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#4963 北海道新聞から朝日新聞へ Apr. 30, 2023  [A8. つれづれなるままに…]

 古里に戻って20年間暮らして、昨年11月下旬に東京へ戻ってきた。
 通算して38年間極東の町に住んでいたが、その間は北海道新聞を購読していた。小4の時から読み始めたから、わたしは高校卒業までの9年間と古里に戻ってからの20年間、合わせて29年間北海道新聞を読み続けてことになる。道新の定期購読はオヤジからだから70年近いお付き合い。何人か顔なじみになった根室支局の人たちが懐かしい。優秀な記者が多かった。

 北海道新聞根室支局には、支局長のほかに2名の記者がいるので、根室地域版のニュースが充実しているのが大きな特色である。
 小4の時から「卓上四季」と「社説」を読み、数か月後には語彙が充実して好奇心に駆られて政治経済欄も読むようになっていた。当時の北海道新聞はルビがふってあったので、最初の数か月間は国語辞書を引きながら読んだ。新聞に出てくる語彙はそんなに多くないので、数か月間辞書を引くとあとは、目新しい語彙はたまにしか出てこないので、月に何度か辞書の世話になるだけで読みこなせた。
 東京では日経新聞とジャパンタイムズ。産業用エレクトロニクスの輸入商社に勤務していた時(1978年9月~1984年1月)だけは日経産業新聞と日刊工業新聞、電波新聞も毎日読んでいた、もちろん仕事である。朝8時に出勤して9時までの1時間に読んで切り抜きしてファイリングしていた。オーナー社長の関周さんの好意で、新聞代は会社もちだった。日経エレクトロニクスも会社の経費だったので、6年間とっても勉強になった。入社1週間後には会社の命運を左右する経営改善を目的としてプロジェクトを5つ掛け持ちさせられたので、知らない専門分野の情報入力が必須で、仕事の成果に影響するので貪欲に読み漁った。
 2002年の10月頃極東の町、古里にUターンしてからはジャパンタイムズと北海道新聞に切り替わった。高校生用の授業で時事英語にジャパンタイムズを10年間ほど使ってみた。
 北海道新聞は、小中高生のころはとっても面白かった政治経済欄が、ちっとも面白くないので、連載小説と根室地域版の記事だけ読むようになってしまった。全道各地の死亡お知らせ欄があるので、それを毎日読むという人が少なくない。ローカル紙のいいところだ。

 
 朝日新聞は女房殿が読みたいというので、そういうことにした。わたしは日本経済新聞がいいのだが、東京へ戻ったら、女房殿の意見に歩み寄ることにした。
 今朝の記事で読んだものを上げると、
①「対立煽り拡散 総裁選でも 河野氏に攻撃 中国発「ボット」か」
②「責任あるAI」合意へ G7デジタル相 早急に具体的検討
 専門知識もスキルもない河野氏がまだデジタル相をやっていることに驚きました。
③天声人語: ⇒ここまで1面の記事
④過激な声増幅 揺れる民主主義 AIでの偽の動画見極めむずかしく SNSの責任  米国最高裁判断:2面
⑤AIで作成表示とを義務に EUデジタル政策トップ:3面
⑥米ファーストリパブリック銀 経営不安 株価急落:3面
⑦G7 中露のAI「悪用」警戒:3面
⑧第81期将棋名人戦第2局 藤井 意表突いた攻め合い:⇒20面

 名人戦は朝日新聞がユーチューブで実況中継していたので、最後の2時間ほど観戦した。終盤の緊張感がビンビン伝わってきた。
⑨大佛次郎没後50年 ぶらり散歩が産む作品の妙味佐伯一麦さん 革命の群像穏やかな公正さで 黒川創さん:⇒23面

 大佛次郎次郎は数学者の藤原正彦氏のお父さんである。藤原正彦氏は『国家の品格』の著者
⑩連載小説 「人よ、花よ」今村劭翔悟作:23面
⑪コラム「窓」 またいつでも弾けるように:24面
 ピアノを趣味にしてきた女性が、癌が全身転移で数か月の余命を宣告されて、その期間をどのように過ごしたのかを追った記事だった。52歳で逝った。合掌
⑫「仕方ないよね」の先は 演説会場「ヤジ禁止」 「暴力と言葉の表現は違う 自由を奪ってはいけない」:25面
 昔は、国会の論戦でヤジがバンバン飛んでいた。なかなかオシャレで本質を突いた気の利いたものが多かった。いい加減な答弁や嘘の答弁には当たり前にヤジが飛んだ。国会議員でヤジの上手な人が何人かいた。

 全国紙は読むところが多い、取材記事がしっかりしているし、寄稿記事もある。
 根室には数年前まで「根室新聞」という地域紙があった。部数の減少で廃刊となってしまった。「釧路新聞」が根室もカバーしているので、定期購読している根室市民が千人程度はいるだろう。根室新聞の廃刊の後、新しい地域紙が誕生したが、新聞のレベルになっていない様子。しかし風力発電会社が経営しているので、資金援助しているかぎり続けられるだろう。プロとして脱皮してもらいたい。

 昭和30年代は、根室新聞の連載小説は歯科医の福井鐘一先生(2代目)が書いていた。同じく歯科医の田塚源太郎先生は、元陸軍軍医で華北から兵士を引率して引き揚げてきたのだが、その当時の状況を短歌に詠んで残している。残されたたくさんの短歌は、親友の北構保男先生(考古学者:国学院文学博士)が根室印刷社長をしていた時に、田塚先生の奥さんや娘さん2人と編集して出版している。弊ブログカテゴリ―「22-1田塚源太郎遺稿集」でいくつか紹介した。
  北構先生は根室で新聞社をやりたかったといっていた。道内ではさまざまな地域紙が統合されて北海道新聞となっていたころのこと、起業スタートが遅れたのであきらめ、印刷会社を創業したと仰っていた。新聞社起業の夢が捨てきれなかったのだ。わたしが知っている根室人ではこの3人が群を抜いていた。もうお一人いました、80歳くらいになるかな、銘酒「北の勝」の当主も達意の文章をお書きになる。
 根室には新聞記事の書けるレベルのインテリがいないのではないか。福井先生のように時代小説を書ける人は団塊世代にはいない(根室高校の6年ほど先輩に翻訳家の柳瀬尚紀さんがいたがずっと東京在住の人)。根室在住で、連載小説の書ける人や田塚先生のようなレベルで短歌の詠める人はいない。昔の根室商業卒の人たちの学力レベルはとても高かった。釧路の角田さんが、お酒の席で「戦前の根室商業は旧制中学の釧路湖陵よりも上で、まぶしかった」と言っていた。角田さんは「釧路の教育を考える会」の会長で元釧路市役所経済部長、元釧路教育長、、釧路江南高校、北大卒。
 根室の大人の学力レベルが戦後の70年間で著しく低下したことは否めないだろう。問題なのは根室の子どもたちの学力レベルの低下だけではない。教育を軽視する町には、学齢期の子どもを抱えた40代の医師は赴任して来ない。学力問題を何とかすれば、常勤医不足は解消できるし、市立根室病院の年間赤字も6億円ほど減らすことができる。そんなに難しい問題ではないよ。根室高校から国立旭川医大へ現役で合格する方法は実証しました。道北道東推薦枠合格者10名中、現役トップ合格しています。
 いつまでに何をどのようにやったのかは、弊ブログに書き溜めてありますから、お使いください。毎年一人現役合格者が出せたら、30年後は市立根室病院の常勤医は10人くらいは根室出身者になるかもしれません。根室高校から国立医大へ現役合格が毎年出れば、40代の若い医師が常勤医としてたくさん来てくれます。自分が合格できたように自分の子どもも根室高校から現役合格できる方法があるのですから。首都圏は医師の給料が安い、市立根室は2倍だしています。
 ところで国立大学医学部の学費は6年間で約360万円ですから、とっても安いのです。参考までに記すと、私大医学部は4000万円。
 教育が、地域のそして国の礎であることは論を俟たないでしょう。


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tama

藤原正彦の父親は新田次郎です。大佛次郎の兄は野尻抱影。
by tama (2023-05-04 10:39) 

ebisu

tamaさん

ありがとうございます。
勘違いしてましたね。藤原正彦のお父さんは新田次郎。
新田次郎と藤原てい夫妻の次男。
本文を訂正しておきます。

勘違いしていると、念のためにネットで検索しないので、間違いがありましたら、これからもお知らせくださるとありがたい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E6%AD%A3%E5%BD%A6
by ebisu (2023-05-04 18:44) 

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