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#4859 Lesson14: The Flight from Conversation Oct.27, 2022 [49.2 PROMINENCE Ⅲ]

 PROMINENCE Ⅲ Lesson 14: 1024 wotds
 PROMINENCE Ⅲの各章全部を和訳したサイトを見つけました。「和訳するぞう」というタイトルのサイトです。全部の章をアップしてあります。訳文だけで解説はありませんが、いろんな読み方があり得るので、高校生のみなさんは読み比べて勉強してください。きっと役に立ちます。
 あと2章で終わりですね。ところで、根室高校3年生はいま第10章をやっています。

*** The Flight from Conversation ***
 ああ、会話は出発点なのだ、そこからどこへ飛んでいくのだろう、このタイトルを見てそう思った。目的地は読んでのお楽しみ。最後まで読んでくださいということ。

1. We live in a technological universe in which we are always communicating.  And yet we have sacrified conversation for mere connection.

●yet:けれども、しかし
 接続詞のyetはときどき出てくるので、覚えておきましょう。使われるのは現在完了形だけではないのです。接続詞のときは、文頭の方で使われます。

「わたしたちはいつでもコミュニケーションしているそ、ういう科学技術の世界の住人である。 だが、ネットを媒介にしてつながっているだけで、(生の)会話がぎせいになっている。」

2. Over the past fifteen years, I have studied the technologies of movile connection and talked to hundreds of people of all ages and circumstances about their plugged-in lives.  I have learned that the little devices most of us carry around are so powerful that they change not only what we do, but also who we are.

「15年以上にわたって、わたしはモバイル接続の技術を学び、あらゆる年代や境遇の数百人と四六時中ネット接続している生活について話を聞いた。 わたしたちが持ち歩いている小さな機器がとてもパワフルなので、何をすべきかだけではなく、わたしたちが何者であるかすら(小さなモバイル機器が)変えてしまう。」

 持ち歩いている小さなモバイル機器をわたしたちは使っているつもりだが、実は機器に使われているのであり、その小さな機器がわたしたちが何をすべきかだけでなく、わたしたちが何者であるかまで変えてしまっている。
 たとえば、わたしの場合で言うと、ニムオロ塾というブログに書き込み、発信するということは、この小さなパソコンがなければできないし、FBだって同じことだ。ネット接続することでやること自体が決まってくる。いままで、つまりネット接続がなかった時代にはやり得なかったこと、学力問題や経済学や地域医療問題などについてブログによる情報発信をやっているのである。問題はそれだけにとどまらぬ。不特定多数の人が、アップされたコンテンツを読むことで、ニムオロ塾の管理者が何者であるかを判断してしまうということ、実際には会ったことも話したこともないのにである。実際に会ったことのある人のイメージと、ネットにアップしたコンテンツを読んだいるだけの人では、印象が違っていてあたりまえだ。ブログはいろんなことを忖度しないで書くことにしている。あえてそうしているのである。サリーさんが「会って話したら、ぜんぜんちがうのに...」なんて言ってたことがあった。ブログを読んで「どんな奴だろう?」と好奇心がわいて遠いところから会いに来られた方が何人かいらっしゃる。いままでにブログで知り合った数人の方が、遠路はるばる根室まで来てくれました。感謝申し上げます。

3. We have become accustomed to a new way of being "alone together."  Technology-enabled, we are able to be with one another, wherever we are.  However, we can end up hiding from one another, even through we are constantly connected to one another.

「わたしたちは”一人ぼっちで一緒”というあたらしいやりかたに慣れている。 科学技術を使用することによって、わたしたちはどこに居ようがお互いに一緒にいられる。それにもかかわらず、わたしたちはお互いに隠れたままでいられる、お互いに繰り返し接続していてさえも。」

●Technology-enabled:~-enabledは「コンピュータ接続の」「接続可能な」、要するに「インターネット対応」ということ。文頭に来ている句が主語でなければ副詞句だから、後に来る文との関係から理由を導く句だと理解しよう。
 例:Java logging-enabled:ジャバのログの使用
      a MIDI-enabled instrument:MIDI対応機器

4. At home, families sit together, texting and reading e-mail.  Walking through a college library or the campus of a high-tech start-up, one sees the same thing : we are together, but each of us is in our own bubble, furiously connected to keyboards and tiny touch screens.  A businessman sadly says that he no longer has colleagues at work because they are too busy with their e-mail to have a conversation.  In the silence of the connection, people are comforted by being in touch with a lot of people: not too close, not too far, just right.

●text:メールを送る  I texted a photo to her.(彼女に写真をメールした)

●bubble:2. a structure that is round like a bubble
 物理的な狭い空間を指すのか、それとも心理的な狭い空間を意味しているのか、どちらにでも受け取れますね。オフィスワーカーのスタイルは、それぞれが自分のシマをもって仕事してます。自分のテリトリーの範囲をバブルと言えそうです。管理職になるとちゃんとした部屋と職位によっては秘書がつきます、部長クラスかな。たいてい、ガラスで仕切られているだけで、中が丸見え、中にいる管理職からも自分の部下が丸見えです。そうでないとマネジメントできませんから。心理的な空間を表しているととるなら、周りの同僚からは意識としては遮断した空間を想定していることになります。
●furiously:怒り狂って、猛烈に
 「furiously connected keyboard and tiny touch screen」とは具体的にはどういう状態なのか?
 キーボードに「猛烈に」つながれている状態とは、高速でタイピングしてる姿がイメージできますね。「小さなタッチスクリーン」となっているのでことらはスマホ。スマホにキーボードはついてませんね。スクリーンの下側に表示されているキーでしょうか。猛烈な勢いでフリックス入力しているのでしょう。ここは意訳します。
●have a conversation:会話する

「家で、家族が一緒の部屋で座って、それぞれがメールを送たり、読んだりしている。 大学の図書館やハイテクの急成長企業のある校内を歩いて通り抜けるとき、人は同じものを見ている:わたしたちは一緒でも、それぞれが自分を包み込む泡の中(あるいは自分の机の周りの狭い空間)にいて、スマホを手にして猛烈な速さでフリックス入力している。 ビジネスマンは悲しげに次のように言う。仕事仲間はそれぞれが誰かとeメールで会話して忙しすぎて、もう職場で仲間と呼べる人はいない。 リアルな会話がなければ、たくさんの人と連絡ができて、心が安らぐ。」

 スマホがなかった時代には、5時半過ぎたら、仕事仲間の誰か、同じ部門だったり、別の部門の人からだったり、声がかかり、よく飲みに行ったものです。「飲みニケーション」なんて言ってました。それが、いまではネットの世界に友人ができて、早々に家に帰ってLineのチェック、ツィッター、FBなどのチェックと返信作業に忙しいのです。毎日百本以上のメールやツィッターを読んでいる人はざらにいるでしょう。「既読」にしないと文句言う人がたまにはいるようですね、わたしはスマホ使っていないのでそうした被害はありません。
 ネット接続を介した人間の付き合いが果てしなく増殖して、人と人との生身のお付き合いが次第に希薄になっているように見えます。ネットでメールをやり取りしている人のほとんどは、関係が薄くて、直接会って会話することはないので、「無言の関係 in silence of connection」になるのです。バーチャルな世界での疑似会話があるだけで、「in silence of connection=リアルな会話」がないということ。

5. Texting, e-mailing, and posting let us present the self we want to be.  This is because we can edit or delete at the touch of our finger tips.  We can even retouch: the voice, the skin, the face, the body.  Not too much, not to little --- just right.

●retouch:<メイクなどで>手を加える、修正する

「テキストメッセージ、eメール、投稿はなりたいと思う自分を登場させる。 それは指先のタッチで、編集・削除ができるからだ。 修正すらも可能である:声、肌、顔、体つき。 やり過ぎず、やり足らなく、ほどよいところで。」

 FBが何やら名前を変えて、アバターでネットを介してやり取りするようになってきてます。どういうタイプのアバターを選ぶかはユーザー次第です。どんな姿形にもなれます。性別すら、なりすましもできます。何でもありですが、「やり過ぎず、やり足らなくでもなく、ほどほどに」ということでしょうね。

6. Human relationships are complex: they are messy and demanding.  We have learned to clean them up with technology.  And the move from conversation to connection is part of this.  But it is a process in which we fool ourselves.  Worse, it seems that ①over time we stop caring and forget that there is a difference between an online connection and a rial conversation.


●① 二つの文から成っている。
 (1) we stop caring that there is a difference between an online connection and a real convesation over time.
 (2) we forget that there is a difference between an online connection and a rial conversation over time.


●messy:汚い
●demanding:adj 骨の折れる、きつい
●① over time we stop caring~ ⇒Adv.+S+V
 文頭副詞の文である。over timeの定位置は文末だが、それを文頭に持って来れば、「指定ルール:指定は前に置く」に従う。副詞句に後続する文全体が、「長い時間にわたって起きていること」になる。


「人間関係は複雑だ:人間関係は汚く、骨が折れるものだ。 わたしたちはそうした人間関係を科学技術できれいさっぱり片付けられることを知った。 人間同士の直の会話からネット接続への移行はそうしたことの一部である。 しかし、この過程は自分自身を欺くものである。 悪いことに、オンライン接続と実際の会話の間に違いがあることを気にしなくなり、忘れてしまう。」

7. During the years ①I have spent researching people and their relationships with technology, I have often heard them say, "No one is listen to me."  I believe this feeling helps explain why it is so appealing to have a Facebook page or a Twitter feed --- each provides so many automatic listeners.  And it helps explain why --- against all reason --- so many of us are willing to talk to machines that seem to care about us.

●① どこで区切るのがいいのか迷う文である。何通りかの解釈の余地がありそうだ。
(1) I have spent researching people.
(2) I have spent researching their relations with technology.
(3) I have spent reaseaching [people and their relations] with technology.
 (3)は"their relations"が"with tecnology"とセットでないと意味を持たないので。(3)は棄却した。

「人間そのものと、機械と共存する人間の関係についてわたしが研究していた数年間に、”誰もわたしの話を聞いてくれない”というのをしばしば耳にした。(誰も自分が言うことを聞いてくれないという)この感覚はFBのページやツィッターのフィードをもつことが、なぜ(他人へ)アッピールとなるのかということを説明するのに役に立つ。FBのページもツィッターのフィードも、自動的にたくさんの読者を提供してくれる。わたしたちが自分に関心をもってくれるように思える機械と喜んで話をするということを説明するのにも役に立つ。」

8. One of the most unforgettable experiences during my research came when I bought a robot, designed in the shape of an animal baby, to a nursing home, and an older woman began to talk to it about the loss of her child.  The robot seem to be looking into her eyes.  It seem to be following the conversation.  The woman was comforted.

●follow~:~の後をついていく、~を続ける


「研究をしている間の忘れられない経験の一つは介護施設へロボットを購入したときのことだ。動物の赤ちゃんの形にデザインされたロボットだった。お年寄りの女性が亡くした自分の子どもについて、姿かたちを動物の赤ちゃんに似せたロボットに話し始めたのだ。 そのロボットはおばあさんの目を覗き込んでいるように思われた。 会話は続けられたようで、おばあさんは慰められた。」

9. And so many people found this amazing.  This enthusiasm speaks to how much we have confused conversation with connection.  But why would we want to talk about love and loss with a machine that has no experience of human life?  Have we lost confidence that we will be there for one another?

「そしてたくさんの人がこのことに驚いた。この驚き(enthusiam)は会話と接続をわたしたちがどれほど混同しているかを物語っている。 しかし、なぜわたしたちは愛と喪失について、人間の生活を経験したことのないマシンと話したがるのだろう? 人はお互いのためにそこにいるという信頼を失ってしまっているのだろうか? 」

●enthusiasm:熱狂 ⇒「驚き」と訳出しておいた。"this enthusiasm"は形から見ても、直前の"this amazing"の言い換えだから。名詞の代替表現はキーワードでよく行われます。英語と親戚関係にあるドイツ語でもよく出てきます。キーワードに使われるケースが多いので、文章を読む際には代替表現に気がつくと読みやすくなります。同じ語彙を繰り返し使うのは、みっともなく見えます、語彙力が貧弱と判断されるからでしょう。文章が単調になるということもあるでしょうね。
●confuse A with B:AとBを混同する
●confidence:信頼、自信

<コメント>
「会話とコネクション(接続)を混同している」というのはどういうことなのか?たとえば、直接会ってする話と、インターネットを介して話をするということ、あるいはAIへ人間が接続して話をするという状況が考えられる。生の相手の顔が見える距離で話をするのと、ネットを介してする話はかなり違っているというのが、筆者のご意見のようです。ほんとうにそうなのかな?人は誰かに自分の話を聞いてほしい存在かもしれません。AI相手に話すのが面倒がなくていいのかも。

10. We expect more from technology and less from one another, and seem increasingly drawn to technologies that provide the illusion of companionship without demands of relationship.  Always- on/always-on-you devices provide three powerful fantasies: that we will always be heard; that we can forcus our attention on whatever we want to; and that we never have to be alone.  Indeed our new devices have turned being alone into a problem that can be solved. 

「わたしたちは科学技術からさらに多くを期待し、お互いの存在からはより小さいものを期待している。直接的な人と人との関係を欠いた仲間つきあいという幻想を提供する科学技術にますますます魅せられているように思える。 常時接続/常時人とつながっている機器は三つの強力なファンタジーを提供している。 
1.わたしたちがいつでも(読者に)聞かれているということ;
2. わたしたちがしたいと思うことに関しては何でも注意を集中できる;
3. わたしたちは決して一人でいる必要はない。
実際には、新しい機器は解決しうる問題に対して、一人でいるように仕向ける。」

●demands: the thing thats need to be done in a particular situation.
 (特定の状況下でなす必要のあること)
●2番目の条項は具体的にはどういうことを言っているのか、具体例を挙げて考えてみてください。

11. When people are alone, even for a few moment, they become restless and reach for a device.  Here, connection works like a symptom, not a cure, our constant impulse to connect shapes a new way of being.

「一人でいるときには、ほんのちょっとでも、落ち着かなくなり機器に手を伸ばす。 ここでは接続が病気の症状の様相を呈している。 治療ではなく、接続への絶えざる衝動が新しい存在様式を形成する。」

●restless:adj 落ち着かない、(同じ場所に)満足できない
our constant impaulse to connect shapes a new way of being. ⇒S+V+O
●work:働く、機能する⇒病気の症状にたとえているので、「様相を呈している」と訳しておきました。

<コメント>
 人間はもう以前の人間ではない。モバイル機器をネット接続し、便利すぎてその機器につながれてしか、生きられない存在になってきている。多くの人間がすでにネット接続を黙殺できない状態にある。1990年代後半だったかな、池袋の東武デパート側の広場の環状の椅子に座って、高校生や大学生が数人で携帯でメールを打っていた。友人同士なのに話もしないでそれぞれが携帯を介してその場にはいない誰かとメールのやり取りをしていた。異様な光景だとそのときは思った。いまでは、ラインでやり取りした情報をネタに友人どうして盛り上がっている。生の会話は二十数年前よりも失われているということはないようだ。行き過ぎれば、自然に使い方が変わるのだろう。

12. Think of it as "I share, therfore I am."   We use technology to define ourselves by sharing our thoughts and feeling as we are having them.  We used to think, "I have a feeling; I want to make a call."  Now our impules is, "I want to have a feeling; I need to send a text."

「我共有す、ゆえに我在り」という風に考えよ。 今もっている考え方やフィーリングを分かち合うことで、自分自身を定義するために科学技術を使っている。 わたしたちは、かつては「電話をしたくなりそうな気がする」とよく考えたものだが、今や衝動的に「メッセージを送りたくなる」のである。」

I have a feeling today is going to be a good day.(今日はいい日になりそうな気がする

<コメント>
 最後のところはなぜこんな訳文にしたのか説明しておきたい。文脈から、ロジカルに攻めてみるしかなさそうだ。「かつてはよく電話を掛けたいという気持ちになった」、ではいまは?ネットを介して衝動的に情報発信したくなるということ。メッセージを送る必要があるとそんな気分に四六時中なっているということ。レストランで何か食べると、インスタグラムに料理をアップしたくなる。それは衝動的な欲求である。何か本を読んだら、その内容をかいつまんでFBにアップしたくなる。時事問題にブログでコメントしたくなる。不特定多数への情報発信をしたくなるのである。人は誰かに話を聞いてほしいのだ。わたしもそういう一人である。2007年から15年間で4859本アップしている、500頁の文庫本に換算して30冊ほどにはなっているだろう。重複して角度を少し変えただけのトピックスも多い。

<コメント-2>
 「わたしはメッセージを送るという気持ちをもつことを願う」というように、英語の単語に辞書記載の日本語を貼り付けただけの和訳は避けたい。この日本語を読んで何を言っているかわかる人はほとんどいないだろうからだ。こういう箇所には高校生にもわかるような解説を付けたいと思う。なかなかしんどいことはお分かりいただけただろう。
 ところで、大学3年生の時に、1年間時事英語を受講しました。毎日新聞の英字新聞の社説をテキストにした授業でした。土曜日の授業だったので、前日の社説を毎回使っていました。外国為替が固定相場制から変動相場制に切り替わった時期だったので、経済・金融関係が多かった。ある時「foreign exchage rate」という用語が出てきて、「外国交換比率」と先生が訳された。それで手を挙げて質問しました。「先生、外国交換比率って何ですか?」、答えられなかった。経済関係の周辺知識を持ち合わせていなかったのだ。そりゃ無理です。「外国為替相場ですよ、経済用語です」、ところがその後も専門用語のミスが続発した。
 そんな経験があるので、訳文を書いてみて、意味が解らなければ、基本的にはこちらにどこか理解不足のところがあると思って、調べるようにしている。人にものを教えるということは、自分が謙虚に学ぶことでもある。そういうことを高校生や大学生諸君、そして社会人のみなさんに伝えたくて、今この瞬間もブログをせっせと書いている。
 でも、わからないことはたくさんある。そのときはそう書けばいい。モクロ―さんのように教えてくれる人が出てきます。ありがたい。次の文もしんどい英文のようです。まるで謎々。

13. So, ①in order to feel more, and to feel more like ourselves, we connect.  But in our rush to connect, ②we escape from solititude, our ability to separete and gather ourselves.  Lacking the capacity for solititude, we turn to other people, but do not experience them as they are.  It is as though we use them, as spare parts to support our increasingly fragile selves.

●① 通常の語順に書き直してみます。文頭副詞の文になっていますので。
 We connect in order to feel more, and to feel more like ourselves.
  feelを「気づく」と訳してみます。
「さらにたくさんのことに気づくために、そして自分自身のようにもっと多くのことに気づくために」
 ???さっぱり、わかりませんね、困りました。
 likeを辞書で引いたら、"more like=正確には...だ"という訳語が載っていました。ああ、助かった。(笑)
「さらにたくさんのことに気がつくために、性格に言えば自分自身を正確にかんじるために、ネットへ接続している」

●solitude:<誰にも煩わされずに>一人でいること、独居、孤独
●② 二つの文に分解してみます。
a1: We escape from solitude.
a2: We escape from our ability to be separate and gather ourselves.
 「離合集散の能力から逃げている」というのは説明が必要です。どうしてこんなにわかりにくい英文を書くのでしょう。separateは形容詞、gatherは他動詞ですから、a2はさらに2文、b1とb2に分解できます。
b1: We escape from our ablity to be separate.
b2: We escape from our ability to gather ourselves.
 わたしたちは「一人になる能力」や「ともに集まる能力」がありました。それが、インターネットが普及して当初は、パソコン、あるいはミニコンでしたから、使いこなせる人はプロフェッショナル、専門家以外は滅多に使える人がいませんでした。それがパソコンが強力になった1990年代前半に、急速に普及していきます。90何代半ばには、大企業では一人1台、管理職は会社支給の携帯電話をもたされるようになります。その後、2010年代になりスマホが中高生まで浸透してきます。そこで劇的に状況が変わってしまいました。大人も子供も、ネットへ依存した生活スタイルが定着してきます。会社から帰ってきて書斎にこもれば、孤独になれましたが、いまではほとんどの人が家に帰って来てから、LINEやFBやインスタグラムでネットを介して情報発信をし、Social Mediaから情報を受け取っています。ネットの劇的な普及とともに「孤独」な世界は失われました。ヴァーチャル空間でいつでも好きな時に、ネットの向こう側にいる人たちと「つながる」ことができるのです。同時に、仕事が終わって毎週のように仕事仲間と酒を飲みながらコミュニケーションする、ときに上司の悪口を大声でいい、仕事の悩みや相談をし、趣味の話にわいわいがやがや、なんていう「集い」の機会が激減したのです。
 この文はそういうことをいっているのでしょう。

 インターネットが普及していなかった時代はもう30年以上も前になります。1980年頃、三菱電機からA4判の文書が縦に全面表示できるワードプロセッサーの出たのが、その頃です。200万円もしました。78年に出た初めてのワープロは東芝製で400万円しました。
 1978年にHP社のプログラマブル。キャリキュレータで会社の経営分析で統計計算をするために逆ポーランド方式のプログラミング言語を1週間でマスターして仕事でガンガン使いました。システム開発関係の専門書も片っ端から読んでました、5年間で30冊ほど。その次の年は、会社に入っていた三菱電機のオフコンのプログラミング言語COOLをマスターして仕事で使っています。12ケタの数字から成るプログラミング言語でした。3ケタのオペコードと3ケタx3のオペランドでできてました。1980年には新しく導入した三菱電機の汎用小型コンピュータの言語PROGRESSⅡを三日間の講習に行かせてもらいマスター、これが初めてのコンパイラー言語でした。全部仕事で使っていたので、ありがたかった。コンピュータの威力を身をもって知りました。この産業用エレクトロニクス輸入商社にいた6年の間に、経営改善のためのシステムをいくつか設計したので、システム開発設計についても専門書で学び、すぐに実際に使ってみてました。経営統合システム開発中にオーナー社長と意見がぶつかり転職。1984年1月末で退職して、翌日から最大手の臨床検査会社SRLへ勤務、経理部に所属して臨床検査業界初の経営統合システム開発を担当してます。富士通製の国内最大の汎用大型コンピュータを使った開発でした。予算も10倍以上。
 仕事があれば、スキルは磨けるし、経験も積めます。若いうちは来るもの拒まず、たくさん専門書を読み吸収して、どんどん仕事して経験を積んだらいい。明日は明日の風が吹きます。天はどこかで、そんなあなたをじっと見ています。(笑)

 横道にそれて、訳を書くのを忘れそうになりました。(笑)

「それゆえ、より多くのことに気づくために、ほんとうの自分自身に気づくために、わたしたちはインターネットへネットへ接続する。しかし、一斉に接続するので、わたしたちは孤独から逃避し、わたしたち自身が離合集散できるのだという能力も使わなくなる。 孤独に耐える能力がなければ、おのずと関心は他の人へと向かうことになるが、ネットの向こう側に存在する人たちと快・不快の感情を共に経験することはない。」

●experienceは配置の場所から判断すると動詞として使われています。動詞のexperienceを辞書で引くと、
 experience:<人・物が><困難・出来事状況など>を経験する。⇒GENIUS5版より
 experience:<verb> 1. If you experience a ploblem or situation, you have that problem pr are in that situation: ⇒"MacmillanEnglish Dictionary for Advanced Learners"より
  2. to feel an emotion or physical feeling:  It was most wonderful feeling she had ever experienced.
(感情や身体的な感覚を感じること)(彼女はいままでこんなに感じたことはなかった)

14. We think constant connection will make us feel less lonely.  The opposite is true.  If we are unable to be alone, we are far more likely to be lonly.  If we do not teach our children to be alone, they will know only how to be lonely.

「常時接続が一人ぼっちを感じさせづらくしていると、わたしたちは考えている。 逆もまた真である。 一人でいることが叶わなければ、ますます一人になりたくなる。 子どもたちに一人でいることを教えなかったら、子どもたちはどうしたら一人になれるかだけを知ることになる。」

●筆者は何がいいたいのでしょう、最後の文はここだけでは論理的に理解不能です。そういう時は読み進むこと。次の段落で具体的に書いてある場合が多い。
 一人になって、ネットにつながったスマホで一日中時間を潰すことになります、一人でいれば誰にも邪魔されませんからね。実際にはバーチャルな世界で不特定の他の人たちとつながり、現実のつながり、人間関係ははますます希薄になります。そういう先には何が待っているのでしょう?

15. I am a strong supporter of conversation.  To make room for it, I need to take some steps.  At home, we can create scared spaces: the kitchen, the dining room.  We can make our cars "device-free zones."  We can demonstrate the value of conversation to our children.  We can do the same thing at work as well.  ①There we were so busy communicating that we often do not have time to talk to one another about what really matters.  Employees asked for casual talk to one another about what really matters.  Employees asked casualFridays; perhaps manegers should introduce conversatinal Thursdays.  Most of all, we need to remember --- in between texts and e-mails and Facebook posts --- to listen to one another, even to be boring bits, because it is often in unedited moments, moments in which we hesitate and stutter and go sient, that we reveal ourselves to one another.  

●room:〔…の/...する〕余地、機会、可能性
●scared spaces:恐怖の空間⇒面白い表現ですね。モバイル機器から離されたら、それ自体が恐怖なのです。
●busy:忙しい、③にぎやかな、ごった返した⇒「忙しい」では訳文が日本語としてピンときません。
●① 慣用句のthere we wereかとも思ったが、そうではなさげ。thereは副詞で、so~that構文。
●stutter:<最初の子音で>つまる、どもる

「わたしは会話の強力なサポータである。 サポートする可能性をひねり出すために、いくつかの段階を踏む。 家でなら、恐怖の空間を創れる:台所、ダイニングルーム。 車には「デバイス・フリーゾーン(スマホ禁止区域)」をつくれる。 そうすることで、子どもたちとの会話の価値を証明することができる。 同様に、仕事で同時に同じ作業ができる。 そこではにぎやかにコミュニケーションしているので、本当に大事なことについてお互いに頻繁に話す時間がない。 雇われているほうはカジュアル・フライデーを求めるから、雇う側は会話する木曜日を導入すべきだ。 ほとんどの人が、---ショートメールやeメールとFB投稿中に---お互の話に傾聴することを覚えておく必要がある、それがちょっと退屈でもね、なぜかというと、お互いに自分の本性が現れるということが、未編集の刹那にはよくあることだから。どういう刹那かというと躊躇したりどもったり、黙り込んだりした瞬間である。」

16. I spend the summer at cottage on Cape Cod, and for decades I have walked the same dunes that Thoreau once walkes.  Not too long ago, people walked with their heads up, looking at the water, the sky, the sand and at one another, talking.  Now they often walk with their heads down, typing.  Even when they are with friends, partners, or children, everyone is on their own device.

dune:砂丘 ⇒『砂の惑星』というシリーズ物のSF小説を想い出した。30歳半ばごろに全巻読んだ。

「コッド岬のコッテージでその夏を過ごし、数十年間、ソローが歩いたのと同じ砂丘を散歩した。しばらくすると、今度は人々は顔を上げて歩き、海や空見ながらながら替わり番こに話しをしている。 いま、人々はしょちゅう頭を垂れて歩き、タイピングしている。 友人やパートナーや子どもたちがいる時でさえ、みんなにそれぞれ自分の機器がある。」

17. So I say, look up at one another, and let us start a conversation.
「だからわたしは言おう、ともに顔を上げようではないか、そして会話をはじめよう。」



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