SSブログ

#5028 学力格差を無視した指導はそろそろ卒業すべきでは? Aug. 3, 2023 [47.3 そろばん(計算)]

<最終更新情報>8/4午後8:50<余談-3:教育に関する私の問題意識>を
  追記8/5朝8:35追記


 小学校1年生に入学した時から、就学前に幼稚園の先生や親がどのような教育をしたかで学力格差があります。もちろん、遺伝的な特性も学力格差に影響しているでしょう。
 その格差は、子供たちが成長するのしたがって拡大していく場合が少なくありません。
 そうした子どもたちの学力格差を無視して、同じ教え方で教えるというのは、とくに学力の高い上位2割の子どもたちには弊害が大きことを具体的に説明しようと思います。どのように育てたらいいのかについて、わたしの意見を申し述べてみたいと思います。

 #5026では小学1年生で出てくる、繰り上げや繰り下げのある足し算引き算や4年生算数で出てくる乗算を例にとって、教え方の違いをまな板に上げました。桁の繰り上げや繰り下げのある加減算はソロバンで教えたほうが、だんぜんシンプルで美しいことがわかります。ソロバンの授業を小学生1年生から週2時間導入することは、算数への苦手意識を回避できる優れた方法であることを解説しました。

 今回は小学5年生の「分数÷整数」の教え方を取り上げます。上位1/3は学習指導要領を超えて、教えていいのです、どのように教えているのか、そして小学生高学年の学力上位2割の生徒たちがどの程度まで理解できるのかについても言及します。

 「6/7÷3=  」
 この問題は、「割り算の時は、分母にかける」と教えます。掛け算が「分子にかける」と対をなしています。
 「6/7÷3=6/(7×3)=6/21」
 こういう教え方をすると、分数同士の割り算の時にまた別の説明が必要になります。説明の仕方が増えれば増えるほど生徒は混乱するだけです。こういう小さいことが積み重なって、ますます算数が嫌いになっていきます。

 学習指導要領通りの教え方なのでしょうが、わたしは、そういう教え方をしません。「整数は分母が1の分数だが、分母が1の時は書かないだけ」、「÷3」=「×1/3」であることを説明します。
 そうすると、「分数×整数」も「分数÷整数」も同じ方法でやれることになります。割り算の方は除数を逆数にすれば掛け算ですから、「分子同士、分母同士を掛ければいい」だけです。「割り算の時は分母に掛ける」なんてへんてこりんなことを教える必要がありません。
 「6/7÷3=(6/7)×(1/3)=(6×1)/(7×3)=6/21」

 逆数の逆は「ひっくり返すこと」と教えたらいいだけです。これが理解できない生徒はいませんでした。学校では、「掛け算の時は、分子に掛ける、割り算の時は分母に掛ける」と教えるのは学習指導要領にあるからでしょう。文科省はもうずいぶん前に、「学習指導要領は最低基準である」と述べていますが、現場は学習指導要領通り、つまりなかなか変わらないのです。
 4年生で「3ケタ×3ケタ」の掛け算を授業でやっている先生もいまだに少数派でしょう。「3ケタ×3ケタ」までやらないと、筆算の一般法則は理解できない人が確実にいるようです。
 その結果何が起きるのか?
 高校生になってから、「3ケタ×3ケタ」の乗算のできない生徒がでてきます。(笑)
 低学力層ではありません、上位20%の生徒ですら、「3ケタ×3ケタ」の乗算のやり方がわからない者が出てきます。ソロバンを使った乗算を知っている子どもは、ケタをいくら増やしても対応できます。桁が少ない場合と運指がまったく同じですから。
 筆算の計算ルールは同じなのですが、「3ケタ×2ケタ」までしかやっていないと、「3ケタ×3ケタ」の筆算ができない生徒が一定数出現します。
 小学校の先生が高校数学を教えることはないでしょうから、自分の指導方法に問題があることに気がつけません
 同じことは高校の数学の先生にも言えます。社会人になってから、文系と言えども数ⅡBや数Ⅲが必要になります。プロジェクト・マネジャーになると、両方の分野の専門家を集めて仕事をするので、それぞれの分野の専門家とは専門用語で話をしないといけません。専門用語を使わないと、10倍時間を費やしても、相互理解は不十分なままになります。

 わたしは、小学5年生には約分が出てくるところで、「素数」の説明をしています。分子や分母が素数になれば、素数の倍数以外とは約分できないからです。素数同士では約分ができないということは知っておいた方がよい。説明は簡単です。

「素数:1と自分自身以外に約数をもたない数、ただし、1は除く」
{2、3、5、7、11、13、17、19、23、、、、}

 100以下の素数を生徒にリストアップしてもらえば、それでOKです。素数という概念の定義を知ることは数の世界を考える上でとっても大切なことです。中学数学になれば、整数の定義、正の数や負の数、無理数や実数の定義など数に関するさまざまな定義が出てきます。図形分野も定義を理解しないと証明問題ができませんから、三角形・正三角形・二等辺三角形や平行四辺形・長方形・正方形・菱形などの概念の定義や概念の包含関係に小学生の時から慣れていていけないことはないのです。概念の包含関係や類概念、上位概念などについて、中学校でも数学以外ではほとんど教えていません。論理的な思考を育むために機会をつかまえて教科横断的にどんどん教えるべきです。
 小学生高学年の学力上位1割はそういうことが理解できるのですレベルの低い速度がのろくて中身の薄い授業で退屈しきっていますよ。「だらだら、そんなわかり切ったことを50分もかけて説明しないでほしい」、なんて思っています。心の声に耳を傾けたら、聞こえてくるかもしれません。学校の授業がそういう生徒のニーズに応えられたら、高学力の生徒は塾通いの必要がなくなります。

 文章題を解くときも、xを使った方程式でやるやり方を教えてかまわないのです。覚えて使える生徒は使えばいい。上位2割は問題なくやれます。もちろん、百題くらいは、方程式の計算問題をやらせます。計算は習熟が大切ですから。
 問題の難易度は生徒によって変更します。使う問題集を生徒の学力に応じて変えたり、同じ問題集でも学力の高い生徒は全問題を「絨毯爆撃」させ、学力の低い生徒には「基本問題」だけをピックアップしてやってもらいます。問題の消化速度に文章題でも1:10ほどの差がありますから、学力差が大きいのに同じ問題量とか、難易度を揃える必要はありません。目の前にいる生徒たちの学力格差を無視して教えてはいけないのです。

 脳の使い方もトレーニングします。イメージを脳内で操作できる生徒には、そういう課題を与えます。
 計算で使う運動野と文章題理解や解法戦略を考える論理脳は場所が違います。それらを使い分けたほうが問題が解きやすいのは事実です。図形問題で脳内でイメージ操作ができる生徒は、勘がよくなります。補助線の引き方、補助線の見つけ方が巧みになります。断面図も脳内で操作できます。

 さて、まとめです。
 上位20%の生徒は、学習指導要領を超えてどんどん教えたあげたらいい。概念定義や照明の大切さを小学校算数を通じていくらでも教えられます。それだけの受容力があるのが、学力上位20%です。上位10%なら、指導の仕方次第で偏差値45の田舎の高校から現役で難関大学受験さえ可能になります。
 日本が科学技術立国で生き延びるとしたら、それは学力上位10%をいかに育てるかにかかっています。学力上位10%は文系理系の垣根を軽々と乗り越えられます

  高学力生徒用の個別指導アプリを開発したら、個別指導ができるでしょう。生徒自身で自律的に難易度の高い授業や問題にチャレンジすることになります。アプリを開発したらいいだけ、いい時代になりました。
 通信教育のN高が、大学の授業を高校生が履修できるようなシステムを作るつもりでいるとネットで公表していました。どんどんやってもらいたい。
 
<余談-1:文系理系の壁を越えられる人材の育成>
 デジタル大臣を拝命しながら、デジタル技術をまったくご存じない河野大臣、強情でわがままなだけ、つける薬がありません。彼の下で働く官僚たちがお気の毒です。こんな大臣が来たら、わたしが官僚なら死んだふりしてるか、事務次官ならさっさと天下りさせてもらいます。奴隷じゃないので阿呆に一生懸命に仕える義務はありません。
 新型コロナでわかったのは厚生省の医療技官にシステム分野の専門知識がないということ、仕様書すら書けません。だから、医療とデジタル分野のクロスオーバーした複合分野の仕事のマネジメントができないのです。この先も十年以上ダメでしょうね。COCOAでは同じ理系分野でも医系技官とデジタル技術者の間でインターフェイスができなかったということ。感染接触アプリCOCOAが不具合だらけでついに機能しませんでした。PCR陽性者のデータ収集でも、ファックスや手作業からずっと抜けられませんでした。これも同じ理由です。
 1987年に臨床検査コードに関する大手六社と日本病理学会臨床検査項目コード検討委員会で産学共同プロジェクトを組織したときは、厚生省の医系技官にはデジタル分野で専門知識や技能のある人材がいないようなので、声がけしませんでした。4年間の毎月作業部会を開催して、1991年に日本標準臨床検査項目コードが臨床病理学会から公表されています。それ以来、この臨床検査項目コードが全国のすべての病院やクリニックの院内システムで使われています。例外はありません。医療のインフラが一つ完成したということです。
 なぜ厚生労働省の医系技官にデジタル能力がないと断言するかというと、1986年に「臨床診断エキスパートシステム開発と事業化案」という提案書を書いたときに、文献を調べました。関東逓信病院を中心にNTTがチャレンジしていました。それで、その提案書を携えて、NTTデータ通信事業本部と2回打合せしました。コンピュータの性能や通信回線の性能がこのエキスパートシステムの要求仕様を満たすのに30年以上かかるという結論でした。東京⇔大阪で専用回線を引くと月額30万円の時代でした。しかも画像データは無理、それで断念したのです。実際には十数年でした。(笑)産業用エレクトロニクスの輸入商社に6年間いたのに、見通しを誤りました。
 そのときに調べた文献の中に厚生省が関係したものは一つもなかったのです。デジタル時代へと突入しているのに、この分野へ関心を持ったり、大きな構想で動いている医系技官が一人もいないことがわかっていました。だから、臨床検査項目コードの日本標準制定産学共同プロジェクトを組織する際に、厚生省には声を掛けなかったのです。いまだに、医療とデジタル技術の複合分野を担える人材が育っていません。育たないのでしょうね。新型コロナ騒動が理由を明らかにしてくれました。不都合な事実もストレートに事態が明らかになるようなシステムができあがると、ごまかしようがなくなります。感染研によるデータの独占もできません。
 1988年ころのエイズ騒ぎの時もすごかった。エイズサーベイランス委員会がHIV新規陽性患者数を年間数十例と発表していましたが、SRL1社だけで年間500前後のHIV検査陽性が出ていました。ウエスタンブロット法で、全数確認検査していたので、検査に間違いはありません。エイズサーベイランス委員会は、この時も医師からの報告数を集めて公表していたのです。まるで信用できない数字でした。最大の臨床検査会社であるSRLにすら、HIV検査陽性者数の問い合わせはありませんでしたそれで何を引き起こしたのか?HIV陽性者数が少ないということで、日本は先進国でエイズ対策が一番遅れて、その後HIV陽性者の激増を招きました。あれは医療行政が起こした人為的な災害でした。COVID-19になっても同じでしたね。予算が大きいのでもっとひどいことになった。
 医療行政は欺瞞に満ちているので、複合分野を担える人材がいないほうが都合がいいのかもしれません。しかしそれは国民のニーズとはまったくかけ離れています。

 民間企業も官僚も政治家もいま必要な人材は、理系と文型の壁を軽々と越えられる人です。1000人に一人いたらいい。そういう人材を育成するためには、小学校の算数教育から変えなければならないような気がします。理由はすでに述べました。理系人材のすそ野を広げるために、そういう改革が必要だということです。

<余談-2:ある理想の授業>
 生徒たちが自由勝手、点でバラバラににやっているようで、自然に統制がとれている見事な授業を紹介します。水野さんの授業です。名人芸です、見終わってほっこりしました。
「静かではないが、騒がしくない。きちんとしてはいないが、乱れてはいない。生き生きとした自由あふれるクラス」見事に実現していらっしゃる。これが彼の達成目標でした。TOSSの創始者である向山洋一先生の目指したものです。弟子の彼は見事にやり遂げたと思います。
*「win3チャンネル 写真で見る水野学級」

 win3とは「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」の教育版です。教育分野でこんなことをいう人に初めて出会いました。もう十数年のお付き合いです。学校の方は早期退職されて、子育てに関するNPO法人で活躍なさっています。道東では有名な先生です。

(動画の中に水野さんがつくった計算プリントが出てきます。掛け算の問題がびっしり書かれていました。「3ケタ×2ケタ」の問題で終わっていました。「3ケタ×3ケタ」がありません。この辺りに、水野さんとわたしの教育に対する問題関心の違いが現れています。高校生になって「3ケタ×3ケタ」の掛け算が出てきたときに、戸惑う生徒が出てきます。成績上位の生徒には必須の問題が、学習指導要領にはないのです。学習指導要領は最低限のことを書いているという風に、文科省は表現を数年前に変えました。水野さんがあのプリントをつくったのは、その前だったのでしょう。
 教育に対する問題意識が異なれば、教育のビジョンも達成すべき目標も違ってきます。そしてそのビジョンや目標を達成するための戦略も違ってくるのはあたりまえなのです。計算問題のプリントだって中身が違ってくるのです。
  教育というのは重なり合う山、山脈のようなものです。その頂上はいくつもあります。水野さんとわたしは教育という山脈の違う頂を登っているのだと思います
頂が違うと見える景色も異なります。どちらがいいということはありません、それぞれの頂上で望んだ景色を見ることになります
 わたしは、企業人として、難関大学出身者と一緒に仕事して、彼らが得てしてマネジメントに弱い、ビジョンや大きな構想を描き、それを達成するための戦略策定、そしてその実行に、一流大学出身者ではない者たちに比べて弱いということを経験として知りました。社会人となってからでは、もう遅いのです。正解のある問題を中高と6年間やり続けたら、ほとんどの人が思考の型が固まってしまって、もう柔軟性を取り戻せないのです。受験勉強で失うものがあるらしいということに気がつきました。
 受験勉強で培った能力のどこに根源的な欠陥があったのか、勉強の仕方のどこが間違っていたのかというのが教育への関心の出発点でした。そのために古里へ戻って小さな私塾を2002年11月に始めました。そして20年間生徒たちを観察しました。現在の教育のどこが間違っているのか、その答えを見つけたかったのです。)

<余談-3:教育に関するわたしの問題意識>
 わたしは授業スキルにそれほど重きを置きませんが、小学生の段階では授業スキルの優劣が子どもに与える影響は小さくありませんから、水野さんのようなすばらしい先生が増えたらありがたい。スキルの高さから彼の教育技術は偏差値80を超えているでしょうね。つまり、あのレベルの先生は1000人に一人くらいの割合でしかいません。その事実は、授業技術が開示されても、容易にコピーできないということなのです。ソロバンの十段位を取得するのと変わらないトレーニングが必要だとはわたしの感想です。珠算の十段位は素質と努力があれば10年で到達できる目標ですが、水野さんクラスの授業スキルを獲得するためには30年の修行を要するでしょうね、それくらいすばらしいということです。どんな分野でも「名人」と認められる人は万日(=30年間)、修行を怠りません。「一生これ修行」と思っている人が少なくありません。

 極論が事情を鮮明にしてくれるので、大学の授業のことを書きます学部のゼミで3年間指導を受けた市倉宏祐先生(哲学)や経済学史の内田義彦先生の講義、大学院での院生3人による経済史の増田四郎先生の授業は、それぞれ、感銘深いものでした。それは三人の先生の授業スキルが高いからではなくて、思索の深さと、それまでに積み上げてきた専門知識の量に圧倒されたからです。三人とも、それぞれの分野で国内ではトップレベルの学者ですが、大学の授業では授業スキルは問題にもなりません。線形代数の授業は、たしか、笹井先生というお名前だったような気がしますが、4面の黒板に全部で20枚ほど式を展開しながら、解説するものでした。必死にノートに写して、授業の後で仲間数人が集まって、「わかったか?」って、中身を必死に理解しようとしてました。社会思想史担当の若い助教授には授業の後で、友人数人で1時間以上議論してもらうことが時々ありました。マックスウェーバーの専門家でした。どれほど先生の授業の内容を理解して、質問や議論してたのか冷や汗ものですが、商学部会計学科の学生の中には会計学や原価計算だけではなく、経済学を勉強している生徒もいます。公認会計士2次試験科目には、当時は経済学も含まれていましたので。わたしのように好奇心から出題範囲ではないマルクス『資本論』全巻を読んでいる者もいるのです。分野の異なる人間が、年齢や学生と助教授という壁を乗り越えて議論することは、ドキドキしながらお互いの理解が進み、担当する先生の授業へもフィードバックがなされ、愉しいのです。
 チンプンカンプンのわからない授業でもいいのです。手取り足取りして教えるのは小学生の時代だけ、中学校や高校は自律的に問題意識を持って勉強できるように切り替えていく時期です。大学ではわかる努力は学生がすべきものというのが暗黙の前提でした。先生に求めるのは、深い学識と思索でした。学者と言ってもピンからキリまでいます。学生は授業を受けることで、担当する教授たちの学識の深さや、質問することで思索の深さを測っています。そういうことをやって、いい先生を見つけてゼミを選択し、指導を受けます。

 そうしてみると、中学校と高校の授業は小学校と大学の中間に位置しているので、中学校は生徒にわかりやすい授業を、高校は生徒にわかりにくくても、内容がしっかりしていればいいということになるでしょう。いつまでも生徒にわかりやすい授業は必要がない、生徒の思索や精神の成長段階に応じた授業でよい、というのがわたしの意見です。
 そして上位10%の学力の生徒を、その学力にふさわしい授業を、小学生の時から受けられるようにしたいというのがわたしの願いです。いままで述べたように、教える内容と教え方が標準的な学習指導要領とはまったく違っています。ICT利用で、学校教育でもそういうことが可能な時代になりました。学力上位10%の子どもたちが、好奇心を満足させられるような、知的レベルの高いアプリの開発をすればいいだけです。
 日本が科学技術で国の産業基盤を支え続けようとするなら、そのためにどういう人材を育成するのかというビジョンや具体的な目標があるべきで、そのビジョンや目標を実現するための具体的な長期戦略が必要だというのが、わたしの言いたいことでした



にほんブログ村

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。