#4735 齊藤幸平『人新世の資本論』を読む① April 5, 2022 [96-2.人新世の『資本論』を読む]
<最終更新情報>4/7午前8時50分追記
昨日(4/4)に本屋へ行ったらあったので、『人新世の資本論』購入してきました。著者の齊藤幸平さんはドイツの大学院哲学科で学んだ人。経済思想史までが彼のテリトリーです。経済学の体系については思考が及んでいませんが、これはこれでいいのだろうと思います。
昨日(4/4)に本屋へ行ったらあったので、『人新世の資本論』購入してきました。著者の齊藤幸平さんはドイツの大学院哲学科で学んだ人。経済思想史までが彼のテリトリーです。経済学の体系については思考が及んでいませんが、これはこれでいいのだろうと思います。
資本論第一巻初版を出版(1867年)してから死ぬまでの16年間、マルクスはフランス語版資本論を1872年に出版したのみで、経済学に関する著作を出していません。方法論で破綻したから書けなかったというのがわたしの推論です。
その16年間のマルクスの思索の跡を新MEGA版の研究ノートから追ったのが最近の欧米のマルクス研究です。
齊藤幸平さんのこの著作はわたしの推論を裏付けるものになるかもしれませんね。マルクス自身が資本論の基本部分の破綻に気がついていたというのが、欧米の研究の成果ですから。マルクス自身の手になる『資本論第一巻初版』批判がその後の研究ノートに記されているようです。新MEGA版の研究ノートの類は翻訳がないので、齊藤幸平さんはドイツ留学しなければいけなかった、日本では研究が進んでいません。
大学の図書館に新MEGA版が1975年にありましたね、まだ刊行途中でした。6名しかいなかったので院生は書庫へ自由に出入りできる特権が与えられており、読書できるように書庫の中に大学院経済学研究科の部屋と同じタイプのボックス机が設置してありました。貴重な本も置いてあったので、温度と湿度がコントロールされていました。もっと入り浸って利用すればよかった。(笑)
マルクスは資本論第一巻を書いた後で、それが新しい経済社会を創造するために何に役にも立たぬことが分かった。別の経済学を書かなければいけないことは分かったが、その方法を見つけられずに、「研究ノート」を書き溜め始めた。いまさら自分が書いた『資本論第一巻』が間違いでしたとは言えません。16年間も関係のありそうな文献に目を通し、抜き書きをしてコメントを付して研究ノートを増やしたいったのです。16年間やってもそれらを体系的に取りまとめて著作として公表することは適いませんでした。
わたしは、マルクス『資本論第一巻』の体系構成の研究に見通しがついた20歳代のときに、その体系構成の欠点を補って書き直すことができるかもしれないと、一時期考えましたが、それには何の意味もないことに気がつき、10年間ほど呻吟してました。新しい経済社会を創造するには、別な原理の経済学が必要なのだとわかり、業種を変えて民間企業で仕事して答えを見つけようとしていました。マルクスの言う「労働」概念がわたしの知っている「仕事」という概念と一致しないので、業種を変えて仕事して試してみるしかありませんでした。違和感の正体が何なのかは業種を変えて仕事をしてみることでわかりました。マルクスの経済学の公理には「労働」概念があります。工場労働ですがその淵源は奴隷労働です。日本人は労働ではなくて「仕事」、典型的には職人仕事が「働く」という行為に一番しっくりくる概念です。日本人のほとんどの人は「労働している」のではなくて「仕事している」のです。そうした仕事概念を公理とする経済学体系を創ればいいことがわかりました。そのことはマルクス『資本論』で端緒に措定された抽象的人間労働と対置する仕事概念を体系の端緒に措定することで別の経済学が浮かび上がって来ることを意味しています。
結局、わたしは資本論を書いた後のマルクスと同じ問題に20代後半でぶつかっていたのです。新しい経済学はいままでないものを想像するのですから、大きな社会実験を伴ないます。あらかじめ全体を細部までデザインすることは不可能でした。レーニンも、スターリンも、毛沢東もそうした経済学に関わる根本的な問題が横たわっていることに気づきさえせず、無謀な社会実験に突入してしまいました。絵にかいたような空想的共産主義=一党独裁の抑圧の専制政治経済体制を創り上げてしまった。同胞をシベリア送りにして2000万人粛清したといわれているスターリン、文化大革命で2000万人の中国人民を粛正したといわれている毛沢東、よく似ています。経済体制としての共産主義や社会主義は無知と人間の抑圧の産物です。
ところでマルクスは資本論の中で「資本主義」という用語は使っていません。「資本家的生産様式」という用語を使っています。この用語はそれ以外の生産様式が存在していることを示唆しています。典型的なのはドイツのマイスター制度です、職人仕事をベースとする生産様式ですよ。創業150年を超える日本の老舗企業はほとんど職人仕事をベースとした企業です。日本ではあらゆる仕事が職人仕事に化けてしまいます、文化や伝統や風土やそこで育まれた価値観が関係しているのでしょう。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」も広く受け入れられ、受け継がれてきたビジネス倫理です。目指すべき企業や経営哲学の雛形は足元にずっと昔からあったのです。拡大再生産や利潤至上主義や成長至上主義とは無縁の生産様式です。
その16年間のマルクスの思索の跡を新MEGA版の研究ノートから追ったのが最近の欧米のマルクス研究です。
齊藤幸平さんのこの著作はわたしの推論を裏付けるものになるかもしれませんね。マルクス自身が資本論の基本部分の破綻に気がついていたというのが、欧米の研究の成果ですから。マルクス自身の手になる『資本論第一巻初版』批判がその後の研究ノートに記されているようです。新MEGA版の研究ノートの類は翻訳がないので、齊藤幸平さんはドイツ留学しなければいけなかった、日本では研究が進んでいません。
大学の図書館に新MEGA版が1975年にありましたね、まだ刊行途中でした。6名しかいなかったので院生は書庫へ自由に出入りできる特権が与えられており、読書できるように書庫の中に大学院経済学研究科の部屋と同じタイプのボックス机が設置してありました。貴重な本も置いてあったので、温度と湿度がコントロールされていました。もっと入り浸って利用すればよかった。(笑)
マルクスは資本論第一巻を書いた後で、それが新しい経済社会を創造するために何に役にも立たぬことが分かった。別の経済学を書かなければいけないことは分かったが、その方法を見つけられずに、「研究ノート」を書き溜め始めた。いまさら自分が書いた『資本論第一巻』が間違いでしたとは言えません。16年間も関係のありそうな文献に目を通し、抜き書きをしてコメントを付して研究ノートを増やしたいったのです。16年間やってもそれらを体系的に取りまとめて著作として公表することは適いませんでした。
わたしは、マルクス『資本論第一巻』の体系構成の研究に見通しがついた20歳代のときに、その体系構成の欠点を補って書き直すことができるかもしれないと、一時期考えましたが、それには何の意味もないことに気がつき、10年間ほど呻吟してました。新しい経済社会を創造するには、別な原理の経済学が必要なのだとわかり、業種を変えて民間企業で仕事して答えを見つけようとしていました。マルクスの言う「労働」概念がわたしの知っている「仕事」という概念と一致しないので、業種を変えて仕事して試してみるしかありませんでした。違和感の正体が何なのかは業種を変えて仕事をしてみることでわかりました。マルクスの経済学の公理には「労働」概念があります。工場労働ですがその淵源は奴隷労働です。日本人は労働ではなくて「仕事」、典型的には職人仕事が「働く」という行為に一番しっくりくる概念です。日本人のほとんどの人は「労働している」のではなくて「仕事している」のです。そうした仕事概念を公理とする経済学体系を創ればいいことがわかりました。そのことはマルクス『資本論』で端緒に措定された抽象的人間労働と対置する仕事概念を体系の端緒に措定することで別の経済学が浮かび上がって来ることを意味しています。
結局、わたしは資本論を書いた後のマルクスと同じ問題に20代後半でぶつかっていたのです。新しい経済学はいままでないものを想像するのですから、大きな社会実験を伴ないます。あらかじめ全体を細部までデザインすることは不可能でした。レーニンも、スターリンも、毛沢東もそうした経済学に関わる根本的な問題が横たわっていることに気づきさえせず、無謀な社会実験に突入してしまいました。絵にかいたような空想的共産主義=一党独裁の抑圧の専制政治経済体制を創り上げてしまった。同胞をシベリア送りにして2000万人粛清したといわれているスターリン、文化大革命で2000万人の中国人民を粛正したといわれている毛沢東、よく似ています。経済体制としての共産主義や社会主義は無知と人間の抑圧の産物です。
ところでマルクスは資本論の中で「資本主義」という用語は使っていません。「資本家的生産様式」という用語を使っています。この用語はそれ以外の生産様式が存在していることを示唆しています。典型的なのはドイツのマイスター制度です、職人仕事をベースとする生産様式ですよ。創業150年を超える日本の老舗企業はほとんど職人仕事をベースとした企業です。日本ではあらゆる仕事が職人仕事に化けてしまいます、文化や伝統や風土やそこで育まれた価値観が関係しているのでしょう。「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」も広く受け入れられ、受け継がれてきたビジネス倫理です。目指すべき企業や経営哲学の雛形は足元にずっと昔からあったのです。拡大再生産や利潤至上主義や成長至上主義とは無縁の生産様式です。
ようやく、時代がわたしの経済学研究に追いついて来たようですから、カテゴリーを新設し、シリーズで要点を採り上げて行こうと思います。まだ誰も見たことのない世界に、そしてドイツ人や日本人には懐かしい風景に読者のみなさんをご案内することになるでしょう。
2022-04-05 10:14
nice!(1)
コメント(2)
楽しみです。
by tsuguo-kodera (2022-04-07 11:27)
koderaさん
齊藤幸平さんの『人新世の経済学』、こんなに面白いとは思いませんでした。
マルクスはやはり自分の方法論の過ちに気がついていました。新MEGA版にそれが記されているようです。日本のマルクス経済学者も世界のマルクス経済学者も新MEGA版のマルクスの研究ノートを見るまではだれひとり気がつかなかった。わたしは40年以上前に『資本論』と『経済学批判要綱』を読んで気がついて、打開の糸口を見つけ、新し経済学がどうしたら可能になるのか、呻吟していたのです。
斉藤さんの論点を交えながら、じっくり書き進めたいと思います。
人類は壮大なスケールで、まったく新しい経済学をはじめていいのです。
そのスタートのところを叙述するのがわたしの役割です。
新しい経済社会の詳細なデザインは、若い人たちがわたしが明らかにした原理に基づいて試行錯誤しながらやってくれるでしょう。
間に合いますよ、きっと。
by ebisu (2022-04-07 23:09)