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簿記用語と日本語のセンス [62. 授業風景]

  2,008年1月24日   ebisu-blog#055
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 昨日、生徒に質問されて、「あれ、何か他の勘定科目を使ったな」と思いつつも、つい「支払割引料」という勘定科目で質問に答えてしまった。今日生徒から指摘があり解答を訂正した。正しくは「手形売却損」である。

 10月に日商3級の過去問題を8回分ほど解いてみて、解答やテキストに「手形売却損」勘定が使われているのを知り、その日本語のセンスの悪さに愕然として、拒否反応が起きていた。醜悪で使いたくなかったのだろう。数学の解法だって美しいほうがいいに決まっている。要はセンスの問題である。

 簿記検定試験では、手形を割り引いたときの仕訳に「手形売却損」勘定が使われている。昔は「割引料」あるいは「支払利息」勘定をもちいた。
 手形割引という用語は数百年使われた用語だろうと思う。日本の手形制度は大阪の米相場の決済に起源をもつようだ。その当時からある「為替」という用語は手形と現金を交換するという意味である。江戸時代のお伊勢参りには現金を持ち歩かず、手形を持ち歩き、必要に応じて現金に換えた。商人間の支払い決済に使われていた為替が、江戸中期には庶民の間にも広く流通していった。これほど手形制度が庶民に浸透した国は他にはないだろう。だから手形に関する用語は数百年の歴史と伝統のある馴染み深い用語である。
 手形割引というこなれた日本語があるにも関わらず、どうして近年の簿記学者は「手形売却損」などという途方もない醜悪な用語を造語したのだろう。

 一般に仕訳は会計取引の内容をシンプルにそして事実をありのままに表す用語をもちいるのがよい。このことに関しては議論の余地はないほど当たり前のことだろう。だから、簿記理論的に言っても「手形売却損」という用語は正しくない。それはその実質が利息であるということを何も表現していないし、手形割引という事実も表現していない。

 念のために言うが、手形割引取引に関しては、割引料とは利息である。ここに『新版 詳解現代簿記論』(大橋・岩淵著、創成社刊、2,007年)がある。この本によれば、「割引料の計算は次のように行う」として、次の算式が載っている。
 手形金額×割引率(年利)×割引日数/365=割引料
 この式を見てもわかるように、手形割引料とは利息である。だから、支払利息を使うか、手形割引料ないしは支払割引料がシンプルで、事実を事実どおりに現す勘定科目名である。

 そもそも「手形売却」などという日本語は簿記の問題集以外には存在しない。わたしは第2版の古い広辞苑を使っている。この辞書には「手形割引」という用語は載っているが、「手形売却」という用語は載っていない。
 簿記学者は専門用語に関して、もっと歴史的に使われてきた慣用語を大切にしてもらいたい。きちんとした日本語があるのに、おかしな日本語を造語する必要はまったくない。
 「手形売却損」などという用語を使って違和感をもたない日本語のセンスの喪失こそ、憂えるべきかも知れない。きちんとした日本語を使っていた一橋大学の沼田嘉穂先生や勘定科目名について判断基準の明確だった安平昭二先生が懐かしい。簿記学者から日本語のセンスが急速に失われつつあることは残念ながら事実のようだ。

 高校生の諸君はいまのうちに教養のないことは恥ずかしいことだと思おう。一般的な教養は岩波新書などの専門書の入り口に当る本を渉猟してもいいが、日本の古典文学に親しむことを薦める。岩波文庫や新潮文庫などの文庫本で手に入れると安く済む。君らの小遣いで充分に買える。
 『徒然草』が入門書としては適当だ。わたしはこの本を何度も読んだ。だいぶん長いが、『平家物語』は暇つぶしの音読テキストとしては優れものだ。文学を志す人には必読の書だろう。『和泉式部日記』は意味深な文学作品である。読み手の成熟度に合わせて読み取れる内容が変化する名著である。室町時代に世阿弥が著した『風姿花伝』は世界最高の芸術書であると同時に段階的な人生訓を多く含んだ名著である。「花の下にて 春死なん そのきさらぎの 望月の頃」という短歌一つだけでも採り上げずにはいられない。西行は日本人の情緒をみごとに詩にしている。詠んだ通りに死んでいるので、おそらくは時期を選んだ覚悟の自死であったろう。いまだに読んでもよく理解できない古典に道元『正法眼蔵』がある。高い山に登りたいと思う人はこの本にチャレンジしてみるとよい。わたしには一生手が届かない世界一高い山にみえる。古典文学といわれるジャンルの本を読むときにわたしは日本人に生まれた幸せを感じる。
 夏目漱石や森鴎外など、明治の文豪たちは漢学の素養がある。彼らの本はもっと読みやすい。志賀直哉や武者小路実篤、幸田露伴などの作品に使われる日本語も格調が高い。永井荷風の日記『断腸亭日乗』を読むと自分の書く文章が恥ずかしい。実に切れのよい文章で世の中の出来事を点描している。簡にして要を得た文章とはこの人の書く文章を言うのだろうかと思わせる風格のある文章だ。
 何でもいいから一冊丸ごと読む。はじめのうちは内容がよくわからなくても構わない。古典とはいえ日本語だから何冊か読むうちに必ずわかってくる。鍛錬するうちに自分の腕が上がってくるのが感じられる。10冊20冊読むうちに自然に日本語のセンスが身についているだろう。

(日商簿記1級は論述式の問題が出題されるから、ある程度本を読み日本語のセンスを磨いておいたほうが答えを作文するのが楽だ。2級までは計算問題である。1級で作文能力の壁にぶつかる。ここを乗り越えて合格した人は、公認会計士試験に独力でチャレンジする道が拓ける。そういう意味で、日商簿記1級は公認会計士2次試験の登竜門である。)


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