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#3297 イメージの働きの類別作業   May 22, 2016 [54. イメージ化能力と学力について]

 学習にイメージを利用すると、とても有利なことがあるので、イメージの働きを分類してみようと思う。

1.言葉(文)からつむぎだされるイメージ:情緒が関係する

 藤原正彦著『国家の品格』(新潮新書)から引用するので、まずお読みいただきたい。
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俳句が呼び起こすイメージ
 さらに日本人は、自然と心を通わせるという得意技を持っている。俳句などは、その好例です。
 森本哲郎氏の本で読んだのですが、彼がドイツを旅行していた時、列車の中でこんなことがあったそうです。彼は芭蕉の俳句集を読んでいた。前に座ったドイツ人大学生と会話が始まった。「何を読んでいるんだ?」「俳句だ」「俳句って何だ?」となったので、「枯れ枝に 烏(カラス)の止まりたるや 秋の暮れ」という句を訳してあげた。「枯れ枝にカラスが止まっています。秋の暮れ」とね。
 するとその大学生は、こう言ったそうです。
「それで?」
 欧米人にとって、「枯れ枝に烏が止まっています。秋の暮れ」ではストーリーが何も始まっていない。だから、「それで?」と聞き返してしまう。
 しかし日本人で「それで?」なんて聞き返すものは一人もいない。聞いた瞬間に誰でも、沈む夕日を背に、枯れ枝がスッと伸びていて、烏がポツンととまっている姿が思い浮かぶ。そして秋の憂愁が村全体、町全体、国全体を覆っていくイメージがすぐに湧く。烏の黒一点が秋の中心であるかの如く風景を締めている。人によりニュアンスの相違はあれ、こんなことを日本人なら誰でも瞬間的に思い描く。  P.109
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 言葉から、情景が思い浮かぶのだが、そこには日本的情緒が関係している。この情緒がなければしみじみとした秋の憂愁は感じられないだろう。言葉があるイメージを呼び起こし、心を揺さぶるのである。短歌や俳句の七五調は日本的情緒と深くつながっている。演歌も歌詞は七五調が相性がよいのは日本的情緒が呼び覚まされるからだろう。
 小説も、文学作品も主人公へ感情移入し、言葉から情景がありありとイメージできたら楽しい。わたしは世の中の人が全部そういう読み方をしているものだと思っていたのだが、そうではないことがあるときわかった。文章を読んでも、具体的な情景が脳裏に焦点を結ばないので、つまらないと主張する生徒に教えられた。
 さて、あなたはどちらのタイプだろう?

これから旅にでるウキウキした気分が伝わってきますか?
 おもしろや ことしのはるも 旅の空  (『芭蕉全句集』13番)

根室は数日前に満開になった桜が散って庭は花びらでいっぱいですが、この気分が伝わってきますか?
 扇にて 酒くむかげや ちる桜  (同書225番)

桜つなぎでもう一首、桜の散るのと自分の人生の終わりを重ねて詠んだ西行の情感が伝わってきますか?
 願わくば 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ (西行)


2.恐怖心を呼び起こすイメージ
 高所恐怖症のわたしは、断崖絶壁に立って下から吹き上げてくる風を感じていると想像しただけで、恐怖心が湧く。新宿西口のNSビルの中には吹き抜けの30階に横断通路がかかっている。そこを渡る時、床が透明になってしまうことをイメージしただけで足がすくむ。ついには渡れなくなった。29階まで直行するエレベータはガラスの外壁の内側にあるのだが、目をつぶっていても外の情景が目に浮かび、手すりを握ったまま手が離れなくなる。
 夢の中で身体の比重が空気のそれに次第に近づいていき、空気中を浮遊しだしてだんだんに地上からの距離が離れていくのがヴィジョンとして見えてしまうと怖くなる。それは現実に起きていることと同じに感じられてしまう。

3.喜怒哀楽に関するイメージ:こころが影響を受ける
 過去に聞いた落語や大笑いしたときのことを思い出すだけで、笑いが湧いてくる。
 腹の立つことを思い出すだけでますます腹が立つ。
 悲しいことを思い出すだけで悲しくなる。
 楽しかったことを思い出したら、こころがそのときと同じ状態になりウキウキワクワクする。

4.動きのある画像が意志のままにあるいは自動的に展開する:集中力を伴う
 ビリヤードファンは、ビリヤードを習いたての頃に、ご飯を食べながら無意識に箸で茶碗をつついてしまう人がいる。ご飯を食べてはいるが、頭の中では無意識にビリヤードをしているのである。慣れてくると、頭の中で無限にゲームできるようになる。武術やスポーツの技の修得も同じメカニズムを利用している、イメージトレーニングというのがそうだ。
 将棋のプロが棋譜を思い出せるのも集中力とセットのイメージ記憶ではないだろうか。
 この状態の時には考えていない、頭の中は「無」の状態、絵が見えているだけ。脳内に自動的に展開する画像を眺めているだけ。
 学校の授業で先生が黒板に白いチョークで字を書いたものが、グリーンのビリヤードテーブルに赤と白の玉が転がるのに似ているので、3ヶ月くらいはページをめくるように、書いた文字が読める。ただし、その授業に興味があって、異常な集中力で傾聴したときに限る。相手のあることだからせいぜい2科目くらいかな。

5.数式から創られる座標イメージ

 前回#3296から引用する。
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 (tan x -√3)(tan x -1/√3)<0,   0<x<π/2

 定義域からtan x は第一象限でプラス。値は0から無限大だ、単位円とx=1の直線を立てた図をイメージしたらいい。円の中心からその線に向かって引いた線の当たった位置がtan xの値だ。仰角がπ/2に近づくとどんどん上に行って無限大に発散してしまうだろう?仰角がπ/2のところでは平行線になるから永遠に交わらない。そこまでイメージできたら、もう一度問題の不等式を眺めよう。

 (マイナス)×(プラス)<0
 (プラス)×(マイナス)<0

 (1) tan x - √3<0 ∩  tan x - 1/√3>0
 (2) tan x - √3>0  ∩  tan x - 1/√3<0

 手がかりを見つけられずにむずかしく見えていた問題だが、二つの部分に分解しただけで単なる1次不等式の問題に還元できます

 単位円をイメージできれば、共通領域のあるのは(1)のほうであることがすぐにわかるから、イメージ操作に慣れていたほうがよい。計算はイメージ操作でえられた結果を確認するだけ。「tan x=√3」は「x=π/6」だから、不等号から判断して下側である。同様にして「tan x=1/√3」は「x=π/6」で、不等号から判断してその上側であることがわかる。あとは筆算して、紙に図を描いて確認すればよい。
 イメージがつくれなければ、両方計算して図に描いてみるといい。描いた後で、上記の不等式から図をイメージする訓練をしてみよう。(2)の不等式に共通領域がないことも単位円の座標イメージですぐに確認できる。
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 不等式を二つに分割して、座標平面上の単位円をイメージすれば、正解への筋道がわかる。あとは、イメージにしたがって、計算すればよいだけ。
 これは画像イメージだが、途中で暗算を入れたり、単位円の円周のある点の上側になるのか下側になるのか、論理的思考と画像イメージが共存している。
 こんなことは意識してトレーニングすれば誰にでもできる。


6.意味と論理に関わるイメージ:vision

 #3296から抜粋引用
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  log2(x+1)=log4(2-x) + 1

 log2(x+1) は log2 x のグラフをx軸方向にプラス1だけ平行移動したグラフだ、問題を見たら、グラフのイメージぐらいは頭に浮かべて輪郭を押さえておきたい。同じ底の対数の和は真数のかけ算の形に変換できるが、log2(x+1) にはそういう変換が適用できないよ。
 底変換の公式で等式の右辺の2項の底をそろえてやればいい。その後は真数を=でつないでxについての2次方程式にもっていけばよいだけ。
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 問題はこの対数方程式をどのように理解するかだ。右辺の2項を底が2の対数に置き換えた状態を直感的にイメージできれば、左辺と右辺の真数同士が等号で結んで、2次方程式に持ち込み、xが計算できる。
 底が揃った対数方程式がイメージできれば、対数方程式を真数を使った方程式に還元できることがわかる。対数方程式の意味が理解できていることが前提条件となる。
 正解ヴィジョンが湧くかどうかが決め手のようだ。意味を考えているわけでもなさそうで、ぱっと正解の状態が見えてしまう、直感の働きと言ったほうが起きていることがらを正しく表しているような気がする。6番目のイメージが論理的思考と画像イメージが綯い交ぜになるのに対して、こちらは直感の作用だから、直感が働く瞬間は思考停止状態。
 何も考えないという状態を意識的につくるのだが、これはトレーニングがいる。集中力を上げることよりも、どこにも集中しない、何も考えない、そういう状態を意識的に作り出して、対象を虚心に眺めるのは上級コースだろう。最初は何かにとらわれてしまったり、雑念が湧いて消せないものです。


7.概念相互の関係・構造化
 さまざまな経済学的な概念を脳にインプットすると、それらの諸概念が相互関係に応じて構造化してくる。経済学的な概念体系と呼んでもよい。これは弊ブログで扱ったことがある。
 抽象的な事物を扱うときに産まれるイメージである。
 弊ブログで次のような分類をしたことがある。
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#2734 イメージの力(4):言葉のイメージ化トレーニング July 16, 2014より抜粋
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-07-16

 言葉からイメージを創れるタイプをA型、創れないタイプをnon-A型、数直線や図形を頭の中に想い浮かべて処理することができるタイプをB型、それができないタイプをnon-B型と分類したい。
 もう一つ特別なタイプがある。文章を読みながら諸概念を構造物のようにイメージできる能力がそれである。言葉と言葉、異なる専門用語同士の関係を立体構造物を眺めるようにイメージできる能力をもつ者は稀だ。この能力をもつ者は、もたない者としばしば会話が成立たない。なぜか?同じイメージを共有できないからである。

 A型 ⇔ non-A型
 B型 ⇔ non-B型
 C型 ⇔ non-C型

 3組で各組2つだから、全部の組み合わせは2^3=8である。学力の点から言うと、
 non-A & non-B & nonC ⇒ 最弱
 A & B & C ⇒ 最強
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8.音楽や絵画に関するイメージ
 これはわたしの経験外のことだが、おそらくそうだろうという話である。モーツアルトは頭の中で音楽がなっていたにちがいない。それを音符に写すだけ。
 元禄文化と化政文化の狭間に絵を描いた伊藤若冲(1716-1800)は、下絵なしに微細な線を一度も直さず完璧な絵を描いた。あれは脳内にある絵のイメージを高度な職人技で写していただけ。微細な部分まで下絵が脳内に在ったとしか考えられない。
 高校卒業までの18年間梅ヶ枝町に住んでいたが、隣に2歳年下の天才少年がいた。土の上に釘で相撲の絵を描いていたのをあるときオヤジが見て、「あれは天才だ、線に迷いがまったくない」と驚いて話していた。その少年のIQは180であった。勉強もよくできた。塾へも行かなかったし、とくに勉強している様子もないのに、北大へ現役合格。入学後、宗教へ傾斜して様子が変わっていった。頭が良すぎて社会的な適応がうまくできなかったようだ。もったいない気がする。

*伊藤若冲の絵(写真画像)数十枚 「軍鶏」がすごい
https://www.google.co.jp/search?q=%E4%BC%8A%E8%97%A4%E8%8B%A5%E5%86%B2&rls=com.microsoft:ja:IE-SearchBox&rlz=1I7SUNA_jaJP310&prmd=ivns&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0ahUKEwjgsu_8u-zMAhWEupQKHRoCCOAQsAQIJQ


9.数学者のイメージ:美的感受性とセット
 数学は美的感覚とセットになっている。岡潔はフランス留学から戻ってくるや蕉風(芭蕉の俳句)の研究を数年やってから、それまで誰も解くことのできなかった数学の難問を、一人で三つも解いてしまった。
 藤原正彦は『国家の品格』p.141で「数学をやる上で美的感覚は最も重要です。偏差値よりも、知能指数よりも、はるかに重要な資質です」と述べている。
 インドの高卒の大天才数学者ラマヌジャン(1887-1920)について、藤原は次のように書いている。
「美の存在しない土地に天才は、とくに数学の天才は生まれません」(同書p.141)
「あれほど美しい公式を3500以上も発見したラマヌジャン」(p.166)
「クンバコナム近くのタンジャブールで見たブリハディッシュワラ寺院は、本当に息を呑むほどに壮麗でした。この寺院を見た時、わたしは直感的にこう思いました。「あっ、ラマヌジャンの公式のような美しさだ」と。
 ラマヌジャンは「我々の百倍頭が良い」というタイプの天才ではありません。「なぜそんなことを思いつくのか見当もつかない」というタイプの天才なのです。」(p.168)
「アインシュタインの特殊相対性理論は、アインシュタインがいなくても二年以内に誰かが発見しただろうと言われています。数学や自然科学の発見のほとんどすべてには、ある種の必然性が感じられます。ところがラマヌジャンの公式群は、圧倒的に美しいのに、必然性がまるでわからないのです。
 高卒だったラマヌジャンは「夢の中で女神ナーマギリが教えてくれる」と言って、次々に定理や公式を発見しました。・・・
 彼の死後、異様に美しい定理が証明されないままたくさん残されました。多くの数学者がその後、ラマヌジャンの定理の証明に取り組みましたが、南インドにいた頃、すなわち26歳のときまでに発見した定理の証明がやっと完成したのは、1997年のことで、五巻本として出版されました」(P.169)

 フランスの数学者エバリスト・ガロア(1811-1832)はどうだったのだろう。フランス革命(1776)のあと、1815年にルイ18世によって王政復古がなされる。時代はフランス革命以前へ逆戻りである。共和主義者のガロアは大学は合格できなかったし、高等師範学校へ入学するも学校から共和主義運動を禁止される。かれの理論を理解してくれる者は現れない。ルイ18世のあとを継いだシャルル10世がアルジェリア侵略を始める。共和制がドンドン遠くなっていくなかで、共和主義者のガロアは友人と奇策をもちいる。決闘を仕組み自分が殺されることで、革命の導火線に火をつけようとしたようだ。共和主義者でもあったガロアは未来に深い絶望を感じていたのではないか。
 かれの群論が理解されはじめたのは、38年後の1870年、カミィーユ・ジョルダンの『置換と代数方程式論』においてである。ガロアには群論のヴィジョンが見えてしまったのだろうが、既成の数学理論の述語論理では容易に表現できない代物だった。新しい理論にはそれを記述する新しい言葉(語彙)が必要になる。
(インフェルト『ガロアの生涯』を学部の学生のころに読んだから45年以上前のことだ表紙が現在とは違っている。白い表紙にガロアの肖像が描かれていた。インフェルトは色恋沙汰の決闘を仕組んだ裏に秘密警察がいてガロアが謀殺されたと書いているが、事実はそうではないようだ。告白はしたが断られている。身元がしっかりしていて、複数の相手と色恋沙汰を起こすような女性ではなかったようだ。インフェルトの創作がかなり入っている。)


  さて、ここまで思いつくままに羅列したから、これを整理してみたい。しばらく頭の中に入れておけば、自然に熟成して分類がつく。

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*#2597 イメージの力(3):Aとnon-A型について  Feb. 16, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-02-16-2

*#2595 イメージの力(2): 6タイプに分類 Feb.16, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-02-16

*#2593 イメージの力(1):ピアニスト&作曲家加古隆の原風景 Feb.14, 2014 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-02-14

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 #2749 記数法とn進数についての質問あり July 27, 2014
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2014-07-27

#3296 統一模試の数学過去問にトライ:のんびりしている根室の高校生  May 20, 2016 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-05-19-1


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ガロアの生涯―神々の愛でし人

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  • 作者: レオポルト インフェルト
  • 出版社/メーカー: 日本評論社
  • 発売日: 2008/08
  • メディア: 単行本


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tsuguo-kodera

 この記事も、次の記事も私はいろいろイメージが湧いてきます。(笑)
 イメージ処理を富士通で提案し、シャープでも提案しました。そのころリサが登場し、マッキントッシュが覇者になり、Windowsが根こそぎ持って行ったのかも。
 オブジェクト処理のアイコンやイコンもイメージと言えます。欧米のキリスト教の人々はイメージはイコンなのです。我々は無宗教と言っても良いし、八百万、太陽や月や花や虫も神が宿る。だからイメージが広がるのかも。
 イメージに働きかけるプレゼンが大事。箇条書きと抽象的な絵の織りなすイメージ。イメージの良い、深層心理に訴えるプレゼン資料を作れないと新規商品企画は上手く行かない。論理でやり取りすれば社長や営業部長に勝てはしない。
 私のイメージ作成技法は誰にも引き継げませんでした。4項目の箇条書きは3か月2週間でほとんどの人ができるようになりますが。それでは大学の自己推薦か入社試験レベルの力なのです。
 商品企画の創造性はイメージ訴求なのです。この記事は私の論を分かって書いたのでしょうか。それなら世界で初めての人、koderaのイメージ技法の免許を差し上げにお伺いしましょう。(笑)
 これは嘘。だって管理人様は理詰めのお人。イメージ訴求など要らない人なのでしょう。私には手におえない人なのでしょうね。お互いに笑いあって棺桶に入りましょう。
 自転車もダメになりつつあるし、私はバドのフットワークがどんどんできなくなっています。南無阿弥陀仏(笑)
 
by tsuguo-kodera (2016-05-22 19:31) 

ebisu

koderaさん

>我々は無宗教と言っても良いし、八百万、太陽や月や花や虫も神が宿る。だからイメージが広がるのかも。

視点が斬新です、何かが産まれそうな予感がしますが、頭の中でしばらく熟成をまつしかなさそうです。

このごろすこし筋肉を使うと、手や腕が震えます。じきにおさまるのですが、これも適度に使ってあげないから、身体が警告しているのでしょう。

>だって管理人様は理詰めのお人。イメージ訴求など要らない人なのでしょう。私には手におえない人なのでしょうね。お互いに笑いあって棺桶に入りましょう。

これは誤解かもしれません。実際にはイメージで考えていることが多いのです。思考停止もしばしばやります。何かをやるときには考えを一切入れず、直感の判断に任せます。考えたってわかりっこないからです。
だから自分の行動を人に説明できないことがしばしばありました。
10年経たないとebisuさん考えや行動の理由がわからないと言ってくれたのはSRLで上場準備のために1年ほどわたしより先に入社していたH・Jさんでした。
わたしはほんとうは理屈の人ではないのです、直感の命ずるままに動いてきただけ。理屈で考えたらわたしはずいぶんヘンな人物に見えるかもしれません。(笑)

ところで、パソコンが4ビットマシンでオモチャのような存在だったのが1970年代半ばのこと、それが1990年代半ばまでに汎用大型機を駆逐してしまうほど指数関数的に性能アップした25年の歴史をいまの若い人たちは知りません。これからの30年後を考えるときにたいへん参考になる話だと思います。

富士通やシャープというメーカサイドにいたkoderaさんと、ユーザとしてオフコン、汎用小型機、汎用大型機を使って統合システム開発をしてきたわたしの対話は、意味がありそうです。
貴兄のブログを本欄で紹介してみたくなりました。

首都圏のkoderaさんと、極東の町根室のebisuとは直線距離で900kmの隔たりがありますが、対話にはなんの障害もありません。便利な時代になりました。
30年前なら手紙でやり取りするしかありませんでした。こうしたオープンな場で気軽に対話ができるというのはすごいことです。これも若い人にはわからないでしょうね。物心ついたときから、インターネット空間の住民です。

運の良いことに、わたしたちの世代は劇的な変化をつくり出し、その中を生き抜いてきたようです。
お互いに、そろそろフェーズアウトのときが近づいているようですね。身体はどんどんポンコツになっていきます。努力でカバーできなくなるのでしょう。そのときが訪れたらじたばたせずに受け容れます。(笑)

by ebisu (2016-05-22 21:43) 

tsuguo-kodera

 素晴らしいコメントバックでした。私にとってです。でも他の人にはこの私の気持ちは分からないでしょう。
 私はUNIX時代だけでなく、小学校時代でも極めて少数の尊敬する人しかいませんでした。
 誰でも、先生でも東大の医者でもバカにしていたような親に育てられ、私も同じように考えていたからかも。周りからは父は特別な人だといつも言われていました。周りの父兄は褒め言葉だけ。親戚は腐すだけ。だから私にとって尊敬する人など、本の伝記の世界の人だけだったのかも。小学館全集が好きでした。または全くの根性悪かも。多分両方当たっているでしょう。
 でも最近、尊敬している人が増えてきました。昔は毛嫌いしていた人にも尊敬の念が湧いてきます。いわんや昔から尊敬していた敗者、義経のような立場の改革者にまた会いたくなっています。40年近く不義理をしてきたのにです。
 私が会いたくなった、そして出かけられる人、生きている人ですがたった3人程度プラス1なのです。1は管理人様。念のために。(笑)
 イメージ人間の条件を私は分かったような気がしています。条件に私は最近まで外れていたのに、イメージイメージと騒いで本を書いたり企画書を作っていたのにです。だから罪悪をばらまいたわけです。正しいイメージ人間になる手順を書けなかったし評価基準を知らなかった。勉強と努力と結果がないとなかなか慣れないのかもしれません。
 なお、身内を褒めるようで恥ずかしいのですが、子供の時から息子と娘は合致しているようです。だから努力や結果以上に、人様に評価されると妻と話しているのです。
 でも彼らも人様から見たら単なるバドだけが好きなアホです。バドをとったらただの人と言われているのです。最近は、息子は学長にバドだけの人間と自己紹介しているようです。
 でも昔から世界にラケットをぶら下げて講演や共同研究しに行っていました。お蔭で今もケンブリッジにラケットと靴があるのかも。それほど人間関係は良いのです。(笑)
 実は分かっていましたよ。ちょっと冗談で管理人をからかっただけでしょう。私は何をするか言うかあまり自分でも定かではない、大ぼらばかり、冗談ばかりの奴だと家族から信用されていません。
 多分、あまりにいろいろな人を見て、また子供の時から教えられて、試験運用していたのでしょうね。管理人様には謝れます。ごめんなさい。でも本当に良かった、嬉しいのです。根室まで言ったのは大戦果でした。
 南無阿弥陀仏。
by tsuguo-kodera (2016-05-23 04:26) 

ebisu

koderaさん

おはようございます。
コメントありがとうございます。
でもほめすぎです、ほめ殺しかな?殺さないでください。(笑)

ところで、
「#3299 オモチャからわずか25年で汎用大型機を消滅させたパソコンという怪物 May 23, 2016」

このようなタイトルで、貴兄のブログを紹介させていただきました。この対話が幾分なりとも若い人たちの役に立つことを願っています。

by ebisu (2016-05-23 09:12) 

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