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現実の仕事は文系・理系の区別がない(2) [22. 人物シリーズ]

2,00823日   ebisu-blog#068
 
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 今度は仕事を中心にして、Iさんについてもう少し語りたい。専門分野があまり重ならない者(職人)同士が手を組んだときに生まれる仕事パワーがどのようなものであるか、一つの実例になるだろう。クロスオーバ現象とでも名づけたい。

  彼は思い切りがよかった。Iさんはまず異動した私にラボ見学を任せた。学術情報部のラボ見学担当三人の反対を押し切ってである。営業要望でラボ内の見学案内をする。対象は重要顧客であり、ほとんどが大学病院や国公立病院のドクターであった。だから、下手な案内の仕方は営業クレームにつながる。経験のない者に任せるなどということは考えられない。通常2年かかって人を育てる。それでも営業からクレームの入ることがあった。まず、ラボ見学に一度ついていけというのでついていった。ベテランのやるところをみて勉強させるつもりだろうと判断した。一回ついて廻ったら、次は単独で説明してみろという。しかも本番である。実際にお客様を案内した。見学には2時間ほどかかる。全部見せたら4時間かかるだろう。だから興味のありそうなところを重点的にご案内する。
 初回であるから、ベテランのラボ見学担当者複数が万が一の補佐役としてつけられた。当たり前の用心である。同時に彼らを納得させるためでもあった。最初のラボ見学の後で、Iさんに呼ばれた。一発でクリアである。なぜか?
 検査機器の共同開発にタッチしていたことから詳しい検査機器があちこちにあった。検査機器はマイクロ波計測器に比べてずいぶん遅れていたが、基本構成が同じだった。ディテクトする周波数が違うだけだった。マイクロ波ではなくさまざまな波長の光をディテクトするものが多い。赤外の分校光度計は赤外線を、蛍光光度計は490ナノメートルの蛍光を、その他炎光光度計や原子吸光光度計もあった。実にさまざまな波長の光をディテクトして血液の中に含まれる成分を特定する。
 基本構成が同じだから、産業用エレクトロニクスの輸入商社で5年間毎月勉強会に出ていた知識が役に立った。世界で最先端の機器も数多く輸入していたので、技術部でよく見せてもらっていた。海外メーカからも商品説明に毎月のようにエンジニアが来て説明会を繰り返していた。そのたびに管理部門だったが説明を聞いていた。お陰で営業や技術部に友人が多かった。
 ラボ内で使っているディテクターと情報を処理するコンピュータとそれを結果情報を受け取り処理するラボシステムという単純な構成だったので、検査部ごとに詳しい説明ができたのである。ガスクロやガスマスも取扱商品であった。HP社のコンピュータがデータ処理部に使われていたからなじみのあるものだった。
 そういうわけで、ラボ見学担当の責任者から説明のマニュアルを渡されたが、目は通しただけでほとんど使わなかった。機械やコンピュータについて素人が書いたものであったからである。ラボ内にはメーカと共同開発した検査機器やメーカに自社仕様で作らせた検査機器がごろごろしていた。
 結石分析前処理ロボットはラボ管理部のOさんが熱を入れて担当した機器だったし、染色体画像解析装置はニレコ社との共同開発が失敗に終わった辺りから、購買機器担当として輸入品の性能確認に立ち会っていたからよく知っていた。LX3000は初めての酵素系分析機の大型機械だった。これは個人的にある特別な事情があったので、栄研化学の営業担当者が私に話を持ち込んできたものだった。酵素系のディテクターはRIAに比べて1000倍ほど感度がよい。出始めだった。いまも十数台並んでいるだろう。市場に出す前に、フィールドテストをS社でやり、半年独占使用の約束を取り付けていた。メーカ側は製品を完全なものに仕上げて市場に出せる。クレームや修理対応に費やすお金を考えれば、私の提案は理にかなったものだったろう。途中で、ラボシステムとのインターフェイスに問題が出た。現場とメーカの間にはいって、ヒータの電源のみ落とし、回路の電源は切らないように細工してもらった。一度電気を切ると再現性が悪い。精度が安定するまで2時間ほどかかったからである。
 産業用エレクトロニクスの輸入商社の取り扱い品目には周波数標準機もあった。オシロクォーツ社の製品である。性能が安定するまで2週間ほど「火(電気)」を入れっぱなしにする。そういう知識も役に立った。検査サブシステムとのインターフェイスは切った。オフラインでのデータ渡しに決めた。パソコンが少々いじれるぐらいで、ラボサブシステムはやれるわけがない。検査サブシステムとのインターフェイスはこちら側に問題があった。シリアルインターフェイスでの接続などマイクロ波計測器では考えられない。GPIBが当たり前だった。受け側が業務用には到底使えないパソコンだった。当時のパソコンは信頼性が低かった。案の定開発は失敗し、50台あまり購入したパソコンは開梱もせずにそのまま放置して廃棄処分した。金額的にはたいした問題ではない。そういう失敗が責任を問われずに済むところがS社のパワーの源だったかもしれない。4年ほど後になってからDECのミニコンで検査サブシステムが構築された。

 ラボ見で参考にしたのはRI部の精度管理サブシステムのマニュアルだけである。これも、コンピュータと統計学についてはエレクトロニクス輸入商社の時代から熟知していたから、一度全体を見ただけで何をやっているかは簡単に理解できた。
 つまり、ラボ見学を担当する準備は何年も前からやっていたようなものだった。初回のラボ見対応では、ぜんぜん違った観点からラボの自動化を説明した。担当者たちが納得したので、その次からは単独で案内して回った。

 大学の先生たちをウィルス検査室に連れて行ったときに見せたいところがあった。蛍光顕微鏡を使った検査室である。カールツァイスの蛍光顕微鏡が12台並んでいる。当時はニコンの蛍光顕微鏡の2倍の値段がした。1台300万円である。機器担当時代にウィルス部からニコンかオリンパスの蛍光顕微鏡の購入申請があがったことがある。それをカールツァイス製に変えさせた。電子天秤も世界で最高の製品であるメトラー製に統一した。優れた技術は優れた道具を使ってこそ活かされる。予算を統括していた経験があったから、私が根回ししたものはすべてそのまま通った。ラボの検査課長からは歓迎された。だから、ラボ見で検査現場に入ると対応がよかった。ずいぶん親切にしてもらった。ラボ見が終わると大学の先生から「どの検査部にいらしたのですか?」と訊かれることが何度かあった。もちろん一度もない。

 異動したばかりのわたしにラボ見学対応を任せたIさんはなかなかの眼力の持ち主だ。彼には私が前職で何をやってきたかは一度も説明したことがない。説明の必要がなかった。動物的な勘のよさがIさんに備わっていたからだ。
 決断の大胆さと速さは、わたしにテイジンとの合弁会社を任せた(当時)社長のKさんによく似ている。Iさんはあるとき海外製薬メーカ相手のラボ見用パンフレットを作れと私に命じた。Iさんはある外部の人に英文のラボ見資料の翻訳を依頼した。出来上がってきて、私にその写しをみせた。ざっとみたがとても使いものににならない。検査のみならず医学専門用語がまるでわかっていない。「使えませんね、まるでお分かりになっていない。おそらくこの分野の知識がないのでしょう」と伝えた。「俺たちで書き直すしかないな」と私に命じた。Iさんに手伝ってもらって、10ページほどの薄いパンフレットが完成した。漫画風のカットを10個ほど入れた。検査現場でイラストにしたい場面の写真を撮って、学術情報部にいた武蔵美術大出身のパート社員に頼んだ。カットにあなたの名前を入れると話して仕事してもらった。雑誌のタイムには優れたイラストが多いが、イラストレータのサインが入っている。力がはいって当然である。その方式を採用した。なかなかシンプルでよい絵を描いてくれた。パンフレット作成も専門家がいるのに、やったことのない仕事をよく任せたものだと思う。
後もう一回Iさんとの仕事について語りたい。開発マターの仕事について語る予定である。



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