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#5111 美しい37手詰め:竜王戦最終局 Nov. 12, 2023 [5.1 脳の使い方]

 藤井聡太8冠と伊藤匠七段の竜王戦最終局は藤井聡太8冠の勝利となりました。21歳同士が竜王と挑戦者で戦ったということも特筆すべきことです。

 飛角交換から、その角を使っての37手詰め、何と凄い棋譜を残したのでしょう。百年後に語り継がれる棋譜です。それをわたしたちは同時代で見ています。
 実戦で37手詰めを読み切る棋力もすさまじいですが、飛角交換でその角を使ってというところが「芸術的」です。チャンピオン戦のたびに進化しているようで、けた外れの棋士が現れたものです。
 詰み手順は37手は切れ目なく連続しています。一つ間違っても正解にたどり着けません。藤井聡太さんは正解コースがわかってしまうのでしょう。論理的な積み手順はそのあとで組み立てられているのではないでしょうか。飛車を切るときに、これが積み手順だと確信していたのでしょうね。そこから論理的に読み始める
 数学の難問を解くときにも、こういうやり方でやれば解けそうだと感覚が先に教えてくれます。それに従ってやっていくと、シンプルに正解できます。まるで正解手順を知っている別の誰かが体を操ってやっているかのように感じます。後から見ると、正解手順を最初から読み切って答案を書いているように見えちゃいますね。

 将棋の話はよくわからないので、ビリヤードの話をします。わたしはビリヤードを趣味にしていました、趣味と言ってももう30年間ほどやっていません。家がビリヤード場を経営していたので、18歳までそこが遊び場でした。小学校の頃は遊び場、中高のときは毎日数時間店番をしていましたので「門前の小僧習わぬ経を読む」の類で、すこし上手でした。高校卒業後、東京で代ゼミに通いながら、都内の有名ビリヤード店をいくつか回ってみました。1年間は代々木駅前のビリヤード店の常連でした。大学に入ってからもときどきビリヤードしてました。大学院へ進学してからは十数年間やっていません、研究と仕事で暇がなくなったからです。40歳前後の頃、仕事が暇な時期があり、スリークッション世界チャンピオンの小林伸明先生のビリヤード場で「四つ球常連会」に入れていただき、数年通ったことがありました。何度か弊ブログにそのころのことを書いています。駿台予備校数学の荒木重蔵さんが四つ球常連会の会長でしたね。彼はディリスのサマーキャンプに参加するほどのビリヤード好きです。腕前はプロテストに合格できるくらいでした。理論派です。図面を用いた研究は彼に教えてもらいました。
 検索ボックスに「小林伸明」と入れたら、小林先生に言及した記事がいくつか出てきます。
 スリークッションはクッションシステムの計算とそれを実現できるスキルの掛け算で得点能力が決まります。思い描いた通りのコースを球が走って止まります。スピードコントロールも伎倆のうちです。
 ビリヤードの巧い下手は「キュー切れ」に如実に現れます。ドロー・ショットを見たら、その人の伎倆や伸びしろがわかります。ドロー・ショットとはバックスピンのかかる撞き方で、手玉の下を撞くほどバックスピンは大きくなりますが、そこには限界があります。タップとタップの削り方、そして滑り止めのチョークの品質が関係するだけでなく、キューの「切れ」の差が出ます。これは天性のものでしょうね。
 わたしは、昭和天皇のビリヤードコーチだった吉岡先生(札幌の白馬というビリヤード場とビリヤードテーブルの販売・調整するお店を経営しておられました、上品な白髪のおじいさんでした)、平成天皇のビリヤードコーチだった小林伸明先生、令和天皇のビリヤードコーチの町田正先生の三人の撞くところを自分の眼で見ていますが、三人ともキューの切れが抜群によかった。
 「切れ」以外はトレーニングでいくらでも上達できます。極東の町に西井さんというすばらしい「切れ」の人がいました。東京で修行していたら、間違いなく日本でトップクラスの伎倆でしたね。「バラ球の帝王」でした。私よりも10歳ほど年上です。キューを構えた写真が残っていましたが、あんなにバランスがよくて勢いのある構えの人は見たことがありません。西井さんも天才の一人だった。
 町田正先生のお父さんのビリヤード場が八王子にありますが、そこはいま息子の正さんが経営しています。そこに鉄のキューがありました。10㎏くらいあったような気がします。素振り用のキューでした。シルクハットというマッセの技があります。大台で台の端から端まで行って、L字に曲がる技です。打突力が強大でないとできない技です。いまでもおそらく世界中で彼しかできないでしょう。鉄のキューを使った素振りと、マッセ用の小さな台を手作りしていました。練習の仕方が半端ではありません。町田先生のお父さんは「巨人の星」のお父さんのような人です。町田正先生には一度だけ、ボークラインゲームの相手をしていただいたことがあります。目の前でゲームをして撞くところを直接見る幸せ、うっとりしてみてました。ゲームにはなりません、完敗です。町田正先生は全日本ボークラインチャンピオンでもあります。
 町田正先生のお父さんのビリヤード場へ行ったのは40歳になったころでした。もっていたキューがよかったのとタップが名品だったので、「削らせてほしい」といわれてOKしました。キューを台に載せて掌で転がしながら鑢を丁寧に当てて、半球状に仕上げてくれました。タップの削り方を教えてくれました。吉岡先生のタップの削り方とまったく違いました。
「わたしはプロのコーチだから、有料でないと教えない、だけどあなたにはタダで教えてあげる」
 そういってくれたのですが、仕事が忙しくていけませんでした。それでも基本メニューは伝授してもらいました(図面に書き落としてあります)。町田先生のお父さんの申し出は、わたしのキューの切れが少し良かったから教えたくなったのだと思います。
 常連会の大会で元全日本四つ球アマチュアチャンピオンの小柴さんと優勝争いをしたことがあります。大会は三つ球での勝負です。1回目を撞き切り、その裏を小柴さんもつき切りました。2回目は小柴さんが先につき、撞き切りました。戦意喪失でした。(笑) 準優勝。そのときに小林先生が準優勝の賞品にブルーダイアモンドという世界最高のチョークを1ダース出してくれたのです。先生が試合にしか使用しないものです。まだ9個手つかずで残っています。準優勝の賞品の方が値打ちものでした。
 撞き切りは、常連会に行っていたころ、高田馬場ビッグボックスで開催されたプロアマ混淆の大会でやっています。5人ずつのグループに分かれ、それぞれのグループにはプロが一人入ります。持ち点にはハンディがついています。これは三つ球でのゲームだったかな。初回でプロと当たったら、撞き切りが出ました。何も考えていません。撞点もかまえただけで、手球がここを突けと教えてくれます。力加減も普段は直径30センチほどのゾーンを想定してその範囲内に入ればいいのですが、理想の位置にピタッと来てしまいます。とっても芸術的なんです。こういう状態の時は「集中モード」ではなくて「分散モード」です。どこにも力が入っていません。リラックスしている状態で、必要な範囲には万全の注意が行き届いて対応できています。注意力の集中は、焦点の当たっているところはく見えていますが、その外側は逆に見えなくなるのです。「分散モード」ではそうした不都合が消えてしまいます。
 トップクラスのプロは、そういうことが普通にできるほどトレーニングしています。寝ても覚めてもビリヤードというぐらいトレーニングを積まないとプロでも届かない領域なのです。他に仕事をもっているアマチュアでは端から無理です。そういうレベルのプロは形が崩れてもある程度なら立て直せます。流れがとっても美しいのです。
 ビリヤードゲームには個性が出ます。勝ち負けにこだわった勝負が好きな人もいます。稀なのは美しい勝利にこだわる人
 日本人にはスリークッションが相性がいい。スヌーカーは相手を封じることが主眼のゲームですから日本人には合いません。将棋も美しいのです、日本人向きのゲームのひとつです。

 藤井聡太八冠の今回の37手詰めは百年後にも語り草になるほどの棋譜でしょうね。飛車を切って角と交換し、その角を使っての37手詰めは芸術の域です。実戦で37手先の詰み手筋が見極められ、一手も違うことなく正解手順で指しきれる、勝ち負けにこだわっているだけでは永遠に届きません。シンプルで美しい将棋が目標なのでしょう。ビリヤードで持ち点を撞き切るときと同じ感覚が働いているのではないでしょうか?

 小林先生の残した言葉を引用しておきます。
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ビリヤードが上手だから
人間の位が上だと思い上がっている者は
とんでもない間違い。人の生きてきた歴史の中で
ビリヤードは多々ある文化の中の一輪の花。
たとえ世界の選手権者になっても
それは小さなこと
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 新大久保の小林先生のビリヤード場の常連会に参加していた時には三度ほど忘年会あるいは新年会に小林先生が出席されて、2時間ほど楽しくお話が聞けました。どこかにそのときの写真が数十枚残っているはず。十人前後のとってもアットホームな忘年会でした。

<余談-1:昭和天皇のビリヤードコーチ吉岡先生>
 吉岡先生は毎年ラシャの張替えに極東の町まで来てくれていました。来るとその日は泊まって翌日張替え作業です。オヤジが手伝ってやっていました。面白そうなのでわたしはずっとそれを眺めてました。小学校の4年か5年生の時に、プロになりたいと吉岡先生に話したら、「勉強しないたほうがいい」と言われました。素質がないと婉曲におっしゃったのかとそのときは思いました。ところが、吉岡先生ですらプロでビリヤードだけでは飯が食えない時代でした。後に町田正先生のお父さんに「長男はプロでは飯が食えない時代だったので、プロにしなかった。筋は長男の方がよかった」、そうおっしゃたのを聞いて、吉岡先生の言葉の真意が理解できました。
 高校を卒業して4月に同じクラスの根室高校最後の総番のヒロシと一緒に千歳空港から飛行機で東京へ行くのに時間があったので、札幌駅で下車して、ビリヤード白馬によりました。吉岡先生、常連で一番上手な人を紹介してくれてゲームの相手をしました。500点の持ち点で、四つ球ではそれが持ち点の最高です。アマチュアのチャンピオンクラスの伎倆です。四つ球は「セリ」をマスターしたら卒業です。吉岡先生の短クッション折り返しのセリ、アメリカンセリは高速でした。いまの世界チャンピオンの3倍ほどの速度で、迷いなくリズミカルの撞きます。職人技です。
 翌年、一つ下の後輩と札幌駅前大通りをデートしていたら、「トシボー」と声がします。吉岡先生でした。ライオンズクラブで献血の呼びかけをしていました。孫を見る爺さんのような目で微笑みながら「献血していけ」と仰るので、「はい!」と返事して献血しました。そのときの献血手帳が東京のおじさんが日大駿河台病院で癌の手術をするときに役に立ちました。

<余談-2:平成天皇のビリヤードコーチ小林伸明先生>
 小林先生のお店に行き始めたころ、数回スリークッション台で遊んでみました。球の走りがいいのは、台が乾燥しているからで、掌を乗せると温かいのです。ヒータが入っている台は見たことがなかったので、訊いてみました。
「ヒーターが入っているようですが、こんな台は初めてです」
「ベルギー製の台です、国産ではありません」
「ラシャのテンションも違いますね、普通のラシャでは裂けてしまうほどきつく張ってありますね。ラシャの織が違う気がします、これは手では張れない、何か道具があるのですか?」
「ラシャを引っ張る道具があります。四つ球テーブルのラシャは綾織りですが、これは平織りです」
「ああ、そういうことでしたか。一度お手伝いしてみたい(笑)」
 この会話で、わたしもビリヤード場経営者の息子であることがバレバレでしたね。一度もそういったことはありませんが、この会話だけで十分でした。だから、少し特別扱いしてくれていたような気がします。ブルーダイアモンド・チョークは、メーカーが廃業して十数年過ぎていました。
 いま確認したら、売っています。1ダース30000円しています。ビリヤード愛好家にとっては朗報です。
 小林先生に教えを乞うときには図面を書いてもっていって質問していました。
 マッセの構えが吉岡先生とは違っていました。吉岡先生はこめかみにキューを当てますが、小林先生は首に当てます。その方が手球の撞点がよく見えるのです。初心者にはその方がいい。四つ球のマッセは小さいマッセがほとんどですからそれでいいのです。少し距離が開くと首では無理があります。上腕の振りの距離が短いので打つ瞬間に力を入れないといけませんが、そうすると速度コントロールがむずかしい。こめかみに当てたほうがシゴキの距離が長いので、強さを加減できます。それに吉岡先生はレストで手球の撞点が隠れていてもちゃんと見えてます。相手の伎倆によっても教え方が違います。初心者には小林先生の指導がいいと思います。小林先生はセミプロ用の教本は出版するつもりがないとおっしゃってました。一知半解の輩が出るので、煩わしいと言ってました。だからそのレベルの質問になると、図面を描いてもっていって質問して、答えを記入して保存しました。

<余談-3:令和天皇のビリヤードコーチ町田正先生>
 八王子でかつてお父さんのビリヤード場「チャンピオン」を経営しています。アーティステックビリヤード世界銀メダル保持者です。国内のビリヤードゲームではさまざまなゲームで60回ほどチャンピオンに輝いています。いまでも現役の選手です。将棋なら永世名人でしょう。
 お父さんが経営していたころに「チャンピオン」へ十回ほど通いました。あれからもう三十数年たちますが、一度行ってみたいと思っています。

 タップの削り方はこちらに書いてあります。

#4888 ビリヤード:タップの調整(画像付き) Dec. 1, 2022

#4244 ビリヤードのタップの調整の技と世界最高のチョーク、そして勉強法 May 8, 2020


#4890 ブルーダイヤモンド:世界最高品質のビリヤードチョーク Dec. 6, 2022

<余談:四つ球>
 ビリヤードには大テーブル(スリークッション用)と普通のテーブルの2種類があります。ゲームの種類もキャロムゲームとポケットゲーム(穴ぼこの開いた台)の2種類です。スリークッションやスヌーカーは大台です。
 元々は象牙の球を使っていましたので、四つ球は大きなボールで、それが傷がついたりすると削って小さくなります。小さくなったボールがポケットゲームに使われました。
 象牙の球はドローショットがむずかしいのです。キレがないと引けません。樹脂製のボールは軽いので、下を撞けばドローショットになります。象牙の球でドローショットの練習をしたことがある人はキレがいいのはあたりまえなのです。キレがいいと、撞いた瞬間の感触、手触りが違います。だから、樹脂製のボールだととってもコントロールしやすいのです。象牙のボールが樹脂製に変わりだしたのは昭和30年代半ばころからでしたね。記念に2個持っています。



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