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#3307 三島由紀夫『肉体の学校』を読む  May 29, 2016 [44. 本を読む]

 三島は1925年生まれ。
 1970年11月25日自衛隊市ケ谷駐屯地で「盾の会」の隊員4名とともにクーデターを試み、檄文を配って演説するも、自衛隊員には一人も決起する者なし、その場で割腹自殺をしている。
 あの日わたしは、大学からの帰路、山の手線から降りて池袋のJR改札口を出たところで号外を受け取った。途中新宿駅で小田急線からJR山の手線に乗り換えたときには号外は配られてなかった。
 空言ではなかったのだ、知行一致、すごい奴がいるものだと思った。落下傘部隊員だったオヤジとゼロ戦の教官だったゼミの市倉宏祐先生(哲学者)はともに1921年生まれ、オヤジは南方戦線各地で全滅した同期の桜に、市倉先生は自分が訓練した少年特攻兵にずっと負い目を感じて生きていた。三島は召集令状は受け取ったが勤労動員されただけで戦争には行きそこねている。
 私淑していた蓮田善明が、8月19日出征地のマレーシアで天皇を愚弄した上官を射殺し、すぐに自決している。そのときに思ったことが行動となった蓮田、知行合一を絵に描いたような人。その蓮田と同じ年齢になって、三島は何もしないで生きていることに苦痛を感じ始める。
 知行一致は陽明学だが、三島はその系譜の人だ。智の世界と行動の世界が別々にあるのではなく、世界はもともと一つ、後事を託して死んでいった友人や私淑した蓮田の生き様を思い出すたびに、智と行の世界を切り離して距離を保つことができなくなってしまったようにみえる。

 三島が東大で全共闘と対話をしたことがあった。話は平行線だったが、諸君の熱情だけは信じる」と言い残して、対話を打ち切り悠然と会場を去った。三島はかれらの中に知行合一を見てとった、もう話す必要がなかった。今度は彼が希望を託したのだろう。三島があのときに発した言葉の意味は重い。共産主義も欧米流の価値観も間違いで、その点では相容れないが、
 「諸君の熱情だけは信じる」
 すでに思い残すことなし、1968年、三島は熱かった。

 学習院高等科時代に作家としてデビュー、父親の推薦で東大法学部へ推薦入学したのが1944年10月。召集令状が来るも勤労動員のまま終戦を迎えた。戦争にいけなかったことが負い目になったと思う。あるとき家族に「特攻兵になりたかった」と言っている。
 東大法学部を卒業、1947年に高等文官試験に合格し大蔵事務官に任官される。銀行局国民貯蓄課が勤務先だが、なんだか似つかわしくない。1948年9月に辞表を提出し、作家活動に専念する。

 さて、標記の本は1964年2月に集英社から出版されているから、市ケ谷クーデター事件の6年前である。

 主要な登場人物は主人公、華族の娘である浅野妙子39歳(洋裁店経営:オートクチュール)とその友人川本鈴子(レストラン経営)、松井信子(映画評論と服飾批評)で暮らしている。三人ともに戦前は上流社会の人間であり、いまは離婚して自由な生活を楽しんでいる。三人は豊島園(年増のもじり)と称して時々集まり、セックスを含めたあけすけな会話を楽しんでいる。一人の行きつけのゲイバーに、千吉という学生がいる。あとは、小説を読んでもらいたいが、三島は観察視点に独自性があり表現が上手な作家だ。いくつか抜粋してご覧にいれたい。

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 日本の女は脆(もろ)いという固定観念が、この連中の一人ひとりの胸に巣喰っていることは明らかだった。
 その上、外人の男たちの、鶏みたいな、半透明の血の色の透けてみえる、ひどく老化の早い、汚らしい肌が、妙子はきらいであった。背も高く、体力もあり、鼻も高く横顔も立派なのに、西洋人の男から受ける妙子の感じは、へんに無力な、生命力の希薄な感じであった。だから、妙子は西洋人の誘惑には決して乗らなかった。  ・・・11頁
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< コメント①>
  三島は日本人がもつ、肌の美しさや命の力強さを賛美している。これは外人にはないものである。肉食の少ない日本人の特徴だろう。肉食が少なくお風呂へ頻繁に入るから、体臭が薄いことも特徴だろう。自由奔放でありながら、西洋人の誘惑に乗らない日本女性を描きたかったのだろう。


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さっき紹介されて、二言三言話しただけだった繊維会社の社長婦人の洋服は、灯見たところ、金ばかりかけて最低の趣味だった。この人にやんわりと忠告をもちかけ、矜りを傷つけないで劣等感だけを素速くつかまえ、自分の店のお得意にしてしまおう、と妙子は思った。こういう心理的技術さえあれば、洋裁店(オートクチュール)は十分繁昌することを彼女は知っていた。
 デュポネのグラスを片手に、妙子はにこやかに社長夫人の方へ近づいた。洋服がうまく隠し損ねた婦人の脂肪のついた腹が、仄の明かりの中に、だんだんと大きく見えてきた。 ・・・13頁
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< コメント② >
 辛らつな表現をしながら、まるで自分が社長婦人へと近づいていくような感じがする。読み手をシーンの中に引き込む表現である。


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妙子のカクテルは黒で、ティファニー製のダイヤのブローチを一つ胸につけただけ、千吉は又黒の背広で、
「葬式だな、まるで」
 と千吉は言ったが、鏡に映る二人の姿に、満更でもなさそうだった。
 実際、こういう準正装姿の二人は年こそちがえ、お誂え向きの美男美女で、千吉の虚栄心を快くくすぐった。肉体の親しみ合いを、こんな取りすました衣装でぴったり包むと、かえって、なんだか体と体が息をひそめて相呼吸しているような緊張が生まれるそれは衣装というものの哲学だった。 ・・・114頁
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< コメント③ >
 黒の正装は気持ちがしゃんとするものだ。美男美女が正装したときにその美しさ、姿勢のよさが凛として際立つ。そういう衣装の内側で、男と女の肉体がお互いを求めて息をひそめて解き放たれるときをじっとまっている。衣装の内側で肉体と気持ちのボルテージがゆっくりとあがっていく、そうした仕掛けが衣装の役割。熟成する酒と酒樽のような関係だ。酒樽の中にあるからこそ、酒は甘みを増してゆくのである。いい酒樽にはいいお酒が詰まっている。
 衣装のない世界を想像してみたらよい、なんとつまらぬことよ。衣装で見えないからこそ、ナカミの味を試してみたくなるのではないだろうか?それこそが衣装の哲学である。
 そのように考えると、エロテッィクとはたぶんにイマジネーションの作用である。


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病的な大きな深い人工的な目をしたモデルたちと比べると、聡子の目はいくらか細く、いくらか浅かったが、瞳がこの上もなく黒く澄んでいて、ちょっと視線を移すたびに、やさしい可愛らしい夢が目の前を動いてゆくという感じがした。つまり、彼女自身がそんなに夢見がちだというのではないが、人が彼女と一緒にたやすく夢を見られるような気がするのである。・・・126頁
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< コメント④ >
 澄んだ黒い瞳が動くと、視線が夢を求めて彷徨うような印象のあるお嬢さんが聡子だ、ここにも三島独特の表現が見える。そしてそれは物語の主旋律(妙子と千吉の出遭い・セックスへの溺れ・愛・嫉妬・別れ)を支える重要な副旋律となっている。
 千吉は聡子と一緒になって自分の夢を実現することになる、それに妙子が手を貸さなければならなくなるのだが、いまは知る由もない。三島はしっかりとここに複線をおいている。
 

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そのとき、ふと妙子は、今まで思ってもみなかった怖ろしい考えに搏たれて、ぞっとした。今夜千吉に迫って、心中を遂げることができたら、どんなに幸福だろうと思ったのである。
 一瞬、妙子のマ目交(まなかい)には、宿の浴衣も寝乱れて打伏した心中の男女の現場写真が、(そんなものは見たこともないのに)、なまなましく浮かび上がった。それはひどく汚らしくて、同時に思いの草の焼け焦げたあとが昨夜の焚き火の美しい焔を想わせるように、怖ろしい歓喜と陶酔の跡を偲ばせた。・・・166頁
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< コメント⑤ >
 美と醜を常に意識しながら文章を紡いでいたのだろう。具体的でありながら、心象風景を暗示する語彙の使い回しが巧みだと、イメージが映像になってはっきり読み手のこころに甦る。


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甘い死のよろこび。・・・・・彼女は別れ話の恐怖から逃れるために、突然にこんな代用品を発明したのかもしれなかった。わかれば精神的な死を意味する以上、肉体の死は、むしろ反対のものを意味する筈だ。彼女は要するに、自分の追い詰められた論理を、百八十度転換させようと思ったのである。・・・167頁
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< コメント⑥ >
 三島のお父さんが学習院高等科から東大法学部へ推薦入学させたからこの文章がある。法学を習ったからこそ、こういう論理的な文章が時々出てくる。法学部で学んだことが三島の文学作品に論理という厚みを与えた。
 文学作品でこういう生硬な論理的表現にお目にかかることはめったにない、なかなか両立しがたいという事情もある。。


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千吉のちょっとした肘の合図にも、妙子は心得て、千吉のしたいと思うことを先回りに察した。そして一つの環が別の環に滑らかにつながり、万華鏡のガラスの破片のように、つぎつぎとあたらしい無限の組み合わせが可能になった。二人が編み出すものには限りがなかった。
 妙子は千吉の逞しい二の腕をしっかりつかんでいないと、海に溺れて、二度と浮かび上がって来ないような気がした。そしてわずかな休息の合間には、千吉が戯れに、妙子の鼻の頭を軽く弾いて、そこに級に接吻したりした。全然動物ぎらいの妙子も、こんな瞬間には愛犬家の心を知った。
・・・167頁
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< コメント⑦ >
 ここまで来るのに3ヶ月から半年かかる。体が馴染んでしまった状態が訪れピークを迎えると、中身の重みが増して器が崩壊していく。恋愛は一つの過程で始まりがあり、成熟があり、やすらぎの境地に至り、そして突然に壊れる、人が恋を繰り返したくなるのがよくわかる。至福のリラックスのときに、遠くからかすかに忍び寄る破滅の跫(あしおと)はノイズに混ざって聞き分けられない。


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こんなに二人が、何も心なんか要らないほど、純粋に体だけで愛し合ったことはなかったような気がした。よかれあしかれ、それは二人が協働して到達した一つの境地だった。・・・168頁
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< コメント⑧ >
 こういう想いをあなたもしたことがあるだろう。心が十二分に満足し、体が満ち足りて深く深くリラックスしている感触が記憶にある筈。読み手に類似の体験を呼び覚ますコツを心得ている。


<感想>
 三島の文体は戦後派だが、戦中と戦後の両方の時代にまたがって作品を書いているところが特異だ。太宰と同時代であり、華族の生活を題材にする作品群があるところに類似点がある。一度だけ会った。その折に三島は「太宰の作品が嫌いだと」言ったそうだ。本当に嫌いだったのだろう。太宰の作品の中に自分と同じ臭いを感じたのかもしれない。言わずにはおれないところが三島らしい。(笑)
 さて、40歳の主人公妙子と若い学生千吉の恋愛の始まりと爆発と破綻、そして再生を描いた物語だが、日本的セックス観を織り込めたのかというとそうではない。三島はそっちの方面の知識がなかったというのが読後感である。
 祭りやお盆、若衆宿など日本の性風俗の知識があったら、まったく異なる物語を紡いでみせたのではないかと想像すると、まことにもったいない気がした。

<高校生諸君へ>
 2013年の資料(棒グラフ)を見ると、婚姻数は62万件、離婚件数は22.5万件ほどあるから、3組に1組が離婚している勘定になる。離婚年齢は5歳上がって30-34歳がピークとなっている。子どもができて離婚する人が多いようだ。
 経済的理由や女性への興味を失って結婚しない男たちが増えている。自分の生活で精一杯で、とても結婚して妻や子どもを養う自信がないというのだ。非正規雇用が40%もあれば、幸せな家庭という夢を描けない若者が多いことはよくわかる。
 全体の傾向ははっきりしても、個々人の未来がどうなるかはわからない。予習方式というのが勉強にはとっても有効であることを知っている高校生は多い、エッチも同じであるから、予習して一生懸命に勉強したほうがよいことは言うまでもない。予習のつもりで三島の『肉体の学校』を読んでみるのも一興である、高校生と専門学校生、そして大学生に薦めたい。
 ヨーガや中国仙道房中術や呼吸法についても独習したり、習ったりしたらよい。日本にも古来からその方面の技術書が存在する。セックスと健康は一つのものであるというのが、インドや中国そして日本に共通する価値観である。人生の奥は限りなく深い。

*婚姻率と離婚率
http://www.garbagenews.net/archives/1892492.html

<余談:本を買った経緯と最近読んだ本について>
 この本は3月に東京へ行ったときに、本屋で3つ三島の作品が積まれていたので買った本である。三島の作品は『豊饒の海』シリーズと『天人五衰』しか読んでいない。(天人五衰は『豊饒の海』四部作の一つ)
 3月と4月に斉藤隆の近刊書を2冊と、人工知能関係の本を読んだ。どれも面白かったので、そのうちにアップしたい。
 『読書力こそが教養である』の方を、中2の生徒の音読指導に使い始めた。『読書力』に比べると、語彙力が格段に増し、文章が丁寧になった。以前は書きなぐっているだけでなく、校正がずいぶん手抜きされていた。あちこち書き直しになるくらいお粗末な文章だったが、内容が面白いので読めた。10年以上へだたりのあるこれら二つの本を読み比べたら、文章修行の跡がはっきりみえる。

 『ロボットの脅威』は、いま小寺さんと1970年代から2000年ころまでのコンピュータ発達史をメーカ側(小寺さん)とユーザ側(ebisu)の二つの視点で眺めている。未来についてはすでにカテゴリー「資本論と21世紀の経済学」で書いているが、その詳細版がこの本だ。AIとそれを搭載したロボットが人類の経済社会に破滅的な変化をもたらすことになる。便利さと際限のない欲望の拡大再生産をする人類はAI開発をとめられない。価値観の転換(パラダイムシフト)がなければ、現在の資本主義システムは50年ほどで自滅する。
 日本的価値観に基づいた経済学が30年後の人類を救う、それが「資本論と21世紀の経済学」である。学(経済学)の端緒が日本的価値観にある。アダムスミスやマルクス経済学の公理系を日本的価値観で置き換えた。


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天人五衰は豊饒の海四部作の一つでは?
by お名前(必須) (2016-05-31 21:27) 

ebisu

やはりそうでしたか。
豊穣の海に含まれていたような気はしたのですが、本をあげてしまったので、確認できませんでした。
気になっていました。
どうもありがとうございます。
本文の方を訂正しておきます。

元華族のお嬢さんが出家されて老年になっていて、訊ねていったところで、どんでん返し。現が夢だったのかと、それとも多次元宇宙が進行していてどこかでズレが生じたのか、あの最後に驚かされました。
by ebisu (2016-05-31 22:07) 

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