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#4526 ワクチンの嘘:不良在庫を大量に買うことになる日本政府 April 20, 2021 [35.1 COVID-19]

<最新更新情報>4/21朝、<余談:臨床治験事業とわたしの関り>追記
 大阪は新型コロナの変異株が爆発感染を起こしている。東京も間もなく変異株が爆発感染を起こすと専門家たちが合唱し始めた。
 ファイザーのワクチンもアストラゼネカのワクチンも変異前のウィルスに効果のあるようにデザインされたワクチンであるから、変異株には効きが悪い。変異株には1/6ほどしか効かないという調査が出ている。効果はわずかに15%前後ということだ。現行ワクチンはすでに接種時期を外してしまっている。

 人口6800万人の英国では国民の48%がすでに接種を完了している、米国でも接種数は2億の大台に乗っている。日本は河野担当大臣が大見得を切っているが、接種率はたったの1%である。医療従事者にすらまだいきわたっていない。それなのに優先順位が2番目の老人への接種をはじめてしまった。やらないと遅れが表面化するからだ。つじつま合わせにズルしたということ。正直な仕事をこの人に期待するのはやはり無理のようだ。
 さて、接種率の国際データ比較からは、河野担当大臣がなにか有効な仕事した形跡はない。

 2数か月後にはヨーロッパも米国もあらかた接種が終わって、ファイザー社もアストラゼネカ社もワクチンの過剰在庫の山ができる、そのはけ口に日本がなる。どちらの製薬会社でも変異株用にデザインしたワクチンの開発に入っているだろう。
 そういう状況を考えると、当初のウィルス株は消滅して、変異株だけになり、ほとんど効果のない「旧型ワクチン」を日本が大量購入し、オリンピックの直前に国民へ接種するという珍事が起きる

 政府は武漢型にデザインされたワクチンは変異株にはほとんど効果がないと正直に発表をすべきだ効かないから製薬メーカーは変異株用にデザインされたワクチン開発に入っているはず、企業としてはあたりまえの経営判断と行動だ。武漢ウィルス用にデザインされたワクチンが変異株には効かないことを確認したから、製薬メーカーは変異株用にデザインしたワクチン開発競争をとっくに始めているだろう。
 日本では感染者数が少なすぎて臨床治験に必要な人数を集められない、いまだに武漢ウィルス用にデザインされたワクチンすら臨床治験がいつ終わるのか不明だ。その間にウィルスが変異してしまったから、臨床治験が終わっても、変異株だらけになっているから効果がなく売れない。変異速度が大きいウィルスに対するワクチン開発競争には日本の製薬企業は無力だということが結果からわかった。

 変異株には打っても効かないワクチンをまだ大量輸入しようとしている。日本政府はこのような事実を正直に公表すべきだ。

 日本人は正直さと勤勉であるという美徳をもっていたが、それが政治の世界でも官僚の世界でも消滅しかかっている。しっかりしよう。国民への情報やデータ公表は正直と誠実を旨としてもらいたい。日本人は江戸時代からずっとビジネスの倫理を伝統的な価値観の一つとして持ち続けてきた。政治の世界もこうであってもらいたい。
 「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」

 変異株に現行のワクチンが効かない事例をネットで探ってみた。
 住民の半数がワクチン接種済みの米国ミシガン州で英国型と南アフリカ型の変異株が爆発感染しつつある。
 南アフリカ調査によれば、変異株に対してワクチン接種グループと非接種グループに差がないという。

 インフルエンザを考えてもA型のワクチンはB型にはほとんど役に立たない。同じことがCOVID-19でもでも起きているのだろう。

 わたしは製薬メーカーと大学研修者たちの変異株に関するワクチンの効果に関する共同研究データは信用できない。ふだんから、研究者に巨額の研究資金が製薬メーカーからでているからだ。必ず忖度が働く。
 厳密な臨床治験によるデータ、あるいは製薬メーカから資金を受け取っていない研究チームによる、調査研究データなら信用できる。最後にあげた、南アフリカで、変異株には現行ワクチンには接種と非接種グループで有意な差がなかったというものだけが信用できる。昨日検索して見つけたデータだったが、いまやってみたが見つからない。

 アストラゼネカのワクチンの変異株に対する有効性が25%しかなかったというデータは見つかった。
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南アフリカの変異株にはワクチンの有効性が低下

英国のイングランド公衆衛生庁(PHE)は2月2日、いくつかの地域で確認された新たな突然変異株の存在を明らかにした。南アフリカの変異株にみられる「E484K」と呼ばれる変異は、免疫を「逃避」する能力をもつことがわかっている。それゆえ南アフリカの変異株には、これまで承認されてきたワクチンの有効性が低くなることが懸念されていた。
実際にこの変異株が蔓延している南アフリカで2月7日に実施された小規模な治験では、英製薬大手アストラゼネカ製のワクチンの有効性は25%以下で、軽度から中等度の感染に対してほとんど防御効果がない報告されている。南アフリカはすでにアストラゼネカ製のワクチンを100万人分確保しており、翌週から医療関係者への接種を開始する予定だった。ところが、それを一時的に見送るかたちとなっている。
また、南アフリカ変異株に対するジョンソン・エンド・ジョンソン(J&J)のワクチンの有効性は57%、ノヴァヴァックスが製造したものは49%だった。さらにJ&J製のものは重症化や死亡に対する保護効果において、85%の有効性が示されている。
このことから南アフリカでは2月11日、アストラゼネカ製のワクチンをいまだ変異株が蔓延していない国々に転売する予定であると発表。代わりに保護効果が示されているJ&J製のものを使用すると決定し、2月17日から医療関係者を中心に接種が始まっている。一度の接種で済むJ&J製のワクチンが使用されたのは、南アフリカが初めてだ。 
また、mRNAワクチンの先鋭となったファイザーモデルナは、すでに南アフリカ株に対抗するための改良ワクチンを開発している。両社ともにまもなく臨床試験が開始される見込みだという。

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 やはり変異株に対するワクチンを製薬メーカーは開発中だね。間抜けな日本政府は、ほとんど効かない賞味期限切れの武漢株用のワクチンを大量に買うことになる。2か月したら「転売」もできません、廃棄するしかない。「安倍のマスク」の悪夢がワクチンで再来したかのようだ。
 厚労大臣も西村コロナ担当大臣も河野ワクチン確保・接種促進担当大臣も3人寄ってたかってもまるで仕事になっていない。首相官邸の今泉補佐官は大坪審議官との醜聞が流れていたが、この分野ではまったく手薄の状態になっている。菅総理大臣は「裸の王様」だ。

 菅総理が昨日米国から戻ったが、米国滞在中にファイザーの社長への面会を断られ、電話で数分間ワクチン供給の要請をしたという。
 ファイザーのCEOは変異株に現行ワクチンが効かないことを承知している、だから変異株用のワクチン開発をしているのだそこへ日本政府の代表である菅総理から面談要請があり、断ると電話がかかってきたということ。どんなに間抜けな話か分かるだろう。これは裸の王様の寓話そのものだすでに変異株が蔓延し始めた日本、総理大臣が効果のない現行ワクチンの供給要請してくるなんて、なんにも知らないバカと思われたに違いない
 ワクチンの輸出を止めているのは米国政府である。大統領と交渉もせずにファイザー社の社長へ要請するという方向違いも漫画だ。メーカーとだけ話をして輸出を止めている当事者であるEUと交渉しない河野大臣と同じだ。
 菅総理大臣は武漢株用の旧型のワクチンはもういらないとキャンセル交渉すべきだった。何と間抜けな総理大臣だろう。ファイザー社のCEOはまもなく過剰生産となる旧型ワクチンを大量買いしてくれる日本政府の要請に大喜びしているだろう。
 南アフリカ政府は変異株にアストラゼネカのワクチンが効かないことがわかると、すぐに投与を中止し、変異株が蔓延していない国へのワクチン転売を考えているという。日本政府の対応は南アフリカ政府以下ということだ。笑えない現実である。
 どうしてこんなに政治家が劣化してしまったのだろう。
 国会で嘘を言い続け、記録の改ざんや隠蔽し放題で、正直さや誠実さを失ったからではないのか?



<余談:臨床治験事業とわたしの関り>
 1996年ではなかったかな、臨床検査最大手のSRLと帝人が臨床治験分野の合弁会社の設立を新聞発表した。その後数か月間、SRL治験部門と帝人の臨床検査子会社である帝人バイオメディカルの治験部門のメンバー十数名による新会社立ち上げのプロジェクトが動いていた。新聞発表の期限に間に合わないことが明らかになり、事態を打開し、期限通りに新会社立ち上げをできるのは私しかいないとプロジェクトメンバーの一人から名前が上がり、SRL本社に呼び戻されてそのプロジェクトを近藤社長から直接仕事を任された。目標は4つである。①新聞発表された通りに1月中に新会社を立ち上げること、②治験部門は赤字だから新会社も当然赤字になる、それを黒字にすること。③3年間で資本提携を解消し株は全部引き取り、SRLの完全子会社にすること。④帝人の臨床検査子会社を買収し、SRLの完全子会社にすること。これらをすべて3年間でやれとSRL近藤社長から直接指示だった。経営に関して全権を委譲してもらうことで引き受けた。やり方をあれこれ指示されたのではやれっこない仕事だった。二つ返事で全権委任を承知してくれた、思いっきりのいい人だ。だが、任された時点では新会社の本社ビルの場所すら決まっていなかった。
 治験データ管理の事業分野を拡張して、事業は黒字化へ向かった。帝人本社との買収交渉はスムーズに進んだ。合弁会社の経営改善を直接見た帝人本社のI常務が、経営手腕を認めて、協力してくれたからだ。M専務も快く了解してくれた。本社エリートを送り込んでも一向に黒字化できない臨床検査会社の経営に困っていたのである。わたしはそういう情報を1988年ころからつかんでいた。染色体画像解析装置を帝人バイオ羽村ラボが購入したことを知ったからだ。5000万円の英国製の染色体画像解析装置を購入したということは、赤字を解消するために特殊検査分野のメニューを増やしたということ。それが経営上の重荷になることも予測していた。検体を集めることができないのである。染色体検査分野はSRLが市場の8割を独占していた、そんな事情も知らない経営者が判断したと思った。東北でもそういう臨床検査会社があったが事情は同じと判断していた。
 それから8年たってから、帝人との合弁会社の経営を任せてもらったわけだ。その当時はSRL東京ラボで大きなプロジェクトを動かしつつあった。本社からの突然の指示がSRL東京ラボのM社長へあり、「SRL本社社長の意向には否とは言えない」と言われ、プロジェクトに参加するために本社へ出向いたら、出かけるところだった近藤社長とエレベータの前で出遭った。そこで数分立ち話。それが先にあげた4つの条件の確認と経営の全権を任せてもらうというこちらからの要求だった。近藤さん、簡単にOKしてくれた。
 合弁会社は国内最大の臨床治験検査及びデータ管理会社となった。顧客は世界中の大手製薬メーカー全社、日本の大手製薬メーカーだった。帝人側は前臨床(動物試験)分野ももっていたから、臨床試験検査の受託会社としては全分野をカバーする会社だった。わたしの担当は、近藤社長からの四項目のほかに管理部門とシステム部門、データ管理業務部門、新規事業分野でした。営業部門はOさんの担当。SRLから常勤役員は2名だった。非常勤取締役でラボ部門担当役員と営業担当役員がそれぞれひとりずつついた。帝人側は帝人本社のI常務が非常勤役員として毎月の取締役会に出席して経営改善状況をモニターしていた。
 3年に数か月余して、目標は達成した。達成したところで仕事がつまらなくなった。帝人のI常務は新会社の社長はわたしだと言っていた。毎月1回、非常勤役員として取締役会に出席して、3年間弱の経営手腕を見ての判断だが、SRL社内で適任者が一人いて、近藤さんに相談してその人に社長に就任してもらう了解を取り付けたところで、寸前に当人が会社を辞めた。学術開発本部担当取締役のIさんだった。1990年ころ2年間ほど私の上司で、青山学院で有機化学を教えたことのある人だった。
 あとはSRL本社にろくな人材が居なかったので、他の人が社長で来るなら、そんなところで仕事したくなかった。これ本音です。大きなヤマは越えたから、普通の人材が来れば何とでもなる、私が担当する意味がなくなったわけです。

 染色体画像解析装置を購入した東北の会社へも1992年ころに創業社長の藤田さんから、1億円の経営分析と出資交渉を任された。3年の約束で出向したが、黒字化の案を創業社長の藤田さんに文書で了解を取り、実行しようとしたら、突然にSRL本社へ呼び戻された。経営改善案を実行すれば、売上高経常利益率が15%ほどになり、経常利益率ではSRL本社を上回る業績になる。SRLの子会社関係会社でも利益の額がナンバーワンになるような具体案だった。1991年に三井物産から買い取った千葉の臨床検査会社で経営改善は実験済みだった。業務システムとラボシステムを入れ替えたら、生産性が3倍ほどになることがわかっていた。そちらは関係会社管理部の時代にシステムの立ち上げでSRL本社では私が担当したからだ。新システムの開発導入後、すぐに生産性は2倍を超えた。同じ人数で倍の売上をこなせるようになったので、赤字は一気に解消し、高収益会社になった。同じ方法では愉しくないので、染色体事業を中心とするSRLとの分業体制の面白い黒字化案をつくった。慌てたSRL創業社長の藤田さんと副社長の谷口さんに本社に呼び戻されて、経営改善案はご破算。東北の会社の社長がSRLのカラーに合わなかったからだろうと思う。子会社社長はSRL本社役員にすることに慣習上なっていたのである。創業社長の藤田さんはそれを避けたかったのだ。そこまで読めなかったわたしが無邪気すぎた。
 15か月でわたしをSRL本社経営管理部へ呼び戻したのにはそういう事情があった。社長室と経営管理課長とシステムで問題の起きていた購買部の3部署兼務だった。
 東北の会社の件ではわたしは藤田社長に大きな貸しができたというわけ。金沢の臨床検査会社の経営分析と経営改善案そして買収交渉は藤田社長の直接の指示で東北の会社と同時に担当した。役員出向はどっちでも好きな方を選んでいいと言われた。事情が厄介な東北の会社を選んで経営企画担当役員として出向したのである。金沢の臨床検査子会社の赤字解消は簡単な話だった。千葉の臨床検査子会社のシステムを移植するだけで売上高経常利益率が10%超になることがはっきりしていたからだ。そんな仕事はつまらない。
 東北の臨床検査会社の本社の隣に温泉があった。朝5時ころに起きて歩い、6時の開店と同時に入浴、9時近くになったら出社、と「オハラショウスケさん」してました。とっても楽しく面白い時代だった。定年まで東北にずっといようと思っていたのです。話が脱線してます。(笑)

 そういうわけで、アストラゼネカもファイザーも臨床治験会社では重要取引先だった。SRL学術開発本部スタッフとして仕事していた時には開発部の仕事も兼務しており、製薬メーカと検査試薬の共同開発も2件担当していたから、大学や大学病院へのドクターたちへの研究費のバラマキや、そういう研究費をいただいているドクターたちの仕事の仕方もいろんなことを通じてわかってくるわけです。


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