#3395 Z会Vテストで全国レベルを知る Aug. 20, 2016 [54. イメージ化能力と学力について]
< 道教文協学力テストの問題点 >
北海道の中学校で実施している学力テストは全道平均値すら算出されていないいい加減なものである。もちろん偏差値も出ていないから、それぞれの学校内の平均値と順位しかわからない。これでは、自分の学力が全国レベルでどれくらいは知る由もない。
今はどうなっているかわからないが、40年前の東京都の公立中学校で実施される学力テストでは、東京都全体の偏差値も、その学校の偏差値も、個人ごとの偏差値も表示されていた。参加人数も十数万人いただろうから、そのまま大学進学の目安にもなった。
東京都の場合で言うと、難関大学進学を考える親は子どもを小4から進学塾へ通わせ、中高一貫校を受験させる。中高一貫校では1年前倒しで授業をやり大学受験に備える。学力の高い生徒を集めるから、1.3倍速の授業が標準になる。
そういう事情があるから、首都圏の子どもたちと大学受験で競争することになる生徒はどんなに遅くても中学時代に自分の全国レベルでの学力を確認する必要があるとわたしは思う。
全道の公立中学校が、時代錯誤の北海道教育文化協会学力テストを採用することで、子どもたちは自分の学力を知る機会を奪われているように見える。
*北海道教育文化協会
http://www.ho-bunkyo.jp/p51
<根室の子どもたちは高1の進研模試で全国レベルの学力を知る>
根室の子どもたちは根室高校普通科に入学して、7月に進研模試を受験して初めて、偏差値と全国レベルでの自分の順位や通う学校の学力レベルを知る。この10年間ほどでさらに学力が低下したいまでは、中学校で学年5番程度でも、高校生になって進研模試を受けると全国偏差値50以下(真ん中よりも下)というのが普通になってきた。根室市内の中学校の上位10%が全国レベルでは平均値よりも低いのだから、中学校の学力テストの学年順位は全国模試の偏差値とは大きくかけ離れている。中学校で生徒が自分の全国レベルでの学力を知れば、その後の勉強の仕方が違ってくる。
高校では全国模試の偏差値を使わないと進路指導ができないことは常識だろう。大学進学率は全国平均では50%、根室は15~20%程度。全国レベルの難易度のテストを実施したら、数学の平均点は20点以下になりかねないから、全国レベルの難易度とかけ離れた授業をしている道内の公立中学校で全国模試を実施するのははなはだ困難であることも事実。
< 全国レベルの学力テスト:Z会Vテスト >
Z会の「Vテスト 7月受験型」をいう全国テストを受験した中2の生徒がいるので、初めて「Vテスト成績表」を見た。五科目の全国平均値と偏差値が表示されているのは全国レベルのテストでは常識、もちろん「英数国」三科目合計点の偏差値も、五科目合計点の偏差値も載っている。
北海道の五科目受験者は173人、全国では5495人だから、受験者数は少ない。
中学生は「チャレンジテスト」をやっている生徒が多く、「Z会」は少ない。両方を比べると、後者のほうが学力の高い生徒が集まっている。
偏差値60だと上位16%であるが、参加している生徒の学力が高いので、実際の中学生全体の学力分布を想定すると、上位5%くらいになるだろうと推測している。このテストで偏差値60なら、根室の中学校では学年トップの座に安住できる。逆から見ると、根室の中学校でやったテストの半分が学年トップでも、大学受験偏差値では100人中16番目くらいということ。根室の中学校で学年トップを目指していたら、難関大学合格は覚束ない。
高校の進研模試には公立高校普通科の7割ぐらいが参加しており、大学受験をしない生徒も多数含まれており、私立中高一貫校の学力の高い生徒たちが受験しないので、上位層が薄く下位層が厚いという特徴がある。私立中高一貫校の生徒は一年先をやっており、進度が合わないから、Z会のVテストに参加していないはず、この点ではZ会のVテストと進研模試は同じ欠点を持っている。学力下位層が参加していないところがZ会Vテストの特徴だろう。
そういうわけで、Z会「Vテスト」の偏差値を進研模試の偏差値に読み換えるには10以上加点していいのではないか、河合塾の偏差値なら+5かと考えている。
< 国語力アップの重要性とその方法 >
ところで、このテストを受験した生徒は国語の偏差値が他の科目に比べて8程度低い。論説文の読解は得点が9割を超えているから、小説と短歌の読解力をアップしなければならない。
小説や短歌を読んでもイメージがわかないので、本を読まない。楽しくないのだから仕方がないが、濫読しなければ読解スキルが上がらない。
具体的な事例を挙げると、
「古池や 蛙飛び込む 水の音」
それがどうしたの?こういう次第だ。俳句を受け止める日本的情緒が育っていない。森閑としたお寺の境内にある池に蛙が飛び込んだ音が一瞬響いて、また元の静けさに戻っている。座禅して呼吸を整えながら瞑想すれば、数分でイメージした風景の中に自分をおくことができる。座禅と呼吸法を指導したほうが速いのかも知れない。慣れたら時空を超えて脳に特定のイメージを結ぶことも、消すこともできる。
詠み手と入れ替わって時空を超えて古池のふちにたたずむ自分がイメージできたらこの俳句が味わえたといってよいのだろう。
心の中心に日本的情緒が育っていなければ短歌や俳句はわからないから、中高生のうちに古典文学を読み、心の中心に日本的情緒を育むことは大事なことだ。
この生徒は国語が苦手だったので、少し背伸びするような良書を選び2年半音読指導をしてきた。
斉藤隆『声に出して読みたい日本語①』⇒『声に出して読みたい日本語②』
⇒音読破シリーズ『坊ちゃん』⇒『走れメロス』⇒『銀河鉄道の夜』⇒『羅生門』⇒『山月記』⇒『五重塔』
⇒斉藤隆『読書力』(岩波新書)、藤原正彦『国家の品格』、
と読み進んできた。そろそろレベルを上げる必要を感じている、次のテクストは『すらすら読める風姿花伝』である。原文と格調の高い林望現代語訳を交互に音読するつもりだ。その次あたりで『福翁自伝』を採り上げたいが・・・。
昨日の授業で、斉藤隆の最新刊『日本人は何を考えてきたのか』(祥伝社)を150ページまで読み終わった。中学生としてはトップレベルだが、折り返し地点の先読みにまだ問題があるし、語彙も不十分だ。このままでは、高校生になってから隘路に入り込むことになるから、テクストのレベルをもう一段階あげなければならない。
学力テストで国語が90点取れても、難易度の高い進研模試では偏差値55程度だろうから、センター試験の国語の得点を85%にまでアップするためには、苦手の小説と古典を読み慣れておく必要がある。
(目標はセンター試験で数学と英語で90%、国語が85%)
言葉から風景や読んだ人の心をイメージするためのトレーニング・テクストとして昨日『日本の古典を読む④万葉集』(小学館)を1ヶ月間預けた。
毎日ひとつだけ意味を理解して繰り返し声に出して読み、言葉から風景や心象イメージをつむぐトレーニングを課した。
採録した歌にはすべて現代語訳や注釈がついているから、それを読めば意味はわかる。
詠物歌は季節の風物を読んだものだが、情景がイメージできるようになってほしい。相聞歌は恋の歌だから、恋心がまだ芽生えていない中学生にはわかりにくいし、共感をもって読むことはかなわないだろう。それでも大人の恋がどういうものであるのか短歌を通して知っておくことは無駄ではない。(笑)
この時代は、気の利いた歌も読めないような男は教養がある美女には相手にしてもらえないのである。
1ヶ月のトレーニングで、言葉から具体的なイメージをすこしは脳につむぐことができるようになるだろうか?
70% 20%
北海道の中学校で実施している学力テストは全道平均値すら算出されていないいい加減なものである。もちろん偏差値も出ていないから、それぞれの学校内の平均値と順位しかわからない。これでは、自分の学力が全国レベルでどれくらいは知る由もない。
今はどうなっているかわからないが、40年前の東京都の公立中学校で実施される学力テストでは、東京都全体の偏差値も、その学校の偏差値も、個人ごとの偏差値も表示されていた。参加人数も十数万人いただろうから、そのまま大学進学の目安にもなった。
東京都の場合で言うと、難関大学進学を考える親は子どもを小4から進学塾へ通わせ、中高一貫校を受験させる。中高一貫校では1年前倒しで授業をやり大学受験に備える。学力の高い生徒を集めるから、1.3倍速の授業が標準になる。
そういう事情があるから、首都圏の子どもたちと大学受験で競争することになる生徒はどんなに遅くても中学時代に自分の全国レベルでの学力を確認する必要があるとわたしは思う。
全道の公立中学校が、時代錯誤の北海道教育文化協会学力テストを採用することで、子どもたちは自分の学力を知る機会を奪われているように見える。
*北海道教育文化協会
http://www.ho-bunkyo.jp/p51
<根室の子どもたちは高1の進研模試で全国レベルの学力を知る>
根室の子どもたちは根室高校普通科に入学して、7月に進研模試を受験して初めて、偏差値と全国レベルでの自分の順位や通う学校の学力レベルを知る。この10年間ほどでさらに学力が低下したいまでは、中学校で学年5番程度でも、高校生になって進研模試を受けると全国偏差値50以下(真ん中よりも下)というのが普通になってきた。根室市内の中学校の上位10%が全国レベルでは平均値よりも低いのだから、中学校の学力テストの学年順位は全国模試の偏差値とは大きくかけ離れている。中学校で生徒が自分の全国レベルでの学力を知れば、その後の勉強の仕方が違ってくる。
高校では全国模試の偏差値を使わないと進路指導ができないことは常識だろう。大学進学率は全国平均では50%、根室は15~20%程度。全国レベルの難易度のテストを実施したら、数学の平均点は20点以下になりかねないから、全国レベルの難易度とかけ離れた授業をしている道内の公立中学校で全国模試を実施するのははなはだ困難であることも事実。
< 全国レベルの学力テスト:Z会Vテスト >
Z会の「Vテスト 7月受験型」をいう全国テストを受験した中2の生徒がいるので、初めて「Vテスト成績表」を見た。五科目の全国平均値と偏差値が表示されているのは全国レベルのテストでは常識、もちろん「英数国」三科目合計点の偏差値も、五科目合計点の偏差値も載っている。
北海道の五科目受験者は173人、全国では5495人だから、受験者数は少ない。
中学生は「チャレンジテスト」をやっている生徒が多く、「Z会」は少ない。両方を比べると、後者のほうが学力の高い生徒が集まっている。
偏差値60だと上位16%であるが、参加している生徒の学力が高いので、実際の中学生全体の学力分布を想定すると、上位5%くらいになるだろうと推測している。このテストで偏差値60なら、根室の中学校では学年トップの座に安住できる。逆から見ると、根室の中学校でやったテストの半分が学年トップでも、大学受験偏差値では100人中16番目くらいということ。根室の中学校で学年トップを目指していたら、難関大学合格は覚束ない。
高校の進研模試には公立高校普通科の7割ぐらいが参加しており、大学受験をしない生徒も多数含まれており、私立中高一貫校の学力の高い生徒たちが受験しないので、上位層が薄く下位層が厚いという特徴がある。私立中高一貫校の生徒は一年先をやっており、進度が合わないから、Z会のVテストに参加していないはず、この点ではZ会のVテストと進研模試は同じ欠点を持っている。学力下位層が参加していないところがZ会Vテストの特徴だろう。
そういうわけで、Z会「Vテスト」の偏差値を進研模試の偏差値に読み換えるには10以上加点していいのではないか、河合塾の偏差値なら+5かと考えている。
< 国語力アップの重要性とその方法 >
ところで、このテストを受験した生徒は国語の偏差値が他の科目に比べて8程度低い。論説文の読解は得点が9割を超えているから、小説と短歌の読解力をアップしなければならない。
小説や短歌を読んでもイメージがわかないので、本を読まない。楽しくないのだから仕方がないが、濫読しなければ読解スキルが上がらない。
具体的な事例を挙げると、
「古池や 蛙飛び込む 水の音」
それがどうしたの?こういう次第だ。俳句を受け止める日本的情緒が育っていない。森閑としたお寺の境内にある池に蛙が飛び込んだ音が一瞬響いて、また元の静けさに戻っている。座禅して呼吸を整えながら瞑想すれば、数分でイメージした風景の中に自分をおくことができる。座禅と呼吸法を指導したほうが速いのかも知れない。慣れたら時空を超えて脳に特定のイメージを結ぶことも、消すこともできる。
詠み手と入れ替わって時空を超えて古池のふちにたたずむ自分がイメージできたらこの俳句が味わえたといってよいのだろう。
心の中心に日本的情緒が育っていなければ短歌や俳句はわからないから、中高生のうちに古典文学を読み、心の中心に日本的情緒を育むことは大事なことだ。
この生徒は国語が苦手だったので、少し背伸びするような良書を選び2年半音読指導をしてきた。
斉藤隆『声に出して読みたい日本語①』⇒『声に出して読みたい日本語②』
⇒音読破シリーズ『坊ちゃん』⇒『走れメロス』⇒『銀河鉄道の夜』⇒『羅生門』⇒『山月記』⇒『五重塔』
⇒斉藤隆『読書力』(岩波新書)、藤原正彦『国家の品格』、
と読み進んできた。そろそろレベルを上げる必要を感じている、次のテクストは『すらすら読める風姿花伝』である。原文と格調の高い林望現代語訳を交互に音読するつもりだ。その次あたりで『福翁自伝』を採り上げたいが・・・。
昨日の授業で、斉藤隆の最新刊『日本人は何を考えてきたのか』(祥伝社)を150ページまで読み終わった。中学生としてはトップレベルだが、折り返し地点の先読みにまだ問題があるし、語彙も不十分だ。このままでは、高校生になってから隘路に入り込むことになるから、テクストのレベルをもう一段階あげなければならない。
学力テストで国語が90点取れても、難易度の高い進研模試では偏差値55程度だろうから、センター試験の国語の得点を85%にまでアップするためには、苦手の小説と古典を読み慣れておく必要がある。
(目標はセンター試験で数学と英語で90%、国語が85%)
言葉から風景や読んだ人の心をイメージするためのトレーニング・テクストとして昨日『日本の古典を読む④万葉集』(小学館)を1ヶ月間預けた。
毎日ひとつだけ意味を理解して繰り返し声に出して読み、言葉から風景や心象イメージをつむぐトレーニングを課した。
採録した歌にはすべて現代語訳や注釈がついているから、それを読めば意味はわかる。
詠物歌は季節の風物を読んだものだが、情景がイメージできるようになってほしい。相聞歌は恋の歌だから、恋心がまだ芽生えていない中学生にはわかりにくいし、共感をもって読むことはかなわないだろう。それでも大人の恋がどういうものであるのか短歌を通して知っておくことは無駄ではない。(笑)
この時代は、気の利いた歌も読めないような男は教養がある美女には相手にしてもらえないのである。
1ヶ月のトレーニングで、言葉から具体的なイメージをすこしは脳につむぐことができるようになるだろうか?
70% 20%
日本人は何を考えてきたのか――日本の思想1300年を読みなおす
- 作者: 齋藤 孝
- 出版社/メーカー: 祥伝社
- 発売日: 2016/03/01
- メディア: 単行本
2016-08-20 09:10
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Free care,
cars to become, Ms. Note.
日本語にしてください。(笑)
by 後志のおじさん (2016-08-20 16:43)
そんな風に聞こえたら、イメージはわきませんね。(笑)
『国家の品格』110ページには次のように解説しています。
-----------------------------------
日本人なら、森閑としたどこかの境内の古池に、蛙が一匹ポチョンと飛び込む光景を想像できる。その静けさを感じ取ることができます。しかし、日本以外の多くの国では、古い池の中に蛙がドバドバドバっと集団で飛び込む光景を想像するらしい。これでは情緒も何もあったものではない。
このように自然に心を通わせられるような、素晴らしい感性を日本人は備えています。それを思えば台風や地震や洪水といった自然災害にすら感謝したくなります。こうした自然災害に「恵まれた」おかげで、自然にひれ伏す気持ちが生まれ、無常観が発達しもののあわれとか自然と心を通わすような情緒につながったのですから。
-----------------------------------
もう一句、「枯れ枝に 烏の止まりたるや 秋の暮れ」を挙げて説明しています。
「自然に心を通わせる」ことができるというところがいいのでしょう。小学校の教育は、日本的情緒を育てることをもうすこし意識していいのではないかと思います。
by ebisu (2016-08-20 17:08)
学校に来てる外人さんに読んでもらいな、と冬の生徒に紙に書いて渡したら、
「ほんとに、聞こえた!」と喜んでました。
イメージ力形成には、音の遊びも効果的だろうと思います。
掛詞、地口、駄洒落。日本の文化です。
一つの音を聞いて、二つの意味や場面を瞬時にイメージする能力が前提の。
落語をしっかりきくなんてのもいいんじゃないかな、と。
で、音遊びの英文を投稿してみた訳です。
by 後志のおじさん (2016-08-20 19:06)
英語の単語のリストを外人が読むと日本語に聞こえた、生徒にとってはびっくりだったでしょうね。
いろいろあるんですね。ネットで検索したら、こんなのがありました。
full in care car was to be come me is not
Wash your hands. ⇒「わしゃ、ヘン」
Wash my car. ⇒ 「おしまいか」
万葉の歌人額田王の歌
茜さす 紫野逝き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る
茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流
大和の言葉はもともとは表音文字で表されていたのでしょう。それに漢字を当てることで意味に奥行きがでてきます。
額田王は中国語と日本語を自在に操れたから、これも言葉遊びかもしれません。「逝」と「行」の使い分け。
大海人皇子の后を召し上げた天智天皇、漢字表記の句のほうは額田王が二度とあなたの元へは戻れませんと言っているようにも聞こえます。
参考:藤原由加著『額田王の暗号』新潮社1990年
by ebisu (2016-08-21 00:28)
本論の生徒さんには、リスニング対策として、「基礎英語3」または「ラジオ英会話」の同調音読をお薦めします。私はやったことはありませんが、ストリーミング放送を使って録音できるようです。
文をみない。まず、音から理解する。わかるまで、無限に繰り返しきく。(でも受験生だから一文3分くらいを上限に。)
わかったor あきらめたら、テキストをみて文構造と内容(訳ではありません。訳は、読んでもいい。)をしっかり頭に入れて、textをみないで文を書く。
書き終わってからでいいから、文構造やイメージを、「自分と同じくらいに勉強ができる奴に、どう説明するか?」を説明しているつもりになって考えてみる。
数日空けて、同じ文をリスニングしてみるとでも霧が晴れたように耳が変わりと文構造を把握する力がついたことが実感できるようになります。リスニングだけでなくトータルの力がつきますよ。毎日30分でもいいから是非お薦めください。
クリアできない文構造や文法、語のイメージはebisu さんに質問すればよいのですし。(ebisu さんが回答に困ったらお手伝いしますよ。笑)
by 後志のおじさん (2016-08-21 21:16)
ebisu さんが困る云々のくだりは、
そんなレベルの質問を突きつけられたら、私も楽しめるだろうなぁ、という意味です。誤解されないよう、念のため。
by 後志のおじさん (2016-08-21 21:40)
おはようございます。
毎日30分というのが「ころあい」でいいですね。、ススメてみます。数学の勉強もしなければならないし、万葉集の短歌も毎日ひとつ声に出して味わって見なければいけないのですから、30分というのが「ころあい」でよい。
基礎英語3はコーパスから使用頻度の高い文を紹介していますから、教材としては教科書とは比べ物にならないくらい質がいい。
「テキストをみないで聞く」というのがいい。何が聞こえていないのかチェックになります。
この過程を我慢できずに、最初からテキストを見たら、効果ががくんと落ちますね、1ヶ月ほどビジネス実践英語を聴いてわかりました。
生徒の質問はときに何が出てくるかわかりませんから楽しいのです。
思いもかけない質問が出たら、紹介します。説明は2方向からあったほうが生徒のためです。そのときはよろしくお願いします。
一人で楽しむよりも二人で楽しむほうがよい。
昨日、五木博之の『他力』(講談社1998年刊)を読んでいたら、「98. ふたりで歓べば歓びが二倍になる」という章にぶつかり、はっとしました。
「ふたりで歓べば歓びが二倍になると言います。ふたりで苦しめば苦しみが半分になるかもしれない。多数の人々と共に歓び、その歓びを二倍にも四倍にもすることを蓮如は願っていたのです。そしてたくさんの人と苦しんで、苦しみを分かち合っていく。その根底の感覚が終生消えずにあった方なんだな、とつくづく思います。」
五木さんは表現がうまい。喜びのほうは「なる」と断言して、苦しみのほうは「なるかもしれない」と可能性を示しただけで断言を避けています。分かち合っても半分にならない苦しみがあることを体験を通して了解しているからでしょう。彼の言葉は身体から発しています。
ブログを書いてふだん漠然と感じていたことが、文章になっていたのではっとしたのです。
五木さんが感じた蓮如に過ぎませんが、五木さんの口から語られることで、すっとわたしの心にとどきました。わたしも蓮如(1415-1499)が好きになりそうです。蓮如は生涯に5度も結婚を繰り返しました。道元とはまったく違うタイプの人間です。違う路から同じ山を登ったのでしょう。
ブログの投稿欄を通じてみなさんと対話することで、歓びが2倍にも4倍にも6倍にもなっています。
ありがたいことです、わたしは浄土真宗の信者ではありませんが、蓮如に敬意を表して南無阿弥陀仏。
日本人は宗教的寛容性が大で、融通無碍でよい。(笑)
蓮如が亡くなってから、織田信長が生まれるまで35年間あります。蓮如が大きくした教団に信長は手を焼くことになります。宗教的な権力と世俗的な権力が真正面からぶつかって、何万もの犠牲を出し、折り合いをつけていくことになります。蓮如から法統を受け継いだ後継者はたいへんな苦しみも引き受けることになったのでしょう。
宗教教団は世俗の権力とどういう立ち位置にあるべきか、現代的な問題を突きつけているようにも見えます。蓮如がいまいたら、どう考えるのでしょう。既存の政権とどういう距離をとるのか、人類を幸福にするために経済はどうあるべきか、興味の尽きない問題が立ち現れそうです。
時空を超えて対話したい。
by ebisu (2016-08-22 08:21)