SSブログ

#239 日商簿記2級 1年生チャレンジャー(2) July 31, 2008 [62. 授業風景]

       日商簿記2級 1年生チャレンジャー
 
 後に続く者たちへの情報公開である。どのようなスケジュールで勉強すれば高校在学中に日商簿記1級にチャレンジできるのか、一人の生徒が在学中合格を目標に歩みつつある。

 高校入試当日の夜から簿記の勉強を始めた事務情報科1年生が、6月8日3級受験するも10点足りず不合格。翌日9日から『2級商業簿記合格テキスト』を使って勉強を開始、今日『日商簿記2級商業簿記合格トレーニング』(問題集)を修了した。

 3月にスタートして11月受験は非常にきついスケジュールだが、いい頑張りを見せている。原野の一本道を細いタイヤのロードレーサーに乗り、時速70キロで疾走するのをみているような気がする。若さのもつエネルギーは素晴らしい。これだけのスピードで勉強すれば、走った奴にしかわからない心地よさがあるのだろうな。(それぞれ目標は違うが1年生もう一人と、大学受験生4人に8時間を超える勉強を要求している。夏休みはまだ17日ある。自分に負けるな、頑張り抜け!)

 夏休み中に工業簿記『2級工業簿記合格テキスト』は消化できるだろう。あわせて『2級工業簿記トレーニング』を8月中に消化できれば、9月と10月は過去問題を2回やり通して、11月16日の受験が現実となる。これが最短コースだろう。11月で受験しておけば、落ちた場合でも2月22日の試験は万全の体制でトライできる。ついでに1月の全国商業高等学校主催簿記実務検定試験1級や2月の全国経理学校協会主催簿記実務検定試験1級も受験できる。
 目標は高校在学中日商簿記1級合格であって、1年生での日商簿記2級合格はそのための布石(中間目標)にすぎない。

 そのためには夏休み終了まで1日8時間程度の集中学習が必要だ。来年の春休みや夏休みも1級の受験勉強で全力疾走しなければならない。
 今年の夏毎日8時間以上2週間勉強をやりぬけたら、大学へ進学してから公認会計士の受験勉強もやりとおせるだろう。1年間毎日8時間の勉強をやり抜けない者はほとんど合格できない。第一の関門は1日8時間の勉強を2週間やり抜くことだ。

 夏休みは自分を鍛えるのにいいチャンスだ。高校生の内に、1日8時間2週間連続の勉強を経験しておくとよい。そうすれば社会人となって仕事で頑張らなければならないときに頑張り切れる。
 日本一涼しい根室の夏は勉強する中高生にとって最強の味方である。いまやらずに何時やのか?

  2,008年7月31日   ebisu-blog#239 
  総閲覧数: 23,562
/248 days (7月31日23時20分) 


#238 サイクリング2 July 30, 2008 [85.サイクリング]

             サイクリング2

 21時半、気温は11.0度、日本で一番涼しい夏だ。クーラなんて必要ない。金沢や神戸で集中豪雨による洪水やら鉄砲水で数人死者が出たようだ。水は怖い。もっているエネルギーが大きすぎて、人間になす術がないことがある。
 
 同じ水でも空中を浮遊する霧は分布もまばらで密度が低く、もっているエネルギーが小さい。人に優しい水エネルギーが放散されているかのようだ。根室はこのところ朝のうち霧の出てることが多い。ご多分にもれず、昨朝も霧が出て太陽すら見えなかった。
 11時頃、サイクリングに出かけた。日曜日から3度目である。車の走っていない原野の道路を突っ走ってみた。原野を走る道路は霧の中に消えて先が見えない。車はまったくいない。5キロほどの間、一台もすれ違わない。
 ついスピードが出て、平地をトップギアで走っているのに瞬間時速が60キロを超えてしまう。日曜日にはいくら頑張っても35キロしか出なかったのにどうしたのだろう。緩やかな下りカーブは65キロ程度に抑えて走る。速度計に目をやるとときどき数字が70を超えている。自転車はロードレーサだから21ミリ幅のチューブラ・タイヤだ、路肩を走ると危ない。小石に乗り上げたら転倒しかねないのでスピードを出すときは路肩は避ける。もう1週間もすればさらに筋力が増し、車のいない直線では時速70キロを超えて走ることになるだろうから、万が一のことを考えてヘルメットを着用する必要がありそうだ。
 3日連続で走ったので脚力が戻ってきたのだろうか。車のいないところを選んで、時折時速60~70キロで走ってみた。冷たい風が気持ちよい。「巡航速度」は時速30~35キロ、これも日曜日より速くなっていた。

 牧の内を走って根室半島東側を縦断しているうちに太陽がぼんやり見えてくる。途中から左折してオホーツク海側へ抜けると、風が少しあり霧は晴れていた。
 眺めがいいので写真を撮った。左側にオホーツク海が小さな入り江につながっている。まっすぐ前は道路が少しカーブしながら下って消え、少しずれて上り坂へつながり原野の中へ吸い込まれる。

 オホーツク海に沿って景色を眺めながらしばらく走ってから、再び原野を横断する道路へ戻り太平洋側へ抜けた。根室半島をオホーツク海から太平洋へと原野の中を突っ切る道路である。途中で原野の中をギターを担いで自転車に乗ってくる高校生に出会う。知っている生徒にそっくりだったので、名前を呼んだら立ち止まる。戻ってみたら人違いだった。「ごめん、知っている人にそっくりだった」と謝る。ニコニコ笑っていた。たぶん、間違えた生徒の近所に住んでいる人だろう。そのあと親子連れでサイクリングを楽しんでいる人とすれ違う。親子そろって元気よく「こんにちは」と挨拶があり、こちらも挨拶を返す。同じようにサイクリングが好きな人がいる。友尻のゴルフ場の辺りへ出て、納沙布街道を市街地へ向けて走って戻った。太平洋側は濃霧だった。
 1時間半、26kmのサイクリング。
  真夜中に目が覚めて、昨日のサイクリングの様子をブログに書きとめる。good night!

  2,008年7月30日   ebisu-blog#238 
  総閲覧数: 23,210
/246 days (7月30日3時55分) 

#237 療養病床22万床存続(北海道新聞より) July 28, 2008 [26. 地域医療・経済・財政]

          療養病床22万床存続


 16年間勤務したことのある会社の同僚から葉書がきた。9月7日で定年だそうで、東京立川から兵庫県西宮へ引っ越すようだ。滋賀県の出身だと思っていたが、記憶違いだったようだ。入社後2年ほど机を並べて仕事をしていたことがある。早いものだ、もう定年か。
 団塊の世代の多くが仕事のノウハウをもちながら、余力を残して大量にリタイアしてゆく。せめてこの半数がそれぞれのアイディアでボランティアに勤しむとしたら日本は世界一住みよい国となるだろう。現実は、大量の戦力が経済社会から急激にドロップアウトしてゆく。日本資本主義は環境の激変に直面してどのような副作用をみせるのだろう。

  リタイアしてゆく大量の団塊世代を社会の中でどのように扱うかで日本の将来が大きく左右される。量が多いということだけでこの世代は質的問題を引き起こし続けてきた。60人学級、大学受験、大学紛争、大量の若く安い労働力の供給、企業戦士、そして定年。まもなく老人人口の激増に「寄与」することになる。

 7月26日の北海道新聞によれば、厚生労働省は激増する老人人口に対して療養型病床群の病院を今後5年間で35万ベッドから22万ベッドに減らすという。15万床にまで減らす当初計画だったが、「厚労省方針転換、受け皿整備遅れ」を理由に22万ベッド弱に修正したという。実態は自民党の選挙対策のようだ。選挙民の意向にもっと耳を傾けて高級官僚の既得権益を棄てさせる覚悟をすれば、国民の支持は集まる。
 老人人口が激増期を迎えるのに療養型病床群のベッド数は60%に減らすという。このような血も涙もない政策を「医療適正化計画」「医療制度改革の一環」と名づけて恥じない政治家や官僚群は八つ裂きにしてやりたいものである。公僕たる高級官僚が公僕にあるまじき振る舞いをした場合には、残虐刑である八つ裂きの刑が新設されても良いと思うのは私だけだろうか。ノブリスオブリージュ、高級官僚には年間5000万支払ってもいい、だが責任も重くて当然だ。そのような覚悟のない者は国の政策を立案するような立場の官僚になるべきではない。

 国債と地方債の累積残高はすでに1000兆円を超えている。財政赤字を放置し続けてきたツケがこのような形で回ってくる。そのツケの大部分を団塊世代が支払わされる。
 長生きの人ほど多くの仲間たちが老いさらばえ医療に見放されて野垂れ死にしていく姿をみることになるのだろうか。世も末である。団塊世代のかくも無惨な老後を数十年にわたって目撃することになる若者たちが自分たちの将来を重ね合わせてみてしまい、希望をなくさないことを願うばかりだ。
 さて、どうすればそうならないように世の中を変えられるのかは経済学のテーマでもある。

 「医療制度改革」は2011会計年度にプライマリー・バランスを回復するための小泉改革の骨太の方針のひとつでもあった。郵政民営化の陰に隠れてあまり議論の対象とはならなかった。竹中氏が登場する前にすでに旧厚生省の既定の方針だったから、彼にその責任のすべてを負わせることは無理があるだろう。しかし、推進したのは事実である。
 その張本人の竹中平蔵が久々にその盟友の木村剛とともにテレビに出演して厚顔無恥な姿をさらしていた。田原総一郎司会のサンデープロジェクトである。
 そのなかで気になる発言をした。失言をしたと言い換えるべきだろうか。サブプライムローンを評して「リスク管理がゆるんでいた」と。本当だろうか。サブプライムローンは返せるはずもない低所得層を騙す詐欺的金融だ。そしてその債権を証券化して投資信託に組み込んで世界中に売り飛ばし、後は野となれ山となれだ。サブプライムローンは自分の利益のために強毒性のウィルスを世界中にばら撒く所業に喩えられよう。日本ではこのようなやり口はアンダーグラウンドの世界だ。「リスク管理がゆるんでいた」との評は好い加減な経済学者の世迷言。実態は悪質な詐欺商法である。
 私も昔は経済学者の卵だったことがある。悪いものは悪い、詐欺は詐欺と言うのが良心的な経済学者の態度だろう。ピントの外れた経済学者の妄言にはご用心。
 竹中と木村は最近の米国経済の舵取りをバブル崩壊後の日本の失われた10年と比較して絶賛していた。曰く「日本が10年かかってやったことを米国は1年間で達成した」と。
 弱肉強食の米国経済は一皮剥けばサブプライム・ローンのような詐欺商法の実態が現れる。だまされる奴が悪い、なんでもありの経済社会だ。褒められたものではないし、お手本にもならない。倫理水準の低い人間が手前勝手な競争を繰り広げる米国経済社会は30年後にどのようになっているのだろうか。大きな付けが回って世界経済のリーダーの座から転がり落ちていなければ世界経済は極端な格差社会へ移行しているだろう。中国と米国がその双璧である。
 日本も米国と共に衰退してゆくのか、それとも明治時代のような倫理性の高い国民へと変わりうるのだろうか。インドが倫理性の高さで30年後の世界経済に君臨していることを期待しよう。

 平蔵とコンビの木村某は最後のところでは良いことを言っていた。法の下の平等と裁判の官民格差である。警察が裏金を作っても「私的流用は認めれない」で誰も罪に問われない、民間なら業務上横領罪で刑務所入りだ。社会保険庁が好い加減な仕事で国民に多大の損害を与えても看板を架け替えるだけで誰も罪に問われない。政府系の金融機関である長銀は6兆円もの損失を出しすべて税金で尻拭いしながら、最近の判決で当時の経営陣は全員無罪。グッドウイルは派遣業法違反を問われて廃業に追い込まれた。ライブドアの堀衛門も2審で有罪だった。何たる官民格差。この国に法の下の平等はないのか?この点だけは木村剛の言うとおりだ。

  2,008年7月28日   ebisu-blog#237 
  総閲覧数: 23,035
/245 days (7月28日22時55分) 


#236 サイクリング July 27, 2008 [85.サイクリング]

                  サイクリング

 今日は朝から天気良し、予報では最高気温は17度である。ちょっと肌寒いがサイクリング日和だ。自転車屋さんへ行って、古くなったタイヤを交換してもらう。交換に15分ほどかかる。タイヤの幅はたったの21ミリ、細い。段差には気をつけないと転倒する。踏み切りは線路との間に隙間があるから、スピードを出して横断するとパンクの恐れがあるので降りて押すように注意あり。「細いタイヤは細心の注意がいる」とは自転車屋のオヤジさんの駄洒落か。
 さあ、タイヤは新しい、スピードメータもつけ、準備は整った。

 そんなわけで久々にサイクリングを楽しむ。原野の中の舗装道路を往復13キロ走ったが、すれ違った車は3台のみ。緩やかなアップダウンで半袖でもうっすら汗ばむ。走り始めは風を切り寒いが、4キロも走ると身体は温まる。どこかで「ケキョケキョケキョ」と鳴いている。右を見ても左を見ても原野と牧場が続き、放棄された農場の廃屋が目立つ。根室半島東側のこの辺りは三分の一ほども離農してしまったようにみえる。
 奥のほうは道路が横一直線にひび割れているところが10箇所以上あり、ひどいところは3センチほどの隙間が開いている。パンクを気にしながらスピードを緩めて走り抜ける。タイヤのもっと太い自転車でサイクリングすべきだろう。
 パンクしたら5~6㌔自転車を押して歩かなければならないが、ここは日本の東端の根室半島のそのまた東側、のんびりひばりのさえずりを聞きながら原野と牧場の中のアスファルトを踏みしめて歩くのもいい。

 スピードメータを見ながら走る。時速20キロくらいが楽でいいようだ。ゆっくり景色を楽しみながら初夏の澄んだ空気をいっぱい吸い込み、多摩川や淺川べりのサイクリングロードを走っていた頃を思い出す。多摩川は立川から登戸までサイクリング道路がある。日野と府中の境で多摩川に合流する淺川沿いのサイクリングロードはそれほど距離がない。
 あの頃はフランス製のプジョーに乗って走っていた、軽くていい自転車だった。
 高校生の頃、漁師の親方の息子で生徒会長だった友人が素晴らしいサイクリング車を買ってもらった。それを借りて根室高校前の道路を目一杯のスピードで走ったことがある。T字路まで全力疾走したらダンプカーの後ろに追いついた。スピードメータはアナログ、表示は60キロを超えて70キロに近づく。カーブに差し掛かりダンプカーが右折のためにブレーキを踏んだ。こちらはタイヤの細いサイクリング車だから止められない。ブレーキをかけ無理に止めれば転倒しながらダンプカーの下に突っ込まざるを得ない。いくら柔道部で受身の練習をしていたからといってもタイヤに巻き込まれるのは避けようがない。そうなったら助かる確率はゼロ、軽くブレーキングしながら咄嗟に反対車線に出て思いっきり自転車を倒して右折していた。対向車が来ていたらそれまでという思いが頭をかすめた。幸い対向車はなかった。危ないところだった。どうもスピードを目一杯出すと死亡事故寸前の状況に巻き込まれる。高校3年のとき、バイクの無免許運転でもそのようなことがあった。それ以来、危ないまねはやめた。運転免許も40代半ばまでとらなかった。「天の声」を2度聞いたような気がしたからだ。「三度目は助けてやらないぞ!」くわばらくわばらm(_ _)m
 一昨年病気をして体重が8キロばかり減り、それとともに筋肉も落ちたので、やっても35~40キロで長くは続かない。
 もういい歳だから、長い直線で信号のない道や、運動公園のスケートリンクでないと35キロを超えるようなスピードは出さない。後ろから自動車が近づいてきたら左端によける。時速20キロメートル、いたっておとなしい走りだ。

 4時過ぎにまた自転車に乗り、海へ行った。花咲小学校のところをまっすぐに降りて岸壁から海を覗き込むと小魚がうようよいる。チカ(海のワカサギ)の子供だろうか。タモですくえば一回に百匹ぐらい獲れそうだ。本町の岸壁のところへ移動したら5人ほどチカ釣りをしていた。20センチくらいのチカがそれぞれバケツに50匹以上入っていた。秋に釣る魚と思っていたが夏でも釣れている。
 坂を上って運動公園へも行ってみた。小学生高学年だろうかサッカーをやっていた。親がずいぶん観戦していたから試合だったのだろうか。遠目にみながらスケートリンクに乗り入れ廻ってみた。外周を走ると一周ちょうど500メートルある。公園内をウォーキングしている人が数人いた。この公園内を1週すると2キロぐらいあるのではないだろうか。

 うちに戻ってスピードメーターで確認したら30キロ走っていた。子供みたいだと女房に笑われたが、いい運動になった。今夜はよく眠れそうだ。もうすぐNHKで『インドの衝撃』の3話目が始まる。
 花咲ガニを食べながら黒ビールを飲み、日曜日を締めくくろう。

  2,008年7月27日   ebisu-blog#236 
  総閲覧数: 22,829
/244 days (7月27日21時10分) 


#235 日商簿記2級 1年生チャレンジャー  July 27, 2008 [62. 授業風景]

       日商簿記2級 1年生チャレンジャー

 後に続く者たちのために、一年生で日商簿記2級にチャレンジする塾生がどのようなテキストや問題集を使い、どの程度のスピードで勉強を進めているかを公開しておく。

 高校入試翌日から簿記の勉強を始めた事務情報科の1年生は、7月25日から『日商2級工業簿記合格テキスト』(TAC出版)を使って勉強をスタートさせた。工業簿記は資本循環G-W-P-W’-G’の説明からはじまる。
 中心部分のW-P-W'が工業簿記固有の範疇である。費目別に集計した費用をさまざまな振替仕訳を通じて製品ごとの製造原価に集計してゆく。簿記体系はシステムとして非常に美しい。
 上場企業はコンピュータシステムでこのような振替・配賦計算によって製造原価集計をしているが、会計実務と表裏一体であるコンピュータシステム(会計情報システム)は日商簿記の範疇にはないので、概要のみを説明することになるだろう(簿記検定試験のあり方は会計情報システムの観点から見直されるべきである)。
 購買在庫管理システムで集計された原材料入出庫情報や財務システムで集計された費目別・部門別費用を、数千項目の製品別原価に再集計してゆく様を想像してみるとよい。大学でも教えていない原価計算システムを含む会計情報システムの概要を知るチャンスは、日本ではおそらくニムオロ塾で学んでいる間しかない。

 これまでの経緯をざっと説明しておこう。
①高校入試の翌日から簿記の勉強を開始し、6月8日の日商簿記3級を受験するも合格点に10点足りず。
②時間を無駄にしたくないので、結果を待たずに『日商2級商業簿記合格テキスト』を使って受験勉強を開始し、6月中にクリア。
③7月25日現在、問題集である『日商2級商業簿記トレーニング』を100余ページを消化。本支店会計の未達事項と内部利益の控除問題をやっていたから、あとは特殊商品売買と5伝票制を残すのみ。

 夏休み中には『商業簿記トレーニング』と『工業簿記合格テキスト』は終了するだろう。その上で、問題集の『工業簿記トレーニング』をどこまでやれるかだ。1日8時間の勉強をやりぬければ、8月中には2級工業簿記の参考書及び問題集をすべて消化できる。そのあとに、過去問題集を使って9月10月の2ヶ月間トレーニングすれば、11月検定試験にチャレンジできる。その場合には、日商簿記3級と2級のダブル受験となる。

 かなりきついスケジュールである。3月から勉強を始めて、1年生で11月に日商簿記2級検定試験を受験できれば立派なものだ。創立百周年を超えた根室高校の歴史を省みても、1年生で日商簿記2級を受験した者は一人もいない。誰かがやってみせれば、必ず続く者がでる。質の良い伝統はそういうことの繰り返しでつくられる。そのために最初に道を切り拓く者=開拓者が必要だ。そういう栄誉を彼が担えるかどうかは本人次第である。私は大いに期待している。
 もう一人普通科1年生が3度目の2級受験をすることになるが、もちろん彼にも期待している。数点足りなくて2月、6月と2度落ちた。悔しい思いを噛み締めているだろう。全国レベルで見ても普通科1年生で過去に日商簿記2級の合格実績があるのかないのか、わたしは知らない。とにかく、彼が合格すれば普通科から「日商簿記2級合格⇒明大や中大商学部への進学」というコースが現実になる。最初に歩いて見せる者が必要だ。根室高校の未来の可能性のひとつは君たちが拓け。

<後日談>
 2月と6月に日商簿記2級を逃がした普通科の生徒N村君は、11月の検定試験で見事に合格した。根室高校始まって以来、最速の合格である。日商2級は全商簿記1級相当である。日商1級に挑戦したいと言ったが、とめた。北大を受験するつもりだから、日商簿記1級をやったら大学受験勉強時間が半分程度になってしまう。
 もう一人の生徒、事務情報科のK村君は翌年2月に日商簿記2級に合格した。6科目一級を揃えて、北海商科大学へ推薦入学している。
 1年生が二人も日商2級に合格するなんて記録は、根室では2度と出ないだろう。好成績を残すには根室高校と私塾がタイアップすればいい。この二人はそれを実績で示してくれた。

 

  2,008年7月27日   ebisu-blog#235 
  総閲覧数: 22,750
/243 days (7月27日0時00分) 

#234 秋刀魚一匹350円 m(_ _)m  July 26, 2008 [87.根室の話題]

            秋刀魚一匹350円
           ―秋刀魚と蕎麦―

  旬の秋刀魚が獲れ始めて1週間になる。まだ脂のノリが足りないし、刺し網漁なので魚体に傷がついたものが多い。350円と言うのはもちろん傷のないものである。それにしてもA重油が上がっているせいか沿岸で獲れているにもかかわらず昨年よりもいい値がついているようだ。
 鮭鱒も昆布も昨年より浜値が上がって、生産者はほっとしているだろう。昆布は1割程度採集量が減少しているから、値上がりした分とで収入は相殺され、昨年並みだろう。
 それにしても、あと2週間もすれば棒受け網漁がはじまる。刺し網と違って魚体に傷はつかないし、8月半ばには脂がノッてくる。

 子供の頃は秋刀魚の時期になると、大好きな秋刀魚を夕食に3~5匹も食べていた。偏食傾向が強かったので、秋になるとよくジンマシンにかかり、秋刀魚の時期が終わると治った。発疹がひどくかゆくて眠られず、心配するオヤジに連れられて釧路の病院に通った。
 今は好きでも一食に一匹と決めて大事に食べているので、ジンマシンを患うことはない。
 いまとなっては病院の帰りにオヤジと一緒に駅前の東屋で食べた蕎麦が懐かしい。懐かしい蕎麦屋は想い出の中にそのままそっとしておいて、美味しい別の蕎麦屋を開拓した。お薦めは桜が岡の名店、「蕎麦小屋」である。

  2,008年7月26日   ebisu-blog#234 
  総閲覧数: 22,670
/243 days (7月26日14時20分) 

#233 日本一涼しい夏の根室 July 25, 2008 [A9. ゆらゆらゆ~らり]

          《日本一涼しい夏の根室》
 
 今朝は100m先の電柱がまったく見えない濃霧だったが、お昼近くには晴れていた。真っ白い大きな雲が蒼い空にまばらに浮かび、時おりシャッツを通り抜ける風は思ったよりも涼しい。午後3時頃でも20度あるかなしかだった。夜9時頃には気温は13度である。吐く息が白くなるのは10度前後だからそれよりは幾分温かい。
 全国各地の気温がテレビから流れていた。何箇所か38度だという。あの暑い夏が懐かしくもある。実際、新宿のビル街とか新橋駅前、銀座中央通りなど歩くとアスファルトの照り返しで40度を軽く超えている。人々は日向を避けて地下通路のあるところを選んで目的地へと向かう。
 東京や大阪の受験生は大変だろうな。クーラーをかけても30度くらいだ。

 根室市内の中学校と高校は今日が終業式だ。明日から夏休みである。日中の最高気温が20度付近にしか上がらない。28度なんて日は年に3日もあれば、根室人は「暑い夏だ」と言う。そんな「暑い日」でも朝晩は13度まで下がる。
 こんなに涼しい根室は大学受験生にとって日本一勉強しやすい環境を提供してくれている。涼しいふるさとの夏に感謝しながら受験生は毎日8時間以上勉強しろ。高校受験生は一日5時間以上勉強しろ。
 
 夏休みになっても、毎日7時には起きる。根室は一番東だから、4時には空が明るくなる。朝型の人は5時には起きて勉強しろ。午前中に4時間勉強すれば、一日8時間の勉強は楽にできるだろう。
 夏休みに勉強しない奴は、2学期の成績が下がる。大学受験生で夏に勉強しなかった者は秋の模試で偏差値ががっくり下がる。
 しっかり勉強した者は秋に成績がぐ~んと上がる。一生に一度くらい、一日8時間を超える勉強をしてみろ。集中力が上がり、頭はよくなる。がんがん頭を使え。20歳前は使えば使うほど脳は鍛えられ、頭がよくなる。鍛えられた脳は容量が増す。シナプスが増え、明晰な頭脳へとつくりかえられる。自分の頭は自分でつくり変えろ。

 日本一筋しい夏がチャンスをくれている。夏に頑張れ根室っ子。大学受験生は8時間以上、高校受験生は毎日5時間以上が目標だ。勝負の夏が始まった

  2,008年7月25日   ebisu-blog#233 
  総閲覧数: 22,556
/242 days (7月25日23時20分) 

#232 岩手で地震震度6強 転ばぬ先の杖 July 24, 2008 [B2. トピックス]

     《岩手で震度6強 転ばぬ先の杖》

7月24日付北海道新聞夕刊に岩手の地震の記事が載っている。

「24日午前零時26分ごろ、岩手県沿岸北部を震源とする強い地震があり、同県洋野市で震度6強、青森県八戸市で震度6弱を記録、北海道から関東、新潟県まで広い範囲で揺れを観測した。6月の岩手・宮城内陸地震で震度6を記録した宮城県栗原市では震度5強を観測。けがをした人は共同通信の午前十時現在のまとめで青森、岩手、宮城、秋田、地が各県と北海道で計127人に上った。警視庁によると重傷者は15人。」

 前回の岩手・宮城内陸地震では震源は地下8km、比較的浅いところで起きた。今日の夜中に起きた地震は地下108kmの深いところが震源であった。
 本を読みながらNHKFM放送を聴いていたら、突然地震速報が流れ出し、途端に根室も揺れ始めた。え、岩手の地震?と驚く。岩手が震源で根室がこんなに揺れたらきっと大地震だ。テレビの地震速報を見たが、「甚大な被害」はでていないようだった。震源が深かったので真上も根室も揺れ方に大きな差がなかったのだろうか。   
                
 北海道新聞では地図に震度が記入されている。太平洋岸の様似、広尾、釧路、オホーツク海沿岸の別海、標津が軒並み震度4であるのに、根室だけ震度2である。どう考えてもおかしい。

 根室の震度は少なくとも3あるいは4であってよい。否、3や4とでるような地盤のところに地震計を設置しなおすべきだ。なぜ、こんなに震度が小さくでるのかはなんどもブログに書いた。地震計が根室で一番が頑丈な地盤と思われるところに設置されているからだ。
 気象庁の出先機関の入っている合同庁舎や警察署の建っているところは大きな岩盤の上である。市立病院や保健所もそうだ。おそらく支庁や市役所の建っているところもそうだろう。昔から官公庁の庁舎や建物のあるところはその町の中で一番地盤のしっかりしたところを選んで建てられている。
 本町、緑町、弥生町、梅ヶ枝町、花咲町、松が枝町、鳴海町、千島町、汐見町などは3メートルも掘れば粘土層や帯水層にぶつかり、軟弱地盤である。根室ではこれが普通だ。合同庁舎のような固い地盤は例外である。だから、軟弱地盤に地震計を設置すべきだ。現に釧路は地震計を地盤が軟らかいところに設置している。

 大きな地震に見舞われたとき、震度を基準に激甚災害指定がなされるから、町で一番頑丈な岩盤の上に地震計を置いてはいけない。商店街や住宅密集地の建物の揺れを反映しないことになるからである。
 いつの日か択捉沖で大きな地震が起きる可能性がある。根室半島沖が震源になるかもしれない。大きな地震に備えて、地震計の設置場所を変えるか、増設すべきだと私は思う。気象庁がやってくれないなら、市民生活の安全を守るために防災対策の一環として根室市がやればよい。

  2,008年7月24日   ebisu-blog#232 
  総閲覧数: 22,368
/241 days (7月24日23時15分) 


港祭り花火大会 [87.根室の話題]

          港祭り花火大会

 しゅるしゅるしゅる♪~どーん (7月20日午後)7時半きっかりにはじまった。
 夜空の水平線の辺りが見た目で20センチほど明るい。国後の山並みよりは少し上まで明るかった。あれはどういう現象だろう。極地で見られる白夜の一部だろうか?まさかそんなことはあるまい。真上の空はまっ暗闇で微風が吹いていた。霧がなかったので花火には好い夜だ。
 気温は15度くらい。朝から晴れて暖かい一日だったが、夕方には太平洋側の南の空が曇で覆われつくした。西の空は夕日が沈むまで明るかった。花火はオホーツク海の北の空に次々に打ち上げられる。

 半袖の人、浴衣の人、コートを着てフードを頭までかぶっている人など格好はさまざまだった。まあ、寒いことは寒い。そういう私は、股引をはいて暖かくして見に行った。
 40分で花火は終わった。岸壁付近で見ていた見物客の一部が緑町の大人仮装盆踊り会場へ流れ出した。会場についてみると踊りの輪は小さい。フォークダンスグループは世界の民族衣装で華を添えていた。フラダンスのおばちゃんたちも黒い長袖のTシャッツの上からブラをつけて盆踊りをしていた。台車を乳母車に改造し、大きな赤ちゃんが小さな箱の中に窮屈そうに納まって笑顔で手を振っていた。乳母車を押すお母さん役の女性の方が赤ん坊よりも小さい。そのアンバランスに笑えた。
 「平盆」「盆キュ」「ガス盆べ」「バカ盆」など「盆」の字を引っ掛けた仮装グループはヒシサンの人たちのようだ。アントニオ猪木の仮装をしていた人がいたが寒かったろう。ご苦労様。大地みらい信金は社名の入った揃いの浴衣で20人ほど男子社員が参加していた。人数をかき集める苦労がしのばれる。
 なんだか気になったのは踊っている人の表情が楽しそうではなかったことだ。若い人たちが15%程度しか混ざっていない。元気がないように見えたのはそのせいだろうか。
 数年前は夫婦で工夫を凝らした仮装をする人がいたと思うが、もう引退したのだろうか。実に楽しそうに仮装し、踊っていたのがなつかしい。

  2,008年7月21日   ebisu-blog#231 
  総閲覧数: 22,021
/237 days (7月21日0時00分) 


#230 千人踊りは千人いたか? July 20, 2008 [87.根室の話題]

        千人踊りは千人いたか?

 今日は花火大会がある。海岸付近は来るまでびっしりになるだろう。浴衣姿の見物客もたくさん出るだろう。幸い空は晴れていて、霧もない。

 昨日(19日)夜は港祭りがあった。お昼頃に鳴海公園でブラスバンド演奏。出場した塾生は全員休み。6時に千人踊りが公園を出発した。出発点付近でざっとカウントするとたしかに千人を数十人上回っていた。
 一番後ろに北方領土から来たロシア人の集団が30人ほど「根室信用金庫」と書いたハッピを着て踊っていたが途中で消えた。この分を差し引いても、千人ぎりぎりだったようだ。何年かぶりに、名実共に「千人踊り」となったことを喜びたい。昨年と比べても50%ほど多いから、見物客も数の多さを実感したのではないだろうか。
 緑町で見ていたら、行列の中から頭を下げてニコニコ微笑む人がいた。瞬間誰か分からない。あれ、見た顔だ。すぐに思い出した。ヒロシだ。職域団体の中に混じっていたので、高校3年生の彼がいるとは思わなかった。真っ黒に日焼けしていたから、高校でも同じ部活を続けているのだろう。二年ぶりに元気な顔を見た。そういえばテレビにしょっちゅう出演していた「ヒロシ」はどうしているのだろう。「ヒロシです」と言う台詞が聞かれなくなって久しい。
 職域団体や、町内会が主体なのでそれぞれに分かれて行列して踊る。だから、団体に属さない個人参加がしにくいところが年々参加者を減らす要因かもしれない。せっかくハッピや浴衣をそろえているのだからごちゃ混ぜにするわけにもいかない。
 根室支庁の参加人数が多く目立っていたが、振興局になれば参加者は半減するのだろうか。
 盆踊りの行列だから、お祭りとは違って静かである。仮装盆踊りで子供たちが見せた掛け声をかけながらの元気の良い踊りは見られない。"シャンコシャンコシャンコ、シャシャンコシャン♪”がにぎやかで良いが、根室音頭は葬送行列のような雰囲気である。
 気温は14度で薄ら寒かった。寒さを吹き飛ばすような激しい踊りがあってもいいのではないだろうか。根室音頭に新しい振り付けができないものだろうか。千人踊りをみながらそんなことを考えていた。

 千人踊りが緑町を通りすぎると旧伊澤書店前付近ですぐにヨサコイソーランがはじまった。歯舞中学3年生34人が元気に踊った。体の一番大きいK君の踊りが動きが俊敏で迫力があった。あの体格だからレスリングでも柔道でもラグビーでもやれば強い選手になるだろうが、いまのところ本人にそのつもりはなさそうに見える。もったいない。
 続いて啓雲中学3年生によるヨサコイがはじまった。皆同じ衣装で踊るので照明が暗いこともあり、顔の見分けがつかない。何人かの顔を捜していたら、そのうちの一人のお母さんがいて声をかけて教えてくれたので見分けがついた。緑色の線の入ったスニーカを履いて、普段とは違ってうっすらと化粧をしてハチマキを巻ききりっとした表情で踊っていた。跳ねるときのジャンプ力が他の生徒と違って見えるのは部活の影響だろう。他の学校で同じ部活をやっている塾生が動きが俊敏で優秀な選手だと褒めていた。

 踊りはそれぞれ十分ほどで終わり、根室太鼓のジュニアが20人ほど和太鼓をたたき始めた。そのあとレギュラーメンバーが叩いて、7時20分頃から始まった小宴は8時丁度に終わった。伝統となりつつある根室太鼓はしっかりジュニアを育成している。世代を超えて技術と心を伝えていくのだろう。
 たった40分のヨサコイと和太鼓の競演は第3区の先太鼓の練習の音に引き継がれて、消えていった。

 もう1時間だけ延長して、9時まで狂ったように踊り、いくつかのグループが出場して太鼓を叩いたらどんな港祭りになるのだろう。
 歯舞中学や啓雲中学のOBは同じ踊りを踊れるはずだ。参加の輪が広がったらどんな祭りになるだろう。
 和太鼓の曲に振りをつけ、ねぶたのはねっとのような踊りがあってもいい。和太鼓と踊りが一緒になれば元気は百倍になる。だれかやってくれないかな・・・

  2,008年7月20日   ebisu-blog#230 
  総閲覧数: 21,955
/236 days (7月20日16時10分)