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現実の仕事は文系・理系の区別がない(3) [22. 人物シリーズ]

 2,00823日   ebisu-blog#069
 
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 Iさんは青山学院大学で化学を教えていたことがあるようだ。その時代の教え子の一人S崎さんが開発部にいた。わたしが担当した製薬メーカとの検査試薬共同開発は二つともS崎さんから引き継いだものだった。日本DPC社の型コラーゲンと塩野義製薬の水癌マーカーである。
 Iさんは住友化学の臨床検査子会社でラボ所長をしていた。その彼が1980年代の終わり頃に私のいた会社へ移ってきた。ふたつくらい年上だったろうか。英語が堪能で、エネルギッシュな押しの強い男であった。本もよく読む文系の要素も兼ね備えた人物である。もっとも読む本は医学関係の専門書がもっぱらではあるから、濫読家ではあっても文系の要素ありとは言いがたいかもしれない。あえて文系の要素を挙げれば英語が堪能なところか。

話を元に戻そう。開発部は各人各様のやり方で製薬メーカとの検査試薬の共同開発をしていた。毎週各人の進捗状況を確認するための会議を開いていたが、個別に事情が違い、共通のものさしが当てられない。会議に時間をかけてもなかなか要領を得ず、時間がかかる。生産性の悪い会議に時間を費やすのは無駄だった。バックグラウンドの異なる者たちそれぞれ自分流のやり方をとり、なかなか手の内を明らかにしない。小出しにする。開発部は7人ほどで、試薬の共同開発が20~30本ほど並行して行われていた。その共同開発手順の標準化にシステム開発技術が役に立った。
 
 任されるのは好いが、仕事の手順がわからないので、数名から開発手順をヒアリングし、その情報をパートチャートに落とした。そうして「検査試薬共同開発標準業務フロー」が完成した。その図のどこに自分の仕事が位置しているのかを報告させれば、各プロジェクトの進捗状況や問題点が一目でわかる。開発部全員にお互いの仕事の進捗状況が理解できるようになった。開発部を所管する取締役のIさんには便利なツールだった。標準化によって、チーム全員の仕事が相互にどの程度の進捗かが簡単わかるようになった。
 PERTProgram Evaluation Review Techniqueの略である。アメリカでポラリスミサイル・プロジェクト用に開発されたスケジュール管理技術である。米国の公共工事の入札にはこのチャートを添付しなければならないようだ。スケジュール管理の標準ツールである。ガントチャートに代わってコンピュータシステムの開発には当時(1980年代)から当たり前に使われている。システム開発ではごく普通に使われている技術に過ぎない。

【日本標準検査項目コード】
 前に紹介した臨床診断支援システム開発プロジェクトのテーマの一つとして考えていた日本標準検査項目コードを制定する企画は、臨床病理学会のS先生を中心に、学術開発本部の学術情報部が中心になって進められていた。すでに項目コードは完成し、事務局はS社システム部に移管していた。3年ぶりに会議に出席した。国際標準コードにまでもっていくつもりでS先生を引っ張り出したのだが、何か支障があり国際標準の検討はとりやめになった。事務局は当初B社のシステム部門が担当していた。S社システム部門に移管するときにS先生からクレームがあったと聞いている。S社システム部門は検討会立ち上げに反対し、参加を拒否していたからだ。いまさら何を言うというもっともな主張である。しかし、この検討会は臨床診断支援システムのジョブの一つとして企画し、B社からの業界標準コード検討の呼びかけに便乗して、それを日本標準コードの検討会へと変えようと仕掛けたのは私と当時システム開発課長だったKさんである。システム開発部長が反対していただけである。システム部門が正式に参加していないのは大手6社の内、S社のみだった。学術部門とシステム部門から担当者を出して検討していた。S教授は怒っていたが、笑って矛を収めてくれた。事情を知らずに検討会を一生懸命に引っ張ってくれたB社のシステム担当取締役(当時は部長)には申し訳ない結果となった。
 B社は大掛かりなラボ自動化を計画しており、ラボシステム全体を再構築するため検査業界で検討したコードを利用しようとしていた。検討会はその手段であった。だからS社のシステム開発部長は反対だった。それを日本標準コード検討会へと変えることで病院と臨床検査会社との検査データのインターフェイスを簡単にしてしまった。病院も臨床検査会社もそれぞれ自分の事情で勝手なコード体系を導入してよい。データのやり取りに標準コードを使う。だから、自分のところの検査項目コードと標準コードの変換テーブルをもつだけでよくなった。2年に一度、保険点数が変わる都度、事務局であるS社から各社へ改定された保険点数がセットされた標準項目コードデータが配られている。各社は病院とのインターフェイスに配られたテーブルを利用すればよい。病院毎の個別対応がなくなった。テーブルを配布することで自動変換できるようになったのである。
 日本は国際標準に貢献したことがほとんどない。臨床病理学会長のK先生は創業社長のFさんとは旧知の仲であり、国際学会の学会長でもあったから、千載一遇のチャンスだった。S教授はそのK先生の一番弟子である。こういった仕事もIさんが所管する学術開発本部の担当であった。縁は異なものという実例がここにもある。S教授からの「どの部門なら担当できる?社長に人事異動を頼むから」という申し出を3年前に断ったが、気がついてみると、迂回して担当部門に来てしまっていた。


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