている。土曜日に数人対象に個別補習をしている先生もいる。授業の進捗管理は格段に改善された、昨年1月下旬に起きた弊ブログ炎上もこうしてみると必要なことだったと思える。一番歴史の古いA中学校では主要4科目がすでに教科書を終えている。9月頃はだいぶ怪しかったけど、教頭先生、よくやった。歓迎すべき変化である。
授業が終わって10時半頃もどったときに、急に北風にのって吹雪はじめた、合同庁舎前の気温表示板はマイナス1.8度、気温が上がって雪の粒が大きいから、一週間前の48cmよりも大雪になりそうだ。
さて、本題へ移ろう。「イメージの力」の2回目である。イメージの力は学力に関係が大きいので、一度自分の考えをまとめておきたいとにわかに思い立って書いている。子育て中のお母さんたちが子どもを育てるときや、小学生や中学生、そして高校生が自分をどういうタイプの学力強者に鍛え上げるかという問題を考えるときに少なからず役に立つだろう。
万葉集原文はすべて漢字で表記されている。だから読み方が定まっていない歌もある。
大和言葉に充てられた中国語(漢字)や音から連想でいる古朝鮮語には大和言葉とは別の意味が隠されているという説を唱えて、解読を試みている人やグループがある。読み様によっては非常に高度な遊びとほんとうに伝えたかった意味が裏に秘められているようだ。
茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流
茜さす 紫野逝き 標野行き 野守は見ずや 君が袖ふる
(あかねさす むらさきのゆき しめのゆき のもりはみずや きみがそでふる)
天智天皇の寵愛を受けた額田王が元夫であった大海人皇子に詠んだ歌で相聞歌といわれている。この二人の間には十市皇女(といちのひめみこ)が生まれている。しかし、この歌が詠まれたときには額田王は標野(天皇の御料地)の内におり、手が届かぬ存在になっている。この歌に対する大海人皇子の返歌もまた意味が深い。・・・
数学が得意だが国語がきらいなある男子生徒に日本語音読トレーニングを主体にした実験的な授業を1月からやっている。テクストに使っているのは『声に出して読みたい日本語』と斉藤孝・音読破シリーズであるが、狙いは日本語語彙力を拡張し読書力をつけると同時に日本的情緒を身体にしみこませるという欲張ったもの。
日本文学の原点である万葉集はそうした材料として考えるときに、宝物がびっしり詰まった「宝箱」にみえてくる、『源氏物語』や『枕草子』もそういう宝物の一つであり、日本文学は宝の山だから利用しない手はない。
この歌を含めて短歌を何首か音読して解説したがノリが悪いので訊いてみたら、言葉から情景が想い浮かばないのだという。短歌ばかりでなく、他の文章を読んでもイメージが頭の中に浮かばないという。
「あかねさす」ときたら、茜色に染まるのは朝方の日の出のころと、夕方の日没前の情景が日本人には誰でも浮かぶものだとわたしは思い込んでいた。茜色・紫色の2種類の色と薬草畑の一面の青色、その中で大海人皇子が額田王に袖を振っている。野守が見ているかもしれませんよというのは、天智天皇が見ているかもしれませんということだ。そういう情景が自然に言葉から浮かんだら、この二人の関係はどういうことになっているのだろうと、想像力と好奇心がはたらく。ところが、イメージが湧かなければ、知的好奇心も起きない。
短歌や俳句は言葉からイメージをつむぎだす宝物なのだが、脳内にイメージを創れない者にとっては退屈なだけで興味が湧かない。
かくして言葉や文章から情景がイメージできないタイプがいることに気がついた。言語の処理は左脳、映像とをもなうイメージ処理は右脳が関係するといわれているが、これは俗説で特段の科学的な根拠はない。
文章からイメージがわかない人は、言語処理系のシステムの中にイメージを形成する処理系が含まれていないあるいはその連結が弱いのだと考えると、とりあえずは納得がいく。それが脳内の仕組みの中でどのようになっているのかは脳科学者の領分だから、彼らに任せたい。
さて、言語からイメージを形成するのが苦手なこの生徒は図形を頭の中で動かすことができる。図形の回転移動を頭の中でやることができるし、立体図形も頭の中で操作できるから、数学はとてもよくできる。
高校生の女の子に訊いたみた。'-1<x<5' と式を書いても、数直線が頭の中に思い浮かばないのだという。この女生徒は小説が大好きで、本を読むとその情景が頭にありありと浮かぶ。だが数直線を頭に想い描くのは苦手。情緒が関係するとイメージがわくのかもしれない。数直線なんて代物は味も素っ気もないから、イメージ構成システムが働かないのだろうか?
この手の式をいくつか書いて、交わりの部分をソラで書ける生徒もいる、数学が得意な生徒だ。数学のセンスのよい生徒なら、そうした「芸」が可能だ。
中学1年生の女子に立方体を描かせたら、半数近くがなかなか描けない。30分ほどトレーニングをすると描けるようになる。男子は立方体を頭の中に思い浮かべて、線のつながりを頭の中のイメージを元にして描くから、ほとんどの者が特別な訓練なしにいきなり立方体を描くことができる。
男子の中には漫画の本ばかりで活字だらけの本はほとんど読まない生徒が4割ほどいるようだ。ゲームは熱心にやる。ゲームも映像を与えられるから、自分で脳内に映像(=イメージ)をつくる必要がない。
小学生の6年間ずっと活字の本を読まないでいると、言葉からイメージを創る機能が未発達のまま中学生になる。その結果、文章を読んでもイメージが湧かないタイプの脳ができあがる。やっかいなことに育てたように脳は育ってしまう。
小説を読んでも純文学でも、言葉からイメージが湧かなければ、実につまらないから、こういうタイプの脳になってしまうと、ますます本を読まないし、日本語の読解力が著しく劣ることになる。国語も数学も社会も理科も英語も教科書はどれも日本語で書いてあるから、学力全般の低下が起きてしまう。
言葉からイメージを創れるタイプをA型、創れないタイプをnon-A型、数直線や図形を頭の中に想い浮かべて処理することができるタイプをB型、それができないタイプをnon-B型と分類したい。
A型 ⇔ non-A型
B型 ⇔ non-B型
学力という点からは、A&B型が圧倒的に有利であることは論をまたないだろう。根室にもどって塾を開いて11年が過ぎたが、中学生にnon-A&non-B型が増えている。それは日本語語彙力の衰えに現れている。生徒の20%がほとんど小説や文学作品を読む習慣がなく、漫画とゲームに熱中している。映像を受け取るだけで、15歳になるまで自分の頭の中に映像を作り上げるトレーニングをしていない。A型のイメージ構成力は本を読むことで強化されるのだが、non-A型は本を読まないから脳内に言葉からイメージを創りあげるシステムが育たない。はっきり言うが、こういう生徒は高校生になっても学力が伸び悩む。それは日本語読解力が育たないからだ。こういう生徒に本を読ませるのは酷だろうな。読めといっても読まないだろう。音読させればすぐにわかるが、先読みができない。先読みできなければ高速で読むことができないから、段落ごとの意味内容を比較対照しながら筋を追って読むことができにくくなる。高速読みができる者は難なく段落全体の構成を頭の中に創りうる。遅いものは次の段落を読み始めた途端に、前の段落を忘れてしまうようなことが起きるから、段落全体を俯瞰することができない。人間には短時間記憶領域というようなものがあるようで、そこを上手に使うには、インプット=読みの速度が大きくなければならない。遅いと時間切れで記憶が消えていき、前後の比較ができなくなるようなシステムになっていると仮定すると、読みの遅い生徒が文意を捕まえられない事情がよくわかる。
少ない観察例からはAタイプとBタイプはしばしば拮抗するようだ。A型になるとB型の機能が衰える、BタイプだとA型の機能が弱くなるという傾向があるように思える。一方が発現すると他方の発現を抑えてしまうようだ、いわゆる文系頭と理系頭にわかれてしまう傾向がある。なぜそうなるかはこれまた脳科学の領域だから専門家にお任せしたい、わたしは観察した事実と、現象を語るだけだ。
現象面から見ると、国語はできるが数学はからっきしダメという女生徒は案外多いし、数学はできるが国語や英語は大きらいだという男子生徒も多い。
だが、極小数、A&Bタイプが存在し、その者は学力強者となる。「育てたように脳は育つ」と書いたが、どうやればそういう脳の機能を強化できるのかは3回目以降のテーマとなる。
じつはもう一つ特別なタイプがある。文章を読みながら諸概念を構造物のようにイメージできる能力がそれである。言葉と言葉、異なる専門用語同士の関係を立体構造物を眺めるようにイメージできる能力をもつ者が存在する。この能力をもつ者は、もたない者と会話が成立たない。なぜか?同じイメージを共有できないからである。
C型 ⇔ non-C型
すべて假説であるが、生徒を観察した事実と自分の経験に基いている。
2回目はこれくらいにしておく。
(コメント欄に右脳・左脳説は俗説であり科学的な根拠がないという指摘を受けた。ネットでいくつか検索してみたが、科学的根拠がないことだけはたしかなようだから、本文を修正した。アンダーライン部分である。
左半球と右半球の間に脳梁があり両方のインターフェイスを行っているので通信しあって連動して機能しているというのが正しいのだろう。あまり機械論的に考えると実際の脳の働きから離れることになりそうだ。わたしは観察された事実から、假説を提示するだけで、脳の機能そのものについては脳科学者の領域であり、素人の私が口を挟むフィールドではない。)
*#2593 イメージの力(1):ピアニスト&作曲家加古隆の原風景 Feb.14, 2014
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-02-14
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冒頭の短歌の解説は次の本の「第一章 紫匂う」を読まれよ。
次の本の「第2章 額田王の恋模様」も角度が違って面白い。
【斉藤孝・音読破シリーズ】
ルビをふってあり、重要語句は語句の左側に小さな字で解説を載せているので、小学生に読ませるにはいいテクストである。全部で6冊あるから小学生や中学生のお子さんのいるお母さんは全部買い揃えよう。1冊840円だから全部そろえても5020円だ。
夏目漱石『坊ちゃん』』
【中高生向け】
「すらすら読める○○シリーズ」という古典名作解説シリーズがある。ニムオロ塾では中3の音読授業に、世阿弥著 林望現代語訳『すらすら読める風姿花伝』を5年前から使っている。
原文対訳、そして解説がついている。中学生にはかなり背伸びした読書になる、高校生や大学生にはぴったりだろう。何冊か読んだら、好きなものを選び、古典の名文ををそのまま味わうとよい。
授業が終わって10時半頃もどったときに、急に北風にのって吹雪はじめた、合同庁舎前の気温表示板はマイナス1.8度、気温が上がって雪の粒が大きいから、一週間前の48cmよりも大雪になりそうだ。
さて、本題へ移ろう。「イメージの力」の2回目である。イメージの力は学力に関係が大きいので、一度自分の考えをまとめておきたいとにわかに思い立って書いている。子育て中のお母さんたちが子どもを育てるときや、小学生や中学生、そして高校生が自分をどういうタイプの学力強者に鍛え上げるかという問題を考えるときに少なからず役に立つだろう。
万葉集原文はすべて漢字で表記されている。だから読み方が定まっていない歌もある。
大和言葉に充てられた中国語(漢字)や音から連想でいる古朝鮮語には大和言葉とは別の意味が隠されているという説を唱えて、解読を試みている人やグループがある。読み様によっては非常に高度な遊びとほんとうに伝えたかった意味が裏に秘められているようだ。
茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流
茜さす 紫野逝き 標野行き 野守は見ずや 君が袖ふる
(あかねさす むらさきのゆき しめのゆき のもりはみずや きみがそでふる)
天智天皇の寵愛を受けた額田王が元夫であった大海人皇子に詠んだ歌で相聞歌といわれている。この二人の間には十市皇女(といちのひめみこ)が生まれている。しかし、この歌が詠まれたときには額田王は標野(天皇の御料地)の内におり、手が届かぬ存在になっている。この歌に対する大海人皇子の返歌もまた意味が深い。・・・
数学が得意だが国語がきらいなある男子生徒に日本語音読トレーニングを主体にした実験的な授業を1月からやっている。テクストに使っているのは『声に出して読みたい日本語』と斉藤孝・音読破シリーズであるが、狙いは日本語語彙力を拡張し読書力をつけると同時に日本的情緒を身体にしみこませるという欲張ったもの。
日本文学の原点である万葉集はそうした材料として考えるときに、宝物がびっしり詰まった「宝箱」にみえてくる、『源氏物語』や『枕草子』もそういう宝物の一つであり、日本文学は宝の山だから利用しない手はない。
この歌を含めて短歌を何首か音読して解説したがノリが悪いので訊いてみたら、言葉から情景が想い浮かばないのだという。短歌ばかりでなく、他の文章を読んでもイメージが頭の中に浮かばないという。
「あかねさす」ときたら、茜色に染まるのは朝方の日の出のころと、夕方の日没前の情景が日本人には誰でも浮かぶものだとわたしは思い込んでいた。茜色・紫色の2種類の色と薬草畑の一面の青色、その中で大海人皇子が額田王に袖を振っている。野守が見ているかもしれませんよというのは、天智天皇が見ているかもしれませんということだ。そういう情景が自然に言葉から浮かんだら、この二人の関係はどういうことになっているのだろうと、想像力と好奇心がはたらく。ところが、イメージが湧かなければ、知的好奇心も起きない。
短歌や俳句は言葉からイメージをつむぎだす宝物なのだが、脳内にイメージを創れない者にとっては退屈なだけで興味が湧かない。
かくして言葉や文章から情景がイメージできないタイプがいることに気がついた。言語の処理は左脳、映像とをもなうイメージ処理は右脳が関係するといわれているが、これは俗説で特段の科学的な根拠はない。
文章からイメージがわかない人は、言語処理系のシステムの中にイメージを形成する処理系が含まれていないあるいはその連結が弱いのだと考えると、とりあえずは納得がいく。それが脳内の仕組みの中でどのようになっているのかは脳科学者の領分だから、彼らに任せたい。
さて、言語からイメージを形成するのが苦手なこの生徒は図形を頭の中で動かすことができる。図形の回転移動を頭の中でやることができるし、立体図形も頭の中で操作できるから、数学はとてもよくできる。
高校生の女の子に訊いたみた。'-1<x<5' と式を書いても、数直線が頭の中に思い浮かばないのだという。この女生徒は小説が大好きで、本を読むとその情景が頭にありありと浮かぶ。だが数直線を頭に想い描くのは苦手。情緒が関係するとイメージがわくのかもしれない。数直線なんて代物は味も素っ気もないから、イメージ構成システムが働かないのだろうか?
この手の式をいくつか書いて、交わりの部分をソラで書ける生徒もいる、数学が得意な生徒だ。数学のセンスのよい生徒なら、そうした「芸」が可能だ。
中学1年生の女子に立方体を描かせたら、半数近くがなかなか描けない。30分ほどトレーニングをすると描けるようになる。男子は立方体を頭の中に思い浮かべて、線のつながりを頭の中のイメージを元にして描くから、ほとんどの者が特別な訓練なしにいきなり立方体を描くことができる。
男子の中には漫画の本ばかりで活字だらけの本はほとんど読まない生徒が4割ほどいるようだ。ゲームは熱心にやる。ゲームも映像を与えられるから、自分で脳内に映像(=イメージ)をつくる必要がない。
小学生の6年間ずっと活字の本を読まないでいると、言葉からイメージを創る機能が未発達のまま中学生になる。その結果、文章を読んでもイメージが湧かないタイプの脳ができあがる。やっかいなことに育てたように脳は育ってしまう。
小説を読んでも純文学でも、言葉からイメージが湧かなければ、実につまらないから、こういうタイプの脳になってしまうと、ますます本を読まないし、日本語の読解力が著しく劣ることになる。国語も数学も社会も理科も英語も教科書はどれも日本語で書いてあるから、学力全般の低下が起きてしまう。
言葉からイメージを創れるタイプをA型、創れないタイプをnon-A型、数直線や図形を頭の中に想い浮かべて処理することができるタイプをB型、それができないタイプをnon-B型と分類したい。
A型 ⇔ non-A型
B型 ⇔ non-B型
学力という点からは、A&B型が圧倒的に有利であることは論をまたないだろう。根室にもどって塾を開いて11年が過ぎたが、中学生にnon-A&non-B型が増えている。それは日本語語彙力の衰えに現れている。生徒の20%がほとんど小説や文学作品を読む習慣がなく、漫画とゲームに熱中している。映像を受け取るだけで、15歳になるまで自分の頭の中に映像を作り上げるトレーニングをしていない。A型のイメージ構成力は本を読むことで強化されるのだが、non-A型は本を読まないから脳内に言葉からイメージを創りあげるシステムが育たない。はっきり言うが、こういう生徒は高校生になっても学力が伸び悩む。それは日本語読解力が育たないからだ。こういう生徒に本を読ませるのは酷だろうな。読めといっても読まないだろう。音読させればすぐにわかるが、先読みができない。先読みできなければ高速で読むことができないから、段落ごとの意味内容を比較対照しながら筋を追って読むことができにくくなる。高速読みができる者は難なく段落全体の構成を頭の中に創りうる。遅いものは次の段落を読み始めた途端に、前の段落を忘れてしまうようなことが起きるから、段落全体を俯瞰することができない。人間には短時間記憶領域というようなものがあるようで、そこを上手に使うには、インプット=読みの速度が大きくなければならない。遅いと時間切れで記憶が消えていき、前後の比較ができなくなるようなシステムになっていると仮定すると、読みの遅い生徒が文意を捕まえられない事情がよくわかる。
少ない観察例からはAタイプとBタイプはしばしば拮抗するようだ。A型になるとB型の機能が衰える、BタイプだとA型の機能が弱くなるという傾向があるように思える。一方が発現すると他方の発現を抑えてしまうようだ、いわゆる文系頭と理系頭にわかれてしまう傾向がある。なぜそうなるかはこれまた脳科学の領域だから専門家にお任せしたい、わたしは観察した事実と、現象を語るだけだ。
現象面から見ると、国語はできるが数学はからっきしダメという女生徒は案外多いし、数学はできるが国語や英語は大きらいだという男子生徒も多い。
だが、極小数、A&Bタイプが存在し、その者は学力強者となる。「育てたように脳は育つ」と書いたが、どうやればそういう脳の機能を強化できるのかは3回目以降のテーマとなる。
じつはもう一つ特別なタイプがある。文章を読みながら諸概念を構造物のようにイメージできる能力がそれである。言葉と言葉、異なる専門用語同士の関係を立体構造物を眺めるようにイメージできる能力をもつ者が存在する。この能力をもつ者は、もたない者と会話が成立たない。なぜか?同じイメージを共有できないからである。
C型 ⇔ non-C型
すべて假説であるが、生徒を観察した事実と自分の経験に基いている。
2回目はこれくらいにしておく。
(コメント欄に右脳・左脳説は俗説であり科学的な根拠がないという指摘を受けた。ネットでいくつか検索してみたが、科学的根拠がないことだけはたしかなようだから、本文を修正した。アンダーライン部分である。
左半球と右半球の間に脳梁があり両方のインターフェイスを行っているので通信しあって連動して機能しているというのが正しいのだろう。あまり機械論的に考えると実際の脳の働きから離れることになりそうだ。わたしは観察された事実から、假説を提示するだけで、脳の機能そのものについては脳科学者の領域であり、素人の私が口を挟むフィールドではない。)
*#2593 イメージの力(1):ピアニスト&作曲家加古隆の原風景 Feb.14, 2014
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-02-14
にほんブログ村
冒頭の短歌の解説は次の本の「第一章 紫匂う」を読まれよ。
次の本の「第2章 額田王の恋模様」も角度が違って面白い。
【斉藤孝・音読破シリーズ】
ルビをふってあり、重要語句は語句の左側に小さな字で解説を載せているので、小学生に読ませるにはいいテクストである。全部で6冊あるから小学生や中学生のお子さんのいるお母さんは全部買い揃えよう。1冊840円だから全部そろえても5020円だ。
夏目漱石『坊ちゃん』』
芥川龍之介『羅生門』
太宰治『走れメロス』
幸田露伴『五重塔』
中島敦『山月記』
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』
幸田露伴『五重塔』
中島敦『山月記』
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』
【中高生向け】
「すらすら読める○○シリーズ」という古典名作解説シリーズがある。ニムオロ塾では中3の音読授業に、世阿弥著 林望現代語訳『すらすら読める風姿花伝』を5年前から使っている。
原文対訳、そして解説がついている。中学生にはかなり背伸びした読書になる、高校生や大学生にはぴったりだろう。何冊か読んだら、好きなものを選び、古典の名文ををそのまま味わうとよい。
2014-02-16 02:49
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初めまして。少々気になることを前提に
仮説を構築されようとするようなので、
検索 で 「右脳 左脳 疑似科学」
の最初のページ1番目から8番目までのサイト
を閲覧してみてください。
男女差や、右脳・左脳説についてです。
俗説を元に仮説を立てるとは、
ebisu氏に似合わない。
by 仮説の前に (2014-02-16 18:41)
「仮説の前に」さんへ
どうもありがとう。
検索してみました。なるほど右脳左脳は俗説のようですね。
脳梁を通して左半球と右半球がの脳が通信しているのは承知していました。
ご忠告に従い、左脳、右脳云々のところは削除してみます。
文章を読んでイメージが湧く人と湧かない人がいることは事実ですから、その部分はそのままにします。
ブログのよいところは、こうした適切な批判をいただけることでもあります。
感謝。
by ebisu (2014-02-16 19:19)