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#4581 分身ロボットカフェ:仕事は喜び July 8, 2021 [97. 21世紀の経済社会 理論と理念と展望]

 今朝NHKラジオで、東京・日本橋にオープンした分身ロボットカフェが話題になっていた。経済学の公理を考えるうえで重要に思えたので紹介して、経済学の根本のところをわかりやすく解説してみたい。

 このカフェには各々のテーブルの上に30㎝ほどの分身ロボットが置いてあって、注文を受け付ける。その分身ロボットの操縦者(以下、パイロットと呼ぶ)は50名のALSなどで身体を動かすのが不自由な人たちである。
 1mほどの背丈のロボットが1台あるが、アームがついていて、客の注文を聴いて好みに応じた珈琲を淹れることができる。アームのついたロボットのパイロットはフジダミカコさんという女性ALS患者で、指と口元しか動かない。この方はジャパン・バリスタ・チャンピオンシップに出場経験があるようで、その技術を生かして分身ロボットを通じてお客の注文を聴いて珈琲を淹れるという。デザイン珈琲はバリスタの基本技だが、そうした要求にも応じられるのだろうか。「またバリスタができる、誰かの役に立てる」、彼女は喜びをかみしめています。病気になって働けなくなった当時は、社会から必要とされていないと、強い疎外感と自己喪失感にさいなまされたそうですカフェのオーナーの吉藤さんは将来ロボットを使って、自分で自分の介護ができるようにしたいと言ってました。吉藤さんの夢は「どんな状況になっても自分が望む生き方のできる社会をつくりたい」ということです。
 遠隔操縦だから、客とパイロットはふつうに会話を楽しめます。客の側からはパイロットの顔が見えない、声だけだから想像力が働いてドキドキワクワクかも。声の表情が魅力的な女性には固定客がつきますね。客もバリスタも普通のカフェよりも愉しいかも。
 
 繰り返しになりますが、バリスタをしていた女性はALSに罹って、仕事をやめていました。それが分身ロボットのパイロットとなることで、もう一度仕事をすることができるようになりました。仕事ができるということは喜びなのです。社会が自分を必要としている、社会の一員として人のお役に立てる、この点がとっても重要です。
 日本人は定年退職すると社会からの疎外感を感じる人が多い。それは仕事を通じて人様のお役に立てているという実感があったからだと思います。日本人にとって仕事は本来喜びなのです。

 ヨーロッパでは古代ギリシアでは労働は奴隷がするものでしたから苦役でした。だから生産力を上げて労働から人間が解放されることが最終目的になります。生産力の無限の拡大と拡大再生産、そして生産性の無限の向上が至上命題になります。それは資源の枯渇と生存環境の悪化を招来しています。
 アダムスミスの『諸国民のの富』も、D.リカードの『経済学及び課税の原理』も、マルクスの『資本論』もそうした労働観の上に築かれました。これら三人の経済学者の経済理論には労働=苦役という前提条件があります。マルクスが想定している労働者は工場労働者です。ドイツなのになぜかマイスター制度が経済学の考察の際には捨象されています。感覚的に別のものだとわかっていたからでしょうね。

 経済学体系が演繹的な体系をもつものだとしたら、労働=苦役という労働観はこれらの経済学の公理です
 ヨーロッパの経済学の公理と日本の経済学の公理はまったく別物です。日本人の仕事観は、技術の粋を尽くしたものを作ること、喜びです。だから、それが日本の経済学の公理となります。日本人の仕事観は神への捧げものを作ることから生まれています。だから仕事は神聖なものとなりました。刀鍛冶の新年の初仕事は禊からはじまります。身体を清めて神へささげる一振りの刀を造ります。

 ヨーロッパの経済学と日本における経済学とでは、学の出発点としての公理が異なるということ。こうした仕事観を公理に措定すればまるでちがった経済学と経済社会が展望できるはずです。
(日本人の仕事観のベースに職人仕事があります。名人・名工はドイツではマイスターで制度化されています。)
 それは大きな社会実験となります。レーニンも毛沢東も共産主義というイデオロギーに基づく経済社会を実現しようとして大失敗しています。労働者が支配する国家ではなくて、インテリがエリートとなっている共産党とテクノクラート(技術官僚)が支配する国家体制ができあがってしまいました。一部のものが権力を私物化し、異論を認めない、共産党やテクノクラートが労働者を搾取する経済社会です。
 マルクスは資本主義社会の発展の矛盾を突きましたが、共産党宣言は書いても、共産主義社会について具体的なことは記述していません。新しいイデオロギーで経済社会をデザインしそれを建設することはとってもむずかしいことなのです。マクロの細部にわたって出てくる問題を次々に解決する必要があります。

 職人仕事観を経済学の公理に措定しても事情は同じです。議論しながら、思考し、試行して修正しながらやりとげるしかありません。
 なお、経済学の公理について言及した経済学者は一人もいません。だから、資本主義以後の経済社会をデザインできないのだろうと思っています。
 カテゴリー99. 資本論と21世紀の経済学(2版)(26)」A1. 資本論と21世紀の経済学(初版)(32)」をクリックしてください。そちらで詳論しています。


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