SSブログ

現実の仕事は文系・理系の区別がない(1) [22. 人物シリーズ]

2,00823日   ebisu-blog#067
 
総閲覧数: 3059/68 days (230000分現在

-学術開発本部の頃(1990年前後)-
 ebisu-blog#65「学校配置と交通環境の変化 コストカットは可能か」で、業務削減プロジェクトを担当して、30%の業務カットをした話しを書いた。私の経験では、管理部門に関しては大幅な業務削減と人員カットは可能だ。個人別に担当している業務を棚卸しして、本当に必要な業務かどうかを一つ一つ丁寧に具体的に検討すればよい。そうして重要度の低い順に30%カットしていく。おそらくはどのような業種でも事務部門の業務30%カットは可能だろう。コンピュータシステムに載せてしまうと精度が十倍よくなり、仕事量が十分の一になる業務もざらにある。要は「なせばなる、なさねばならぬ何事も」の精神で敢然とチャレンジすることだ。


 現実の仕事はどのような様相をもって現れるのか?会社で人事異動がどのようなきっかけで行われるのか?どのような技術をもっていればどのような部署へ移動が可能なのか?人間関係はどのように絡み合うのかなど?これから社会へと出て行く若い人たちの参考になるかもしれないので、個人的な経験を書いておこう。高校を卒業する80%の人たちが根室の外へと出てゆく。実例をもって都会の現実を伝えておきたい
 ここで書いたのは、紳士服の製造卸会社⇒産業用・軍事用エレクトロニクスの輸入専門商社⇒国内最大手の臨床検査会社⇒276ベッドの療養型病床群の病院⇒外食産業の会社と、業界を変えて転職を繰り返したうちの一つの会社でのことである。これらの中には上場会社が3社含まれる。知らないうちに武者修行の道へ分け入っていたのかもしれない。なんとなく「職人仕事」に幼い頃から憧れがあった。


【学術開発本部担当取締役のIさん】
 所詮は人間社会、人と人の関わりが大切なことは言うまでもない。Iさんとの関わりはなんとなくウマが合ったところからお付き合いがはじまっている。お互いに確かな専門技術をもった「職人」であったことが惹きあう引力を形成していたのだろうと思う。このなんとなくという空気が大切だ。こういう出会いからはじまった人間関係は多かったかもしれない。Iさんとの関係での特徴はほとんどお互いの専門領域が重ならないということだ。お互いに専門分野がまったく異なりながら、なんとなくお互いを認めるところがある。こういう何か一見矛盾したところがありながら、共通の匂いがするところが面白い。
 こちらが経理・経営管理・コンピュータシステム開発・理化学機器などの専門分野に精通しているのに対し、Iさんの専門分野は有機化学を核にして、周辺に臨床検査や医学の分野の経験と専門知識を積み上げていた。一見して切り結ぶところがほとんどないようにみえるが、同じ土俵に上がり違った技で切り結ぶ未来はなんとなく予感できた。お互いに相手の技術と経験に興味がある。手を組むことで自分独りではできない仕事が可能になる。馬の合うのを感じただけでなく、このような確かな読みもまたあった。直接誘われて異動したのは入社5年目、89年だったろうか。

 842月に入社早々に担当した上場準備のための統合システム開発が8ヶ月で終わり、300億円の予算編成を2度担当した。システムや予算編成のマニュアルを作って引継ぎができるようにしたところへ、八王子ラボに本社管理会計課から試薬価格交渉のお手伝いに行って、2ヶ月ほどお手伝いをしたらそのまま異動辞令が出た。購買業務には統合システム開発のときに、会計システムとつながる他システムとのインターフェイスを一人で設計したこともあり、購買在庫管理システムについても詳しくなってしまっていた。
 試薬を直接輸入する話が持ち上がり、統合システムでどのように処理すべきか堂々巡りの会議が2ヶ月続いていた。暗礁に乗り上げているので見かねて、その仕事を引き受けた。仕組みを3日で作り、関係書類を設計して業務フロー図を描き、関係者を集めて説明した。こんなことができるのも輸入商社にいたときに統合システム設計の一部として実務設計を経験していたからである。そんなこんなで購買課には関係が深くなっていた。
 予算管理上、検査試薬の値下げが必要になり、業者との癒着が噂されていた購買課へ本社から送り込まれた節もあった。システム関係と購買の両部門の業者との癒着も目にし耳にした。購入金額が大きいから数百万円なら担当レベルで手にできる。私は一度もそのようなことをしたことはないが、やっている者はいた。メーカの営業担当者も上司の了解を取るのが簡単なようで「営業経費」と割り切っているようだった。営業担当者とはいっても大口取引先だから、課長から部長クラスが担当者のケースが多かった。
 価格交渉プロジェクトチームは年間6070億円購入していた検査試薬の購入額をきつい交渉によって15%ほど下げた。その後、毎年価格交渉が行われるようになった。目標管理による検査試薬値下げ交渉が常態化したのである。本社で予算を統括していたときに試薬コストの低減と複写費(1億円)の30%カットは自分が言い出したことだから、とくに押し付けられた感じはない。製薬メーカとはギブアンドテイクであるから、価格の交渉にはテクニックがいる。毎年交渉が楽しかった。卸問屋を通さずにメーカを呼んで直接値引き交渉をした。

 1台5000万円する染色体画像解析装置を3台買ったことがある。英国のIRSという会社から輸入したものだ。2台購入する交渉に条件をつけた。1台バックアップ用にただで置けと交渉した。その代わり、他の臨床検査会社の見学を許可した。つまり宣伝用のデモ機としてバックアップ機を置かせたのである。担当営業には業界第2位の会社へ営業をかけろと示唆した。No.1の当社が、厳しい社内検討の結果購入したと言って良い、その代わり1円も値引きをするな、必ず買うからと伝えた。商売はうまくいって、彼から英国のセントアンドリュースでゴルフしないかと誘いがあった。もちろん向こうの交際費で、接待である。ゴルフ発祥の地であることは千葉テツヤのゴルフ漫画で知っていた。しかし私はゴルフには興味がなかった。根釧原野にゴルフ場が20箇所も計画されていたことがあり、自然破壊の頑強の一つであるゴルフはしないと決めていたからだ。惜しいことをした。

 本当はラボで臨床検査をやってみたかった。本を読んでいるだけではいまいち感触がわからない。中身がわかった気がしなかったからである。だから、当時世界一の臨床検査ラボである八王子ラボに興味があった。管理会計課で統合システム開発をやる傍ら、固定資産管理システムを作り、ラボの全検査機器の実地棚卸をして、内容不明の記述の多かった台帳を整理した。決算時には4人×2ヶ月の仕事が、それ以後、私一人で一日仕事になった。8人/月の仕事が1人/日になった。240人/日が1人/日になったと言ったほうが事態が理解できるだろう。上手なシステム化はこのような驚くべき効果をもたらす。
 実地棚卸しに際しては、儲かっている会社だったから、それ行けどんどんでメーカと共同開発が進められ、杜撰な実例にもでくわした。玉石混交、いろんな例を見ることができた。機械は元々好きだったし、産業用エレクトロニクスの輸入専門商社で
5年間マイクロ波計測器の勉強会を欠かしたことがなかったし、「電算室」で開発責任者として統合システムの外部設計もしていたから、コンピュータに関する専門書を読み漁り、コンピュータや計測器には専門家並みに詳しくなっていた。結局、現場で検査をすることはかなわなかった。一年で好いからやってみたかった。

 

 次回のブログは、Iさんの下で一緒にやった仕事を中心に書こう。少し面白くなるかもしれない。ジャンルの異なる専門技術をもつ者同士が仕事をはさんでクロスオーバーする。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0