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#4564 二つの門柱:花咲小学校 June 10, 2021 [89.根室の過去・現在・未来]

 花咲小学校は創立144年目を迎えた。正門にある門柱があるが、校舎東側にも門柱がある。天気が好いので、MTBで学校まで行ってきた。
 11時の気温14.5度、南東の風3.8m/s、湿度80%

①正門前の門柱
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②門柱の題字がいいのでズームアップ!
 来年旧啓雲中学校へ移転しますが、題字の運命はいかに?
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6/11追記:この記事はFBの「根室人」グループへもポスティングしてますが、ある方から、山本栄進校長の揮毫ではないかと投稿をいただきました。全校朝礼のときにはイソップ童話をよく引用されたとそのお人柄について紹介がありました。その奥さんが中学生の時に3年間担任だった山本幸子先生です。家と学校にお袋が二人いるようなものでした。独学で勉強して公認会計士になると強く心に決めていたので、根室商業の伝統のある商業科を選択しましたが、山本幸子先生には最後まで反対されました。「この子は大学へ進学する子だから」とお袋へも強く普通科進学を薦めました。「おっしゃることはわかりますが、息子が決めたことですから、わたしにはなんともできません」とお袋。わたしは自分で決めたら人の言うこと利かない頑固者でした。(笑)その代わり、高校2年生のときから中央経済社から出版された「公認会計士2次試験講座」を購入して、受験勉強を始めています。当時は経済学も試験科目にありましたから、近代経済学の本ととマルクス『資本論』を比較しながら読んでみました。『資本論』は100頁ほど読んで当時の私の学力では無理だと、中断しました。大きな森の中で迷った感覚が残りました。それが、公認会計士受験を棄てて、経済学へのめり込む動機になったのです。社会人となってから転職を繰り返す動機にもなったのです。さまざまな業種の企業を体験することで、現実の経済を知ろうと思ったのです。マルクスを超え新しい経済学を想像するためには、必要不可欠な経験でした。大学の先生になっていたら、到達できなかったでしょう。お陰でとっくにマルクスは超えられました。こんなことが言いきれる、マルクス経済学者はいないでしょうね。
 居酒屋「酒悦」もビリヤード店も繁盛したお店でしたが、オヤジもお袋も一人息子のわたしに店を継いでほしいとは思っていませんでしたね。1代かぎりと決めてました。オヤジが70歳になる少し前に店は閉めました。オヤジは大腸癌手術の後、体力の衰えを感じたからでしょう。お袋は昔から歳をとったら、郊外に家を建て庭いじりをして暮らしたいと言ってましたが、20数年間その通りの生活を送って亡くなりました。
 ビリヤード店を小学生のときから手伝っていたので、わたしは大学進学なんて考えたこともありませんでした。そんな経済的な余裕ができる時代がすぐ目の前に来ていることもわからなかったのです。「高度経済成長」をわたしなりにこの極東の町で実感していました。ビリヤード店にはさまざまな職業の大人が遊びに来ます。人間観察のいい機会を与えられていたのです。その経験が社会人になってから、どれほど役に立ったか知れません。

③後者南側にある旧門柱
 校舎建て替えのときに移設したのではないか、団塊世代のわたしはこの門柱の間を通って毎日通学していた。土曜日は4時間授業だった。一部が剥離しているから、修復したいね。卒業生から寄付を集められないものかな。もちろんわたしも出します。
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 楷書で実に端正な字です。書き手の性格を表しているのでしょう。

④校舎裏側からグラウンド方向(東)を撮影
緑色で囲んだ辺りは家がなくて、グラウンドから降りて裏山でスキーやソリ滑りをした。左側から右側に向かって比較的な長いスロープがあってたくさんの子どもたちが遊んだ。結構ごった返してました。
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⑤底なし沼はブラジルまで通じている!
青丸で囲んだ辺りに沼がありました。カラス貝がたくさんあったし、トンギョやゲンゴロウがいました。採って遊びました。生徒たちは「そこなしぬま」と呼んでいました。地球の中心を通ってブラジルの底なし沼につながっているなんて話が信じられる素直な子どもが多かったのかな。ほんとかなと思いながら、半信半疑で議論してましたね。実際にはブラジル沖の海の中が真裏側なんです。(笑)
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⑥校舎南側
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⑦創立144周年目!
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 これでおしまいです。m(_ _)m



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