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#4934 マルクスはなぜ資本論第二巻が書けなかったのか? Feb. 28, 2023 [98-0マルクス経済学批判]

  FB上で団塊世代の労働運動家の「ヒッカ」と3日間ほど対話してました。
 取り上げたテーマはライフワークに深くかかわる部分でもあります、一度どなたかと議論しておきたかったのです。論点は次の四つです。

(1)マルクスは1867年に『資本論第一巻』を刊行してから死ぬまでの15年間、なぜ資本論第二巻を出版せずににだまり続けたのか?
(2)ヘーゲル弁証法で展開できたのは「資本の生産過程」まで。市場関係が入ってくるとヘーゲル弁証法では論理理解できないことを、『資本論第一巻』公刊後に知った、そこまで書き進めなければわからなかったということ。わたしは、いまから46年前、27歳の時にこの事実に気がつき愕然としました。高校2年生の時から、資本論の体系構成の方法に焦点を当てて読んでいたので、気がつきました。誰もそのことを指摘した人がいませんでしたので、修士論文では取り上げることができませんでした。それまでの資本論研究を覆す異端の説でした。
(3)マルクスは商品から出発して、資本を分析しても、新しい経済社会モデルを記述できないことがわかってしまいました。これもショックでした。この点ではマルクスとほとんど同じ、先が見えませんでした。
(資本論第一巻を出版した後に、方法に躓いたことに気がつき、それ以降の体系の叙述を断念せざるを得なくなったと同時に新しい経済社会モデルもその延長線上にはないことがわかってしまいました。)
(4)MEGA版として世に知られているたくさんの遺稿で、マルクス最後の年間にやっていたことが最近の研究で明らかになっています。その遺稿群から言えること(検証可能なこと)があります。
 斎藤幸平著『人新世の「資本論」』にはMEGA版の、その後のマルクスの研究がコモンやアソシエーションに移ったことが書かれています。マルクスは生産手段の共有化では新しい経済社会が作れないことがわかって、協同組合形式の企業による経済社会モデルを模索していたのです。利潤追求を目的とした企業ではないので、そこに活路を見出すしかなかったのです。無理でしたね。ソ連と中国は『資本論第一巻』のときのマルクスの言説に従って経済社会の建設をしましたが、見事に失敗しています。マルクス自身は晩年には生産手段の共有化では新しい経済モデルが作れないことを見抜いていました。でもいまさら、間違っていたとは言えぬ事情がありました。

 わたしの(2)と(3)の論点が、(4)のMEGA版のマルクスの自身の遺稿で論証されたと言えます。
 実は(2)の論点は、労働価値説が間違いであるという結論に導きます。市場関係を導入すると、過剰生産が労働価値説では説明ができないのです。どれだけ労働を投下しても、過剰生産されたものには価値がない、売れないのです。デジタル商品も再生産に労働は関係ありません、コピーするだけですから。それに加えて、価値形態論と生産過程での価値と使用価値の対立という論理図式が、市場関係を導入したとたんに破綻してしまうのです。市場価格、個別的生産価格、使用価値と主要な概念は三つあります。ヘーゲル弁証法は二項対立図式ですから、アウトなのです。わたしが気がついたぐらいだから、マルクスも資本論第二巻の原稿を書き始めて初めて方法的な破綻に気がついたのでしょう。市場関係では使用価値が一番基本的な概念ですから、労働価値説が破綻します。「搾取理論」である「剰余価値学説」が破綻しています。これらは稿を変えて詳細に論じます。

 同世代の労働運動家との対話を投稿欄へ転載します。前半部分のみ掲載してきます。新しい経済社会に関する対話が後半部分です。これも別稿で扱います。

 ソネットブログはワードで作成した文書を貼り付けられないのですが、投稿欄ならコピー&ペーストができますので、本欄ではなく、投稿欄をお読みください。

 労働運動家のハンドルネームを「ヒッカ」としてあります。
 


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コメント 4

ebisu


<トシ>
民間企業は厳しいね。経営状況が悪化したら、賃上げなんてとてもできない。10%給料上げろなんて誰も言わない。経営者がそんなことしてくれたら、倒産して自分の首を絞めることになるから。
賃上げできるのは、利益を上げている民間企業と、公企業だけ。
そうすると、民間企業では「労働者」が手を組むべき相手は「経営者」ということになりませんか?

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<ヒッカ>
もう、すでに組んでいるですね。だから「企業内労働組合」主義から抜け出れない。公益事業の電力会社の労使関係をみてもそうだ。

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<トシ>
言い方が悪かったようです。
具体的な経営改革提案して、成功したら、給料を50%アップしろ、2倍にアップしろ、持ち株の3割を従業員持ち株会へ割り当てろ、従業員へワラント債を割り当てろ、なんてことの主張できる組合、そういうスタイルを考えてます。
賃上げもできないような無能な経営者を追放できますよ。
組合自身が自己改革をすべき、そうすりゃ世の中がらりと変わります。
そういう企業が数社現れるだけでいい。模範例があれば、続く労働組合が春のタケノコのごとくにニョキニョキ出てきます。
マルクス真っ青。

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<ヒッカ>
抜本的な「具体的な経営改革提案」を素直に、受け入れる経営者など現実的にいるんですかね。一般的は、拒否してきますね。

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<トシ>
ヒッカ さん:いますよ。わたしは業種を変えて何度もそうしてきました。中小企業で社員のボーナスを200万円増やしてもそれまで5000万円の利益がコンスタントに3億円になるなら、経営改革を受け入れない中小企業経営者なんていませんよ。
具体的で現実的な経営改革案をつくれる労組がないだけです。やれないと思っているからできないのです。
「資本と賃労働」なんて150年前のありもしない妄想で対立することばかり考えていたのでは、いつまでたっても5%の賃上げを春闘で掲げるだけ。業績が悪ければにべもなく拒否されて終わりです。また次の年の同じことをする。進歩がありません。不平不満のカタマリになったら、人間は腐っていくものです。本来持っている力が出せなくなります。
中小企業だけではありませんよ、大企業のSRLでもそうでした。全面的に受け入れてくれます。
もちろん、実績のない者のいうことは聞いてくれません。会社を潰しますから。机上の空論ではなくて、現実的で具体的な経営改革なら、それを受け入れない経営者は珍しいでしょうね。

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<ヒッカ>
すべてが、「利益」「利潤」でしか測れない考え方が中小企業の経営を危うくし、賃上げもできずに経営者も会社員も苦しんでいるように思います。コロナ禍を利用して「恐怖」をあおり、従属を押し付ける政治のもとでかつてないほど利益を得ている「大資本」の存在とその「火事場泥棒」的な営業を横目に中小企業の窮状を嘆いてみても解決になりませんね。しかも、それはあたかも働くものが無能だからと言っているだけのように見えます。「労働者の知恵」が「生産手段」に認められるなら、もはや「資本主義」の社会ではないでしょう。そのことを望む人たちが、多くいるようにおもえません。妄想と幻想は本質は同じです。トシさんの「成功体験」を、普遍化できないのは「労組」に能力がないだけだ。「できない」と思ってるだけとおっしゃって、労働組合の学習会で講演などなさってはいかがですか。そして、マルクスは間違っているとおっしゃってみれば賛同する方はいると思いますよ。そして、状況はさらに悪化してゆくでしょうね。

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<トシ>
ヒッカ さん:利益は後からついてくるものという考え方もあるでしょう?
何だか怒っているように聞こえました。
利益を上げることが目的ではありませんよ、社員や非正規雇用の給与をアップするために、利益を上げるのです。利益をあげなきゃボーナスの支給はできませんよ、そんなことを3回もしたら、会社は資金ショートで倒産します。
わかりませんかね。SRL創業社長の藤田光一郎さんは利益第一主義の人ではありません、利益はいい仕事を社員がしてくれた結果と考える人でした。SRLで一番働いている人は誰かと問われたら、わたしは迷ういなく、社長の藤田光一郎さんをあげます。朝、日直で8時出社すると、もう22階の本社ビルのドアが開錠されていることが多いのです。日直登板が来ると、「でかけます」と短く言い残して、全国の営業所へでかけます。
わたしが入社する2か月前(1983年12月)、企業内組合「職場代表者会議」がボーナス4.5か月を要求しました。予算制度があって、予算の超過達成だから当然の要求でした。藤田さんどうしたと思います。5か月支給したのです。その年のボーナスは9.3か月でした。
藤田さんは全国の営業所を飛び回って、営業マンと一緒に病院を訪れてました。手帳に1か月の目標を30項目書いてチェックしてました。たとえば社員と昼食10回なんてことです。病院訪問15回...。「今月は20勝10敗だ」、なんてね。
羽田空港から新宿の本社へ戻るのに、専務が用件があってハイヤーで迎えに行ったら、「社員が自分で運転して仕事しているのだから、わたしはハイヤーを使いません」と怒って、さっさとモノレールに乗ってしまったなんて実話があるくらい。(笑)
藤田さんの特命案件を担当していた時に、浜松町の東芝ビルのJAFCOと交渉事があって2人でいったことがありました。もちろん、新宿から山手線です。浜松町の駅から歩いて東芝ビルにはいると、小さなカメラを取り出して、人工衛星の実物模型の写真を撮ってました。交渉事が終わると、JAFCOの取締役が「お車はどちらですか、正面玄関に回します」とわたしが聞かれました。「来るときも、帰りも山手線です」と言ったら、びっくりされました。「2社現役創業者として1部上場を果たした日本では初めての経営者です、御社のセキュリティはどうなっているのです、危ないですよ」と忠告を受けました。偉ぶらない人なのです。
ところでJAFCOの社長に中学時代の隣のクラスのI君がなっていますが、同窓会名簿の彼の住所は空欄でした。セキュリティ上の配慮だそうです。企業は経営者によってまるで違ったものになります。
経営者も労組もさまざまです。わたしはステレオタイプな断定は避けたい人です。実証的に物事をみていく。

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<トシ>
もうひとつ、労働者の智慧ですが、ほとんどの工場では労働者が知恵を出して、業務改善しています。多くの日本人は「労働」ではなくて仕事しているのです。それは喜びであり、自己実現です。こういうことに幕末に日本に来て見聞したペリーも驚いています。マルクスの賃労働とはまったく別の仕事観が日本人には脈々と流れています。だから高い品質の製品がつくりだせる。
ヒッカさんは西欧の「労働観」で物事を見ていく、わたしは伝統的な日本の仕事観で物事をみる。どういうスタンスで世界を見るかで違って見えるのでしょう。

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<トシ>
法隆寺の最後の棟梁の西岡常一は、法隆寺の解体修理をするときに、先人の職人の修理の後から叱り学びます。そして数百年後に解体修理する職人に恥じないような仕事をします。
だから、常に修行、終わりはないのです。最高の仕事をすることに喜びを見出す。ふだんは畑仕事をして、半分自給自足のような貧乏生活ですから、自分の子どもには跡を継がせませんでした。高校卒業して弟子入り志願してきた小川三夫を弟子にしました。
住宅を建築して儲けりゃよさそうなものですが、しません。安い材料で工数が切り詰められた条件下で仕事すると、腕がそういうものになるからです。だから、貧乏しても、いい仕事がしたいので我慢する。いい仕事をすることが目標です。数百年に一度の解体修理を儲け仕事などとは思ってもいません。

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<トシ>
仕事で妥協したら、平社員だって、管理職だって、経営者だってダメになるんです。わたしは日本人の伝統的な仕事観に腰を据えて、物事を考えます。


by ebisu (2023-02-28 11:04) 

ebisu

<ヒッカ>
「ヒッカさんは西欧の「労働観」で物事を見ていく」とのご意見ですが、自分ではそうは考えてません。そのように、思い込みで相手を決めつけて、相手を睥睨している姿勢にはなじめません。あなたのおっしゃる日本的「仕事観」や西洋流「労働観」の違いと”西洋流経済史観”を混合されて話されるのは、それぞれの思考や論理を受け止めるのを阻害します。日本的仕事観を大事されることは尊敬したいと思います。私も技術者としての誇りを持っているつもりですから、いわば職人的思考もできます。だからこそ「仕事」をするために、労働組合運動が必要になった人間です。始めに思想ありきで労組や政党に関わってきたわけではありません。古き良き日本的生産の中から、知識と技術を持った「職人」が淘汰されていったのはなぜでしょうか? 是非ともあなたのご高説を伺いたいものです。まさに、「資本」と「賃労働」の商品生産のシステムに変えられてきたからではないですか?

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<トシ>
職人が淘汰されたとは思えないのです。どんな工場へ行っても、工程改善の工夫はしています。5S運動もしています。品質管理も水準を上げていきます。それは職人仕事の在り方そのものです。
そういうことが業種を変えて転職して自分の身体で知ったことでした。SEだって職人仕事、赤字の企業を黒字にするマネジメントだって予算管理業務だって、検査試薬の購入業務だって、検査機械の購入業務だって、試薬の共同開発業務だって、臨床検査センターの買収だって、どれも職人仕事でした。
もうひとつ。労働組合を担う人の中にマネジメント能力の長けた人がいないはずがないのですよ。数がたくさんいますから。それにもかかわらず出てきません。なぜか?それはできないと思っているからというのがわたしの推論です。
あるいは、労働組合だから、経営については考える必要なしと思い込んでいるから。
他に何か考えられることはありますか?出てこないことが不思議なのですよ。出てくりゃ10%や20%は給与をアップできます。春闘は給与アップが目的でしょ、なら別の選択肢をなぜ考えないのかわたしには理解できないのです。
ヒッカさんはどう考えるのですか?
「すべてが、「利益」「利潤」でしか測れない考え方」これ、マルクスそのものです。それは日本の伝統的な価値観にはないものです。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」「浮利を追うな」、「信用を旨とせよ」、これらは利益だけを考えた欧米流の経営とは真っ向から対立する価値観です。まったく日本的ではないと私は思います。自分ではそうは考えていないと言いつつ、書いていることはマルクスそのものです。拡大再生産による利潤極大化が資本の運動ですから。ヒッカさんはそうは思っていないのでしょう、でもそう書いていますから、書いていることを素直に受け止めると、西欧流の資本観と労働観に染まっています。「資本と労働の対立」なんて概念は江戸時代に日本にはありませんよ。マルクスが共産党宣言や資本論を書いてから、そうした対立概念がセットで世界中に広まりました。
職人仕事を視野に入れないのもマルクス『資本論』の視点です。
労働者という言葉自体が西欧の概念です。その淵源は奴隷に行きつきます。だから定年退職はハッピーなのです。日本には労働者という概念はありませんでした。仕事ですから、愉しい。仕事を取り上げられてしまう定年退職は人間疎外そのもの、それが日本人の感覚でした。
何度も転職して仕事しましたが、「労働」したという感覚はないのです。仕事は愉しい、仕事を通じて社員の給与やボーナスをアップできる。労働組合運動でそれができるならやればいい。
古里の極東の町には勤医協という共産党系の医療機関がありますが、そこで働いている人たちの給与はあまりよろしくない。だれも春闘とか賃上げ闘争をしたという話は聞いたことがありません。なぜ高い報酬を支払えないのか、マネジメントスキルが低いからではないでしょうか。マネジメントスキルが高ければ、高い報酬をそこで働いている人たちに支払えます。支払えないことがわかっているから、だれも「春闘」しません。ない袖は振れないのです。
ヒッカさんが、あるいは労働運動を担ってきた方が、どうしてマネジメントを嫌うのか理解ができません。労組自身がプレーヤーになるという考えが出てこないことが不思議なんです。大企業の労組にはおそらく1千万人を超える組合員がいます。どうして数人でも具体的な経営改革を提案して大幅な賃上げを実現しないのでしょう?やりうる人がいるはずだと確信しているから、言ってます。やれないと思ってやりだそうとする人がいないとしか思いようがありません。必ずいますよ。いたら資本家の側だなんて批判する人が出てきそうです。
目標とするところはそこで働いている人たちに世間並み以上の給与を支払うことです。域外のあるような仕事の仕方をしてもらうためです。ヒッカさんは労働運動の一翼を担って数十年戦ってこれらた。わたしは具体的な経営改革を担ってそれを実現してきた。方法が違っているだけとは思いませんか?
そして結果は出ています。春闘方式では日本の「労働者」の給与水準はほとんどアップできない、そして私のやり方が効果が大きいということ。
1000万人労働組合員がいたとすると、マネジメントに秀でた人材が1000人に一人でも1000人もいます。そういう人たちが、経営改革を提案し、担えば、社会は買えられます。それがわたしの結論です。
なぜやらない、なぜ効果がほとんどない春闘方式にこだわり、思考停止してしまうのか、理解ができないのです。若い人たちは労働組合運動そのものに愛想をつかしてしまいます。

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<トシ>
企業が利益を上げるのは、そこで仕事する人たちがやりたいことをやれるようにするためでもあります。きつくてつらい仕事があれば、それを最優先で機械化、そして自動化します。
SRLでは1980年代初頭に分注作業がそうした仕事に分類されました。わたしが入社する数年前のことです。
毎日、数十人が一日中分注作業してましたが、半年もやったらつまらなくてやめていきます。自動分注機開発のよって社員を「非人間的な労働から解放」してます。この時の100本標準ラックが日本標準となってしまいました。数学的には12の倍数がよろしいのですが、自動分注機開発に携わった社員とメーカーにそうしたセンスの人がいないかったのでしょう。マイクロプレートの国際規格が96個です、約数の多い整数は12、96はその倍数です。非人間的な単純労働に、どんなに新しい社員を配置しても同じことです。だから自動分注機の開発を小さな会社と共同で始めました。お金に糸目はつけません。そうして自動分注機が完成すると同時に、分注作業のみに従事する社員はゼロになりました。
非人間的な単純作業の繰り返しから社員を解放するには、大きな投資が必要です。SRLが業界の他の企業に先駆けて自動分注機を開発できたのは、業界ナンバーワンの高収益企業だったからです。そういうところにお金を使うことに創業社長の藤田光一郎さんはノーは言わない人でした。SRLで開発された自動分注機は日本中で使われています。PSSという小さな会社が共同開発メーカーでした。いまでは上場企業になっています、フランスでPCRの自動検査機器を大量に購入しましたが、そのメーカーです。

SRLがなぜ高収益企業かというと、新規開発項目が多かったからです。1980年代半ばにはSRL八王子ラボで3000種類を超える臨床検査を実施していました。2800項目は不採算項目です。大学病院で検査を実施したら1テスト10万円もかかるような特殊検査を1/10以下で受託していました。コストが引き合わなくても社会的に必要な検査だと思えば、採算無視で受託していました。そこがSRLの強みでした。お客様がそおうしたSRLの仕事のやり方をちゃんとわかってくれてました。
その代わり、保険点数のついている検査は保険点数の7割で受託していました。業界2位のBMLは50%程度、安売りしていました。それでも、検査体制がしっかりしているので、SRLのに全国の大学病院や大病院の検査が外注されていました。
200項目で挙げる利益が、他の2800項目の検査の赤字分をカバーして、なお高収益でありえたのです。
利益をなにに使うかというと、社員の給料とボーナス、そして検査の新規開発、そして内部留保です。企業は3年間売上がなくても耐えられるだけの内部留保をもつべきです。大波が来ても経営破綻しませんので、社員は安心して働けます。「失業の不安からの解放」と言ってよいでしょう。
SRLには開発部門がありますがとっても小さい。開発部は製薬メーカーと検査試薬の共同開発、わたしもDPC社のⅣ型コラーゲンと塩野義の膵癌マーカーを1年半ほど担当しました。研究部は数人です。そのうち2名は多変量解析の専門家、応用生物統計分野の仕事をしてました全員四大卒だったと思います。。特殊検査部というのがありましたね。4課ありました。そこも、20名程度。ラボ見学で特殊検査部を案内した記憶が薄いので、たいした規模ではありません。
SRLの特徴はルーチン検査部門で、研究開発ができるということです。研究テーマを申請すれば、必要な試薬や機器を購入してもらえます。もちろん、ルーチン検査の仕事が終わってから、自分の時間を使ってやってもらいます。
機器の購入を担当していた時に、臨床化学四課だったかな、免疫電気泳動の担当者が、「2000万円する二次元電気泳動の機器が欲しいのですが、認めてもらえませんでした」としょげているので、内容を聞いて確認してから、申請書をもう一度上げたらいい。全部根回ししておくからと伝えました。検査管理部がラボの予算の元締めですが、わたしがOKした案件は一度ハネても、通してくれます。臨床検査のことも臨床検査機器のことにも専門知識がありませんでしたから、金額で判断するだけで重要性がわからないのです。検査管理部が承認しても、検査のことを知らぬ管理会計課長がノーというのかもしれません。ラボ管理部は本社にチャンネルがありませんので、わたしがOKすれば本社は予算を管理している経理部管理会計課も経理部長も副社長もフリーパス、仕事はスムースに流れます。八王子ラボと本社は意思の疎通が悪かったのです。わたしが検査試薬の値引き交渉プロジェクトの提案・実施後そのまま購買課勤務になったのはそういういきさつもありました。本社には検査システムや検査や検査機器に詳しい人はいませんでした。だから、わたしの役割は本社とラボのハブになることでした。
入社してすぐに全社の予算編成と予算管理を担当していますから、営業部門とラボ部門と新規事業関係はわたしが直接予算を決めていたので、検査管理部はOKしてくれます。本社の副社長が上場準備関連で抱えていた案件を次々に処理して実績を挙げているので、わたしがOKだせば、後押ししてくれます。決裁権限表や職務分掌権限表があって、平社員のわたしには何の権限もないのですが、数千万円なら、決裁権限者はだれも文句は言いません。Y口副社長とI元取締役経理部のお二人は長富士銀行からの出向役員ですから、ラボにアンテナが欲しくてわたしが行くことになったのですから。

RI部に液体シンチレーションカウンターで検査している係長がいました。2部屋、ガラスのバイヤル瓶が2mの高さまで積み上がっていました。地震が来たらこれが倒れてきてケガすると心配していました。ファルマシアに特別なコネがあったので、ファルマシアLKBが紙フィルター方式の液体シンチレーションカウンターの開発情報を伝えてくれました。それで、世界で最初に八王子ラボへ導入しました。96チャンネルの紙フィルター方式ですから、バイヤルは消滅しました。おまけに96チャンネルですから、生産性は100倍です。紙フィルターへの分注は自動分注機を使用してます。2台同時導入したら、検査室はガラガラ、担当係長喜んでいました。

スイスの本社のある製薬メーカのファルマシアはその当時(1986年)マルチアレルゲンの検査キットを開発して独壇場でした。試薬の価格交渉に社長が来ました。3割値下げを要求したら、ノーでした。理由は品質がいいし競争相手がいないので高価格で販売するのは当然だということでした。
わたしの言い分は3割下げろ、そうすりゃ昨年の10倍買ってあげられる、日本市場全体で来年マルチアレルゲンキットを10倍以上販売できたら業績が大きくアップするだろう。製造原価は半分以下に下がるから、スイス本社へ打診してみたらいい。返事はそのあとで聞きますと伝えました。10倍買えなかったら翌年は値段を元に戻します。
そうしたら3割カットを飲んでくれました。その後日本法人の社長は昇進してます。アジア全体の責任者になっていました。
購買業務、そして現実の価格交渉、これもマネジメントの視点が欠かせません。
翌年からファルマシアの態度ががらりと変わりました。何でも飲んでくれますし、新製品開発情報でオープンしていいものはわたしに最初にもってきてくれました。

栄研化学のLX9000という酵素系のビーズ凝集反応の大型検査機械の開発情報もあるマネジメント視点での接点があったから入ってきた情報でした。SRLラボで市販する前に検証を提案しました。再限性が悪くて大トラブルでした。もめたので、現場からクレームがわたしに入ったので、現場とメーカーの間に入って急場しのぎの方法を提案してます。検査する前に1時間電源を入れてスタンバイ。社員が早出するのは気の毒だから、回路をいじってもらいました。なぜそんな提案ができたのかというと、オシロクォーツ社の時間周波数標準機が既定の精度がでるまで1か月間も電源を入れておく必要があることを知っていたからです。

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<トシ>
1988年だったかな、LX9000が市場に出たのは、少し小型化したLX3000という検査機も後に発売しています。再現性の問題は市場に出たときにはありませんでした。よく売れた機械です。製薬メーカーと臨床検査センターと病院検査部と、三者が恩恵を被っています。
こうした仕事もマネジメントの視点がなければうまくいかないと思います。

労働組合が経営者を敵とみなし、マネジメントにタッチしないのか不思議です。優良アップしたかったら簡単なことなのです。考え方を変えたらいいだけ。労組の中にもマネジメントに秀でた才能をもつものが、全国では1000人はいます。その半分でも動けば、企業は変わるし、資本主義だ共産主義だなんて古いことを言う必要もなくなります。みんなが給与と仕事に満足できてハッピーになれます。
わたしがやるべきことは、道を切り拓くことと、こうして文章にしてお知らせすることと思っています。後は労組自身の問題、労働組合員のみなさん次第です。

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<トシ>
母方の爺さんが青森で自宅で天理教の教会をやっていました。農業で食べてましたね。
認知症が出て、母親が引き取り数年介護して亡くなっています。
母親が爺さんに「うちは曹洞宗だから、あなたがなくなった後はどうしたらいい?」と聞いたそうです。仏教も天理教も目指す頂上は同じ、登っていく道が違っているだけ、だから禅宗でいい」そう答えたそうです。こだわりのない信仰の姿、無垢な爺さんの魂を見た気がしました。
ヒッカさんと対話していて、目指す天辺は同じですが登る道の違うことがよくわかりました。それだけで十分です。若い労働組合員が一人でもこの対話を見てくれたら、書いた甲斐があります。
どうもありがとうございます、また別なテーマで対話をお願いします。

by ebisu (2023-02-28 11:09) 

ebisu

<ヒッカ>
トシ さん、頂いたコメントを何度も読み返してみました。労働組合の考え方、労働者が考えている「経営改善」やマネジメント、「資本と賃労働」が対立している、春闘は賃上げ闘争だけ(春闘は給与アップが目的)、職人仕事を視野に入れないのもマルクス『資本論』の視点、etcなどは理解不足の決めつけだと思います。時間がないのでそれぞれに反論するのためらわれます。思うに、学ばれたことのあるマルクス資本論に対するご自身では解決できないものを残しているのではないかと失礼ながら思いました。マルクス・エンゲルスの考え方は、「猿と人間の違いは、労働が人間を作ったことに由る」と承知してきました。最近、読んでみた「ゼロからの『資本論』」斎藤幸平著は、以前読み続けるのがつらくなった「人新世の「資本論」 (集英社新書)より、私のとって新しい気づきをたくさんもたらしてくれた小冊子でした。この新書だけ読んで、マルクスの考え方を理解できるはずもありませんが、これをきっかけに若い人が、「グローバル資本主義」の現実と人間社会のユートピアというか、展望を見出す「生き方を自分で考えて」もらえれば、それもいいかなと思います。

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<トシ>
若手のマルクス研究者である斎藤幸平さんが出てきたので、少し書いておきます。
斎藤さんはマルクスがなぜ『資本論第一巻』しか出版しなかったのかには言及がありません。
市場論を書き始めて、ヘーゲル弁証法を体系構成の方法に用いたことが間違いであったことに気がついたからだとわたしは推測しています。2項対立ではやれません。他にこの問題で仮説を提起しているマルクス経済学者はいませんよ。
価値形態論と資本の生産過程まではヘーゲル弁証法でやれるのですが、その次の市場関係では概念は2項対立ではやれないのです。あたりまえのことですが、マルクスは気がついてしまった。だから黙らざるを得なかった。階級闘争史観もヘーゲルですから。
科学の方法としては演繹的体系構成があります。ユークリッド『原論』とデカルト『方法序説』にあります。こちらを参考にすべきでしたが、彼にはハードルが高かったのです。理由は研究ノート『数学手稿』で明らかです。
哲学専門家で、科学の方法論でヘーゲル弁証法を主張する人はもういないでしょう。演繹的体系、演繹モデルと言ってもいい。数学の自然数の演繹モデルがありますが、そういう類です。
どういうわけかマスクス経済学者は文系の学者ばかりで、演繹的体系構成の方法論を取り上げる人がいません。
実はマルクスはもう一つのことに、同時に気がついてしまったと思います。資本家的生産様式を分析して、ひとつの体系にまとめても、新しい経済社会の構想には何の役にも立たぬことがわかってしまいました。
生産手段の共有でことが解決するはずもないのです。いまさら言うわけにいかない。だから資本論出版後15年間新しい本を書いていません。
書けなかったのです。わたしも同じことに気がつきました。27歳ころのことでした。新しい経済モデルを記述するにはどうしたらいいのか、その答えは大学に残ることでは得られないと考えたのです。
だから、業種を変えて何度も転職してます。日本企業はマルクスの想定している資本家的生産様式とは別の価値観で動いているという、漠然とした期待がありました。その正体が何かつかんでみたくなりました。マルクスができなかった新しい経済社会のヒントになるとなぜか確信していました。
どんな経済社会でも、企業は存続します。生産手段を共有するということは資本を共有することです。株式会社制度は多数の人が資本を共有する一つの形態ですが、これではいけませんね。ではどういう形で資本を共有するかという問題に答えなくてはなりません。
そして資本を共有したとして、次に問題になるのは経営です。
経営者と労働者というセットがなくなり、労働者だけとなったら、経営は労働者がやることになります。
ほら、労働組合が経営に背を向けてはいけないことがはっきりしたでしょう?
拡大再生産と利潤極大化が資本の運動です。日本の商道徳は「信用が第一」です、最優先は利潤追求ではありません。その意味では、資本家的生産様式ではないのです。
当主は受け継いだ資本を次の代に棄損せずにバトンタッチするだけの存在です。一時預かっているだけのことです。それが日本の伝統的な商道徳でした。まだ一部の企業にはしっかり残っています。「浮利を追うな」というのも同様の価値観で、資本主義の価値観とは異なっています。
わたしが学生の頃、MEGA版が刊行され始めていました。もちろんドイツ語で翻訳はナシでした。
『資本論』と『経済学批判要綱』6冊を丹念に読むだけでも、マルクスが方法的に破綻したことと、新しい経済モデルの記述には『資本論』が役に立たないことは理解できるのです。45年前にそういう地平にいました、そしてマルクスと同様にわたしも方向転換しています。しかし、その方向はまったく違っています。
資本家的生産様式ではない企業形態とは何か、どうすれば可能か、現実の企業でやってみるしかないじゃありませんか。
斎藤幸平さんには、生産手段の共有化、コモンということも具体的に記述できないでしょう。アソシエーションを具体的な企業活動として記述することも。
わたしにだって新しい経済モデルの全体は見えていません。わかった範囲で部分的に書いているだけ。
資本の共有化ということ一つとっても、わたしにはまだ解決案がありません。
株式会社制度を前提にして、従業員持ち株会がすべての株をもったと仮定しても、いつかは退職すると、相続の問題があります。代謝が起きますから、すぐに崩れます。企業で働いている人たちから、資本が離れていきます。実務はむずかしいのです。
新たな経済モデルを提起し、それを現実に移す。そのために具体的で現実的な戦略を立案し実行する、なかなかたいへんなことなのです。

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<ヒッカ>
NHKの大河ドラマを見ていて思ったことは、社会形態は違っても「食べられない」状況があれば、民衆は”怒り”を抱く。それを思想的な煽動で戦に向かわせる。そのことで、権威・権力を維持しようする人間がいる。「神」なり「仏」なりを信じれば、極楽に行ける==>「世の中”お金”ではないよ」と「信じる人」を騙してしまう。でも、思考的な背景はあまりに現代的すぎて笑うに笑えない。
斎藤さんの話の中のアソシエーション(よくわからないが)は、今日的な企業形態は対極の方向を目指すもの(商品経済を否定する)或いは「原始的というか、本源的な人間生活」のように理解しました。誤解されるかもしれないので、あえて言いますがこれまでにあまり聞かなかった視点を感じただけで、納得でも支持しているわけでもありません。
哲学的な弁証法を数理的解釈で処理できるとすることにも違和感を感じています。それは文学を経済学で解説しようとすることに似ている。日本では、日本史と世界史を分けて学ばせる。しかも、年号と事実を記憶することを主とし、その分析すら権威者による「理由付け」であり、取り上げる史実も支配者に好都合を記憶させる学び方から抜け出ていないから、外国の支配者のために政治にも抵抗ができないでいる。「真実は。いつも見かけと異なっている」と感じます。

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<トシ>
「哲学的な弁証法を数理的解釈で処理できる」、これはわたしの考えとは違います。
弁証法は科学の方法論としてはダメだということ、演繹的体しかないのです。これは哲学分野ではもう決着のついていることです。
斎藤幸平さんの主張は、アソシエーションの部分ですが、わたしの推論を論証しています。マルクスは『資本論』では新しい経済モデルが構築できないことがわかってしまった。だから、アソシエーションという概念をも持ち出して、新しい経済社会を死ぬまで研究していましたが、発表できる成果はナシでした。
いまさらヘーゲル弁証法がダメだとは言えなかった。体系構成の方法でもヘーゲル弁証法は破綻したし、歴史哲学としても破綻していることにマルクスは気がついてしまったのです。黙らざるを得ないでしょ。
マルクスが単線的な西欧モデルの唯物史観を否定していたことは、齊藤幸平さんの『人新世の「資本論」』にも書いてあることです。ヘーゲル哲学の破綻です。
マルクス自身が『資本論』までの方法論を否定せざるを得なくなった、だから、死ぬまでの15年間、『資本論第2巻』すら書かなかった。学者の良心でしょう。だが、いまさら公にはできなかった。
MEGA版の膨大な遺稿に残せなかった部分こそ、最重要なことなのです。斉藤幸平さんは書いてあるものを読んだだけ、書かなかったこと、書けなかったことをこそ読み取らなければならないのです。まだ、世界のマルクス研究はそこまで来ていません。
なぜ、死ぬまで15年間あったのに、マルクスは『資本論第二巻』を出版しなかったのか、その理由を明らかにできた経済学者は私以外にはいないのです。

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<ヒッカ>
トシ さん、「書けなかったことをこそ読み取らなければならないのです」と言った瞬間から、文学か宗教の世界のように私は感じます。少なくとも、臨床検査の現場での「推論」「検証」「結論」での科学的な主張には、合っていないと思います。

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<トシ> 2023年2月20日午後8:40
文脈から切り離して、「書けなかったことをこそ読み取らなければならないのです」を読んではいけませんね。
勝手に空想しているわけではありません、ちゃんとした根拠のあってのことですよ。
あれだけ膨大な遺稿を残しておきながら、なぜ資本論第2巻を出版しなかったのかということ。理由がちゃんとあるが、書けなかった。
書けなかったというのは事実です。その理由を突き止めた経済学者は他にはいない。重大な問題がそこにあるのに、素通りしてしまっています。斉藤幸平さんもその中の一人、御多分に漏れません。
資本論を丹念に読めばそれがなぜかわかります。市場関係を導入したとたんに、価値と使用価値の二項対立図式が崩れてしまうのです。方法的破綻が明らか。それと同時にもっと重大なことに気がついてしまった。いくら資本家的生産様式を分析しても、新しい経済社会のモデルは描けないということに気がついてしまった。わたしも27歳の頃にそのことに気がついて愕然としました。もう大学に残って経済学の研究を続ける意味はないと思いました。新しい経済モデルを探すために、業種を変えて転職を繰り返しました。まったく新しいものを想像することになるのですから、書物を読んで考えても無理なことがわかりましたので。
資本論の延長線上に新しい経済モデルが描けないということは、斎藤幸平さんがMEGA版を読みこんでマルクスの関心が、コモンやアソシエーションに向かったことで、明らかですよ。
マルクスは価値形態と生産過程まで書いて、市場関係を導入したところで、気がついたのです。二項対立図式にはならぬと。そこでは価値と使用価値の主従の関係も崩れます。書き始めて、それまでの方法論、ヘーゲル弁証法の外に出てしまっていることに気がついたのです。最初から間違っていました。気がついたって言えないでしょう。マルクスの苦悩がわかります。いまさら取り返しがつきません。
自分で資本論を完成させるつもりで、学問の体系構成の方法と併せて考え抜いたら誰にでもわかることかもしれませんね。いや、ほとんどの経済学者にはわからない、いままでわからなかった。簡単なことなのですがね。
学問で一番大事なことの一つは、問題を提起することです。
マルクスは資本論第一巻を公刊してから、15年間なぜ第2巻を書かなかったのか?
この事実に答えを見出した経済学者は他にはいません。マルクスを信奉している人たちにはショッキングなことです。
①問題提起⇒②仮説&推論⇒③検証
ちゃんとなされています。
①マルクスはなぜ資本論第二巻を出版しなかったのか
②ヘーゲル弁証法で破綻したと同時に資本論では新しい経済社会のモデルが描けないことに気がついてしまった
③市場関係でヘーゲル弁証法の2項第立図式が崩れること、新しい経済社会モデルを資本論出版後の15年間模索し続けたこと。

「科学の方法」とい語彙に誤解があるようです。わたしの言う「科学の方法」とは「学問の方法」のことです。西欧の言葉ではこれら二つの日本語の語源は一緒です。英語ではscience、ドイツ語ではWissenshaftです。
その最古のものはユークリッド『原論』、かの演繹手体系モデルです。デカルトも『方法序説』で「科学の方法、四つの規則」で言及しています。

by ebisu (2023-02-28 11:13) 

ebisu

<トシ>
デカルトが「科学の方法 四つの規則」に言及していますが、これはユークリッド『原論』の公理的体系構成そのものです。
プルードンはフランス人ですから、当然デカルトの著作は読んでいます。彼はこれを「系列の弁証法」と呼んでいますが、ヘーゲル弁証法とはまるで違っています。2項対立図式ではないのです。公理的な体系構成なのです。マルクスはプルードンから体系構成の方法をいただいたと思っています。彼が知っていたのはヘーゲル弁証法でした。自分の知っているものに読み替えが起きたのです。それが重大な誤りでした。
デカルトは哲学者であると同時に、物理学者でもあり、数学者でもあった。関数のxy座標はあれはデカルト座標とも言います。デカルトの創案です。

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<デカルト 科学の四つの規則>
まだ若かった頃(ラ・フェーレシュ学院時代)、哲学の諸部門のうちでは論理学を、数学のうちでは幾何学者の解析と代数を、少し熱心に学んだ。この三つの技術ないし学問は、わたしの計画にきっと何か力を与えてくれると思われたのだ。しかし、それらを検討して次のことに気がついた。ます論理学は、その三段論法も他の大部分の教則も、道のことを学ぶのに役立つのではなく、むしろ、既知のことを他人に説明したり、そればかりか、ルルスの術のように、知らないことを何の判断も加えず語るのに役立つだけだ。実際、論理学は、いかにも真実で有益なたくさんの規則を含んではいるが、なかには有害だったり、余計だったりするものが多くまじっていて、それらを選り分けるのは、まだ、下削りもしていない大理石の塊からダイアナやミネルヴァの像を彫り出すのと同じくらい難しい。次に古代人の解析と現代人の代数は、両者とも、ひどく抽象的で何の役にも立たないことだけに用いられている。そのうえ解析はつねに図形の考に縛りつけられているので、知性を働かせると、想像力をひどく疲れさせてしまう。そして代数では、ある種の規則とある種の記号にやたらとらわれてきたので、精神を培う学問どころか、かえって、精神を混乱に陥れる、錯雑で不明瞭な術になってしまった。以上の理由でわたしは、この三つの学問(代数学・幾何学・論理学)の長所を含みながら、その欠点を免れている何か他の方法を探究しなければと考えた。法律の数がやたらに多いと、しばしば悪徳に口実を与えるので、国家は、ごくわずかの法律が遵守されるときのほうがずっとよく統治される。同じように、論理学を構成しているおびただしい規則の代わりに、一度たりともそれから外れまいという、堅い不変の決心をするなら、次の四つの規則で十分だと信じた。 第一は、わたしが明証的に真であると認めるのでなければ、どんなことも真として受け入れないことだった。言い換えれば、注意ぶかく速断と偏見を避けること、そして疑いをさしはさむ余地のまったくないほど明晰かつ判明に精神に現れるもの以外は、なにもわたしの判断の中に含めないこと。 第二は、わたしが検討する難問の一つ一つを、できるだけ多くの、しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること。 第三に、わたしの思考を順序に従って導くこと。そこでは、もっとも単純でもっとも認識しやすいものから始めて、少しずつ、階段を昇るようにして、もっとも複雑なものの認識まで昇っていき、自然のままでは互いに前後の順序がつかないものの間にさえも順序を想定して進むこと。
 そして最後は、すべての場合に、完全な枚挙と全体にわたる見直しをして、なにも見落とさなかったと確信すること。
 きわめて単純で容易な、推論の長い連鎖は、幾何学者たちがつねづね用いてどんなに難しい証明も完成する。それはわたしたちに次のことを思い描く機会をあたえてくれた。人間が認識しうるすべてのことがらは、同じやり方でつながり合っている、真でないいかなるものも真として受け入れることなく、一つのことから他のことを演繹するのに必要な順序をつねに守りさえすれば、どんなに遠く離れたものにも結局は到達できるし、どんなにはなれたものでも発見できる、と。それに、どれから始めるべきかを探すのに、わたしはたいして苦労しなかった。もっとも単純で、もっとも認識しやすいものから始めるべきだとすでに知っていたからだ。そしてそれまで学問で真理を探究してきたすべての人々のうちで、何らかの証明(つまり、いくつかの確実で明証的な論拠)を見出したのは数学者だけであったことを考えて、わたしはこれらの数学者が検討したのと同じ問題から始めるべきだと少しも疑わなかった。
  デカルト『方法序説』 p.27(ワイド版岩波文庫180) *重要な語と文章は、要点を見やすくするため四角い枠で囲むかアンダーラインを引いた。
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 デカルト流に言うと、マルクスは資本家的生産様式の社会の富は商品集積として現れることから、もっとも単純なものとしてその体系の端緒に商品を措定しました。デカルトの「科学の方法」「第三の規則」と一緒です。それが「価値表現の関係」⇒「交換関係」⇒「生産過程」と階段を上って複雑なものになっていきます。マルクスはそこで行き詰まってしまった。「市場関係」では価値と使用価値の二項対立図式では描けないことがわかってしまったとうのがわたしの推論です。

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<トシ>
わたしは、20代後半に資本論と経済学批判要綱を読んで、学問の方法としてマルクスが選んだヘーゲル弁証法の破綻を確信しました。確信すると同時に、公理的な演繹体系に書き直してみようと思いました。
それで出来上がった姿を想像したのです。そこで気がつきました。資本家的生産様式の支配する経済を分析しても、あたらしい経済社会のモデルは創れないことを。必要なのは新しい経済社会モデルにあることがわかりました。
それで、大学に残ることをやめたのです。自分の身体で体験してみないとつかめないと思ったからです。
資本論第一巻出版後に、マルクスがわたしと同じことを15年間考えていたことは、MEGA版のマルクスの遺稿で明らかです。
わたしの推論は正しかった。MEGA版でマルクスはコモンやアソシエーションという概念を使って、新しい経済社会のモデルを創ろうとしていました。
わたしはMEGA版は読んでませんが、わたしの推測通りのことがMEGA版に書かれていることは、斎藤幸平さんの『人新世の「資本論」』で明らかです。
わたしの仮説と推論はみごとに検証されたということですよ。
話は春闘そして賃上げの問題でしたね。
民間企業であろうと、国営企業であろうと、協同組合であろうと、そこに起業という組織がある限り、経営という問題は避けて通れないのです。
「労働者」の国家ができて、だれが国営企業のマネジメントをやるのですか?
労働組合が、具体的な経営改革を提案し、それを実行しなければ、給与の劇的なアップなど夢のまた夢。
いつまで、経営に背を向けているのか、MEGA版のマルクスが泣いています。
せめて労組の幹部くらいは『資本論第一巻』を読み、その後のマルクスが何を悩み苦しんだのかを学ぶべきではないでしょうか?
若い労働組合員が一切の先入見なしにまっさらな気持ちで、読んでもらいたいと思います。

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<ヒッカ>
トシ さんのおっしゃりたいことがよくわかりました。正直なところ、私自身トシさんの学問レベルでの討論に参加するには、力量や経験から言ってもは、力不足です。斉藤幸平さんのいう「コモン」や「アソシエーション」も、私自身の知識と力量でしか捉えられることしかできません。今のところ、もう少し知りたい、今後の私自身の生き方にプラスになるヒントがえられるかもしれないという程度です。「学問としての経済学」がどうのこうのではないのです。賃金労働者が自分の置かれて状況に不満を感じて、どうすればそれを解消できるかを考えるときの選択肢は、たくさんあるようで多くはないです。上司や同僚をみて自分はどのように”損をせずに、うまく生き抜いていくか”は誰しもが考えます。自発的に労働組合員にならない人の方が圧倒的に多いと思います。組合員の中でも役員や活動家になるのも、まわりの人間関係が大きく影響します。「学ぶ必要がある」と自覚するまでにも、環境や時間がかかります。「あいつは、組合のほうに一生懸命だ」と言われるだけでも、肩身が狭くなったり、「仕事ができないのに文句ばかり言っている人間だ」と思われたくないと考えたりします。ましてや「組合やってと、マルクスだかレーニンだか言い出すような奴が出てくる」と職場での上司の声も聞こえるし、選挙活動に関われば、近所のオジさんからは、「○○ちゃんは共産党なのか?」と親や家族イヤミが言われたりします。労働組合を踏み台にして、「自分の出世や権威の誇示に利用したな」と思う人間にはイヤというほど見てきました。何度か「寝首を掻く」ような人間にも遭遇し、うつ病で出勤もできなくなることもありました。共産党でも、社会党でも「資本論」を読みだす人はそれなりの人間関係を必要とします。「マルクスは間違っている」という非難の声が響くような(それなりの職場・環境にある人)に、「資本論」の一冊でも読んでからモノ言えとは言えません。(自分でしっかり勉強して、その間違いに気づけとは、何のため?となるからです)トシさんご自身に、未解決なことがあるのなら、これからは、然るべき場所での発表や研究も必要なのかもしれませんね。大変失礼なことを続けてしまいました。お許しください。

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<トシ>
わたしはヒッカさんとの対話を愉しんでいました。失礼なことなど何もありません。あるのは辛抱強く付き合ってくれたことへの感謝だけです。どうもありがとうございます。


by ebisu (2023-02-28 11:16) 

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