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#5008 午前3時の目覚め:胸騒ぎ Jul. 6, 2023 [A8. つれづれなるままに…]

 午前3時に目が覚めた。誰かが亡くなったことがわかるが、それが誰なのかわからない。
 お昼ころに、用事があって古里へ電話を入れた。そうしたら、「Kさんが1月に亡くなったよ」と突然の訃報。ああ、あいつはついに逝ったのかと納得。

 根室高校2年生の時に、クラス替えがあってあいつと同じGクラスになった。Gクラスは規格外の「掃きだめ」である。言い換えると、一風変わった人材がそろっていた。先生たちの手に負えない生徒が集められていた。学校が生徒管理上の都合から、そういうクラス替えをずっと繰り返してきた。ヒロシは総番、根室商業時代から続いた総番制度の最後の番長だった。なぜ最後かというと、あいつが総番制度を廃止したからだ。異色の総番だった。

 5代先輩の総番はS.Mさん、野球部のキャプテンである。彼には仁義が伝わっており、わたしが根室高校1年生になったときに、一度だけやって見せてくれた。小さな紙に几帳面な小さい字で仁義の台詞がびっしり書かれていた。右手を前に出し、左手を後ろに回して、
「お控えなすって、さっそくお控えなすって下さって、ありがとうござんす。手間へ生国発しますところ...」
 あの紙はもらったような気がする。机の中へしまってそのままになった。なぜ仁義が必要なのかその時に聞いた。昔はヤクザと根室高校生のいざこざがあったそうだ。そのときは、生徒会長ではなくて、総番長が学校を代表して、話をつけに行くことになる。だから、ヤクザの流儀で「挨拶」しなければならない、そう言っていた。台詞を間違えたら、叩き殺されても文句は言えないとも言っていた。気迫と覚悟のない者には根室高校総番長の仕事はできぬ、そういう時代が5年先輩のときにはあった。
 わたしが根室高校1年生の時に実演して見せてくれたのだから、S.Mさんは社会人2年目のころだ。よどみなくやってくれたから、総番長になりたての頃は、本番に備えてしっかり練習したのだろう。金刀比羅神社の例大祭の時に、S.Mさんの後ろに3歩ほど下がって十数人、目つきの鋭い「トッポイ(不良っぽい)」総番グループが、夜店の出ている道路を連れ立って歩いて、グループのデモンストレーションしていた。声を掛けられない雰囲気だった。
 根室高校の総番長にはいざというときには大きな仕事と責任が伴っていた。根室商業時代からそういう伝統が伝わっていた。わたしたちの役割は、そうした伝統の破壊だった。時代のめぐりあわせだろう。ヒロシもわたしもそういうことを意識して、自然につるんでいた。考えていることは一緒、共産党のA野もそうだった。テーマごとに必要なメンバーが入れ替わる。他のクラスからも、持ち上がるテーマの必要に応じて人材が集まるようなネットワークが自然にできていたから、面白かった。もちろん、先生たちにも協力してくれる人が数人いた。だからやろうと思えば何でもできた。西浜町会長の柏原栄先生は元根室高校の教員だが、9年前の同窓会の時に、わたしたちの時代は7大改革をやったと仰った。そのうちの2つは総番制度の廃止と校則改正だろう。ちょうど時代の節目に当たっていた。
(柏原先生は水晶島の出身で、予科練に合格して土浦航空隊に配属になるときに終戦を迎えた。終戦が半年遅かったら、少年特攻兵となり、戦死していただろう。土浦航空隊で予科練に飛行操縦訓練をしていた一人が、大学のゼミの指導教官、市倉宏祐先生(哲学)だった。先生の遺稿である『特攻の記録 縁路面に座って』は、わたしと同期の伊吹克己教授(専修大学教授)が遺稿を託され編集して出版した。弊ブログのカテゴリ―欄にあるので、興味のある方はお読みいただきたい。哲学者が残した唯一の特攻の記録である。弊ブログでの公開を快く承諾してくれて、原稿のが入ったCDを送ってくれた。)

 ヒロシに聞いてみたが、仁義は1年先輩の総番からは伝わっていないと言っていた。S.Mさんが後輩へ伝えなかったのかもしれない。
 2年生の時に3年生の総番グループと抗争があった。13:7だったかな、北海道新聞に載った。全員1週間の停学処分だった。3年生でケガをした人が数人病院へ行って手当てを受けて、北海道新聞根室支局の記者の知るところとなり、全道版にデカデカと載った。
 同じクラスで羅臼から下宿していたAが、寂しい思いをしているだろうと、1週間、毎日夜9時過ぎに訪問して12時近くまで花札をやって慰労した。ニックネームは「やすべ―」、中間テスト直前だった。(笑)
 いい奴は早く逝くようで、あいつは十数年前にやはり癌で逝った。

 総番制度の廃止には、ヒロシと共産党のA野とわたしが関係している。後輩にしっかりしたのがいないし、ただの不良グループ化して3年が経過していたので、わたしたちの代で、廃止しておかないと、チンピラ同然の組織になりかねないという議論をした。A野もわたしも同じクラスではあるが総番グループではないので、同じクラスの副番のMがヒロシと協力して解体した。

 ヒロシは人気のあるやつだった。彼の周りには自然に人が集まってくる。同窓会でも彼の周りには普通科の連中がたくさん集まって飲み始める。陰なところがなく明るい。天性の何かを持っていたので、同じクラスでもあり、自然につるむことになった。3年になって部活が終わると、一緒に歩いて帰ることがときどきあった。2年間も同じ教室の空気を吸っていてい、ウマがあったのだ。卑怯なことやずるいことはしない男だった

 高校3年になったばかりの時に、担任の冨岡先生に呼ばれて、進路を尋ねられた。都市銀行へ就職して、既に始めていた公認会計士二次試験受験勉強を継続し、資格を取るつもりだと返事した。これは中学校の時に決めた人生選択だった、そのために中学校の担任だった山本幸子先生の強い反対を押し切って商業科へ進学した。山本先生は「この子は大学へ進学する子だ」と母親を2度呼び出して説得してくれたらしいが、母親は「息子が商業科へ進学して公認会計士になると言ってます」と答えて、自分の意志通りに商業科へ進路が決まった。山本先生の診立ては結局当たることになった。当時は商業科の定員は3クラス150人で競争倍率は2倍だった。中学校の成績で真ん中くらいだと、そのあたりがボーダーラインだから落ちる人がいた。
 高校2年で担任となった冨岡先生は、都市銀行に行きたい生徒が同じクラスにいる、お前なら問題なく合格できるが譲れという。生徒会でも活動しているから、釧路の日銀支店に推薦できるので、そちらを受けろと指示された。高卒で日銀に入ったとしても、一生大卒に使われるのは癪に障るので御免だった。それで就職先を決めずにズルズルしているうちに12月になってしまった。小学生の時から毎日数時間ビリヤードの店番をしていたので、労働力が一人抜けるときついが、日本中が高度成長期で沸き立っており、お袋のやっていた居酒屋はとっても繁盛していたし、オヤジのビリヤード店も繁盛していた。オヤジに、大学へ行っていいか訊いたら、OKだという。それで、急遽一月ほど勉強してみたが、受験に失敗した。学校の定期テストと大学受験の違いが身に染みて分かった。(笑)
 卒業式は東京で遊んでいてスポイル。根室へ戻ってきたら、ヒロシが家まで来て「大学へ進学する、一緒に東京の代ゼミへ行こう」と誘ってくれた。根室でビリヤードの店番しながら、公認会計士を受験するつもりだったが、ヒロシの誘いに乗った。
 ヒロシとは代ゼミでほとんど顔を合せたことがなかった。代々木駅前のビリヤードに入り浸ることが多かったのと神田や高田馬場の古本屋街を歩き回って本を買い、哲学や経済学関係の本を読み漁っていた。たまにヒロシの住んでいる高円寺へ行って、遊んだ。そんなときはMも一緒だった。

 ヒロシの誘いがなければ、根室でビリヤードの店番をしながら、公認会計士の受験勉強をしていたかもしれない。東京へ出ることはなかっただろう。
 ヒロシが東京へいざなってくれたことで、生き方が広がったのは間違いない。
 いい友人だった。

<余談-1:確信>
 根室高校柔道部で一緒だったN西が、腎臓病で釧路市立病院へ入院していたが、夏に戻ってきて鳴海公園のところですれ違って声をかけた。それから数日後の日暮れ時、ゴーッと音がして二階のリビングの窓の向こう側に大きな白いものが飛んだ。窓を開けたが何もない。霊感の強いおばさんがいたので、「見た?」と訊いたら、「見た、だけど嫌がられるから言わなかった、誰か死んだよ」そう言った。N西はその時刻に亡くなっていた。当時は人工透析がなかったので、治療の手立てがなくなり、残り少ない1週間ほどを自宅で過ごさせようとの主治医の配慮だったのだろう。

 出生前診断検査に関する仕事を学術営業部のS.Aとやった。わたしよりも9歳年下である。沖縄米軍からの導入要請と慶応大学病院ドクターから、日本人基準値を作りたいのでという話だった。この時の所属は学術開発本部で本部長直属のスタッフだった。わたしの役割はプロジェクトマネジャー、どちらもスムーズにやった。MoM値の日本人基準値は白人を100とすると黒人が120,日本人基準値は130だった。画期的な研究になった。妊婦6000人のデータを集めて多変量解析した産学共同研究であった。S.Aはそのご米国で栄養医学の学位を取得し、独立した。2017年の11月ごろ、夜中に目が覚めた。胸騒ぎがした。そしてS.Aがなくなったことを確信して、ネットで調べたら、7月に病気で亡くなっていた。
 ヒロシで3度目だ。わたしは亡くなったら、誰かに知らせるだろうか?思い残すことはないから、ただ消えるだろう。

<余談-2:根室高校生徒会と第1回市民珠算大会開催>
 根室高校生徒会は当時は「会計」は指名制だった。先輩の「会計」のN野さんが、わたしを指名した。帳簿をつけて決算しなければならなかったので、1年生の3学期になると簿記ができる生徒が指名された。
 担任の冨岡先生は珠算部の顧問でもあった。N先輩が「全道大会に行くぞ」と誘ってくれた。彼も珠算部員ではないが、大会だけは応援メンバーで「数合わせ」に協力していた。だから、後輩のわたしに否やはない。日商珠算能力検定試験で1級保持者は、わたしより12歳ほど先輩の横田さんが第一号で根室高校初めての東大現役合格者、わたしが2番目、12年ぶりの合格だった。全道大会は「応用計算」部門で珠算実務検定試験1級の問題を半分の時間でやる競技だった。方程式の文章題10題を競技会では半分の5分で計算しなければいけない。1問30秒である。問題を読んだ瞬間にソロバンで計算を始めなければならないから、典型的なパターン計算である。方程式で解いて仕組みを理解すればあとはパターンに習熟したら誰でもやれる。ただ、30パターンほどの計算を高速でやらないといけない。大学受験の数学もパターンで計算できる。「佐藤の数学」では550パターンだが、偏差値が70を超えているものには200くらいに絞り込める。頭を使わずとも標準問題はパターントレーニングで高速で解けるようになる。受験勉強って、80%はこれでクリアできる。だからいくらやっても、頭はよくならないが、受験問題は高速で解けるようになる。
 全道大会に誘われたのは、他にこの部門で競技できる生徒がいなかったからだ。女子は応用計算が苦手である。全同大会の前に3日ほど、珠算部で選手の合同練習に参加するだけ。N先輩とわたしは特別メンバーだった。
 高橋珠算塾で高校時代に澤山先輩が塾頭でアルバイトをしていた。彼は2年先輩で中央大学文学部へ進学したので、そのあとを高橋尚美先生がわたしに汐見町の分塾を任せた。金曜日だけは先生と交替で曙町の本塾で指導していた。
 3年になって、商工会議所主催で市民珠算大会の話が持ち上がった。高橋先生と富士珠算塾の板野国雄さんが発起人のような形になっていた。根室高校珠算部顧問の冨岡先生が、「卒業生に珠算塾をやらせて、高橋珠算塾をつぶしてやる」なんて、物騒な噂があった。冨岡先生は計算実務を教えていたが、珠算は苦手だった。高橋先生は釧路の人で、釧路の高校卒業後に根室へ来て珠算塾を開いている。一時は根室の珠算のレベルは全道トップレベルだった。指導力が優れていたからだ。後に十段位もこの塾から出ている。
 市民珠算大会の話があったときに、根室高校側と調整がつけられるのはわたしだけだった。運命としか言いようがない。担任でもあり、商業科のボスでもあったと冨岡先生は、快く承知してくれ、協力してくれた。噂は噂にすぎなかった。根室は排他的な土地柄なので、釧路出身の高橋先生は嫌われたのである。日商珠算検定五科目満点合格を狙って、高橋先生は十回ほどチャレンジしていた。どれか満点でない科目が一つあって果たせなかった。1級の合格賞状が何枚も並んでいた、じつに熱心な先生だった。当時は全珠連の段位認定試験はマイナーだった。商工会議所珠算能力検定試験が権威があった時代だった。いまは全珠連の段位認定試験が圧倒的なシェアーを占めている。
 第一回の根室市民珠算大会で、わたしは選手宣誓を任された。原稿は高橋先生が用意してくれていた。暗算部門だけ選手として出場し、優勝した。他は大会関係者として主催者に一人として参加した。10ケタの高速読み上げ算は、高橋先生と板野国雄さんとわたしの3人しかやれるものがいなかったので、当初から、これだけはやらなければならない仕事だった。全部門に出場していたら、全部門で優勝したかもしれない。好きな暗算部門で優勝しておきたかった、他の部門での優勝にはこだわりがなかった、このころから欲張りではなかったのである。執着がないと言えば事情がよく説明できる。
 冨岡先生は2年生になったときの担任だが、2年生になるとすぐに私に訊いた。
「おまえなにやった?クラスナンバーワンはそのままそのクラスというルールだったが、出された。N村先生と何があった?」
 なんにもなかった。現代国語と古典がN村先生の担当科目だった。定期試験の現代国語は全部自分の解釈をテストで書いただけ。定年間近の先生の解釈と、青春真っただ中にいた生徒の解釈は感性が異なるから、同じはずがない。納得いかないので、一度も先生の解釈をなぞったことはなかった。現代国語は評価50だった。古典はさすがに解釈は恣意的ではないので、解説通りに書いた。試験はクラストップだったが、もちろん評価は悪かった。ズラリと5段階で5の評価が並んでいるのに、現代国語と古典で評価3つけるのは苦しかったのだろう。わたしをF組から放出したのである。それでよかった。新しい担任の冨岡先生は珠算部顧問でもあり、歓迎してくれたのだから。2年生になって、新谷先生に現代国語は変わった。函館出身の空手3段の人だった。彼とはウマが合った。
 そんな経緯で、同じクラスになるはずのないヒロシと2年間同級生ということになった。学校は結局、Gクラスに鬼と金棒を揃えたようなことになった。異色の組み合わせだった、ヒロシとの出遭いは運命としか言いようがない
 
<余談-3:根室高校校則改正:丸刈り坊主頭条項の廃止>
 根室高校は男子は丸刈りの校則があった。わたしは一度も坊主頭にしたことがなかったが、中3の冬休みに初めて坊主頭にした。ヒロシはずっと野球少年で過ごしていたから、丸刈り坊主頭に違和感がなかっただろう。高校へ入ったら、校則改正をしようと心に決めていた。わたしは理不尽なことには従わない。効果的な方法を見つけて、やりたいようにやる。
 N先輩がわたしを会計の後任として指名してくれたので、1年生の終わりころに、校則改正を言い出したら、先輩の副会長2人が「言い出しっぺのお前がやってみろ」と面白がっている。修学旅行に髪を伸ばしていきたかったので、スケジュールを引いて、2年生になった途端に、4月に保護者にアンケートをとった。「丸刈りは時代に合わない、髪型の強制は基本的人権に反する」という主張をベースに、学校側が一番弱い保護者をアンケートで味方につけたのである。集計して公表、そして校則改正の規定通りに全校集会を開いて、校則改正をした。東京・京都・奈良への修学旅行は長髪で行くことができた。
 2年生の時に、副会長の先輩二人、F御堂さん(元室蘭税務署長)とH谷さん(元ヤクルト釧路支店長)から、次の会長はお前がやれと指示された。応援演説は俺たち二人がやるから任せとけということだった。生徒会顧問にその旨告げたら、校長が反対に回った。わたしが生徒会長になったら何をやるかわからないので警戒されたのである。先輩二人は、何を言い出すのかわからないので楽しいからやってみろということだった。ところが、生徒会会計をやっているからダメだヘンな理屈をつけて反対された。生徒会会計は後輩のH田に任せるので後ろで見ていたらいいだけ、何の支障もない。強硬に校長が反対しているようなので間に入った生徒会顧問が困っていた。それで、折れてやった。先輩二人が応援演説してくれるのはもったいないので、1年生の時の同級生H勢に副会長へ立候補するように説得して、副会長の先輩二人に、自分の代わりにH勢の応援演説をお願いした。校長が反対していると事情を話すと、すんなり受け入れてくれた。H勢は高校卒業後に富士短期大学へ進学し、卒業した年に税理士試験の合格して、いまも有楽町で税理士事務所を運営しているはずだ。昆布漁師の息子で、家業の手伝いで、コンブ漁が始まると、あまり勉強する時間が取れなかったはず。なかなか勉強のできる同級生だったから、彼の力を認めていた。中央執行委員のT岡さんと同じクラスの中央執行委員のK尻さん、それとH勢がいたので、生徒会会計でも生徒会を自由に動かせた。Y岡とK尻はいまでもお友達だ。(笑)
 生徒会会長へはH作がなった。

<余談-4:癌仲間>
 スキルス胃癌と巨大胃癌を併発し、2006年7月に釧路医師会病院で6時間の手術をして退院。数日後に同級生のお母さんが亡くなった。それで葬儀に出席したら、ヒロシがそばに来て、「ebisu、顔色悪い、もう駄目だな」、顔を覗き込んでそう言った。体重は13㎏減っていた。みんなダメだと思っていただろうが、遠慮して誰もそんなことは言わない。あのとき、ヒロシは本気で心配してくれてると思った。あいつは嘘やおべっかが言えない、ヒロシにはそんなにメンコイところがあった。(笑)
 立っていられないくらい調子が悪かったので、彼の見立ての通りだった。執刀外科医ですら再発する、肝転移しているようで手遅れと思っていたのだから。もちろん、消化器内科医の主治医の岡田先生も、手術は手遅れだったと判断していた。スキルス胃癌と巨大胃癌の併発で、他の臓器へ浸潤していたのだから、当然の判断だった。でも、生き残った。お陰で、岡田先生の息子を7年間教えることができた。根室高校から、国立旭川医大へ道東道北推薦枠で、現役トップで合格してくれた。一般入試でも合格できる点数だったが、国立大ならどこでもいい、家業を継ぐのに医者になれたらいいと息子のT君は言っていた。北大医学部を受けてほしかった。合格できただろう。偏差値は同じである。
 去年の6月ごろだったか、札幌の病院へ入院中のヒロシへ電話した。血液の癌と間質性肺炎の治療中で入退院を繰り返していた。呼吸が苦しくて階段を上がるのもしんどいと言っていた。カミさんが2021年の4月に肺癌で急逝していたので、気落ちしているのがよく分かった。
 退院できたら、酒飲みながら昔話しがしたかったが、飲む機会がないかもしれないと思っていた。新型コロナが流行っているので、サシで飲む機会はついに訪れなかった。
 長い付き合いだった。


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