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#4295 北構保男翁命五十日祭:「お別れ会」 July 24, 2020 [89.根室の過去・現在・未来]

 去る6月5日享年103歳でお亡くなりになった北構保男先生の「50日祭」と「お別れ会」が午前10時半から市民斎場で開かれた。
 考古学でオホーツク文化史に大きな貢献があったことや、戦後まもなく根室町議・市議を何期かやられたこと、根室印刷を創業・経営されるなど、学術と実業の多方面での活躍があったので、会場はびっしり、皆さんマスクを着けておられた。

 札幌の介護施設に移られてからほぼ3年間、元気に過ごしていた様子が長男の太郎さんが喪主挨拶の中で述べられた。食べられなくなって、三日後に逝かれたという。それまでは元気で、気になる古書文献取り寄せなど、息子さんへ頼みごとが多かったご様子。息子さんの専門は法学、分野が違うのでたいへんだっただろう。古書の取り寄せや出元の調査などそれまでやったことはなかっただろう。それでもかまわず、大きな声で頼んで、息子さんがあたふたする姿が脳裏に浮かんだ。如何にも北構先生親子らしいやり取り。息子さんは高校では根室にいなかったから、中学校から東京だったのかも。早稲田大学大学院法学研究科修士、札幌大学教授、ebisuよりいくつか年下である。

 自宅兼店舗(北球ビリヤードと根室初の居酒屋「酒悦」(後に焼き肉店))の家が梅ヶ枝町3丁目にあったので、花咲街道沿いに根室印刷と家一軒と「広小路」を隔てたただけのご近所さんであった。そういう縁もあって、北構先生にお仲人をお願いして、大学を卒業した年に根室で結婚式を挙げた。2002年の11月にふるさとへ戻って来てからまたお付き合いが始まった。本来はオヤジと北構先生との近所付き合いで、わたしはフロクである。
 戻って来てから、何度か話しているが、根室商業同期の歯科医の田塚源太郎先生や高坂さんのことが(わたしのほうから)話に出たときに、「同期はみんな先に逝ってしまった、昔話ができるのはもう君くらいなものだ、ときどき自宅に話に来てくれ」なんてことをおっしゃる。用事があって印刷会社の方に伺うと、ご自分の席から応接セットに移動されて大きな声でしばし昔話をしてくれた。愉しげに話されるので、どこで話しを切っていいのかわからないこともあった。国学院へ通っていた時は井之頭沿線、杉並区にお住まいだったという。古書店やアテネフランセのある神田界隈の話も、戦時中に文部省の依頼でベトナムの王族に日本語を教えていた話のついでにお聞きした。神田界隈は大学の神田校舎があったり、古書店街だったので、よく歩き回って本を買いあさった。話がどこに飛んでもどの通りかわかるので適度に相槌がいれられる。古い東京の話と古里の古い話が交互に出るから、なるほど、これはわたしでないと話し相手にならぬと感じた。

 人柄にも触れておきたい。豪放磊落、はっきりものという人だった。元落下傘部隊員だったオヤジは、そういう北構さんのファンだった。人柄に惚れていたのだろう。オヤジは昭和30年代に5年間ほど日本合同罐詰の四工場の一つ、三国工場の現場長をしていたことがあった。四工場を一箇所にして」、土間に2段ベッドだった女工さんの宿舎を畳みの部屋に改築すべきというのがオヤジの持論だった。工場長や現場監督はそれぞれ一人でよくなるし、機械工など集約したほうが機械の改良もメンテナンスもよくなる。なんどか本社に言ったようだが、聞き入れられず、業を煮やしたオヤジは退職した。そのあと機械工など主要な男工さんが次々と辞めていった、それぞれオヤジに挨拶に来ていたので覚えている。処遇の改善が進まなかったので女工さんも集まらなくなった。根室最大の企業である日本合同罐詰はほどなく経営破綻(昭和52年ころ)した。頑迷固陋、無能な本社幹部たちが寄ってたかって潰したようなもの。こうして根室最大の企業は根室人が潰してしまった。カニ罐詰では世界最高水準の加工技術を誇った会社だった。原料の買い付けのときは朝の4時ころ家を出て仕事していた。夕方残業が1時間くらいで上がるとき、工場から作業着姿で帰ってくる、北構さんが印刷会社の前にいるとこちら側へ歩いてきて道路角の所でに立って二人でしばし世間話をしていた。仕事で魚の匂いがついていてもまったく意に介さず、よく20分ほど外で大きな声で話をしていた。二人とも声が大きい。夕方声が聞こえてくるから、また話してると思った。地元で北構さんは大卒のエリート、根室は漁師町、あの年代の大卒はとても少ない、でもまったく気取らず、分け隔てのない人柄に惚れていた。北構先生はあの性格だから、オヤジに投票を頼んだことは一度もなかっただろう、頼まれもしないのに、選挙のたびに、オヤジは北構さんに投票していた。(笑)
 1964年は東京オリンピックの年だった。初の衛星放送でケネディの暗殺事件が報じられた年でもあった。根室で市長選挙があった。北構さんは市長選挙に立候補したが落選。誰にでも思ったことをはっきりとモノ言う性格、大卒のインテリ、そういうところが町の有力者たち、とくに水産関係から嫌われたと噂された。あのとき、根室の有力者たちが根室の未来の芽を潰したのだ。北構先生が市長になっていたら、根室の悪弊を一度は断つことができただろう。根室市が変わるチャンスだった。しかしだ、これも根室という町の運命だったのかもしれぬ。
 その後も市議をされたようだが、50歳前に根室の政治からは手を引かれた。「根室は変わらんよ、どうやってもかわらん、だからあるとき根室の政治から手を引くことに決め、考古学と会社経営に専念することにした」、そうおっしゃった。わたしはしばしば根室の旧弊・悪弊をとりあげることがある。北構先生が50歳前にあきらめたことを、ブログだけで少しはやってみようかと57歳から書き始めた。もちろん、スキルス胃癌で衰えた体力と脳力のリハビリもあった。いろいろな立場で協力してくれる人がいて、現実はわずかずつではあっても動いている。市立病院建て替え問題と17億円の年間赤字の問題については前院長のA先生が協力してくれた。経営状態を心配する院内のドクターも数名協力してくれる人が現れた。首都圏で病院建て替えや病院経営の経験はあったが、300ベッド弱の特例許可老人病院だった。総合病院経営の経験はなかったから、地域医療問題をブログで採り上げるのに、前院長A先生の協力は不可欠だった、感謝している。赤字額は年間10億円に減らせるよ。やり方に気が付かないのが不思議だ、ちゃんと赤字の原因の分析ができたら、おのずから年間赤字額を半分にする方法も分かろうというモノ。わたしはやれないことは言わぬ主義だ。
 町の未来には教育が一番大事だ。生徒を通じて根室高校の先生たちも協力してくれるようになってきた。恥ずかしながら、一番非協力なのが肝心要の根室市教委と根室教育長だろう。14年間見てきたが、教育問題では市議会文教厚生委員会にも動きがない、そろそろ動いたらいかが?北構先生が30代のころならはっきりモノを言っただろう。
 古里へ戻って14年目、気が付いたことがある。平均的な学力が著しく低下してしまった今でも、学年トップクラスの3人を上手に育成出来たら、浪人生も含めて、毎年2人ほどは医学部進学者を出すことができる。小学4年生から受験勉強スタートで十分だ。中高の先生たちと私塾の連携があればやりうる。30年間それが続けられたら、20人ほどは根室へ戻って市立病院で仕事してくれるだろう。市立根室病院の常勤医は12人、地域医療で大問題は常勤医が少ないことだ。長期的には自分たちの努力でいくらでも解消できるのに、手をこまねいている。教育に関心の薄い歴代市長や辞めたらすぐに根室を去るような教育長に根室の教育改革の仕事は出来ぬ。
 根室には、わたしのやれることは高が知れているが、30年後に町を担える人材を数人育てられたら、故郷に戻ってすでに14年、小さな塾を続けている意味がある。わたしはわたしにしか出来ぬ小さな仕事をやりぬく。

 根室唯一の文学博士、そして実業家、遠慮なくものを言う人が一人いなくなった。
 まだ、はっきりものを言う人はいる。老舗の造り酒屋の当主もその中の一人だろう。辛口である。根室にとっては大事な人たちだ。

 6月5日にお亡くなりになってから、なんとなく心が落ち着かなかったが、区切りがついてようやくほっとしている。

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#4267 北構保男さんの思い出 June 10, 2020

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#2260 東西の古地図に見る日本・北海道・千島:展示会 Apr. 10, 2013

*2008年6月18日、ブログ#205『対談 弁天島発掘130年〈上〉』
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-06-17-1

 2008年6月19日、ブログ#207『対談 弁天島発掘130年〈中〉』
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-06-18

 
 2008年6月20日、ブログ#208『対談 弁天島発掘130年〈下〉』
 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2008-06-19


「知床学のすすめ」菊池俊彦
  この中に、北構さん所蔵の「鳥骨製針入れ」の写真が掲載されている。
http://www.hokudai.ac.jp/bureau/populi/edition22/shiretoko




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