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#3329 舛添東京都知事辞任:頭のよい人の陥る誤算 June 15, 2016 [8. 時事評論]

 業者から金を受け取ったことがはっきりしている甘利元大臣は議員辞職はしていないし、訴追もされていない。それに比べれば・・・
 全会一致で都議会が都知事不信任を議決することが決まり、四面楚歌となった舛添東京都知事は今日(6/15)午前中に都議会議長に辞表を提出した。頭の回転が良くて口が達者、下手な言い訳を重ねすぎたことが命取りとなり、「才子才に溺れる」を絵に描いたような幕切れとなった。器ではなかったということ。

 2009年に自民党が政権の座から滑り落ちるや、次の総理大臣候補No.1と目されていた舛添氏は自民党に居ては総理大臣になれないと判断し、2010年4月に離党し「新党改革」を立ち上げた。頭のよい人は情報に振り回されて、損得を計算し、新しいことを思いついてしまう

 こういう大事なことを決めるときは、自分の損得勘定を一切考慮に入れてはならないし、考えてはいけないとわたしは思う。自分が持っている情報で判断してはいけない。知らない情報や、予測もできないことが突然出来するのが世の常、そういうことを理解していたら、自分の手持ちの情報だけで判断は下せない。自分の損得は棚上げして天の意のまま、あるいは生き方としてどうかと云う点から判断するしかない

 頭がよいからあれこれ考えるし、議論に負けたくないという意(こころ)があるから、つい口からその場しのぎの言い訳が出てしまう。ホテル三日月でも「事務所関係者ら」との会議がその後「出版社の社長」に替わったのもそうだ。当初の下手な言い訳を糊塗しようと、昨年亡くなった知人を思いついたのだろう。頭の回転が速いというのは怖いことで、熟考する前に口から言葉がつい出てしまう。出てしまえば、次々と嘘をつかざるをえなくなる。
 そのときはそれで押し通せると考えてやるのだが裏目に出る。観客席からは、意(こころ)が言説に出ているのが、見えてしまうのである。

 「いま選挙になればリオのオリンピックに支障が出る」なんて言い出すようではアウト。論理的に考えれば、東京都知事選挙も都議会議員選挙もリオ・オリンピックにはまったく関係がない。
 追い詰められて支離滅裂になっている自分の姿すら見えなくなっていた。オリンピックに執着がありすぎたからだろう。
 南伝の仏教ではタンハー(渇愛)という。日照りの中を歩き続けて喉が渇いた状態を想像してもらいたい。リオ・オリンピックの閉会式で旗を受け取る自分の晴れ姿を想像し過ぎて、日に日に執着が強くなっていったのだろう。哀れである。

 子どもがいるのだから、子どもたちが大人になったときに誇れる父親になることだ。これから正直にまっとうに生きたらよい。

 「四畳半襖の下張り」で永井荷風に破門になった平井呈一は、後年書斎にこもっていい仕事をしている。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)全集翻訳は、まるで日本語で書かれたもののような名訳である。これほど質の高い翻訳はみたことがない。若い日に貧乏書生をして苦労をしたため、間違いを犯すことは誰にでもある。永井の文体を完璧にコピーできるほど文筆能力に優れていたからこそ、荷風もかわいがってずいぶん一緒に飲み歩いている。もちろん、御代は大御所である荷風もちだっただろう。荷風は平井の才能を認めていたのである。平井は晩年、書斎に閉じこもり、英文学研究に没頭してその期待に応えた。

 よいチャンスだと考えて、舛添氏も書斎にこもって、言行一致の生活をして心を磨いたらよい。5~10年閉じこもったらそれなりの仕事ができるだろう。


*#3328 舛添問題:10万円以上の絵画は資産計上が原則 June 14, 2016 
http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2016-06-14


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< 余談-2:安倍首相は舛添都知事よりもセコイ >
 総理も都知事も同類、ネットで検索すればたくさん出てくる。なぜ、NHKや各民放局、新聞は舛添都知事よりもすさまじくセコイ安倍首相を取り上げないのだろう?このような使われ方をしても違法ではないのだから、政党助成金は使途を制限するか、廃止すべきだ。
 わたしがいつも読んでいるブログを紹介する。

*ブログ「オータムリーフの部屋」より:「安倍首相の公私混同もせこい
http://blog.goo.ne.jp/autumnleaf100/e/74e2407782cdc6b05f9d7cb4f965f333

*元ネタ リテラ ⇒「舛添が公私混同で辞任なら安倍首相も...政治資金でキャバクラ、ウニの爆買い、コスメにジュエリー、がりがり君
http://lite-ra.com/2016/06/post-2337.html

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コメント 7

tsuguo-kodera

 今から言うのでは結果論になります。私としては言い難いのですがが、この男の顔は貧相です。昔テレビのコメンテータとして出た時から嫌いでした。
 もっとも、最近は家はテレビを捨てました。顔は知らなかったのですが、問題が発覚し彼は売れっ子になりました。最初からネットに写真がたくさん掲載されました。ますます全部、爬虫類の顔でしょう。人格の判断医は顔を見る心が大事なのです。心がない人が多いのかも。
 やはりこのような爬虫類顔に投票した奴、させた奴がもっとおかしいのです。メディアも共犯者ですが、真っ当な対抗馬がいないから爬虫類に投票してしまう庶民が哀れ。
 メディアや対抗組織に比べたら、爬虫類の方がまだましと庶民は思ったのかもしれません。結局、彼の行いの大元は対抗勢力の不甲斐なさと、主権在民の民になるのでは。反省すべきは誰でしょう。やはり学校の先生もしなければいけません。責めるだけではアカン。
 教育者が変わらないと、この国民の性向は変わらない。徒党を組んで叫ぶ奴がリーダーの対抗馬なのは不幸。老いも若きもそんなうるさ型ばかりです。分かっている奴は黙して語らずかも。
 経済問題以上にこの国の教育改善が先なのではないでしょうか。でももうきっと間に合いませんね。経済破綻より前に国は破綻してしまうでしょう。
 以上は、未来が読めるkoderaの予言です。哀れなのは幼子とその母親です。何も知らないで生きている。私を招待する学校があれば少しはましになるのかも。でも煩いおばさんやオジサンに指導されている教員組合や学校組織ばかりですからありえない話のようです。
 南無阿弥陀仏。
by tsuguo-kodera (2016-06-15 19:32) 

ebisu

koderaさん

慥かに、舛添さん、爬虫類の顔つきですね。
自公が「勝てる人を選ぶ」なんてことを言い出していますが、それで失敗したはずなのですが、懲りないですね。各政党は、心根がまっすぐで言行一致に人、そして仕事のできる人を推してもらいたい。

ところでいまの学校教育がダメなら、「人為的大災害=アベノミクス」が引き起こす現実の痛みがいろんなことを教えてくれるのでしょう。
学校教育の強化にはありませんが、心根の教育が必要です。心根が腐ってしまっている者が多すぎます。
心根のまっすぐな人が、勉強して偉くなって政治を動かしてもらいたい。

教育改革はとても間に合わないので、大災害を起こしてから、日本人どうしてこんなことになったのだろうと考えます。
戦後の高度経済成長と引き換えに、(万葉集にある)大和心をすっかり失ってしまったことに気がつくでしょうか?

日本人は天地自然と一体化した雄渾な歌が詠めなくなりました。
漢意(からごころ)に、米意(ヤンキーごころ)が上塗りされて、大和心が出てこなくなりました。上から下まで1300年をかけて心根が変わってしまったのです。
大和心は滅びつつあるのかもしれません。
象徴的な話ですが、大和心が滅ぶとき、きっと日本人も滅ぶのです。
もちろん日本列島には人が住み続けますが、漢とヤンキーと大和人の文化的混血児で、もはや日本人とは言いがたい。進化なのか退化なのか...

大和心とはなんなのか、何なのかと云う問い自体が無意味なのかもしれません。あればそれは表出するものなのですから。歌になるし、祈りにもなる、行動にもなる。
震災に見舞われた地域を見回られ、言葉をかけられ、祈られる天皇陛下のお姿に大和心を見ます。
by ebisu (2016-06-15 22:56) 

tsuguo-kodera

 そうであることを祈るだけです。親鸞はどのように考えて死んだのか、空海は今はどのように考えているのか、凡人の私には分かりません。
 ここでふと、管理人さんが五木寛之の親鸞を読みましたか、と聞きたくなりました。10分の1に縮尺すると私になるようです。
 五木の親鸞は、身内に捨てられ、信仰をすて、弟子に捨てられ、子供に背かれ、天に生かされて、書き物をするだけで、歩けなくなる。お布施で食いつなぐ。それが人間の生き方なのでしょう。
 でも作者は凄い天才だと私は思いました。若い時の作品は嫌いだった。女性を不幸にするからです。でも、晩年の作は仏のように感じます。
 親鸞の一生をかなり良いように書いているのでは。現実はもっと悲惨だったかも。私にはそう読めたのです。私は失敗だらけの男だから、不幸をまき散らしたから、そう読めたのかも。
 私も年金で食いつなぐ。貧乏人からお布施を頂いているようなもの。昔の私のお布施は今回の事件の人やその同類の皆さんに食べられた。
 南無阿弥陀仏しか私はもう言いたくありません。私は神や天皇より、仏の慈悲にすがりたい。でも地獄かも。だから観音様に祈るだけ。
 私へのコメントバックより、本の感想をぜひ聞かせてください。お願いします。南無阿弥陀仏。
by tsuguo-kodera (2016-06-16 03:43) 

相川始

おはようございます

舛添さん辞任に関してですが、東京都知事はまた政治資金問題で交代です。
時期候補にはクリーンな人とマスゴミは言っていますが、今候補となっている人たちにクリーンなイメージがないと感じる。
どんなクリーンな候補でも、周りが黒いとその人も染まる可能性がある。
改善すべきは、知事を含め議員および公務員、そして大企業の人たちの意識だと考える

そもそも東京都知事は異質でまるで人気投票レベルの選挙でしかないのが問題と感じる。

さて次はだれが東京都知事となるか?
神のみぞ知る答えは、1か月後に解答がでることでしょう。
by 相川始 (2016-06-16 07:35) 

ebisu

koderaさん

五木寛之『親鸞』は北海道新聞でも連載小説として掲載していましたので、毎日読みました。それがあまりにも良かったので、そのあとに連載された小説は読まなくなりました。
おいしいご馳走をたらふく食べた後では、食指が動かなかったのでしょう。
これだけでkoderaさんのお答えになっているのではないでしょうか。

蛇足ですが、五木寛之氏は偉い人で、1981年から龍谷大学の聴講生をしています。仏教をしっかり勉強する必要を感じたからでしょう。龍谷大学は西本願寺ですから、親鸞を書くベースが出来上がったに違いありません。
親鸞を書きたいと思っても、49歳になってから龍谷大学の授業を聴講する人はいません、それをやったのですから、すごい人だと思います。

だから、それから以降の随筆が5冊ほど本棚にあるはずなのですが、いまみたら2冊だけ見つかりました。1冊だけしか読んでいませんが、仏教に関係のあるテーマのこの人の著作は信頼が置けると思っています。

親鸞は道元とはまったく違う生き方でした。さまざまなことに迷い悩んだ親鸞は身近に感じます。道元には迷いがありません、正伝の仏教を継いだからでしょう、仏教北極星のような人です。数学者の岡潔は夢の中で道元のお弟子にしてもらってから、道元の書いたことがすべて理解できるようになったと書いています。
親鸞、道元、どちらもたいへん魅力的です。
仕事をやめたら、読みたい本が少なからずあります。たぶん読めずに終わるのでしょう、それもよしです。(笑)
by ebisu (2016-06-16 09:03) 

ebisu

相川さん

いまテレビで、石原伸晃氏が東京都知事の有力候補と言ってます。
話の仕方は嫌いです、普段の言動からして性格も悪そうに見えます。(笑)

なかなか居ないものですね、東京都知事選挙は今回も「勝てる人」優先の「人気投票」になるのでしょう。

東京都知事に必要な能力、品格はどのようなものなのかをそれぞれ3~5項目リストしてから、各党は候補を推薦してもらいたいですね。
by ebisu (2016-06-16 09:08) 

tsuguo-kodera

 ありがとうございます。私も新聞で親鸞を毎日読みました。そして五木寛之が好きになり、本を再読しました。龍谷大学に行って仏教を勉強したのですね。筆のタッチは若い時と似ているのに、全く違う印象を私が持った理由がわかりました。再度ありがとうございます。
 ここでふと昔の大学の女学生を思い出しました。女子大で何故私が非常勤を好きになり、10年続けたかも関係している話です。非常勤が好きになったのは、最初の年と次の年に、60歳以上の女性生徒がいたからもありました。少なくとも、講師として私に自信ができたのは彼女らのお蔭でした。
 まず、最初に年に定年退職者の女性がいました。素晴らしいクラスでした。彼女は定年まで学校か企業に勤務し、食事か衛生関係の仕事をしていたようです。
 彼女は基礎から学びなおそうと定年後、女子栄養大学文化栄養学科に入学したそうです。この学科の第一期生だったのでしょう。私の講義は3年生の前期でした。
 私は話をすると必ず、ここまでで何か質問がありますか、と言う習慣がありますが、質問がないと困ります。難しい話が好きな質、たちの悪い管理職者だったからでしょう。
 すると、彼女は必ず質問をくれました。質問の多いクラスになりました。4項目箇条書きの手法に自信ができたのは彼女のお蔭だと今気が付きました。
 私は足りなかった説明ができ、講義の勉強ができました。60人ほどな小規模なクラスでしたが、小論の毎回の赤入れは大変。でも、私の楽しみになりました。
 年末あたりに、次の年はどうするか学科長に聞かれ、彼女のお蔭で自信ができた、このままやりたいと学科長にいいました。
 ところが残念なことに彼女は卒業前に癌に侵され通学できず、退学になったとのこと、学科長も残念がっていました。頑張りすぎたのかもしれませんし、DNAの影響だったのかは分かりませんが。
 実は次のクラスの3年生にも60歳以上の女性が生徒さんにいました。高卒で主婦となり、お料理が好きになり、料理と栄養の勉強をしたくなったそうでした。新学科には2年続けて60歳以上の女性がいたわけです。高齢者がクラスを引っ張ると言う女子大か学科長の考えがあったようです。
 彼女もとても熱心に質問してくれた私は上手く講義ができました。ところが彼女は期末試験に来なかったのです。私の講義は選択でしたので聴講を止めたと思い、学科長に今年は上手く行かなかったようです、と言いました。
 学科長は、彼女は家族の介護のために通学できず、退学を希望したと言いました。要するに私は2年目にダブルパンチを受けました。でも、講義と試験法には自信ができました。
 実践を積んで学びなおすと向学心が違います。身につく知識も違うのでしょう。おまけに新参者も上手く教えられるようになるのかも、などと思いました。悲しい思いでです。
 これらに比べたら、定年後の高校の私の下手な講義のざまなど、悲しくもなんともありませんでした。逆に心がない学生に、下手が教えると笑い話ができます。
 そうですね。売れる本を書きたいなら、ダメ教師の奮闘記を書けばよい。漫画にすれば、なおいいし。楽しい講演を目指すならプレゼンすれば良いのです。(笑)
 そう言えば受けました。私の得意な講演会でした。またもや楽屋落ちの笑いです。(笑)これ以上は書けません。
 
by tsuguo-kodera (2016-06-17 04:19) 

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