#1467 高校入学式 Apr. 8, 2011 [87.根室の話題]
今日(4月8日)は高校入学式だった。生徒たちは入学祝をいただいたお礼回りで忙しかったようだ。
なんてことはない日常が流れている幸せに普段は気がつかぬ。
被災地の1年生はどうしているだろう。家をなくしてしまった生徒、親兄弟姉妹を津波で呑まれてしまった生徒、お世話になった中学校の先生が亡くなった生徒、生徒自身が亡くなってしまったケースもたくさんあるだろう。ふるさとを離れて友だちと別れ転校せざるをえない生徒も多数いる。大学受験生の中には合格した大学への進学をあきらめざるをえない人も出ているだろう。
放射能の内部被曝におののいている生徒もいるに違いない。5年、10年、20年先にどのような病気が現れるのか、結婚して生まれてくる子供に影響はないのか、心配な生徒もいる。
個々の事情を想像するだけで私の心もつぶれそうになる。でも、現実だ。
大きな災害が起きてしまった。災害の一部は人災でもある。どうすれば被害を小さく出来たのかを分析し次の災害に備えることもわたしたちに課せられた仕事だ。世代を超えて災害を最小化する術を語り継がねばならぬ。
巡視船に乗って海から眺めたら根室半島はじつに平べったい、20メートルの津波が来たら根室の人口の80%は数分で消失してしまうだろう。いまいる親や子どもや親戚や知人が海の中に消えてしまう。いや、そういう己自身があっというまに消え去るかもしれないのだ。
明日がどうなるかは本当に分からぬ。明日が当てにならないのなら、いまをきちんと生ききるしかあるまい。
*思い出した句がある。一休宗純の作だ。
門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし
『徒然草』には「春の雪仏」という一節があった。
「第166段:人間の、営み合へるわざを見るに、春の日に雪仏を作りて、そのために金銀・珠玉の飾りを営み、堂を建てんとするに似たり。その構へを待ちて、よく安置してんや。人の命ありと見るほども、下より消ゆること雪の如くなるうちに、営み待つこと甚だ多し。 」
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