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#4776「搾取」の理論的根拠は不払い労働と労働価値説(1):マルクスの幻想 July 7, 2022 [98-0マルクス経済学批判]

 「資本家が労働者を搾取」するというのは、資本家が対象化された人間労働の一部を不払いするからだというのが、マルクス『資本論』(1867年)の主張です。もちろん、労働価値説に基づいています。剰余価値学説は労働価値説から派生した理論なのです。
 では、労働価値説が現実に根拠をもたぬ幻想だとしたらどうなるのでしょう?もちろん、剰余価値学説も搾取も幻想になります。
 数回に分けて論じようと思います。

 資本論を構成している論理はヘーゲル(1770-1831年)弁証法です。マルクスの時代に流行った哲学でした。ヘーゲル弁証法は2項対立図式で説明されます。「正・反」の二項対立が一段階アップして「合」にいたります。資本論は価値と使用価値の対立図式で描かれているのです。唯物史観も同じヘーゲル弁証法でできています。ヘーゲル弁証法が現実と一致しないのなら、階級闘争史観である唯物史観も崩れるのです。
 科学の方法論としては、17世紀にデカルトが『方法序説』で諸学をさまざま分析・検討した結果、「科学の方法 四つの規則」に言及しています。マルクスは哲学者でもあり数学者でもあったデカルトをスルーしました。なぜでしょう?
 演繹的な学問体系の最初のものはユークリッド『原論』です。これは数学書です。ギリシアの自然哲学概念をドクター論文の題材としたマルクスは、どうしてギリシア数学のこの『原論』に言及していないのでしょう?学位論文のタイトルは『デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学の差異』となっています。

 マルクスの『数学手稿』を見たらわかります。彼は数学が苦手でした。微分の無限小概念が理解できなかったくらいですから、数学書を読んでも理解できなかった可能性が大きい。おそらくは読まなかった。興味の対象ではなかったのでしょう。
 それで、選択肢が狭まってしまいました。経済学の体系構成の方法はユークリッド『原論』で演繹的体系構成が確立されており、デカルトも『方法序説』で言及していたにもかかわらず、マルクスにはヘーゲル弁証法しかなかった。スタート地点から選択を間違えていたのです。
 ヘーゲル弁証法では、概念的把握は現実性と一致しなければなりません。ヘーゲル弁証法を用いた場合に、労働価値説は現実と一致するかという問題が生じます。マルクスは市場関係で重大な方法的間違いに行きついたのです。大きな暗礁に乗り上げ、無残にも彼の資本論は壊れたのです。予定されていた二巻以降が書けなくなり、その後も経済学研究をつづけるも、資本論第一巻の続編を出版できませんでした。何も事情を知らぬエンゲルスが、マルクスの死後、遺稿を集めて資本論第2巻と第三巻を出版してしまいました。マルクスは泉下で臍(ほぞ)を噛んでいるでしょう。
 労働価値説は案外もろいものなのです。次回書くことになりますが、市場関係で二項対立図式を論理展開するときに破綻すると同時に現実と一致しません。生産関係(生産過程論)までは破綻せずにすみました。

 平面座標(デカルト座標)で有名なデカルト(1596-1650)が科学の方の方法について、いろいろ分析した結果の結論が、『方法序説』「科学の方法 四つの規則」としてまとめられています。ユークリッド『原論』と同じ理由でマルクスはおそらく読んでいませんね。
 デカルトの「科学の方法 四つの規則」はヘーゲル弁証法とはまったく異なる方法です。でも、資本論の論理展開と類似しているところもあります。ああ、デカルトは「我思ふゆえに我在り」で有名な哲学者でもありました。
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<デカルト 科学の四つの規則>
まだ若かった頃(ラ・フェーレシュ学院時代)、哲学の諸部門のうちでは論理学を、数学のうちでは幾何学者の解析と代数を、少し熱心に学んだ。この三つの技術ないし学問は、わたしの計画にきっと何か力を与えてくれると思われたのだ。しかし、それらを検討して次のことに気がついた。ます論理学は、その三段論法も他の大部分の教則も、道のことを学ぶのに役立つのではなく、むしろ、既知のことを他人に説明したり、そればかりか、ルルスの術のように、知らないことを何の判断も加えず語るのに役立つだけだ。実際、論理学は、いかにも真実で有益なたくさんの規則を含んではいるが、なかには有害だったり、余計だったりするものが多くまじっていて、それらを選り分けるのは、まだ、下削りもしていない大理石の塊からダイアナやミネルヴァの像を彫り出すのと同じくらい難しい。次に古代人の解析と現代人の代数は、両者とも、ひどく抽象的で何の役にも立たないことだけに用いられている。そのうえ解析はつねに図形の考に縛りつけられているので、知性を働かせると、想像力をひどく疲れさせてしまう。そして代数では、ある種の規則とある種の記号にやたらとらわれてきたので、精神を培う学問どころか、かえって、精神を混乱に陥れる、錯雑で不明瞭な術になってしまった。以上の理由でわたしは、この三つの学問(代数学・幾何学・論理学)の長所を含みながら、その欠点を免れている何か他の方法を探究しなければと考えた。法律の数がやたらに多いと、しばしば悪徳に口実を与えるので、国家は、ごくわずかの法律が遵守されるときのほうがずっとよく統治される。同じように、論理学を構成しているおびただしい規則の代わりに、一度たりともそれから外れまいという、堅い不変の決心をするなら、次の四つの規則で十分だと信じた 第一は、わたしが明証的に真であると認めるのでなければ、どんなことも真として受け入れないことだった。言い換えれば、注意ぶかく速断と偏見を避けること、そして疑いをさしはさむ余地のまったくないほど明晰かつ判明に精神に現れるもの以外は、なにもわたしの判断の中に含めないこと。 第二は、わたしが検討する難問の一つ一つを、できるだけ多くの、しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること。 第三に、わたしの思考を順序に従って導くこと。そこでは、もっとも単純でもっとも認識しやすいものから始めて、少しずつ、階段を昇るようにして、もっとも複雑なものの認識まで昇っていき、自然のままでは互いに前後の順序がつかないものの間にさえも順序を想定して進むこと。

 そして最後は、すべての場合に、完全な枚挙と全体にわたる見直しをして、なにも見落とさなかったと確信すること。
 きわめて単純で容易な、推論の長い連鎖は、幾何学者たちがつねづね用いてどんなに難しい証明も完成する。それはわたしたちに次のことを思い描く機会をあたえてくれた。人間が認識しうるすべてのことがらは、同じやり方でつながり合っている、真でないいかなるものも真として受け入れることなく、一つのことから他のことを演繹するのに必要な順序をつねに守りさえすれば、どんなに遠く離れたものにも結局は到達できるし、どんなにはなれたものでも発見できる、と。それに、どれから始めるべきかを探すのに、わたしはたいして苦労しなかった。もっとも単純で、もっとも認識しやすいものから始めるべきだとすでに知っていたからだ。そしてそれまで学問で真理を探究してきたすべての人々のうちで、何らかの証明(つまり、いくつかの確実で明証的な論拠)を見出したのは数学者だけであったことを考えて、わたしはこれらの数学者が検討したのと同じ問題から始めるべきだと少しも疑わなかった
  デカルト『方法序説』 p.27(ワイド版岩波文庫180 *重要な語と文章は、要点を見やすくするため四角い枠で囲むかアンダーラインを引いた。

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 デカルト流に言うと、マルクスは資本家的生産様式の社会の富は巨大な商品集積として現れることから、もっとも単純なものとしてその体系の端緒に商品を措定しました。デカルトの「科学の方法」「第三の規則」と一緒です。それが「価値表現の関係」⇒「交換関係」⇒「生産過程」と階段を上って複雑なものになっていきます。マルクスはそこで行き詰まってしまった。「市場関係」では価値と使用価値の二項対立図式では描けないことがわかってしまったとうのがわたしの推論です。
 理由は次回以降で述べたいと思います。

 「#4751 資本論:マルクスの出発点について」

<限界効用学説の出現>
 マルクス(1818-1883年)が資本論第一巻を出版したのが1867年、その後亡くなる1883年まで16年間経済学研究をつづけるも、著作はだしていません。死ぬまで沈黙を続けています。
 その間に限界効用学説が現れ、3人の経済学者が本を書いています。
●カールメンガ― 1840-1921年 『国民経済学原理』1871年
●ウィリアム・スタンレー・ジェボンズ 1835-1892年 『経済学理論』1871年
●レオン・ワルラス 1834-1910年 『純粋経済理論』1874年
 限界効用理論は微分が使われていますから、『数学手稿』から推してマルクスが理解できたとは思えません。沈黙の16年間の間に、限界効用学説に基づく三人の経済学者が現れていますから、彼らの著作を手には取ったでしょうね。マルクスにとってはとどめの一撃だったのかもしれません。体系構成の方法で行き詰まりを自覚した、その後に打開の方法を求めて研究を続けるうちに、数学の素養が足りないばかりに、四則演算のみで微分を理解できなかったことで、計算技術においても資本論が時代遅れであることを悟ってしまった。いまさら間違っていたと言えないし、計算技術においても稚拙であったとは吐露できなかった、そうわたしは思います。

 市倉宏祐教授の「一般教養ゼミ」で資本論第3巻を読んでいた時に、『資本論』には四則演算だけでなぜ微分積分が出てこないのかという素朴な疑問が生じたのです。その理由は後に『数学手稿』を読むことでわかりました。彼は微分積分が理解できない数学の劣等生だったからです。じつに単純な理由でした。


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